【旅行記】広島電鉄再訪と萩・芸予諸島を数珠つなぎで巡る旅~「萩・長門おとずれ号」で萩を訪ねる~

広島電鉄の新ルート乗車をきっかけに山口・広島の旅へ

 前回の旅から数か月。季節は夏となり、今年も厳しい暑さが続いている。7月末、九州では大きな地震が発生した。筆者の住む地域に大きな被害はなかったが、熊本県八代市やその周辺では甚大な被害が発生している。実は八代は、筆者にとって縁のある街。そんな街で被害が発生したことに心を痛めている。どうか一日も早く、穏やかな日常が戻ることを心から願いたい。
 さて、梅雨時の小休止を経て、今年の後半もいくつかの旅に出る予定にしている。国内の鉄道路線の未乗区間も、いよいよ残りわずかとなった。今年の後半は、これらの未乗区間をすべて巡り、15年ほど続けてきた国内の鉄道路線巡りに一区切りをつける。
 国内の鉄道路線の未乗区間は計5区間あるが、路線の全区間が未乗なのは2路線だけである。それ以外は路線自体には一度乗車しているが、路線のルートが変わったり、災害からの復旧によって数年ぶりに乗車できるようになった区間となっている。今回と次回の旅では、それらを巡る旅に出掛ける。
 今回の旅の最大の目的地は、広島県である。広島では昨年8月、広島電鉄の駅前大橋ルートが開業し、大きな注目を集めた。従来は駅前の地平ホームを発着していた路面電車が、新たに建設された駅ビルに直接乗り入れ、在来線や新幹線の改札口と同じ階でスムーズに乗り換えられるようになった。今回は、このルートに初めて乗車しに行く。開業からあっという間に1年が経ってしまったが、この移設区間への乗車が今回の旅の最大の目的だった。
 一方で、駅ビルへの乗り入れに伴って新たに建設された区間は、わずか1.2kmと短い。九州から広島は近く、この区間だけに乗りに行くのであれば、半日で事足りてしまう。せっかく広島へ行くのであれば、広島電鉄の他の路線の再訪や、まだ見ぬ中国地方のバス路線を巡る旅も組み込みたかった。どこに行くかは計画を立てながら決めていったが、最終的に山口県から広島県へ、バスや列車などを数珠つなぎに乗り継いで旅するプランがまとまった。
 旅は2泊3日で、博多を起点に博多へ帰ってくる形で進めていく。1日目は博多から萩への高速バスに乗車し、萩に立ち寄りながら広島を目指す。2日目は早朝から夕方まで広島電鉄に乗車。駅前大橋ルートだけではなく、すべての路線に乗車し、9年ぶりの広電の旅を楽しむ。最終日は呉から瀬戸内海に浮かぶ芸予諸島へ。路線バスやフェリーで大崎下島や大崎上島を巡り、竹原から帰路につく流れとした。中国地方をメインに旅するのはかなり久しぶり。広電の新たな開業区間をきっかけに、山口・広島両県で新たな発見を求める旅を始める。

博多バスターミナルから「萩・長門おとずれ号」に乗車する

 数か月も旅に出ていないと、旅慣れているにもかかわらず、数日前から少し緊張する。何度も旅してきた中国地方への旅に、いちいち緊張する必要などないのだが、最大の目的地である広島は馴染みのある場所である一方、それ以外は初めて訪れる場所も多い旅となった。
 清々しいほどの青空が広がった旅行日の朝。7時半頃に博多駅に到着し、旅の起点に立つ。この日は日曜日で、駅前を行き交う人の姿は少ない。駅構内を歩いて、博多バスターミナルへ向かう。博多へ来た際、バスで帰宅することもあるので、夜に歩くことも多いこの連絡通路だが、なぜか途中で上下の人の動線がX字に交わる。これは、この通路を歩く人のみぞ知る暗黙の了解なのだが、いつも少し不思議である。
 そんな話はさておき、1日目は博多から広島への移動に終日を費やす1日となった。博多から広島なんて新幹線では1時間で着いてしまう。それを1日がかりで移動するなんて、と思われるかもしれないが、広島へ向かう途中でちょっと寄り道をして、山口県の萩を訪ねてみることにした。
 
