【旅行記】広島電鉄再訪と萩・芸予諸島を数珠つなぎで巡る旅~瀬戸内産交沖友線で大崎下島へ~
最終日となる3日目は、今回の旅で最も早いスタートとなった。この日は路線バスと船で芸予諸島の島々を巡る。まだ夜も明けぬ5時過ぎにホテルをチェックアウトして呉駅へと向かい、まずはバスの始発地の最寄り駅、新広駅へ。その後は瀬戸内産交が運行する沖友線に乗車し、大崎下島へ向かった。
呉駅からの広方面始発列車で新広駅に向かう

やっと空が明るくなり始めた5時過ぎの呉駅。今回は乗り継ぎの都合と、散策時間の確保のため、久しぶりに5時台から動き始める旅となった。改札を抜けて乗車したのは、この駅から広・三原方面へ向かう始発列車、5時25分発の普通三原行き。この列車で2駅先の新広駅に向かう。
2面3線ある呉駅。奥側の3番線は主に広島~呉間の区間列車が用いるが、どちらの方向からも出入りが可能で、早朝に1本だけ当駅始発の三原行きが設定されている。広を跨ぐ列車というのも比較的珍しいが、その多くは広島発着であり、呉始発となる列車はこの1本しかない。なお、呉からの広方面始発列車ではあるが、広から先にはさらに早い4時58分発の普通列車がある。
数人の乗客を乗せた列車は、空が朝焼けに変わり始めた呉の街を出て、長いトンネルに吸い込まれる。そこから昨日立ち寄った安芸阿賀駅に停車し、呉からわずか5分で新広に到着。この日の列車の旅は、帰りの新幹線を除けばこれで終了。ここからはバスとフェリーを乗り継ぎながら旅していく。
乗車記録 No.16
呉線 普通 三原行
呉→新広 227系0番台

乗り鉄の旅であれば、ほとんど下車する機会のない新広駅。隣の広駅が呉駅以上に呉線の運行拠点となっているのに対し、こちらは棒線駅で、行き違い設備もない。次に乗車するバスはこの駅の近くにある病院が始発。とはいえ、ここではバスの発車時間までおよそ1時間の待ち合わせとなった。
早朝の呉線の広方面は列車が少ない。乗車した呉始発の列車の後続は広島からの列車となり、1時間近く列車のない時間が続く。次に乗車するバスには、その列車でも間に合うが、乗り換え時間は7分しかなく、始発の病院から乗車するには少し乗り換えがシビアだった。バスには広駅前からも乗ることができ、そちらであれば15分くらいの時間はある。それでもやはり始発のバス停から乗車してみたいと考えてしまうのが、乗りバスの性である。
とはいえ、5時半の新広駅前に放り出されてもやることがなく、ベンチに座って静かな時間を過ごす。旅で5時台から動き出すことはそこそこにあるが、5時半前の列車に乗ったのは、おそらく芸備線の新見発備後落合行き快速列車以来だろう。人から見れば、何の修行だろうかと思われそうである。いや、電車やバスを乗り継いで旅していること自体、一般的に見れば修行である。

5時台は人の姿もまばらだったが、6時台になると、駅前にも送迎の車が増え始め、駅にも通勤・通学客が集まり始める。6時台から7時台にかけては、最も列車本数が多くなる時間帯。日中から夜間の時間帯は快速安芸路ライナーが走っているが、朝はさらに停車駅の少ない通勤ライナーという列車が走っている。朝の呉線を訪ねたなら乗ってみたい列車だが、それはまた今後の目標に取っておく。
新広を6時23分に発車する快速通勤ライナー梅林行きを見送った後、次のバスに乗車するため、駅の跨線橋を渡って、駅の裏手にある中国労災病院へ。1時間の待ち合わせをやり過ごし、ここから本格的なこの日の旅を始めた。
4つの島を巡る瀬戸内産交の沖友線に乗車

