【旅行記】まだ見ぬ九州に出会う旅 沖永良部島・徳之島編~沖永良部バス空港線・永嶺線で島を巡る~

 
 鹿児島空港から早朝の飛行機で降り立った沖永良部島。空港前で離島へ来たその余韻に浸った後、いよいよここから島を巡る旅を始める。空港からは路線バスに乗車。2つの路線を乗り継いで、島内をぐるっと一周した。

沖永良部バス企業団の空港線で、和泊経て終点知名へ

 沖永良部空港からは沖永良部バス企業団の空港線知名行きに乗車した。沖永良部島はこの沖永良部バス企業団が路線バスの運行を担っている。「企業団」という言い方はあまり聞き慣れないが、これは複数の自治体が共同で公営企業を設立する際に使われるもの。形態としては株式会社などではなく、特別地方公共団体に分類される。他の地域では、上下水道の管理や地域病院、消防の広域組合などがこの形態をとることが多い。
 この日も翌日も、沖永良部島内ではこの組織が運行する路線バスとデマンドバスのお世話になる。主に観光で一日中利用する人向けには「一日乗車券」が用意されているのも嬉しい。早速、運転士に話しかけ、一日乗車券の購入を願い出る。運転士さんは優しく対応してくださり、「まずはどこに行くの?」と声をかけてくれた。
 一日乗車券は1,200円で販売されている。午後に乗車するデマンドバスにも利用できるので、利便性も高い。渡されたのは、A2の紙を両面印刷し、何度か折りたたんだ乗車券だった。表紙が乗車券になっていて、中を開くと路線図などが印刷されている。一般に一日乗車券を購入すると、別にリーフレットが渡されることも多いが、ここでは一枚の紙がその両方を兼ねている。
 
乗車記録 No.2 沖永良部バス企業団 空港線 知名行 沖永良部空港→知名
 
 しばらくターミナル前に停車していたバスは、発車時刻になるとドアを閉めて静かに走り出した。空港発車の時点で、筆者以外に乗客はいない。先ほど搭乗してきた便の乗客の多くは家族などの出迎えを受けており、観光客の大半は空港前のトヨタレンタリースをはじめとするレンタカーを利用するのが一般的である。
 バスは空港前の坂道を登っていく。車窓には離島らしいのどかな景色が広がった。沖永良部島は高い山がほとんどない。特に空港周辺は両岸に対してなだらかな丘が続いている。
 程なくして、バスは国頭(くにがみ)地区へ到着した。集落の入り口で、1人の乗客を乗せる。家から押してきたと思われる手押し車は、そのまま道端に留め置かれている。早速、島ののんびりした雰囲気に出会った。
 
 通常、このバスは国頭で住宅街をV字走行していくが、この日、沖永良部島ではジョギング大会が行われており、一部で道路規制が実施されていた。そのため路線バスも、この時間帯の便だけが迂回する形を取っていた。迂回とは言いつつも、普段のバスルートの方が遠回りである。
 バスは国頭の集落を抜けた後、島の北側を走る県道620号線をしばらく走行する。このバス路線は基本的に島の南側を走るが、この先にある西原という集落へ立ち寄るために、一旦こちらを走る。沿道では椅子を並べ、ジョギング大会のランナーを待つ人たちの姿があった。ジョギング大会はこの島の春の一大イベントで、島外からも多くの参加者が訪れる。筆者もこの後、何度か「ジョギング大会の参加者の方ですか?」と尋ねられた。
 
 西原の集落で左折し、県道を離れたバスは、両側に広がる畑を車窓に小高い丘を越えていく。やがて反対側の海が車窓に広がった。バスはその先で、島の幹線道路である県道84号線へと入った。近くにある笠石海浜公園がジョギング大会のスタート・ゴール地点になっている。近くの臨時駐車場にはたくさんの車が駐車されていた。バスはまもなく喜美留(きびる)という集落を通過し、いよいよ和泊町の中心部へと進んでいく。
 
 和泊町の中心部で、バスはまず和泊港の前を通過する。ここは鹿児島から奄美、徳之島、沖永良部、与論、本部、那覇へと寄港するフェリーが立ち寄る島の海の玄関口である。港の周辺には多くのコンテナが積まれているのが印象的。海運会社やフェリー会社のコンテナも多いが、JR貨物のコンテナも目立つ。この後も何度もコンテナを積んだトレーラーとすれ違った。おそらく鹿児島本線や肥薩おれんじ鉄道を走るあの貨物列車に積まれたコンテナが、船便でここまで運び込まれてくるのだろう。便数は少ない鹿児島県内の貨物列車だが、離島の暮らしを支えているのである。
 