 かつて長州藩の藩庁が置かれた萩市。幕末の志士や明治期に活躍した偉人を多く輩出した街として知られるが、あまり交通の便が良くないこともあって、なかなか訪ねる機会は少ない。筆者もこれまで、このあたりの山陰本線に乗車した際に通過したことはあったが、降り立ったことはまだなかった。
 九州からの直行の交通手段が長らく存在しなかった萩だが、昨年、西鉄が運行している福岡―長門間の高速バス「おとずれ号」が、試験運行という形で萩へと延伸された。これにより、九州と萩を乗り換えなしで移動できるようになった。それならばこのバスに乗車してみようと思い立ち、今回の旅の最初に乗車することにした。
 
 博多バスターミナルから乗車したのは、8時6分発の「萩・長門おとずれ号」萩・明倫センター行き。福岡と萩をおよそ4時間で結ぶ高速バスで、現在は西鉄と防長交通の共同運行により、1日2往復が運転されている。今回乗車したのは西鉄が担当する便。両社便とも独立3列シート車で運転され、西鉄が担当する便には、福岡-延岡線「ごかせ号」などと同様に、博多営業所に配置されている夜行タイプの「白夜行」と呼ばれるバス車両が使用されている。
 先述の通り、この路線はもともと福岡-長門間の「おとずれ号」として2022年に開設された。開設当初は西鉄の単独運行で、1日1往復の運転。博多バスターミナル~センザキッチン間で運転され、主に福岡から長門湯本温泉・長門市内へ向かう観光客をターゲットに運行を開始した。 
 その後、2025年7月には路線が萩へ延伸。同時に山口側の運行会社として防長交通が参入し、名称が「萩・長門おとずれ号」へと変更された。西鉄が福岡から、防長交通が萩から、それぞれ1往復ずつを運行し、萩・長門から福岡へのアクセスにも使いやすくなった。萩への延伸は試験運行という形で1年間の予定で実施されることになっていたが、2026年7月以降も萩への運行が継続されている。
 
 バスの発車は、宮崎や本州方面の路線が発着する35番のりばから。ここが始発のため、5分ほど前には入線し、早速改札が始まった。改札を受けて車内へ進み、独立3列の座席に座る。今回は進行方向左側の後方窓側の座席を指定した。
 この路線は、開設当初は4列シート車での運転だった。しかし、2024年から車両が変更され、独立3列シート車での運転となっている。「ごかせ号」や、現在は廃止された福岡-宮崎間の夜行バス、さらには西鉄が撤退した「さぬきエクスプレス福岡号」などで乗車したことがある西鉄の独立3列車だが、前回の乗車からはしばらく時間が空いており、久しぶりの乗車となった。
 この路線の座席は、「ハイウェイバスドットコム」と「発車オーライネット」の2サイトで発売されている。これは西鉄と防長交通で予約サイトが異なるためで、どちらも座席を自分で選べるが、それぞれで予約できる座席位置が決まっている。また、予約サイトによって予約受付終了日時も異なっている。今回座った座席は、発車オーライネットで発売されている座席だった。ちなみに乗車日には、路線開設1周年を記念した「夏の特別割引キャンペーン」が実施されており、福岡-萩間が金・土・日は4,900円のところ、3,500円で乗車することができた。
 
乗車記録 No.1 西日本鉄道 萩・長門おとずれ号 萩・明倫センター行 博多バスターミナル→萩・明倫センタ

博多から天神を経由して、福岡都市高速へ

 博多から乗車したのは、筆者を含めて3人。西鉄が運行を担当する便は「ハイウェイバスドットコム」から予約する人が多く、発車オーライネット枠の座席は、筆者が座った席以外すべて空いていた。この日は日曜日だったので、どちらかといえば午後に運行される防長交通便の方が需要があるのだろう。最近は福岡の土日の宿泊費がとても高騰しており、特に日曜の前泊が難しくなっている。博多へ8時までに到着できるエリアでなければ、このバスに乗車するのは難しい。
 博多バスターミナルを出ると、次の乗車停留所である西鉄天神高速バスターミナルを目指す。運行ルートは、大分や佐世保、長崎など、博多を起点に天神に立ち寄る九州内の博多始発型の高速バスと同じである。博多駅から天神へは住吉通り、渡辺通りを進めば行けるのだが、博多駅前の交差点で、バスターミナルから出てきたバスは大博通りへしか進めない制約がある。そのため、博多始発のバスは大博通り、祇園大通り、こくてつ通りと進んでから住吉通りに入る。これは博多始発のバスのお馴染みのルーティンである。
 
