【旅行記】広島電鉄再訪と萩・芸予諸島を数珠つなぎで巡る旅~御手洗地区散策としまなみ海運小長-明石航路~

伝統的建造物群保存地域に指定された御手洗

 最終日となる3日目は、早朝から瀬戸内産交の沖友線に乗車。4つの島を巡るこのバスを乗り通し、終点である大崎下島の沖友天満宮前まで行った後、折り返して住吉神社前バス停でバスを下車した。ここからは1時間半ほどの時間を設け、御手洗地区を少し歩いていく。
 旅行の直前まで、時間の都合でここに立ち寄るつもりはなく、すぐにフェリーで大崎上島へ向かう予定だった。しかし、風情ある街並みに興味を惹かれたほか、近くの高台から眺める瀬戸内海の景色も見てみたいと思い、予定を変更。後の日程は乗り継ぎの都合で動かせないため、この日は朝早くから動き出すことになった。
 大崎下島、現在の住所的には呉市豊町に所在する御手洗。ここはかつて北前船の潮待ち港・風待ち港として使われた港町である。風待ちとは、海の状況や風向きが悪いときに、近くの港に立ち寄り、風向きが変わったり、天候が回復するのを待つこと。瀬戸内海の島々には風待ち港として使われていた場所が多々あり、御手洗のように歴史的な街並みが今も大切に残されている場所もある。
 こうした歴史的な景観を残す御手洗は、伝統的建造物群保存地区の指定を受けている。これは文化庁が選定する制度で、全国各地に残る歴史的な街並みが、地域の大切な文化財として保存され、次世代へと受け継がれている。広島県では、竹原、鞆の浦、宮島、そしてここ御手洗の4か所が指定を受けている。呉市にとっては、軍港の街として知られる市街地周辺とともに、主要な観光地の一つとなっている。大崎下島の東側に位置し、観光後は大崎上島へ渡ったり、岡村島へ移動して、大三島・今治港方面へと船で渡ったりすることもできる。しまなみ海道と組み合わせたドライブコースやサイクリングコースの途中に立ち寄ることも可能である。
 
 バス停の名前の通り、住吉神社前バス停の近くには住吉神社がある。その裏手からは石垣の防波堤が海に突き出している。千砂子波止と呼ばれるこの防波堤は江戸時代に築かれたもので、現在も御手洗を象徴する場所の一つとなっている。防波堤の先端には高灯籠が設置されている。これは近年復元されたものだが、1枚目の写真に写っている神社の参道に建てられたものが江戸時代にこの地の豪商の資金によって造られ、後に移設されて現在の場所に設置されたものである。
 石垣には隙間があり、少々歩きにくいものの、先端まで歩いていくと、先ほどバスから眺めた御手洗の街並みを海側から一望することができる。防波堤には船が係留され、穏やかな瀬戸内海の上でゆっくりと揺れている。次第に暑さが増してきたが、時折海から風が吹き抜け、心地よさを感じる。海ではサップを楽しむ人の姿も見える。散策の時間に合わせるように空も青さを増し、御手洗の穏やかな朝の風景が広がっていた。

高台にある展望台から瀬戸内海を一望する

 車でここへ来た場合、おそらく小長港側にある無料駐車場に車を停め、その近くにある観光案内所に立ち寄ってから散策することになると思うが、今回は反対側から観光案内所のある方へ歩いていく。伝統的建造物群保存地区に指定された街を歩く前に、まずは高台にある公園から、島周辺の景色を眺めてみることにした。御手洗について調べていたときに見た高台からの景色が美しく、それを自分の目でも見てみたいと思ったからで
 展望台へは車で向かうのが一般的だと思うが、歩いていくこともできる。その入口は少し分かりにくいものの、旧御手洗小学校のグラウンドの中に入口があった。そこからひたすら階段を上り、展望台を目指す。片道の所要時間は10~15分ほど。夏ということで沿道の草木が多少生い茂っているところはあったものの、問題なく高台へ向かうことができた。おそらく、この時期に歩いて高台まで登る人はほとんどいない。もう少し季節が進めば、蜘蛛の巣だらけになりそうな雰囲気がある。
 半分ほど登ったところで、あることに気付いた。展望台へ向かう前に自販機で飲み物を買おうと思っていたのだが、それをすっかり忘れていた。暑さと急勾配が容赦なく体力を奪っていく。階段もかなり急で、思っていた以上にきつい。こんなところで熱中症で倒れたら、誰にも気付かれないのではないか。そう思うと無理をするわけにもいかず、踊り場で休みながら少しずつ進んでいった。
 
