【旅行記】ミニ新幹線と津軽地方ローカル線の旅~特急つがるに乗車~
秋田県を走る列車と初対面
秋田新幹線こまちで到着した秋田駅。次の列車までまだ時間があるので、駅に停車中の列車をしばらく見学。秋田県に来たのが初めてなので、もちろん秋田県を走る電車もE6系以外は初顔合わせだった。

1番線に停車中のド派手な列車はEV-E801系電車。男鹿線に投入された蓄電池車で、九州に住んでいると実家のような安心感を感じる。JR九州が香椎線や筑豊本線で投入した蓄電池車BEC819系と兄弟関係にある車両で、外観や車内にちょっとだけJR九州の車両を感じることができる。電化区間を走る秋田~追分間はパンタグラフを上げた状態で走り、追分から先の男鹿線区間では蓄電池に蓄えた電力で走行する。男鹿線は男鹿なまはげラインという愛称が付けられていて、この車両もなまはげをモチーフに赤と青に大胆に塗装されている。

そして隣のホームには新潟を朝に出発した特急いなほ1号が到着。特急いなほは常磐線の特急列車フレッシュひたちに使用されていたE653系電車が使用されている。こちらも真っ青に塗装されているが、編成によって塗装にバリエーションがあり、何が来るかは運用次第。なお、3日後はこの特急いなほ1号で新潟から秋田へ到着して乗り鉄旅が終わるという旅程になっている。
特急つがるに乗車して青森駅へ

そして特急いなほの隣で折り返しの準備を整えているのが、次に乗車する特急つがる3号青森行き。車両はE751系で、現時点でJR東日本が運行する唯一の交流型特急電車になっている。東北新幹線が盛岡までだった時代に盛岡~青森間の特急スーパーはつかりに投入され、新幹線が新青森まで延伸して以降は、編成を短縮して秋田と青森を結ぶ特急つがるとして活躍している。
東北地方は特急列車の運行が少ない地域。ミニ新幹線を除いたJRの在来線特急は、東京といわき・仙台とを結ぶ特急ひたち、新潟と秋田を結ぶ特急いなほ、そして特急つがる3列車しかなく、東北地方完結の特急はこの特急つがるしかない。

列車は4両編成で、1号車はグリーン車と指定席が半室ずつ設置され、2号車は指定席、3号車と4号車は自由席となっている。特急つがるは一日3往復、朝、昼、晩の運転と本数は少ない。

特急つがるでもグリーン車を利用した。グリーン車は秋田寄りの先頭車である1号車の運転席側に半室設置されていて、グリーン車側には乗降口がない。そのためグリーン車に行くには一度指定席を通り過ぎなければならない不思議な造りになっている。
乗車記録 No.2
奥羽本線 特急つがる3号 青森行
秋田→青森 E751系

秋田駅を出て、ひたちチャイムが鳴り車内放送が始まると、列車は秋田市街を北へと進んでいく。少し進んだ追分駅で男鹿線が分かれる。その反対側には高校野球でも有名な金足農業高校の校舎やグランドが見える。さらに進むと、列車は広くひらけた場所を走っていく。日本一の干拓地としても知られる大潟村を有する八郎潟の沿岸に奥羽本線の線路は敷かれていて、遠くまで田園地帯が広がっている。ここはブランド米としても知られるあきたこまちの一大産地で日本有数の米どころとして知られる。今年春に行った北海道旅行の帰り道、新千歳から中部へと向かう飛行機の機窓からこのエリアを眺めたが、半年後、今度は地上から眺めている。(上空からみた写真は【旅行記】北海道の廃線予定路線を巡る旅~北海道を去る編~を参照)

列車は八郎潟、森岳と停車して、東能代へと向かう。奥羽本線は八郎潟の中にある大潟村は経由しないが、干拓地の近くを沿うようにして走っていく。写真では少し見にくいが、東部承水路と呼ばれる水路が写っていて、その先にあるのが干拓地である大潟村である。

列車は東能代駅に到着。その直前で進行方向を北から東に変える。ここからしばらく、列車は内陸へと進んでいく。奥羽本線には東能代駅はあるものの能代駅はない。能代駅は東能代から分岐する五能線にあり、五能線には東能代と能代との間を結ぶ1駅列車が数往復設定されている。東というくらいなので、東能代駅は能代市の中心部からはやや離れている。
列車はのどかな風景の中を走り、秋田内陸縦貫鉄道が分岐する鷹ノ巣駅を経由して、秋田県内最後の停車駅である大館駅に到着する。五能線、秋田内陸縦貫鉄道、花輪線いずれも夏の豪雨被害で一部区間で不通が続いている。車内放送では代行輸送の案内が頻繁にされていた。

