【旅行記】関東地方の全線完乗を目指す旅+α 〜寝台特急「サンライズ出雲」を乗り通す〜

 
 筑波山ケーブルカーに乗車し、関東地方の鉄道路線の完乗というこの旅の大きな目標を達成。その後、路線バスやつくばエクスプレスなどを乗り継ぎ、東京駅に到着した。これで2日間にわたる関東での旅程は終了となった。
 ここからは、旅のタイトルにある「+α」の部分へと入っていく。東京駅からは寝台特急「サンライズ出雲」に乗車。約12時間におよぶ寝台特急の旅を楽しみながら、出雲市までこの列車を乗り通した。

約22年ぶりの寝台特急の旅、「サンライズ出雲」を乗り通す

 現在、日本で唯一運行されている定期寝台特急列車が「サンライズ瀬戸・出雲」である。サンライズ瀬戸は東京~高松間をおよそ10時間で、サンライズ出雲は東京~出雲市間をおよそ12時間で結び、東京~岡山間では両列車が併結して走行する。1998年の運行開始からまもなく30年が経過しようとしているが、その希少性ゆえに、鉄道ファンのみならず一般の旅行者からも高い人気を誇っている。
 筆者も以前から一度は乗ってみたいと思っていたが、予約の難易度と日程調整の難しさから、これまでなかなか縁のない列車だった。今回、関東の鉄道巡りも一区切りとなり、日程的な余裕も生まれたことから、このタイミングで乗車してみることにした。
 ここではまず、この列車に乗車するに至った経緯と、筆者のこれまでの夜行列車の旅について、少し振り返っておこうと思う。

幼少期の夜行列車の旅は、今に続く鉄道趣味の原点

 20代後半の筆者。幼少の頃は、まだ九州にも関西や関東を結ぶ寝台特急が運転されており、ギリギリ物心がついた後に、九州発着のブルートレインを目にした世代と言える。そして、幼稚園から小学校低学年にかけて、実際にブルートレインに乗車した経験がある。
 それは今から22年前のこと。当時、熊本~東京間を結んでいた寝台特急「はやぶさ」に、1度目は東京まで、2度目は静岡まで乗車した。すでに鉄道ファンだった筆者にとって、「はやぶさ」に乗った時の高揚感、そして“寝台特急”という存在そのものに抱いた感動は、今も鮮明に記憶に残っている。
 夜行列車という括りでいえば、その直後に乗車した快速「ムーンライト九州」が、直近では最後となった。「はやぶさ」は家族との東京旅行、そして「ムーンライト九州」は父との鉄道旅。どちらも、筆者の“乗り鉄”の原点と言える旅である。
 幼少期には、まだ夜行列車が全国各地を走っていたが、小学校高学年になる頃には九州発着の列車が消滅。さらに二十歳になる前までには、他地域の列車も次々と廃止されていった。トワイライトエクスプレスや日本海など、旅の途中で出会う寝台特急たちに憧れを抱きながらも、実際に乗る機会はついに訪れなかった。
 東日本を中心に旅をするようになった頃には、それらはすでに過去の存在となっており、「サンライズ瀬戸・出雲」が最後の定期寝台特急となっていた。
 
 実は過去にも、サンライズ乗車を具体的に考えたことがある。いつの旅だったかは定かではないが、学生時代に一度、乗ろうと試みたことがあった。当時はまだネット予約ができず、講義中に10時打ちをするわけにもいかず、結局その計画は断念した記憶がある。
 社会人になってからは比較的頻繁に旅に出るようになったが、サンライズに乗る機会は、ありそうでなかった。航空機との価格差、乗車するなら始発から終点まで通しで乗りたいという筆者のこだわり、乗りつぶしの優先、そしてサンライズ特有の「遅延しやすさ」など、さまざまな要因が重なり、なかなか縁が結ばれなかったのである。

サンライズ出雲に乗ろうと思ったきっかけと予約の一部始終

高松駅で発車を待つ寝台特急サンライズ瀬戸(2013年8月)
高松駅で発車を待つ寝台特急サンライズ瀬戸(2013年8月)
 今回の旅は、旅行日の約5か月前(2025年春頃)に、その素案を作成した。当初の計画では、バスタ新宿から久しぶりに西鉄の夜行バス「はかた号」に乗車する予定で、サンライズはまったく考慮していなかった。
 しかし、ある時ふと、サンライズという選択肢もあることを思い出した。寝台券の確保が困難であることは承知していたため、数日迷った末、第一候補を「はかた号」としつつ、もし奇跡的にサンライズのきっぷが取れたら、その時は出雲市まで乗り通してみることにした。
 
