【旅行記】夏の関西を巡る旅~信楽高原鐵道・近江鉄道を乗りつぶし~

焼き物の街へ向かう信楽高原鐵道に乗車

 貴生川駅からは信楽へと続く信楽高原鐵道に乗車する。信楽高原鐵道は旧国鉄信楽線を引き継いだ第三セクターで、草津線と接続する貴生川駅と信楽駅の間を結ぶ小さな鉄道会社。貴生川駅は改札がJRと共用となっていて、草津線ホームの傍らに信楽高原鉄道ののりばがある。ホームに向かうとちょうど列車が入ってきた。
 乗車した普通信楽行きのSKR300形。信楽高原鐵道は途中に交換設備がないため、ピストン輸送での運行が行われている。もともとは中間点付近に信号場が設置されていたが、1991年に発生した列車衝突事故のあとに信号場が廃止となり、JRからの臨時列車の直通運転もなくなった。所要時間は25分程度の路線で、次の便までは最低でも50分は必要。朝は2両編成に増結して対応している。
 
乗車記録24
信楽高原鐵道 普通 信楽行
貴生川→信楽
 
 列車は貴生川駅を出ると右へカーブして草津線と別れ、すぐに野洲川の支流である杣川を渡る。ここからは標高を上げていき、新名神高速と並走して峠を越える。ちょうどこの峠の付近に信号場の退避設備跡を見ることができる。最初の停車駅紫香楽宮跡まではかなり距離があり、ここだけでも所要時間は15分。全線の所要時間の半分以上の時間がかかる。紫香楽宮跡から信楽間はこまめに停車して焼物の街信楽へと到着した。
 
 信楽駅に到着すると定番のたぬきの置物が乗客を出迎える。信楽焼の代名詞となっているたぬきの置物は昭和天皇がこの地を訪れた際に沿道に置かれ、その光景がメディアに報じられたことで全国的に有名になったのだとか。「他を抜く」という意味を込めて商売繁盛の縁起物になっている。信楽では人の数より微動だにしないたぬきの生息数の方が圧倒的に多い。
 
 信楽駅の正面口。駅自体は割とこじんまりとしているが、駅の構内の売店にもたぬきの置物をはじめ焼物が多く販売されている。夏休み期間中だったので、観光客も多く、それぞれの方向に散らばっていった。駅前には巨大なたぬきの置物も設置されていて、人よりたぬきの方が密なのでたぬきもマスクを着用している。
 
 ピストン輸送を行う信楽高原鐵道。乗ってきた列車はすぐに貴生川行として折り返していく。せっかく信楽に来たので、次の列車に乗ることにして、駅から歩いて3分ほどの場所にある甲賀市信楽伝統産業会館信楽焼ミュージアムを見学して、信楽焼の歴史について学習。この山間部に焼物の街が形成された理由は大きく分けて二つあるのだとか。一つはこの信楽が大昔、古琵琶湖の湖底にだったことから地質的に恵まれ、焼物に適した良質な土が算出していたこと、そしてもう一つが近隣に京都、大阪、伊勢などの焼物の大消費地や商業地があり、各方面に近い環境にあること。そのほか焼物自体や製造方法の歴史についても展示されていて、いい社会科見学になった。
 
 案外ハマって見ていたらあっという間に列車の時間が近づいてきたので、信楽駅へと歩いて戻る。ここが今回の旅の一つの目的地だったので、駅の売店で信楽土産の「たぬきのぽんぽこりん」を購入。たぬきの型を取ったお菓子だったが、あまりにパッケージのたぬきが可愛かったのが決め手。しっとりしていてとてもおいしかった。
 
 信楽駅から再び普通列車で貴生川駅へ向かう。先ほどは座って移動したので今度は後方から車窓を眺めてみた。田園風景と緑の中を走るローカル線はとても心地よい。信号場跡のところで、鹿がこっち見てくつろいでいるところに目が合ってびっくりした。ローカル線に鹿がいるのは珍しい話ではないが、さすがに目が合うとぞっとする。
 
乗車記録25
信楽高原鐵道 普通 貴生川行
信楽→貴生川
 

近江鉄道本線と多賀線を完乗

 貴生川駅からは再び近江鉄道の旅を再開。本線を走破する普通列車米原行で途中の高宮まで乗車していく。近江鉄道と言えばこの黄色いカラーの電車をイメージする人も多い。この車両ももともとは西武鉄道の車両だったものを改造した車両で、前面こそ西武感がないが、側面を見ると、西武感を感じる。八日市まで来た道を戻り、八日市から先は東海道新幹線の斜め下を新幹線とは対照的にのんびりと走っていく。
 
