【旅行記】関西地方の全線完乗を目指す旅+α 〜南海りんかんバスで高野山へ~
前話
難波駅から南海高野線の特急こうやに乗車し、その後極楽橋で高野山ケーブルに乗り換えて、高野山駅に到着した。ここで乗り鉄の旅は一休み。この後は路線バスに乗車して、世界遺産でもある高野山を観光しに行った。
高野ケーブルと路線バスの乗り継ぎ地点の高野山駅

高野山ケーブルに乗車して到着した高野山駅。南海電鉄における世界遺産・高野山の玄関口駅で、高野線・高野山ケーブル系統の終端駅となっている。高野線自体の終点は極楽橋だが、きっぷは難波からこの駅まで通しで買える。極楽橋には改札がないため、この駅まで改札を経由せずにそのまま来ることが可能だが、運賃自体は高野線と高野山ケーブルで別形態になっており、高野線の運賃にケーブルカーの運賃が足し算される。
駅舎は2階建てで、建物内はリノベーションされており比較的新しい。この建物は高野山ケーブルが開業する直前の1928年に建てられた。現在は国の登録有形文化財に指定されている。少し厳かな雰囲気の高野山駅。周囲を山に囲まれており、高野山の玄関口にふさわしい雰囲気が漂っていた。

ここは高野山の玄関口ではあるものの、金剛峯寺がある高野町の中心部からは少し距離がある。駅前はバスターミナルになっていて、ここで金剛峯寺や奥の院などへのバスに乗り換える形をとる。このあたりでは南海グループの南海りんかんバスが路線バスを運行している。駅の横にはりんかんバスの高野山営業所があり、駅前の広場にはバスが駐車されていた。
高野山駅から高野町の中心部へは、バス専用道があり、通常バスはこの専用道を走っていく。しかし、この専用道は昨年8月末から道路の保全調査のため通行止めとなっており、全てのバスが迂回運行を行っている。あまり一般車は見かけないが、駅には一般車も入って来ることができる。迂回期間中のバスは、一般車と同様に一般道を経由して高野山の中心部へ向かう。ケーブルカーとバスの経由地で、山の中にあり、バスが駐車されているこの光景、立山黒部アルペンルートの美女平によく似ているなと思った。

高野山を目指す観光客にとっては、接続がいいのはありがたいことだが、乗りものや駅を楽しみたい自分にとって、接続が良すぎるのはちょっと困る。極楽橋でも一本飛ばしたが、ここでもまた一本飛ばして、乗車したケーブルカーに接続するバスではなく、一本後のバスに乗車することにした。乗り換えポイントの駅なので、バスが発車していくと駅は閑散とする。逆に言えば駅を一人占めできた。
南海りんかんバスの奥の院行に終点まて乗ってみる

高野山からは南海りんかんバスの11時20分発、42系統高野山内線奥の院行に乗車した。バス専用道経由で運行される通常時のバス路線は、高野山の中心部で東西へ枝分かれする形になっているが、迂回期間中はこの奥の院行きばかりとなり、高野山の中心部の西側から東側へ横断する形で走る。専用道から続く道路の途中にあるいくつかのバス停は現在休止中でバスは発着していない。迂回運行で通るルートの方が、各観光スポットに停車するので便利だが、その分全ての観光地へ行く乗客が同じバスに乗り合わせるので、乗客の数は多くなる。
このバスもまたケーブルカーからの接続を受けて発車する。乗車したケーブルカーから接続を受けるバスは満員状態で発車したが、このバスはさほど混んでおらず、座席の8割が埋まる程度で高野山駅を発車した。
乗車記録 No.8
南海りんかんバス [42]奥の院前行
高野山駅前→奥の院前

高野山駅を出たバスは、駅の西側へ続く一般道の方へ進み、アップダウンと急カーブを繰り返しながら走っていった。こちら側は山の斜面しか見えないが、反対側には紀伊山地の山々が見えていた。その後バスは国道480号線を少しだけ走行。やがて車窓の左手には高野山の大門が見え、この大門前で左折して県道53号線へ入った。この大門が高野山の入口となる場所で、バスはここから高野山内を東西へ横断していく。やがて車窓には高野山の街並みが広がり始め、壇上伽藍の前にある中門の横を通過した。

