【旅行記】関西地方の全線完乗を目指す旅+α 〜関西最後の未乗路線、近鉄長野線に乗車~

前話
 
 特急こうやと高野山ケーブルで高野山駅に到着後、路線バスで高野山を観光して、再び高野山ケーブルで極楽橋まで戻ってきた。ここからは大阪市街への復路の旅となる。極楽橋からは南海高野線の各停と急行を乗り継いで、河内長野へ向かい、関西最後の未乗路線、近鉄長野線に乗車した。

山岳区間専属の2300系で高野の山を下り橋本へ

 往路は特急こうやに乗車した南海高野線。これから行く河内長野は特急も停車するが、ただ往復するだけでは面白くないので、帰りは各停と急行を乗り継いで行く。まず極楽橋からは各停の橋本行きに乗車した。
 高野線の極楽橋-橋本間は山間部を走行する区間であり、難波-橋本間に比べると、沿線からの需要はかなり小さい。特急こうやの記事で先述した通り、僅かに設定されている大運転と呼ばれる難波からの直通列車を除けば、一般列車の系統は橋本で区切られている。各停に関しては、全列車が橋本-高野下・極楽橋間で、橋本を跨ぐ列車はない。なお、橋本-極楽橋間は急行も快速急行も各駅に停車するので、どれに乗っても停車駅は同じである(臨時列車の「天空」を除く)。急行や快速急行を含めて、橋本-極楽橋間の一般列車は、1時間あたり1〜3本が運転されている。さらに橋本-高野下間には区間列車が走行し、橋本側ではもう少し本数が多い。基本的には橋本で難波方面の急行か快速急行に接続する形で運転される。極楽橋-難波は特急で1時間30分だが、各停+急行でも1時間45分前後で移動できる。
 
 赤い顔と帯が特徴的で、南海の一般列車としては異彩を放つ南海2300系。車内も1+2列の転換クロスシートが並んでいて、南海電鉄の一般列車でクロスシートを装備する車両は、この2300系が唯一の存在である。この車両は2005年に山岳区間用としてデビューした。かつての山岳区間は、車掌を乗せた4両編成で運転されていたが、沿線の過疎化と高野山への観光客の減少により、ワンマン運転が実施されることになった。その際、ワンマン対応の車両として登場したのが、この車両である。現在南海では、他の支線でもワンマン運転が行われていて、従来の車両をワンマン対応化した車両もいるが、この列車は登場時からワンマン対応である。以前は難波へ顔を出す運用もあったが、現在は橋本-極楽橋間のみで運用されている。転換クロスシートなのが旅行者にとってはうれしいポイント。窓が大きいので眺めもいい。行きは谷側の座席に座ったので、帰りは山側の座席に座った。
 
乗車記録 No.11
南海高野線 各停 橋本行
極楽橋→橋本 2300系
 
 極楽橋を発車した列車は、ここから高野下まで急坂を下って行く。2つ先の紀伊細川では7分停車し、対向の各停と特急の2本と交換した。このように高野線では各停が2本の列車を待ち合わせるというのも珍しくない。紀伊細川駅は集落が山の下にあり、駅のホームからは眼下に集落が見える。天空の秘境駅という異名を持つが、ここでは地元の住民らしき乗客の姿があった。
 
 床下からキーキーという急カーブを曲がる時特有の摩擦音を響かせながら坂を下り、列車は高野下まで下ってきた。上古沢、下古沢と乗客の姿はなかったが、ここでは再び数人を乗せた。下に見える川は極楽橋駅の横を流れている不動谷川。この先もう少しだけ下ったところで、丹生川という川と合流し、九度山から紀ノ川へと注ぐ。
 
 高野下の次の九度山は、ちょっとした観光スポットになっている。ここからは家族連れを含めた乗車があり、車内は少しにぎやかになった。九度山から先の高野線は、紀ノ川の南側をしばらく東進する。次の学文路では反対列車の各停と交換。紀伊清水を出ると、やがて左へカーブして紀ノ川を渡り、列車は終点の橋本に到着した。
 