 やがてバスは和泊の中心部へ差し掛かる。昔ながらの商店街を抜け、その通りの一本海側を走る広い道へ出た。まもなくその通りにある沖永良部バスの和泊停留所に到着し、ここで2人の乗客を乗せた。まずはこの路線の終点を目指すため、そのまま通過するが、ここには後ほど別の路線で戻ってくる。和泊を発車すると、バスはすぐに和泊町役場に立ち寄る。日曜日だったこの日は役場も閉まっており、人の姿はなかった。
 
 和泊の市街地を抜けて、バスはわずかにロードサイド店舗が並ぶ県道を進む。途中で一度、県道から離れて「タラソおきのえらぶ」という健康施設の前にも立ち寄った。ロードサイド店舗が立ち並ぶ通りには、九州ではおなじみのドラッグストアモリや、鹿児島の大型スーパー・ニシムタのフランチャイズ店舗などが軒を連ねている。バスはAコープ和泊店の店前に入り、ここで国頭・和泊からの乗客を降ろすと同時に、また乗客を拾う。この日は日曜日ということもあり、Aコープは買い物客でとても賑わっている様子だった。
 
 直後のドラッグストア前で1人の乗客を下ろすと、まもなくロードサイド店舗の並びは終わり、再び畑が両側に広がり始める。車窓の奥には海が広がり、風光明媚な景色の中をバスはしばらく淡々と走っていく。
 やがてバスは県道を逸れて、皆川という小さな集落へ入っていった。隘路を走るのもまた地域を支えるバスらしい光景である。周辺には赤茶色の畑が広がる。どうやらジャガイモを栽培している畑らしい。沖永良部はジャガイモが特産品となっている。
 
 集落を経由して再び県道へ戻ると、その後はやや内陸へ進み、小高い丘の上をゆく道路から遠くに海を眺めながら走っていく。沿道には集落が点在しており、途中の道端では1人の乗客が乗り込んできた。沖永良部の路線バスはフリー乗降制を採用しており、バス停以外の場所でも乗り降りすることができる。高齢者の利用が中心であるため、この制度はよく活用されている。
 やがて沿道にも住宅が増え始め、バスは知名の市街地へと入った。沖永良部島には和泊町と知名町の二つの町がある。ここもまた島の中心地の一つとなっている。
 
 知名の市街地へ入ったバスは、まず知名町役場へ向かう。和泊町の役場も真新しかったが、こちらもまた最近建てられた庁舎のようだった。役場の前で周回して来た道を戻り、今度は沖永良部徳洲会病院へ入る。ここが島で一番大きな病院である。
 病院を経由して、バスは海の方を目指していく。坂道を降りた先にあるAコープ知名店の前で乗客を下ろし、直後の交差点を右折すると、狭い道の両側に商店が軒を連ねる通りへ入った。バスの終点、知名はこの通りの先にあるが、バスは一旦右折し、再び別の病院の前を通過する。そして再び通りへ戻り、終点の知名へ到着した。

静かな知名の街、海辺を散策し小休憩をとる

 初めて沖永良部の街中に降り立つ。運転士さんが「この後はどこへ行くの?」と再び声をかけてくれた。別のバスで和泊へ戻る旨を伝え、お礼を告げてバスを下車する。コンクリートの年季の入った建物に併設された知名停留所。ここが沖永良部バス企業団の本社で、1階部分がバスの停留所兼駐車場の役割を果たしている。沖永良部バス企業団は島内の観光バスも運行しており、周辺には大型バスも何台か留め置かれていた。   
 知名では30分ほどの乗り継ぎで次のバスに乗車する。また明日もここには来るので、街の中はその時に歩いてみることにして、とりあえず海端へ歩いてみた。知名の街は小高い丘の斜面に形成されている。バス停近くの交差点から坂道を下れば海の方へ出る。海の近くには防波堤が築かれていて、広がる海を眺められる場所は少ない。ただ、防波堤には階段があり、そこから知名の街を眺めることができた。日曜日の知名の街は店休日の店も多く、のんびりとしており、人の姿もまばらである。バスに乗車中は少し雲に覆われていた島だが、ここに来て徐々に青空が広がり始めていた。
 
