【旅行記】大井川鐵道のんびり乗り鉄紀行~大井川本線を介して、川根温泉と金谷を旅する~

大井川の鉄橋を渡る列車を客室から見送る

 川根温泉ホテルに宿泊して迎えた旅の最終日。早朝6時20分、目覚ましのアラームで目を覚ます。カーテンを開けると、ようやく空が白み始め、前日の到着時には暗闇に包まれていた大井川や対岸の景色が、徐々に輪郭を取り戻していた。昨日から谷間には時折強い風が吹き抜けていたが、朝になってもその勢いは衰えない。ゴーッという音とともに風が窓を押し、対岸に並ぶ木々も大きくしなっているように見えた。
 この日最初に乗る列車はかなり遅い時間の発車だが、早起きしたのには理由があった。カメラを手に待っていると、やがて軽快なジョイント音とともに2両編成の普通列車が姿を現した。そう、この列車が大井川を渡る瞬間を見たくて早起きしたのである。
 ホテル最寄りの川根温泉笹間渡駅は、現在の大井川本線の運行区間の終点である。列車本数は少なく、朝のチェックアウト時間までにここを通る列車は、平日のこの日、直前に送り込まれる回送列車と、この普通列車の2本のみだった。まだ車内灯のほうが目立つ薄明の時間帯。列車が鉄橋を渡ると、その明かりが周囲の鉄橋や草木を一瞬照らし出す。その姿を家山方面へ見送るところから、最終日の一日が静かに始まった。

列車の時間が近づくまで、ホテルでのんびり静かな時間を過ごす

 最終日となる3日目は、筆者がこれまで企画してきた旅の中で、もっともスタートが遅い一日となった。この日の目標は前日から乗車している大井川鐵道大井川本線の川根温泉笹間渡〜家山間に乗車して、大井川本線の現在の運行区間を乗りつぶすこと、ただそれだけ。その後は金谷へ戻り、静岡空港から九州へ戻る。しかし、この残された川根温泉笹間渡-家山間が、今回の旅における1番ネックとなる区間だった。それを今回は逆手にとって、たまにはホテルでのんびり過ごすことにした。いつもの旅にはない速度感で旅する。
 
 宿泊した川根温泉ホテルは、大井川鐵道が運営するホテルである。建物の所有は島田市が行い、大井川鐵道は2019年からこのホテルの指定管理者となっている。特にファミリー向けプランの人気が高く、フロント横には列車のヘッドマークに模した受賞歴が掲出されていた。平日には一人旅向けのプランも用意されており、大井川周辺を旅する際には重宝する。同時に、同社の旅行部門が企画するツアーでは、SLやEL列車の乗車後の昼食会場としても利用されている。観光事業を得意とする大井川鐵道にとって、新たな観光拠点のとして使われている。大井川本線が現在川根温泉笹間渡まで運転されているのにも、こうした理由がある。
 最終日に川根温泉笹間渡〜家山間に乗車することにして、このホテルに宿泊したのはいいのだが、ここでも6時台の列車か12時台かという二択に迫られた。6時台の列車に乗れば、最終日の行程にさらに選択肢を加えることができる。しかし、せっかく泊まった温泉宿を早朝6時にチェックアウトするのは、あまりにも惜しく。計画時にはどうするか相当迷った。
 結局、前日の千頭に続き、たまにはゆっくりとくつろぐ旅にしてみようと決断。そうして12時台の列車に乗ることを決め、それまではホテルで穏やかな時間を過ごすことになった。
 
 筆者は普段、ホテルでは素泊まりプランを選ぶ。日常的に朝食を食べる習慣がないこと、そして乗り鉄の朝は早く、朝食時間前に出発することが多いからである。しかし、温泉宿に泊まったからには朝食も楽しみたい。7時を回った頃、朝食会場へ向かった。ひとり旅で朝食を食べに行くのは、おそらくこれが初めてだと思う。
 川根温泉ホテルの朝食は評判が高い。前夜は夕食を付けておらず、周辺に店もないため、1日目に藤枝駅前のスーパーで買っておいたカップ麺とカップライスで済ませた。そのぶん、朝食を心待ちにしていた。バイキング形式で和洋中に、ミニラーメン、そしてデザートまで揃う充実ぶり。なかでもワッフルとコーヒーの組み合わせがとてもよかった。窓の向こうには大井川本線の赤い鉄橋が見える。列車こそ来ないが、その景色を眺めながらの食事は、鉄道ファンにとっては十分に贅沢な時間だった。
 