 極楽橋から45分ほどで列車は終点の橋本へ到着した。基本的にはここで各停と急行が数分で接続を取るが、乗車した列車に関しては、次の急行まで25分待ちだった。その間に極楽橋から後ろを追いかけてくる特急こうやが先発する。お急ぎなら、特急へどうぞということである。自分は全く急いでいないので、もちろん特急にも乗車しないし、その後の急行にも乗車しない。橋本駅は和歌山線に乗車したときにホームへ降り立ったことはあるが、まだ駅前には行ったことがなかったので、ここで一旦改札の外へ出た。

橋本で乗り換え合間に紀ノ川を見に行く

 橋本駅の改札外に出てきた。JR和歌山線と南海高野線の2路線が乗り入れる橋本駅。高野線で難波までは急行で50分、特急だと40分ほどで行ける。一方、和歌山線で和歌山へは1時間5分ほどかかり、大阪の市街地へ行く方が所要時間は短い。和歌山市から大阪市街よりも所要時間が短く、和歌山県の中でも大阪側との付き合いが深い地域である。駅舎へ入ると目の前にはJRの改札がある。みどりの窓口はないが、オペレーター通話型のみどりの券売機があった。一方、南海の改札口は、駅舎に入って左手に進み、跨線橋を渡った橋上にある。JRのホームからは跨線橋を通じて南海改札前に直接出られるようになっていて、連絡改札ではないが、ほぼそれと同様の動線となっている。以前は同じ改札内にJRと南海のホームがあったらしい。和歌山線の周辺の駅からも、この駅へ来て高野線経由で大阪市外へ行く人が多い。ある意味、私鉄とJRで立場が逆転している。関東で例えるなら、東武東上線とJR八高線の小川町駅が似ているだろうか。
 
 駅前の道をまっすぐ進むと紀ノ川の河川敷へ出られるようだったので、行ってみることにした。橋本駅から河川敷までは200mしかない。市街地は橋本駅より西側に広がっているが、駅前と河川敷との間に商店街が広がっている。居酒屋が多く、16時すぎのこの時間にはあまり人気はなかった。橋本市の市街地は、この駅周辺のほか、和歌山線の高野口駅周辺、そして高野線の林間田園都市周辺の3ヵ所に点在している。全体の人口は6万人ほどである。
 
 駅からまっすぐ歩いてくると、国道24号線を跨いで紀ノ川沿いへ出た。ここには小さな公園が整備されていて、階段を下りて川の方へ降りられるようになっている。和歌山県を代表する川である紀の川は奈良県と三重県の県境から西へ流れる河川。奈良県内では吉野川と呼ばれており、近鉄吉野線もしばらく並走する。五條市から和歌山市にかけては和歌山線が並走して走り、車窓には時々この川が見える。 
 
 川の吉野側には赤い鉄橋が架かっている。先ほど渡った南海高野線の鉄橋である。高野線は橋本市街地を「コ」の字上に走る。橋本を出た列車は少しだけ東進。カーブして紀の川を渡り、さらにカーブして今度は九度山まで西進する。今立っている場所から南北どちらへ進んでも、高野線の線路に突き当たる。やがて軽快な列車の音が聞こえてきて、特急こうやが姿を現した。その後もしばらく堤防の階段に座って、紀の川を眺めていた。市街地を横断するように流れる大河川は、どこでも風光明媚である。

高野線の急行難波行に乗り換えて河内長野へ

 さて、その後は橋本駅へ戻り旅を再開させた。橋本から乗車したのは急行難波行き。2000系4両編成を2本繋いだ8両での運転だった。橋本-難波間の列車はその多くが6両〜8両で運転される。急行には古参車両から新型車両まで様々な車両が使用されるが、今回は2000系の急行に当たった。2000系は先ほど極楽橋から乗車した2300系と同じく一般車のズームカーの一種。難波~極楽橋間を直通する大運転列車は、現在この形式で運転されている。高野線の橋本以北の通勤電車が20m車であるのに対して、この車両は山岳区間に対応するため17mと短く、2扉となっている。8両編成の場合、20m車の8両より1両分以上短く、実質には7両編成である。2両編成の車両は、汐見橋線や高師浜線などの支線でも活躍している。一時期は南海本線系統で多く活躍していたが、最近では再び高野線での運用が増えているらしい。
 