 お手洗いを利用するため、公園へ立ち寄る。そこに植えられた樹木一つをとっても南の島の雰囲気を感じさせる。歩いていると汗をかいてきたので、ここで少し身軽になる。海から聞こえる波の音が、背後のホテルに反射して耳に響く。それがとても心地よかった。
 少し休憩した後、バス停へ歩いて戻る。交差点の辺りで小学生が2人、「こんにちは」と挨拶してくれた。こちらもとっさに挨拶を返す。先ほど乗ったバスの車窓から、港の入口の道路脇に「あいさつ・おもいやり・人は心」という標語が掲げられていたのを思い出した。それらが島の人たちの中に強く息づいていることを実感する。この後も散歩中のおじさんやバスの乗客と何度も挨拶を交わした。筆者が住んでいる場所も田舎なので、少なくとも小学生の頃まではそうした文化が残っていたと思う。しかし昨今は、そうした光景もあまり見なくなった。この島では今も、挨拶を通じた人々のコミュニケーションが大切な役割を果たしている。島の人たちの温かさに触れ、心のどこかにつっかえていた緊張がまた一つほぐれた気がした。

数日前に復活した島を巡る路線、永嶺線に乗車する

 小休憩を終えて、バス停へと戻る。次はここから島の集落を巡るバスに乗車する。先ほど乗車した空港線は、島の幹線路線として空港と和泊、知名を結ぶ役割を担っている。そのため、空港や港に降り立った観光客や用務客も利用する路線である。
 一方、島にはいくつか、よりローカルなバス路線も存在する。こうした路線をこの日と明日で巡り、バスから島の雰囲気を見ていく。しかしながら、これから乗車するローカル路線網は、実は旅行の数日前まで休止されており、筆者も直前まで旅では乗車できないと思っていた路線だった。

昨年から行われていた公共交通再編とデマンドバス実証実験

 実は沖永良部島では、昨年(2025年)ごろから公共交通網の再編が進められていた。筆者も沖永良部行きを決定した昨年夏頃からその動向を注視しており、一部路線がデマンド化される見込みであることは、初案を立てた時点で把握していた。しかし、具体的な開始時期は明記されておらず、その状況を見ながら計画を立てることとなった。
 その後、2025年10月から各地域を巡る3路線が休止され、島内に網羅されたバス停に停車する形のデマンドバスへ移行されたことを報道で知った。デマンドバスは、およそ5か月間の実証実験という形で運行され、その後本格移行が行われる見込みとなっていた。
 個人的には路線バス巡りをしたいと思っていたため、このデマンド化は少し残念ではあったものの、島内の観光地にもバス停が設けられており、観光の利便性はむしろ向上する形となった。そのため、島の新しい交通手段を経験する良い機会と捉え、このデマンドバスを使って旅することとした。
 そうしておおよその旅程を組み立て、旅行日が近づいてきたものの、気がかりだったのは、実証実験として運行されていたデマンドバスの期間が「およそ5か月間」とされていた点である。指折り数えると、ちょうど筆者の旅行日あたりに本格移行、もしくは別の形態への変更など、何らかの動きがあることが予想された。
 旅行日を数日前に控え、予想どおり実証実験中のデマンドバスの運行に動きがあった。当初はそのままデマンドバスが定着するものと思っていたが、特に午前中に予約が取りづらい状況が続いていたため、午前中に限り路線バス3路線が復活し、午後はデマンドバスが運行される形へと変更された。
 まさかの路線バスの復活である。路線バス巡りを趣味とする筆者にとって、これは朗報だった。大枠は変えないまま、旅程を一部修正し、これらの路線バスを計画に組み込む。こうして最終的な旅程がまとまった。結果として今回は、午前中に路線バス巡り、午後は観光地巡りといった、ハイブリッドな形で旅を進めることになった。