 そして迎えた、乗車日の1か月前の午前10時。サンライズの寝台券入手は、みどりの窓口での“10時打ち”が定番だが、今回はあくまで夜行バスが第一候補だったため、e5489からの“セルフ10時打ち”に挑戦することにした。取れなければそれはそれでいい、という程度の気持ちだった。
 10時前からパソコンの前に張り付き、10時になった瞬間にB寝台シングルを狙って操作。決済画面まで進んだものの、決済中に満席となり、予約は不成立に。やはりネット予約では難しいか、と思った矢先、B寝台ソロにわずかに空席が残っているのを発見し、なんとか寝台券を確保することができた。
 予約を終えて再び空席状況を確認すると、すでにすべての部屋が満席。発売開始からわずか数分である。実際に予約してみて、その競争率の高さを改めて実感した。まさに“幻の寝台”と言っても過言ではない。
 本命はシングルだったが、ソロでも乗れるなら十分だと思いつつも、どこか諦めきれない自分がいた。その後も断続的に空席状況を確認していると、1時間半ほど経った頃、奇跡が起きた。なんと、シングルに1席だけ空きが出たのである。慌ててソロをキャンセルし、シングルを取り直した。
 こうして、念願のB寝台シングルを“奇跡的に”手に入れることができたのだった。
 おそらく、シングルデラックスなど上位寝台を狙っていた人が、保険としてシングルを押さえ、希望通りの部屋が取れたために払い戻したのではないかと思う。いずれにせよ、発売直後に満席になっても、午前中のうちはまだ諦めてはいけない。希望の寝台券を手に入れるチャンスは、まだ残されている。
 
 こうして、正直ネット予約では無理だろうと思いながら、一か八かで挑戦したサンライズの寝台券を、奇跡的に入手することができた。当初予定していた「はかた号」での旅は変更となり、サンライズ出雲で出雲市まで乗り通した上で、3日目に九州へ戻るという、夢のような旅程へと姿を変えたのである。
 今回、関東の乗りつぶしを終え、翌日も終日予定がないという、まさにサンライズ乗車にうってつけのスケジュールが整ったことで、ようやくその22年越しの寝台特急の旅が実現した。幼少期に抱いた憧れの寝台特急に、22年の時を経て再び乗り込む日が来るというのは、実に感慨深いものがある。
 寝台券を確保してからの1か月間、筆者は何度かサンライズに乗る夢を見た。

期待と不安を胸に、東京駅でサンライズ出雲の到着を待つ

 乗り逃しては元も子もないので、余裕をもって行動し、発車時刻の2時間前には東京駅へ戻ってきた。つくばからの復路につくばエクスプレスを選んだのも、定時性が高く、ほとんど遅延しないためである。
 いよいよ、ここから寝台特急の旅が始まる。もちろん、いつもの旅でもさまざまな列車に乗車することにワクワクしているが、この胸の高鳴りは、また格別のものがあった。今回は、寝台特急「サンライズ出雲」を終点の出雲市まで乗り通す。出雲市までの所要時間は12時間10分。東京から山陰へ、一本の列車で旅をするという、筆者にとって前例のない旅が、今まさにスタートしようとしていた。
 発車時刻までまだ時間があったので、丸の内口の広場で周囲のビル群を眺めながら時間を潰す。12時間後には、伯備線で山間ののどかな景色を眺めているはずだ。その景色のギャップを想像する。都会の喧騒を耳にしながら、静かに列車の発車時刻が近づくのを待っていた。
 
 寝台券を確保してからこの日まで、サンライズ出雲に乗車できる日を心待ちにしていたが、その一方で気がかりなこともあった。それは、「ちゃんと動くのか」「出雲市まで無事に着けるのか」という点である。
 これから乗車するサンライズ出雲の運行距離は953.6kmと非常に長い。それゆえ、遅延や運転打ち切りが比較的頻繁に発生する列車でもある。トラブルの要因も、人身事故や踏切事故、先行列車の車両トラブル、架線トラブル、動物支障、倒木、風水害などさまざまだ。深夜帯で旅客列車が少ない時間帯であっても、東海道本線や山陽本線には多数の貨物列車が走っており、先行列車の遅れは、そのままサンライズの遅延や運転打ち切りに直結する。
 実際、サンライズの大幅な遅延は2週間に1回程度発生しており、過度な遅延や先行区間の不通が生じた場合には、新大阪などで運転打ち切りとなることも珍しくない。筆者が乗車する直前にも、倒木や動物支障によって運転打ち切りや大幅遅延が発生しており、もはや「遅延・打ち切り」は日常茶飯事と言っていい状況だった。
 せっかくの寝台特急の旅、途中で打ち切りとなってしまっては、あまりに残念である。筆者の旅の計画では、常にリスクヘッジを意識しているものの、こればかりは運に身を任せるしかない。人事を尽くして天命を待つ。神頼みは普段あまり信じないが、この時ばかりは、2日間で訪ねた大山と筑波山の神様が、きっと味方してくれると信じた。もちろん安全が最優先だが、旅人としてはやはり「計画通りに走ってほしい」と願わずにはいられなかった。
 
