【旅行記】釧網本線と根室本線で納沙布岬を目指す旅〜路線バスに乗車して納沙布岬へ〜

駅前ターミナルから路線バスで納沙布岬へ

 今回の道東旅も最終日に突入した。この日も早朝から行動を開始。まずは根室駅前から路線バスに乗車して、納沙布岬を訪問。その後、根室市街へ戻り、空港バスに乗車して中標津空港へ。中標津空港から羽田空港を経由して、九州の自宅へと戻った。
 
 朝6時すぎにホテルをチェックアウトし、歩いて根室駅前へとやってきた。根室駅前からは根室交通の路線バス、納沙布線に乗車して、納沙布岬を訪問した。
 根室半島の先端に位置する納沙布岬は根室市街地から東に20kmほど離れており、根室駅前からは路線バスで45分の道のりである。バスは平日5往復、土休日4往復の運転。前回の北海道旅行で乗車した宗谷岬へ向かうバスと同様に、本数は少なめとなっている。今回は駅前ターミナルを6時40分に発車する始発のバスに乗車した。このバスと納沙布岬を7時29分に発車する折り返しの便は平日のみの運行である。土休日は8時20分が1本目で始発がやや遅い。
 納沙布線のバスのうち日中の3往復は、納沙布岬でバスの折り返しまで、50分ほど時間があるので、この時間で岬周辺の観光が可能である。駅前ターミナルを11時5分、13時35分、16時10分に発車するバスは、花咲線の列車からもスムーズに乗り換えられ、11時5分と13時35分発の便で納沙布岬まで行き、折り返しのバスで帰って来れば、帰りは花咲線の列車へもスムーズに乗り換えられる。旅行日時点では、直後のダイヤ改正で廃止された花咲線の早朝の列車が走っており、駅前ターミナルを8時20分に発車するバスにも、釧路からの始発列車に乗車することで乗車可能だった。このバスで納沙布岬へ行き、折り返しのバスで根室駅に戻ると、11時12分発の列車に乗車することが可能だった。自分も6時台のバスに乗るか、8時台のバスに乗るかで迷ったが、資料館を見る時間を考えると50分ではもの足りないので、根室に宿泊しないと乗車できない6時台のバスで納沙布岬へ行き、2時間半滞在することにした。
 乗車した駅前ターミナル6時40分発の便は、納沙布岬方面から根室市街へ向かう乗客が乗車する折り返しの便のための送り込みのような位置づけになっている。さすがにこんなに朝早くに納沙布岬に行く人など、自分以外におらず、このバスに乗車したのは、自分と途中で下車した乗客の2人だけだった。
 
 バスは回送で発車時間の数分前にやってきた。直前には中標津空港行のバスが入ってきていたので、縦列駐車で乗客を乗せる。先に中標津空港行きが発車すると、その後ろをついていくようにして、乗車した納沙布岬行きも駅前ターミナルを発車した。発車後は、根室市役所前を通り、その後はイオン根室店横の弥栄町1丁目、市立病院前を経由する。前日に乗った公住循環線よりは経由地が少ないが、こちらも直接納沙布岬へは行かずに、市街地を経由してから向かう形になっていた。根室交通の有磯営業所前を通ると、月ヶ丘分岐点バス停の先で納沙布岬方面へ左折した。
 
乗車記録 No.7
根室交通 納沙布線 納沙布岬行
駅前ターミナル→納沙布岬
 
 
 バスは有磯営業所の先にある交差点から道道35号線に入った。この道道35号線は根室市街から太平洋周りで納沙布岬へ行き、その後オホーツク海周りで根室市街へと帰ってくる道路である。完全に輪にはなっていないが、起点と終点は650mほどしか離れておらず、ほぼ環状道路となっている。納沙布岬への路線バスも、以前は太平洋まわりとオホーツク海まわりの2つの系統があった。バスの行き先表示には太平洋まわりの文字があるが、これはオホーツク海まわりのバスがあった頃の名残である。根室半島の先端部は、太平洋側には人家も比較的多い一方、オホーツク海側は集落が点在する程度で人家は少ない。
 