 住吉通りに入り、那珂川を渡ると、渡辺通1丁目交差点を右折して渡辺通へ入る。平日朝だと混雑でしばしば遅れるが、この日は道路も空いていて、バスはスムーズに新川橋交差点へと差し掛かり、西鉄天神高速バスターミナルへのスロープを登った。
 天神では1人を乗せた。このバスの福岡側の停車停留所は、博多・天神の2か所のみ。この先は長門~萩間の区間利用が可能なため、長門から乗客が現れる可能性はあるが、少なくとも長門までのこの便の乗客は4人で確定となった。曜日的な問題もあるが、乗客が4人というのは少し寂しい。
 
 西鉄天神高速バスターミナルを出ると、バスは渡辺通へ戻り、この通りを北へ進む。その後、天神北ランプから福岡都市高速へと入り、ここから九州道の福岡ICを目指していく。運行ルートは、北九州や下関などを目指すバスと同様に、福岡都市高速環状線、千鳥橋JCT、1号線、貝塚JCT、4号線と経由する流れとなる。車窓には、数か月前に西鉄貝塚線を再訪した際、初めて登った博多ポートタワーが見え、青空が広がる博多湾を眺める。朝早かったのもあって、バスの心地よい走りに少しウトウトしていた。
 
 福岡空港の滑走路へ向かう飛行機が頭上を跨ぐと、バスはまもなく貝塚JCTへと差し掛かり、4号線へと進む。香椎方面への1号線には数か月前にもお世話になっていたが、ここから福岡IC方面へ向かうのは久しぶりだった。夜行バスで通る機会の多いこの区間。日中の明るい時間に通るのは、数年ぶりだろうか。北九州・筑豊方面のバスを最後に利用してからも少し時間が空いているので、また時間を見つけて乗りに行きたいと思っている。
 多々良川に沿って進むと、徐々に車窓も市街地から郊外の景色へと変わっていく。福岡IC周辺は九州の物流拠点の一つであり、物流倉庫が多く立地している。その倉庫街を眺め、山陽新幹線、さらには香椎線と交差すると、バスはやがて福岡ICへ入り、ここから九州道へと入った。

福岡ICから九州道を快走して本州を目指す

 福岡ICから九州道に入ったバス。この先は中国道の美祢ICまで高速道路を走っていく。本州方面の夜行バスがよく停車する黒崎IC引野口や小倉駅前、砂津など、北九州市内の主要バス停は経由しないため、北九州都市高速には入らず、北九州でもずっと九州道を走り続ける形となる。なお、現在は北九州地区を素通りするこの路線だが、以前は小倉南ICに停車していた。
 バスは古賀ICを経由して、見坂峠と呼ばれる峠越えの区間へと入っていく。あまり山越えのイメージがないこの区間だが、実際には山を越えており、高速道路もカーブや坂道が連続する。峠を越え、宮若ICへ差し掛かると、ここから先は両側にトヨタ紡織やトヨタ自動車九州とその関連会社の工場群が広がる中を走行していく。防音壁や切通しが多く、眺めはよくない。
 
 鞍手ICを通過すると、やがて山陽新幹線との並走区間へと入り、並んで遠賀川を渡る。ここを通るときは、いつも新幹線が来ないかなと期待するのだが、あまり追い抜かれた試しがない。今回もまたその姿はなく、新幹線の高架橋は車窓から離れていった。直後の八幡ICは北九州都市高速との分岐点。福岡と北九州を結ぶ高速バスも、「なかたに号」以外のバスはそちらへと進んでいく。北九州都市高速は皿倉山の山麓を回って北九州市街地へ向かうが、一方の九州道はここからトンネルが連続する区間となり、北九州市街地の南側へと進んでいく。
 
 八幡ICを通過すると、バスはまもなく金剛山トンネルへと吸い込まれ、それに続く福智山トンネルと合わせて、しばらく長いトンネルを進み、北九州市街地南部に聳える山々を貫く。九州道は熊本から北九州にかけてトンネルが一つもなく、この金剛山トンネルは、九州道にとって実に160kmぶりに現れるトンネルとなっている。
 それらのトンネル群を抜け、小倉南IC、北九州JCT、そして北九州都市高速1号線が接続する小倉東ICを経由すると、北九州市街地の南側を眺めながら、山が近づき、いよいよ九州の先端へと近づいていく。この先にある門司ICが九州道の終点。ここから先は道路名としての関門橋区間へと入っていく。またいくつかのトンネルを経由し、めかりPAへ差し掛かると、バスは休憩のため、いったん本線を離れた。

