【旅行記】新潟・北陸乗り鉄ぶらり旅~富山地方鉄道本線を乗り通し、並行在来線で敦賀を目指す〜
3日目は富山県黒部市を訪ねている。黒部駅前のホテルを早朝に出発し、始発列車で宇奈月温泉を訪ねた後は、黒部峡谷鉄道のトロッコ列車に乗車し、猫又まで往復した。ここからは富山地方鉄道本線を走破して電鉄富山へ。その後は普通列車を乗り継いで、福井県の敦賀を目指した。
存廃議論が進む富山地鉄本線を乗り通す

トロッコ列車で宇奈月へ戻った後は、やまびこ展望台で列車を眺め、駅前にある黒部川電気記念館を見学し、温泉街をしばらく歩いて回った。早朝の温泉街は静まり返っていたが、10時を過ぎると街は観光客で賑わい始める。訪日客の姿も多く、昔ながらの街並みを背景に、熱心に写真を撮る人の姿も見られた。
40分ほど散策した後、富山地方鉄道の宇奈月温泉駅へ向かう。ここからは朝に電鉄黒部から乗車した富山地方鉄道本線に再び乗車し、今度はこの路線を乗り通して電鉄富山へ向かう。
富山地方鉄道本線は、電鉄富山と宇奈月温泉を結ぶ全長53.3kmの路線である。富山地方鉄道の路線の中では最も長く、富山県東部を東西に横断している。筆者はこれまで、不二越・上滝線や立山線に乗車した際に、電鉄富山〜寺田間については乗車しているが、それ以東の区間にはまだ乗車したことがなかった。今回はこの未乗区間を含めた全線を乗り通し、富山地方鉄道の全路線完乗を目指す。
富山地方鉄道は今年7月、本線および立山線の一部区間について、自治体からの支援が得られない場合、2026年11月をもって廃止すると発表した。富山地方鉄道と沿線自治体は、昨年から路線の今後の在り方について検討会を立ち上げていたが、目立った進展が見られない中での発表となった。真剣な議論を促す意図があったとされるものの、沿線地域にとっては衝撃的な内容だった。
この発表をきっかけに、各路線ごとの議論が本格化し、立山線については存続という結論が示された。一方で、本線については現在も議論が続いており、今後の行方は定まっていない。
本来であれば、黒部峡谷鉄道の全線復旧を待ってから訪れるつもりだったが、来年以降の運行についても不透明な状況が続いている。そうした事情を踏まえ、早めに乗車しておいた方がよいと判断し、今回の旅では目的地を一部変更し、訪問を前倒しすることにした。

乗車したのは11時40分発の普通・電鉄富山行き。14760形の2両編成での運転だった。富山市街地付近では、不二越・上滝線や立山線への列車も乗り入れるため、本線は列車本数が多い。平日は途中の上市までは、本線系統の列車が毎時2〜3本程度運転されている。
その先の上市〜新魚津間は、本線の中で最も列車本数が少ない区間で、1〜2時間に1本程度の運転となる。一方、新魚津〜宇奈月温泉間では本数がやや増え、電鉄黒部〜宇奈月温泉間には観光輸送を目的とした特急「くろべ」も運転されており、1時間に1〜2本の列車が設定されている。
宇奈月温泉発の普通列車は、基本的に電鉄富山行きとして運転されているが、日中時間帯には一部列車が新魚津発着となり、普通列車の運転が2時間ほど途切れる時間帯がある。筆者が乗車した列車の前後は、まさにその時間帯にあたり、先発と次発の普通列車はいずれも新魚津行きとなっていた。
乗車記録 No.20
富山地方鉄道本線 普通 電鉄富山行
宇奈月温泉→電鉄富山 14760形
黒部川に沿って黒部の市街地を目指す

15人ほどが乗車し、列車は宇奈月温泉を発車した。温泉街を抜け、トンネルをくぐると、黒部川に沿って走っていく。川と線路の間には林が広がる区間が多く、黒部川をしっかり眺められる場所はそう多くない。次の音沢までは駅間距離が比較的長く、列車は快調に飛ばしていく。

列車はやがて内山に到着。小さな駅ながら行き違いが可能な駅となっている。まるで昔にタイムスリップしたかのような駅舎が、今も現役で使われている。ノスタルジーという言葉がよく似合い、旅情を掻き立てられる。旅のアクセントとしては魅力的だが、一方で、こうした設備が更新されずに残っている点に、地方鉄道の経営の厳しさも垣間見える。

次の愛本駅では、駅の隣に新愛本変電所という大きな変電所があった。こちらも関西電力の設備らしい。この駅を出ると、列車は黒部川沿いを離れ、日本海側の平野へと出ていく。列車は少し高い場所から周囲を見渡しながら、下立、下立口と停車しつつ、下り坂を進んだ。

