【旅行記】新潟・北陸乗り鉄ぶらり旅~越後線西側区間に乗車後、日本海沿いを辿る〜
弥彦公園や彌彦神社を散策した後、弥彦線を往復して、吉田へ戻ってきた。吉田からは越後線の旅を再開させ柏崎へ。越後線の乗りつぶしを完了させた後、日本海側を移動し、この日の宿泊地である富山県の黒部を目指した。
越後線の旅を再開し、普通列車で柏崎へ

弥彦線を往復し、吉田へ戻ったところで、早朝に一時中断していた越後線の旅を再開する。吉田からは12時32分発の普通柏崎行きに乗車。この列車で柏崎へ向かい、越後線の乗りつぶしを完了させる。
越後線の西側区間である柏崎―吉田間は、東側区間とは対照的に列車本数が少ない区間である。吉田側からは出雲崎・寺泊発着の区間列車が設定されているものの、柏崎まで全区間を走る列車は一日9往復と少ない。特に日中は運転間隔が大きく開き、3〜4時間ほど列車が来ない時間帯もある。この点が旅程を組み立てる上での大きなネックとなっていたが、前話で触れた弥彦線の臨時列車に助けられ、結果的には効率よく乗車することができた。
乗車する列車は、柏崎発吉田行きの普通列車として、発車時刻の30分以上前に到着していた。筆者も発車の20分ほど前には乗り込み、ボックスシートを確保して発車を待つ。発車時刻が近づくにつれ、新潟、弥彦、東三条の各方面から接続列車が到着し、それに合わせて乗り換え客が次々とやってくる。確実にボックスシートに座りたい場合は、早めに乗り込んでおくのが正解だろう。各方面からの列車が揃うと、車内には次第に乗客が増え、ほどよい混雑となった。
乗車記録 No.13
越後線 普通 柏崎行
吉田→柏崎 E129系

弥彦線とは対照的に、柏崎行きの列車は軽快に吉田を発車した。線路沿いに広がる住宅街の中、西吉田、粟生津と停車すると、再び越後平野の広い田園地帯へと出る。
吉田以西の越後線は、しばらく越後平野を走ったのち、いくつかの小さな河川に沿いながら、日本海側に聳える山々の谷間を進んでいく。信越本線よりも日本海寄りを走るため、車窓から海が見えそうにも思えるが、このあたりの日本海側には弥彦山から連なる山地が控えており、海はまったく見えない。

やがて列車は分水に到着。ここは燕、吉田と並ぶ燕市の街の一つで、駅周辺には市街地が広がっている。乗り合わせた乗客のうち、半数ほどがこの駅で下車し、車内の混雑も落ち着いた。分水という地名は、列車がこの先で渡る川に由来している。

分水を発車すると、列車は長い鉄橋を渡る。この川は大河津分水と呼ばれる、信濃川の分水路。約100年前、明治から大正にかけて、越後平野の洪水対策として造られた人工の河川である。
日本一の長さを誇る信濃川は、長野県・埼玉県・山梨県の三県境、鉄道で言えば小海線沿いに源を発し、佐久、善光寺、松本、飯山、魚沼など、いくつもの盆地からの水を集めて流れていく。その流域では度々氾濫が起きてきた。越後平野は周囲を山や砂丘に囲まれて水はけが悪く、現在では日本有数の米どころとして知られているものの、かつては沼地のような土地だったという。
大河津分水は、洪水対策と越後平野の土地改良を目的に、明治政府が建設に着手した事業である。この地点で日本海にやや接近する信濃川と日本海とを短絡させる形で整備された。建設にあたっては、日本海側に聳える山を崩して川を通している。川の水を直接海へ逃がすことで、越後平野における信濃川の氾濫は大きく減少し、広大な土地は劣悪な米しか取れない湿地から、日本有数の米どころへと生まれ変わった。

そうした歴史的な大工事の末に完成した大河津分水を渡ると、列車は燕市から長岡市へ入った。越後線は長岡駅を通らないが、市域の広い長岡市の北部を横断しており、寺泊から妙法寺までの4駅が長岡市に所在する。
最初に停車する寺泊は、土休日ダイヤで朝の1往復のみ始終点となる列車が設定されている駅。この駅でも数名の乗客が下車していった。越後線は長岡駅を経由しないため、このあたりから鉄道で長岡へ向かうには、やや遠回りとなる。分水、寺泊、そしてこの先の出雲崎からは、それぞれ長岡方面への路線バスが運行されている。また気になるバス路線が一つ増えた。

