【旅行記】山陰本線完乗を目指す旅 ロングラン列車で下関から益田へ
山陰本線に初めて乗車したのは今から18年前。播但線で姫路から和田山へ、そこから普通列車と快速列車を乗り継いで益田へと向かった。出雲市~伯耆大山間はここ数年でも何度も利用していたが、それ以外の区間はその時以来のご無沙汰となっていて、今年に入るまで、花園~綾部間、福知山~和田山間と益田~幡生間が未乗となっていた。昨年の春、美祢線乗車のついでに仙崎支線に乗車し、今年春には18年間ご無沙汰になっていた和田山~伯耆大山、出雲市~益田間も久しぶりに乗車。さらに京都側の未乗区間だった花園~綾部間、福知山~和田山間にも乗車して、いよいよ山陰本線の未乗区間は益田~幡生間となった。今回は山陰本線最後の未乗区間となったこの区間に乗車することを目的に下関へと向かった。
大まかな行程は次の通り。前日のうちに下関へ入り、一泊。翌日始発の山陰本線普通列車にのり、長門市を経由して益田へ。益田からは石見交通の高速バスで広島へと向かう。2本の列車とバスで下関から益田経由で広島へと向かういたって簡単な行程である。
所要時間4時間15分のロングラン列車で下関から益田へ
乗車記録 No.2
山陰本線 普通 長門市行
下関→長門市 キハ40-2002+キハ40-??
※下関~小串間車掌乗務 小串~長門市間ワンマン
乗車記録 No.3
山陰本線 普通 益田行
長門市→益田 キハ40-2002
※前列車から通し運転 ワンマン

翌朝は5時過ぎにホテルをチェックアウトして下関駅へ。山陰本線の始発列車である普通長門市行きに乗車する。実はこの長門市行き、今年3月のダイヤ改正までは益田行きだったのだが、ダイヤ改正で長門市行きに変更されている(車掌の乗務区間の変更が影響?)。しかし、実際には益田まで通しで運転されており、約4時間15分で下関と益田を直通するロングラン列車となっている。

駅の九州側に車両基地がある下関駅。朝の出庫列車が次々に入換を行う。山陽本線の列車に混じって出庫するキハ40形2両編成が乗車する山陰本線普通長門市行で、発車の10分ほど前にホームに入ってきた。この普通列車、長門市から益田行きになると言ったが、益田行きになるのは前1両のみ。後ろ1両は長門市駅で切り離して、折り返し普通小串行きとなる。時刻は5時30分をまわったところで、こんな時間から山陰本線を上る乗客もほぼおらず、自分を含めて2人の乗客を乗せて、下関駅を発車した。途中の小串までは車掌が乗務する。

下関駅を発車すると、次の幡生駅までは山陽本線を走り、幡生から山陰本線の旅が始まる。綾羅木、梶栗台団地と下関市の郊外に出ていく。その後車窓には関門海峡の出口にあたる日本海を望む。この日は雨が降っていたのだが、この時には青空も見えた。遠く対岸には北九州の工業地帯が見える。一つと峠を越えると、川棚温泉、そして小串へと到着する。

小串で小休憩して、ここからはワンマン運転となる。小串駅は山陰本線の運行系統が区切れる場所で、ここから下関方面は列車本数も多いが、ここから長門市方面は本数が少なくなる。乗車中の列車のように下関から長門市まで直通する列車もあるが、多くの列車はこの駅で下関側、長門市側へと折り返していく。川棚温泉あたりから通学の高校生で車内がにぎわい始めた。

後ろを振り返ると大量のキハ40系列が並んでいる。小串駅は夜間停泊が設定され、早朝は車両基地レベルに大量のキハ40系列が並ぶ。下関方面には4両編成で運転される列車もある。確かに途中の駅ですれ違う下関行の普通列車は朝6時台に関わらず混雑していた。乗っている列車、隣のホームの列車、さらに隣のホームに留置された列車ざっと数えて12両くらいのタラコ色の車両が並んでいる。今はほんとに令和だろうかと疑いたくなるような光景である。

小串を出発した列車。小串から長門二見までの区間は海に沿って進んでいく。この区間を走る観光列車「〇〇のはなし」でもビュースポットとなっていて、おそらく晴れてれば夕日がきれいであろう区間を早朝6時に駆け抜けていく。

長門二見駅の手前では列車が速度を落として走るため、車窓を撮影するには絶好のポイント。長門二見からは内陸に入って滝部や難読駅名で有名な特牛(こっとい)などを経由して阿川からは再び海岸線を走っていく。通学ラッシュに差し掛かり、滝部を過ぎると車内もそれなりに混雑し始めた。長門市から2つ手前の人丸駅の近くに高校が立地するため、ここで乗客が入れ替わり、今度は長門市へ向かう高校生が乗車。多くの通学生を乗せて2両の列車は長門市駅に到着した。