やがて車窓には、のどかな田園風景が広がり始める。このあたりの日本海側には、黒部川河口部の扇状地が広がっている。列車はこの扇状地の緩やかな傾斜を、日本海へ向かって下っていく。舌山では、対向の新魚津発・宇奈月温泉行き普通列車と行き違った。対向列車は、元西武5000系「レッドアロー」の16010形である。舌山を出ると、車窓に巨大な駅が現れ、まもなく新黒部に到着した。

新黒部は北陸新幹線・黒部宇奈月温泉駅との接続駅である。両駅は直結してはいないが、押しボタン式信号の横断歩道を渡るだけで乗り換えが可能となっている。宇奈月温泉への観光客輸送や、黒部・魚津など富山県東部地域への利便性を考慮し、富山地方鉄道との交差地点に駅が設けられ、地鉄側もここに駅を整備した。ここでは乗客のおよそ半数が下車していった。
新幹線が開業する以前は、魚津駅で地鉄に乗り換えるか、富山から直接地鉄に乗車して宇奈月温泉へ向かうのが一般的だった。現在では、黒部宇奈月温泉駅と新黒部駅での乗り換えが主流となっている。今回は地鉄本線を走破することが目的のため利用しなかったが、次回黒部峡谷鉄道を訪れる際には、このルートを使ってみたいと思っている。このように、新幹線の開業によって人の流れが変化したことも、地鉄本線の存廃議論に大きな影響を与えているのだろう。なお、平成初期には大阪方面からの特急「雷鳥」や「サンダーバード」が地鉄に乗り入れ、立山や宇奈月温泉まで運転されていた時代もあった。

新黒部を出ると、列車は徐々に市街地へと入っていき、この日の朝の旅の起点となった電鉄黒部に到着した。出発時はまだ暗かったため、明るい時間帯の黒部市街地を眺めるのはこれが初めてである。電鉄黒部は、電鉄富山・宇奈月温泉両方向への始発列車が設定されており、地鉄本線の中でも主要な駅に位置づけられる。駅構内には検修庫があり、夜間には車両の留置も行われている。駅の裏手には地鉄バスの営業所が併設されており、これもまた地方私鉄らしい光景だった。
あいの風とやま鉄道と並走しながら魚津・滑川へ

ここまで黒部川に沿う形で西へ進んできた地鉄本線だが、黒部を出ると進路を南へと変える。その直前で、あいの風とやま鉄道の線路をオーバークロスし、この先しばらくは同線よりも富山湾側を走っていく。列車はやがて片貝川を渡る。背後には雪をまとった立山連峰が、悠然とした姿でそびえていた。この日は曇り空で、この後は天気が下り坂になる予報だったが、その山の姿を地鉄本線の車窓からしっかりと眺めることができた。

直後に停車した経田では、高校生が大勢乗車してきて、車内はやや混雑した。駅の近くには魚津工業高校がある。昼前の時間帯ということを考えると、期末テストの期間中なのだろうか。そんなことを考えているうちに、列車は魚津の市街地へ入り、新魚津に到着した。

地鉄本線は魚津市街地に入るところで、あいの風とやま鉄道と合流する。この先しばらくは両線が並走しながら富山を目指す。魚津は、富山市以東の富山県内では最大の都市で、人口は約3万8千人。先ほど通過した黒部や、これから通過する滑川とも近接しており、富山県東部地域の中心都市としての役割を果たしている。新魚津駅は、あいの風とやま鉄道の魚津駅に隣接しており、現在でも新幹線を使わずに富山から宇奈月温泉へ向かう場合、この駅での乗り換えが一般的である。
駅の雰囲気は、九州で例えるなら福岡県の大牟田駅にどこか似ている。直前の経田で乗車した高校生たちは半数ほどがここで下車したが、そのまま乗り続ける人も多かった。特急列車が運転されていた時代には、大阪からここ魚津まで走る特急「サンダーバード」も設定されていた。筆者が子どもの頃、通っていた病院の医師が富山出身で、帰省時に撮ってきたよと見せてもらった写真の中に、魚津行きのサンダーバードがあったことを思い出す。

新魚津では短時間の停車ののち、対向の宇奈月温泉行き普通列車と行き違う。ここから先、上市までの区間は日中の本数が減り、この時間帯は上下とも2時間に1本の運転となっている。
新魚津を出ると、列車は高架橋へと上り、魚津の市街地を高い位置から眺めながら進む。隣を走るあいの風とやま鉄道線も同様に高架となっており、3本の線路が並走する区間が続く。次の電鉄魚津は高架駅で、その車窓風景は、まるで大都市の大手私鉄の路線を走っているかのようにも感じられる。西魚津を過ぎると市街地は終わり、車窓は再びのどかな風景へと変わっていった。