列車は小島谷に到着し、ここで数分停車して反対方向の普通新潟行きと列車交換を行った。前話で触れたように、越後線は基本的に吉田で運行系統が分かれており、柏崎―新潟間を直通する列車は数本しか設定されていない。対向の列車はそのうちの一本だった。
寺泊付近で越後線は越後平野を抜け、やがて車窓の両側から山が迫ってくる。山深い区間でもなければ、完全に開けた平野でもない。山と田園が入り混じる、その中間ののどかな農村風景の中を、列車は淡々と走っていく。

妙法寺を出ると列車は長岡市を離れ、出雲崎町へ入る。まもなく出雲崎に到着した。出雲崎は江戸時代には北前船の寄港地として栄え、佐渡で産出された金銀の荷揚げを行っていた天領地である。往時の町並みは日本海沿岸に広がっており、駅前からは路線バスに乗り換えることができる。
出雲崎という地名を初めて耳にしたのは小学生の頃だった。ジェロという演歌歌手の『海雪』の一節、「あなたを追って出雲崎 悲しみの日本海」は、当時何度もテレビで耳にした記憶がある。小学生の頃はてっきり島根の出雲のことだと思っていたが、後になって新潟の地名であることを知った。駅周辺には住宅街が広がっているものの、この列車での乗り降りはなかった。

似たような景色が続く越後線だが、出雲崎の次の小木ノ城を出たところで、小さな峠を越える。この峠を境に、並走していた川の流れが変わる。ここで列車は柏崎市へと入った。このまま柏崎市内を走って柏崎駅へ向かうと書きたいところだが、実際は少し異なる。この先には刈羽村があり、列車は柏崎市から一旦刈羽村へ入り、再び柏崎市へと戻る。刈羽村は、飛地を除く村域のほとんどを柏崎市に囲まれた自治体である。
やがて列車は礼拝に到着。この礼拝駅周辺は、日本列島改造論で知られる戦後の政治家、元内閣総理大臣・田中角栄の出身地として知られている。駅からほど近い場所には記念館などもある。

西山を出ると、列車は柏崎市から刈羽村へと入る。頭上には大きな送電線が通過していく。次の刈羽駅の西側には、東京電力の柏崎刈羽原子力発電所が立地している。頭上を走る送電線は、その発電所から延びる送電線の一つだった。
柏崎刈羽原子力発電所は、7基の原子炉を有する世界最大級の原子力発電所で、首都圏へ電力を供給している。ただし、旅行時点では東日本大震災以降続く稼働停止状態が継続していた。なお、旅行日のほんの数日前に新潟県知事が再稼働を容認する方針を示しており、近く再稼働となる予定である。
刈羽駅の西側に聳える山の向こう側に発電所はあるものの、車窓からその姿を見ることはほとんどできない。山の向こうに立つ大きな送電線鉄塔がわずかに確認できる程度だった。

刈羽を出ると、車窓左手に田畑が広がり、列車はその中を進みながら徐々に坂道を下り柏崎市街へと近づいていく。西中通を出ると鯖石川を渡り、いよいよ柏崎市街地へ入った。出雲崎以降、礼拝や刈羽で数名が乗車した程度で、車内の乗客数は大きく変わらないまま進んだ。
市街地の中にある東柏崎で数名の乗客が加わると、次はいよいよ終点の柏崎である。車窓左側から信越本線が近づき、やがて合流。列車は速度を落としながら、終点・柏崎に到着した。

吉田からおよそ1時間10分で、終点の柏崎に到着した。これで弥彦線に続き越後線も乗車済みとなり、新潟県内の鉄道全線の完乗を達成した。初めて新潟県に足を踏み入れてから8年。ようやくこの広大な県域に広がる鉄道路線を、すべて乗り終えることができた。
なお、筆者の乗りつぶしに関するマイルールに基づき、米坂線については代行バスの乗車記録を同線の乗車記録として扱っている。米坂線については、現在も今後の方向性が定まっておらず、JRと沿線自治体との間で議論が続いている。今後の方向性が決まればまた訪ねてみたい。