 その後は10時半頃まで、何をするでもなく大井川を眺めて過ごした。窓を開けると風が通り抜け心地よい。スマホを机に置き、ただ外を見つめる。静かな川の朝。ふと、以前旅した鹿児島・佐多岬への路線バスの旅を思い出した。
 海と川という違いはあるが、あの佐多岬のホテルで過ごした時間も静かで、そして豊かな時間だった。自然の音に安らぎを覚えるのは、人が生き物だからだろうか。情報に囲まれているほうが豊かに思えるが、それは錯覚なのかもしれない。前日の千頭でのひと時と同様に、何もないことの裏側にある豊かさに、静かに気づく時間だった。
 
 川根の上空は、羽田や成田を離陸した西日本方面行きの航空機が多く通過する航路でもある。空を見上げると、伊丹や福岡をはじめ各地へ向かう機影が次々と横切っていく。その中には、自宅の最寄り空港へ向かう便もあった。いつもは空港で見送るの飛行機を、今日は静岡の山間から見上げている。空の上は慌ただしそうだが、ホテルの一室は穏やかな静寂に包まれている。こうして昼前までのんびり過ごす旅も悪くない。
 10時過ぎまで窓際のソファーで横になって過ごし、その後荷物をまとめて10時半過ぎにホテルを出た。乗車する列車にはまだ早いが、少し時間に余裕を持って出たのは、あの赤い鉄橋へ近づいてみようと思ったからだった。

撮影地としても有名な大井川第一橋梁の近くへ

 ホテルをチェックアウトし、客室から見えていた大井川本線の赤い橋へと近づく。ホテルの隣には道の駅川根温泉があり、温泉施設やレストランが併設されている。時刻はまもなく11時。言うまでもなく、外の世界はすでにしっかりと動き出している。のんびりしていたのは筆者だけである。
 世の中の速度から少しだけ取り残されたような感覚。個人的にはそれがとても好きである。そして今回の「のんびり旅」に、これ以上なくしっくりくる感覚でもあった。
 ホテルと道の駅周辺の河川敷はきれいに整備されている。しかし土砂の多い大井川では、細い流れが対岸側に寄っており、こちらから見ると川というより広い河原のようにも映る。金谷側から数えて最初に大井川を渡るこの赤い橋は、大井川第一橋梁という。抜里方は直線で延びるが、橋は途中で緩やかにカーブし、川根温泉笹間渡方のこちら側では美しい弧を描く。その構図の良さから、大井川鐵道屈指の撮影地として知られている。近くのベンチに腰を下ろし、しばらく赤い鉄橋を眺める。ここをSLが渡っていく光景を思い浮かべていた。
 
 橋の下をくぐった先から見上げるこの構図は、幼稚園の頃に見ていた「乗りもの大図鑑」のようなビデオにも登場していたのを、今でも覚えている。SLがこの鉄橋を走る映像や写真は、鉄道ファンであれば一度は目にしたことがあるはずである。
 かつて映像の中で出会った風景と、25年以上の時を経て、いま実際に向き合っている。この時間帯に列車が来ないのが少し惜しい。次にここを訪れるときは、ぜひこの河川敷から行き交う列車を見送りたい。それもまた、大井川本線が千頭まで復旧したときの楽しみとして取っておこうと思う。
 
 その赤い橋のたもとから川根温泉笹間渡駅までは、線路沿いに歩道が続いている。200メートルほど歩けば駅に着く距離だ。途中には「またのお越しを」と書かれた看板が立ち、温泉地らしい風情を感じさせる。歩道の脇には茶畑が広がり、きれいに刈り込まれた茶の木が奥の山の斜面まで整然と並ぶ。陽光を受けて、その緑がきらきらと輝いていた。

現在の運行区間の終端、川根温泉笹間渡から3日目の旅を始める

 木造駅舎が味わい深い川根温泉笹間渡駅。川根温泉ホテルから徒歩5分ほどの距離にあるが、県道からは一本奥まった場所に位置している。駅の周囲には数軒の民家が軒を連ねる。道路までは舗装されているものの、駅前は砂利敷きで、その素朴さがいっそうノスタルジーを誘う。駅舎にはカフェも併設されているが、この日は平日のため閉まっていた。
 川根本町の町営バスは駅前には停車しないが、島田市のコミュニティバスの停留所が駅前の県道上に設けられている。ただし、島田市街へ向かう便は手前の川根温泉ホテルが終点であるため、ここを通るのは家山と笹間川沿いの集落を結ぶ笹間笹間渡線のみ。本数はごくわずかとなっている。
 