 少し進むと、おいらん公園という小さな公園に出るが、目指している公園はもう一段上にある。山の斜面を走る道路へ出て、そこからさらに階段を上っていく。もはや風呂に入っているのではないかというほど汗をかきながら、ようやく頂上の展望台に到着。これは夏にやるべきことではないと確信しつつ、展望台近くにかろうじてできた日陰で荷物を下ろして休む。展望台には自販機がなく絶望していたが、ウィダーを持っていることを思い出した。それを飲んで何とか水分を補給すると、ようやく生き返ったような気分になった。
 
 しばらく休憩してから、展望台からの景色を眺める。歴史の見える丘公園というこの場所からは、御手洗周辺の景色を一望できる。瀬戸内海らしい多島美に思わず見とれてしまう。眼下には御手洗、そして隣接する大長の集落。海岸線からここまで階段を上ってきたが、相当高い場所まで登ってきたことが分かる。調べてみると、この場所は標高約90m。オフィスビルに換算すると25階ほどの高さになる。目の前に浮かぶ小島よりも高い場所にいると思うと、階段を上ってきた苦労も少し報われる気がする。
 集落の先には複数の島が浮かび、その奥にもまた海が広がっている。そして島と島を結ぶアーチ橋が、ここからの景観に彩りを添えている。今は御手洗から北の方向を見ている。奥に見えるのは、7つある安芸灘とびしま海道の6番目の橋、中の瀬戸大橋。平羅島と中ノ島を結んでいる。その中ノ島の手前に浮かぶのが小島。さらに右側に浮かぶ大きな島は岡村島である。今いるのは広島県呉市だが、この岡村島は愛媛県今治市に所在する。
 ここからは見えないが、小島の後ろには中ノ島と岡村島を結ぶ岡村大橋が架かっている。その後ろに見えるのが、これから渡る大崎上島。さらにその後ろに広がる山々が本州である。いくつもの島々が重なり合い、その向こうへさらに海が続いていく。芸予諸島らしい、奥行きのある景色が広がっていた。
 
 展望台からは北側だけでなく、南側の景色も眺めることができる。島々が浮かぶ多島美を楽しめる北側の一方で、南側には四国方面へと瀬戸内海が広がっている。左手前に見えるのが岡村島の観音崎。その後ろに見えるのが、左から伯方島と大島。画面中央には、大島と四国を結ぶ来島海峡大橋が小さく見える。写真では小さく見えるが、実際には思っていたよりも大きく、かなり近くに感じられる。
 一方、右側には波方半島が見える。四国本土の先端の一つにあたるこの半島には、石油やガスの貯蔵施設があり、ここからも大きなタンクを眺めることができる。ここから直接は見えないが、画面中央奥の方には今治市街地があり、直線距離では17kmほど。呉の市街地よりも近い場所にある。
 
 天気にも恵まれ、展望台から青空の広がる瀬戸内海の景色を楽しむことができた。以前、しまなみ海道をバスで旅した際、大三島に立ち寄り、多々羅大橋近くの展望台へ行ったことがある。そのときも冬晴れの快晴で、目の前に広がる景色に魅了されたのを覚えている。尾道周辺を含め、このあたりは自分の好きな場所の一つになりつつある。
 展望台からは再び階段を下りて、御手洗へ。階段脇にはみかん畑が広がっていて、これもまた瀬戸内海らしい風景である。大崎下島もみかんの栽培が盛んな島。木々にたわわに実ったみかんと、眼下に広がる海を眺めながら、また汗をかいて階段を下り、海沿いへと戻った。
 
 水分も持たずに展望台まで往復してしまったので、とりあえず水分補給をしなければならない。海沿いの道に出れば自販機があるだろうと、住宅と住宅の間を通る細い路地を抜けて海沿いへ向かう。すると、小さな商店の軒先に自販機を無事に発見。そこで飲み物を購入し、目の前の堤防の途切れたところに腰を下ろして、しばらく休む。海に面した場所で多少風はあるとはいえ、猛烈な日差しが水分と体力を奪っていく。自販機でキンキンに冷やされた飲み物が、乾いた体に染み渡る。それは、夏に旅していることを実感する一場面でもあった。
 座った堤防の下を覗くと、石垣が積まれていた。これも先ほどの防波堤と同じく、江戸時代に造られたものなのだろうか。その石垣の上で水面がキラキラと輝いている。波はほとんどないが、わずかなさざ波の音が耳に涼を届けてくれる。自然の音ほど、人を癒してくれるものはないような気がする。
 