 広場で休憩した後、夕食の買い込みをするため改札内へ入る。この時間でもまだ駅弁が残っていたので、それに惣菜をいくつか加えて購入。さらにコンビニで飲み物なども用意し、旅立ちの準備を整える。何せ、大人になってから初めての寝台特急。いまひとつ要領が掴めない。

21時25分、サンライズ入線、念願の旅のはじまり

 21時過ぎにはホームに到着し、サンライズの入線を待つ。上野東京ラインのホームは通勤客でごった返しており、これから長距離を走る列車が来るとは思えない光景だった。やがて、勝田発品川行きの特急「ときわ82号」が発車していくと、寝台特急サンライズ瀬戸・出雲の案内放送が流れ始める。ようやく実感が湧き始めた。
 この日は20時頃、高崎線で踏切の安全確認が行われた影響で、上野東京ライン・東海道線の列車に一部遅れが出ていた。ホームも遅延列車を待つ通勤客で溢れており、サンライズの到着を待つのが、少々気まずく感じられた。
 サンライズの前に9番線に入っていた、常磐線からの快速品川行きが発車していくと、いよいよサンライズの接近放送が流れた。まもなく遠くに、あの特徴的な灯りが見える。ホームで待つ乗客たちも一斉に列車にスマホを向ける。皆、筆者と同じくこの瞬間を心待ちにしてたに違いない。14両の長大な寝台特急はゆっくりと東京駅へ入線した。
 筆者はこれまでの旅でも、何度かサンライズを見かけてきた。初めて出会ったのは2012年の夏、夜行バスで降り立った倉敷駅でのこと。その後も中国・四国地方の駅や東京駅でも何度となく見送ってきた。そのたびに「いつか乗りたい」と思い続けてきたが、いよいよその瞬間がやってきた。長年の憧れが、今まさに現実となる。この瞬間こそ、旅の醍醐味のひとつではないだろうか。
 
 入線後、車掌が車両に乗り込み出発準備を整えると、ドアが開いた。早速車内へ入り、指定された2階のB寝台シングルの個室へと向かう。乗車した14号車は東京方の最後尾。乗降口近くに2人でも利用できるシングルツインが1室あるほかは、すべてシングルで構成されている。今回指定できたのは、2階の太平洋側、ちょうど編成の中央付近に位置する禁煙個室だった。
 扉を閉め、荷物を置き、ベッドに転がり込む。人が忙しなく行き交う東京駅の中に、小さいながらも自分専用の個室がある。そしてその個室は、今夜のうちに953.6km先の出雲市まで自分を運んでくれる。こんな贅沢があっていいのだろうかと、サンライズの天井を見上げながら思った。
 
 隣のホームに遅れていた普通・沼津行きが到着し、ホームの混雑が落ち着いたのを見計らって、背負っていたリュックからカメラを取り出し、一旦ホームへ出る。方向幕の「出雲市」の文字が、誇らしげに見えた。ホームでは、観光、帰省、ビジネスなど、それぞれの旅を前に、皆が思い思いにカメラを向けている。
 再び車内へ戻り、あとは発車を待つのみ。時刻はまもなく22時。まだ夕食はとっていないが、やはり車内で一人宴会をしたかった。筆者はあまりお酒は飲めないのでアルコールは用意していないが、それでも十分に楽しい。東京発車後に車掌が検札に来るので、それが終わってから宴会を始めることにし、窓からホームを眺めつつ、発車時刻が来るのを待っていた。
 
乗車記録No.24
寝台特急 サンライズ出雲 出雲市行
東京→出雲市 285系 B寝台シングル
 

大都会の夜景を車窓に、東海道本線を歩み出す

 高崎線で発生した踏切の安全確認の影響により、通常サンライズの前を走る普通列車が遅延していた。その結果、この日は発着順序が入れ替わり、サンライズが先行する形となった。本来は乗り換えが可能な列車があるため、普通列車の到着を待ってから発車すると放送があった。
 幸いにも、遅れていた普通列車はサンライズの発車時刻直前に到着。サンライズはわずか1分ほどの遅れで東京駅を発車した。出雲市へ向けた、およそ12時間の旅がいよいよ始まる。列車は静かに動き出した。
 とりあえず、東京は無事に発車することができた。このまま、何事もなく出雲市へ着いてくれることを、心の中で願う。
 発車後、車内には特急「はるか」でもおなじみのチャイムが流れ、続けて自動案内放送が始まった。これから先、列車は横浜、熱海、沼津と停車していく。有楽町や新橋、浜松町の車窓も、サンライズの車窓から見ると、とても新鮮に映る。
 個室なので、室内の明るさを自分で調整できるのもありがたい。しばらく室内灯を消し、車窓に広がる東京の夜景を楽しんだ。
 