中国労災病院から乗車したのは、瀬戸内産交の沖友線という路線。ここを起点に広駅前、仁方駅前を経由した後、4つの橋を渡りながら、下蒲刈島、上蒲刈島、豊島、大崎下島の計4つの島を走り、最終的には大崎下島の南側に位置する沖友という地区まで走る、比較的ロングランなバス路線である。最終日はこのバスを手始めに、大崎下島、大崎上島という芸予諸島の島々を巡っていく。
熊本を走る九州産交バスと同じ「産交」を名乗る珍しさから、このバスのことは少し前から知っていた。SNSか何かで見かけたのがきっかけだったと思う。しかし、どこを走っているかという具体的なことは知らなかった。そんな折、今回の旅の最終日の行程を考えていたときに、呉市のホームページで瀬戸内産交の文字を見かけた。最初は江田島の方を巡ろうかと思っていたものの、乗り継ぎがうまくいかず断念。他に候補はないだろうかと探していたときに見つけたのだった。
このとき、初めて瀬戸内産交の具体的な運行ルートを知ったが、それがまた魅力的だった。島伝いに走っていくバスに興味を惹かれ、そこから周辺の路線とともに乗車できないかを検討した結果、近隣の島へフェリーで渡りながら旅するプランが完成。結果的に最終日は、瀬戸内産交で呉から大崎下島へ向かい、その後大崎上島へ移動してバスで島を一周。さらにフェリーで竹原へ渡って、そこから高速バスで広島へ戻るという、乗り継ぎの旅を行うことになった。

瀬戸内産交は上蒲刈島に本社を置くバス会社。これから乗車する沖友線を運行するとともに、呉市の生活バスの一部路線の運行も担当している。沖友線は4つの島と呉市街(広地区)を結ぶ役割を持つ。各島に住む人たちには欠かせない公共交通である。基本的に沿線の島々を訪ねる人の多くは自家用車やレンタカーを利用することが多く、観光利用は限定的。しかしながら、比較的本数も多く、観光利用でも時間さえ合わせれば十分使うことができる。
島民の利用がほとんどであるため、独自のホームページなどは開設されておらず、時刻表や運賃表は呉市のホームページに掲載されている。瀬戸内産交でもモビリーデイズの利用が可能で、ICOCAなどの全国相互利用ICカードやWAONなどももちろん利用可能である。モビリーデイズのホームページには利用可と書かれている一方、呉市のホームページには何も書かれておらず、本当に使えるのか不安だったが、問題なく利用することができた。
乗車記録 No.17
瀬戸内産交 沖友線 沖友天満宮前行
中国労災病院→沖友天満宮前
広、仁方を経由して安芸灘大橋を目指す

乗車したバスは、上蒲刈島の営農センターバス停を5時40分に発車する上り始発便の折り返し。早朝の上りは30分に1本程度が運行されており、バスの本数も多い。一方、中国労災病院から沖友天満宮前へ向かう下り便としては、乗車した便が初便だった。
6時35分、バスは中国労災病院を発車。当然、病院前からの乗客は自分以外にいない。バス停を発車して病院のロータリーを回ると、跨線橋で呉線を跨ぐ。直後の広市民センター前交差点を右折すると、バスは国道185号線へ入り、ここからまずは下蒲刈島へと架かる安芸灘大橋を目指していく。

バスはここから仁方地区にかけて国道185号線を経由し、呉線と並走する形で進んでいく。ロードサイド店舗が広がる国道を進むと、やがて広駅前に到着。ここでは7~8名の乗客がバスに乗り込んできた。正直、下りの早朝便だったので、終始貸し切り状態もあり得ると思っていたが、呉市街などから島へ向かう需要というのも一定数あるらしい。東のりばという珍しい名前のバス停を通過すると、阿賀から広にかけて続いていた市街地は途切れ、バスは仁方トンネルへ入った。

トンネルを出ると、バスは仁方地区へ差し掛かる。ここでバスは一旦国道を離れて旧道を走っていく。仁方駅前で1人が下車。呉線の線路が近づくと、反対側の車窓にはこれから渡る安芸灘大橋が朝日に輝いて見えた。再び国道185号線へと戻ると、小仁方バス停でさらに1人が下車。その直後にバスは安芸灘大橋方面へ向かうスロープへ進み、安芸灘大橋有料道路へと入った。
第一の橋・安芸灘大橋を渡って下蒲刈島へ