めかりPAで開放休憩、展望台から関門海峡を眺める

 博多を出て約1時間35分で、バスはめかりPAに到着した。バスはここで25分ほど停車し、開放休憩を行う。運行時間的にはまだ半分にも到達していないが、お手洗いを利用しつつ、体を動かしたり、売店で軽食や飲み物を購入したりすることができる。
 ここも福岡発の夜行バスが消灯前の休憩箇所として利用する場所であり、深夜に訪れることが多い。しかし、昼間に立ち寄るのは今回が初めてだった。せっかくなので建物内に設置された展望デッキに向かい、そこからこれから渡る関門橋と関門海峡を眺める。休憩時間は長めに設定されているので、展望デッキからの景色もじっくり楽しむことができた。
 
 展望デッキからは関門橋だけでなく、門司・下関の市街地も見渡すことができる。方角的には南西側を向いていて、遠くには、先ほどトンネルで貫いた北九州市街地南側の山々が見えている。こう見ると、海というより湖のようにも見えるが、海は潮の流れが速く、湖の穏やかさとは異なる海峡ならではの情景を作り出している。
 関門海峡周辺には、9年前の春、九州の鉄道路線の全線完乗を達成した旅の中で訪ねたことがある。この山の下には、平成筑豊鉄道門司港レトロ観光線が走っていて、それに乗車するためにここを訪ねた。下関側から人道トンネルで和布刈側へ出た後、「潮騒号」に乗車したことを覚えている。なかなか関門海峡を通るときには天気に恵まれなかったが、ようやく晴れた景色を見ることができた。

関門橋を渡り、カーブが続く中国道をゆく

 さて、休憩後は再びバスへと戻り、萩への旅を続ける。乗客確認もあっという間に完了し、バスはめかりPAを発車。本線への合流と同時に関門橋を渡り、本州へと進んでいく。やはり九州と本州を結ぶ高速バスに乗車するときは、関門橋を渡る瞬間が一番ワクワクする。橋の全長は1,068m。30秒ほどで通過してしまうので、撮影しながら、この目にしっかりとその景色を焼き付ける。車窓には、展望デッキからは見えなかった門司港の街並みが広がる。ここも訪ねてからしばらく経つ。そろそろ再訪を企画したいところである。
 関門橋を渡り、本州へと入ったバスは、やがて下関ICに差し掛かり、ここからは中国道をしばらく進んでいく。小郡JCT以降は山陽道と中国道の2本の大動脈がそれぞれ関西を目指していくが、山口県西部では中国道のみが大動脈の役割を果たす。吹田まで540kmという標識が、中国地方と関西地方を結ぶ大動脈の始まりを告げた。
 
 下関から美祢にかけての中国道は、急カーブと坂道が連続する区間となっており、バスも時折エンジンを唸らせながら坂を上り、車窓にもR400などと記載されたカーブの警戒標識が連続する。このようなカーブが連続する区間は、山口市の手前まで数十キロにわたって続いている。運転には慎重さが必要な区間といわれているが、バスが追い越す車の運転席を見ると、スマホをハンドルの前で操作しながら走る車が20台に1台程度はいる。人の命を巻き込むなどもってのほかだが、自分の命も粗末にすることのないようにしないといけない。
 下関の市街地を出て、山間部を進むと、のどかな農村の景色が車窓に広がる。赤茶色の石州瓦の家々と、道路に設置された黄色いガードレールが、山口に来たことを実感させる。田んぼには黄金色に近づく稲が生い茂り、夏の盛りの旅を彩る。台風も心配な夏の旅だが、ここ最近は幸い、台風の影響を受けずに済んでいる。今回に関しては、太平洋上の台風のおかげで、直前まで曇りだった3日間の天気予報もすべて晴れへと変わった。その代わりに暑いのが難点だが、汗をかき、うだるような暑さの中を旅するのが、また夏旅らしくていいのである。
 
 山陽道の宇部下関線が分岐する下関JCTを通過すると、バスはさらに山間部へ進み、引き続きカーブと急坂が連続する区間を進んでいく。山陽本線や新幹線が比較的南側を通る一方、中国道は山間部を貫いて山口へ向かう形を取っており、地図上で見ても、その線形はうねうねとカーブしているのがわかる。引き続きバスはエンジンを唸らせ、山と山の間にのどかな里山の集落を眺めながら進んでいった。
 
