【旅行記】秋田・岩手鉄道ぶらり旅~由利高原鉄道鳥海山ろく線に乗車する~

前話
 
 東京から秋田新幹線「こまち」を乗り通し、秋田駅で羽後交通の路線バスに乗り換えて、秋田県南部の日本海側に位置する羽後本荘駅に到着した。ここからはこの旅で巡る最初の未乗路線、由利高原鉄道鳥海山ろく線に乗車し、矢島へ向かった。

羽後本荘と矢島を結ぶ由利高原鉄道に乗車

 秋田からの路線バスが、直前のダイヤ改正で1時間後ろ倒しになった影響で、羽後本荘駅では少々慌ただしい乗り換えとなった。本荘の市街地は後ほど歩いてみることにして、まずは由利高原鉄道を乗りつぶしていく。
 立派でモダンな橋上駅舎をもつ羽後本荘駅。改札はJRと由利高原鉄道で分かれており、由利高原鉄道の改札口は、JRの改札の奥にある共用の待合室の隣にあった。まずは窓口で「楽楽悠悠乗車券」というフリー乗車券を1,100円で購入した。この乗車券は土日祝日限定で利用可能。羽後本荘~矢島を往復すると、1,220円かかるので、全区間を往復するだけでも、お得に乗車できる。
 しばらくすると、1両の列車がホームに入線してきた。それと同時に改札が始まり、ホームへ入ることができた。当駅止まりの列車に乗車していた人たちとすれ違いつつ階段を降り、初めて由利高原鉄道の車両と対面した。JRと由利高原鉄道で改札は別になっているが、改札内で動線は繋がっており、羽越本線と由利高原鉄道を乗り換えて利用する場合は、改札を通らずにそのまま乗り換えることもできる。また、由利高原鉄道が使う4番線は、主に羽越本線の折り返し列車が使う3番線の隣に面していて、場合によっては水平移動だけでも乗り換えが可能になっている。
 
 さて、これから乗車する由利高原鉄道鳥海山ろく線は、ここ羽後本荘と矢島を結ぶ全長23kmの小さな鉄道路線である。その名の通り、秋田県と山形県の県境に聳える名峰、鳥海山の北側を走っている。1985年まで国鉄矢島線として運行されていた路線を、第三セクター化した路線で、秋田県では秋田内陸縦貫鉄道と並ぶ第三セクター鉄道会社の一つとなっている。
 この路線のうち羽後本荘~前郷間は、横荘鉄道という鉄道会社が建設し、東線として開業した区間である。横荘鉄道はその名の通り、横手と本荘を結ぶ鉄道路線を計画し、横手、本荘の両方向から建設が進められ、一部区間が開業していた。一方、当時の鉄道省でも、本荘から横手のやや南側に位置する院内へ向かう路線の建設を計画していた。羽後本荘~前郷間は、既に横荘鉄道が開通させていた東線と計画が重複することから、1937年に東線が国有化され、本荘と院内を結ぶ路線計画の一部に組み込まれた。その後、前郷~矢島間が1938年に開通し、現在の運行区間となったが、そこから先については鉄道の建設は行われることはなく、今日に至っている。
 なお、横荘鉄道はその後、羽後鉄道、羽後交通と名を変えた。先ほど秋田から乗ってきた路線バスを運行する羽後交通は、この横荘鉄道がルーツである。本荘側は国有化されたが、横手側の路線については1971年の廃止まで、同社が運行していた。現在も本荘と横手の間には同社の路線バスがわずかながら走っており、秋田県南部の交通を支えている。
 
 乗車したのはYR-3000形という車両。由利高原鉄道が2012年に導入した新型気動車で、現在は緑、青、赤の3両が活躍している。緑色のこの車両は、その中でも最も早く導入された車両である。車両を製造したのは日本車輛で、松浦鉄道のMR-600形をベースとしている。顔立ちと車体の造りはよく似ているが、トイレを装備していたり、顔の下部にも前照灯を設置していたりと、小さな違いもいくつかある。
 由利高原鉄道の列車には「おばこ号」の愛称が付けられている。「おばこ」とは秋田で若い女性を意味する方言。車体にも「おばこ」と大きく書かれたステッカーが張られていた。
 