沖永良部島内を走る3つのローカル路線について

 デマンドバスの本格運行に伴い、午前中のみ運行が再開された島内路線。沖永良部島には、空港-知名間を結ぶ空港線と、その区間便的な位置付けである国頭-知名間の国頭線のほかに、永嶺線、後蘭線、ガジマル線という3つのローカル路線が運行されている。いずれも和泊-知名間を結んでいるが、経由地が異なる。
 この3路線のうち、これから乗車する永嶺線と後蘭線は、島の西側に位置する大山をぐるりと回り込むように走る路線である。経路は似ているものの、途中で立ち寄る集落が異なる。それぞれが午前中に1往復ずつ運転されており、一部の停留所では両路線が停車するため、実質的に2往復となる区間もある。
 かつては午後にも運行されており、永嶺線が4往復、後蘭線が2往復運転されていた。しかし現在は午前中のみの運行となり、午後は路線バスの代わりにデマンドバスを利用する形となっている。
 こうした運行形態の変化を踏まえ、今回の旅程も柔軟に組み替えることとなった。午前中は限られた本数の路線バスを乗り継ぎ、午後はデマンドバスを活用して観光地を巡る。島の交通の現状に合わせて旅のスタイルを変えていくのも、またこの旅の醍醐味である。
 そんな経緯を経て、数日前に復活した永嶺線に、いよいよ乗車する。

 
乗車記録 No.3 沖永良部バス企業団 永嶺線 和泊行 知名→和泊
 
 バス停の前で待っていると、運転士さんが現れて、「どちらまで行かれますか」と声を掛けてくださった。この路線で和泊まで行きたいと伝えると、すぐにドアを開けてくれた。「観光で来られたんですか」と尋ねられ、「はい」と答えると、「ありがとうございます」と返ってきた。その言葉の温かさに心がほぐれると同時に、沖永良部へ来てよかったなと思った。この運転士さんには、この後も何度かお世話になることになる。
 知名停留所から乗車したのは一人だけだった。バスは先ほど乗車した空港線と似た経路で、知名町の市街地を走っていく。先ほどの空港線との違いは、経由する順番である。空港線はどちらの方向の便も、先に知名町役場に入ってから徳洲会病院に立ち寄るが、こちらはその順序が逆になる。
 バスはAコープ知名店前で1人の乗客を拾った。空港線はまだ来訪者の利用も多い路線だが、永嶺線をはじめとしたローカル路線は、もはや観光で利用する人はほとんどおらず、運転士と乗客、また乗客同士も顔なじみで、名前まで知っている関係である。もちろん運転士さんは、乗客がどこまで行くかを告げなくても、どこで降りるかを把握している。どの地域でも路線バスは沿線住民にとって必要不可欠な存在だが、ここではより地域密着型の存在と言える。こうした路線バスの姿を見るのが、筆者の旅の醍醐味である。
 
 バスは知名の市街地を抜け、知名から国頭へと島の北側を回る県道620号線へと入る。交差点の近くには九州電力の新知名発電所がある。ここは鹿児島県なので、当然九州電力の管轄区域である。沖永良部の電力の多くはここで賄われている。車窓の遠くに海を眺めながら県道を走行するバス。この先、バスは知名の市街地の背後にある大山という、島で一番高い山の周囲を回るようにして進んでいく。
 やがてバスは一旦県道を離れ、県道よりも海側にある母子屋という集落の中を抜けた。バスが通るには狭い隘路を進んでいく。さまざまな地域で隘路を進むバスは見られるが、そこで興味深いのは、沿道に広がる家々にその土地の暮らしが垣間見えることである。沖永良部島は本土とは家の造りが異なり、南国仕様の住宅が多い。住宅の間の畑にはサトウキビが鬱蒼と茂っており、これもまた沖永良部らしい光景だった。
 
 県道へと戻ったバスは、そこからいくつかの集落を経由していく。そのうちの一つで乗り合わせた乗客が下車していった。地元の乗客と運転士との間で方言による挨拶が交わされる。「みへでぃろー」、「あやぶらんどー」という聞き慣れない言葉のやり取りの後、運転士さんが「ありがとう」「どういたしまして」という意味だと教えてくださった。
 バスはやがて住吉という集落を通過する。県道沿いには木々が生い茂る場所があり、その横にはかやぶき屋根の建物が建っていた。運転士さんは後ろの車に道を譲りながら、観光案内をしてくださった。木々が生い茂る場所は、住吉暗川(すみよしくらごう)という場所だという。沖永良部はサンゴが隆起してできた島のため、川が地下を流れている。そのため昔は、生活用水をこの暗川まで汲みに行く必要があった。また隣にある茅葺屋根の建物は、「九本柱の高倉」は、かつて食料などを保管するための倉庫として使われていたという。ネズミなどが上がってこないよう柱はツルツルに磨かれ、高床にすることで動物や害虫から大切な食料を守っていた。車窓からもこの島の歩みを知ることができる。地域に詳しい運転士さんの解説に、この島への愛情を感じた。
 