 列車の発車まで、まだ30分以上ある。土休日やその前後であれば、この時間帯にEL急行がやって来るが、この日は運休日で列車の姿はない。SLやELが到着すれば賑わう駅も、いまは森の枝が風に吹かれてきしむ音が聞こえるほど静まり返っている。
 そんな中、筆者のほかにも駅に立ち寄る人の姿があった。すれ違いざまに目が合ったので、話を聞くと、市役所の職員さんで、この周辺の調査のため駅も立ち寄ったのだという。
 平時であれば、ごく普通の途中駅にすぎないこの場所。単線のレールはそのまま千頭方面へと続いている。いまはこの先へ向かう列車はないが、カーブの向こうからSLやELが姿を現しそうな、そんな気配がどこかに漂っている。大井川鐵道では千頭までの全線復旧に先立ち、隣の地名駅までの先行復旧を検討している。

南海電鉄で活躍した21000系に乗車し、金谷へ

 静けさの中に身を委ね、しばらくのんびりしていると、遠くから風に乗ってジョイント音が近づいてくる。それはやがて鉄橋を渡る音へと変わり、カーブの先から「普」のヘッドマークを掲げた2両編成の普通列車が姿を現した。
 この列車の折り返しとなる金谷行き普通列車に、筆者は乗車する。川根温泉笹間渡では1人が下車。折り返し準備が整えられたのち、筆者も車内へと足を踏み入れた。
 乗車したのは、かつて南海電鉄で活躍した21000系電車。高野線の山岳区間に対応し、難波-極楽橋間の大運転を担う「ズームカー」の先駆けとなった形式である。大井川鐵道には1990年代に移籍した。2編成が所属しているが、現在稼働しているのはこの1編成のみ。もう1編成は、前日千頭駅で見たとおり、被災区間に取り残され、同駅ホームに留置されたままとなっている。
 「普」のヘッドマークは、南海電鉄時代の姿を再現したものらしい。調べてみると、白地に赤文字で「急」や「試」と掲げて南海線を走っていた頃の写真が数多く見つかる。いまやこの車両が現役で走っていること自体が貴重だが、“動く鉄道博物館”とも称される大井川鐵道にとってはそれが日常であり、普通列車でさえ集客の目玉の一つと言ってよい。
 
 最近再塗装されたようで、車体は新車のように輝いている。一方で車内は往時の面影を色濃く残す。もはや古さを通り越し、ビンテージと呼ぶべき存在感である。無機質とも言える造りが、時代を一周して価値へと転じているのを実感する。
 車体と同じグリーンの床、関西私鉄らしい木目調の壁、そして幾度も補修を重ねたワインレッドの座席。それらが不思議な調和を生み、そこに大井川鐵道という路線の空気が重なることで、いっそう魅力が際立つ。まさにこの路線ならではの味わいである。
 座席は転換クロスシートだが、あらかじめボックス状に固定されている。平日は利用者も少なく、1人で1ボックス使ってもなお余裕がある。座面はやや低く、窓の位置が高く感じられる。そこから川根温泉笹間渡駅のホームを眺めると、いかにもローカル線の旅という趣が漂う。
 古い車両では、窓際に落書きが残っているのも珍しくない。もちろん落書きは許されるものではないが、その文字からこの列車が歩んできた時間が垣間見えるのもまた事実である。筆者が座った座席の窓枠には、「昭和46年6月24日 そろばんからかえる」と記されていた。西暦にすれば1971年。半世紀以上前の落書きが、いまもなお残っている。その頃、この車両は南海高野線で全盛期を走っていたはず。堺か、河内長野か、橋本か。どこで書かれたのかは分からない。だが確かに、この車両が歩んできた道のりを物語っていた。
 
 時刻は正午を回った。この時点で電車にもバスにも乗っていない旅というのは、筆者にとっては異例中の異例である。昨日の今ごろは井川ダム周辺を散策し、井川駅へ戻ろうとしていた。まさに今回の「のんびり旅」を象徴する対比だった。
 やがて12時3分になり、列車はドアを閉め、静かに走り出す。史上最も遅く始まった3日目の行程。まずはこの列車で金谷を目指す。
 