先ほど訪れた東三条駅と同様に、この柏崎駅にも0番線があり、越後線の列車は基本的にこのホームを使用する。柏崎駅は構内が非常に広いため、越後線のホームはどこか隅に追いやられたような印象を受け、乗客が消えたホームに停車する2両編成の車両もどこか寂しげだった。
列車はこの後、折り返し吉田行きとして運転されるが、この時間も運転間隔が開き、発車までは2時間弱の時間があっま。車内の照明は一度落とされ、列車はしばらくこのまま留置されるようだった。
乗り換え時間を使って柏崎の街を歩いてみる

さて、柏崎駅に到着し、越後線と弥彦線に乗車するというこの日の目的は果たすことができた。この後は翌日の旅に備え、西へ移動していく。
しかし、この時間帯の信越本線は列車本数が少ない。12時46分発の普通列車の次は、14時22分発の特急しらゆき6号、さらに15時27分発の普通列車が続く。特急「しらゆき」には以前乗車したことがあるため、ここでは約2時間の待ち時間を使い、普通列車に乗車することにして、しばらく柏崎の街を散策してみることにした。
柏崎駅は信越本線における主要駅の一つである。駅は、先ほど到着した越後線用の切り欠きホームを含めて2面4線構造となっており、0・1番線と2・3番線の間には数本の留置線がある。このほかにも、現在は使用されていない留置線が構内に多数残されており、かつて旅客・貨物の両面で賑わっていた駅であったことが窺える。現在は貨物列車の発着はないが、駅構内にはJR貨物のオフレールステーションが併設されている。柏崎は水球が盛んな街としても知られており、駅舎には「ようこそ水球の街 柏崎へ」と掲げられていた。

以前、特急「しらゆき」で柏崎駅を通過した際、駅前の風景を見て「都会だな」と感じたことを思い出す。その印象は、駅前に数棟のビルが建ち並んでいたことによるものだった。
駅前にはアーケード通りが続き、どこか昔ながらの面影を残す柏崎の街。その中でひときわ目を引くのが、写真にも写るモダンなビルである。隣に建つホテルとともに駅前を都会的な景観にしているこのビルは、国内有数のお菓子メーカー「ブルボン」の本社である。筆者はすっかりそのことを忘れていて、駅前に出てから思い出した。鉄道ファンのあるあるかもしれないが、物を買うときについ製造元や工場の所在地を確認してしまう癖がある。ブルボンのお菓子にも「柏崎」と書かれており、少し意外に感じた記憶がよみがえった。
柏崎といえば、先ほど越後線の車窓からも近くを通った柏崎刈羽原子力発電所のイメージが強いが、この街はブルボンのお膝元でもある。日本有数の食品メーカーの本社があるだけに、どこか昭和の香りが残る駅前の中で、この一角だけが現代的な雰囲気を放っていた。個人的に好きなブルボンのお菓子は、アルフォート、トリュフ、ブランチュールといったチョコレート菓子。今後はそれらを手に取るたびに、この柏崎駅前のビルを思い出すことになりそうである。

その後は駅前から続くアーケードをしばらく歩き、海の方へと向かった。駅前からしばらくは昔ながらのアーケードが続いている。祝日ということもあってか休業している店も多く、通りはやや閑散としていた。
最近ニュースで取り上げられている熊の影響なのか、あるいは祝日だからなのか、柏崎の街はとても静かで、人の姿をあまり見かけなかった。人口はおよそ7万5千人と、新潟県内では比較的人口の多い都市であるだけに、もう少し賑わいがあっても良さそうに感じたが、やはり人の流れは中心市街地よりも郊外型店舗へ向かっているのだろう。そうした店舗は駅の反対側に多く立地している。