ここまでは地鉄が富山湾側を走ってきたが、この先で立場が入れ替わり、今度はあいの風とやま鉄道が富山湾側を走るようになる。両路線が入れ替わる地点で、列車は越中中村に到着する。ここから数百メートル先には、あいの風とやま鉄道の東滑川駅がある。このあたりで、泊行きの普通列車が颯爽と車窓を通過していった。
この先、滑川までは、車窓にあいの風とやま鉄道の線路を眺めながら進む。富山地鉄本線は途中にも多くの駅があり、小さな地区にもこまめに立ち寄りながら走っていく。こうした風景からは、かつて国鉄・JRだった路線と、地域密着型の私鉄路線との役割の違いがにじみ出ている。各駅で数人ずつ乗り降りする様子を見ていると、存廃議論は「あいの風とやま鉄道があるから問題ない」という単純な話ではないことがよく分かる。
そもそもこの区間は、かつてJRと私鉄が並走していたが、現在はJRが第三セクター化されたことで、私鉄2路線が並走・競合する、地方では珍しい区間となっている。

列車はやがて滑川の市街地へ入り、滑川に到着した。車窓に見えるあいの風とやま鉄道の滑川駅が2面3線の構造であるのに対し、こちらは1面1線の簡素な駅である。しかし、この駅でも10人ほどが乗車し、車内は再び賑わいを見せた。現在走ってきた魚津〜滑川間は、あいの風とやま鉄道との並走区間であり、本線の存廃議論における最大の焦点となっている区間である。
この列車に限って言えば、車内は閑散としているどころか、むしろ混雑していた。一方で、並行するあいの風とやま鉄道も、富山県をはじめとする自治体の出資を受けて運営されている路線である。今後どのような判断が下されるのか、不透明な状況が続いている。廃止され代替手段が用意されるにせよ、存続が決まるにせよ、地域に暮らす人々にとって最善の選択となることを願いたい。
広い田園風景を駆け抜け、上市で進行方向を変える

さて、しばらくあいの風とやま鉄道線と並走してきた地鉄本線だが、滑川を出ると同線と分かれ、進路を南へ変える。列車は再び田園地帯の中を走っていく。
あいの風とやま鉄道線がこの先も東進し、東富山から南下して富山市街へ向かうのに対し、地鉄本線は先に南下し、上市・寺田を経由して西へ向かいながら富山を目指す。あいの風とやま鉄道線が富山までの途中駅が3駅であるのに対し、こちらは実に16駅。所要時間も15分と45分とで大きな差がある。この所要時間の違いもまた、この路線が抱える課題の一つである。
かつては競合路線として、大都市私鉄のような競争を繰り広げていた国鉄・JRと地鉄だが、新幹線開業に加え、特急列車の廃止によって旧北陸本線自体が地域密着型の鉄道となった現在、その構図は成り立たなくなっている。電鉄富山〜宇奈月温泉間には優等列車も運転されていたが、もともとの所要時間差の大きさや経営状況などの事情もあり、現在は運行されていない。
筆者のような鉄道ファンにとっては、1時間45分かけてのんびり旅するのもまた旅情があって悪くない。しかし一般の観光客にとっては、できるだけ早く温泉街へ向かいたいところだろう。最速50分で到達できる新幹線か、1時間15分のあいの風とやま鉄道線経由を選ぶのが自然な選択と言える。

列車はやがて上市に到着。宇奈月温泉から黒部川に沿って北上し、黒部市街地付近で西へ進路を取り、その後南西から南へと向きを変えてきた地鉄本線は、ここ上市で東を向く。駅名標が示す通り、この駅はスイッチバック構造となっており、電鉄富山・宇奈月温泉の両方面の列車がいずれも西側から進入し、ここで進行方向を変える。これが地鉄本線の大きな特徴の一つである。
この地域の鉄道は、滑川から上市を経て五百石を結ぶ軽便鉄道に始まる。その後、富山から上市までの路線が完成した際、滑川方面からの線路を富山方面の線路と合流させる形に改め、両方向とも上市の市街地へ向かうルートとなった。もともとは現在の上市駅よりもさらに市街地の奥まで線路が延びていたが、魚津や宇奈月温泉への輸送強化が進む中でこの区間は廃止され、合流地点にあった上市口駅が現在の上市駅となった。
このように、現在では富山と宇奈月温泉を結ぶ長大な本線の途中駅となっている上市だが、かつては両方向から路線が集まる終着点的な役割を担っていた。山間部ではない場所で進行方向が変わる鉄道路線はいくつか存在するが、この駅は、合流後に続いていた線路が廃止された結果としてスイッチバック構造が残った例にあたる。その成り立ちは、一畑電車の一畑口駅にも通じるものがある。