乗車記録 No.16
大井川鐡道大井川本線 普通 金谷行
川根温泉笹間渡→金谷 21000系
 
 川根温泉笹間渡から乗車したのは、筆者ただ1人。2両編成に筆者だけを乗せた列車は、まもなく大井川第一橋梁を渡る。車窓に宿泊した川根温泉ホテルの建物を眺めつつ、列車は川の対岸へと進んだ。
 この先、抜里、家山、大和田と停車していく。家山から先は前日に乗車済みである。したがって家山到着をもって、現在運行されている大井川本線の区間をすべて乗り終えることになる。
 
 橋を渡ると、客室からも見えていた茶畑が車窓いっぱいに広がる。抜里駅周辺はやや開けており、川沿いから山の斜面まで茶畑が続き、その合間に家々が点在している。これぞ静岡らしい風景である。
 川根温泉笹間渡-家山間はわずかな距離である。前話でも話したように、前夜のうちに乗ってしまおうかと迷ったこともあった。しかし、この景色は明るい時間でなければ味わえない。川根温泉に宿を取って正解だったと実感する瞬間だった。
 
 抜里を出ると、広がっていた茶畑も次第に途切れ、川沿いのトンネルへと入る。やがて前日に町営バスで通った駿遠橋の下をくぐり、列車はほどなく家山に到着した。
 この駅への到着をもって、前日に乗った金谷-家山間と合わせ、現在大井川本線で運行中の全区間に乗車したことになった。3日目の目標は、このわずかな未乗区間を乗りつぶすこと。その目的は、この日の“始発列車”が発車してから10分足らずで達成された。しかし、またまだ旅は終わらない。
 家山では地元客らしき数人が乗車し、貸切状態はここで解消された。本数こそ少ないが、地域の足として機能している姿がうかがえる。
 ホーム脇の側線には、緑色のトーマス車両が留置されている。筆者は詳しくないが、これはパーシーというキャラクターらしい。なぜここにぽつんと置かれているのかといえば、トーマス率いるSLが入線した際に並べて撮影できるようにするためである。ただ、普段は静かに佇んでいるだけなので、どこか不思議な、少々不気味な存在にも見えた。
 
 家山を発車した列車は家山川を渡り、大井川の流れに沿って南下する。午後からは天気が下り坂との予報で、空にはうっすらと雲が広がり始めていた。それでも車窓には青空と大井川の流れが続き、列車は軽やかに走る。
 これは古い車両“あるある”だが、車内の暖房は効きすぎるほど効いていた。日差しを受けた車内は汗ばむほどの暑さで、上着を脱いで体温調節をする。かつて国鉄型車両で通学していた筆者にとっては、どこか懐かしい感覚だった。夏の雨の日は冷房が効きすぎて寒く、冬の晴れた日は暖房が強すぎて暑い。温度管理が緻密に制御された現代の車両では、なかなか味わえない体験だと思う。
 
 大和田、福用、神尾と停車しながら、列車は金谷を目指す。効きすぎた暖房と心地よいジョイント音が、次第に眠気を誘う。しかし、眠ってしまうにはあまりにも惜しい。必死に抗いながら車窓に目を向ける。ホテルを出たのは遅かったが、起床は6時半とそこそこ早かった。
 やがて大井川との並走区間が終わり、景色は次第に開けてくる。遠くに新東名の新大井川橋が見えると、車窓は市街地郊外の風景へと変わった。
 
 前日に早朝通過した門出駅。あの時は駅横の観光施設に人影はなかったが、この時間は昼時ということもあり、飲食店が賑わっている様子が車内からも見える。この駅での乗降はなかったものの、続く合格、日切ではわずかに乗客が乗り込み、列車は金谷の市街地へと入っていった。
 川根温泉笹間渡では約5時間半ぶりの列車だったが、家山以南は8時台にも便があるため、およそ4時間ぶりの列車ということになる。本数は少なくとも、地域にとって欠かせない存在であることがうかがえる。
 
 列車は代官町を経て新金谷へ到着した。ここで乗客の一部が入れ替わる。車窓には旧型客舎、そしてホーム奥には12系客車が留置されているのが見える。乗車中の列車も含め、まるで時代を遡ったかのような感覚に包まれる。
 この後はいったん終点の金谷まで向かうが、折り返し列車で再び新金谷へ戻る予定である。帰りの飛行機まで少し時間がある。金谷の街を歩いてみたいと思う。
 