乗車記録 No.12
南海高野線 急行 難波行
橋本→河内長野 2000系
 
 橋本では自分が乗ってきた後続である極楽橋発の各停からの乗り換え客を乗せて発車。最後尾に乗車したが、5人くらいが乗っていた。橋本を出ると、その後は紀見峠まで山登りとなる。林間田園都市周辺ではニュータウンの景色が広がるが、少し進めばのどかな山あいの景色に変わる。景色のギャップが面白い区間である。急行は河内長野までは各駅に停車する。したがって、今回の乗車区間では実質の各停である。峠区間の小さな駅にも停車。最後尾車両には終始誰も乗ってこなかった。
 
 紀見峠からトンネルを抜けて、大阪府へと戻る。先述の通り、橋本は大阪との結び付きが強いからか、あまり県境を越えた気がしない。トンネルをいくつか潜り抜けると、やがて大阪側に開発されたニュータウンが車窓に広がり始める。三日市町を出ると、列車は河内長野市の市街地の中へ入り、河内長野に到着した。
 
 橋本から20分、河内長野で列車を下車し、いよいよ関西最後の未乗路線が乗り入れる駅に到着した。関西の乗りつぶしの旅で1番最後に訪れることになった河内長野駅。この駅の存在自体を知ったのは、小学生の頃と割と早い時期だった。何をきっかけに覚えたか、今ではあやふやにしか覚えていないが、確か千早赤阪村という大阪府唯一の村が河内長野の方にあるというのを誰かに教えてもらったのが最初だったと思う。観光地ではないので、なかなか行く機会はない街だが、乗りつぶしをする上では、必ず行くことになる。
 
 大阪府の南東部に位置し、人口10万人を有する河内長野市。先述の通り、関西以外にはあまり知られていないというか、あまり旅行者には縁のない街だが、高野線沿線のベッドタウンとして、また、このあたりの中心地として栄えてきた街である。高野線にとっては主要駅の一つで、特急を含めた全列車が停車する。この駅には近鉄長野線も乗り入れていて、2つの大手私鉄が交わる場所でもある。南海と近鉄が同じ名前の駅として接続するのはこの駅が唯一。駅は南海が2面4線、近鉄は1線である。列車本数自体は南海の方が圧倒的に多いが、近鉄の方も終日に渡って、南大阪線を介して大阪阿部野橋へ直通する列車を運行し、互いにライバル関係にある。
 
 駅前にはノバティながのという商業施設があった。ここいう言い方が適切かはわからないが、典型的な私鉄の郊外駅の雰囲気が漂っている。商業施設も少し年季が入っていて、どこか昭和の匂いがした。この商業施設の奥には商店街アーケードがあり、このあたり一帯は駅を中心とした河内長野市の商業地となっている。駅前にはバスターミナルがあり、近隣のニュータウンへ向かう路線バスの他、早朝深夜には関西空港へのリムジンバスも発着している。 

関西最後の未乗路線、近鉄長野線に乗車

 河内長野からは関西地方最後の未乗路線となった近鉄長野線に乗車した。近鉄長野線は近鉄の狭軌路線の一つで、南大阪線・吉野線から枝分かれする路線である。同路線から枝分かれする路線には長野線の他、道明寺線と御所線がある。道明寺線は基本的に線内完結のピストン輸送、御所線はわずかに南大阪線へ直通する列車が存在する程度な一方、長野線は終日に渡って南大阪線との直通列車があり、南大阪線系統で橿原神宮前・吉野方面と行先を二分する路線になっている。沿線には河内長野のほか、富田林がある。河内長野から大阪市街方面へは南海高野線を利用するのが一般的だが、南海高野線のやや東側に位置する富田林市の市街地などから大阪市街は、この長野線を利用することになる。今回は河内長野から準急列車を乗り通し、南大阪線系統のターミナルである大阪阿部野橋まで乗車していく。
 長野線は関西地方最後の未乗路線であると同時に、近鉄の路線においても最後の未乗路線となった。私鉄として最長の501.1kmで列車を運行する近鉄。鉄道路線としてはケーブルカー路線を含めて23の路線があり、乗りつぶすのも大変な会社である。特に長野線のように枝分かれする路線をどう乗車していくのかが乗りつぶしにおいてはポイントになる。長野線は河内長野の南海高野線に連絡しているので、以前から高野山の帰りに乗車しようと計画を立てていた。
 
