【旅行記】大井川鐵道のんびり乗り鉄紀行〜井川線で終点井川を訪ねる~
藤枝駅前のホテルを早朝に出発したあと、金谷駅から大井川鐡道の旅を始めた2日目。その後、家山で川根本町が運行する町営バスへ乗り継ぎ、千頭駅に到着した。ここからは大井川鐡道が運行するもう一つの路線、井川線に乗車した。
千頭から井川へ大井川鐡道井川線を乗り通す

家山駅から乗車した町営バスを終点の千頭で下車し、ここから再び列車の旅が始まる。まだ9時を回ったばかりで、千頭駅前には朝の余韻が残っていた。筆者たちを乗せたバスが到着すると、駅前も少し賑わいを見せる。窓口へ向かい、これから旅する井川線のきっぷを購入する。終点の井川までの往復運賃は2,680円だが、大井川鐡道が発売する「井川寸又峡周遊きっぷ」を利用すれば2,100円になる。これを使わない手はない。
大井川本線の終点であり、井川線の起点でもある千頭駅。改札は両路線で共用となっている。大井川本線のホームはSL列車などが停車できるよう長い頭端式ホームとなっており、堂々とした終着駅の風格を備えている。残念ながら現在は列車の発着はなく、ホームには被災前に取り残されたと思われる21000系車両が、まるで展示車両のように留置されていた。
その大井川本線ホームの横、一段低い位置に井川線の6番ホームがある。すでにこれから乗車する井川行きの列車が乗客を待っていた。編成は、運転台付き客車を先頭に客車3両と機関車1両の計4両。通常、客車列車は機関車が先頭に立つことが多いが、この路線では機関車は常に千頭側に連結されている。井川方面への下り列車は、運転台付き客車が先頭に立ち、その客車から機関車を制御する方式で走っていく。

これから乗車する井川線は、大井川鐡道が大井川本線とともに運行するもう一つの路線である。もともとは大井川に建設予定だったダムへの建設資材などを運搬する目的で敷設された路線で、現在も路線自体は中部電力が所有している。大井川鐡道は1959年にこの路線を旅客化し、観光輸送を主軸としながら地域の貴重な交通機関として機能させてきた。
沿線の過疎化もあり、現在では観光鉄道としての性格が強い。とりわけ途中の奥大井湖上駅の景色はSNSを中心に注目を集め、国内外から多くの観光客が訪れている。各旅行会社のツアーでも定番となっており、井川線は大井川本線のSL・EL列車と並ぶ、この地を代表する観光資源となっている。
前回の旅では富山県で黒部峡谷鉄道に乗車した。どちらも日本の電力需要を支える水力発電所建設のために開業した路線であり、現在も電力会社またはそのグループが所有しているという点で共通している。一方、車両が一般的な鉄道車両より一回り小さい点も似ているが、黒部峡谷鉄道がナローゲージ路線であるのに対し、井川線は狭軌路線である。また、黒部峡谷鉄道は「トロッコ列車」とも呼ばれるが、井川線はあまりそのようには呼ばれない。それはこの路線に国内唯一の装備があるためであるが、それについては後ほど触れることにする。

大井川本線と同様、井川線も近年は運行本数が少なくなっている。現在は1日5往復の運転。そのうち3往復は途中の接岨峡温泉止まりで、終点の井川まで運行する列車は2往復しかない。井川行きの列車は千頭を9時15分と12時20分に発車する。金谷から大井川本線と町営バスを利用する場合、12時20分発には接続できる便がなく、実質的に9時15分発が唯一の選択肢となる。
金谷から列車とバスを乗り継いで到達することは可能で、接続も一定程度考慮されている。しかし、時間的制約は大きく、一般的な旅行者にとってはややハードルが高い。千頭〜井川間は路線長25.5kmだが、片道の所要時間はおよそ2時間を要する。終点井川でも約1時間半の折り返し時間があるため、千頭から往復するだけで約5時間半を要する計算になる。大井川本線の一部区間が運転を見合わせている現在では、終点まで到達するのは案外難しい。
しかし、筆者のように公共交通のみで旅をする者にとっては、こうした条件付きの行程こそが心を躍らせる。いわば制約付き最大化問題を解くようなものである。限られた列車本数と接続条件の中で、いかに充実した旅程を組み立てるか。今回の行程も、何度も計画を練り直してようやく形になった。

