【旅行記】関西地方の全線完乗を目指す旅+α 〜特急「ひのとり」で名古屋へ~
前話
河内永和駅近くの東横INN東大阪に宿泊して迎えた2日目。この日は朝6時にホテルを出発し、まずは近鉄奈良線の普通列車で大阪難波へ。写真には撮らなかったが運よく新型車両の8A系に乗車することができた。大阪難波には6時30分頃に到着。この日はここから、近鉄特急に乗車し、初めて乗車してから17年が経過している近鉄大阪線の再履修の旅に出た。
乗車記録 No.17
近鉄奈良線 普通 大阪難波行
河内永和→大阪難波 8A系
17年ぶりに名阪特急に乗車、「ひのとり」で名古屋へ

早朝だがこの時間も、ひっきりなしに列車がやって来る大阪難波駅。近鉄奈良線、阪神なんば線の一般列車と、名阪、阪奈と一部の阪伊特急が発着し、近鉄の標準軌路線の駅としては最多の乗降客数を誇る。
2日目は、そんな大阪難波を起点に2日目近鉄特急の旅を企画した。まず、大阪難波からは7時ちょうど発の特急ひのとり7列車近鉄名古屋行きに乗車し、終点の近鉄名古屋までこの列車を乗り通す。列車は発車の10分ほど前に、回送列車として到着。現在の近鉄特急の顔としての風格を漂わせながら入線してきた。
この日の近鉄特急旅の最大の目的、それは近鉄大阪線の再履修である。再履修というのは、筆者の乗りつぶしのマイルールの中で取り決めているもの。筆者の乗りつぶしのマイルールでは、初めて乗車してから15年以上が経過する路線について、全線完乗までの間にもう一度乗りなおすというルールを定めている。
乗りつぶしのスタートをどこにするかは人それぞれで、スタートを宣言して、これまで乗車した路線を含めて一から乗車する人もいれば、生涯記録として乗車する人もいる。筆者の乗りつぶし記録は、生涯記録として記録をつけている。そのため、乗車した路線の中には子どもの頃に乗車した路線も含まれており、その後乗車していない路線が各地に少しずつあった。さすがに子どもの頃に乗車した路線は、記憶も曖昧になってきているので、筆者が中学生だった今から15年以上前に乗車して、以後一度も乗車していない路線については、全線完乗までの間にもう一度乗車することにしている。これまでの旅の中で、その多くは再履修を完了し、残すは17年前に乗車した近鉄大阪線だけとなっていた。

近鉄大阪線に初めて乗車したのは、今から17年前の夏、筆者が小学校高学年の夏休みのことだった。この時大阪に親戚が住んでいたので、夏休みには一人で新幹線に乗り、親戚の厄介になって、関西の鉄道や名所に連れて行ってもらった。その年も夏休みに大阪へ行って、いろんな路線に乗車したのだが、その中で初めて名古屋へ行った。この時、名古屋からの帰りに乗車したのが、近鉄名古屋~大阪難波間の近鉄特急アーバンライナーで、この時近鉄大阪線の全線を走破している。
走破したのはこの時だけだが、その後も大阪線には区間的に乗車している。2016年夏の旅では、名松線に乗車中、大雨に見舞われ運転見合わせになったため、伊勢八知から榊原温泉口までコミュニティバスで移動。その後、榊原温泉口から宿泊先の大垣へ向かう途中で、榊原温泉口~伊勢中川間に乗車した。さらに2022年夏には伊賀鉄道に乗車しに行った際、伊賀神戸~大和八木間に乗車。昨年夏の関西旅では、信貴山へ向かう道中で、柏原駅から歩いてすぐの堅下から河内山本まで乗車した。したがって、17年間一度も乗車していないのは、布施~河内山本間、堅下~大和八木間、伊賀神戸~榊原温泉口間の3区間となっていた。

特急ひのとり自体への乗車は昨年夏以来2回目となる。昨年は大阪難波-近鉄奈良間の阪奈特急で乗車した。大阪難波-近鉄奈良間は40分程で、お試しという形での乗車だった。しかし、やはりこの特急列車は名阪間で乗ってこそだと思う。17年前に乗車した「アーバンライナー」は、乙特急や他の区間の特急をメインに活躍する。その時の記憶も思い返しながら、この「ひのとり」で、久しぶりの大阪線を楽しみたいと思う。
乗車記録 No.18
特急ひのとり 近鉄名古屋行
大阪難波→近鉄名古屋 80000系

この列車の特徴は、なんといっても先頭と最後尾の号車に設置されたプレミアムシートである。今回は一番後ろの6号車の一番後ろの1人掛け1A席を指定した。この列車は前面展望ができるとあって、先頭車両の一番前が人気である。しかし、前面展望は今の時代YouTubeでも見られるので、どちらかといえば車窓をメインに楽しみたかった。一番後ろなら人の動きも少なく、そして気兼ねなくくつろぐことができる。