 月が丘分岐点バス停の先で左折後もしばらくは住宅が広がっているが、根室高校の先でバスは市街地を出る。根室高校は昨年、校舎にカビが大量発生するという事件に見舞われて、全国ニュースにも取り上げられた。旅行日の数日前に行われた卒業式には、GACKTがサプライズで登場し、こちらも話題になった。根室高校の先の教員住宅前バス停を通過すると、バスは坂道を下って、写真のような広い平原へと出る。周辺にはオンネ沼、タンネ沼という沼があるが、それ以外はただひたすらに平原が広がる場所を走っていく。ここまでは市街地を走ってきたが、ここで一気に最果ての地の雰囲気が漂い始める。
 
 途中の友知地区でバスは一旦道道から離れて、住宅が点在する海沿いの道路へ曲がり、友知バス停を経由。その後、再び道道へと戻った。バスは根室市街から納沙布まで、基本的に道道35号線を走っていくが、この友知地区だけは道道から離れる。この先、バスは納沙布岬まで、いくつかの地区を経由していく。地区の間には何もない平原が広がっている。時々海が目の前に近づく。この日の朝は雲が多かったが、太平洋の大海原を車窓に楽しむことができた。
 
 やがてバスは歯舞地区へと入った。ここは根室半島の先端部の中では大きな地区で、比較的大きな漁港と診療所、さらには小中一貫の学校などもある。国道沿いにはセイコーマートがあるが、このセイコーマートは日本最東端のコンビニとして知られている。歯舞という地名は、北方領土の一つ歯舞群島で全国的にも有名だと思う。歯舞群島の歯舞は、ここ歯舞地区に由来している。現在は根室市の一部に属する歯舞地区だが、かつてここは歯舞村と呼ばれる村だった。ロシアが北方領土を占拠するまで、沖合の島々も歯舞村の一部となっていて、歯舞村の島々というところから歯舞群島と呼ばれている。
 
 歯舞地区を出ると、再び建物が少なくなり、広い平原の中を走る。北方領土問題に関する看板が道路脇に多数設置されいるのが、車窓に見えた。もうここまで来ると、根室市街より北方領土の島々の方が近い。歯舞地区までは車通りもそれなりにあったが、その先は交通量も減った。歯舞地区で乗車していたもう一人の乗客が下車していき、バスは貸切状態になった。
 しばらく平原を走ったバスは、納沙布の集落の手前にある珸瑤瑁地区に入った。初見では全く読めないが、バスの車内放送で「ごようまい」と読むことを知った。先ほどの歯舞地区では日本最東端のコンビニがあったが、ここには珸瑤瑁郵便局があり、日本最東端の郵便局となっている。
 
 珸瑤瑁地区を出て、また少しだけ平原の中を走る。車窓の反対側には廃校となった珸瑤瑁小学校の校舎が見えていた。やがてバスは納沙布地区へと入り、終点の納沙布岬に到着。ここでバスを下車した。今回は「JAL MaaS」というサービスで発売されている根室交通の1日乗車券を使用した。クレジットカードで決済し、デジタル乗車券の画面を運転士に提示することで、小銭の用意なく下車できるのでとても便利だった。なお、納沙布岬へは1日乗車券のほか、往復乗車券も発売されている。駅前ターミナルには券売機があり、キャッシュレス決済にも対応していた。
 
 駅前ターミナルから45分、バスは定刻通り終点の納沙布岬に到着した。乗車したバスは折り返し7時29分発の駅前ターミナル行きとなり、根室市街へと帰っていく。反対側のバス停では2人がバスを待っていた。この地区の住民だろうか。岬の近くには民宿があるので、もしかするとここに泊まっていた人かもしれない。根室市街へ行く折り返しのバスの後ろからは、同じ根室交通の観光バスがやってきた。こちらはスクールバスのようだった。