筆者は最後尾の車両に乗車した。やがて車掌が検札に回ってくる。「前の車両は暖房がついておりますので…」という案内で、乗車した車両には暖房がないことに気づいた。移動しようかとも思ったが、暖房がない車両はおそらく誰も選ばないだろうと考え、そのまま留まることにした。この日は寒気がやや緩み、停車中はそれほど寒さを感じなかったが、走行中は日陰を進む区間が多く、冷気が身に沁みる。それはそれで冬の旅らしく悪くない。
千頭からの乗客の多くは町営バスからの乗り継ぎ客だった。駅裏には駐車場もあり、観光客の多くは自家用車やレンタカーで訪れる。この路線は一般の観光客にとっては一種のアトラクションであり、乗りに行くものなのである。もし、車で乗りに来るのであれば、もう少し遅い時間の列車を選ぶだろう。多くの乗客が目指す奥大井湖上駅へは、5往復すべての列車が経由するため、必ずしもこの時間の列車でなければならない理由はない。
当然ながら、あえて非暖房車を選ぶ乗客はおらず、最後尾の車両は筆者一人の貸切状態となった。小ぶりな車両ゆえ、より一層プライベートな空間に感じられる。扉は手動式で、車掌が一つ一つ閉めて回ったのち、列車は発車した。およそ10名の乗客を乗せたこの日の下り一番列車は、井川へ向けてゆっくりと走り始めた。
乗車記録 No.13
大井川鐡道井川線 普通 井川行
千頭→井川 クハ600形+スロフ300形+DD20形
大井川を車窓に片道2時間の井川への旅が始まる

駅前の道路と交差する二つの踏切を通過し、早くも車窓に大井川を望む井川線。車両は小さく、カーブ半径も小さいため、列車はガタガタ、キーキーという音を千頭の街に響かせながら走っていく。あまりの喧しさに車掌の放送も聞き取りづらい。しかし、最近気づいたことがある。喧しい鉄道は、間違いなく面白い。
列車はまもなく最初の停車駅、川根両国に到着した。駅の手前から側線が延びており、貨車などが留置されている様子が車窓に見える。ここでは機関車との行き違いがあった。川根両国には井川線の車両基地があり、乗務員の詰所も置かれている。井川線の運行拠点となる駅である。各駅のホームは低く細いが、川根両国は貨車や機関車が並ぶため、どこか信号場や貨物駅のような雰囲気を漂わせている。

川根両国を出ると、車両基地を横目に進み、再び大井川に沿って走る。頭上を吊り橋が横切っていく。やがて大井川が車窓いっぱいに広がると、車掌による案内放送が流れた。川の奥、雲のかかる山の麓に見えるのが寸又峡温泉。その少し右手の山麓にあるのが、この列車の終点、井川だという。千頭から井川までは路線長こそ25kmあるが、山に沿って大きく迂回している区間が多く、直線距離ではわずか14kmほどしかない。東京で例えるなら、東京から蒲田、あるいは品川から池袋ほどの距離である。列車はその距離を2時間近くかけて進んでいく。
やがて列車はトンネルへと吸い込まれた。井川線にあるトンネルは実に61か所。ここから終点まで、数えきれないほどのトンネルをくぐっていく。

列車はこの先、沢間、土本、川根小山と小さな駅に停車していく。駅前には大井川沿いの小さな集落があり、この路線はそこに暮らす人々の足として利用されてきた。しかし現在では、各集落とも過疎化が進み、自家用車の普及もあって、この路線を日常的に利用する人はほとんどいない。沢間駅の手前にはかつての鉄道遺構が残されている。以前はここから寸又峡温泉方面へ向かう路線が分岐していたそうで、現在の沢間駅前の道路はその線路跡を転用したものだと、車掌が紹介していた。

その後到着する川根小山は、川根両国以来の列車交換可能駅である。側線との間に設けられた細いホームと、その先にある小さな待合室が印象的だった。やはり駅というより信号場のように見える。周囲は緑に囲まれ、待合室のベンチに腰を下ろして、ただ静かに過ごすのも悪くないだろう。駅を出ると、やがて車窓には茶畑が広がる。静岡らしい風景を眺めながら、列車はさらに奥へと進んでいく。