筆者は2両目の転換クロスシート最前列に座っていたが、ここで座席を後ろへ倒し、反対向きに座り直した。途中で進行方向が変わる路線では、どこに座るかがなかなか難しい。今回は魚津で乗り込んだ高校生たちが、筆者の後ろの座席を倒してボックス状にしていたおかげで、筆者が座っていた座席を倒すと、周囲の座席が見事に富山側を向く形になった。
ここまで日中は2時間程度間隔が空く、本数の少ない区間を走ってきたが、ここから先は日中でも30分に1本程度が運転される区間へと入っていく。発車直前には電鉄富山からの普通列車が到着し、2面3線の上市駅はわずかな時間ながら満線となった。上市で進行方向を変えた列車は、再びのどかな景色を車窓に、今度は西へと進んでいく。
立山線が合流する寺田を経て、富山市街地へ

上市から10分ほどで列車は寺田に到着する。ここ寺田は立山線が分岐する駅である。電鉄富山〜立山間の列車には、昨年(2024年)5月のアルペンルートの旅で乗車しているため、この駅への到着をもって、ついに富山地方鉄道本線、そして富山地方鉄道全線の完乗を達成した。
昔ながらの趣きを色濃く残す寺田駅。本線と立山線がY字に分岐し、両線ともに行き違いが可能な2面2線のホームを備えている。列車はここでしばらく停車し、立山線の立山行普通列車と交換した。この列車からも数人の乗客が乗り換えていった。春から秋にかけての週末には、宇奈月温泉と立山を富山を経由せずに結ぶ特急「アルペン」が運行されているが、この列車はここ寺田で入換を行い、本線と立山線を行き来する。直前の上市でも進行方向を変えているため、2度進行方向が変わる列車である。地鉄本線はここで完乗となったが、この列車の旅は、まだあと20分ほど続く。

寺田を出た後も、車窓にはのどかな景色が広がる。やがて列車は、立山連峰から流れ出る常願寺川を渡った。この路線は黒部川こそ渡らないものの、片貝川、早月川、常願寺川など、北アルプスやその近傍から富山湾へ注ぐ大きな河川を何度も跨ぐ。現在のところ流出は発生していないが、中には老朽化した橋梁もあり、そうした設備更新の費用が地鉄の経営に重くのしかかっている。
筆者が今回、早めに地鉄本線を訪ねたかった理由の一つにも、複数の大きな河川を跨ぐというこの路線の特徴があった。近年は極端な大雨によって、各地で鉄橋の流出が相次いでいるだけに、早めに乗車しておくに越したことはないと考えた。

やがて車窓には住宅が増え始め、地鉄本線は家々の間を縫うように走る区間が多くなっていく。それと同時に各駅で乗り込む人の姿も増え、電鉄富山の一つ手前の稲荷町に到着する頃には、立ち客の姿も見られるようになった。存廃議論の中で、地鉄は電鉄富山〜上市間を自社単独で運営可能な区間としているが、やはり富山市街地側では日中でも一定の利用がある。
各地で第一線を退き、富山で第二の人生を送る往年の名車たちが留置されている稲荷町の車両基地を眺めながら、列車は稲荷町を発車。その後はあいの風とやま鉄道、北陸新幹線と合流し、市街地中心部の景色を車窓に、終点の電鉄富山へと向かう。宇奈月から1時間45分、ついにこの路線を走破することができた。

電鉄富山に到着した列車は、そのまま折り返し、不二越・上滝線経由の普通岩峅寺行に変わった。幕回しとともに、車両の前後に取り付けられていた「宇奈月」のヘッドマークも回収される。行先表示とともに掲出されるこのヘッドマークも、またこの鉄道の伝統の一つである。電鉄富山駅には、そのヘッドマークが展示されている。
立山連峰やのどかな田園風景を眺める、のんびりとした鉄道旅だったが、並行路線の存在や新幹線開業といった周辺交通の変化、それに伴う人の流れの変化、そして地域交通としての鉄道の役割など、さまざまなことを改めて考えさせられる乗車時間でもあった。現在、高架工事が進行中の電鉄富山。次に訪れるときは、もしかしたら工事完了後かもしれない。その時、今の存廃議論がどのような結論を迎えているのかは分からないが、その時にはまたこのホームから、宇奈月温泉行の列車に乗ってみたいと思う。
2日ぶりの喧騒と富山の鉄道旅のこれから