 列車は品川を颯爽と通過する。まもなく個室に車掌が訪れ、車内検札が行われた。これもまた、個室寝台特急ならではの光景である。
 検札が終われば、お待ちかねの一人宴会の時間だ。東京駅で買い込んだ夕食を小さなテーブルに広げ、ペットボトルのお茶でサンライズに乾杯。その後は、車窓を眺めながらゆっくりと夕食をとった。蒲田や川崎、さらには鶴見の街並みを眺めつつの、少し遅い夕食である。
 ちなみに東京駅で選んだのは、「輪島朝市弁 当」。輪島には2年半ほど前に訪れたが、その後、能登地震により朝市が行われていた中心部は大規模火災に見舞われ、壊滅的な被害を受けた。あの穏やかでのんびりとした輪島の朝は、今も個人的に強く印象に残っている。
 旅の途中で手に取ったものをきっかけに、過去の旅を回想する。それもまた、旅の楽しみのひとつである。
 夕食をとっている間に、列車は横浜に到着した。東京駅では東海道線の列車が対面ホームから発着していたため、通勤客とは背を向ける形だったが、横浜では後続の普通列車も同じホームに入ってくる。そのため、ホームには多くの乗客が列車を待っていた。
 強い視線を感じ、一旦夕食を中断してスマートフォンを眺めるふりをする。東京駅でもそうだったが、ビジネス客らしき人たちが、何人かサンライズにカメラを向けている姿が印象的だった。この時間帯に毎日帰宅している人にとっては見慣れた存在なのかもしれないが、少し遅くまで仕事をした人にとっては、珍しい光景なのだろう。
 
 横浜を出ると、次の停車駅は熱海となる。小田原にも停車してよさそうなものだが、あえて停車しないのは、ブルートレインが数多く走っていた時代から続く、ある種の伝統である。この後、熱海、沼津、富士、静岡と停車していくのは、昔乗った寝台特急「はやぶさ・さくら」も確か同じだったと思う。
 横須賀線の列車と並走しながら大船へ差し掛かると、その後は鎌倉車両センターを横目に速度を上げ、しばらく東海道本線を快走する。車内も少し落ち着きを見せたところで、気分転換に車内探訪へ出かけることにした。
 
 とりあえず最後尾の14号車から、「瀬戸」との連結部まで歩いてみる。サンライズ1編成は、両端それぞれ2両がB寝台のシングル・シングルツイン。中間3両は、東京側から順に、特急券のみで乗車可能なノビノビ座席、最も設備のよいA寝台シングルデラックスとサンライズツイン、そしてシングルよりやや個室が狭いソロの車両が連なっている。1編成分を歩くだけで、さまざまな席種を一度に楽しめるのが面白い。
 雑魚寝タイプのノビノビ座席は、昔のブルートレインやフェリーを思わせる客室仕様で、上下2段に横になれる構造となっている。個室とはまったく異なるが、どこか懐かしさを感じさせる空間が広がる。
 一方で、編成の中央に位置するシングルデラックスは、サンライズの中でも最上級の席種で、個室数も少なく、予約を取るのが難しい。この車両は通路が平屋構造になっており、階段を上がればシングルデラックス、下りればサンライズツインが配置されている。
 ソロも通路は平屋だが、客室は両側に上下2段に並び、空間を効率的に使った独特の配置となっている。ノビノビ座席とソロの車両は電動車となっており、床下からは走行音がダイレクトに伝わってくるのも特徴で、列車の音を楽しめるのも一つの特徴である。
 
 写真は7号車と8号車の間、すなわちサンライズ瀬戸と出雲の連結部である。ここは運転席の下を通路が貫いており、車内全体が木目調で統一されている中で、この部分だけが無機質な印象を与える空間となっている。
 車内探訪を終えて個室へ戻ると、列車は平塚付近に差し掛かっていた。賑やかなネオンを横目に、街を一つ通り過ぎていく。このあたりから列車の速度が落ち、ノロノロ運転で小田原方面へ向かう。どうやら、東京を10分ほど先に発車した普通列車の沼津行きに追いついてしまったようだ。
 国府津駅をゆっくりと通過すると、やがて車窓には湘南の海が広がる。客室の照明を消し、その海を闇の中に眺める。ふと空を見上げると、オリオン座が輝いていた。首都圏の空の明るさに負けない、力強い光だった。
 その後も列車はゆっくりと走り続け、この日の朝に宿泊していた小田原を通過する。ここから先はトンネルを幾度も抜けながら、熱海を目指すことになる。このあたりで車掌から放送が入り、翌朝、岡山手前まで緊急時以外の放送は行わない旨が案内された。もちろん、熱海や静岡で下車する乗客はほとんどいないが、翌朝の停車駅である姫路到着時にも放送は流れない。
 結局、小田原での追い抜きは行われず、普通列車が先行する形となったため、遅れは徐々に拡大していった。ただ、その分ゆっくりと走ってくれたおかげで、車窓に広がる太平洋を、より一層楽しむことができた。
 