列車交換が可能で、駅員も配置されている奥泉を出ると、再び大井川が車窓に現れ、その上に架かる真っ赤な橋が目に入る。井川線に並走する県道388号線の泉大橋である。もともとはこの先の長島ダム建設工事用に架けられた橋で、後に県道へ転用されたものだという。風のない午前中には、水面に赤いアーチが映り込み、見事な水鏡をつくり出す。その光景はどこか幻想的だった。その後、やがて列車は大井川を渡り、アプトいちしろに到着した。
90‰の急勾配を登る日本唯一のアプト式区間をゆく

アプトいちしろと次の長島ダム駅の間がこの路線の最大のみどころである。ここから路線はアプト式という方式の鉄道へと変わり、日本の普通鉄道の路線の中で最も急な坂道を登って行く。
もともとは井川線は、大井川に沿う別経路を走っていた。ここから先も川に沿ってじわじわと標高を上げていたが、この先に長島ダムが建設されることとなり、もともとの線路の一部は水没することとなった。その時、井川線自体の廃線も検討されたそうだが、観光の目玉ということもあり、引き続き存続されることとなった。しかし、ダムがある区間は急勾配となることが予想され、どうやってこの急勾配に挑むのかが大きな課題となった。
こうした急勾配区間では、スイッチバック式やループ線を用いるのが一般的だが、井川線ではアプト式という変わった方式が採用された。アプト式は、列車の車輪にピニオンと呼ばれる歯車を、線路にはラックと呼ばれる平型の歯車を取り付けて置き、それらを噛み合わせることで、急勾配を登る方式の一つ。現在も世界各地の山岳鉄道で使用されているが、国内ではとても珍しい方式で、アプト式を採用しているのはこの区間が唯一となっている。
国内でも過去にはこの方式を採用した路線があった。それが群馬県と長野県に跨る信越本線の碓氷峠区間。ここも急勾配が続く区間であり、当時の建設技術では、ふつうの粘着鉄道では対応しきれなかったため、アプト式が採用され1893年に開業した。しかし、戦後、この区間には新ルートが建設されたため、国内のアプト式鉄道は1963年に一旦姿を消した。井川線はこの区間のアプト式廃止以来、27年ぶりに国内で復活したアプト式鉄道だった。

乗ってきた客車自体がアプト式に対応しているわけではない。アプトいちしろ駅では、車両後部にアプト式対応の機関車を連結し、この機関車に長島ダムまでの急勾配区間を押し上げてもらう。
機関車はすでに駅ホーム手前の側線に待機しており、列車到着後、速やかに連結作業が始まる。この駅では連結作業のためしばらく停車する。そのため、乗客はホームに降りてその様子を見学することができる。

連結が完了し客車3両、機関車2両となった列車。井川線の小ぶりな客車やディーゼル機関車と比べると、アプト用機関車は一回り近く大きい。アプト式に対応したこのED90形機関車は駅構内に設けられた市代検車区に所属する。周囲に人家はほとんどないが、ここは井川線にとって極めて重要な拠点である。
国内で現役のアプト式対応機関車は、このED90形3両のみ。奥大井の山奥でしか見れない極めて希少な存在である。機関車の足元を見ると、線路と線路の間にはラックレールが見える。ここはまだ平坦だが、既にアプト式区間は始まっている。急勾配区間は駅を出た直後から始まり、このラックレールは長島ダム駅の手前まで続いている。
機関車の屋根にはパンタグラフが見えるように、この機関車は電気機関車である。アプト式区間であるアプトいちしろ-長島ダム間は、アプト式区間であると同時に同線唯一の電化区間でもある。ダム建設に伴う補償の一環として整備された設備とはいえ、この区間のインフラは山奥とは思えないほど充実している。

