【旅行記】関西地方の全線完乗を目指す旅+α 〜快速みえと近鉄志摩線普通で賢島へ~
前話
2日目は近鉄特急の旅に出ている。大阪から特急ひのとりを乗り通し、初めて乗車してから17年が経過していた近鉄大阪線の再履修を完了させ、名古屋に到着した。これで今回の旅の目的は全て達成されたが、ここから先もまだ旅を続ける。名古屋からは次に乗車する近鉄特急の始発地、賢島を目指した。
名古屋と三重県内各地を結ぶ快速みえを乗り通す
今回は近鉄週末フリーパスを利用して旅している。名古屋からは次に乗車する近鉄特急の始発地である賢島へ移動していくが、この場合、賢島行の名伊特急に乗車すれば、特急券を購入するだけで賢島へ行くことができた。しかし、名伊特急には以前乗車したことがあったことと、名古屋-賢島間でも近鉄を使うと同じルートを往復するだけの旅程になってしまう。それだと面白くないので、あえて別ルートで賢島へ行くことに。今回は名古屋から、JRと伊勢鉄道を経由する快速みえに乗車して鳥羽へ。その後、鳥羽で近鉄に復帰し、志摩線の普通列車で賢島へ向かうことにした。名伊特急を利用した場合に比べ、追加で1,500円の出費となる。快速みえには以前の旅で鳥羽-松坂間のみ乗車したことがあるが、まだ全区間では乗り通せていない。伊勢鉄道や参宮線もしばらく乗車していないので、こちらへの乗車を優先させることにした。

これから乗車する快速みえは、JR東海が名古屋~伊勢市・鳥羽間で運行する快速列車である。名古屋~河原田(通過)間で関西本線、河原田~津間で伊勢鉄道線、津~多気間で紀勢本線、そして多気~鳥羽間では参宮線を走り、名古屋と桑名、四日市、鈴鹿、津、松阪、伊勢市、鳥羽という三重県内の主要都市を結んでいる。途中で伊勢鉄道線を経由するというのも一つの見どころである。
現在、定期列車としては13往復が運転されている。下りは鳥羽行きが9本、伊勢市行きが4本、上りは鳥羽発が12本、伊勢市発が1本の運行である。なお、土休日には名古屋発の快速みえ1号(8時37分発)より早い時間に臨時列車の伊勢市行きが1本走っており、伊勢神宮への参拝客を運ぶ。日中時間帯は関西本線の亀山方面にも快速列車が走っている。このため、名古屋~四日市間では、亀山行きの快速と快速みえで1時間あたり2本の快速列車が運行されている。
列車は発車の10分ほど前に入線してきた。この時間は特に東京方面から伊勢神宮方面へ向かう乗客が多いからか、4両編成での運転。多く2両編成で運転されるが、このように4両編成で運転される列車も数往復設定されている。この列車には指定席の設定がある。今回はこの指定席を利用した。

先述の通り、この快速みえは乗車した5号を含めた数往復が4両編成での運転となっている。しかし、4両編成の列車が4両で走るのは、途中の伊勢市となっている。終点の鳥羽へは前2両のみしか行かないのである。2両編成の場合は1号車の前側半室が指定席となるが、4両編成の場合は1号車の全車が指定席となる。このように2両編成と4両編成では指定席の範囲が異なっている。特に全列車が2両で運転される伊勢市~鳥羽間においては、名古屋~伊勢市も2両のままの列車は、自由席が1.5両分あるのに対して、同区間で4両となる列車は自由席が1両分しかなく、同じ両数だが自由席の範囲が変わる。4両編成の列車の自由席で、名古屋から鳥羽へ行く場合は、はじめから2号車に乗車しておかないと、伊勢市で座席の移動が必要になるので注意が必要である。今回は2両編成では自由席区画となる1号車の後部半室部分の指定席を利用したが、やはり自由席だと勘違いして席に座る乗客がちらほらいた。座席自体に違いはなく、指定席という掲示だけなので、気づかないのも無理はないと思う。
ところで、この快速みえが走るルートには、近鉄が並走し、ほぼずっと付かず離れず状態で鳥羽まで走っていく。三重県は全国的に見ても特殊な場所で、近鉄の路線がない南部を除くほぼ全域で、近鉄の方がJRよりも利便性が高い。名古屋~三重県内各地の移動も近鉄がシェアを握っている。名伊特急の他、名阪特急も同区間を利用でき、さらに名古屋と松阪や宇治山田などへ向かう急行列車も概ね20分に1本運転されている。利便性という点では、近鉄が圧勝している。快速みえはこの近鉄特急・急行列車のライバル的な存在になっている。利便性や所要時間においては勝てないが、価格で比較すると快速みえの方が安い。近鉄特急は特急券が必要だが、こちらは自由席であれば運賃のみで乗車できる。価格で対抗するために、特急ではなく、快速として走っているのである。