乗車記録26
近江鉄道 普通 米原行
貴生川→高宮
 
 西武グループの会社なので、やはり車内広告も西武感が満載。滋賀県を走るバスは近江鉄道よりも西武色の強いライオンズバスで運行されていて、西武グループであることがより強調されている感じがする。そして西武と言えば西武ライオンズ。ここは滋賀県だが、試合日程は当然埼玉・所沢の試合の広告が掲載されている。関西にいながら、やっぱり関東にいるような気分にさせてくれる。
 
 あと一歩で彦根へ到達する高宮駅で列車を下車する。ここもホームはとても年季が入っていて、昭和を感じる。ここからは多賀大社へと延びる多賀線に乗車。多賀線は本線の米原方面と線路が接続されており、駅舎側から本線の線路を渡った先にのりばがある。
 
 一部に米原方面との直通列車か設定されているが多くは線内運転。構内踏切を渡るとすでに300形電車が停車していた。この300形電車は西武鉄道の3000系を改造した車両で、近江鉄道では2020年に運行を開始した比較的新しい車両。そのため車内ドア上部にはLCDディスプレイが設置されているなど、新車のような輝きを放っている。乗ってきた米原方面、そして貴生川方面の列車とそれぞれ接続したが、乗客は自分を含めて2人のみで高宮駅を発車。多賀大社前までわずか5分で着く。
 
乗車記録27
近江鉄道 多賀線 普通 多賀大社前行
高宮→多賀大社前
 
 多賀線の終点、多賀大社前。多賀大社はここから歩いて15分~20分参道を進んだ先にある。駅舎はとても立派で、駅前には大きな鳥居があり、多賀大社の玄関口であることが分かる。この日は平日だったので、人の姿はほとんどなかったが、土日や年末年始にはどれくらいの人がいるのかが気になる。多賀大社にも足をのばす予定だったが、初日に予定変更したことで、今回は見送ることになった。ここからは全て10分以内の接続で新幹線に乗車して九州へ帰るので、駅前のコンビニで買い物を済ませて高宮行の普通列車で高宮へと戻る。高宮と多賀大社前の間にはスクリーンという変わった名前の駅がある。駅周辺には名の通りSCREENホールディングスの彦根事業所とブリヂストン彦根工場があり、復路は鉄道で通勤する乗客が多く利用していた。
 
乗車記録28
近江鉄道 多賀線 普通 高宮行
多賀大社前→高宮
 
 高宮から米原行の普通列車に乗り込んで終点の米原まで向かう。列車は高宮駅を出てしばらくすると東海道本線の線路と並走し、そのまま彦根駅へと到着する。彦根は近江鉄道の車両基地があり、駅の裏手には多くの車両が留置されている。この駅では10分少々停車。その間に隣のJRのホームからは新快速電車が先に出ていった。彦根~米原間はJRが琵琶湖側を進み、山を迂回して走るのに対し、近江鉄道は山をトンネルで貫いて南側から米原へと向かう。
 
乗車記録29
近江鉄道 本線 普通 米原行
高宮→米原
 
 彦根駅で並ぶ上下列車。先に貴生川方面の列車が出ていき、その後で米原行が発車する。トンネルを抜けて米原方面へ向かうと、東海道新幹線の車窓でもおなじみのフジテックのエレベーター研究棟が見える。近江鉄道にもフジテック前駅があるが、工場からはそれなりに離れているように見えた。再び東海道本線の線路が近づいてくると、広大なJRの米原駅の傍らにある近江鉄道の米原駅に到着。これにて近江鉄道の乗りつぶしが完了した。どこか関東の風を感じながら、滋賀県ののんびりした風景を走る近江鉄道。存廃議論があった中でも日常の足として多くの人に愛されている鉄道だなと感じた。
 
 アクシデントもあったが、2日間の日程も無事に終了。この旅でJR東海のお世話になるとは思ってなかったのだが、約1年ぶりの東海道新幹線で新大阪へ向かい、そこから乗り換えて九州へと帰る。米原駅は何度も通過したことのある駅だが、この駅から新幹線に乗るのはこれが初めて。近江鉄道で数時間かけて移動してきたところをわずか10分ほど足らずで走ってしまう新幹線の威力はやはり絶大。久しぶりの関西を満喫した気分そのままに帰宅したのだった。
 

★今回の初乗車路線

【鉄道路線】
JR西日本 草津線 草津~柘植間
伊賀鉄道 伊賀線 伊賀上野~伊賀神戸間
近畿日本鉄道 天理線 平端~天理間
近畿日本鉄道 田原本線 西田原本~新王寺
Osaka Metro 千日前線 南巽-野田阪神間
JR西日本 おおさか東線 新大阪-放出間 ※放出~久宝寺間は過去に乗車済み
JR西日本 桜井線 奈良-高田
JR西日本 和歌山線 高田-王寺
近江鉄道 八日市線 近江八幡-八日市
信楽高原鐵道 信楽線 貴生川-信楽
近江鉄道 本線 貴生川-米原
近江鉄道 多賀線 高宮-多賀大社前間