アーケードを抜け、小高い丘を越える。駅から15〜20分ほど歩くと、ようやく海の近くへ出ることができた。柏崎市の臨海部は広い砂丘が広がり、公園や海水浴場として整備されている。ここでは少し砂浜を歩いてみた。
ここ柏崎は隣の長岡と並んで花火大会で知られる街で、毎年7月に大規模な花火大会が開催される。この砂浜はそのメイン会場となる場所である。普段は静かな場所だが、花火大会の夜には多くの人で埋め尽くされ、夜空を花火が彩る。
目の前には日本海の大海原が広がり、遠くには佐渡の山の稜線が見えていた。佐渡まではおよそ50kmほどの距離である。海水浴場から続く海岸線の先には、柏崎刈羽原子力発電所の姿も確認できた。いくつかの建屋と煙突、そして周囲に林立する送電鉄塔が印象的だった。旅行から帰って写真を拡大して見てみると、発電所のさらに奥には、午前中に麓を訪ねた弥彦山の姿も写り込んでいた。

来た道を少し戻り、再び市街地中心部へ向かう。沿道では、車のタイヤをスタッドレスタイヤに履き替えている住民の姿があった。九州に住む筆者にとって、こうした光景は非日常である。九州でも山間部では履き替えるのかもしれないが、雪が積もるのは年に一度あるかないかの筆者の住む地域では、そもそも履き替える習慣がない。こうした何気ない場面にも、旅をしている実感を覚える。
帰りは往路とは少し異なる道を選び、遠回りしながら柏崎駅へ戻った。途中には市民プラザや商業施設が立ち並び、先ほどのアーケードとは対照的に、やや現代的な街並みが広がっていた。公共施設が立派なのは、やはり原子力発電所が立地していることによるものなのだろう。原発が立地する自治体には、国から電源三法交付金が交付されている。柏崎市のホームページによれば、これまでに交付された金額は1,818億円にのぼるという。

駅へ戻った後は、構内のベンチで軽食を取った。何を買おうか迷って、駅に設置されたお菓子の自動販売機を覗くと、当然のようにブルボンのお菓子がずらりと並んでいる。筆者の旅は、昼食の時間をあらかじめ考慮していないことが多く、いつも変な時間に食事を取ることになる。
やがて、直江津からの普通列車長岡行きが到着。先ほど乗車してきた越後線の列車と顔を合わせるようにして発車していった。一見すると何気ない列車の行き違いだが、2つ編成には大きな違いがある。それが編成の向き。前頭部の幌の有無がそれを物語っている。
信越本線と越後線は新潟駅で対面する形となり、吉田―長岡間では新潟を経由して一周する経路が形成されている。そのため、柏崎では信越本線と越後線とで編成の向きが逆転する。物理的には柏崎駅でも両線は接続しているが、こうした事情から、通常は両線を跨って直通運転する列車は設定されていない。この構造は、都営地下鉄大江戸線にもよく似た事例を見ることができる。
信越本線の普通列車で直江津へ

柏崎からは、この日の宿泊先である富山県ほ黒部へ向けて移動を開始。まずは信越本線の普通列車直江津行きに乗車した。信越本線のこの区間は、昨年春の旅で特急「しらゆき」に乗車して以来となる。普通列車に揺られるのは、今回が初めてだった。
信越本線の普通列車は、基本的に長岡で運行系統が分離されている。長岡以西の区間は2両編成が基本となり、本数もやや少ない。乗車した列車は長岡始発だが、柏崎では13分間の停車があった。車内は比較的混雑していたものの、柏崎で下車する人も多く、ロングシートの角に座ることができた。
乗車記録 No.14
信越本線 普通 直江津行
柏崎→直江津 E129系

直江津までの所要時間はおよそ45分。柏崎から柿崎にかけての信越本線は、日本海に沿って線路が敷かれており、信越本線で唯一、海を望む区間となっている。中でも青海川駅は、日本海が目の前に広がる駅として有名だ。もう少し列車本数が多ければ途中下車してみたかったが、日没が迫っていたため、今回は見送ることにした。車窓からも、日本海の姿を垣間見ることができた。昨年から今年にかけて何度か日本海沿いを走っているが、なかなか天気には恵まれない。