いよいよ、この先がこのバスの見どころとなる。ここからは4つの橋を経由して、4つの島を巡りながら終点へと向かっていく。呉市の東側から愛媛県今治市の大三島にかけては、いくつかの島が連続し、飛び石のように浮かんでいる。地図を見ると、しまなみ海道が走る南北の島の並びに、西から東へ別の島の並びが交わっているように見える。この十字のような島々をまとめて芸予諸島と呼ぶ。
このうち、今回着目するのは東西の島並びの一部。呉側から連なる下蒲刈島、上蒲刈島、豊島、大崎下島、平羅島、中ノ島、岡村島の各島は橋でつながっており、本州との道路での行き来が可能となっている。これらを結ぶ道路は複数の県道から構成されているが、しまなみ海道に倣う形で「安芸灘とびしま海道」の愛称が付けられている。バスはこの海道を通りながら、大崎下島を目指していく。
そのとびしま海道の最初の橋である安芸灘大橋は、本州と下蒲刈島を結ぶこの海道最大の橋。2000年1月に開通し、先に橋でつながっていた下蒲刈島・上蒲刈島と本州がつながった。全長1,175mの吊橋で、車道脇には歩道も設置され、歩行者や自転車の通行も可能となっている。自動車のみ有料で、仁方側に料金所がある。朝日を受けて、バスは車窓に橋でつながる下蒲刈島と、その隣に浮かぶ上蒲刈島を眺めて進む。

安芸灘大橋を渡り終えると、バスは下蒲刈島に上陸。バスは一旦県道を離れて、見戸代桟橋へ向かう。おそらく橋がなかった頃には、ここから渡船が出ていたのだろう。今は寄港する船はなく、休憩スペースのような扱いになっている。
再び県道へと戻り、その後は島の北側を回って、蒲刈大橋を目指す。高台から海を臨む場所では、直前に渡った安芸灘大橋が車窓に見えた。遠くから見ても巨大な安芸灘大橋。このあたりのランドマークとして、周辺の景観によく馴染んでいる。

眼下に海沿いに密集した街並みを眺めると、やがて車窓には次に渡る蒲刈大橋が見えてくる。そのまま道路を直進すれば、この橋へ行けるが、バスは一旦この橋をくぐって海沿いへ出て、向桟橋へ立ち寄る。近くには呉市の下蒲刈市民センター下蒲刈支所がある。この奥には昔ながらの街並みが広がり、とびしま海道の観光名所の一つとなっている。
蒲刈大橋で上蒲刈島へ渡り、島を横断する

向桟橋へ立ち寄ると、バスは来た道を戻って蒲刈大橋へ。この橋を渡って、2島目となる上蒲刈島へと進んでいく。蒲刈大橋は1979年10月に開通したトラス橋。小さな海峡や瀬戸によく見られる、3径間連続曲弦下路式トラス橋という構造の橋である。とびしま海道の7つの橋ではこの橋が最も古く、この橋の開通によって、近接した下蒲刈島と上蒲刈島が結ばれた。両側にはそれぞれの島の集落が広がる瀬戸内らしい光景を車窓に、バスはこの橋を渡っていく。渡り終えた先の上蒲刈島は、このバスが通る4つの島の中では最も大きい島。人口は1,400人ほどである。
上蒲刈島でとびしま海道は島の南側を進むが、集落は島の北側に広がっている。バスは島の半分ほどを南海岸に沿って走り、そこから峠を越えて北側へ向かい、その後は北側の海岸線を進んで再びとびしま海道へ戻るような形を取る。しばらくこちらから海は見えないが、島の南側には大きな採石場が広がっていた。

やがてバスは島の中央で東西を結ぶ道路へ入り、トンネルを経由して峠を越え、島の北側へと進んでいく。やがて田戸という集落に入り、途中のバス停で1人が下車した。下蒲刈島と同様に、この島でもかつて渡船が発着していた港の前まで行ってUターン。そこから隣の集落との間の県道沿いに、乗車している瀬戸内産交の本社があり、直後のバス停でさらに1人が下車していった。