ドア付近のカフェスポットにあるコーヒーの自販機でホットコーヒーを購入して着席した。カフェスポットとコーヒーマシンは先頭車両と最後尾車両となるプレミアムカーのドア付近に設置されている。コーヒーは価格も200円と安めなのが嬉しい。紙コップには「5th ANNIVERSARY」の文字。もう運行開始して5年が経つ。この車両は名古屋に住む鉄道ファンではない地元の友人も絶賛していた。いつも実家に帰るときは、名古屋からひのとりで難波へ行き、そこから地下鉄で新大阪へ行って九州に帰って来るという。新幹線より3時間くらい余計にかかるが、確かにこの座り心地は新幹線のそれより抜群にいい。
朝ラッシュの大阪市街を抜け、大阪線を東へ

乗車した列車は朝1本目の特急ひのとりだったが、乗車していた6号車は、ほぼ満席の状態で大阪難波を発車。その後は大阪上本町、鶴橋と停車した。このあたりは奈良線の列車と大阪線の列車の両方が乗り入れてくる。正式な路線区間としては、難波線が大阪難波~大阪上本町間、大阪線が大阪上本町~伊勢中川間で、奈良線が布施から分岐する形である。列車は大阪上本町まで難波線を走った後、上本町から大阪線へと進む。平日の朝7時過ぎなので鶴橋駅は通勤通学客で賑わっていた。鶴橋から布施までは奈良線系統との複々線を進む。その後、右へカーブしながら布施を通過。奈良線と別れ、南へ下る。布施から先がまず一区間目の再履修区間となり、列車は近鉄八尾、河内山本などを通過した。

昨年信貴線に乗車するために訪ねた河内山本を通過すると、その先で高安を通過。高安には高安検車場と呼ばれる大きな車両基地があり、特急型車両や団体用車両を含めて多くの車両が留置されているのが見えた。難波側には桜川駅に留置線があるものの、車両を留置できる場所は限られているので、ここと大阪上本町・大阪難波間は回送列車も多く走っている。このあたりまで来ると、車窓にも田畑が広がり始める。その先で少しだけJR関西本線(大和路線)と並走し、その上をオーバーパス。さらに大和川を渡った後、列車は大阪平野を出た。

少しだけ山間の景色の中を走ると、再び景色が開けてきて列車は奈良盆地に到達した。ここから大阪線は奈良盆地を東西に走っていく。近鉄下田の先でJR和歌山線を跨ぐと、再び車窓には車両基地が広がり、列車は五位堂を通過した。ここには五位堂検修車庫が設置されている。この検修車庫は近鉄最大規模の研修車庫であり、近鉄に所属するほとんどの車両はここで検査を受ける。狭軌路線である南大阪線系統や、第三軌条路線であるけいはんな線の車両も台車を履き替えたり、第三軌条用の装置を取り外して、事業用車両に牽引されてここまで回送されてくる。

五位堂を通過した列車は、大和高田を経て、大和八木に到着した。駅に到着する直前には、大和八木駅構内で大阪線と橿原線の線路を結ぶ八木連絡線と呼ばれる線路が見えた。大和八木駅には両線を繋ぐ連絡線が南北に2線ある。北側は主に京伊特急が通過するが、南側はここを通過する定期の旅客列車はなく、普段は回送列車のみが通る。普段は通れないルートなので、ここを通過するための団体列車も割と頻繁に運転されていて、鉄道ファンに人気がある。
鶴橋を出て、最初の停車駅となるのがこの大和八木駅である。橿原線と接続するこの駅では、奈良・京都・橿原神宮前方面からの乗り換え客を拾う。特急ひのとりはこの列車を含めた一部の列車のみがこの駅に停まる。日中の列車は基本的にこの駅を通過し、鶴橋~津間をノンストップで走る。17年前に初めてのアーバンライナーでこの路線を通過したときも、この区間はノンストップだったのを思い出す。まだ、この辺の地理がよく分かっていなかったので、どこを走っているのか頭でイメージできなかった。大和八木で2区間目の再履修区間が終了。ここから伊賀神戸までは2022年夏に乗車した区間へと入った。

大和八木駅を発車してからも、しばらくは奈良盆地の開けた場所を走っていく。車窓には桜井線(万葉まほろば線)の線路が見えていた。桜井駅でその桜井線の線路を跨ぐと、やがて山が近づいてきて、ここから先は山間の景色が続く。反対側の車窓は大和川沿いの集落が見えているが、こちら側は基本山になる。列車はその先で奈良県から三重県へと進む。大和朝倉や榛原と言った大阪方面からのお馴染みの行先の駅を通過し、列車は東へと進んでいった。