 厚保駅の近くで美祢線と交差し、その後もしばらく中国道を進むと、やがて車窓には大きな煙突が見え始める。美祢のシンボルとも言えるUBE三菱セメントの工場にあるこの煙突を眺めると、バスはやがて美祢ICへと差し掛かり、ここで高速道路を下りる。美祢から先は一般道を経由して長門市を目指していく。

美祢市街地を通り抜け、美祢線とともに北上する

 美祢ICで中国道を離れたバスは、一般道を経由して美祢市街地を通過し、その後、長門市方面へ向かう国道316号線へと入る。現在は素通りとなっている美祢だが、昨年7月までは美祢駅に停車しており、福岡、長門両方向へ乗り降りすることができた。なお、美祢駅には下関からサンデン交通の路線バスが運行されている。今回は降り立つことはないが、いずれは立ち寄ってみたい街の一つである。
 
 バスは美祢の市街地を通過しながら、UBE三菱セメントの巨大な工場を反対側の車窓に眺めながら進む。美祢と宇部の間には宇部興産の専用道路があることは有名だが、このバスも美祢市街地に入る直前に、この専用道路の高架橋をくぐった。美祢市街地では、美祢駅と工場を結ぶ専用線を跨ぐ場面もあった。美祢線の貨物列車の運転は2013年に廃止され、この専用線もそれ以来使われていないが、いまだにレールはそのまま残されているようだった。
 
 美祢の街の規模自体は小さく、ロードサイド店や工場が並ぶ道沿いを進むと、まもなく市街地も途切れ、バスの車窓は再びのどかなものに変わる。やがて厚狭川が近づいてきて、しばらくこの川と並走しながら、北へと進んでいく。車窓にも石灰石の採石場が見えるのが、この土地らしい光景だった。
 
 やがて国道の隣には美祢線の線路が近づいてくる。美祢から長門にかけて、バスが走るこの国道は、美祢線と並走しながら進んでいく。夏草が生い茂る美祢線の線路は錆びついており、もう何年も列車が走っていないことが一目でわかる。
 厚狭と長門市を結ぶ美祢線は、2023年夏の豪雨で被災。現在も運休が続いている。場所によっては線路内に木が生い茂り、どこに線路があるのかさえ分からなくなっている場所もあった。かつて貨物列車も走っていたが廃止され、利用客も減少して、ローカル線の中でも厳しい状況に置かれた路線の一つとなった美祢線。被災後は今後の在り方が検討され、残念ながら鉄道での復旧を断念し、BRTで再整備されることが決まっている。ちなみに筆者はコロナ禍だった2021年に乗車。遠出の旅が企画しにくい時期だったので、初めて美祢線へ乗りに行ったのだが、それが最初で最後の乗車となった。
 
 そんな中でもきれいに手入れされ、今も列車が来そうな気配が漂う於福駅の裏手を通過し、その後も美祢線と並走しながら北へ進むと、やがてバスは美祢と長門の間にある大ヶ峠へ差し掛かる。国道も美祢線も少々長いトンネルでこの峠を越え、美祢市から長門市へと入っていく。トンネルを出ると、下り坂で山を下り、再び美祢線と並走する。渋木地区でのどかな田園風景を眺めた後、深川川という川に沿って、長門市街地へと近づいていった。

長門湯本温泉に停車後、長門市街地・仙崎へ立ち寄る

 やがて車窓には旅館が立ち並ぶ温泉街が見え始める。天神を出て2時間45分、バスはついに山口側の最初の停留所である長門湯本温泉に到着した。ここは山口県でも有数の温泉地として知られている。バスは温泉街の中央部にある駐車場に併設されたバス停に停車した。
 バス停への到着前にバスは深川川を渡る。渋木地区から並走している川だが、この温泉街において、この川は「音信川」と呼ばれている。こう書いて「おとずれがわ」と読む。そう、この川こそ、今乗車している「おとずれ号」の名前の由来である。
 車窓にも星野リゾート 界をはじめとするいくつかの温泉旅館が見える。温泉街はこの川の両岸に広がっており、山間の静かな温泉街の雰囲気が漂う。この便では下車客はおらず、そのまま発車した。なお、このバス停以降の長門市内のバス停からは、萩市内のバス停まで区間利用が可能となる。
 