今回は指定席を利用した。旅行日はちょうど春休みかつ青春18きっぷシーズンだったので、平日だったが利用客は比較的多く、1号車の全車が指定席となるこの列車も、ほぼ満席の利用があった。また、3両分ある自由席も混雑していた。なお、この列車は途中で伊勢鉄道線を経由するため、青春18きっぷで乗車する場合は、河原田~津間の伊勢鉄道線の運賃を車内で精算する必要がある。車内でも何回も放送され、注意喚起されていた。また、近鉄がずっと並走しているため、近鉄線の乗車券では乗車できないという案内も印象的だった。名古屋から乗車する人はいないと思われるが、途中の松阪や伊勢市はJRと近鉄で改札が共同となっているので、間違って乗車する人もいるのだと思う。
これから乗車する関西本線、伊勢鉄道線、紀勢本線、参宮線の各線は全て2016年に乗車して以来の乗車。つい最近乗ったような気がしていたが、かなり前の話になってしまっていた。
乗車記録 No.19
快速みえ5号 鳥羽行
名古屋→鳥羽 キハ75系
名古屋から関西本線を下り四日市へ

名古屋を出た列車は桑名、四日市、鈴鹿、津、松阪、多気、伊勢市、二見ヶ浦、終点の鳥羽の順に停車して行く。ここから津の先までは、路線は違うものの、先ほど特急ひのとりで走ってきた地域を戻っていくような形になる。名古屋を出ると右へカーブして、名古屋駅をほぼ同時に発車した東海道新幹線のN700系とクロス。その後、名古屋車両所を横目に西へと進んでいく。383系や315系、HC85系が並ぶ名古屋車両所。この前まで大量にいたキハ85系の姿はなく、写真の383系もあと数年後には新型車両への置き換えが既に発表されている。

八田駅までは進行方向の右側に、先ほど通った近鉄名古屋線の線路を見て走り、その後はクロスして、関西本線の方が北側へ出る。近鉄名古屋線がほぼ直線的に走る一方で、関西本線は街を迂回するように北へ膨らんで走る。また、近鉄名古屋線が複線な一方で、関西本線は単線である。快調に走る近鉄の一方で、JRは駅や信号場での加減速が多く、思うように前に進まない感じがする。所要時間で比較すると、近鉄特急は名古屋~桑名間を16分で走る一方で、快速みえは20分~23分程度かかる。単線のため、遅延が発生すると、それが上下線に波及してしまうのもJR側の欠点である。
途中の永和駅ではキハ11系の回送列車とすれ違った。現在は名松線のみで活躍するキハ11系。所属は名古屋車両所のため、こうして名古屋車両所と松阪の間には回送列車が設定されている。

列車は名鉄尾西線と改札内で連絡する弥富を通過し、木曽川と長良川・揖斐川の鉄橋を渡る。名古屋から弥富まで単線で進んできた関西本線もこの鉄橋区間を含む弥富~桑名間では複線になる。近鉄木曽川の鉄橋の手前で再び近鉄の線路と合流し、2つの路線が少しの間隔を置いて、川幅のとても長い3河川を渡っていく。雰囲気的には河口に近い感じがするが、実際には河口から8kmほど離れており、近鉄名古屋線と関西本線は思った以上に内陸を走っている。

揖斐川・長良川に架かる鉄橋を渡って、カーブすると、最初の停車駅桑名が近づく。進行方向左側を並走していた近鉄名古屋線の線路が頭上を通り、養老鉄道の線路がその間から顔を出す。ちょうど養老鉄道の普通列車と同時に桑名に到着する形になった。列車は桑名に到着。さすがにここでは指定席車の乗客の動きはなかった。