その後バスは金剛峯寺前に到着。高野山真言宗の総本山で、高野山の中心地となるここでは比較的多くの人が下車していった。一方で各バス停から乗ってくる人の数も多い。バス車内の乗客の数は始発から終点までさほど変わらなかった。金剛峯寺や壇上伽藍には後ほど行くとして、とりあえず終点の奥の院まで乗ってみる。もちろん高野山の観光もここへ来た目的だが、このバス路線への乗車もまたここへ来た目的の一つである。

金剛峯寺を出ると、沿道に土産物店や飲食店、それに宿坊が立ち並ぶ中を走っていく、世界遺産、そして仏教都市に相応しい車窓が続く。山と山の狭い平地に建物が密集している。バスは高野山の街中を東西に抜け、終点の奥の院に到着。ここでバスを下車した。高野線・高野山ケーブルもタッチ決済で乗車したが、この南海りんかんバスの高野山路線もタッチ決済でも乗車可能。この日は朝のOsaka Metro乗車からずっとタッチ決済でここまで来ることができた。
のんびり歩きながら高野山を散策する

高野山駅から乗車したバスを終点奥の院前で下車した。ここからは高野山内を西へ向けて歩きながら、高野山を観光していく。
高野山は今から1200年前の平安時代に弘法大師空海によって開かれたとされる霊場である。平安仏教の一つ真言宗の総本山として、長い歴史を持ち、一体はその中枢を担う金剛峯寺を中心に、別格本山や宿坊となる寺院が密集し、仏教都市が形成されている。現在の真言宗はさまざまな宗派があり、高野山はその中の高野山真言宗の大本山に位置付けられている。山内には宗派関連の施設が多数ある。系列の学校法人が運営する高校や大学もあり、全国から僧侶を目指す人たちが進学してくる。伝教大師最澄が開いた天台宗の総本山延暦寺は、山の上に延暦寺があり、関連施設は山の下にある坂本の街に広がっているが、こちらは周辺が閉ざされた山であることから、すべての機能が山内の狭い領域に密集している。
高野山は2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成遺産の一つとして、世界文化遺産に登録された。現在は関西屈指の観光地として海外からの観光客の姿も多い。すれ違う人を見るに、アジアからの観光客よりは、欧米からの観光客に人気があるようだった。

バスの終点まで乗りたいがために奥の院前まで来たが、奥の院はバス停からかなり歩いた場所にあるので、時間の都合で今回は行かない。奥の院には弘法大師空海の御廟(ごびょう)があり、ここに空海が祀られている。高野山においては壇上伽藍と並ぶ空海ゆかりの二大聖地として知られている。
とりあえず途中までは奥の院へ続く参道を歩いて行く。参道の両脇には墓地が広がる。中にはヤクルトやUCC、日本シロアリ対策協会が設置した企業墓や供養塔もある。企業が墓を作るというのは世界的には珍しいことらしい。もちろん社員の供養や会社発展を祈る場所としての意味合いもあるが、企業イメージや認知度の向上などの効果も見込んでいるはずである。
しばらく奥の院の方へ歩いた後は、旧参道の方へ出た。この沿道にも墓地が広がって、歴史上の人物や各地の藩主の墓地や供養塔が多数並んでいる。杉の巨木が林立する荘厳な雰囲気の中をしばらく歩いた。

その後はバスでも通った県道へと出て、金剛峯寺へ向かった。沿道には宿坊が立ち並んでいて、仏教都市の象徴とも言える光景が続く。また、その間に挟まる形で、土産物店や飲食店も軒を連ねている。これはまた観光地らしい光景だった。途中細い路地があったので、中へ入ってみた。県道の裏の方には民家が密集している。観光客が行き交う県道とは対照的に、こちらは日曜昼下がりののんびりとした雰囲気が漂っていた。

再び県道へ戻って、さらに歩いていくと千手院橋の交差点へと辿り着いた。この辺りが高野町の中心部にあたる。南側には高野山大学があり、反対に北側には高野町の町役場がある。高野山駅からバス専用道を経由した場合、バスは画面の右側からこの交差点に出てくる。普段はここで右へ曲がって、金剛峯寺、大門方面へ行くバスと、左へ曲がって奥の院方面に行くバスで系統が分かれる。