宮盛という集落を通過すると、バスは島の北海岸に沿う形で走る県道を軽快に走っていく。車窓には目前にまで穏やかな瀬戸内海が広がり、とても風光明媚な車窓が続く。奥に見えるのは本州。手前の小島の先に見える街は川尻である。振り返ると、さっき渡った安芸灘大橋も見えていた。

島の外周をぐるっと回ると、やがて奥にはこれから渡る豊島大橋が見え始める。橋の対岸には3つ目の豊島が見える。橋はすぐそこにあるような気がするが、海岸線を辿る道路は入り江の集落を巡るため、橋までは遠い。よく考えると、去年の夏の旅でも西彼杵半島で似たような車窓を眺めた。決して意図したわけではないが、夏はこんな海の景色を眺めたいと無意識に思っているのだろう。
やがてバスは大浦という島東部の比較的大きな集落を通過。集落の中にある営農センターバス停は、沖友線の区間便の発着地。終日にわたり、中国労災病院と営農センターの間には区間便が設定されており、始発は5時40分から、最終は21時50分着まで便があり、平日は日常使いでも申し分のない本数がある。一方、ここから豊島方面には少し本数が減る。

大浦の集落を抜けると、バスは豊浜大橋を渡る県道356号線へ。今走ってきた集落を眺めながら、橋へ向けて坂道を登っていく。やがてバスは橋の手前にある大浦トンネルへと入る。トンネルを抜けるとすぐに橋を渡り、次なる島、豊島へと進んでいく。
とびしま海道で最も新しい豊島大橋で豊島へ

大浦トンネルというやや長めのトンネルを抜けると、バスは直後に豊島大橋を渡る。豊島大橋は2008年に開通した、とびしま海道で最も新しい橋。安芸灘大橋と同じ吊橋となっており、上蒲刈島と豊島を結んでいる。この橋の開通によって、豊島・大崎下島・平羅島・中ノ島、そして岡村島の5島が本州とつながることとなった。岡村島は愛媛県の島なので、しまなみ海道と並び、もう一つ広島県から愛媛県への陸路ができたということになる。
橋を渡ると、バスは3島目の豊島へ。道路はそのまま島の北海岸へと進む県道につながっており、バスも道なりに県道を進んで、島の北側を巡っていく。

第3の島である豊島は、最初に通った下蒲刈島とほぼ同じ大きさの島。人口は約900人で、島の東部、大崎下島に面する海岸沿いに大きな集落がある。比較的小さな下蒲刈島から始まって、大きな上蒲刈島、小さな豊島、大きな大崎下島と、大小の島が交互に現れる。それがまた飛び石のように見える。バスは再び海岸線を進んでいく。奥にはこれから渡る大崎下島、さらには後ほど渡る大崎上島が見えていた。

やがてバスは大崎下島に面する集落に差し掛かる。広から乗車した乗客はここまでで3人ほどに減っていたが、集落内で短区間の利用があったほか、大崎下島へ向かう数人の乗車があり、再び車内はにぎやかに。こうやってバスに乗車すると、橋が開通する以前に島同士がどんな結びつきがあったのかを何となく想像することができる。豊島大橋の開通は割と最近の話。豊島の住民は、豊浜大橋を渡って大崎下島へ渡る。おそらく、それは橋がない時代からの流れなのだろう。
ちなみに、中国労災病院から豊浜支所前まではこのバスが始発便だったが、ここから先は区間便の設定があり、この日の第二便に変わる。
第四の橋・豊浜大橋を渡り、大崎下島の海岸線を辿る

豊島の集落を抜け、バスはこの路線が渡る最後の橋、豊浜大橋を渡る。豊浜大橋は、2つ目に渡った蒲刈大橋と同じ3径間連続曲弦下路式トラス橋。全長は543m。1992年に開通し、豊島と大崎下島をつないだ。ここまで来ると、本州の沿岸からはかなり離れる。あまり実感はないが、大崎下島は本州と四国のちょうど中間付近に浮かぶ。船に乗らずに、瀬戸内海の真ん中まで来たというのが面白い。本州の山の稜線もかなり遠くへ離れている。