榛原を通過した後もしばらく山間を進むと、名張の手前からは景色が開けてきて、列車は名張を通過した。ここはもう三重県なのだが、名張は大阪方面への列車が多数発着し、一般の列車でも大阪まで1時間と通勤圏内であることから、地域的な繋がり的には関西との繋がりが大きい場所である。名張は日中も大阪方面へ特急列車が2本、急行列車が3本運転されている。一方で、ここから伊勢中川方面は本数が減り、この先の青山町で日中の列車は1時間に1本まで減る。ここは三重県ではあるものの、関西と東海の境はこの先の青山峠にある。

名張を通過し、桔梗が丘や伊賀鉄道と接続する伊賀神戸、そして近鉄における関西エリアの一端となる青山町を通過すると、列車は青山トンネルという長いトンネルへと入った。この青山トンネルは、青山峠を貫く長いトンネルで、全長は5,652mと大手私鉄のトンネルでは最長を誇るトンネである。この駅の両端に位置する西青山と東青山の2駅は、近鉄の駅の中でも秘境駅として知られている。このトンネルを抜けると、列車は現実的な意味での東海地方へと入っていく。伊賀神戸から先、このトンネルを含んで榊原温泉口までの区間が、大阪線の3区間目となる再履修区間だった。ゲリラ豪雨に見舞われて急遽利用した思い出の榊原温泉口を通過し、大阪線に3区間あった再履修区間を乗り終え、これで再履修の区間を修了。現在乗車済みとなっている鉄道路線の全てが過去15年以内に乗車したことになった。
伊勢中川駅構内の中川短絡線を通って名古屋線へ

榊原温泉口から先の大阪線は、雲出川に沿って走っていく。近くにはJR名松線が走っていて、大手私鉄の幹線路線と、JRのローカル線が並走する区間となっている。特に大阪線の川合高岡と名松線の一志駅は、徒歩で乗り換え可能である。このあたりで大阪線は、名古屋湾沿いの平野へと出ていく。
川合高岡を出た列車は、その先で速度を落とし、伊勢中川駅構内にある中川短絡線を通過した。大阪線は、終点の伊勢中川に宇治山田・賢島方面を向いて入線する。また、この駅で接続する名古屋線も、同じ方面を向いて入線してくる。このため、大阪線から名古屋線へは方向転換する必要があった。そこで設けられたのが、この中川短絡線と呼ばれる連絡線である。この線路は単線で大阪線と名古屋線を直接結んでいる。列車は伊勢中川のホームを通過していないが、ここは伊勢中川駅構内の扱いなので、一応伊勢中川を通過したという扱いになる。デルタ線は中村川と呼ばれる川の近くに設けられていて、この中川短絡線も大部分は、中村川を渡る橋梁となっている。

中川短絡線を経て、名古屋線へ入った列車は、再び速度を上げて、その後は名古屋線を北上していく。名阪特急は伊勢中川を通過するが、もちろんこの駅で名伊特急と阪伊、京伊特急を乗り継いでも特急料金は同額となる。例えば大阪から特急伊勢志摩ライナーで伊勢中川へ来て、伊勢中川で一般の特急に乗り換えて名古屋へ行くという行程にしてもいい。実際、大阪から名古屋への平日朝一番の特急アクセスは大阪難波6時5分発の賢島行特急に乗車して、伊勢中川で7時34分発の五十鈴川始発名古屋行に乗り換えるというもので、名古屋には8時42分に着く。ただし、「ひのとり」は特急料金に特別車両券の料金が上乗せされており、この特別車両券については、列車毎の計算となる。

やがて列車は津に到着。この津が最後の途中停車駅となり、次はもう名古屋までノンストップとなる。停車直前に大阪難波行のアーバンライナーとすれ違った。このあたりへ来るのは2016年の旅行以来実に9年ぶりとなる。車窓の景色も懐かしかった。
津では乗務員の交代が行われた。発車直前に非常停止ボタンが押されるというハプニングがあったが、トイレを使用していた乗客が間違って押したものと判明し、すぐに運転を再開した。運転席がすぐ後ろにあったので、車掌と指令とのやり取りもよく聞こえた。

津を出た列車は紀勢本線と伊勢鉄道線の線路を跨ぎ、ここから名古屋湾の沿岸に近い場所を北へと進んでいく。この後はまたJRと伊勢鉄道を走る快速みえで南下するので、津もまた数時間後に通ることになる。ここから四日市の手前までは伊勢鉄道の線路が少しの間隔を空けて並走する。伊勢鉄道は市街地の背後を走る一方で、近鉄名古屋線の沿線にはずっと街が続いている。