5分ほど停車したアプトいちしろを発車し、列車はいよいよアプト式区間へと進んでいく。駅を出るとすぐに急勾配が始まり、トンネルを抜けると大井川を渡る。新線とともに整備されたトンネルの銘板には「中部地方整備局」の文字が刻まれており、ダム建設に伴う付け替え区間であることを物語っている。大井川を渡る橋梁も、その先の山の斜面を上る区間も、いずれもコンクリート橋で築かれている。これまでの森の中を縫うように走る井川線とは対照的な風景である。車内にいても、明らかに坂を登っていることが伝わってくる。鉄道でここまで勾配を実感できる区間はそう多くない。それが日本一の急勾配であることの、何よりの証のように思えた。
川の対岸、眼下にはキャンプ場が見える。もともと井川線はこの付近を通っていたらしい。やがて車窓には巨大な長島ダムが姿を現す。このダムは国土交通省の中部地方整備局が管理する多目的ダムで、大井川の洪水調節や下流域の灌漑を目的に建設された。多くのダムが連なる大井川にあって、唯一の多目的ダムであるという。井川線はその堤体を望みながらゆっくりと高度を上げ、ダムの天端とほぼ同じ高さに位置する長島ダム駅へと向かっていく。

アプトいちしろから約5分で長島ダムに到着した。アプト式区間は駅手前のトンネル付近で終わっており、構内のレール間にはすでにラックレールはない。列車はここでも5分ほど停車し、急勾配を押し上げてくれた機関車を切り離す。この時間帯は千頭方面への列車が設定されていないため、機関車はやがて単機でアプトいちしろへ向けて坂を下っていった。機関車の発車を見届けたのち、ほどなくして乗車中の列車も長島ダムを発車する。ここでは新たに1人の乗客が乗り込んだ。
接岨湖を車窓に観光地として有名な奥大井湖上へ

長島ダム駅を出た後も、井川線の新線区間は2駅先の接岨峡温泉まで続いている。この先もしばらくは、長島ダムのダム湖「接岨湖」を車窓に眺めながら進む。次のひらんだを出ると、この列車の多くの乗客が目指す奥大井湖上駅に到着する。車窓の先に「レインボーブリッジ」と呼ばれる赤い鉄橋が見えてくると、列車はその橋へと差しかかる。橋の眼下の湖岸には、1990年まで使用されていた井川線の旧線跡が見える。廃止から35年が経つが、レールや鉄橋、トンネルは今もなおその姿をとどめている。

近年、テレビやSNSで注目を集め、大井川鐵道屈指の観光スポットとなっている奥大井湖上駅。ここでは多くの乗客が下車していった。かつての旧線はU字を描く川に沿って走っていたが、新線はそれを横断するように2本の鉄橋で湖を跨いでいる。その鉄橋に挟まれる形で設けられたのがこの駅である。近くの展望台から駅周辺を俯瞰した写真は、井川線の象徴ともいえる風景となっている。数日前、朝のテレビ番組でも紹介されていたらしく、家族に静岡へ行くと伝えると「もしかして大井川?」と聞かれたほどだった。ただし、筆者の目的はこの駅の景色ではなく、路線の終点まで乗り通すことにある。今回は下車せず、そのまま列車に残った。
この駅は観光目的で設けられた駅で、直接駅の外へ出る道路はない。展望台へは、接岨峡温泉方面の鉄橋に併設された歩道を経由して向かうことができる。車掌の案内によれば、接岨峡温泉駅までハイキングを楽しむこともできるという。
木々の間を抜け、山の斜面を縫うように走る終盤区間

奥大井湖上駅を出ると、次は接岨峡温泉に停車する。その名の通り接岨峡温泉の玄関口となる駅で、ここでも数人が下車していった。この時点で車内に残ったのは筆者ともう一人、わずか2人だけとなった。接岨峡温泉は井川線の主要駅の一つで、現行ダイヤ5往復のうち3往復がここで折り返す。
ここで初めて上り列車と行き違う。とはいえ、まだ始発前で、もう少しホームに停車した後、接岨峡温泉10時45分発の千頭行きとなる列車だった。井川線上りはこの列車が始発である。おそらく全国の鉄道路線における片方向の始発列車としては、発車時刻が最も遅い部類に入るだろう。なお、この駅から先は、乗車している列車が折り返してくるまで列車がなく、さらに始発は遅くなる。
井川線も奥大井湖上や接岨峡温泉までは一定の利用が見られるが、ここから先はいよいよ本数も利用者も少なくなる。路線としては終盤に差しかかるものの、ここから終点井川まではなお30分以上を要する。