 以前、美祢線に乗車した際には、往路で下関と長門市(青海島)を結ぶサンデン交通の路線バスに乗車した。この路線バスは2時間30分ほどで両区間を結んでいる。下関からのバスは小月から豊田という地区を経由して長門市を目指す県道34号線を走り、この県道34号線が国道316号線に合流するのが、ここ長門湯本温泉である。バス停にはこの路線バスも乗り入れており、その時の記憶が蘇ってきた。
 長門湯本温泉バス停を発車すると、バスは再び国道へと戻り、長門市街地へ向けて走っていく。ここまでしばらく山間部を走ってきたが、まもなく車窓の奥から高い山が消え、海が近いことを予感させた。
 
 美祢線の線路と並走しながら、バスは長門市の市街地へと入ってきた。長門市街地と隣接する仙崎地区でも3つの停留所が設けられており、長門市役所前、長門市駅前、そしてセンザキッチンの順に停車していく。長門市役所前では乗り降りはなく発車。直後に山陰本線の踏切を渡ると、まもなくバスは長門市駅前に到着した。
 
 長門市駅ではロータリーの一角に設置されているバス停に停車する。ロータリーを回ると、駅のホームに停車しているキハ47形の姿が見えた。以前、下関から益田への普通列車を乗り通した際には、ここで1両の切り離しが行われた。その切り離し作業を眺めるために一度ホームへ降り立ってはいるものの、まだ駅前には歩いて出たことがない。美祢線に乗車した際にも通っているが、往路は路線バス、帰りは仙崎からの普通列車でそのまま通過しており、今回もまた通過となった。
 ロータリー内のバス停では1人がバスを待っていたが、この便への乗車はなく、バスはドアを閉めて長門市駅前を発車。次の停車地・センザキッチンへ向かった。
 
 長門市駅前を出ると、バスは県道56号線を経由して、仙崎地区を目指す。やがて車窓には、関門海峡以来となる海が広がった。青空の下で、日本海もそれに呼応するかのように青く輝いている。奥に見えるのは、仙崎の先に浮かぶ青海島。橋でつながっており、島の入り口に近い場所にはサンデン交通の長門分所が設けられている。長門を走る路線バスは、この島を起終点とする路線が多数ある。
 美しい日本海を眺めた後、バスは仙崎の市街地へと入る。金子みすゞの出身地であり、かまぼこが有名な仙崎。近くのスーパーでも仙崎のかまぼこが売られており、それを見るたびにこの辺りの風景を思い出す。山陰本線の支線である仙崎支線の終点・仙崎駅の駅前を通過すると、まもなくセンザキッチンに到着した。
 
 センザキッチンでは1名が下車。バス停では数名がバスを待っていたが、そのうちの1人が乗車した。先述の通り、長門~萩間ではこのバスの区間利用が可能となっている。果たしてこの制度を利用する人はいるのだろうかと思っていたが、山陰本線も路線バスも決して本数は多くないため、便利に利用されているようだった。区間利用の運賃は大人1,000円で、現金での支払いとなる。キリがいいので、小銭を用意しなくていいのもまた便利である。
 バスが停車したセンザキッチンは、仙崎地区にある道の駅。この地域の観光拠点として人気を集めると同時に、観光船の発着点や交通ターミナルとしての役割も果たしている。この日は日曜日ということで駐車場は満車状態。かなりの賑わいを見せていた。直売所では地元で獲れた海産物や農産物を購入できるほか、レストランでは海の幸を堪能することができる。全国の道の駅の中でも人気ランキングの上位に君臨する道の駅として知られる。
 筆者も以前、下関から路線バスで長門市を訪ねた際にはここで下車して、道の駅を利用し、昼食をとった。仙崎駅からも徒歩5分ほどと近く、仙崎支線に乗車するときにも便利である。乗車中のおとずれ号は、萩へと延伸される以前には、ここを起終点としていた。

国道191号線、萩・三隅道路を経由して萩市街地へ

 センザキッチンを出ると、バスは再び海を眺めながら、萩への移動を開始する。萩は車窓に見える海岸線の奥にある。ここから萩へは30分ほどの道のり。いよいよこのバスでの道のりも佳境に突入した。まずは山陰本線と並走する国道191号線を目指して進む。頭上には数回、パイプラインのようなものが通過する。これは石灰石を輸送するためのベルトコンベアで、トンネルを経て、美祢から続いているものである。
 