 大井川本線は新金谷-千頭間が自動閉塞で信号機が設置されている一方、新金谷-金谷間はスタフ閉塞方式となっており、駅員が運転士にスタフを手渡す。新金谷を出ると、列車はカーブを描きながら坂を登り、終点の金谷へ向かう。車窓右手には、これまで走ってきた金谷の街並みが広がった。やがて東海道本線と合流し、列車はゆっくりと終点・金谷に到着。川根温泉笹間渡から金谷への現在運行中の区間を走破する40分ほどの普通列車の旅が終わった。
 
 川根温泉笹間渡駅は無人駅で券売機もないため、乗車時に取った整理券を駅員に渡し、運賃を精算した。こうしたやり取りもまたローカル線らしい。基本的に筆者の旅は、主要駅間で列車乗車することが多いため、列車の運賃を整理券で精算する機会というのは、旅の中でもあまりない。
 到着した数分後には東海道本線の熱海行き普通列車が到着する。乗り合わせていた乗客の多くは、足早にそちらへと乗り換えていった。

区間列車で一駅戻り、大井川鐡道の拠点・新金谷へ

 さて、これにて大井川鐵道の旅は終わりかと思いきや、もう少しだけ続く。帰りの飛行機が発着する静岡空港は、この駅から路線バスで約15分の距離にある。現在時刻は12時50分。出発は16時25分と、まだ3時間以上の余裕があった。
 路線バスは遅くとも15時台前半の便に乗れば間に合う。それまでの時間、金谷周辺を歩いてみることにした。金谷の中心は、大井川本線で一駅手前の新金谷駅周辺である。ちょうど乗ってきた列車が新金谷行きとして折り返すので、再び同じ車両に乗り、新金谷へ向かった。
 
 券売機で新金谷までのきっぷを購入し、再び21000系電車へ乗り飲む。金谷は東海道本線との接続駅だが、乗務員の詰所や車両基地は隣の新金谷にある。そのため金谷-新金谷間には区間列車が数往復設定されている。車両の回送や乗務員交代の都合という意味合いが大きいが、同時に市街地中心部と金谷駅を結ぶ役割も担っている。
 とはいえ、日中の区間列車に乗る客は多くない。列車はわずか3人を乗せ、金谷を発車。市街地を車窓に眺めながら、3分ほどで終点の新金谷へ到着した。
 
乗車記録 No.17
大井川鐡道大井川本線 普通 新金谷行
金谷→新金谷 21000系
 
 昨日の朝、そして先ほどと二度通過した新金谷に、三度目にしてようやく降り立つ。ここが大井川鐵道の拠点駅である。駅舎には本社が入り、金谷方には車両基地が広がっている。周辺にはグループ会社でバス・観光事業を担う大鉄アドバンスや、タクシー事業を行う大鉄タクシーの営業所も並び、まさに同社の中枢といえる場所である。
 駅前には、かつてスーパーだったと思われる建物があり、現在はグッズショップ兼窓口として活用されている。また、駅前に駐車場が広がっているのも印象的である。アトラクションとして鉄道を楽しむため、車でここを訪れる人へ向けた設備である。千頭からの井川線もそうだったが、観光資源として鉄道を活用し、その収益を地域に還元する、それが大井川鐵道の営業戦略となっている。
 
 駅前で、乗ってきた車両を撮影する。昔ながらのホーム、旧型客車、そしてズームカー。その組み合わせは、とても令和の光景とは思えない。写真を見ていると、まるで生成AIに描かせた“昔の駅”のようだ。試しにスマートフォンでビビッドやモノトーンのフィルターをかけてみると、自分が生まれるより前に撮影された一枚のように見える。背後に旧型客車を留め置く演出が、この空間の完成度をさらに高めている。
 