接岨峡温泉を出ると、沿線の景色はいっそう山深さを増す。駅を出てすぐのトンネルが、千頭から数えて27本目であり、まだ半分にも達していない。この終盤区間に井川線のトンネルの半数以上が集中しており、ここから先はトンネルと深い森とが交互に現れる車窓が続く。井川線が走る大井川右岸側には並走する道路がなく、沢を渡る際に眼下をのぞき込むと、切り立った山肌の高所に線路が敷かれていることが分かる。その高さに思わず息をのむ。
やがて列車は尾盛に到着する。井川線のみならず、全国でも名の知れた秘境駅である。周囲に民家はなく、駅から直接外へ通じる道もない。かつてこの地にはダム建設に伴う作業員宿舎があり、その名残として駅が設けられたという。現在も営業を続けており、下車は可能だが、列車本数が極端に少ないため、運転見合わせなどが起きれば身動きが取れなくなる恐れもある。訪れるには万全の条件を選ぶ必要がある駅となっている。

尾盛を出ると、まもなく関の沢橋梁を渡る。大井川の支流・関の沢川に架かるこの橋は、高さ70.8メートルを誇り、国内で最も高い鉄道橋として知られている。谷底ははるか下方にあり、その高さに圧倒される。以前は宮崎県の高千穂鉄道の高千穂橋梁が一位だったが、この路線が廃止されたため、この鉄橋が一位となった。
関の沢川は市町境となっており、列車はここで川根本町を抜け、静岡市へと入る。静岡市は政令指定都市であるため、所在地は静岡市葵区となる。人里離れた山奥へと分け入っていきながら、行政区分上は政令指定都市の「区」に入るという、この強烈なギャップが印象に残る。

列車は続いて閑蔵に到着する。周囲を木々に囲まれ、どこか神社の参道を思わせる静謐な雰囲気が漂う駅である。この付近で、それまで川の対岸を走っていた道路がこちら側へ渡ってくる。駅周辺には数軒の民家があるものの利用者は少なく、尾盛ほどではないにせよ秘境駅の一つに数えられている。なお、千頭駅からこの駅前までは大鉄アドバンスの路線バスも運行されているが、2026年3月をもって廃止になることが発表されている。このバス路線にも時間が合えば乗車したかったが、1日1往復のみの設定のため断念した。
閑蔵を出ると、次はいよいよ終点・井川である。閑蔵から終点までは約18分。再びトンネルと森林が繰り返される景色の中を列車は進んでいく。

やがて突然視界が開け、眼下に奥泉ダムが姿を現す。エメラルドグリーンの湖面が山々に囲まれて広がる。奥泉ダムは井川ダムのやや下流に位置する水力発電用ダムである。その景色は一瞬で過ぎ去り、再び森の中へ入る。その後、しばらくして車窓には、この路線が目指してきた井川ダムが見えてくる。巨大な堤体が、この鉄道の最後のハイライトとなる。列車はその直後に61本目のトンネルをくぐり、まもなく終点・井川に到着した。
井川線の終点、井川駅に降り立つ

終点まで乗車していたのは、接岨峡温泉以降残っていた筆者ともう1人の乗客、わずか2人だけだった。車掌が各車両のドアを開けてまわり、沢のせせらぎと鳥のさえずりだけが響く井川駅のホームに降り立つ。
約2年前、線路故障の影響で乗車を断念した井川線だったが、今回は無事に乗り通すことができた。深い大井川の峡谷に分け入り、日本で唯一のアプト式区間を擁する井川線。終点の井川までは2時間弱を要するものの、各所に見どころがあり、飽きることなく楽しめる路線だった。
千頭から続く井川線の終点であり、同時に金谷から大井川沿いに敷かれた大井川鐵道約65kmの鉄路の終着点でもある井川駅。今回は途中で町営バスを挟んだため、全行程を線路の上で辿ったわけではないが、大井川沿いに延びてきた線路はここで途切れている。JRと線路がつながっていた頃、ここはJRと接続する鉄道網の一端を担う駅でもあった。車両規格が異なるため直通列車こそ存在しなかったが、線路は確かにここまでつながっていたのである。
到着した列車はここで1時間15分停車し、折り返し12時20分発の千頭行きとなる。当駅発着の2往復はいずれも1時間以上の折り返し時間が設けられている。遠出は難しいが、周辺を散策するには十分。ここまで来たなら、この路線建設のきっかけとなった井川ダムを見に行かない手はないということで、ダムを見に行くことにした。