桑名を出た関西本線は、しばらく近鉄名古屋線と並走した後、員弁(いなべ)川を渡った先で再度クロスし、関西本線の方が西側へ出る。さらにその後は富田の手前で再びクロスし、今度は近鉄の方が西側を走っていく。三重県内のJRと近鉄は絡み合ったようにして走っているので、どっちがどっちを走っているのかよく分からなくなる。富田、富田浜と通過し、四日市の市街地の中を走り抜けると、列車は四日市に到着した。JRの四日市駅は、近鉄四日市駅から東に1km離れたところにある。近鉄四日市駅の周りは、近鉄百貨店や商店街がある商業地だが、JRの駅の方はやや小規模で、工業地帯の駅の雰囲気がある。この駅からは貨物線が2方向に延びていて、駅構内には貨車が留置され、コンテナが積まれているのが見えた。
河原田から伊勢鉄道へ入り、鈴鹿を経由して津へ

四日市を発車すると、次は伊勢鉄道の鈴鹿に停車する。伊勢鉄道は河原田~津間を結ぶ第三セクターの鉄道会社。純粋にJRで四日市から津へ行こうとすると、亀山を経由しなければならず、遠回りだが、この伊勢鉄道が近鉄名古屋線に並行して、両区間を直線的に結んでいる。快速みえや特急南紀は、この伊勢鉄道を経由して走る。乗車券は経由が関西、紀勢となっている場合は、亀山経由のため使用できず、関西、河原田、津、紀勢となっているのが、伊勢鉄道経由の証になる。伊勢鉄道は智頭急行と同じく、JR6社との通過連絡運輸の設定があり、JR~伊勢鉄道~JRの乗車券はどの駅間でも購入できる。一方、先述のとおり、青春18きっぷの区間には含まれていないので、別に精算しなければならない。
南四日市を通過中、ホームには伊勢鉄道のイセⅢ型の姿があった。伊勢鉄道の正式な起点は河原田だが、普通列車は全列車が四日市まで乗り入れている。特急や快速はJRの車両で運行される一方で、普通列車に関しては全列車が伊勢鉄道自前の車両で運転されている。伊勢鉄道を通過するのは2回目だが、いずれもJRの車両での通過となった。今度この路線に乗りに来た時には、ぜひ伊勢鉄道の車両に乗車してみたい。

列車は河原田の手前で、関西本線と伊勢鉄道との分岐点を通過。南四日市を出た関西本線はしばらく複線で南下し、内部川を渡ったところで伊勢鉄道と分岐する。実際の配線上は、伊勢鉄道は複線のままで、関西本線が伊勢鉄道の線路の上下線の間で単線になる。そのため、見た目は関西本線の亀山方面が分岐しているように見える。その配線が物語るように、現在の伊勢鉄道は幹線路線として建設された経緯がある。
その後、関西本線は伊勢鉄道の上り線の線路の下を潜り、しばらく並走。この並走区間の最後にあるのが河原田である。ホームは既に関西本線と伊勢鉄道で別々になっていて、設備上の伊勢鉄道の起点は直前に通過した分岐点だが、運賃計算上はここが起点であり、関西本線との接続駅になっている。

伊勢鉄道伊勢線はもともと国鉄伊勢線として運行されていた路線を、1987年に第三セクター化した路線である。この路線は鉄道公団が建設し、1973年に国鉄伊勢線として開業したが、利用者の少なさから1987年に第三セクター化された。四日市と鈴鹿、津を結ぶ路線にも関わらず、閑散路線と同じ扱いで第三セクター化されたことに関しては批判の声も多い。先述の通り、亀山経由で走る関西本線、紀勢本線の短絡線として計画された路線であるため、線形がよく、基本的に高架橋と盛土で構成されている。閑散路線として第三セクター化された割には、JRの特急と快速がたくさん走っているのは、ある意味不思議な光景である。
しばらく田畑を眺めて快調に走ると、やがて鈴鹿の街が見えてくる。近鉄鈴鹿線とほぼ直角に交わって、列車は鈴鹿に到着した。写真の奥に見えている建物は、鈴鹿市の市役所である。昨年鈴鹿線に乗車した際には、何の建物だろうかと近くまで歩いたのを覚えている。