 車内はセミクロスシートで、車両の中央部にはボックスシートが並んでいる。ボックスシートにはテーブルがあり、飲み物を置いたり、食事を広げたりすることもできる。由利高原鉄道では「まごころ列車」という観光列車も運行されている。これらの装備はこの列車で活用される。
 一方、一際目を惹いたのが、車内に吊るされたこいのぼり。この日はこどもの日が近かったため、車内を悠々とこいのぼりが泳いでいた。小さなこいのぼりが車内に置いてあるのは他社でも見かけたことがあるが、さすがに空を泳ぐサイズのこいのぼりが車内に吊るされているのは初めて見た。ちゃんと車両のデザインに合うように、緑色のこいのぼりが吊るされていた。
 
乗車記録 No.3
由利高原鉄道鳥海山ろく線 普通 矢島行
羽後本荘→矢島 YR-3000形
 
 日曜日の15時前というなんとも中途半端な時間の列車だったので、羽後本荘から乗車したのは自分を含めてわずか3人だった。羽後本荘を発車すると、次の薬師堂まで羽越本線と並走し、本荘の市街地を南へと走る。薬師堂の手前で羽越本線と別れると、やがて列車は市街地を抜けて、田園地帯へと出た。ここから列車は終点の矢島まで、のどかな景色の中を走っていく。
 
 日本海東北道と交差し、子吉に停車した列車は、その後少し坂道を登り、高い場所から田園風景を眺めた。川沿いを走る区間が長いため、高い場所から見下ろす車窓はここしかない。しばらくすると車窓の反対側には学校のような建物とグランドが見えてくる。ここには鳥海山木のおもちゃ館という観光施設があり、由利高原鉄道沿線の貴重な観光スポットの一つになっている。廃校となった学校を活用した施設で、由利高原鉄道でもこの観光施設と連携したきっぷを発売している。また、旧型車両であるYR2000形のうち1両は、この施設にちなんでおもちゃ列車に改造されており、観光車両として人気を集めている。
 
 黒沢を出ると、列車は並走する国道108号線との踏切を通過し、直後に子吉川の鉄橋を渡る。子吉川は鳥海山の北側を流れて日本海に注ぐ河川。鳥海山ろく線は全線に渡ってこの川と並走し、途中で2度、この川を渡る。この鉄橋が本荘側から来た場合の最初の橋である。鉄橋を渡ると、列車はすぐに曲沢に停車した。田園地帯の真ん中にポツンとある駅である。子吉川は、昨年夏の大雨で氾濫し、流域では大きな被害が発生した。鳥海山ろく線でもこの曲沢周辺で線路が冠水する被害が出ている。大雨が降った日は遠い九州から、この路線のことが心配で仕方なかったのを思い出す。本当に何事もなくて良かったと思う。
 
 曲沢を出て、またしばらく田畑の中を走ると、列車は小さな街の中へ入った。列車は駅間で一旦停止した後、ゆっくりと動き出し、まもなく前郷に到着した。ここ前郷は由利高原鉄道で唯一途中交換ができる駅である。信号の都合で反対列車の駅への入線を待ってから、この列車も前郷に到着した。前郷駅には駅員が常駐していて、ここで反対列車とタブレットの交換が行われる。鳥海山ろく線は羽後本荘~前郷間がスタフ閉塞、前郷~矢島間がタブレット閉塞で運行されている。全国的にも比較的珍しいタブレット交換のシーンを見ることができる。
 前郷は由利高原鉄道の沿線の中ではやや大きな街である。現在は由利本荘市になっているが、かつては由利町という単独の自治体だった。そのため街の中には由利本荘市の支所も置かれている。ここでは外国人観光客2人の乗車があった。
 
