【過去旅回想】2019年7月 飯田線普通列車を乗り通す旅

 旅の記憶は季節ととてもよく結びついている。盛夏の空を見上げれば、関西を中心に旅した学生時代の夏休みの旅を思い出し、秋の涼しい風が吹き始めると、数年前芸備線のとある駅でのんびり列車を待ったあの日を思い出す。梅雨の時期のどんよりとした天気、そしてジメジメとした蒸し暑さに触れると、毎回思い出す旅がある。ちょうどこの時期に旅した数年前の飯田線の旅である。

当時の旅程

当日使用したきっぷ
 
東京-[東海道新幹線ひかり501号]-豊橋・駅前-[豊橋鉄道市内線]-運動公園前-[徒歩]-赤岩口-[豊橋電鉄市内線]-駅前・豊橋-[飯田線普通]-岡谷-[中央本線普通]-甲府-[特急かいじ24号]-新宿

「ひかり」で豊橋へ行った後、豊橋電鉄市内線に乗車

 中部地方の長大路線の一つで、豊橋駅と辰野駅を結ぶ飯田線。南アルプスの東側を天竜川に沿って走るJR東海の路線である。この路線には2019年7月初旬に乗車しに行った。当時東京都内に住んでいたが、いろいろと気が滅入ることが多かった。そんな中、気晴らしに少し遠出してみようと2日前に計画を立て、旅に出たのを覚えている。
 前日は立川で友人に会う予定があった。きっぷは友人に会う前に立川駅前のJTBで購入した。その後、その日は夜遅くまで友人と会食し、帰宅。翌日は5時過ぎに自宅を出て、自宅最寄りの京王線の駅から列車を乗り継ぎ東京駅へ向かった。 東京からは6時26分発のひかり501号に乗車して豊橋へ。東海道新幹線の名古屋以東で「のぞみ」以外の列車に乗るのは16年ぶり。確か16年前に乗ったのは「こだま」だったと思うので、この区間で「ひかり」に乗車したのは、この時がはじめてだった。豊橋には7時58分に到着。飯田線の乗りたい列車までは2時間30分ほど時間があったので、空いた時間で豊橋鉄道の路面電車に乗りに行った。
 
 豊橋鉄道の路面電車は、一般には市内線として案内されるが、正式な路線名は東田本線という。豊橋駅前にある駅前電停を起点に終点側は赤岩口と運動公園前の二手に分かれており、単純な往復では乗りつぶせない。しかし、赤岩口と運動公園前は歩いて15分ほどの場所にあり、徒歩でも簡単にアクセスできる。この時はまず運動公園前行に乗車し、その後公園内を歩いて赤岩口へ行き、そこから駅前行きで豊橋駅に戻った。運動公園前電停最寄りの岩田運動公園には、市民球場がある。毎年中日ドラゴンズも主催試合を開催する球場だが、この時は高校野球愛知大会の予選が行われていた。この時期は前年、前々年と豊橋を訪ねていて、やたら頻繁に豊橋へ行っていた。新幹線改札から段々になっている通路が懐かしい。