鈴鹿を発車すると、次の玉垣までは鈴鹿市の市街地を眺めながら走行。やがて車窓の奥の方には鈴鹿サーキットパークと鈴鹿サーキットが見える。列車はまもなくこのサーキットの最寄り駅である鈴鹿サーキット稲生を通過する。普段は利用者も多くない普通の駅だが、F1レース開催時には多くの人が利用して賑わう。普段はJRの車両で運転される列車は一本も停車しないが、この時ばかりは臨時列車が多数運行され、乗車中の快速みえや特急南紀も同駅に臨時停車する。
鈴鹿サーキット稲生を通過すると、車窓には田園風景が広がる。近鉄名古屋線沿線はほぼずっと市街地が続くが、伊勢鉄道線はその市街地の背後を走る形になっている。古瀬古までは複線の伊勢鉄道だが、ここから先は単線になる。線路の横にはずっと複線化できる用地があり、トンネルもまた複線に対応している。
津から紀勢本線に入り、松坂・多気に停車

やがて津が近づくと、列車はカーブしながら亀山方面からやって来る紀勢本線と合流。この紀勢本線との合流部分も、複線のための用地が確保されていて、紀勢本線と上り線用の用地が立体交差する構造になっている。紀勢本線の上には鉄橋が架かっているが、結局使われずじまいに終わっている。津でようやく指定席に座っていた乗客にも動きがあり、ここで数名が下車していった。

津の手前で近鉄名古屋線が進行方向の右側へまわり、その後はしばらく並走。名古屋線の津新町の先で離れていく。列車はまもなく阿漕に停車。ここでは運転停車し。反対列車である紀伊勝浦始発名古屋行の特急南紀4号を待ち合わせた。津市の市街地は次の高茶屋付近まで続いている。列車は住宅街を車窓に走り、その後は再び田園風景の中を走っていく。近鉄では途中に中川という街があるが、こちらはその市街地の東側を素通りする。列車は六軒で再び運転停車。ここで鳥羽始発の名古屋行快速みえ10号を待った。

運転停車した六軒を発車すると、まもなく近鉄山田線が頭上を越えて行き、田園風景の奥から名松線の線路が近づいてくる。紀勢本線と名松線は松阪のかなり手前で合流し、単線並列の形で松阪駅へ向かう。名松線も9年前の旅で乗車した思い出の路線。往路は晴れていたのだが、伊勢奥津に到着することにゲリラ豪雨に見舞われて、帰りは途中で運転見合わせに。その日は大垣に宿を取っていたので、伊勢八知で列車を降りて、津市のコミュニティバス2本を乗り継ぎ、近鉄の榊原温泉口経由で、何とか名松線沿線を脱出した思い出がある。

列車は松阪に到着。駅の手前で近鉄山田線が合流した。この駅は、この先の伊勢市同様にJRの駅の後ろ側に近鉄の駅がある。名松線に乗車した際には、鳥羽からやってきたので、この快速みえにもこの駅以南区間では一度乗車したことがある。松阪といえばやっぱり松阪牛。隣の乗客が「まつざかぎゅう」か「まつさかうし」かという議論をしていたが、「まつさかうし」か「まつさかぎゅう」と読むのが正しいらしい。地名の正式な読みは「まつさか」で「ざか」とは濁らない。また、「さか」は大阪と同じく「阪」である。

松阪を出ると次は多気に停車する。松阪までは近鉄とJR・伊勢鉄道が付かず離れずの場所を走ってきたが、ここから伊勢市までの区間は両路線がやや離れた場所を走っていく。直線的に走っているのは近鉄の方。JRは多気を経由してから伊勢市へ行くので、伊勢市・鳥羽方面へ行くと考えればやや遠回りになっている。やがて松阪の市街地を抜けると、列車は櫛田川の鉄橋を渡り、多気に到着した。
多気から今度は参宮線に入り、伊勢市を目指す

多気では乗務員の交代が行われた後に発車。津から走ってきた紀勢本線とはここでお別れ。ここからは4路線目となる参宮線に入っていく。多気を発車すると、まもなく紀勢本線の方がカーブして参宮線から分かれていく。参宮線はもともと亀山から鳥羽までの路線として開業し、その後紀勢本線の全線開通と共に現在の区間に変更された。紀勢本線の方がカーブして分かれていくのは、こちらが後から開業したためである。参宮線もやがて紀勢本線とは反対方向にカーブし、その後は東に向かって走っていく。しばらくはまた田園風景が広がる中を走っていく。