柿崎、そしてほくほく線と合流する犀潟を経由しながら、列車は快調に走り続け、定刻どおり終点の直江津に到着した。1日で6本ものE129系の列車に揺られた2日目の旅も、ここでこの車両とはお別れとなる。
新潟県の鉄道路線を乗りつぶす過程で、何度もお世話になったE129系。新潟県内の全線完乗を果たした今、次にこの車両に乗るのはいつになるだろうかと考える。全線を乗り終えたとはいえ、まだ訪れたことのない街は数多く残っている。次はそうした街を訪ねる旅で、またこの列車に揺られることになるのだろう。
鉄道における東日本と西日本の境目、直江津駅で小休憩

初めて新潟県に足を踏み入れた際に訪ねた直江津駅。その後、昨年春にも再訪しており、今回が3度目の訪問となった。北陸新幹線の開業によって、越後湯沢と北陸各地を結んでいた特急列車は姿を消し、大阪と東北・北海道を結ぶ寝台特急も去った。しかし今もなお、直江津駅は新潟・長野・北陸に挟まれた鉄道の要衝であり続けている。
JR東日本の路線として見ると、柏崎―直江津間は盲腸区間となっている。新潟駅では幅を利かせるE129系の姿も、ここ直江津ではどこか肩身が狭そうに見えた。ちょうど日没の時刻を迎え、駅の奥に連なる山々へと太陽が沈んでいく。その横には、雪をいただいた妙高山系の山々が夕日に照らされ、静かに輝いていた。

直江津駅では、えちごトキめき鉄道・日本海ひすいラインの普通列車に乗り換える。この時間帯の先発は糸魚川行きだったため、筆者は次発の泊行きに乗車することにし、それまでしばし行き交う列車を眺めることにした。
いったん改札を出て、記念に駅舎を撮影する。改札を出たのは、窓口に用事があったためでもある。この後は泊へ向かい、そこで乗り換えて宿泊地である富山県・黒部を目指す。現在使用している「えちごツーデーパス」は、えちごトキめき鉄道では市振まで有効。その先は翌日に渡って「あいの風・IR・ハピライン連携 北陸3県2Dayパス」という別のきっぷを利用する。
この「北陸3県2Dayパス」は、指定日に越中宮崎―敦賀間が乗り放題となるデジタル乗車券で、my routeなどで発売されている。両パスの有効区間の関係上、市振―越中宮崎間のみは別途運賃を支払う必要がある。窓口でツーデーパスを提示し、乗り越しの旨を伝えると、その区間のきっぷを購入できるとのことで、280円を支払ってきっぷを購入した。あわせてスマートフォンでデジタルきっぷの購入も済ませ、これで宿泊地・黒部へ向かう準備は整った。

きっぷの購入を終えて再びホームへ戻り、次に乗車する列車の発車時刻まで、行き交う列車を眺めて過ごす。ここ直江津は、鉄道における東日本と西日本の境目の一つ。信越本線、妙高はねうまライン、日本海ひすいラインの3路線に加え、ほくほく線の列車も乗り入れる。今も昔も、さまざまな列車が行き交うターミナル駅である。
かつてはJR東日本とJR西日本の境界駅でもあったが、その役割は現在、上越妙高駅に譲っている。しかし、えちごトキめき鉄道では、妙高はねうまラインでJR東日本からの移籍車両が活躍する一方、日本海ひすいラインではJR西日本系の車両をベースとした気動車が導入されている。今もなお、”西日本顔”と”東日本顔”の車両が行き交う場所であることに変わりはない。
えちごトキめき鉄道日本海ひすいラインの普通列車で泊へ

直江津からはえちごトキめき鉄道・日本海ひすいラインの普通列車泊行に乗車した。終点の泊は富山県に位置し、この列車は市振から先であいの風とやま鉄道へ乗り入れる。2017年に一度乗り通したことのあるこの区間の普通列車だが、8年ぶりに再び全区間を乗車することとなった。
乗車したET122系は、JR西日本が姫新線などで運用しているキハ122系をベースに、えちごトキめき鉄道が導入した気動車である。今回乗車した列車は、1両目が転換クロスシート主体の一般車、2両目がボックスシートを備えたイベント対応車両という編成だった。日本海ひすいラインは糸魚川駅の東側に交流・直流の切り替えを行うデッドセクションがある。このあたりの旧北陸本線は利用客が比較的少なかったこともあり、第三セクター移管に際して交直流電車ではなく気動車が導入された。
乗車記録 No.15
えちごトキめき鉄道日本ひすいライン
普通 泊行 直江津→泊 ET122系
理由は定かではないが、直江津駅では信越本線と日本海ひすいラインとの接続があまり良くなく、この列車も新潟方面からの快速列車が到着したのとほぼ同時に発車した。車内の乗車率は、各列の窓側が埋まる程度。2両目も同じくらいの混み具合だったのではないかと思われる。今回は日没後の乗車となり、車窓を楽しむことはできなかった。トンネル区間が多い日本海ひすいラインは、トンネルとトンネルの合間に港町の駅を挟みながら、静かに西へと進んでいく。