国内旅行の最東端の地、納沙布岬を観光する

 時刻は7時30分。車中泊している人たちが一組くらいいるのではないかと思ってきたが、この日の朝は曇っていたということもあって、駐車場はもぬけの殻。車で行くにしても早すぎるので、観光客の姿は他になく、自分がこの日最初の観光客になった。道道沿いには家々が点在し、岬の周辺にも比較的多く家がある。一応、車通りと人の動きがないわけではないが、岬周辺にはただ風と波の音だけが響いていた。この納沙布岬は比較的風邪が強かった。前日の網走よりはマシだったが、それでも手が悴む寒さだった。ここからは帰りのバスまでの約2時間30分の間、納沙布岬周辺を観光していく。
 納沙布岬と聞くと、日本最東端と言いたくなるのだが、ここは日本の領土の最東端というわけではない。社会の授業で習うように、日本の最東端は太平洋上に浮かぶ南鳥島であり、この先に連なる北方領土もまた日本の領土である。しかし、南鳥島は自衛隊と関係省庁の職員しか行くことが出来ず、日本の領土であるものの、通常旅行では行くことが出来ない。また、北方領土に関してもロシアに実効支配されており、国内旅行では行くことが出来ないのである。したがって、この納沙布岬は、日本の領土のうち、国内旅行として行ける最東端の陸地ということになる。国内旅行で行ける日本の端と日本の領土の端は異なるというのは、昨年の北海道旅の宗谷岬の部分でも書いた通りだが、これで国内旅行で行ける日本の端のうち、北と東は制覇した。残すは西の与那国島西崎と波照間島の高那崎となった。
 ここは南鳥島と北方領土を除けば日本で一番早く日が昇る場所である。特に元日は初日の出を求めて多くの人がここを訪れる。夏至の日の出の時刻はなんと午前3時35分。自分が住む九州とは1時間30分、最西端の与那国島とは2時間30分も早く日が昇る。ちなみにロシアが占拠する北方領土とは2時間の時差がある。
 
 納沙布岬で一際目をひく建物は、このオーロラタワーと呼ばれる大きなタワーである。高さは96mでおそらく道東では一番高い建物なのではないかなと思う。1987年に完成し、北方領土を眺められる場所として、納沙布岬の観光スポットの一つになっていたが、2020年に休館。そのまま営業が再開されることはなく、現在は廃墟と化してしまっていた。
 ここ納沙布岬は北方領土に最も近い場所である。そのため、このオーロラタワーを含めて、北方領土に関連した施設やモニュメントが多数ある。このタワーは営業終了となったが、現在も岬には国(独立行政法人北方領土問題対策会)と根室市が運営する北方領土資料館がそれぞれある。納沙布岬は北方領土について、そして領土問題について考える場所となっている。
 
 納沙布岬から沖合の方を見ると、北方領土の島々が見える。実際に行って島々を見てみると、とても近いなと感じる。ロシアが占拠し続ける北方領土は、本当に目と鼻の先にあった。ちょっとした望遠カメラがあれば、ふつうに対岸の島の様子を見れるほどに近い。納沙布岬からは主に歯舞群島の島々を眺めることができる。
 それら歯舞群島の島々の中でも象徴的なのが、海の中にポツンと浮かぶ貝殻島という島である。納沙布岬からは3.7kmしか離れておらず、肉眼でもはっきりとこの島に建つ灯台を見ることができた。この灯台は貝殻島灯台と呼ばれ、1937年に日本が灯台を建設した。その後他の北方領土の島々と共にソ連に占領され、現在もロシアの管理化にある。浸食によって灯台は傾いている。
 事実上、貝殻島はロシアが占拠しているため、納沙布岬と貝殻島の間には、日本とロシアの境界線がある。納沙布岬と貝殻島を直線で結んだときのちょうど中間線、すなわち納沙布岬から1.85kmの地点が中間ラインと呼ばれており、実質的にここが日本とロシアの境界線である。日本の漁船も海上保安庁の船は、このラインを越えて貝殻島へ近づくことはできない。一方、貝殻島周辺は昆布の好漁場となっている。日本とソ連は1963年にこの貝殻島周辺の漁業協定を結び、日本がソ連・ロシアに入漁料を支払うことで、中間ラインを越えての昆布漁ができるようになっている。また、これとは別に北方領土周辺で日本の漁船が操業できる安全操業と呼ばれる協定もあるが、昨今の世界情勢と日ロ関係の悪化を背景に中断している。
 
