【旅行記】三重・岐阜の盲腸路線を巡る旅 第一幕~樽見鉄道を旅する~

・岐阜県と三重県に多数存在する盲腸路線を巡るシリーズ
東北の旅から2か月ほどが経過し、新年を迎えた。元日から地震が発生し、その翌日には航空機事故が発生した。まずは、1日も早く被災地の方々が元の生活に戻れることを祈るとともに、地震と航空機事故で亡くなられた方の冥福を祈りたいと思う。
さて、昨年もたくさんの鉄道路線と出会うことができたが、今年も引き続き未乗の鉄道路線を巡る旅を続けていく。今回と次回の旅は一連のシリーズとして企画し、三重県と岐阜県の未乗路線を巡ることにした。本当は、一回で全部の路線を巡れればそれがいいのだが、趣味に費やせる時間というのも限られているので、2回の旅に分割して一連の旅として扱うこととした。今回の旅では岐阜県西部と三重県を、次回の旅では岐阜県東部を訪れる。
鉄道路線において、この2つの県の特徴は何か言えば、盲腸線が多いことではないだろうか。盲腸線とは、終点で接続する路線が他になく、行き止まりとなっている路線である。地図を眺めると、岐阜県ではおもにJRの路線から、三重県では近鉄名古屋線からいくつもの盲腸路線が延びていることが分かる。これまでもそれら盲腸路線のいくつかには乗車したことがあった。しかし、乗車していない路線も多く存在している。そんなわけで、今回そして次回の旅で残す路線を巡ってみようと思う。
一方、今回の旅で訪れる三重県では、以前から乗ってみたいと思っていた路線があった。それはナローゲージの鉄道路線である。現在、国内で走る普通鉄道の路線は、4種類の線路幅が用いられている。大多数が狭軌と標準軌を用いているが、この線路幅ではない鉄道路線が少数ながら存在している。その一つは馬車軌と呼ばれるもので、井の頭線を除く京王電鉄の路線と都営新宿線が使用しているものである。そして、もう一つがナローゲージと呼ばれる線路幅で、これが国内の鉄道路線では最小の軌間となっている。ナローゲージを採用するのは、三重県内の3路線と富山県の黒部峡谷鉄道のみである。いずれの路線にも乗車したことがなく、三重県では盲腸路線の乗りつぶしと同時に、ナローゲージ路線への初乗車も楽しみの1つとなった。
前旅
名古屋駅から東海道本線で大垣へ

前日のうちに名古屋入りして、名古屋駅近くのホテルに一泊。翌朝、名古屋駅から1日目の行程がスタートした。旅のスタートは生憎の雨模様。この日は南岸低気圧が太平洋上を東に進んでいたために、名古屋市内も本降りの雨となっていた。ただ昼頃には低気圧が関東方面へ抜け、天気も回復してくる見込み。午後以降は天気が期待できそうだ。朝の名古屋市内は雲が立ち込めていて、セントラルタワーをはじめとする名古屋駅周辺の高層ビルの高層階も雲の中に隠れていた。

1日目はまず岐阜県西部の未乗路線を巡り、その後三重県へと移動する。名古屋駅から乗車したのは、東海道本線の新快速大垣行。この列車に終点の大垣まで乗車する。いつの間にか東海道本線の速達種別が発着するホームにはホームドアが設置されていた。名古屋から東海道本線を岐阜方面に走るのは、昨年春以来。昨年は特急ひだに乗車して、富山を目指した。一方、岐阜から先、大垣方面へ向かうのは、特急しらさぎに乗車した以来だから実に5年半ぶりだった。東海道本線の大阪~名古屋間は、少し前まで関西へ旅行したついでによく使っていたので、割と頻繁に乗車している印象があったのだが、最後の乗車から5年以上経過していたとは、時間の早さに驚く。列車は雨の東海道本線を快走して大垣へと向かう。早朝の大垣方面の列車ということもあって乗客の姿はまばらだった。
乗車記録 No.1
東海道本線 新快速 大垣行
名古屋→大垣 313系

列車は名古屋から40分ほどで終点の大垣へと到着した。1日目の前半は、ここ大垣を拠点に岐阜県西部の未乗路線を巡る。大垣に降り立つのは、これまた久しぶりで7年半ぶりだった。7年半前にこの地を訪れたときも、今回の旅と同じく三重県の路線を巡る旅をしていた。この時は大垣~名古屋間で走っている「ホームライナー大垣」に乗りたいがために、わざわざ三重県内から大垣へと移動してここに宿泊したのだった。この旅行では大垣に宿泊した日の前日に、名松線でゲリラ豪雨に見舞われるというハプニングがあった。そんなこんなで今でもよく思い出す過去旅の一つである。それ故、大垣に宿泊したことも頻繁に思い返していて、最近行ったような気がしていたが、もう随分昔の話になってしまった。
大垣からは今回巡る未乗路線の一路線目となる樽見鉄道樽見線に乗車する。乗り換え時間にかなり余裕を持たせていたので、大垣駅を発着する列車を眺めていくことした。
東海道本線の要衝、大垣駅を発着する列車たち