前郷を出ると、車窓はまたのどかな景色に戻り、列車は久保田、西滝沢、吉沢と小さな集落の前にある駅に停車して行く。西滝沢と吉沢の間には、2つ目の子吉川の鉄橋があり、ここで列車は再び子吉川を渡った。その後はこの川を時折車窓に眺めながら矢島を目指す。次第に山が近づいてきて、山と山の間の平地も狭くなっていった。
 
 最後の途中駅、川辺を出ると、列車はこの路線唯一のトンネルへと入って、子吉川へと突き出る山を貫く。トンネルを抜けると車窓には街が広がり始め、列車は矢島に到着した。この日、秋田県内は桜が見ごろを迎えていた。矢島駅手前の車窓には、公園の沿道に植えられた桜が満開に咲き誇っているのが見えた。この他、鳥海山山ろく線では各駅の線路沿いにも桜が植えられていた。花見には天気が生憎だが、どこも満開に咲き乱れていて、春らしい車窓を楽しむことができた。
 
 羽後本荘から約40分、列車は終点の矢島に到着した。由利高原鉄道では全駅で、車内精算・集札が行われている。一日乗車券を運転士へ提示して、列車を降りた。
 矢島駅に降り立ち、これで由利高原鉄道鳥海山山ろく線は完乗となった。地域密着型の小さなローカル鉄道である由利高原鉄道。売りである鳥海山を車窓に見ることはできなかったが、日本の原風景というべきのどかな田園が印象的な路線だった。沿線に観光地があるわけでないものの、だからこそ、のんびりした雰囲気を楽しめるのがこの路線の魅力だと思う。九州からアクセスしにくい路線の一つだが、こうして乗りに行くことができたことが嬉しい。乗りつぶしにおいては第三セクター会社も私鉄路線の一つに含まれる。この路線に乗車したことで、北東北地方の私鉄路線は全て完乗となった。
 鳥海山ろく線の終点である矢島駅。ここは由利高原鉄道の本社所在地で、駅の裏手には車両基地も設置されているなど、同社の本拠地となる駅である。駅ホームは1面1線とこぢんまりとしているが、駅には窓口のほか、観光案内所やカフェ、売店なども入っていて、周辺の観光拠点として、また車でこの付近を通る人たちの休憩地としても使われている。駅の売店を切り盛りするまつ子さんはこの駅の顔である。壁にはたくさんサインが張り出されていて、マツコ・デラックスさんとのツーショット写真も飾られていた。テレビ朝日系の「マツコの知らない世界」で共演されている。まつ子さんに会いにこの駅を訪ねる人も多い。現在、ローカル鉄道では鉄印帳が人気を集めている。由利高原鉄道も鉄印をもらうことができるが、まつ子さん直筆でももらえるらしい。筆者は鉄印帳ができる前から乗りつぶしをしているので、鉄印を集めてはいないが、この日も鉄印を求めてこの路線を訪ねる人の姿があった。

日本酒が名産の矢島の街を散歩する

 折り返しの列車は10分程で羽後本荘へ帰っていく。同じ列車に乗り合わせていた人たちは、全員が直後の列車で帰っていったが、この日巡るのはこの路線だけなので、筆者は一本後の列車に乗ることにした。もはや自分の旅行では、終着駅や乗換駅で一本待つのが恒例になった。別に何をするわけでも、誰に会うわけでもないが、由利高原鉄道に乗らなければ、来ることはなかったはずの矢島の街を少しだけ探検してみようと思う。
 駅前には矢島の市街地が広がっている。矢島も先ほど由利高原鉄道の列車で通った前郷と同じく、元々は矢島町という単独の自治体だった。現在は由利本荘市となり、矢島地区の中心的な街となっている。現在の矢島地区の人口は約3,800人である。駅にはバス停があり、羽後本荘からここへ路線バスでもアクセスできる。バスはこの先にある鳥海地区まで運行されていて、矢島は途中の経由地となっている。
 