駅員にきっぷを見せて改札を出る。道路より一段高い場所に建つ木造駅舎は、終着駅らしい風格を漂わせている。下から見上げると、まるでポツンと一軒家のようだった。周囲に民家はなく、立地だけを見れば秘境駅と言って差し支えない。しかし井川線の終着駅であり、奥大井の玄関口でもあるため有人駅となっており、窓口も営業している。
ここは静岡市葵区に位置している。静岡市は政令指定都市移行の際、旧静岡市の大部分を葵区、沿岸部を駿河区、旧清水市域を清水区とした。そのため静岡駅周辺も山間部の井川地区も同じ葵区に属する。葵区のターミナル駅といえば静岡駅や新静岡駅を思い浮かべるが、ここ井川もまた葵区のターミナル駅の一つである。
井川線は旅客営業上は以前からここが終点だが、かつてはこの先に堂平まで貨物線が延びていた。運行は1971年まで続いていたという。駅構内はY字配線となっており、道路手前で途切れる線路が堂平方面への名残である。道路の先には封鎖されたトンネルも見える。道路に架かっていた橋は数年前まで現役だったが、老朽化のため最近撤去されている。

駅舎から階段を下り、下を走る道路へ向かう。途中には沢が流れ、その水は井川ダム下流へと滝となって落ちていく。山間にはせせらぎが響き渡っている。階段の途中には「井川・静岡方面バス乗り場」と記された看板が立つ。一見すると過去の名残のようだが、その表示は今も決して誤りではない。
やがて駅前に1台のワゴン車が入ってきた。車体には「静岡市井川地区運行バス」とある。これは静岡市が井川地区で運行する自主運行バスである。現在もこのバスを利用すれば、静岡市街地から大井川鐵道を経由せず井川駅まで到達することが可能である。
もっとも、この車両が直接市街地へ向かうわけではない。新静岡からしずてつジャストラインの路線バスで横沢まで行き、そこで井川地区運行バスへ乗り継ぐ必要がある。1日2往復で路線バスとの接続が考慮されており、新静岡から約3時間で井川に到達できる。かつては市街地から井川まで直通バスも存在したが、現在は山間部区間の多くが自主運行バスへ移管された。筆者もこのルートで移動できることは以前から知っていたため、今回の旅で組み込むか悩んだが、井川線への乗車を優先させることとし、このバスへの乗車は見送った。
この時間に偶然のように現れたように見えるバスだが、井川線列車とも接続が図られている。井川線の列車乗り継いで、井川地区の中心部へ向かう人のラストワンマイルを担う役割も果たしている。バスはここで数分停車した後、井川地区の中心部へ向けて発車していった。

個人的に目を引いたのは、駅前道路に設置された「警笛区間」の標識だった。見通しの悪いカーブや交差点で警笛を鳴らすことを指示する標識で、いわゆる酷道や険道に設置されることが多い。そんな標識が駅前に立っているだけでも、この駅がいかに山奥に設けられた駅かということを物語っている。おそらく、この標識を公共交通で比較的気軽に見られる場所の一つが、ここ井川である。
筆者の住む地域では周辺の山間部を含めて、目にする機会がなく、実物を見るのはこれが初めてだった。子どもの頃、免許更新でもらった冊子の巻末に載っていた標識一覧を眺めるのが好きだったことを思い出す。いつか実物を見てみたいと思っていたが、まさか自ら運転するのではなく、公共交通で訪れた地で初めて目にするとは、少し意外な気もした。
エメラルドグリーンの湖を望む井川ダムで小休憩