中京エリアの東海道本線は、新快速・特別快速などの速達種別が運行されているが、その多くがここ大垣を始終点とする。ここは東海道本線の運行系統が一区切りとなる場所である。朝夕には一部列車が名古屋方面-米原方面で直通して運転されているので、完全に系統が分かれているわけではないものの、この駅を始終点とする列車が大多数でとなっている。当駅には隣接して大垣車両所が設置されている。中京エリアの東海道本線のほか、武豊線、飯田線の車両が配置されている車両基地で、当駅を通過する寝台特急「サンライズ瀬戸・出雲」に使われる285系電車も、JR東海が所有する編成は大垣の車両区に所属している。少し前まで青春18きっぷシーズンを中心に運行されていた「ムーンライトながら」は、この駅が始終点だった。東京からムーンライトながらが到着すると、米原方面へと向かう列車に多くの乗客が足早に乗り換えていた。その光景は通称大垣ダッシュと呼ばれ、青春18きっぷシーズンの風物詩とも言える光景だった。関東の旅行者の中には、大垣ダッシュで座席争奪戦に何度も参戦したという鉄道ファンも多いのではないだろうか。

そんな東海道本線の要衝である大垣駅は、JR東海区間では唯一となる東海道本線の支線、通称美濃赤坂支線が発着している駅である。美濃赤坂支線は大垣駅の西側にある荒尾信号場から分岐し、美濃赤坂駅へと至る支線で、美濃赤坂で貨物鉄道である西濃鉄道に接続している。西濃鉄道からの貨物列車の運行が行われていると同時に、荒尾・美濃赤坂駅の2つの駅が旅客営業しており、支線は地域住民の足にもなっている。この路線には7年前の旅で乗車しているので、今回の旅では乗車しない。美濃赤坂駅から到着した列車は多くの乗客を吐き出していたが、折り返しの列車に乗客の姿はなかった。

美濃赤坂行の普通列車が発車すると、自分が名古屋から乗車した列車の一本あとを走る速達列車がやってきた。この列車は朝夕限定の名古屋方面から米原方面への直通列車のうちの1本。しかも浜松駅始発で米原まで運行されるロングラン列車だった。浜松から豊橋・名古屋方面の始発列車で、米原まで直通するのは土休日ダイヤのみ。浜松を6時1分に発車し、終点の米原に8時44分に到着。そこで大阪方面の列車に乗り継ぐと大阪に10時13分に到着できる列車である。もしかすると浜松や豊橋あたりから大阪へ向かう人には御用達の列車かもしれない。特別快速米原行という響きだけで興味をそそられる。いつかは乗車してみたい列車の一つである。
樽見鉄道に乗車して本巣駅へ

さて、大垣駅を発着するJRの列車を眺めて時間を潰した後、ここから旅の本題へと入っていく。ここから乗車するのは樽見鉄道樽見線である。この路線ののりばは、JRの改札内にある。JR大垣駅には3面のホームがあるが、このうち南口側以外のホームには、切り欠きホームが1線ずつあり、3面8線のホーム配置になっている。真ん中の2・3・4番線は3番線が切り欠きホームとなっており、美濃赤坂支線の列車が使う。一方、北口側の5・6・7番線は、5番線のみをJRが使い、7番線と切り欠きホームの6番線を樽見鉄道の列車が使う形になっている。JRからの乗り換えでなく、大垣駅から樽見鉄道に乗車する場合は、JRの券売機できっぷを購入できるが、JRからの乗り換えや企画きっぷを購入する場合は、ホーム上に設置された樽見鉄道の窓口で購入する。今回は途中本巣で途中下車しながら樽見まで往復するので、1日乗車券を購入した。