 ここから明日にかけては、近鉄の路線に多く乗車していく。河内長野からは近鉄が発売している週末フリーパスを利用した。このきっぷは、週末を挟んだ3日間(金土日か土日月)で近鉄の全路線が乗り放題となる乗車券で、通年で発売されている。ただし、利用には乗車日前日までの購入が必要。遠方に住んでいる場合は、通信販売で取り寄せることができる。価格は5,000円で、通信販売を利用する場合は、送料を含めて5,600円である。注文すると3日後くらいには自宅に乗車券が郵送されてきた。この日は日曜日で、土日月の3日間有効のきっぷを日曜日の午後から使い始めた。今回は2日目に比較的長距離の区間を利用するので、これでも元は取れる。またこのきっぷを利用して、宿も東大阪に取ることで、大阪市街に宿泊するよりも宿泊費の削減に成功した。
 
 河内長野から乗車した関西地方鉄道完乗への最終ランナーは、17時17分発の準急大阪阿部野橋行き。河内長野発の列車は、夜の遅い時間を除き、ほぼ全時間帯で阿部野橋行の準急となっている。日中は15分間隔の運行でパターンダイヤになっている。準急は藤井寺までの各駅と河内松原に停車する列車。河内長野~大阪阿部野橋間の所要時間は45分となっている。夜の遅い時間には普通が走る他、平日朝には1本だけ急行列車の運転もある。いずれの種別も急行運転を行うのは、南大阪線に入ってからの話。長野線内では各駅に停車する。長野線は古市~富田林間は複線、富田林~河内長野間は単線となっている。列車は一部が富田林発着で運転されており、平日ダイヤでは富田林から先で列車の本数も増える。
 
乗車記録 No.13
近鉄 長野線・南大阪線 準急 大阪阿部野橋行
河内長野→大阪阿部野橋 6600系
 
 河内長野を出た列車は直後にカーブして南海高野線と分かれる。河内長野からだと高野線で大阪市街へ出た方が所要時間も早く、運賃も安いので、まだ車内は閑散としていた。長野線はここから富田林を経由して古市で南大阪線に接続する。ここからはやや北東方向へ走って古市へ向かい、南大阪線内で一気に大阪市街地に近づいて行く。
 
 列車は石川という川に沿って走る。写真のような車窓が見られるのも、河内長野を出た直後だけで、その後は郊外の住宅街やロードサイド店舗を車窓に走っていく。やがて車窓の左手には奇妙な形をした塔が見え、列車は富田林の市街地へと入る。富田林市は高校野球で名を馳せたPL学園高校があるところであり、PL教団の本部もここにある。電車から見える奇妙な形の塔は、正式な名前を超宗派万国戦争犠牲者慰霊大平和祈念塔といい、通称PLの塔と呼ばれている。富田林までは単線だったが、ここから線路は複線となる。阿部野橋・古市方面からの列車は、朝夕を中心にここで折り返す列車が設定されており、ここから古市方面は列車の本数も増える。富田林市街の2駅では多くの乗車があり、座席は全て埋まった。