やがて宮川の手前で、列車は伊勢市の市街地へと入る。宮川では反対列車の普通亀山行とすれ違った。参宮線の普通列車は基本的に紀勢本線に直通していて、多くが亀山発着で運転されている。宮川を出ると、列車は駅名の由来である宮川を渡り、次の山田上口の先でしばらく離れて走ってきた近鉄山田線と合流。共に並ぶ形で伊勢市に到着した。
伊勢市で解結と行き違いのためしばらく停車し鳥羽へ

列車は伊勢市に到着。JR版の伊勢神宮最寄り駅となるこの駅では、指定席車両に座っていた大半の乗客が下車して行き、車内は一気に閑散とした。名古屋から4両で走ってきた列車だが、ここで後ろ2両を切り離す。その解結作業のため、ここでは14分ほど停車した。ここまでで名古屋を発車してから1時間20分が経過。ちょっと外の空気を吸いたくなったので、駅へ降りて背伸びしに行った。三重県の重要な観光地である伊勢神宮は、外宮が伊勢市駅の目の前にある。まだ伊勢神宮にはいったことがない。ここと日光は鉄道旅行とは別の形の観光旅行を企画して、のんびりと旅してみたいと思っている。

伊勢市駅では解結作業と同時に反対列車との行き違いも行った。停車時間の間に改札前の1番線には名古屋行きの快速みえ12号が入線。数分停車ののち、こちらが先に発車していった。伊勢市駅は駅の近くに大きなホテルがある。そのため、反対側のホームから写真を撮ると、まるで県庁所在地の駅のような雰囲気になった。

14分の停車の後、列車は伊勢市を発車。2両編成になった列車は、さらに参宮線を東進し、二見ヶ浦へ向かう。参宮線は基本的に快速みえと普通列車それぞれが1時間に1本運転されている。しかし、時間帯によっては普通列車の運転がない時間がある。この時間は快速みえが五十鈴ヶ丘と松下にも停車する。その五十鈴ヶ丘を通過すると、やがて伊勢神宮内宮の方から流れてくる五十鈴川を渡り、二見ヶ浦に到着した。
参宮線の伊勢市から先の各駅は終点の鳥羽を含めて無人駅となっている。この列車は車掌が乗務しているため、全てのドアが開くが、きっぷは車掌が回収する。二見ヶ浦でも車掌がホームに降りて、下車する乗客のきっぷを集めていた。列車によっては、車内で回収される場合もあるらしい。

二見ヶ浦を出て、しばらくすると進行方向左側には伊勢湾が見え始める。ずっと名古屋湾・伊勢湾に近い場所を走る快速みえだが、湾岸に出る区間というのは松下~鳥羽間だけである。列車は入り江をまわりながら、風光明媚な景色の中を走っていく。右側にもちょっとだけ湾の車窓が広がる。前回この路線に来た時には、途中に池の浦シーサイド駅という臨時駅があったが、いつのまにか廃止されていた。調べると2020年のダイヤ改正で廃止されたようだった。やがて、車窓に鳥羽商船高専が見える手前で、伊勢市の先で内陸側へ入っていた近鉄鳥羽線の線路が頭上を越えていく。そして両線並ぶ形で、参宮線の終点であり、この列車の終点、鳥羽に到着した。
9年ぶりに訪問した鳥羽駅と風光明媚な周辺の景色

名古屋から2時間4分で列車は終点鳥羽に到着した。先述の通り、この駅は数年前に無人化されていて、駅舎は立派だが現在駅員はいない。前回参宮線に乗車した9年前は、今回と逆に賢島からここへきて、快速みえで松坂へ向かった。その時は青春18きっぷを利用し、ここで1日分を使い始めたので、鳥羽駅でスタンプを押してもらったのを思い出す。今はもうここでスタンプを押してもらうことはできない。一方、無人駅ながら指定席のついた列車の始発駅ということもあり、指定席券売機がポツンと置かれている。次回の旅で使うきっぷを発券していなかったのを思い出したので、ここで発券した。

鳥羽駅では近鉄志摩線の普通列車に乗り換える。乗り換えには45分ほど時間があったので、まずは近鉄の改札前にあったかもめベイテラス鳥羽というカフェに立ち寄って、伊勢うどんを食べた。さらにその後は、駅前に広がる海を見に行った。鳥羽と言えば鳥羽水族館があるが、こちらは以前ここへ来た時に観光している。水族館に一人で入場するのはその時が初めてだったが、入場料の高さに驚いたのを覚えている。駅前のこの広場へ来たのは初めてだったよなと、過去の写真を見返して見ると、しっかり訪問していて、下の写真とほぼ同じ画角で撮った写真もあった。考えることは9年前も今も変わらない。ちなみにその時も鳥羽駅で伊勢うどんを食べている。