長門市駅では約10分の停車時間で長門市行きから益田行きに変わる。到着前に特に案内があるわけでもなく、平然としたルーティンで東萩方面に乗り通す乗客はそのまま乗車し続け、長門市で降りる通学生と乗車する人で乗客が入れ替わる。一見すると乗り換えが必要に見えるため、一旦下車した乗客もいて困惑気味だった。長門市駅に来るのは昨年の4月以来だが、あの時は仙崎~厚狭間を乗り通してそのまま通過したので、ホームに降り立つのは初めてだった。なお、下関駅から長門市までは路線バスも運転されていて、海岸線を走る山陰本線に対して路線バスは豊田、俵山温泉などを経由し山間部を突き抜けて走ってくる。

益田行きとなる前1両が一旦ドアを閉めて前に少し移動する。山陰本線を先に進む車両と、来た道を戻る車両が同じホームに停車する形となる。益田行きとなる前1両が回送表示になっているのは間違いで、撮影後に普通に戻された。さて1両の長門市発益田行き普通列車でさらに益田を目指す。

長門市を出ると仙崎支線が左へカーブして別れていき、長門三隅、飯井(ローマ字表記でIiとなるので世界で一番短いローマ字表記の駅名を宣伝している)、三見と停車するが、車内は通学ラッシュが終わって高齢者の利用が目立つ。地方のローカル線は通学輸送が終わると次はお年寄りが利用する光景をよく見かける。萩市内へと入って、玉江と萩駅で高齢者の多くが下車した。萩市は阿武川の河口の三角州に作られた街で、山陰本線は市その三角州には立ち入らず、市街地を大きく迂回する形で線路が敷かれている。ターミナルとなるのは東萩駅で、観光列車「〇〇のはなし」もここを起終点とし、ここを発着点とする列車も多い。阿武川は上流を辿れば山口線の長門峡駅のあたりへ出て、そこから三谷、徳佐と並走する川である。

東萩駅から先は山陰本線でも最も本数の少ない区間へと入っていく。ここから木与までは区間列車があるが、そこから島根県との県境を挟んで益田までが最も本数が少ない。本数が物語る通り、東萩駅で車内は閑散とし、自分を含めて4人くらいの乗客となった。下関から乗り通していたもう一人の滋養客は下車し、この列車を乗り通しているのは運転士を含めて自分だとなった。

東萩から先も海岸線に沿って走る区間が多く、車窓には日本海を眺めて進んでいく。最近何かと話題になった阿武町も、のどかな田舎町で、のんびりとした時間の流れを車内からも感じる。

同じ座席に座って早3時間30以上が経過。そろそろ座っているのがきつくなってきた。東萩から益田は少し行けば着くイメージがあるが、実際地図で見ると思った以上に遠く、東萩~益田間で1時間10分かかる。撮影地として知られる宇田郷駅の益田方にある惣郷川橋梁を過ぎると、トンネルが多くなり、海はしばらくお預けとなる。山口県最後の駅江崎駅を出ると、列車は島根県へと入っていく。

最後の区間となる戸田小浜駅から益田駅間は割と離れていて、益田市街に入る手前では高台を走る車窓に再び日本海を望む。ラストスパートと言わんばかりの軽快な走りで、益田市街へと入ると、高津川を渡り、終点の益田に到着。大雑把な説明になってしまったが、4時間10分。もし同時に東京を出れば徳山くらいまで来ている所要時間で、山口県の日本海側をひた走り、島根県益田に到達した。

4時間以上乗車したキハ40形。言い忘れていたが、幡生~益田(正確には戸田小浜駅と益田駅の間)までの山陰本線は山口線と同じく広島支社の管轄で、益田から先は米子支社管内となる。乗車したキハ40 2002は新山口支社の所属で、山陰本線だけでなく、岩徳線や時には広島近郊の芸備線でも活躍している。

さて、益田駅到着をもって山陰本線の全区間を完乗。初乗車から18年が経過してようやく完乗となって。初乗車した18年前はこの駅で山口線の普通列車に乗り換えたのだが、間違えて長門市行の普通列車に乗り込んでしまい、発車の数分前に乗り間違いに気づいて慌てて山口線の普通列車に乗り換えたことを今でも覚えている。そのホームがまさに今キハ40形が停車しているこのホームので、その時のことを思い出して懐かしい気分になった。
さて、列車の旅はここで終わり。益田からは高速バスに乗車して広島駅へと向かう。
~石見交通広益線に乗車~に続く