電鉄富山の改札を出て、富山駅前へと出る。久しぶりに大きな街へやってきた。一昨日の夕方、新潟駅以来、街の喧騒から遠ざかっていたため、人が行き交う街の景色にどこかほっとする。昨年、アルペンルートを旅して以来の富山駅。メヌエットのメロディを鳴らしながら路面電車が行き交うこの駅は、筆者の好きな駅の一つである。
富山地方鉄道本線に乗車したことで、富山県内の鉄道路線は、前話で乗車した黒部峡谷鉄道の長期不通区間である猫又―欅平間を残すのみとなった。初めて富山を訪ねた際に乗車した城端線や氷見線、そして万葉線に乗車してから、もう7年が経とうとしている。城端線や氷見線は、数年後にあいの風とやま鉄道へ移管される予定で、それに合わせて新型車両の導入も計画されている。両路線にはその時また乗車してみたい。また、各地からの高速バスや、河川敷に滑走路があることで知られる富山空港も使ってみたいと考えており、今後もこの地を訪ねる機会は多くあるだろう。

富山地方鉄道の路線に目を向けると、同社路線の乗りつぶしは、2018年、当時はまだ富山ライトレールの路線だった富山港線への乗車から始まった。2023年に不二越・上滝線と市内電車の全区間、2024年に立山線、そして今回本線に乗車したことで、ついに全路線を乗り終えた。県内に多数の路線を張り巡らせる富山地方鉄道。昭和の風情を色濃く残す鉄道路線と、全国的にも先進的な取り組みで知られるライトレールや市内電車。その対照的な存在こそが、富山の鉄道旅の大きな魅力の一つだと思う。
富山地鉄本線の議論のその後
ここで、今回乗車した富山地方鉄道本線について、旅行後の動向を書き留めておく。旅行時点では今後の方針はまったく未定で、場合によっては2026年11月をもって一部区間が廃止される可能性もあった地鉄本線だが、その後、沿線自治体と富山地方鉄道による検討会議が行われ、2026年については応急的に沿線自治体からの支援が実施されることとなり、2026年11月での廃止は見送られることとなった。
当初、地鉄は上市-宇奈月温泉間を不採算区間と位置づけ、このうち滑川-新魚津間の廃止を表明していた。その後の検討会議では、同区間の廃止案のほか、滑川-宇奈月温泉間の廃止など、複数のプランが検討された。さらに議論が進む中で、地鉄は不採算区間である上市―滑川間についても自社単独で経営を継続する意向を示した。
こうした経緯を経て、現在は①全線存続、②滑川―新魚津間の旅客営業廃止(線路は回送線として存置)、③同区間の廃線、という三案に絞り込まれて検討が進められている。これにより、新魚津―宇奈月温泉間については今後も運行が継続される見通しとなったが、残る三案についての評価・検討はこれから行われる予定であり、路線の将来は依然として不透明な状況が続いている。
廃線が取り沙汰される路線について、筆者は「不採算だから廃止すべきだ」とも、「鉄道ファンだから残してほしい」とも考えていない。筆者はあくまで、その土地を一度、二度訪れたに過ぎない来訪者であり、地域の実情を十分に理解している立場ではない。その路線が必要か否かを判断するのは、沿線で暮らす人々の意見を尊重すべきだと考えるからである。手段が鉄道であれ、バスであれ、公共交通が地域に住む人たちにとって最適な移動手段であり続けることが何より重要だと考えている。
黒部峡谷鉄道には現在も不通区間があり、宇奈月温泉にはまた数年以内に訪れることになるだろう。その時、地鉄本線がどのような姿になっているかは分からないが、今後の沿線の判断を見守りつつ、再び黒部を訪れる日を楽しみに待ちたい。
北陸新幹線並行在来線各社を乗り継ぎ宿泊地敦賀へ
さて、富山で巡る予定だった2路線も無事に乗りつぶすことができた。ここからは、翌日の旅程に備えて福井県の敦賀へと移動していく。
2024年3月のダイヤ改正で北陸新幹線が延伸され、富山-敦賀間は再び一本の列車で結ばれることとなった。新幹線を利用すれば、富山から敦賀まではおよそ1時間。非常に便利になった一方で、この新幹線こそが最終日の旅のメインである。同じ路線を往復しても面白くないため、ここからはあえて在来線を乗り継ぎ、敦賀を目指すことにした。
在来線を選んだ理由は、もう一つある。新幹線延伸開業に伴い、並行在来線となった北陸本線は第三セクター会社へと移管された。金沢―大聖寺間はIRいしかわ鉄道に、大聖寺―敦賀間はハピラインふくいに、それぞれ運営が引き継がれている。今回の旅では、新たに誕生したこれらの会社区間を改めて乗車することも、大きな目的の一つだった。
筆者の乗りつぶしに関するマイルールでは、運行会社が変更された場合の扱いについて、特段の細かな規定は設けていない。例えば、新京成電鉄が京成電鉄に吸収された事例や、小田急グループの再編によって箱根登山鉄道が小田急箱根へと社名変更されたケースのように、私鉄会社のグループ再編によって運行会社が変わる場合、その路線の性質自体が大きく変わるわけではない。そのため、基本的には過去の乗車記録を引き継ぐことにしている。
一方で、新幹線の開業に伴う並行在来線の第三セクター化は、路線の性格を大きく変える出来事である。かつて多数の特急列車が行き交っていた幹線から、その姿は消え、通勤・通学や買い物など、日常利用を主とする鉄道路線へと役割が変化する。より地域に密着した交通機関へと変わっていく、その変化の大きさを考えると、並行在来線の第三セクター化については、過去の乗車記録を引き継ぎつつも、改めてその路線に乗車し、新幹線開業前後で何が変わったのかを自分の目で確かめながら旅をしたいと考えている。
今回は途中金沢と福井で列車を乗り換えて、3本の列車で敦賀を目指した。
富山から金沢へ、あいの風とやま鉄道の521系に揺られる