花粉の飛散が真っ盛りだったこの日、鳥羽周辺の天気はよかったものの、視界が悪く、せっかくの鳥羽の港の風景も霞んでいた。奥の方には大型客船の姿があった。帰ってきて調べて見ると、どうやらダイヤモンド・プリンセスだったらしい。ダイヤモンド・プリンセスは長崎の三菱造船で建造された大型客船で、伊勢湾フェリーのホームページの情報によれば、この日は横浜港から九州各地と韓国を巡るクルーズの最後にここへ来たらしい。鳥羽港は大型客船が接岸できないので、沖合に錨を下ろして停泊する形になっている。やがてその大型客席の横から、鳥羽港と伊良港を結ぶ伊勢湾フェリーが姿を現した。このフェリーに乗れば、陸上移動では遠い渥美半島へ1時間で行ける。この航路も気になっていて、いつかは乗船してみたいなと考えている。

さて、9年ぶりに訪問した鳥羽で小休憩を取った後は、再び駅へ戻って、列車の旅を再開する。名古屋からここまではJRを利用したが、ここからは近鉄に復帰。昨日から使用している近鉄週末フリーパスを改札へ通し、乗車する列車の到着を待った。駅のベンチに腰掛けると、心地よい風とともに船の汽笛聞こえてきた。鳥羽のこの雰囲気が個人的にはとても気に入っている。
鳥羽で近鉄に復帰し、志摩線の普通列車で賢島へ

鳥羽からは13時29分発の普通賢島行きに乗車した。伊勢中川~賢島間の近鉄線は途中で枝分かれする路線はないものの、開業時期の違いにより、近鉄山田線、鳥羽線、志摩線の3路線に分かれている。日中時間帯の普通列車は伊勢中川~賢島間で1本、伊勢中川~鳥羽間で1本運転されており、まとめると1時間あたりで伊勢中川~鳥羽間で2本、鳥羽~賢島間で1本の運転である。乗車したのは伊勢中川始発の列車。鳥羽到着時点ではかなり混雑しており、入れ替わりで半分くらいの乗客は下車していったが、鳥羽発車後も乗車率は100%を越えていた。乗客はスーツケースを持った若者の旅行者が多かった。乗客の目指す先は大体予想はつく。鵜方駅が最寄りの志摩スペイン村である。節約のために名古屋や大阪から特急列車を使わずに来た乗客と、伊勢神宮へ行った後にスペイン村やその周辺に宿泊する予定の乗客が多いのだろうと思う。
乗車記録 No.20
近鉄志摩線 普通 賢島行
鳥羽→賢島 1230系

混雑していたので、1番後ろに立って後面展望を楽しんだ。志摩線は距離の割に駅の数が多く、鳥羽から賢島までは40分ほどかかる。単線と複線を繰り返す志摩線。初めは住宅の裏を抜け、川に沿って走り、カーブが連続する。伊勢志摩といえばリアス式海岸の風光明媚な景色が思い浮かぶが、志摩線は山を越えて走るため、海はほとんど見えない。白木-五知間の長いトンネルを抜け、志摩磯部に停車。その後車窓の遠くの方に志摩スペイン村が見え、列車は数駅を経たのち、鵜方に到着した。予想通り、この駅で乗客の大半が下車。一気にガラガラとなり、ここで着席することができた。この日は暑いくらいだったが、車内は暖房がガンガンに効いていて、ちょっと熱中症のようになってしまった。

列車はその後、少しだけ海を眺めて走り、終点の賢島に到着した。頭端式で4面5線という規模を誇る賢島駅。普通列車はその中で1番北側に設けられた普通列車専用のホームに停車する。普通列車がここまで肩身狭そうに停車する駅というのもここくらいかなと思う。志摩線は普通列車と特急列車の運転本数が同数程度か、むしろ特急列車の方が多い路線である。普通列車もこの駅から利用する人というのはそう多くない。
さて、名古屋から快速みえと近鉄志摩線を乗り継ぎ、終点の賢島に到着した。賢島からは特急「しまかぜ」に乗車して京都へ。近鉄で高い人気を維持し続けるリゾート列車で、今回の旅と関西地方の乗りつぶしの旅を締めくくった。
続く