 バスはしばらく県道を走行し、田皆地区へと差し掛かる。ここは島の北東部に位置する集落で、小中学校などもある。この集落の先にある田皆岬は、沖永良部の観光スポットの一つとして知られている。以前はバス利用だと、ここから徒歩で向かうしか手段がなかったが、現在は午後運行のデマンドバスで岬のバス停まで行くことができるようになった。筆者もこの後、もう一度このあたりを訪ね、田皆岬を観光する予定にしている。空には青空が広がり、遠くに見える海や周辺の畑もいっそう鮮やかに見える。バスはそののどかな景色の中を走っていく。
 
 田皆から先、バスは頻繁に県道から小路へと逸れ、周辺の集落を一つ一つ巡っていく。ここまではおおよそ後蘭線と同じ経路を走ってきたが、ここからはそれぞれが分担し、異なる集落を巡る形となる。
 そちらへ進むのかと驚くような道を進むと、やがて小さな集落へと出る。バスは下城・上城という二つの集落をぐるりと回り、住宅の間をすり抜けるように走った後、再び県道へと戻った。この集落にも小学校があった。沖永良部では統廃合されずに残る小学校が多く、集落を通過するたびに学校を見かける。
 
 再び県道620号線へと戻ると、その後も二度県道を離れ、仁志と、この路線名にもなっている永嶺の二つの集落を経由する。途中、車窓にはなぜか阪神バスの廃車体が置かれているのが目に留まった。沿道の住民は通り過ぎるバスに手を上げて挨拶する。そうした光景もローカルなバス路線ならではである。永嶺の集落を通過し、県道へと戻ると、バスは直後の交差点で和泊方面へ向かう県道621号線へ入り、内城地区を通過する。内城地区には、1400年前にこの島を統治したとされる世之主の墓があり、ここも観光スポットの一つとして知られている。
 
 内城は島内を走る複数の県道が交わる場所である。島の北側を走る県道620号線から和泊へ向かう621号線が分岐し、さらにそこから知名方面へ向かう622号線が分かれている。バス路線も内城小学校付近のわずかな区間だけは、ローカル路線3路線すべてが経由する。県道621号線を進んだバスは、やがて和泊町民運動広場付近で県道を離れ、大城の集落を通過する。再び県道へ戻って玉城地区を抜けると、じゃがいも畑を車窓に眺めながら、和泊の市街地へと近づいていく。
 
 バスは坂道を上りながら市街地へと進み、最後に和集落を経由する。やがて車窓の景色にも住宅が増え始め、バスは和泊町の中心部へと入った。商店街を車窓に見ながら、島の東西を結ぶ県道84号線に入ると、まもなく終点の和泊バス停に到着した。
 
 知名を出て、およそ1時間。バスは終点の和泊に到着した。観光案内もしてくださった運転士さんにお礼を伝えてバスを降りる。空港線では通過しただけだった和泊の街に、初めて降り立つ。ここは知名町と並び、沖永良部島にあるもう一つの自治体、和泊町の中心地である。今日はここに宿を取っているが、この先もしばらく島を巡る予定だ。次は1時間20分後にデマンドバスを予約していた。それまでの間に、近くにある南洲神社と西郷南洲記念館を見学しに行くことにした。

和泊の街を歩きつつ西郷南洲記念館を見学

 まずは海沿いを歩いてみる。バスに乗っている間に空はすっかり晴れ渡り、青空が広がっていた。港の奥に広がる海は、水平線まできらきらと輝いている。この方角には隣接する島影もなく、見渡す限りに海が続いている。離島にいることを実感する瞬間だった。
 この時間、和泊港には鹿児島と那覇を結ぶマルエーフェリーの姿があった。フェリーは前日18時に鹿児島港を出港し、早朝に奄美大島の名瀬港へ寄港、その後徳之島の亀徳港を経てここへ到着する。この後は与論島、本部港を経由して那覇港へ向かう。到着はこの日の19時。まだまだ長い航海の途中である。
 和泊港は沖永良部島の海の玄関口。フェリーによって多くの人が行き来するだけでなく、生活物資が運び込まれ、農産物が送り出される物流の拠点でもある。和泊港をはじめとする離島の港は、海況によっては寄港できないこともある。前日も海が荒れていたため、入港できなかったらしい。
 