電鉄富山に到着後、しばらく行き交う路面電車を眺めて休憩し、その後、あいの風とやま鉄道の富山駅へ向かった。日本海の海の幸や白えびを堪能したい気持ちは山々だが、それらは前回の富山旅で思う存分味わったため、次の旅の楽しみに取っておくことにする。
富山からは前日に引き続き「北陸3県2Dayパス」を利用。改札では駅員にデジタル乗車券の画面を提示し、改札内へ入った。
事前に作成していた旅程では次発の列車に乗車する予定だったが、発車標を見ると先発が4両編成、次発が2両編成と表示されていた。混雑を避ける意味もあり、先発の列車に乗車することにした。
ホームへ上がるとまもなく列車が入線。あいの風とやま鉄道521系で運転される普通・金沢行きに乗り込む。まずは第三セクター化から10年が経過した区間を西へ進む。ここから先は既に乗車経験のある区間のため、記録は簡潔に留めることにする。
乗車記録 No.21
あいの風とやま鉄道・IRいしかわ鉄道
普通 金沢行
富山→金沢 あいの風とやま鉄道521系

富山-金沢間の普通列車に乗車するのは、一昨年春の北陸旅以来だった。それ以前にも数回利用しているため、沿線の風景も比較的見慣れている。この区間は、県境付近の倶利伽羅で会社・路線が切り替わる。
列車は富山平野を西へ進み高岡へ。高岡を出ると次第に山が迫り、やがて倶利伽羅峠を越えていく。日中の4両編成ということもあり、車内は終始空いていた。
IRいしかわ鉄道の途中駅として各社の521系が行き交う金沢駅

富山からおよそ1時間で終点・金沢に到着する。かつて大阪行きの特急「サンダーバード」や名古屋行きの特急「しらさぎ」が次々と発車していた1番ホームに降り立った。新幹線の延伸開業後、この駅を訪れるのは今回が初めてだった。
以前はJR北陸本線とIRいしかわ鉄道の境界駅だった金沢駅の在来線部分も、現在はすべてIRいしかわ鉄道の管轄となった。津幡で分かれる七尾線はJRだが、津幡-金沢間はあいの風とやま鉄道への乗り入れという扱いで走っている。
列車は対面で福井行きの普通列車と接続していた。IRいしかわ鉄道線は新幹線の延伸で、その区間が大聖寺まで延伸された。一部を除き、基本的に金沢を跨いで運転される列車は存在せず、ほとんどの場合で乗り換えが必要である。対面に停車していたのは、ハピラインふくいの車両。このピンク色の車両に出会うのはこれが初めてだった。同社の車両にとって金沢が運用上の東限となっている。

前回訪ねた時には北陸鉄道に乗車後、日本三名園の一つ兼六園を観光した金沢。今回は特段の用事はなく、純粋に乗り換えのために立ち寄った形だった。それでもせっかくなので外の様子も見ておこうと、一旦改札を出て駅前へ向かう。気兼ねなく改札を出たり入ったりできるのもフリーきっぷの大きな利点である。
兼六園口は混雑しており、訪日客の姿が目立つ。一方、西口側は比較的落ち着いていた。今回の旅では、青空が一面に広がる場面はあまり多くなかったが、金沢では澄んだ空が広がり、傾き始めた太陽が駅舎を柔らかく照らしていた。