 ふと隣を見ると、この日は運休日のEL急行が停車していた。留置されているのかと思いきや、やがて動き出し、入換作業が始まる。今回は普通列車のみの乗車と決め、SLやELは千頭まで全線復旧した際の楽しみに取っておくつもりだった。平日の火曜ゆえ動く姿は見られないと思っていたが、これは思わぬ幸運だった。
 EF65風の塗装をまとったED31形が牽くのは、最近JR西日本から譲渡された12系客車。ED31形もかつては西武鉄道で活躍していた車両である。EF65より車体が短く、どこかBトレシティーの模型のような愛嬌がある。週末を中心とするEL急行運転日には、「さくら」や「富士」といったヘッドマークを掲げて走ることもあるという。21000系とED31形+12系客車の並びは、往年の日本の鉄道の日常を思い起こさせる光景だった。
 ひとしきり駅構内を眺めたあとは、新金谷駅周辺を少し歩いてみることにした。駅の北側を横切るのは旧東海道。まずはこの道に沿って、大井川の河川敷へと向かった。

東海道の難所だった大井川と宿場として栄えた金谷の街

 大井川は、東海道における難所の一つとして知られる。これは地理的条件による難所であると同時に、意図的に作られた難所でもあった。江戸時代、大井川には橋を架けることも、船で渡ることも禁じられていた。そこで渡河を担ったのが川越人足である。旅人は川札を購入し、彼らの肩や蓮台に担がれて対岸へ渡った。
 神奈川の民謡「箱根馬子唄」に「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と唄われるとおり、洪水時には何日も足止めされることが珍しくなかった。両岸の金谷宿と島田宿は重要な宿場として栄え、川会所が置かれて川札の販売や人足の管理を行っていた。橋や船を禁じた背景には軍事的理由があるが、川越人足の生業を守る意味合いもあったという。
 新金谷駅から旧東海道を5分ほど歩いてきた。今立っているのは、金谷側の川会所跡である。その昔、江戸へ戻る人々で、この一帯もさぞ賑わっていたことだろう。今は住宅地の中に立つこの看板が、過去の歴史を今に伝えている。対岸の島田側には博物館もあり、川越えの歴史をより深く学べるのだが、今回は旅程の都合で訪問を見送った。
 
 川会所跡からさらに歩くと、大井川の河川敷に出る。下流域の川幅は広く、このあたりでもおよそ1kmに及ぶ。対岸には島田宿側の川会所跡が見える。川越人足が東海道を行き交う旅人を担いで渡った様子は、歌川広重の『東海道五十三次』や、葛飾北斎の『富嶽三十六景』にも描かれているが、ここがまさにその舞台である。
 この日は雲が広がり、富士山の姿は望めなかったが、島田側の山並みの向こうにその姿を想像する。現在、河川敷はグラウンドとして整備され、市民の憩いの場となっている。遠くには東海道本線の大井川橋梁が見える。上下線別に2本の橋が架かり、上り線は戦後築造である一方で、下り線はそれより約40年早い大正時代の建設だという。鉄橋は何度か架け替えられており、上り線の鉄橋は4代目にあたる。
 しばらく待っていると、背後の山からジョイント音が響き、315系と313系の普通列車が颯爽と橋を渡っていった。わずか30秒ほどで対岸へ渡り、島田の市街地へ消える。河口に近い雰囲気を漂わせるが、ここから河口まではまだ約15kmある。鉄橋の下流側には観光名所の蓬莱橋、さらにその先には2日前に渡った東海道新幹線の大井川橋梁がある。
 
 旧東海道の近くには、何連ものトラスで対岸へ渡る道路橋、大井川橋が架かる。現在はバイパス開通により県道の橋となっているが、かつては国道1号の橋だった。川越制度は明治初期の1870年に廃止され、その後木橋が架けられたが、洪水で何度も流失した。現在の橋は1928年完成。全長1,026m、トラスは17連を数えるという。併設の歩道橋を渡れば、対岸まで約15分。橋のたもとには土木学会選奨土木遺産の碑が立つ。今日は朝から橋ばかり眺めている。橋もまた地域のランドマークであり、歴史を語る存在である。
 
 大井川を後にし、コンビニに立ち寄ってから新金谷駅へ戻る。当初は14時台の普通列車で金谷へ戻る予定だったが、発車まではまだ時間がある。ここから歩けば列車と良い勝負になりそうだったので、東海道をたどり、金谷駅まで歩くことにした。
 旧東海道を先ほどとは逆方向へ歩き出す。細い道はやがて拡幅された通りへと変わる。江戸時代、旅籠が軒を連ねた金谷宿の面影は、今は昭和の香りを残す商店街に姿を変えている。緩やかな坂を上りながら、建物前の案内板にかつての本陣の位置を知る。往時の賑わいに思いを巡らせるのもまた楽しい。
 途中にはしずてつジャストラインのバス停が立っている。金谷と島田を結ぶ路線のほか、金谷駅からは牧之原市の相良方面へ向かう系統もある。旅に出ると、不思議なことに、乗りたい路線が増えてしまう。全線復旧後に再訪する際には、周辺のバス路線巡りもしてみたい。旅というのは、訪れる先の解像度を少しずつ上げていくもの。今回もいろんな発見があった。
 