 この日はおだやかな天気で、海上の波も落ち着いているように見えた。鹿児島-那覇間のフェリーには筆者も興味があるが、外海を行く船は酔いそうなので躊躇している。乗るなら天気が安定したときに乗ってみたいが、帰りの交通手段の問題もあり、タイミングが難しい。
 漁船が浮かぶ港はエメラルドグリーンに染まり、美しい。この後、西郷南洲記念館を見学していると、街に船の汽笛が響き渡った。おそらくフェリーの出港を告げる音だろう。島の玄関口らしい、印象的な音の風景に出会うことができた。
 
 記念館へ向かう前に、まずは南洲神社へと足を運ぶ。沖永良部島は、西郷隆盛が遠島を命じられ、およそ1年半を過ごした地である。島内にはその足跡を伝える場所が各地に残っている。南洲神社は、西郷の死後、彼を慕う島の人々によって建立された神社で、「南洲」は西郷の雅号に由来する。
 境内には、「敬天愛人」の言葉とともに、西郷と愛犬ツンの銅像が建てられている。島での牢獄生活は過酷だった。しかしそのような境遇の中でも、西郷は子どもたちを集めて学問を教え、人としてのあり方や役人としての心構えを説いたと伝えられている。彼の教えを受けた人々やその子孫は、後に島内外で活躍し、沖永良部島の発展にも寄与した。そうした経緯から、西郷隆盛は今もなお島の人々に深く敬われている。
 
 南洲神社を見学した後は、近くにある西郷南洲記念館へと向かった。ここは和泊町が運営する施設で、西郷隆盛が沖永良部島で過ごした日々の様子や、彼を支えた役人・土持政照との関わり、そして島に残した影響などが紹介されている。入館料は200円。本来は翌日に訪れる予定だったが、月曜日が定休日とのことで、予定を変更してこのタイミングで訪れることになった。
 
 展示室には、牢での生活を再現した模型が置かれている。囲われた空間の中にいる西郷を囲むように子どもたちが集まり、教えを受ける様子が表現されていた。流刑という厳しい立場にありながらも、西郷はこの地で人々と向き合い、教育や精神的な支えを与え続けていたのである。
 しばらくすると、館長さんが来られ、館内の展示について丁寧に解説してくださった。展示を見ているだけでは気づかない背景まで知ることができ、この島における西郷隆盛の存在の大きさを改めて実感する。先ほど訪れた南洲神社は全国に4か所あり、鹿児島市、宮崎県都城市、そして山形県酒田市にもあるという。酒田に南洲神社があるのは、戊辰戦争の際に幕府側についた庄内藩に対し、西郷が寛大な処分を下したことへの感謝と敬意によるものだそうだ。遠く離れた地にも、その人となりを慕う思いが伝わっている。実は今後の旅で庄内あたりを訪ねる予定である。その時にはまた西郷隆盛とここ沖永良部の地に思いを馳せたい。
 記念館の前には牢が再現されており、その中にはやせ細った西郷の像が静かに座している。館長さんに勧められ、筆者もその中に入り、西郷と並んで写真を撮ってもらった。丁寧に解説してくださった館長さん。島の見どころについても案内してくださり、また一つ島の温かさに触れた。最後にお礼を伝え、記念館を後にした。
 
 さて、西郷南洲記念館の見学を終えると、次のバスの時間が近づいてきたため、和泊停留所へと戻ることにした。往路は海沿いを歩いたが、帰りは街の中を通ってみる。市街地は決して大きくはないものの、通りには商店が並び、その周囲に住宅が密集している。生活の気配がほどよい距離感で感じられる、落ち着いた空気の街である。
 
 商店街の通りをのんびりと歩いていく。日曜日だったため、閉まっている店も多かったが、魚屋さんやお土産を扱う店舗が営業していた。どこか時間の流れが緩やかに感じられる。電柱には、この日開催されていたジョギング大会の参加者を歓迎する幕が掲げられていた。島を訪れる手段は人それぞれだが、島の側から見れば、こうして訪れる人々は「大会のために来てくれた大切なお客様」なのだろう。「選手御一行様」という表現に、どこか島らしい素朴さと温かみを感じた。街を訪ねると、その土地の暮らしが垣間見える。交通機関を利用する旅とともに、最近はこれも筆者のささやかな楽しみとなっている。
 さて、今日はここ和泊に宿を取っている。日没頃には再びこの場所へ戻ってくる予定だが、それまでの間、バスと徒歩を組み合わせながら島内を巡り、いくつかの観光地を訪ねることにした。
 
続く