 横浜を出た次の停車駅、熱海はJR東日本とJR東海の境界駅である。ここでは乗務員の交代が行われた。すっかり人気のなくなったホームには、伊豆急行の車両が停泊しているのが見える。
 熱海を発車すると、ほんの一瞬だけ夜の街並みが車窓に広がり、列車はやがて丹那トンネルへと吸い込まれていった。
 かつて寝台特急「はやぶさ」に乗ったとき、このあたりで、初めて東京へ向かう期待を子どもながらに感じていたことを思い出す。同時に、もうすぐブルートレインの旅が終わってしまうのだという、名残惜しさもあった。その感覚を、今でもなんとなく覚えている。

心地よい揺れとともに夢の中へ

 丹那トンネルを抜けると、列車は函南を通過し、やがて三島の街へと姿を現した。深夜とはいえ、まだ日付が変わる前。伊豆箱根鉄道駿豆線も終電前で、大場行きの最終列車には何人かの乗客が乗り込み、発車を待っていた。
 三島を発車すると、まもなく沼津に到着する。そろそろ寝る準備を始めることにした。個室に備え付けられた寝巻きに袖を通し、毛布を整える。これから先は、眠ることそのものが旅になる。
 ベッドに横たわり、列車の心地よい揺れに身を委ねると、いつの間にか意識が遠のいていった。
 気がつくと富士駅。次に目を覚ましたときには由比の海岸が闇の向こうに広がり、さらに次に目を覚ますと静岡だった。眠りたい気持ちと、寝台特急を一瞬たりとも逃したくない気持ち。その間を行き来しながら、静岡を過ぎたあたりで、ようやく本格的な眠りに落ちた。
 富士駅のホームに、今もなお「さくら」の行先表示が残っていたのには驚かされた。眠りたいのに見たい、見たいのに眠い。その葛藤すら、寝台特急の楽しみのひとつなのだろう。二日間動き回った身体は、さすがに休息を求めていた。
 
 夜中も何度か目が覚めた。静岡を出て次に目が覚めたのは、尾張一宮を通過している最中だった。時刻はおそらく2時半頃。JRも名鉄も、ホームに人影はない。
 その後は、米原、京都、大阪と、主要駅を通過、あるいは停車するたびに断続的に目が覚めた。米原と大阪では乗務員交代のために停車する一方、京都は通過する。新幹線を含め、この時間帯にこの駅を通過する定期列車は、このサンライズのみである。
 大阪に到着したのは4時半頃。街はまだ眠っていたが、大阪環状線の始発までは20分ほどとなっていた。駅を発車すると、留置線では出発の準備を進める323系の姿が見えた。夜行バスや、日本時間で深夜を飛ぶ国際線の飛行機には搭乗してきたが、この深夜帯に列車に揺られているのは、実に20年以上ぶりのことになる。
 そこから再びしばらく眠りに就き、次に目を覚ましたとき、列車はまもなく姫路に到着するところだった。ここが朝最初の停車駅となる。ホームの反対側だったため、人の乗り降りの様子は見えなかったが、新幹線もまだ始発前であり、降りる人は多くないだろう。実際、山陽新幹線の始発「みずほ601号」は、岡山乗り換えでも十分に間に合う時刻だった。

朝焼けを車窓に岡山の街に到着

 姫路を発車してからは、しばらくうだうだと過ごしていたが、上郡を通過したあたりで完全に目が覚めた。旅行日の数週間前には、この付近でサンライズが鹿と衝突し、大幅な遅れが発生した事案もあっただけに、内心では少しひやひやしていたが、列車は難なく走行していく。どうやら今日は、無事に出雲市まで走ってくれそうである。
 車窓は深い霧に包まれており、どこか幻想的な景色が広がっていた。列車で迎える新たな朝。鉄道ファンにとって、これ以上ないほど贅沢で、至高の時間である。
 
 岡山到着の20分前、6時7分になると車内放送が流れ、今日の日付と現在の時刻、そして運行状況が案内された。「ほぼ時間通りに運転しています」という一言。頻繁に遅延や打ち切りが話題に上るサンライズだけに、この言葉はことさらありがたく感じられた。
 東岡山で227系を追い越すと、やがて朝日が顔を出す。この日の天気は晴れ。昨日に引き続き、どうやら良い旅日和になりそうだ。高島、西川原と、通勤・通学客がホームで列車を待つ様子を横目に、列車は颯爽と岡山へと向かう。久しぶりに訪れた岡山駅では、227系が大幅に増備され、かつて見慣れた黄色い電車の姿が少なくなっていた。
 