 10分ほど休んでいると、やがて遠くからバスの音が聞こえてきた。瀬戸内産交のバスが目の前を通過していく。おそらく小長にある車庫から沖友天満宮前まで回送され、折り返しの上り便になるのだろう。上蒲刈島以降はバスの本数が減るものの、おおむね1時間~1時間半に1本程度は確保されている。
 ところで前話では書き忘れていたが、数年前まではさんようバスが運行する「とびしまライナー」も広島バスセンターと各島々を結び、沖友天満宮前まで運行されていた。今は乗り換えが必要となっているが、少し前まではこの島と広島市街地がダイレクトに結ばれており、この道を広島バスセンターへ向かうバスも走っていたのである。

家々が密集し、趣向きある建物が多く残る街中を歩く

 さて、小休憩のあと、再び散策を再開する。ここからは御手洗の街中を歩く。海岸沿いの道路から一歩内側へと進めば、住宅が密集し、昔ながらの趣ある街並みが今も大切に保存されている。反対側にある観光案内所で観光マップをもらって散策するのが正規の散策ルートだと思うが、今回は逆から進む。こういうときは、あえて地図を見ずに気になった路地を歩いてみるというのが個人的なマイルールになっている。
 家々が密集する街中へと進む。すると、通り沿いに赤い時計の看板を掲げた時計店が現れた。明治時代創業という新光時計店で、店先に掲げられている大きな赤い時計がこの店の目印になっている。昔ながらの木造家屋が並ぶ通りの中に、こうした特徴的な看板を掲げた店が今も営業を続けている。歴史的な街並みというと、古い建物そのものに目が行きがちだが、こうして現在も商売の場として使われていることに、御手洗の街が単に保存されているだけの場所ではないことを感じる。
 
 さらに歩いていくと、今度は青みがかった木造の洋風建築が目に入る。こちらは理容店として使われている建物で、木の板張りの外壁に大きな窓が並び、昔ながらの町家とはまた違った雰囲気を持っている。御手洗の街並みには江戸時代から続く町家だけでなく、近代になって建てられた洋風の建物も残っている。瓦屋根の町家が続く中に、こうした建物が時折現れることで、街並みに少し違った表情が加わっている。
 その先には郵便局があり、軒先には旧型のポストが置かれている。一緒に撮ってくれといわんばかりに、古い街並みの中で赤い円柱形のポストが存在感を放っている。しかも、この郵便局は現在の幹線道路沿いではなく、家々が密集する昔ながらの街の中にある。こうした場所に今も郵便局があるということも、御手洗が古くから人々の暮らしや商業の場として栄えてきたことの一つの証なのだろう。時計店や理容店、郵便局といった現在の暮らしに必要なものが、歴史ある家々の中に自然に溶け込んでいる。
 
 郵便局の角で右折してまっすぐ進んでいくと、江戸時代の町屋が立ち並ぶエリアへと入っていく。御手洗は1666年に街づくりが始まり、江戸時代の中頃から幕末にかけて現在の町の形が整えられていった。通りに面して間口の狭い町家が並び、切妻屋根や瓦、格子など、瀬戸内の港町らしい建物が連続している。個々の建物を見ても面白いが、こうした家々が途切れずに並んでいることで、当時の港町の雰囲気が今に伝わってくる。
 
 最後に御手洗休憩所(観光案内所)まで来ると、ここで家々の密集も途切れる。その休憩所の前は1806年に島の測量に来た伊能忠敬が滞在した場所なのだそう。今回ここに掲載したのはほんの一部だが、これら以外にも歴史的な建物がたくさん残っている。歴史的な街並みで最近訪ねた場所といえば、岐阜の郡上八幡や明智、秋田の角館、あとは千葉の佐原などが思い浮かぶが、またここでも江戸時代から大正にかけての風情を感じることができた。
 そこから再び海沿いへ出て、今度は堤防から周辺の景色を眺めてみる。御手洗の街並みはこのあたりで途切れるが、街は海岸沿いに続いている。奥に見えるのは大長の港。ここは島の中でも大きな集落で、ここからは山影に隠れて見えないが、入り江に住宅が密集し、港町の雰囲気を漂わせる。呉市のまちづくりセンターや農協の選果場、スーパーなどもあって島の中心地としての役割を果たしている。これから向かう小長港は、奥に見える橋の手前にある。歩いても30分ほどで行けるが、暑いので今回はバスを使うことにした。
 