ここで樽見鉄道について書き留めておく。樽見鉄道樽見線は、大垣駅と本巣市の樽見駅を結ぶ路線である。大垣市とその北東部に位置する本巣市を結び、路線は本巣市の山間部に位置する樽見駅まで延びている。大垣から北陸へ伸びる鉄道路線が計画されたことに由来する路線だが、樽見から先の区間では具体的なルート計画は行われなかった。路線の成り立ちから、区間は大垣〜海神間と海神〜樽見間に分けることができる。大垣〜海神間は国鉄樽見線を引き継いだ区間だが、海神〜樽見間は鉄道公団によって工事が行われていたものを樽見鉄道発足後に開業させた区間である。国鉄から引き継いだ区間は1950年代に開通していたが、その先の区間が開通したのは1989年であり、まだ開通から35年ほどしか経過していない比較的新しい区間である。区間の前半の大垣~本巣間では、本巣駅近くのセメント工場からの貨物列車が2006年まで運行されていた。しかし、現在は貨物列車の運行は終了し、旅客列車のみが走っている。
乗車したのは、ハイモ295-610形1両の普通本巣行。単純な往復だと、少し旅程が淡白になってしまうので、この列車で一旦本巣へ行き、本巣駅で後続列車に乗り換えることにした。朝の樽見鉄道は本巣までは30分に一本程度と本数も比較的多い。乗車した車両は、もともと兵庫県の三木鉄道で活躍していた車両を樽見鉄道が買い取ったものである。2008年に三木鉄道が廃止された後も、車両は各地で活躍を続けている。前に北条鉄道で乗車した車両もそうだったと記憶している。
乗車記録 No.2
樽見鉄道樽見線 普通 本巣行
大垣→本巣 ハイモ295-610形

大垣の時点で、乗客は15人ほどと、日曜の朝にしては乗客が多かった。大垣駅を出ると、しばらく東海道本線の線路と並走し、次の東大垣駅の手前で東海道本線の線路と別れる。東海道本線を駆け抜ける列車は足早な一方、樽見鉄道の列車はのんびりと走る。東大垣駅では、早速対向列車とすれ違った。対向列車は、大垣で樽見行きとなって折り返す。自分はその列車に本巣駅から乗車して樽見駅を目指す形となる。現在乗車中の列車は、地元のケーブルテレビ会社の広告ラッピング車両だったが、この後に乗車するのは樽見鉄道カラーの車両のようだ。広告車両が多い鉄道会社では、純正の塗装に出会えないこともあるが、今回は樽見鉄道カラーの列車にも乗ることができそうだ。

列車は東大垣駅を出た直後に揖斐川を渡り、その後は進路を北へ変えて走っていく。車窓には木がたくさん植えられた畑が見えてくる。車内放送でも案内があったが、このあたりは富有柿という品種の柿の産地になっている。この柿は柿の王様と呼ばれるくらい美味しいらしい。しかし、柿は秋が収穫期なので、この時期はもう完全に収穫が終わっていた。瑞穂市を経由して本巣市へと入る。大垣とは逆向きへ向かう列車だが、沿線の各駅から乗車する人も多く、北へ向かうにつれて混雑が激しくなった。

列車は北方真桑駅に到着。住所上は本巣市真桑にある駅だが、駅の東側に北方町があるので、このような駅名になっている。ここでは乗客の何人かが下りて行った。近くには高校や高専もあるようなので、平日は通学の乗客で賑わうのではないかと思う。北方真桑の次のモレラ岐阜は、駅の近くにある商業施設モレラ岐阜の最寄り駅。ここで車内の乗客のほぼ全員が下車していった。どうやらこの列車の乗客の多くは、この商業施設に通勤したり、開店時間前にお店にたどり着きたい人たちだったようだ。商業施設だと年中無休なので、日曜日でも通勤ラッシュがある。この駅は商業施設のオープンに合わせて開業した駅で、現在も商業施設へ向かう人たちの利用が多い駅となっている。名所案内にモレラ岐阜と本巣市糸貫分庁舎と書かれているが、これははたして名所なのだろうか。

モレラ岐阜で車内のほぼ全員が下車し、残った乗客は自分を含めて3人となった。モレラ岐阜のあとは糸貫、本巣と停車するが、駅前に大きな街が広がっているわけではないので、利用客も少ない。糸貫で1人が下車したので、終点まで乗車したのは2人だけだった。実は樽見鉄道でセミクロスシートを採用している車両は、三木鉄道から移籍してきたこの1両のみである。その他の樽見鉄道が新車で導入した車両は全てロングシートとなっている。珍しい車両に乗ることができた。
樽見鉄道の拠点、本巣駅で貨物列車の面影を探す

列車は終点の本巣駅に到着した。本巣駅は樽見鉄道の本社と車両基地がある駅。ここが列車運行上の区切りとなっており、ここから大垣駅へは30分~1時間に1本の運転本数がある。一方、ここから樽見駅間では2時間に1本ほどと運転本数が減る。その名の通り、本巣市の代表駅であり、駅から徒歩圏内に市役所、小中学校があるが、決して市街地が広がっているわけではなく、田畑の中に家が立ち並んでいるような感じの長閑でこぢんまりとした街が広がっている。