 金谷駅まであと一歩というところで、建物の向こうから列車の走行音が聞こえた。先ほど乗車した21000系電車が建物の裏を通過していく。競争していたわけではないが、列車が先に到着。少し遅れて、筆者も金谷駅にたどり着いた。昭和の街並みと元南海21000系の組み合わせは実によく似合う。ここに最新型車両が停まっても、同じ味わいは出ないだろう。
 
 新金谷から歩くこと約20分、金谷駅へ戻ってきた。これで今回の旅の本題は終わりである。一部区間が運休中の大井川鐵道。昔ながらの電車に揺られ、奥大井の絶景を目にした時間は、これからも記憶に残るだろう。今回は運行区間の普通列車に乗り、公共交通としての姿を体感した。全線復旧は2029年頃の予定である。また数年後、再び金谷を訪れ、千頭行きの列車に乗れる日を楽しみにしたい。そして、次に来るときは、牧之原や御前崎方面など周辺の街も巡ってみたいと思っている。

金谷と富士山静岡空港を結ぶ路線バスに乗車

 さて、金谷からは帰りの飛行機が発着する静岡空港へ向かう。駅に着くと、ちょうどよいタイミングで空港行きのバスが発車を待っていた。予定より少し早いが、その便に乗り込むことにした。
 金谷駅は静岡空港の最寄り駅である。ここから空港までは、概ね毎時2本程度の路線バスが運行されている。所要時間はわずか15分ほど。東海道本線からの乗り継ぎも良く、県内各地からのアクセスに便利である。
 
乗車記録 No.18
大鉄アドバンス 富士山静岡空港金谷線
JR金谷駅→富士山静岡空港
 
 大井川鐵道とは金谷で別れたが、この区間の路線バスを運行しているのも大鉄アドバンス。最後の最後まで、大井川鐵道グループのお世話になることになる。直近の出発便まではまだ時間があり、車内の乗客は筆者を含めて4人だけ。バスは金谷駅を出るとすぐに牧之原台地へ向けて坂を上り始める。先ほどまで歩いていた金谷の市街地や大井川の河川敷を一望しながら進み、遠くにはうっすらと富士山の姿も見えた。台地に上がると、一面に茶畑が広がる。一度、左折してしばらく直進すると、ほどなく空港に到着した。

久しぶりの静岡空港、FDA静岡-福岡線で旅を締めくくる

 静岡空港を利用するのは今回が2度目。前回は遠州鉄道や岳南電車などを巡った「愛知静岡鉄道ぶらり旅」の最後に新静岡からバスに乗車してここへ来て、FDAの熊本線を利用した。その後、静岡-熊本線は多客期のみの運航となり、普段は運航されなくなった。九州方面へは福岡と鹿児島の2路線が毎日運航されている。鹿児島線にも搭乗してみたかっが、今回は時間が合わず、王道ともいえる福岡線を選んだ。
 
 フジドリームエアラインズ(FDA)の静岡-福岡線は、2025年冬ダイヤでは1日3往復が設定されている。このうち夕方から夜間の1往復は指定日運航で、筆者が利用した日は運航がなく、朝と夕方の2往復のみだった。
 FDAにはこれまでも何度か搭乗しているが、今回は初めてJALのコードシェアを活用し、JALで航空券を購入し搭乗した。多くの場合、コードシェアが設定されていても運航会社で直接買った方が安い。しかし、今回はJALで買った方が安かった。筆者はマイルをJALで貯めているので、これはとても好都合だった。
 この日の静岡空港発の国内線は、筆者が搭乗した便が最終便。国際線ではその後にチェジュ航空の仁川行きがあるが、まだ時間があり、空港内も閑散としていた。なお、静岡空港はANAも新千歳・那覇線で就航しているが、筆者が利用したまさにその日に、冬ダイヤ以降の事実上の撤退が発表された。今秋以降、国内線で定期便を運航するのはFDAのみとなる。
 FDAはEmbraer E170とE175を運用しているが、今回は初めてE170に搭乗した。E170は現在2機が活躍し、いずれもFDAの就航当初から同社路線を支えている(写真は過去に撮影した搭乗機)。
 