 海沿いへ出た後は、引き返して駐車場のベンチに腰掛け、看板の陰に入ってまた一休み。ジワジワと気温が上がっているのをこの身でも感じる。この時間ならまだ、日差しを避ければ多少の涼しさを感じられる。交通量の少ない御手洗の県道。観光に来るにしても午前の遅い時間からだと思うので、観光客の姿はなく、軽トラや原付などの住民の車がたまに通過していく。
 少し耳を澄ませば、セミがミンミンと鳴き、近くではツクツクボウシが鳴いている。最近は、忙しなく移動する旅の中でも、時々ゆっくり座って周辺の音を聴く時間を意図的に作るようにしている。ローカル線の小さな駅や海沿いの港のベンチ、もしくは河川敷の階段。景色とともに音も楽しんでみる。そうすれば、そこに流れている日常の景色をさらに深く見られる気がするのだ。暑ささえなければ、1時間でも2時間でもここに座って夏の音に浸っていたいが、暑さがそうはさせてくれない。

バスで小長港へと移動し、大崎上島へのフェリーを待つ

 御手洗からは再び瀬戸内産交の路線バスに乗車し、小長港へ移動した。バス停は御手洗港の桟橋の前に設置されており、海沿いを走るバス通りを歩いてそのバス停へと向かう。バス停では一人の高齢の女性がバスを待っていた。どこから来たの?と尋ねられ、九州ですと答えると、先の地震の被害を心配してくださった。女性はこれからバスに乗って、呉側のバスの始発地である中国労災病院まで通院に向かうという。島々をつなぎながら走るバスが、地域にとって欠かせない存在であることを改めて実感する。静かでいいところですねと会話を交わしていると、やがてバスが現れ、その女性とともにバスへと乗り込んだ。
 小長港までの所要時間は5分ほど。バスは大長でも乗客を拾いながら進んでいく。この後、小長でも1時間ほどの待ち時間があるため、歩いてもよかったのだが、夏の旅は体力の温存を第一に考えないといけない。少しだけ車内で涼み、小長港に到着。バス停で出会った女性と互いにお気を付けてと言葉を交わし、バスを下車した。小さな旅の中の出会いも、かけがえのない思い出になる。
 
乗車記録 No.19 瀬戸内産交 沖友線 中国労災病院行 御手洗港→小長港
 
 小長港のバス停は、ここに設けられたバスの営業所の構内にある。反対側には小さな車庫があり、数台のバスが止まっていた。地図を見ると、ここはさんようバス豊営業所と書かれている。さんようバスは大崎上島を拠点にバスを運行する会社で、筆者もこの後、上島の方でお世話になる。もともとこのあたりの路線バスはさんようバスによって運行されていたようで、豊浜大橋が開通した後には、上蒲刈島を拠点とする瀬戸内産交とさんようバスで路線バスの共同運行が行われていたらしい。その後、さんようバスは先述の「とびしまライナー」を運行していたが、路線の廃止に伴い、現在この車庫への配置車両はなく、瀬戸内産交の車庫として使われている。
 その営業所の目の前にある小長港は、大崎下島の定期航路が発着する港の一つで、大崎上島へ向かう航路が就航している。ターミナルはかなりしっかりとした造りで、海側から見るとガラス張りのモダンなデザインになっている。一階にはフェリーの窓口と旅客の待合スペースが設けられており、2階では日曜のみカフェも営業している。隣には「ゆたか海の駅とびしま館」という建物もあり、周辺の観光拠点となっているほか、ホテルなども営業している。
 
 ターミナルの前を歩いていると、橋の向こうから船が近づいてきた。この後はこの船に乗船して大崎上島へと渡る。しかし、次の便までは約1時間の待ち合わせ。船もここでしばらく停泊して、休憩を取る。遠くまでは行けないが、少し来た道を戻って、中の瀬戸大橋と岡村大橋が望める場所まで歩いていってみることにした。
 