 列車は定刻からわずかに2分ほど遅れ、6時29分に岡山へ到着した。ここで東京から連結して走ってきたサンライズ瀬戸とサンライズ出雲が切り離され、それぞれ高松、出雲市へと向かう。解結作業とサンライズ瀬戸の発車待ちのため、ここではおよそ5分ほど停車した。
 列車で一夜を過ごしてきたが、サンライズ出雲の旅は、まだここからもしばらく続く。外の空気を吸おうと車外へ出ると、ひんやりとした空気に、秋の深まりを感じた。
 おそらく連結部分では、すでに小さな撮影会が始まっているのだろう。しかし最後尾の14号車からでは見に行く余裕もなく、外の空気を吸いに行きがてら、最後尾から数枚写真を撮るに留めた。到着前には、切り離し作業に見入って乗り遅れないよう、注意喚起の放送も行われていた。実際、作業に夢中になって出雲や瀬戸に乗り遅れてしまう人も、一定数いるらしい。
 瀬戸の場合、直後に発車する快速マリンライナー5号に乗れば高松で追いつくこともできるが、せっかくの寝台特急の旅がここで終わってしまうのは、やはり避けたいところだ。筆者も乗り遅れないよう車内へ戻り、朝のラッシュが始まりつつある岡山駅を、個室の窓越しに眺め、東京から在来線だけで移動してきたという事実に静かに感動していた。

岡山でサンライズ瀬戸と別れた後、倉敷から伯備線へ

 さて、サンライズ瀬戸を先に発車させた後、乗車中のサンライズ出雲も発車時間を迎えた。7両編成となり身軽になった列車は、静かに岡山駅を後にする。瀬戸の方はすでに運行時間が1時間を切っているが、出雲市まではまだ3時間半を要する。この朝の優雅な時間を過ごせるというのが、出雲のいいところである。
 岡山を出た列車は、朝日を浴びる街並みを抜け、引き続き山陽本線を快走する。次の倉敷からは伯備線へと入っていく。伯備線を走る特急やくもは、出雲市始発が4時42分と相当早い。一方、下り列車は新大阪からの始発新幹線に接続する7時5分発が始発となっており、乗車中のサンライズ出雲は、伯備線を下る最初の特急列車となる(もっとも、サンライズ自体は前日始発である)。
 
 通勤・通学客がホームで列車を待つ倉敷駅を発車し、列車はここから伯備線へと分け入る。東海道本線、そして山陽本線という在来線の大幹線とは、ここでいよいよ別れ。倉敷の市街地を抜けると、まもなく高梁川が車窓に広がる。
 今回は進行方向左側の個室を利用した。この位置だと列車のすれ違いはあまり見えないが、文字どおりの「サンライズ」や、伯備線での高梁川の景色を楽しむには、こちら側の方が向いている。井原鉄道の鉄橋が頭上を横切り、清音を通過すると、列車はまもなく総社を通過。猛烈な勢いでホームに停車する井原鉄道の車両と、ほんの一瞬だけすれ違った。
 
 総社の市街地を抜けると、再び高梁川と合流する。ここから新見あたりまで、列車はこの川に寄り添うように北へと進んでいく。この日は風も穏やかで、エメラルドグリーンの川面には、対岸の山の緑が映り込んでいた。昨日の東京の夜景とは対照的な、のどかな風景が広がる。この景色のギャップもまた、この列車の大きな魅力のひとつだろう。
 時刻は7時を過ぎ、国道は通勤時間帯を迎えていた。両方向に車が忙しなく行き交う。伯備線を日中に通るのは、この路線に初めて乗車した2017年以来のことになる。前回、倉敷から新見まで特急やくもに乗車したときは夜間で、スマートフォンを眺めていたら少し車酔いしてしまったのを思い出した。乗り物好きではあるが、三半規管は決して強くない。
 
 さらに上流へ向かうにつれ、流域には川霧が立ち込めるようになった。これもまた幻想的で美しい光景である。列車は何台もの車を追い越し、いくつもの小さな駅を通過しながら、北へ北へと走る。やがて、車窓の奥に山の斜面に広がる住宅地が見え始めると、列車は備中高梁に到着した。
 備中高梁の市街地も、この時間帯は霧に包まれていた。盆地というより、川の合流点に形成された街であるため、冬の晴れた朝などは特に霧が出やすいのではないかと思う。駅前には路線バスが到着し、通勤・通学客を次々と降ろしていた。かなり山深くまで入ってきたように感じるが、まだ旅は序盤に過ぎない。列車は次の新見に向けて走り出し、再び高梁川と並走を始めた。
 早起きした身体は、途中で何度か眠気に誘われた。横になるとつい目を閉じてしまいそうになるが、個室は背もたれが壁しかないため、案外座っている方がきつい。備え付けの毛布を畳み、その上に枕を置いてクッション代わりにすると、ちょうどよかった。
 