乗車(搭乗)記録 No.19
FDA145便
富士山静岡空港→福岡空港 Embraer 170
 
 ツアー客の利用もあり、搭乗便はほぼ満席。定刻通りに出発し、滑走路30から離陸した。旋回して機窓側に遠ざかる静岡空港を眺め、太平洋上へ。御前崎付近で大きく旋回し、その後は名古屋方面へ進路を取る。
 しばらくは雲に覆われて景色は見えなかったが、機内で飲み物とFDA名物のシャトレーゼの「梨恵夢」が配られる頃には愛知上空に差しかかり、この辺りから機窓の景色を楽しめるようになった。中部国際空港、大阪市街、瀬戸内海周辺と、雲の切れ間から地上を望むことができた。この旅の冒頭で訪れた大阪や、夜行バスで通過した街を空から見下ろすと、いつも不思議な感覚になった。
 
 関門海峡から北九州付近までは晴れていたが、福岡市街が近づくにつれ雲が厚くなっていった。この日は福岡市内周辺だけが雨模様だった。北風かつ悪天候のため、背振山地を越えて筑後平野側から回り込む進入経路で福岡空港へ向かう。揺れの可能性がアナウンスされたが、大きな揺れはなく、雲を抜けると鳥栖市街と鳥栖JCTが見えた。その後は順調に降下し、福岡空港に着陸。定刻より約10分早くターミナルへ到着した。
 暗くなった福岡空港に降り立つ。静岡空港の静けさとは対照的に国内有数の利用者を誇るこの空港は多くの人で賑わっている。数日、喧騒から遠ざかっていたので、少しその雰囲気に気後れしそうになった。その後は地下鉄などを乗り継いで、帰宅。大井川鐵道を訪ねる、のんびりとしながらも充実した3日間の旅を終えた。

おわりに

 列車やバスといった公共交通を使うという旅の軸はそのままにしつつ、いつもより少し速度を落として「のんびり」と巡った今回の旅。普段の旅でも街を歩く時間は設けているが、今回は改めて、単に路線を乗りつぶすだけではなく、駅周辺の街や景色に触れ、その土地の空気感を味わうことの楽しさを実感する機会となった。
 1日目は、あえて「こだま」を選び、大動脈で多くの列車に追い抜かれながら東京を目指した。各駅に停車し、街と街を結びながら走る「こだま」の姿は、速達型の「のぞみ」では見えてこない東海道新幹線のもう一つの顔である。車窓の景色自体は変わらない。それでも、よりじっくりと眺めることができたのは大きな収穫だった。
 2日目以降に訪ねた大井川鐵道では、大井川本線の一部不通という現状を目にしつつ、井川線の終点・井川まで足を延ばした。車窓から望む大井川の美しさはもちろんのこと、井川や千頭、そして川根温泉ホテルで過ごしたゆったりとした時間も印象深い。静けさや、飾らない街の雰囲気に身を置いたひとときは、とても貴重なものとなった。
 今回の旅では、改めて「旅とは何か」「豊かさとは何か」を考えさせられた。乗りつぶしを一つの趣味としながらも、効率だけを追い求めるのではない。それをきっかけに鉄道や街、景色と出会い、その土地に溶け込むこと。観光地として整えられた姿だけでなく、ありのままの街の空気を味わうこと。それこそが、私にとっての旅なのだと再認識した。
 大井川鐵道は、2029年の全線復旧が見込まれている。再開の日には、再びこの鉄道を訪ねたい。そのときは周辺の路線バスにも乗り、この地域のさまざまな「乗りもの」に触れながら、また静かな時間を過ごせることを楽しみにしている。

 

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今回初めて乗車した路線・区間

【鉄道路線】
大井川鐡道 大井川本線 金谷-川根温泉笹間渡
大井川鐡道 井川線 千頭-井川
【バス路線】
JR東海バス 新宿・渋谷-静岡線(直行便) バスタ新宿-静岡駅前
川根本町町営バス 家山-千頭線 家山駅-千頭駅間
大鉄アドバンス 富士山静岡空港金谷線 JR金谷駅-富士山静岡空港