千手院橋交差点からあと少し歩くと、高野山金剛峯寺に到着した。高野山真言宗の総本山となっているのがこの金剛峯寺で、高野山の中枢を担っている。金剛峯寺に到着したと書いたものの、実際にはこの高野町の街全体が金剛峯寺の境内にあたる。高野山というのは、山全体がこの金剛峯寺の境内に含まれており、これを山境内地と呼ぶ。ここは金剛峯寺のうち、本坊や宗務所が置かれている場所で、本坊正門をくぐると、そこには立派な本坊の主殿が建っていた。高野山ケーブルの高野山駅付近にも雪が残っていたが、数日前には高野山一帯で積雪があったようで、本坊の日の当たらない所には雪が残っていて、地面はぬかるんで歩きにくかった。

金剛峯寺を見た後は、その西の方にある壇上伽藍へ歩いた。壇上伽藍は空海が高野山を開山した際に最初にお堂を建設した場所として伝わるエリア。ここには根本大塔、金堂などのお堂や塔がたくさんある。空海は密教を日本に伝来したその密教における曼荼羅の世界を具現化したのが、この壇上伽藍といわれている。高野山では奥の院と並び、2大聖地の一つとされ、各お堂や塔は国の重要文化財にも指定されており、歴史的価値が非常に高い建物ばかりである。

壇上伽藍で一際目につくのがこの根本大塔と呼ばれる塔。空海とその弟子の真然の2代に渡り建設され、真言密教の根本道場である高野山のシンボルとして建てられた。現在の塔は昭和に入って建て直されたもの。下段が四角い形で、上段が円形の塔を多宝塔と呼ぶが、この根本大塔は日本で初めて建設された多宝塔として知られている。内部には、本尊の大日如来が祀られていて、彫刻や絵によって、曼荼羅の世界が立体的に表現されている。一方、根本大塔の隣には大きな金堂がある。壇上伽藍のお堂や塔はこの金堂の周囲に建てられていている。これらを時計回りに巡るのが正しいお参りの方法らしい。
根本大塔と金堂の前には大塔の鐘という鐘がある。ちょうど13時になったところで、鐘が鳴らされ一帯に響いた。この鐘は全国にある鐘の中でも4番目に大きい鐘で高野四郎と呼ばれているらしい。壇上伽藍のお堂を見て周り、その後金堂の前に建つ中門を通って、バス通りの道へ出た。
再びバスに乗車して高野山駅へ戻り小休憩

高野山には1時間30分ほど滞在。奥の院前から壇上伽藍まで歩きながら、高野山の観光スポットや街並みを楽しむことができた。じっくり見るならもう少し予習していけばよかったというのが反省点。歴史やいろんなエリアや役割を今、帰ってきて調べながら旅行記をまとめているが、1200年の歴史をもつ高野山はその歴史も複雑であり、もうちょっと歴史と仏教について勉強が必要だった。
さて、1日目の旅はここで折り返しとなる。この後は高野山駅へ戻って、乗り鉄の旅を再開させる。中門の前にある金堂前バス停からは高野山駅行のバスに乗車し、高野山駅へと戻った。乗車した時間のバスは、2台の続行運転だった。1台目は割と混んでいたが、2台目は数人しか乗っていなかった。
乗車記録 No.9
南海りんかんバス [41]高野山駅前行
金堂前→高野山駅前

金剛峯寺の境内となる高野町の街中を出て、国道480号線へ出たバス。先ほどは反対側の座席に座っていたのでよく見えなかったが、車窓には紀伊山地の山々が見えた。高野山は標高800mの山の上に開かれている。南海高野線の観光列車に天空という列車があるが、まさに天空の仏教都市であることが、路線バスの車窓からはよく分かった。

路線バスに乗車して高野山駅へ戻ってきた。この時間、接続するケーブルカーはなく、待合室でしばらく待ち合わせとなる。自分はというと、朝から動きっぱなしでちょっと疲れたので、ここで小休憩を取ることにした。路線バスからケーブルカーにスムーズに乗り継げると気づかないかもしれないが、天気のいい日にこの駅に来たら、是非2階に上がってみてほしい。