井川駅前から坂を下っていくと、まもなく井川ダムが姿を現す。これほど大きなダムを駅の近くで見られる場所というのも珍しい。特別にダム好きというわけではないが、その巨大さには圧倒される。
井川ダムは大井川に設けられた水力発電用ダムで、1957年に完成した。堤体内部が空洞となっている「中空重力式コンクリートダム」を国内で初めて採用したダムでもある。併設された井川水力発電所とともに中部電力が管理しており、発電出力は62,000kW。ダム直下に発電所を設けるダム式発電所である。堤高は103.6m。堤体の上には井川駅前方面から続く県道60号線が通り、そのままトンネルへと入っていく構造になっている。

堤体の向こう側には井川湖と呼ばれるダム湖が広がる。周辺には中部電力の管理所があり、山の上には井川展示館もある。ここでは水力発電の仕組みなどが紹介されているが、営業は春から秋に限られ、月曜日は定休日となっている。この日は季節外れで長期閉鎖中だった。仮に営業期間中であっても月曜のため定休日ということで展示を見ることはできなかっただろう。
管理所の壁面には「井川五郎ダム」と掲げられている。これは建設に尽力した中部電力初代社長・井上五郎氏にちなむ別名であり、井川湖もまた井川五郎湖と呼ばれることがある。

堤体上の県道からは下をのぞき込むことができる。100mを超える高さは、見下ろすと身がすくむほどだった。眼下に見える建物が発電所で、その奥には送電設備も確認できる。ちなみにこの付近を走る井川線は、ダム堤体よりもさらに高い位置を通っている。山肌に張り付くように延びる線路を見れば、その高さがよく分かる。
県道の交通量は少なく、ときおり車が通る程度である。ダム上を越えてトンネルへ進めば静岡市街地方面へ至る。先ほど目にした自主運行バスも、この堤体上を通って運行されている。

反対側に目を向けると、エメラルドグリーンに輝く井川湖が広がっている。この日は雲ひとつない快晴で、湖面はいっそう鮮やかに見えた。湖はここから約8.5kmにわたり続いている。大井川には複数のダムがあるが、井川湖はその中でも最大規模を誇る。
ダム建設に伴い、旧井川村ではおよそ3分の1の世帯が移転を余儀なくされた。移転先はこのダム湖畔にあり、ここからも遠くはないが、堤体からは山に遮られて見ることはできない。井川駅周辺には民家はないものの、井川地区の本村と呼ばれる中心地には市の支所や交番、消防署、診療所、商店など、生活に必要な機能が一通り揃っている。その地区へは、先ほどの自主運行バスのほか、ダム湖を渡る渡船でも行くことができるのだが、この渡船もまた、冬季の水位低下時には運休となっていた。

堤体横の三叉路から折れる県道とは別に、管理所の下をくぐる道路もある。こちらは井川展示館の駐車場へと続いており、途中で井川中心部へ向かう遊歩道が分岐している。この遊歩道の一部は、かつての井川線の廃線跡を活用したもので、線路やトンネルなどの遺構も残っている。しかし近年は熊の出没も報告されており、一人で行くのは危険ということで、そこまでは行かなかった。
管理所を抜けると、小さな広場が整備されており、公園のような空間が広がる。公衆トイレも設けられ、ダムを眺めるには絶好の場所となっている。ダム湖を行く渡船もこの一角から発着しているが、この日は「運休」の表示が掲げられていた。今回は井川線の往復を最優先としたが、次に訪れる機会があれば、自主運行バスや渡船も組み合わせて、さらに奥深い奥大井を巡ってみたい。ここも十分に山深いが、南アルプスを源とする大井川の流れから見れば、まだ中流域にあたる。

広場からエメラルドグリーンの井川湖を眺める。この景色を独り占めできるのは、井川線の終点まで足を運んだ者の特権だろう。奥大井湖上駅の眺めも名高いが、個人的には井川ダムからの景色もそれに勝るとも劣らない美しさだと感じた。
ベンチに腰掛け、昨夜買っておいた昼食を広げる。聞こえてくるのは鳥のさえずりだけ。常に音と情報に囲まれている日常とは対照的な、静かな時間が流れる。必ずしも多くの音や刺激に囲まれていることが豊かさとは限らない。そんなことを、この井川湖の風景が教えてくれているように思えた。
しばらく湖を眺めながら休憩する。井川ダムの景色は、今回の旅の中でも特に印象に残る、ひとつのハイライトとなった。
続く