大館からは再び進行方向を北に変えて北上する。秋田県と青森県の県境を越えて、最初の停車駅である碇ヶ関駅に停車。その次の駅は全国的にも珍しい鰐が地名となっている大鰐温泉駅。ここには明日訪れる。大鰐温泉を出ると次第に視界が開けていき、列車は津軽平野の中を走っていく。弘前駅が近づくと車窓には青森県の名山の一つである津軽富士こと岩木山が見える。青森、八戸に次ぐ青森県第三の都市である弘前駅では、多くの人が乗り降りしていた。岩木山は弘前駅を出てからしばらくは車窓の左手にみえる。

一方、反対側の車窓には、遠くにこちらも青森県を代表する山である八甲田山が見える。こちらはすっかり雪化粧していた。八甲田山に近い酸ヶ湯温泉は、全国屈指の豪雪地帯として知られていて、天気予報ではおなじみの地名になりつつある。津軽平野を駆け抜けた列車は再び山間の景色の中を走り、新幹線と接続する新青森駅に停車。ここから青森駅間は乗車券のみで乗車できる特例がある。ひたちチャイムが流れて終点青森という放送がかかると、列車はデルタ線へと入り、ゆっくりとカーブして青森駅へと到着した。

先月の八戸以来約1ヵ月ぶりに訪れた青森県。津軽海峡・冬景色の歌詞のように青森駅は雪の中ではなかったが、秋田発の特急列車で訪れた青森駅は、終着駅の雰囲気がある一方で、長大なホームが青函連絡船時代を想起させる立派な駅だった。なお、旅行から数週間後、今この記事を書いている時点では、青森駅周辺はすでに30cmほど積雪しているそう。旅したときはまだ秋だった青森駅もすっかり冬に季節が変わっているようだ。

青森駅で並ぶ青い森鉄道と津軽線の普通列車。どちらも形式は701系で、東北地方の在来線を支える一大グループを形成するシリーズとなっている。秋田に拠点を置く701系は、奥羽本線の青森-新庄間、羽越本線の秋田-鶴岡間と津軽線の青森-蟹田間で運用されており、路線数こそ少ないが、運用エリアは意外と広い。
青森駅周辺を観光

青森駅は現在リニューアル工事中となっていて、新しい駅舎は完成しているものの、しっかりと駅舎自体を撮影することはできなかった。駅正面から左に進むと青森駅周辺のベイエリアに出る。時刻はまだ15時半。今夜はここ青森で一泊する予定なので、青森駅周辺を観光することにした。

青森駅から海の方に進むと、立派な船が見えてくる。青函連絡船として活躍していた八甲田丸。現在は青函連絡船の歴史を伝えるメモリアル展示船となっている。その入り口には津軽海峡・冬景色の歌詞の石碑が設置している。近づくと石川さゆりの津軽海峡・冬景色が一曲フルで大音量で流れる。当時活躍していた船の前で、この曲を聴くと、青森に来たんだなぁという実感がひしひしと湧いてきた。

船内は青函連絡船の歴史、当時の資料や船の模型が数多く展示されているほか、操縦室や機関室、さらには列車を運搬していた車両甲板などをくまなく見ることができる。車両が搭載できる車両甲板には、キハ82形やDD16形機関車などが積載されていて、どのように列車を船に乗せていたのかを実際に見ることができたのはとても興味深かった。

フェリーの手前側には、当時青森駅構内と船をつないでいた車両用の桟橋が見える。青函連絡船に乗船する乗客は青森駅のホームに降り立ったあと、後ろにみえる通路を通って連絡船に乗り換えていた。そして車両甲板では貨車などの積み替えが行われていて、青森駅周辺は北海道への玄関口として多くの人でにぎわっていた。青森市自体、そこまで大きな街ではなかったのだが、青函連絡船がこの街をも大きく発展させた。

八甲田丸を見学したあとは隣接するねぶたの家 ワ・ラッセを見学。日本を代表する祭りの一つであるねぶた祭、その祭で使用される立派なねぶたの実物を間近に見ることができる。作品の題材となった絵と実物を比較すると作品が立体感や躍動感。中の構造を覗くこともできるが、立体作品を作る内部構造もとても複雑だった。なお、八甲田丸とワ・ラッセを見学する場合は共通入場券が購入でき、単体で購入するより安く見て回ることができる。八甲田丸でのチケットを購入は、交通系ICカードやクレジットカードにも対応していて便利だった。
1日目の行程はこれで終わり。この日は青森駅から少し歩いたところにあるダイワロイネットホテル青森に宿泊した。2日目は津軽地方のローカル鉄道に乗りに行く。