 さらに30分ほど高梁川に沿って走る。終盤には線形の良い区間もあり、そうした場所では伯備線も川を橋梁でショートカットしていく。やがて霧が晴れ、再び青空が広がり始めたところで、列車は新見に到着した。
 かつて二度宿泊したことのある新見。伯備線のほか、芸備線と姫新線が分岐するこの駅は、山間部にありながら交通の要衝でもある。筆者もこれらの路線を乗りつぶす過程で、この街には何度もお世話になった。とても思い出深い場所だ。
 駅裏手の保育所には送迎の車が次々と入り、園児たちが父母とともに園内へ入っていく。ふつうなら数人くらい、「サンライズだ」と驚いてもよさそうなものだが、この駅に寝台特急が停車する光景は、もはや完全に日常の一部となっている。むしろ運休の日の方が、「今日はどうしたのだろう」と思われるのかもしれない。伯備線沿線にとって、東京発着の寝台特急が行き交うこの風景も、いたって普通の朝なのである。

10回目の県境越えでついに山陰へ足を踏み入れる

 新見を出ると、伯備線はいよいよ山陽と山陰の間の峠越え区間へと入っていく。芸備線の列車しか停車しないことで知られる布原、そして広島方面から続く芸備線の終点・備中神代を通過すると、景色はさらに山深くなり、列車は小さな鉄橋を何度も渡りながら、ジワジワと標高を上げていく。一体何本の鉄橋があるのだろうかと数えたくなるが、「鉄橋が1本、鉄橋が2本…」と数えているうちに、いつの間にか眠ってしまいそうである。
 平日・土曜の朝に始発列車があることで有名な新郷を通過すると、列車はトンネルに入り、ここで岡山県と鳥取県の県境を跨ぐ。東京を出発してこれが10回目の県境越えとなり、列車は11都府県目の鳥取県に足を踏み入れた。あともう一回県境を越えるが、この列車の目的地である山陰へ、いよいよ到達したことを実感する。
 
 上石見を通過すると、その少し先の下石見信号場で運転停車。反対列車との交換が行われる。車窓からは行き違う列車の姿は見えなかったが、後で調べると特急やくもとすれ違っていたらしい。
 新見を出ると、次の停車駅は米子。特急やくもであれば、生山や根雨、伯耆大山といった途中駅にも停車するため、ノンストップで進むこの区間は少し新鮮である。ただし、先ほどの運転停車のように、列車は反対列車との交換のため、途中の駅や信号場で何度か停車する。記憶にあるのは下石見信号場のほか、黒坂駅や根雨駅での運転停車である。
 鳥取県に入ると、伯備線は日野川沿いに走る。この区間も高梁川同様、川・国道・線路が並走する景色が楽しめる。根雨を過ぎると、川に沿った伯備線らしい車窓もまもなく終わりを迎える。
 
 伯耆溝口を通過するあたりから、遠くの高い山が見え始め、長かった山間部区間の終わりを告げる。やがて車窓には田園風景が広がり、列車は米子平野へと抜けていく。列車も米子まであとひと踏ん張りとばかりにギアを上げ、軽快に走る。反対側の車窓では、鳥取の名峰・大山を望むことができるはずだが、今回の進行方向からは見えない。この後、特急「やくも」で再びここを通る際は、反対側の席に座って景色を楽しむつもりである。
 徐々に建物の数も増え始めると、列車は速度を落とし、カーブを曲がりながら山陰本線と合流。まもなく伯耆大山駅を通過する。東海道本線、山陽本線、伯備線と走り抜けてきた列車は、いよいよ最後の路線、山陰本線へ入る。残り時間もおよそ1時間を切り、東京から1本の列車でここまで到達した達成感と、あと1時間でこの旅も終わってしまう寂しさが、個室の中で同居する。これこそが、寝台特急ならではの感覚である。

近づく終点、名残惜しさとともに山陰本線へ

 伯耆大山を過ぎ、山陰本線へ入ると、これまで並走してきた日野川を渡り、まもなく列車は米子に到着した。時刻は9時を回り、駅も朝の通勤・通学時間帯は終えている。駅横の車両基地には「試運転」と表示した227系が停まり、山陰本線での運行に向けた準備が進められている様子だった。山陰でこの車両を見るのは新鮮である。
 米子は、かつて青春18きっぷで父と巡った山陰の旅で宿泊した思い出の地でもある。当時(2004年頃)は国鉄型車両やブルートレインが多く、駅周辺は無機質な雰囲気だった。夕食を駅構内かその近くでとり、ちょうど寝台特急「出雲」が東京へ向けて発車していくのを見送った記憶もある。その頃、伯備線経由のサンライズと、山陰本線経由のブルートレインの出雲が同時期に走っていた。出雲は2006年に廃止された。
 
 米子を発車すると、列車は安来、松江、宍道、そして終点出雲市へ向けて進む。米子駅横の広い車両基地の跡地を見ながら市街地を抜けると、まもなく鳥取県と島根県の県境を跨ぎ、列車は最後の県、島根県に入った。安来を過ぎると、列車は中海や宍道湖に沿う大橋川近くを走るが、残念ながらこの側の車窓からは景色を楽しむことはできない。
 