 海の港でありながら、周囲を山や島で囲まれた小長港。穏やかな瀬戸内海にはほとんど波もなく、まるで小さな湖の湖畔を眺めているような感覚になる。港の周りには、平羅島、中ノ島、岡村島の3島と、小島と呼ばれる島が浮かんでおり、さらにその後ろには大崎上島が浮かんでいる。中ノ島と岡村島を結ぶ岡村大橋は少し中ノ島に隠れはするものの、港からはとびしま海道の最後の3つの橋をすべて見ることができる。
 早朝にバスでここを通った時には、釣りをしている人が大勢いたが、もうこの時間には誰もいない。次の便に乗船するために、こんなに早く来るのも自分くらいだろうと思っていたが、しばらくするとトラックが1台やってきて、ターミナル前に停まった。どうやら同じ便に乗船するらしい。ドライバーにとっては、ここでの待ち時間も乗船までの休憩時間になるのだろう。
 
 小長港からバスで通った県道を少し戻って御手洗方面へ。しばらく歩くと、奥の方に先ほどまでいた御手洗地区が見えた。さらにその奥には、来島海峡大橋の主塔が2基建っているのが見える。広角で撮るとかなり遠くにあるように見えるが、望遠で撮るとぐっと近く感じられ、肉眼でもその姿をはっきりと確認できた。
 
 岡村大橋がしっかり見える場所まで移動し、そこから2つの橋を撮影する。右側から平羅島、中ノ島、岡村島と並び、その間には中の島大橋と岡村大橋という2つのニールセンローゼ橋が並んでいる。岡村島は愛媛県に所在するため、右側の岡村大橋が広島県と愛媛県との県境になっている。2つの橋の後ろ側に見えるのが、これから渡る大崎上島。そして左側の中の瀬戸大橋の後ろ側、遠くに見えるのが本州である。穏やかな瀬戸内海を跨ぐ2つの白い橋。左右に並ぶその姿が、とても美しかった。
 さて、遠くに行きすぎるとまだ戻るのが大変になるので、この辺で引き返して小長港のターミナルへ。券売機で次に乗るフェリーの乗船券を購入し、船の出発時刻を待つ。幸い、ターミナルは冷房が効いていて、快適に船を待つことができた。掲示板には大崎上島のバス時刻表も掲出されている。渡った後の旅程を再確認しながら、次の島はどんな島だろうかと期待を膨らませた。

しまなみ海運の小長-明石航路で大崎上島へ

 待合所でしばらく休憩を取り、ここから再び移動を再開する。小長港から乗船したのは、しまなみ海運という会社が運航する小長-明石航路。大崎下島と大崎上島を結ぶ現在唯一の交通手段で、地域の貴重な移動手段として使われている。しまなみ海運は三原市に本社を置く海運会社で、因島の土生商船グループに属している。以前は竹原と大崎上島・大崎下島を結ぶ高速船も運航していたが、こちらは2025年3月末をもって休止され、これから乗船する小長-明石航路が同社唯一の定期航路となった。現在は1日12往復(休日は11往復)が運航されており、両港を15分で結んでいる。
 小長港、明石港ともに待合所内に券売機が置かれており、徒歩乗船・車両乗船のどちらの場合も、ここで乗船券を購入することで乗船が可能となっている。大人1人の乗船料金は370円だった。出航時間が近づくと改札が始まる。係員に乗船券を渡して桟橋へと向かい、明石からやってきた便の折り返しに乗船。船は「第五かんおん」と呼ばれるもので、車両甲板の左右両側に客室がある造りだった。客室内にある階段を上ると2階へ進むことができ、ここにはデッキになっていてベンチが置かれている。客室の方が涼しくて快適だが、瀬戸内海の船旅を楽しむなら、やはりここがいい。一番前のベンチに座って、15分の船旅を楽しむことにした。
 
乗車記録 No.20 しまなみ海運 小長-明石航路 小長港→明石港 第五かんおん
 
 午前中の遅い時間という何とも中途半端な時間の便ということもあり、乗船したのは筆者のほかに車が2台だけ。乗船が完了すると、ほどなくしてフェリーは小長港を出港。大崎下島に別れを告げて、次なる島へと進んでいく。滞在したのは短時間なのに、なんだか名残惜しさを感じるのが船の旅。陸路で本州とつながった島とはいえ、来るのはそう簡単ではない。
 
 船は港からも見えていた中の瀬戸大橋の下をくぐり抜け、その先に見える大崎上島へと向かっていく。橋の詳しい構造までは知らないが、橋のデザインを見るのは好き。橋はその地のランドマークになっていることも多く、旅先でもよく見に行ったりする。中の瀬戸大橋はニールセンローゼ橋と呼ばれる種類の橋で、アーチから路面にワイヤーが格子状に張られており、とても景観になじむ構造になっている。橋の種類はいろいろあれど、個人的にはこの形の橋が一番好きだと思う。
 