 貝殻島の後ろには、水晶島と萠茂尻島という2つのが見えた。水晶島の方はソ連が占領するまで日本人がふつうに生活しており、約1000人がここで暮らしていた。この2つの島も納沙布岬から7km~15kmしか離れていないので、肉眼でも島の形を見ることができる。現在、これら2つの島に現在人は暮らしていないが、建物が数棟建っている。ネット上の情報によれば、ロシア側の軍事上の施設らしい。水晶島の近くにはロシアの漁船と見られる船が浮いていた。近くて遠い北方領土という現実を実感できるのが、納沙布岬なのである。
 
 海岸沿いを歩いて、納沙布岬灯台の前へとやってきた。事前の情報収集の時点で知っていた現在灯台は工事が実施されていて、近づくことはできなかった。納沙布岬は1872年に点灯を開始。当初は木造の灯台だったが、1930年に現在のコンクリート製の灯台になっている。灯台の入口に書かれている通り、北海道では一番古い灯台である。この岬の立つ地点が、根室半島の先端となる。先端まで行けないのは残念だったが、一応、国内旅行の最東端の地である。
 
 納沙布岬周辺の海岸はとても荒々しい地形をしている。この日は比較的穏やかだったが、それでも波が岩にあたって、水しぶきをあげていた。時刻は8時を過ぎ、灯台の工事作業の車や納沙布岬にある店舗の従業員の車の出入りが増えてきた。そして、8時半をまわると、車で訪れる観光客も増え始めた。正直心細かったので、人が増えてきて安心した。その後もしばらくは写真を撮りながら、納沙布岬の景色を眺めた。

根室市北方領土資料館を見学

 時刻は9時を過ぎた。9時になると納沙布岬にある北方領土に関する2つの資料館がオープンする。今回はこのうち根室市が運営する根室市北方領土資料館を見学した。ちょうど納沙布岬には、根室市街からの2本目のバスが到着。車で訪れる人の姿も増えて、ようやく観光地らしい雰囲気になった。
 資料館に入るや否や、受付カウンターの人から証明書はいりますか?と聞かれた。何のことだか初めはよく分からなかったのだが、ここは本土四極到達証明書という証明書を発行してもらえる場所だった。この証明書は、北海道稚内市、根室市、長崎県佐世保市、鹿児島県南大隅町の沖縄を除いた日本の端の自治体が実施する本土四極市町連携交流という事業の一環で発行されているものである。特段集めていないのだが、断るのも申し訳なかったので、一部もらって帰った。
 実は他の場所でも貰っていれば、あとは最西端の佐世保でもらえばコンプリートだった。最南端は大隅半島の路線バスの旅の途中で宿泊したホテル佐多岬(現在は閉館)で、最北端は稚内駅の観光案内所でもらうことが出来たのだがもらわなかった。個人的にこの本土という表現があまり好きではない。離島と本土という構図はどこか差別的な見方なような気がしてしまうのである。
 
 館内には小規模ながら北方領土の概要と、そこにかつてあった日本人の暮らしについての展示があった。北方領土は日本の領土であるというのは、日本で生きていれば小学校から習うことである。しかし、そこにどんな暮らしがあったのか、どういう経緯で占領され、今日に至っているのかということは旅行前までよく知らなかった。しかし、この旅を企画したことで、その歴史や背景について改めて学ぶことができた。
 思いを馳せなければならないのは、約80年前に島を追われた人たちの無念さである。自分の故郷を目の前にして、行くことのできない無念さというのを、もっと理解しなければならないとも思った。ソ連が占領した直後は、ソ連の人たちと日本人が共同で生活した時期があったという。人と人という関係で繋がったとき、人は国というものを越えて繋がることができる。しかし、国と国という関係で考えると、これが途端に難しくなる。この北方領土問題であっても、戦時中の各国の思惑、ロシアの地政学な戦略、日本とロシアまたはアメリカとロシアとの関係、いろんな側面が絡んでいる。
 旅行に出たからこそ、それに付随して学ぶことや知ることがたくさんある。もちろんその土地土地の鉄道の歴史や現状についても学ぶことがたくさんなのだが、それ以外にも各地の街の成り立ちから世界情勢まで、いろんなことを学ぶことができる。今回もまた北方領土について考えるいいきっかけとなった。