豊橋から飯田線岡谷行普通列車を乗り通す

 さて、豊橋からは10時42分発の飯田線普通岡谷行きを終点岡谷まで乗り通した。終点の岡谷に着くのは17時31分。所要時間は6時間49分。壮大な普通列車の旅となった。飯田線は全長が195.7kmとなっている。一方、列車は辰野から中央本線の通称辰野支線に乗り入れ、岡谷まで行くため、走行距離は200kmを越える。上諏訪発着の列車があるため、この列車が飯田線を走る列車の中で最長距離を走るというわけではないが、乗りごたえは十分。反対列車であれば、上諏訪から豊橋まで乗り通せたのだが、上諏訪9時過ぎ発で、東京からだと乗り換えがギリギリになるので、豊橋発便を選んだ。列車は313系3000番台での運転。車内はボックスタイプのセミクロスシートとなっていて、7時間弱に渡りボックスシートでの移動となった。
 この旅行の前まで、筆者が乗車した列車(寝台特急を除く)の中で、最も乗車時間が長かったのは、博多発宮崎空港行の特急にちりんシーガイア7号だった。この列車はその記録を更新し、現在でも最長乗車記録となっている。飯田線以上の長時間運行列車というのは現在運転されていないため、この列車以上に所要時間の長い飯田線の列車に乗らなければ、この記録を更新することはない。
 飯田線には94の駅があり、その先の中央本線支線の駅を含めれば、豊橋~岡谷間の駅数は96駅にもなる。このうち、豊橋側の2駅(船町・下地)は、豊川から先へ進む列車のほとんどが通過となり、この列車も通過する。そのため、この列車の停車駅は96駅から2駅引いた94駅だった。もともと私鉄路線だったため、地方の路線ながら駅間の距離も短い特徴がある飯田線。列車はこまめに停車しながら先へ進んでいく。単線の路線だが、列車本数も天竜峡付近を除けば少なくない。そのため、途中駅での行き違いのための停車も頻繁にある。長時間停車こそ少ないが、本長篠、伊那小沢、飯田、伊那大島、駒ヶ根と、行き違いのためにしばらく停車する駅も多い。何せ約7時間の旅路、数分の停車時間も塵も積もれば山となる。
 
 ネットで調べると、乗り通す人が多く、時期によっては混雑する列車のようだったが、この日は梅雨時ということで、日曜日にも関わらず鉄道ファンの姿は少なく、一緒に乗り通した人もわずか数人だった。また、一般の乗客も大半は豊橋近郊の区間で下車して行き、1時間進んだ本長篠まで来ると、車内も閑散とした。その先も乗降が繰り返されたが、混雑することはなかった。
 本長篠以降はどんどん山奥へ進み、中部天竜から先は秘境駅も現れる。周辺に人家もないような場所を列車は進んで行く。この日山間部は少し雨が降っていたが、車窓に眺めた天竜川が懐かしい。途中、伊那小沢では反対列車の上諏訪発豊橋行き普通列車とすれ違った。日中時間帯を走る飯田線のロングラン列車同士のすれ違いは、この列車の重要イベントの一つ。筆者も運転席の後ろからすれ違う様子を眺めた。
 
 しばらく山の中を走り、天竜峡まで来ると、景色も開ける。やがて列車は飯田に到着。豊橋からの所要時間はなんと4時間。10時42分に豊橋を出たが、もうすぐ15時になろうとしていた。停車時間があると、駅を見学がてらに外へ出て体を動かしに行く。それもこの列車の一つの楽しみである。飯田駅の停車したホームの隣には、JR東日本の211系が停車していた。このあたりではJR東海の車両が中央本線の上諏訪まで乗り入れる一方、JR東日本の211系が飯田まで乗り入れている。朝夕には211系を使って、岡谷から中央本線・篠ノ井線経由で松本・長野へ行く列車もある。飯田、中津川、河口湖と自社路線から遠く離れた場所への運用をたくさん持っている211系。長野県内のJRの電化区間では、飯田以南を除きほぼ全域で活躍している。
 
 もう飯田あたりまで来ると、時間の感覚がバグり始める。まだ岡谷までは2時間30分以上かかるのに、もうすぐなような気がしてしまう。山間部では弱い雨が降っていたが、伊那谷では天気が回復。北へ進むほど、日が差し、青空が広がる場面も増えた。列車は小駅にこまめに停車しながら、北へ進んで行く。線路も右に左にカーブしながら敷かれているため、なかなか岡谷は近づいてこない。伊那大島では再び反対列車と待ち合わせるため数分停車。再びホームへ降りて、到着する列車を眺めたのを覚えている。
 