 船はゆっくりと橋の下を通過する。橋の下を通過する航路では、ついつい橋を見上げてしまう。大阪南港~別府間で初めて大型のフェリーに乗船したとき、深夜に客室を抜け出して来島海峡大橋を眺めたのは、いい思い出。小学6年生の時だっただろうか。明石海峡大橋、瀬戸大橋、そして来島海峡大橋という瀬戸内海を代表する3つの橋を見上げたことは、今も忘れない。
 
 橋の下をくぐって、平羅島・中ノ島の横を通り過ぎると、それまで閉鎖的だった景色も一気に開ける。対岸には大崎上島、そしてさらに奥には大三島を眺めながら、船はゆっくりと進む。瀬戸の花嫁を口ずさまずにはいられない。そんな美しい景色が広がる。日差しは眩しいが、風があって心地いい。
 
 反対側には、朝から瀬戸内産交のバスで走ってきた上蒲刈島や豊島が見える。これらの島の海岸線をバスは巡りながら走ってきた。さらに遠くには、とびしま海道の1つ目の橋、安芸灘大橋が小さく見えている。直線距離であそこまで16km。あの橋の向こうに呉の街が広がっている。
 
 徐々に進路を東へ移し、船は岡村島と大崎上島の間を抜けて明石の街へと近づいていく。中央奥に見える小さな街並みが、この船が目指す明石の街。このあたりでは、この集落以外に海に面した集落はなく、とてものどかで自然豊かな景色が広がっている。
 
 いよいよ明石港が近づく。船内に到着を知らせる放送が流れ、船は港の防波堤の内側へと進む。まもなく港の赤い桟橋が見えるとともに、港周辺の住宅街が目前に広がる。船はゆっくりと桟橋に接岸し、15分の短い船旅が終わる。乗るときは乗客が先だが、下船するときは車両が先。車両が下船している間に階段を下りて甲板へ下り、2台の車両の下船後に筆者も船を下りて、大崎上島へと上陸した。
 船は停泊時間もわずかに、小長港へ帰っていく。乗船した便の乗客・車両は少なかったが、帰りの便には徒歩客も複数人乗船していた。大崎下島から上島へ買い物などで渡る人の利用が一定数あるらしい。小さな航路にも、地域の暮らしを支える役割がある。
 
 初めて上陸した大崎上島。芸予諸島に浮かぶ島の一つで、大崎下島の北、大三島の西に浮かぶ離島である。大崎下島は橋を介して本州とつながっていたが、この島は本州とはつながっておらず、現在も船で渡る必要がある。北海道、本州、四国、九州、そして沖縄本島以外で、橋でつながっていない島への訪問は、厳島、沖永良部島、徳之島に次ぐ、これが4島目だった。
 大崎上島は芸予諸島の中でも比較的大きな島で、大三島、大島に次ぐ大きさとなっている。先ほどいた大崎下島に比べれば倍くらいの大きさがある。全域が大崎上島町に属し、島には6,400人ほどが暮らす。明石港周辺はのどかだが、島の北側は栄えており、造船所が多数あるとともに、橋でつながる長島には中国電力の発電所もあり、工業が盛んな島でもある。本州側とは複数の航路があり、通勤・通学で行き来する人も多い。
 島には路線バスが一周する形で走っている。今回の上陸の目的は、このバスに乗車すること。明石港から路線バスでぐるっと一周し、その後は別の港へと移動して、船で本州側へと渡る。
 
 次のバスまでは35分ほどの時間があった。港の近くを歩いてみる。島の裏側に位置する明石港は交通量も少なく、とても静かだった。時刻はちょうど昼を回り、防災無線のスピーカーから、学校のチャイムでおなじみのキンコンカンコンという鐘の音が周辺に響き渡る。遠くからは周辺の島々にも反射して、同じ音が少し遅れて聞こえてきた。のどかな港町の正午。暑すぎて外を歩く人の姿はほとんどない。その後は待合所に戻って、次のバスを待つ。小長港と同じく、ここも待合所には冷房が効いていて、快適にバスを待つことができた。
 さて、明石港からはさんようバスの大崎上島循環線に乗車。左回りで島を一周し、大崎上島の景色をバスの車窓に眺めた。
 
続く