 山陰本線を快走し、列車は松江の市街地へ差し掛かる。広がる街を眺めながら高架橋を進むと、まもなく松江に到着した。松江を過ぎると、終点の出雲市まではあと2駅。そろそろ身支度を整え、部屋の片づけを始める。名残惜しさが募る。いっそこのまま山陰本線をひた走り、九州まで連れて行ってほしいとすら思う。しかし、電化区間や車両の規格の都合で、それは叶わない。ただ、妄想するだけなら自由である。
 
 松江の市街地を抜け、玉造温泉を通過すると、列車は最後の途中停車駅、宍道に到着する。中国地方有数のローカル線、木次線が分岐する駅だ。筆者も4年前に芸備線、福塩線、木次線を巡った際、この駅に立ち寄ったことがある。手前には木次線の車両が留置され、懐かしさを感じた。
 宍道を出ると、次はいよいよ終点出雲市。岡山あたりで若干遅れたが、この先は順調に定刻運転となった。今回のサンライズ出雲の旅も、予定通りに終点までたどり着けそうである。最後にもう一度ベッドに寝そべり、天井を見上げながら、軽快に揺れる列車を感じる。鉄道旅の醍醐味が凝縮された、この時間はかけがえのないひとときだった。
 
 田園地帯を抜け、斐伊川を渡ると、やがて出雲市の市街地が広がる。終着を告げる車内放送が流れ、列車は徐々に速度を落とし、定刻通り出雲市に到着した。東京から12時間10分、953.6kmを駆け抜けたサンライズ出雲の旅は、こうして幕を閉じる。名残惜しさを胸に、個室のドアを開け、列車から下車する。東京から在来線だけでここまで来た実感が、じわりと心に染み渡る。
 “線路は続くよどこまでも、野を越え、山越え、谷越えて、遥かな街まで僕たちの、楽しい旅の夢つないでいる”というのは誰もが知ってる童謡の歌詞である。サンライズ出雲は、まさにこの歌詞。体現するような鉄道旅の楽しさが詰まった列車だった。

山陰の風に吹かれて、寝台特急の旅の余韻に浸る

 出雲市のホームに降り立つと、筆者と同じくこの列車に乗っていた人たちで賑わっていた。東京から陸路、しかも在来線だけでここまでたどり着いた充実感と達成感は、現在の日本の鉄道では唯一無二の体験だろう。まずは、遅延なく出雲市に着けた安堵と、運行に携わったすべての人への感謝が湧き上がる。同時に、長距離列車、長時間運行列車の魅力を改めて実感する。一日もしくは一晩、列車に身を委ねる贅沢は、鉄道ファンにとってこの上ない喜びである。在来線を走る長距離列車の良さは、一つ一つの街をゆっくり眺めながら進めるところにある。効率優先の現代だからこそ、日常から離れて、速さや効率とは違う視点で旅を楽しむ価値があるのだ。サンライズが今も支持されるのは、こうした「効率ばかりではない旅の楽しさ」を提供しているからだろう。
 余談だが、飛行機で東京から出雲市に行く場合を比べてみると、羽田空港7時発の便は8時30分頃に出雲空港着。そこから出雲市駅行きのバスに乗れば9時30分頃に到着する。東京の朝を出発すると、途中でサンライズ出雲を追い抜いてしまうのだから、飛行機の速さは改めて驚異的である。
 
 出雲市駅に到着した列車はしばらくホームに停車した後、回送列車として隣接する後藤総合車両所西出雲支所へ送られ、車内清掃が行われる。夜になると再び上りのサンライズ出雲として東京へ旅立つ。定刻運行なら出雲市到着後の停車時間が長く、反対側のホームで撮影することも可能だ。筆者もじっくりとサンライズを撮影し、改札を出た。東京から使ったきっぷも記念に窓口で受け取り、今後は自宅で大切に保存するつもりである。
 
 念願のサンライズ出雲乗り通しを終え、駅の外に出る。夜はしっかり眠れたので疲れはなく、横になれるだけで快適さが全く違うことを実感した。駅前では同じ列車で到着したと思われる人々が、出雲大社行きのバスに乗り込んでいる。筆者はサンライズ乗車が目的なので、この日は特に出雲市での予定はない。遅延時に備え、ここでは2時間半の乗り換え時間を設けていた。出雲大社へは行けない代わりに、駅周辺を少し散策。前日の筑波山に比べれば寒さを感じる日本海側の風を浴び、山陰の空気を満喫しつつ、次の列車の発車時刻を待った。
 出雲市からは、昨年新型車両に置き換えられた特急「やくも」に乗車。サンライズで来た道を岡山まで戻り、山陽新幹線「こだま」を乗り通して九州へと帰路についた。