天気が回復し、青空が広がった納沙布岬

 北方領土資料館を30分ほどかけて見学して外へ出ると、先ほどまでのどんよりとした曇り空から一転、清々しい青空が広がっていていた。晴れるなら最初から晴れていてくれればいいのになんて思いつつ、もう一度岬の景色を撮りなおした。
 
 晴れるとやはり景色も映える。先ほどまで灰色だった海も青く輝いていた。海の向こうに見える北方領土の島々にも日が差していて、こちらと同じ薄茶色の陸地が見えた。岬周辺も人の姿が増え、お店も営業を開始し、観光地らしい雰囲気となった。皆思い思いに写真を撮っては、最東端の地に来たことを実感していた。
 
 さて、2時間30分の滞在時間もなんだかんだであっという間に過ぎていき、帰りのバスの時間が近づいてきた。朝早くから滞在するのはいいけれど、どうやって時間を潰そうかなんて考えて訪ねた納沙布岬だったが、周辺のモニュメントや灯台を見たり、北方領土を眺めたり、資料館を見たりと意外にやることが多く、充実した時間を過ごすことができた。最後に北方領土返還のモニュメント「四島の架け橋」を見てバス停へ向かった。モニュメントには祈りの火が燃え続けている。これには北方領土運動の火を絶やさないという意味が込められている。
 
 今回旅の最遠の目的地だった納沙布岬への訪問も無事に完了。残すは九州の自宅へと帰るのみとなった。ここからは約13時間、1,800kmの大移動が始まる。まずは納沙布岬から路線バスで根室市街へ戻った。

2時間30分の滞在後、往路と同じバスで根室市街地へ

 納沙布岬からは9時54分発の駅前ターミナル行に乗車した。往路は早朝の始発便だったため、ここまで来たのは自分一人だけだったが、このバスの折り返し前の便で納沙布岬に到着した人たちもその大半がこのバスに乗車するので、ここでは15人ほどの乗車があった。このバスに乗って根室駅へ戻れば、根室を11時過ぎに発車する快速はなさき釧路行に乗車することでできる。
 
乗車記録 No.8
根室交通 納沙布線 駅前ターミナル行
納沙布岬→曙町
 
 乗車したバスは往路に乗車したのと同じ車両で、運転士も同じ人だった。納沙布岬を出たバスはまた広い草原の中を走り抜けて、珸瑤瑁地区へ向かう。往路は曇っていて、空も海もどんよりとしていたが、帰りは雲一つないくらいの青空が広がり、水平線まで青空が広がっていた。
 
 帰りのバスは沿線からも数人の乗車があった。乗車する人はやはり観光客が多いが、地域の足としての姿も垣間見ることができた。歯舞地区を通過すると、海が目前に広がる。奥に見えるのは友知岬で、その沖合には小さな島が浮かんでいるのが見えた。
 
 復路は根室駅まで行かず、曙町という途中のバス停で下車した。この後はバスを乗り継いで、中標津空港へ向かうが、この先お昼を食べる時間がないので、ここでお昼休憩を取った。
 曙町バス停の近くにはタイエーというお店があり、ここでやきとり弁当が売られている。お昼はこれを買って近くの公園で食べることにした。やきとり弁当と言えば、函館のハセガワストアが有名である。自分も函館を旅した際に食べたことがある。一方でここ根室のタイエーというお店でもやきとり弁当が売られていて、パッケージも函館のものとよく似ている。実は根室のタイエーは、函館のハセガワストアからのれん分けを受けて、根室でやきとり弁当を発売している。お店の造りもハセガワストアとよく似ていて、コンビニとの中にやきとり弁当の厨房がある造りになっている。
 タイエーでやきとり弁当を購入したあとは、歩いて5分ほどの場所にある明治公園へ。ここでやきとり弁当を食べて小休憩を取った後、歩いて中標津空港行のバスの始発地である根室交通の有磯営業所へ向かった。
 
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