本巣駅の外へと出て来た。樽見鉄道カラーの自販機が目を惹くが、駅舎自体はかなり年季が入っている。本社所在駅で、運行管理が行われる駅でもあるため、窓口の営業もある。樽見鉄道で窓口営業が行われているのは、大垣駅とこの駅のみである。後続の列車まで、30分ほど時間があるので、駅の裏手から駅全体を見てみることにした。

駅の大垣側の踏切を渡って駅の裏手へとまわって来た。先述の通り、現在は旅客列車のみが運行されている樽見鉄道だが、2006年までは貨物列車の運行が行われていた。今回旅する岐阜県や三重県は石灰石の採掘がさかんな地域であり、セメントを生産する工場がいくつかある。樽見鉄道の沿線にも住友セメント大阪の岐阜工場があり、かつては本巣駅から工場への専用線が設置され、セメントを積んだ貨物列車が樽見線で運行されていた。本巣駅では今も、貨物列車が走ってた頃に使用されていた貨物列車用の線路が敷かれたままになっている。駅のホーム自体は短いが、駅はとても細長い形をしている。奥にあるセメント工場の専用線からやってきたセメント貨物は、ここで機関車を付け替えて、大垣方面へと運行されてた。樽見鉄道はこの貨物列車の運行により、経営が支えられており、一時期は三セクの優等生と呼ばれていた時代もあったらしい。
後続列車で本巣から樽見へ

さて、後続の列車の発車時間が迫ってきたので、駅へと戻って、後続の列車でさらに奥へと進んでいく。乗車したのは大垣始発の樽見行き。車両はハイモ330-703形で、平成30年に投入された樽見鉄道で最も新しい車両だった。この列車には、樽見で折り返してから大垣までお世話になる。車内はロングシート配置。ただ、車内の乗客は5名ほどで、逆に広々としていた。
乗車記録 No.3
樽見鉄道樽見線 普通 樽見行
本巣→樽見 ハイモ330-703形

本巣駅を出ると、その先でセメント工場への専用線の跡が左へカーブして分かれていくのが見える。線路の先には工場がある。これが住友セメント大阪岐阜工場である。貨物列車は廃止されてしまったものの、工場は現在も稼働している。この工場を過ぎると、列車は次第に標高を上げながら、山の中へと入っていった。

織部駅を出て、トンネルを抜けると、川と並走し始める。この川は揖斐川水系の根尾川で、樽見鉄道はここから先終点樽見まで、この根尾川に沿って走っていく。列車はしばらく川と並走して、谷汲口駅に到着。谷汲口は谷汲山華厳寺の玄関口となる駅で、駅前から谷汲山までのコミュニティバスも運転されている。かつては谷汲まで、名鉄も路線を延ばしていて、名鉄谷汲線という路線が、揖斐線と分岐する黒野駅から谷汲駅まで走っていた。写真の対岸の住宅が見えるあたりに名鉄の廃線跡がある。名鉄の路線は岐阜市内線から続く路線の一端だった。こんなところまで名鉄の路線が延びていたというのを知ったときはびっくりした。

谷汲口駅の次の海神駅は交換可能駅。しかし、この時間はこの区間に2列車以上入ることがないので、列車の行き違いはない。この駅では1日数往復だけ大垣方面に折り返す列車が設定されている。国鉄樽見線として開業したのはこの駅まで。ここから先は樽見鉄道が発足した後に開業した比較的新しい区間へと入っていく。海神駅から先はさらに山深くなる。川幅も狭くなり、渓流へと変わる。線路は比較的直線的に敷かれているので、蛇行する川を何度も鉄橋で渡って走っていった。
樽見鉄道の終点、樽見駅に到着

列車は本巣から40分で終点の樽見駅へと到着した。列車の本数が少なく、ここでは20分で折り返す。このあたりは本巣市の中でも根尾というエリアで、もともとは根尾村という村の中心地だった。その根尾というエリアの樽見地区に駅があることからこの駅は樽見駅と呼ばれる。駅前は郵便局や市の分庁舎があり、現在も根尾地域の中心地となっている。このあたりは1891年に発生した濃尾地震の震源となった場所で、根尾谷断層と呼ばれる活断層がある。地域内のいくつかの場所では、その断層を見ることができ、一駅手前の水鳥駅近くには断層観察館という施設もある。