大崎下島に上陸したバスは、この先基本的には島の北海岸を走っていくが、その前に一旦寄り道。豊浜大橋の下をくぐって、近くの大浜という集落に立ち寄る。その集落にある公園の駐車場を使って折り返すと、来た道を戻って再び豊浜大橋の下をくぐり、その後は東へと進んでいく。大浜からあと少し行けば終点の沖友となるので、島の外周の4分の3程度を回っていく形になる。

海岸線に沿って続く県道をひた走るバス。最初は豊島を眺めるが、やがて沖合に浮かぶ三角島と呼ばれる島を眺めながら進んでいく。ここまで来ると奥には大崎上島の山の稜線もはっきりと見えるようになった。やがてバスは久比の集落を通過。集落の中にある久比港には斎島~豊島~久比の航路が就航し、豊島へはバスだけでなく、船でも渡ることができる。また、対岸に浮かぶ三角島への航路も運航されている。久比を通過した後もバスはしばらく海岸線を進み、サイクリングを楽しむ人たちを追い越しながら進んでいった。

やがて車窓には小さめの斜張橋が見える。これがとびしま海道の5つ目の橋、平羅橋である。この橋は大崎下島と平羅島を結ぶ。この先もとびしま海道に沿って旅するなら、ここで左折して、橋を渡っていく形となる。この先は近接して3つの橋が並んでいる。6つ目の中の瀬戸大橋と7つ目の岡村大橋も、この先のバスの車窓から眺めることができる。岡村島方面に行くバス路線はなく、バスで行けるのは大崎下島まで。岡村島までは歩いて20分ほどと近いので、バスを使って岡村島を目指すなら、このあたりでバスを降りて、あとは歩きとなる。岡村港までは徒歩で1時間30分ほどの道のり。そこまで行けば今治行きの船が出ている。

平羅橋の横を通過すると、まもなくバスは小長港に到着。ここにはバスの営業所が設けられていて、その車庫前に設けられたバス停に停車した。ここは大崎下島と大崎上島を結ぶフェリーが発着しており、筆者もこの後はここへ戻ってきて、そのフェリーで大崎上島へと渡る。奥に見える小長港のターミナルの後ろに見えるのが、とびしま海道6つ目の中の瀬戸大橋。7つ目の岡村大橋と同じニールセンローゼ橋で、こちらから見ると2つのアーチ橋が並んで見える。

小長港を出ると、いよいよバスの終点が近づく。バスは島で一番大きな大長、御手洗の集落を通過していく。バスに残っていた乗客の多くは、大長の街中にあるバス停で下車していき、車内の乗客は筆者を含めて2人になった。港を跨ぐ豊大橋から山沿いに広がる集落を眺めると、バスは御手洗地区へ。歴史ある街並みが保存されているこの街の海岸線を、対岸に岡村島を眺めて進んでいく。

御手洗地区の海岸沿いを走ると、再び視界が開けはじめ、今度は島の南側の瀬戸内海が見え始める。遠くには四国本土と大島を結ぶ来島海峡大橋の主塔が見える。ここまで来ると、広島の街からかなり遠くまで来たなという実感が湧く。今回は四国の地は踏まないが、目の前はもう四国である。

御手洗を通過すると、バスは島の南東部の海岸線を進んで、終点のバス停がある沖友の集落へと進んでいく。豊島以降は上空に雲が広がっていたが、これは一時的なものだったようで、西側からは再び青空が広がり始めていた。御手洗から先は県道も1車線となり、バスは狭い道路を縫うようにして走っていく。10分ほどこのような車窓が続き、対岸に四国を眺めながら走ると、バスはまもなく終点の沖友天満宮前へ。4つの島を巡る沖友線のバスの旅が幕を閉じた。