 山陰本線を跨ぎ、直後に数回折れ曲がって国道191号線へと入ると、東進を開始。しばらくはこの国道を進み、三隅地区を通過する。再び車窓には山間ののどかな風景が広がる。お昼が近づいてきて、沿道の飲食店も賑わっているように見えた。
 
 やがてバスは高規格道路へと進み、ここからはこの道路で一直線に萩を目指していく。長門市や萩は道路の整備が遅れた場所だったが、近年では各所で高規格道路が開通している。長門~萩間においては、長門三隅~萩間で山陰道の一部である萩・三隅道路が開通しており、長門~萩間の所要時間の短縮につながった。
 山陰道は鳥取から山口にかけての日本海側を進む高速道路。開通している区間も多くなってきたが、まだまだ未開通の区間も多い。特に山口県では大半の区間が未開通で、ルートについても調査中の段階の場所も多い。全線開通すれば、小月で中国道と接続される予定。そうなれば、九州から長門・萩へのアクセスも圧倒的に便利になる。
 
 萩・三隅道路に入ると、バスはいくつものトンネルを抜けながら走っていく。道路はトンネルに入っている間にかなり標高を上げたようで、トンネルとトンネルの間にはぞっとするほど高い橋が架かり、奥には海沿いの集落と日本海を見渡すことができた。険しい地形が続く山口県の日本海側。以前乗車した山陰本線も、その海岸線を縫うようにして走っている。険しい地形の合間に立ち並ぶ石州瓦の家屋が、日本海側らしい情景を造りだす。
 
 トンネルと橋を何度か繰り返すと、やがて車窓に街が広がり始めた。いよいよバスは萩の市街地に到達する。俯瞰的にこの街を見るのは初めてだが、やはりかつての藩の中心地だった町だけあって、大きな街だなと思った。今度はトンネルを介しながら坂道を下り、萩の市街地へと近づいていく。この道路の終点、萩ICに到着し、交差点を左折。市街地の南側から萩市内へと進んだ。

萩バスセンターを経由して、終点萩・明倫センターへ

 萩の市街地は阿武川という川の中州に形成されている。山陰本線はこの中州を避けるように、市街地の外側をぐるっと周回している。バスはまもなく山陰本線との跨線橋を進む。車窓からは市街地南側に位置する萩駅が見えていた。
 その先でバスは阿武川の分流の一つである橋本川を渡り、市街地中心部へと入った。沿道にはロードサイド店舗が軒を連ねているが、赤をブランドロゴに用いるお店は皆、茶色に変更されている。おそらく景観保護のために、目立つ色の使用が規制されているのだろう。
 
 バスは萩市内で、萩バスセンターと萩・明倫センターの2か所に停車する。どちらのバス停も近接しているが、それぞれに交通ターミナルとしての役割を果たしている。萩バスセンターは地元住民の利用が多く、萩・明倫センターは観光施設に隣接しているため、観光客の利用が多い。
 萩ICから走行した国道262号線から国道191号線に入ると、郵便局や消防署を車窓に眺めながら進み、終点の萩・明倫センターがある明倫学舎と呼ばれる建物の手前で、細い路地へと入る。そこから市街地を周回して、バスは萩での最初の停車地・萩バスセンターへ。かなり年季の入った屋根付きのバスターミナルへ入り、ここで1名の乗客を降ろした。バスセンターを出ると、再び国道191号線へと戻り、再度消防署を眺めた後、終点の萩・明倫センターへ。博多から約4時間、バスはついに終点の萩・明倫センターへ到着した。
 
 ちょうど正午を回ったばかりの萩・明倫センターに降り立つ。福岡からの4時間の旅だったが、独立3列シートのおかげで快適に移動することができた。比較的近い割に時間がかかり、乗り換えが必須だった長門市・萩も、乗り換えなしで移動できるので、とても便利になったと実感した。しかし、やはり気になるのは乗車率。日曜日の午前便という中途半端な時間の便だったとはいえ、計5人というのは少々寂しい。この路線の萩延伸の定着、さらには路線の存続のためにも多くの人に利用してほしいところだが、そもそも九州から萩というのは、JRのエリアも異なることもあって、近い割に縁遠いイメージがある。そのためにも、九州から長門・萩への観光の流れをさらに作り、気軽に訪れることができる街というアピールをしていく必要なあるのではないかと感じた今回の乗車だった。