糸魚川駅で多くの乗客が下車し、車内は一気に閑散とした。どの地域でも、やはり県境を跨ぐ区間では乗客が減る傾向がある。古くから交通の難所として知られる親不知を経て、列車は富山県へと入る。車内には、日本海から吹き付ける強風の轟音が響いてきた。
市振までがえちごトキめき鉄道・日本海ひすいラインで、次の越中宮崎からはあいの風とやま鉄道の駅となる。列車そのものや運転士、車内放送に変化はないが、駅名標のデザインが変わることで、鉄道会社が切り替わったことを実感する。
真っ暗な車窓を眺めていると、遠くに海に浮かぶ漁船と思しき灯りが点々と見えた。海そのものは見えないが、その灯りが、すぐ近くに日本海が広がっていることを静かに示している。直江津から約1時間15分、列車は終点の泊に到着し、旅の舞台は新潟県から富山県へと移った。

泊に降り立つのは、これで3回目となる。これまでの2回はいずれも、ここで糸魚川方面・富山方面へ折り返したが、今回は初めて列車を乗り継ぐために下車した。時間帯によっては、このホームで両方向の列車が縦列停車し、スムーズに乗り継げるようになっているが、この時間帯はそうした接続はなく、しばらくホームで次の列車を待つことになった。
日本海からの冷たい風が、ホームを吹き抜けていく。やがて、先ほどまで乗っていた列車は折り返し、普通直江津行きとして泊を発車していった。そのテールランプが夕闇の中に消えていく。遠くから、風に乗って列車の走行音と踏切の警報音が聞こえてくる。どこか哀愁を感じさせる、印象的な光景だった。
泊であいの風とやま鉄道に乗り継ぎ宿泊地・黒部へ

やがて今度は富山側から列車の走行音が聞こえてきて、富山方面からの泊行き普通列車が到着した。この列車が折り返しとなる普通列車金沢行きに乗車し、この日の宿泊地である黒部へ向かう。乗車したのは、あいの風とやま鉄道の521系電車。先ほどまで乗っていた223系顔の気動車から、交直流電車へと乗り継ぐことになった。
乗車記録 No.16
あいの風とやま鉄道 普通 金沢行
泊→黒部 521系

勝手に2両編成だと思い込んでいたが、実際には4両編成だった。521系はもともとJR西日本の車両として活躍していたもので、北陸新幹線の金沢延伸に伴い、あいの風とやま鉄道へ移管された車両である。車内は関西をはじめとする西日本各地でもおなじみの雰囲気で、西日本側に住む筆者にとっては、どこか落ち着く空間である。
数時間前までJR東日本の車両に乗っていたことを思うと、ここで改めて東日本から西日本へと移動してきたのだという実感が湧いてくる瞬間でもある。最後尾の4両目に乗車していたのは、わずか3人。まだ19時台ではあるものの、3連休最終日ということもあってか、途中駅から乗ってくる人もほとんどなく、そのまま黒部に到着した。黒部で下車したのも、結局は筆者一人だけだった。

事前に購入し、この日から使用を開始した「あいの風・IR・ハピライン連携 北陸3県2Dayパス」を駅員に提示して改札を出る。新潟から始まった2日目の旅は、越後線と弥彦線の乗りつぶしを終え、柏崎から西へと進み、ここ黒部で締めくくることになった。
さて、旅はここから折り返しとなる。3日目も早朝から行動を開始し、まずは黒部から宇奈月温泉へ。黒部川の峡谷をゆくトロッコ列車に乗車した後、一部区間の廃線も取り沙汰されている富山地方鉄道本線の乗りつぶした。