中国労災病院を発車して1時間30分。沖友天満宮前でバスを下車する。時刻はまだ朝の8時過ぎ。ここまで行くのは自分ひとりだけだろうと思っていたが、降りる乗客はもう一人おり、結果的に貸切状態だったのは中国労災病院~広駅前のわずかな区間のみだった。
初めての瀬戸内産交の路線バスの旅。海を渡る4つの橋を経由して、4つの島を巡る1時間半の道のりだったが、それぞれに個性ある橋と、海岸沿いから眺める瀬戸内海の風光明媚な車窓は、とても見ごたえがあった。同時に、呉の市街地と4つの島々、そして隣接する島同士を結ぶ地域の足としてのこの路線の姿を見ることができたのも、よい収穫だった。
静かな朝の時間が流れるバスの終点・沖友の集落

バスの終点まで乗ってみたくて、やってきた沖友の集落。折り返しのバスは30分後に発車する。それまでバス停の周辺をのんびり歩いて時間を潰す。
集落の海岸沿いにある沖友天満宮前バス停。その名の通り、バス停の横には沖友天満宮と呼ばれる天満宮があり、地域の守り神が集落の真ん中に鎮座している。
沖友線は上蒲刈島の営農センターまでの区間便があるものの、それ以外の豊島・大崎下島まで運行される便は、全てがここまで運転されている。始発は6時5分発、最終は20時50分着と、小さい集落でありながら、比較的朝早く、そして夜遅くまでバスが走っている。ここまで来たバスは、そのまま折り返す場合もあるが、回送で小長港にある営業所まで回送される場合もある。本数は比較的多いので、ここまで来ても1時間以内には折り返しのバスがある。御手洗までは歩いて行けなくもないが、45分程度かかる。秋や冬ならそれも考えるが、夏は流石に歩くという選択肢はない。

御手洗以降は狭くなった県道。この先もバスが島に上陸した直後に立ち寄った大浜地区まで隘路が続く。北側のメインストリートからすれば、こちらは裏通り。交通量も少なく、使うのはほとんどが地元の車だろう。観光客が訪れるような観光地もこちら側にはなく、静かな集落の日常が流れている。
山の上の方を見上げると、高い場所を走る道路が見えた。島の北側にある久比からここへは、島の中央部をトンネルで短絡する道路も通っている。地図を見る限り、道路は山の斜面に沿ってクネクネと折れ曲がっており、道幅も狭い。久比側では小さなループ橋まで設置されている。瀬戸内海に浮かぶ島も、結構険しい地形をしている。

集落は民家が密集していて、車一台が通れるかどうかといった狭い道路が、家々の間を縫うようにして走っている。民家の壁に貼られた趣ある看板が、小さな港町の風情を漂わせる。住宅の軒先では地元住民が井戸端会議を開いている。昨日は広島の街中で通勤ラッシュに巻き込まれていたが、それとは対照的な場所に今日は身を置いている。ローカル線と都市の鉄道を選ぶなら、都市の鉄道の方が好きであるが、身を置くのはこれくらい静かなところの方が、多分性にはあっている。

歩いている間に上空を覆っていた雲は抜け、青空が広がり始めた。それに呼応するようにして、海もまた青く輝きだす。小さな沖友の港は静かで、とてもゆったりとした時間が流れている。奥に見えるのは四国本土。場所的には予讃線の伊予亀岡あたりが見えており、この駅の近くにある石油の備蓄基地が肉眼でもはっきりと見えた。瀬戸内海の船の大動脈となっているこの海峡を、大きな船が列をなして行き来するのが見える。あちら側の予讃線も、最後に日中に通ってからしばらく経つ。次回、特急「しおかぜ」や「いしづち」の車窓から海を眺めたときには、この島を訪ねたことを懐かしさと共に思い出すことになるだろう。各地に思い出を置いていく。それもまた旅の一つの面白さである。

ただ終点まで乗車したいと思って立ち寄った場所だったが、島の裏側のとても静かな集落で、心落ち着く朝ののんびりとした時間を過ごすことができた。
乗車記録 No.18
瀬戸内産交 沖友線 中国労災病院行
沖友天満宮前→住吉神社前
沖友天満宮前からは折り返し8時35分発の中国労災病院行きに乗車。帰りの便もこの集落から数名の乗車があった。再び瀬戸内海を眺め、来た道を戻り、2つ先の住吉神社前で下車。その後は昔ながらの街並みが残る御手洗の街を散策し、フェリーで大崎上島へ渡った。
続く