駅は駅前の小さな街から一段高い場所にあり、街とは反対側の山側に駅のロータリーがある。ここは淡墨桜という桜が有名で、駅前にもその桜の木が植えられていた。乗ってきた乗客は、自分を含めて鉄道ファン数名。日曜かつ雨ということもあって、地元の利用客の姿はなかった。
駅に着いて、なんかどこかで似たような路線に乗ったことがあるような気がした。川に沿って走り、山の中で途切れた線路、終点に広がる決して大きくない街、そしてNDCシリーズの気動車。山口県岩国市を走る錦川鉄道錦川清流線によく似ている。錦川鉄道も山口線の日原駅までつながる計画だったが、結果的に県境を越えることはなく錦町が終点となった。数年前に訪れた錦川清流線を思い出させる路線だった。

樽見駅の終端部を見る。1面2線の島式ホームの樽見駅。路線の終端部では、2線の線路が再び合流している。引き上げ線として使われることもあるのだろうかと思って調べてみると、以前は客車列車の運行があり、機関車の付け替えで使われていたとのこと。樽見鉄道は貨物列車の運行が行われてた頃に客車列車の運行も行われていた。
樽見線はここから先、福井方面へと延びる計画はあったものの、具体的な話はなかった。道路は国道157号線・国道418号線が温見峠という峠を越えて福井県大野市まで続いている。ただかなりの酷道ということらしい。根尾は岐阜市から続く国道157号線と、長野県飯田市から続く国道418号線の合流地点。ここから大野までは重複区間となっている。東海から北陸へと抜ける道はこの道の西にも東にもある。東の国道158号線は、越美線とに沿うルートで、現在もよく利用されるルートである。また西側の国道417号線も、最近冠山トンネルという峠道を短絡するトンネルが開通。新たに福井と岐阜を結ぶ新ルートとして期待されている。一方、根尾から大野へ至る国道は酷道過ぎて、そんな話は全くないようだる
樽見から大垣へ、樽見鉄道全線を乗り通す

列車の発車時間が近づいてきたので、列車に戻って発車を待つ。1両でもロングシートの車両が、大垣側ではそれなりに混雑するということを物語っているが、本巣から樽見間は逆にガラガラ具合が目立ってしまう。それでも根尾と本巣・大垣を結ぶ大切な地域の足。朝夕には通学で利用する人も多いだろう。再び鉄道ファンらしき乗客が全員戻って大垣へ向けて発車。今度は途中下車はせず、終点の大垣まで乗車していく。
乗車記録 No.4
樽見鉄道樽見線 普通 大垣行
樽見→大垣 ハイモ330-703形

列車は再び根尾川に沿って走っていく。この日は天気が悪かったので、川の水は茶色に濁っていた。トンネルと鉄橋を多用しながら走る樽見鉄道の北側区間。秋田内陸線や阿武隈急行など、昨年乗った似た経緯の路線然り、それがまた鉄道公団が建設した比較的新しい路線の証拠である。
旅行日の数日後には、今期最強寒波が襲来し、このあたりでも40センチほどの積雪があったらしい。天気予報のアプリで岐阜県本巣市根尾で44センチと書いてあってびっくりした。岐阜県北部は豪雪地として知られるが、今回は大垣周辺でも大雪だったようで、このあたりの積雪もかなり多かったようだ。

列車は山間を抜けて本巣駅まで戻ってきた。ここで家族連れを含めてまとまった乗車があり、車内は一気ににぎやかになった。早朝に名古屋を出たが、樽見まで往復している間に時刻は11時を回っている。すっかり休日の賑わいとなった。本巣の南北で景色が対照的な樽見鉄道。天気は次第に良くなってきているようで、往路に比べれば、濃尾平野の遠くの山々もはっきりと見えていた。

列車は樽見から約1時間で終点の大垣駅へ到着。初乗車となった樽見鉄道の旅が終わった。大垣駅でもきっぷや運賃は車内での回収・精算となる。その代わりに駅係員から精算済証が手渡されるので、これをJRの改札機へ入れると改札外へ出ることができた。和歌山電鐵などでも採用されているシステムだった。JRにそのまま乗り換える場合は、それを持って降車駅で精算する。乗り換えるところにICカードのタッチ機はないので、ICカードで乗り換える場合は、一旦改札を出る必要がある。
区間の前半は平野の中を走り、後半は根尾川の渓流に沿って山の奥深くへ分け入る樽見鉄道樽見線。前後の景色の変化が面白い鉄道路線だった。大垣到着後は、この駅を出るもう一つの私鉄路線である養老鉄道養老線に乗車しに行く。次発の列車は乗り換え時間がタイトすぎるので、1時間後の列車に乗ることにした。今回の旅はあまり観光要素はないのだが、1時間あるので、一旦鉄道から離れて、近くの大垣城に立ち寄った。
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