古市で関西地方の全線完乗を達成し、そのまま南大阪線へ

 富田林を出た列車は市街地を出て、その後一旦高架橋を通って道路を跨ぎ、喜志に到着する。県道32号線を跨ぐこの高架橋は2023年に完成し、線路が移設された。喜志は富田林市に隣接する河南町にある大阪芸術大学の最寄り駅である。この大学出身のバンド「ヤバいTシャツ屋さん」の「喜志駅周辺なんにもない」で一躍有名となった。最初のバージョンの歌詞は「天王寺まで400円は痛い」と歌われているが、今は増税と運賃改定で490円もする。駅周辺はちょっとした街が広がるが、駅からは田畑も見えていて、確かに暇の潰しようには困りそうである。
 喜志の次はいよいよ古市。この長野線も、そして関西地方の未乗区間も最後の一駅となった。西日が眩しく照らす車内。おそらく、この一駅間を重要視しているのも自分くらいなものである。これまで九州、中国、四国と完乗してきたが、関西は群を抜いて路線数が多く、乗りつぶしも一歩一歩の旅路だった。大阪に住んでいた親戚に連れられて、関西の私鉄の魅力にハマった小学生の時の旅、いろんな路線と出会い、時に友人と共に出かけた学生時代の旅、そして観光地巡りもしながら少しのんびり旅した最近の旅、いろんな関西旅を思い出す。どれもまた大切な思い出である。小学生の時、関西の鉄道を一緒に巡り、学生時代には夏休みの度に家に泊めてくれた親戚は、今はもういない。多分今頃天国で半分呆れていると思う。
 喜志を出た列車は北へ進み、富田林市から羽曳野市へ。住宅街の間を抜けると、左から古市車庫への引き込み線、右から南大阪線が合流してきて、古市へ到着した。この瞬間、近鉄長野線を完乗。これでついに近鉄の全路線完乗を完乗するとともに、関西地方の全鉄道完乗を達成した。10年以上かけて乗りつぶしてきた関西地方の鉄道路線。古市はそんな乗りつぶしにおける終着点ということになった。
 列車は古市で2分ほど停車し、そのまま南大阪線に直通する。この駅には昨年の旅で来たので、今回は素通りすることにした。もうここからは関西のどの路線に乗っても一度乗車したことがある路線ということになる。達成感に浸る一方で、もう新しい路線との出会いがないというのが、少し寂しい気もした。
 
 古市から南大阪線へと入った列車は、藤井寺まで各駅に停車し、その後、河内松原を経て、大阪阿部野橋へ走る。日曜日の夕方の大阪市街行きの列車だったが、藤井寺以降は比較的混雑していた。時刻は18時になろうかというところ。車窓には大阪湾の方へ沈む夕陽が見えた。関西の乗りつぶしの終わりを告げるかのような美しさだった。
 
 この日の時点で未乗としていた4路線を巡り終えて、関西地方の鉄道路線巡りにも一区切りを打つことができた。JR、大手私鉄、地下鉄、中小私鉄、そしてケーブルカー、さまざまな形態の鉄道路線が走る関西地方。特にケーブルカー路線が多いので、乗りつぶしは少々大変だが、今回訪れた高野山、過去に訪ねた比叡山、六甲山、生駒、信楽、鞍馬、天橋立などなど、乗りつぶしをしながらの観光地を巡るのもまた、この地方を旅する一つの楽しみだった。比較的早い時期から乗りつぶしを始めたため、乗車してから10年以上が経つ路線もいくつかある。今後はこれらの路線への再訪もしていきたい。また、これから計画されているなにわ筋線や大阪モノレールの延伸など、新しい路線との出会いも楽しみである。
 
乗車記録 No.14
Osaka Metro 谷町線 大日行
天王寺→谷町九丁目 32系
 
乗車記録 No.15
近鉄大阪線 普通 高安
大阪上本町→布施 1422系
 
乗車記録 No.16
近鉄奈良線 普通 大和西大寺行
布施→河内永和
 
 阿部野橋駅到着後は、宿泊するホテルへの移動を開始。この日は近鉄奈良線・JRおおさか東線の河内永和駅近くの東横インを宿泊地とした。天王寺からであれば、大阪環状線で鶴橋へ行って、近鉄奈良線に乗り換えるか、久宝寺まで行っておおさか東線に乗り換えればいいのだが、あまり早くホテルに着いてもやることはないので、天王寺からはOsaka Metro谷町線で谷町九丁目へ行き、そこから歩いて近鉄大阪上本町を経由して河内永和へ向かった。わざわざ上本町駅を利用したのは、まだこの駅の地上駅部分に行ったことがなかったため。この駅は近鉄大阪線の起点であり、大阪線系統の列車は基本的に地上駅部分から発着する。一方で、阪伊特急(一部を除く)以外の特急列車は大阪難波を起点とするため、大阪線の一般列車を使うか、阪伊特急を使わなければ、なかなか地上駅に行く機会がない。なお、河内永和は奈良線の駅。奈良線の列車は地上駅には来ないので、ここから列車に乗ると、必ずどこかで乗り換えないといけない。今回は布施まで大阪線の列車で行き、ここで奈良線へと乗り換えた。河内永和に到着し、1日目の旅程はこれで終了。前日が夜行バス泊だったので、ゆっくり休んで疲れを取った。
 
続く