コンビニで軽食を買い、ホームのベンチに腰掛ける。以前はひっきりなしに姿を見せていた681系・683系の姿はなく、行き交う列車は、あいの風、IR、ハピライン、そしてJRの521系ばかりという光景に、金沢駅の大きな変化を感じる。現在も和倉温泉へ向かう特急「能登かがり火」は運転されており、特急型車両がまったく来なくなったわけではない。それでも、金沢駅で特急車両を目にする機会は、以前に比べて著しく減った。なお、各社の521系が勢揃いするのは、金沢駅だけである。
一方で金沢駅の列車接近メロディは今も健在。これを聴くと北陸に来たなという実感がより一層濃くなった。
7年ぶりに金沢-福井間の普通列車を乗り通す

さて、金沢からはIRいしかわ鉄道からハピラインふくいへ直通する普通・福井行きに乗車した。ここから先の区間こそが、今回あえて在来線経由を選んだ最大の目的である。かつて特急街道だったこの区間も、現在はローカル輸送が中心となり、第三セクター移管後の姿を見るのは今回が初めてとなる。
この区間の普通列車に乗車するのは、初めて北陸を旅した2018年以来である。前日に北陸新幹線で金沢に到着し、北陸旅の第一歩として乗車したのが、この金沢-福井間の普通列車だった(写真は15時台に運転された普通・小松行き)。
乗車記録 No.22
IRいしかわ鉄道・ハピラインふくい
普通 福井行
金沢→福井 IRいしかわ鉄道521系
時刻は16時を回り、学生の帰宅時間帯へと入った。16時台の金沢駅小松・福井方面は、大聖寺行き1本に続いて福井行きが2本運転されている。筆者は15分発の福井行きに乗車した。先発の大聖寺行きは6分発で、乗車した福井行きはその直後を続行する形で走る列車だった。
先発列車に比べればやや空いてはいたものの、それでも多くの乗客を乗せて金沢を発車する。先ほどまで青空が広がっていた金沢だったが、西から発達した雨雲が近づき、西金沢を過ぎたあたりから本降りの雨となった。小松付近で完全に日が暮れ、その後は夜間走行となる。

乗車当初は学生の姿が目立った車内も、時間が進み、小松以西では通勤客の姿が多くなった。新幹線でも移動できるようになった福井方面。福井までの新幹線各駅はいずれも在来線との接続駅ではあるものの、通勤通学の足としては在来線が主に利用されている。
思いのほか県境を越える通勤通学客も多く、列車は混雑したまま終点の福井へと向かう。途中、かつて当たり前のようにすれ違っていた長編成の特急列車の姿がないことに、新幹線開業と第三セクター化の現実を実感させられた。
金沢からおよそ1時間15分で終点・福井に到着。富山や金沢は近年も何度か訪れていたが、福井に降り立つのは2018年以来だった。福井県内の鉄道路線は、2016年と2018年の訪問ですでに完乗しており、その後は特急「サンダーバード」で通過することはあったものの、駅に降り立つ機会はなく、久しぶりの訪問となった。
恐竜が出迎える久しぶりの福井駅

2018年の訪問時は、金沢から普通列車で福井に到着し、そのまま越美北線(九頭竜線)、えちぜん鉄道、福井鉄道を乗りつぶした。1日で周辺の路線を一気に乗り終えてしまった結果、次の訪問まで7年も間が空いてしまったのは、少し考えものだったかもしれない。やはり旅には、ある程度の“宿題”を残して帰ってきたほうが、再訪の動機としてちょうどいい気がする。
久しぶりの福井駅。ここでも一旦改札を出て、駅前の様子を見に行った。在来線の駅舎自体は大きく変わっていないものの、新幹線ホームが新設され、駅周辺の風景は少し生まれ変わっている。
何より目を引くのは、駅前に設置された恐竜のオブジェである。リアルに動き、鳴き声まで響く恐竜がライトアップされている。駅周辺に目立った観光スポットが少なかった福井駅だが、この恐竜たちが、今では立派な観光スポットの役割を果たしている。

実は当初の計画では、この日の移動は福井までとし、福井駅前に宿を取っていた。しかし翌朝の行程に少し余裕を持たせたかったこと、また宿の選択肢が福井より敦賀のほうが多かったことから、直前に予定を変更し、この日のうちに敦賀まで移動することにした。
福井へは、名古屋からの高速バスにも一度乗ってみたいと考えている。えちぜん鉄道や福井鉄道への再訪も含め、また別の機会に改めて訪ねてみたい。

再びホームへ戻ると、ハピラインふくいとIRいしかわ鉄道の521系が並んでいた。金沢方面、敦賀方面への列車が行き交う光景は、今も昔も大きくは変わらない。
福井駅も金沢駅同様に基本的には運行系統が区切られているが、芦原温泉方面から敦賀方面へ直通する列車も何本か設定されている。中には金沢-敦賀間を通しで走る列車もある。IRいしかわ鉄道の車両は福井が運用の西限で、この先、敦賀まではハピラインふくいの車両のみが運行を担当する。