萩明倫学舎を見学し、萩の市街地を少しだけ歩いてみる

 初めて降り立った萩の街。今回はあくまで広島へ向かう途中で訪ねたという位置づけで、次に乗車するバスまで2時間30分程度の滞在となった。観光地をじっくり巡るのにはとても時間が足りないので、そうした観光は今後の目標にとっておくこととして、今回は手短に観光と散策を楽しむ。まずはバス停の隣にある明倫学舎へ。ここで世界遺産ビジターセンターに立ち寄り、見学することにした。
 長州藩の中心地だった萩。幕末から明治にかけての時代には、吉田松陰、高杉晋作、伊藤博文、井上馨など、多くの偉人を輩出した地としても知られている。日本の新時代の礎を築いた萩の街には、今も歴史的な街並みや建造物が多く保存されている。2015年には「明治日本の産業革命遺産」が世界遺産に登録。松下村塾、城下町、萩反射炉など、多くの構成遺産が萩の街にもある。
 そんな萩の観光の拠点となっているのが、バスが到着したバス停に隣接した明倫学舎である。ここはもともと萩市立明倫小学校(現在も施設の北側に所在)の校舎として使われていた木造の建物を観光用に改装したもので、萩観光の拠点となっている。館内には「世界遺産ビジターセンター」が開設されており、萩の歴史や明治維新に奔走した偉人たちの紹介、さらには幕末ミュージアムとして、当時使われていた様々なコレクションが展示されている。入館料は大人300円。今回はここを見学し、萩と明治維新の関わりについて1時間ほどかけて見学した。
 
 明倫学舎・世界遺産ビジターセンター見学後は、少し明倫学舎周辺の市街地を歩いてみることにした。とはいえ、暑すぎるので遠くには行かない。まずは先ほどバスで通った萩バスセンターを見に行った。
 明倫学舎から5分前後歩いて到着した萩バスセンター。市街地の中にかなり年季の入った建物が建っており、それが現在も現役のバスターミナルとして使われている。ターミナルは防長交通が管理しているが、JRバス中国の路線も乗り入れている。屋根には「萩バスセンター」の文字。「ン」が限りなく「ソ」に見えるが、よくよく考えると、この2つの文字は、書き順が違うだけでほぼ一緒である。それもまた昭和ロマンを感じさせた。
 高速のりばと書かれているように、ここからは先ほど乗車した福岡線のほか、この後乗車する新山口行きの「スーパーはぎ号」、さらには国内最長運行時間を誇る東京行きの夜行バス「萩エクスプレス」が発着している。以前は大阪行きの夜行バスもあったが、現在は休止され運行されていない。高速バスだけではなく、路線バスも乗り入れており、山口駅・新山口駅、秋芳洞、長門市、津和野など各地からのバス路線と市内循環バスも乗り入れる。隣には萩近鉄タクシーののりばもある。防長交通は近鉄グループに属し、萩の街を走るタクシーもまた、そのグループの一員として、近鉄が社名に含まれる。
 
 その後は近くのアーケードを歩き、バスセンターへ。次のバスには明倫学舎から乗車しようと思っていたが、暑すぎるので、バスセンターから乗車することにした。次はコミュニティバスに乗車して、東萩駅を目指す。この駅が鉄道における萩の玄関口という役割を果たしている。せっかく萩まで来たので、この駅の様子も少し覗いて、萩を後にすることにした。
 
乗車記録 No.2 萩市 萩循環まぁーるバス 西回り 萩市役所行 萩バスセンター→東萩駅前 ※運行:防長交通
 
 萩市内では「萩循環まぁーるバス」というバスが市街地を循環。市役所や病院、バスセンター、駅と周辺の住宅地、さらには観光地を結んでいる。萩市が主体として運営するが、運行は防長交通が受託。1乗車は100円で、ICOCAなどの交通系ICカードが利用できるほか、観光客向けには1日・2日乗車券も発売されている。バスは東回りと西回りが運転されており、東回りは「松陰先生」、西回りは「晋作くん」という愛称がある。今回は西回りのバスに乗車。萩バスセンターから東萩駅間の所要時間はおよそ10分ほどだった。
 
 さて、この後は東萩駅を訪ね、「スーパーはぎ号」に乗車。萩の街を後にして新山口駅へ向かい、そこから在来線経由で今回の旅の最大の目的地・広島へ向かった。
 
続く