高野山駅の2階は展望スペースを兼ねた待合室になっている。ケーブルカーののりば付近には待合室がないため、路線バスとケーブルカーの乗り継ぎに時間がある場合は、ここでケーブルカーを待つように案内される。展望スペースからは紀ノ川沿いの街並みと和泉山脈が見えていた。眼下に見えるのはJR和歌山線の高野口駅周辺の街。高野口駅の川の対岸には、高野線の山登りの入口となる九度山駅がある。高野山が紀伊山地の山上に開かれた場所であるというのが、ここからだとよく分かる。そして、高野線がいかに険しい山に挑んでいるかも目に見える。ちなみに奥に見える和泉山脈の山が低くなっている部分が、高野線の県境区間である紀見峠である。
前日は夜行バス移動で、この日も早朝5時30分から活動を開始。高野山でも1時間30分歩いたので、ここではケーブルカーを2本ほど飛ばして休憩。後はもう大阪市街へ戻るだけなので、正直時間もあまり気にする必要はない。この景色を眺めながら、しばらく休憩時間とした。
高野線の終点極楽橋駅で途中下車してみる

高野山駅2階の展望スペースで30分ほど小休憩を取った後は、大阪市街への復路の旅を始めた。ここからはまた乗り鉄の旅が再開となる。高野山駅では橋本駅までの普通乗車券を購入し、高野山ケーブルに乗車して、極楽橋へと下りた。往路はクレジットカードのタッチ決済を利用したが、帰りは橋本まで普通乗車券を購入した。
乗車記録 No.10
南海鋼索線(高野山ケーブル) 極楽橋行
高野山→極楽橋

高野山からケーブルに乗車して極楽橋に戻ってきた。ここでは高野線の各停へと乗り換えるが、ここでも素直には乗り換えずに、列車を一本飛ばす。これには2つ理由があった。一つは山上のバス、それからケーブルカーとの接続の都合上、直後に発車する各停は混雑することが予想されたため。一本後の列車が路線バスからの接続を受けない一方で、直後に発車する列車は路線バスから乗り換えられるケーブルカー2本に接続するダイヤになっていた。そしてもう一つの理由が、ここ極楽橋駅の外の景色を見てみたかったからである。極楽橋駅ではこの駅を跨ぐ普通乗車券や企画券を持っている乗客の途中下車が認められている。ICカードの場合、途中下車は認められないが、運賃計算自体はここで区切れられているので、一旦タッチして下車しても同額になる。往路はタッチ決済を使ったが、この駅ではタッチ決済は利用できない。ICカードでもよかったのだが、今回の旅はICカードの出番がなかったため、帰ってからの旅費精算の効率化の都合上、現金払いとした。
極楽橋駅の出入り口はもはや社員の通用口かというほどに狭く、一応自動改札ではあるものの、券売機などは置かれていない。極楽橋駅の周囲に人家はなく、おそらくここで乗り降りする人というのはほとんどいないはずである。ポツンと一軒家ならぬポツンと終着駅なのがこの極楽橋駅である。

外に出たからといって、別に何があるわけでもないのだが、だからこそ興味をそそられる。駅を出てすぐのところには熊注意の張り紙があった。駅の下を流れる不動谷川に沿う小道を少し歩くと、下流の方に赤い橋が見える。高野線の列車からも駅到着の直前に見えるこの橋が、駅名の由来となった極楽橋である。
もともとここには大坂から高野山へつながる高野街道京大坂道と呼ばれる街道が通っていた。不動谷川を渡るこの橋が、この街道における高野山への入口だったのである。この先は不動坂と呼ばれる坂道を上り、高野山の中心部へ向かう。写真を撮っていると、山の方から鈴の音がして、男性が一人山を下りて行った。人が現れると思っていなかったので、正直びっくりした。きっと高野街道を伝って、紀ノ川沿いまで歩いて出るのだろうと思う。

不動谷川の横の細い道から駅を頭上に見上げる。ホームには2000系が停車しているのが見えた。奥に見える川を跨ぐ通路が、ケーブルカーのりばへ続く通路である。川の谷間の狭い場所に駅は建設されている。列車が走っていない時は、川のせせらぎと鳥のさえずりだけが山間に響いていた。
さて、極楽橋からは高野線の各停に乗車して橋本駅へ。その後橋本で急行へと乗り換えて、関西地方最後の未乗路線、近鉄長野線が発着する河内長野駅へ向かった。
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