帰宅ラッシュ時間帯の福井駅は、両方向とも通勤・通学客で混雑している。かつては9両や11両の特急列車が発着していたホームも、現在は最大4両編成までとなり、ホームの大部分が使われていない状態である。
その中で、九頭竜線のホームはかなり奥に追いやられた格好となっている。九頭竜線も数年前に大幅な減便が行われ、現在は乗車の難易度が高い路線となった。この路線は分岐駅が一つ先の越前花堂にあるため、福井―越前花堂間の一駅だけ、ハピラインふくいへ乗り入れる形をとっている。
ハピラインふくいの快速列車で3日目の旅を締めくくる

さて福井では、普通列車を3本ほど見送ったのち、18時48分発の快速敦賀行きに乗車した。ハピラインふくい線の福井-敦賀間では、朝夕を中心に快速列車が運転されている。運転本数は1日4.5往復。ラッシュ時の速達輸送を担うと同時に、早朝・深夜帯の1往復は米原まで無停車で走る北陸本線の臨時快速と接続し、新幹線が運転されていない時間帯の福井-名古屋・東京間の移動も支える役割を持つ。筆者が乗車したのは、夜の帰宅時間帯に運転されている敦賀方面行きの最初の快速列車だった。
快速列車は、福井・鯖江・武生・南条・敦賀を基本の停車駅とするが、朝の福井行き、夜の敦賀行きにそれぞれ1本ずつ、南条ではなく今庄に停車する列車がある。今回乗車した列車は、そのうちの1本だった。
通勤・通学客にも好評なようで、福井発車時点で車内はほぼ満席となり、ドア付近にも多くの立ち客が見られた。福井-敦賀間は快速列車で約40分。新幹線の倍ほどの時間はかかるものの、費用面ではこちらに分があり、一定の競争力を保っている。
乗車記録 No.23
ハピラインふくい 快速 敦賀行
福井→敦賀 ハピラインふくい521系
鯖江、武生で多くの乗客が降車した後も車内は混雑したままで、その状況は終点の敦賀まで続いた。列車は長い北陸トンネルを抜け、敦賀へと向かう。鉄道ネットワークの観点から見れば、このトンネルこそが関西と北陸の境目と言える。トンネルの先には交流から直流への切り替えポイントがある。富山からここまで3本の交直流電車を乗り継いできたが、ずっと交流区間を走ってきた。現在の運用ではあいの風とやま鉄道とIRいしかわ鉄道(七尾線用編成を除く)の521系は交直流電車だが、交流区間しか走らない。同様にJR西日本に残った521系も、直流区間しか走行しない。なお、第三セクター各社の521系は車両の検査は大阪のJR西日本の工場で行うため、その回送の際にこのデッドセクションを通過し、直流区間を走る。

福井から約40分で終点の敦賀に到着。富山から3本の列車を乗り継いだ並行在来線の旅も、ここで幕を閉じた。今回は富山から敦賀へ3本の列車で移動してきたが、見事にあいの風とやま鉄道、IRいしかわ鉄道、ハピラインふくいの521系を乗り継ぐことができた。到着後、列車は折り返し快速福井行きとなり、福井へ帰っていく。折り返しの列車にも多くの人が乗車していた。
特急の姿が消え、長距離の旅客輸送の役割を終えた旧北陸本線。並行在来線となり第三セクターへ移管後は、地域に根差した鉄道へと変わり、相変わらず沿線の人々の日常を支えていた。各県ごとに会社が変わるため、今後は各区間で各社の色がより鮮明になっていくことだろう。
前日に訪ねた直江津は、かつての北陸本線の終点だったが、現在はこの敦賀が北陸本線の終点となっている。少し前まで353.8kmを有していた長大路線は、今や45.9kmの区間を残すのみとなり、北陸に足を踏み入れてはいるものの、実態としてはいわゆるアーバンネットワークの一部に収まる路線へと姿を変えた。
ここまで来ると、関西はもう目と鼻の先である。すれ違う人々の話し声からも、関西の空気を感じ取ることができる。北陸新幹線の開業に伴い、北陸の新たな玄関口としての役割を担うことになった敦賀駅。その巨大化した姿は、翌朝じっくりと探訪することにする。
この日は敦賀に宿泊した。福井県に泊まるのは今回が初めてである。いよいよ翌日は旅の最終日。敦賀駅を見学した後、北陸新幹線の「かがやき」に乗車し、延伸区間を走破しながら一路東京へ向かう。旅の本題を東京で締めくくった後は、帰りの飛行機までの時間を使って、関東地方の鉄道を再訪する小さな旅へと出かけた。