 駒ケ根、伊那市と経由すると、時刻も16時台に。夏至に近い季節ではあるものの、次第に日が傾いてきた。夏の緑を車窓に列車は進む。日曜日の昼下がりにひたすら電車に揺られるなんて、乗り鉄にとってはこの上ない贅沢。急遽計画を立てた傷心旅行だったが、列車の走りと車窓の景色にとても癒された。やはり自分にとって鉄道というのは大切な存在である。今までもこの趣味に支えられてきたが、これからもまたこの趣味を大切にしていきたいと思った。それと同時に鉄道を嫌いになるような選択はしてはならないと、これからについていろいろ考えたのを思い出す。
 太陽が山に隠れはじめた頃、列車は飯田線の終点である辰野に到着。これで飯田線は完乗となった。辰野で接続する中央本線の辰野支線は、2017年9月の長野旅で乗車している。実は飯田線系統の列車にも岡谷-辰野間で一度乗車したことがあった。辰野から先は2度目の乗車となる。しばらく盆地の中を走り抜けてきたが、岡谷の手前ではまた山間の景色を進む。やがて中央本線の高架橋が見えると、列車は岡谷へ。列車は17時31分、定刻通りに岡谷に到着。6時間49分で豊橋から岡谷へ向かう壮大な列車の旅は、幕を閉じた。その時の達成感というのは、今も忘れない。長時間列車の楽しさ、そして列車の旅の面白さを改めて実感した飯田線の旅だった。

岡谷から普通列車と特急「かいじ」を乗り継ぎ新宿へ

 飯田線の長時間普通列車の旅を終え、岡谷からは中央本線を経由して東京へ帰った。特急「あずさ」に乗車してもよかったのだが、岡谷からというのが中途半端。また、「あずさ」はE351系が走っていた頃、特急「スーパーあずさ」で乗車した経験があった。どうせならまだ乗ったことのない列車に乗ってみようということで、岡谷から甲府までは普通列車を利用し、甲府で特急「かいじ」に乗り換えた。この年の春のダイヤ改正で定期列車が全て新型車両のE353系になった特急「あずさ」、「かいじ」。停車タイプで区間便の「かいじ」に乗るのはこれが初めて。夜間走行だったが、久しぶりの中央本線で笹子峠を越え、東京へ戻った。なお、甲府駅に降り立つのもこれが初めてだった。
 
 時刻表をパラパラとめくり、机上で妄想旅をする時、上から下まで時刻がぎっしり書かれた列車を見ながら、いつかこの長時間運行の列車を乗り通してみたいと憧れていた飯田線。鉄道旅を趣味とする筆者にとって、7時間弱列車に揺られ、ただぼーっと景色を眺めて日曜の昼下がりを過ごすというあの時間は、この上なく贅沢なものだった。あれからもう6年が経つ。また時機を得て、飯田線の旅を企画してみたい。長時間列車を乗り通すもよし、特急伊那路や普通列車を使い、飯田や駒ケ根、伊那市などに立ち寄りながら旅するのもいい。東京から飯田への高速バスも使ってみたいと思っているので、やりたいことが多すぎて、旅程を立てるのに苦労しそうである。
 人間関係でいろいろあって、完全に気が滅入っていたこの頃。現実逃避したくて、2日前に計画し、ある意味列車に飛び乗り出かけた旅だったが、飯田線の列車でのひと時と沿線の車窓は、心を癒し、前に進む勇気をくれたように思う。正直、この時の環境は自分には合っていなかった。直接的に鉄道に関わることをやっていたわけではないが、性格や適性を考えたとき、鉄道関連の仕事や、開発・研究に関わる仕事というのは、どうも自分には合っていないということも分かった。鉄道は人生の友。これからも鉄道といい関係でいるために、適度な距離を保って、趣味人として鉄道を愛していこうと決めた。今は全く別の仕事をしているが、ありがたいことに楽しく仕事させてもらっている。”人生楽ありゃ苦もあるさ”なんて歌詞の歌がある。これからも多分いろんな困難が待っているだろう。その時はいつでも鉄道に頼るつもりでいる。何かに悩んだときには、また列車に飛び乗って、傷心旅行に出かけたい。