列車は白子を経て、伊勢若松を通過した。伊勢若松以北の名古屋線は、昨年の「三重・岐阜の盲腸線を巡る旅」で乗車したので、およそ1年ぶりの乗車となる。伊勢若松にはその際、鈴鹿線に乗車するために来た。しばらくのどかな景色の中を走るが、やがて四日市の市街地が広がり始めた。奥にコンビナートの煙突群が四日市の象徴である。塩浜駅は関西本線から続く貨物線が近鉄の線路の横を通っている。車窓には留置されたタキと呼ばれるガソリン用の貨車が見えた。昨年の旅では宿泊し、県内最大の規模を誇る四日市市の中心駅、近鉄四日市を列車は颯爽と通過した。

近鉄四日市を通過してしばらく高架橋を進み、海蔵川の先で地平へ戻ると、住宅街が広がる中を走行し、列車は近鉄富田を通過した。その直後にJR関西本線と三岐鉄道三岐線の線路を跨いだ。三岐鉄道は近鉄富田で近鉄線と接続しているが、三岐線自体は関西本線の富田駅へと続いており、近鉄富田駅に乗り入れる路線は近鉄連絡線という名の別路線になっている。三岐鉄道はJR東海が静岡地区で走らせていた211系を導入予定である。最近では試運転も行われているようだが、富田駅構内には改造工事を待つ211系が留置されているのが見えた。

一旦西側へ行った関西本線を桑名駅の手前で跨ぎ、元々は近鉄の路線だった三岐鉄道北勢線が頭上を通過していくと、3線並んで桑名駅へ。標準軌、狭軌、ナローゲージの3つの線路幅の路線が並ぶこの区間にある踏切には昨年の旅の中で訪ねた。桑名駅通過の直前には、北勢線の西桑名駅に停車する黄色い北勢線の車両が見えていた。桑名駅を通過すると、今度は近鉄名古屋線、関西本線、それにこちらも元々は近鉄だった養老鉄道が並び、養老鉄道の線路が近鉄の線路を潜って、分かれていく。さらに関西本線の線路も近鉄の線路を潜って西側へと出る。ここまで来ると、いよいよ名古屋が近づく。

桑名を出た名古屋線は、その先で右へカーブして、東に向きを変え、そこからはほぼ直線的に名古屋の市街地へと向かっていく。カーブを曲がるともまもなく揖斐川・長良川の2河川に跨る長い鉄橋を渡る。その後、近鉄長島を通過すると、今度は木曽川を渡る。ここで列車は三重県から愛知県へと入り、列車は近鉄弥富を通過した。

弥富以降もJR関西本線が少し北へ迂回する形で走る一方、近鉄名古屋線は直線的に走っていく。富吉や近鉄蟹江を通過し、新川と庄内川を渡ると、このあたりから名古屋の市街地へと入っていく。近鉄八田の手前で関西本線とクロスして並走。その後八田の先であおなみ線が合流し、車窓の反対側には名古屋駅周辺のビル群が見えた。

近鉄八田駅を通過するあたりで、車内には「久しき昔」という名古屋への到着を知らせるチャイムが流れ、車内の乗客も降りる準備を始めた。JR東海の名古屋工場と名古屋車両区を車窓に走り、反対列車を待ち合わせるため、米野駅付近ではゆっくりと走行。その後地下区間へと入り、列車は終点の近鉄名古屋に到着した。到着時の車内の天井は写真のように青くなる。まるでプラネタリウムのようでとてもきれいだった。

大阪難波から2時間12分、列車は定刻通り、終点の近鉄名古屋に到着した。快適すぎるプレミアムシート、2時間では物足りず、ずっと乗っていたいくらい快適な乗車だった。またプレミアムカーの車両はハイデッカーになっているので、窓からの眺めもよく、近鉄大阪線・名古屋線沿線の車窓も楽しむことができた乗車だった。今後も大阪-名古屋間を移動することがあればぜひ利用してみたいと思う。名古屋駅でも写真を撮影。旅行から帰ってきて気付いたが、前回阪奈区間で乗車した車両にはすスカートがついていなかった。やはりスカートがあった方がかっこよく見えた。

近鉄大阪線の再履修も完了し、これで今回の目的は全て果たされたが、まだこの先も旅を続ける。大阪線の一部区間には、この後もう一度乗車することになる。名古屋では次の列車まで約1時間30分の待ち合わせ。今回ここに来たのは、乗り換えのためで、名古屋に何か用事があってきたわけではない。やることは特にないが、旅の直前に2枚持っていたmanacaを払い戻すという用事をかろうじて思い出し、地下鉄の窓口へ行って払い戻しの手続きをした。その後はJR名古屋駅の改札内へ入り、行き交う列車を眺めて小休憩。近鉄特急がメインの2日目だが、ここから先は一旦近鉄から離れてJRを利用する。名古屋からは快速みえで鳥羽へ向かった。
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