 駅から少し坂道を登って行くと、秋田銀行の支店があった。おそらくこの通りが矢島の中心部の通りだと思う。日曜午後、しかも雨ということで、車通りもほとんどなく、人通りもほぼない。平日日中であれば、もう少し車通りはあるのだと思う。昔ながらの街並みは少し前に旅した明知鉄道の終点、明智にも似ているような気がした。途中には佐藤酒造店という日本酒の酒蔵があった。ここ矢島は日本酒の製造がさかんな場所として知られている。街の中にはいくつか酒蔵があり、この酒蔵では出羽の富士という日本酒を製造している。
 
 その後も矢島の街を少し歩き、ぐるっと歩いて駅の方へ戻ってきた。駅の隣にも天寿酒造という酒蔵があり、こちらは鳥海山という日本酒を製造している。その酒蔵の前からは山の斜面を登る階段があった。どこへ続いているのかよく分からなかったが、とりあえず上ってみることに。どうやらこの先は矢島神社があるらしく、この神社へ続く階段のようだった。階段を上ると、矢島の街が一望できた。手前に見える工場のような建物が酒蔵で、その後ろに鳥海山ろく線の線路が走っている。街では至るところで桜が咲き乱れているのが見えた。
 
 その後、矢島駅の方へ歩いて戻り、一旦駅前を通過し、今度は駅の裏手の方へ歩いた。矢島駅の周辺には、由利高原鉄道の車庫の外周を含めてたくさんの桜が植えられている。沿道では満開の桜が咲き乱れていた。今年は地元でもあまり桜を見ていなかったので、ここでしばし桜を眺めて今年の花見ということにした。天気が晴れていれば、もっときれいな景色だったに違いないが、それでも春らしいこの街の様子を楽しむことができた。
 その後は駅へ戻り、待合室で小休憩。静かだった駅構内も、羽後本荘からの列車の到着が近づくと慌ただしくなり、駅前には観光バスが到着。それと同時に係員が横断幕を準備し始めた。乗ってきた列車の後続の矢島行は「おもちゃ列車」として運行される列車だった。海外からの乗客が多く乗車していたようで、矢島駅に到着すると、駅で歓迎を受けていた。さっき自分が到着したときとは打って変わって、駅構内はとても賑わっていた。日本人でも知らない人が多いマニアックな鉄道であっても、今はインバウンドが盛況である。

青いYR-3000形で羽後本荘へ戻る

 この時間は車両の入れ替えが行われて、おもちゃ列車を含めた2両が車庫へと引き上げて行き、入れ替わりに青いYR-3000形がホームに入ってきた。今度はこの青い列車で羽後本荘へと戻る。今回は羽後本荘から矢島まで由利高原鉄道を往復したが、盲腸路線を往復するのを避けたいという場合は、先述した路線バスを使うという手もある。今回もそれを考えたのだが、時間が合わず断念した。
 
 こちらの車両は、青がコンセプトとなっていて、車内のモケットも青色になっている。そしてこいのぼりもまた、青色のものが吊り下げられていた。往路に乗車した緑色の車両と運行開始した時期はそう変わらないが、この車両の方が少し新しい感じがした。おそらくテーブルが真新しかったからだと思う。矢島では自分のほか、直前の列車に乗ってきた乗客数人と、地元の乗客数人の6人ほどを乗せ、列車は矢島を発車した。
 
乗車記録 No.4
由利高原鉄道鳥海山ろく線 普通 羽後本荘行
矢島→羽後本荘 YR-3000形
 
 帰りは往路とは逆の車窓を楽しむ。田園風景を走る路線のため、左右どちらも景色は変わらないが、強いて言うなら往路で乗車した矢島方面行きで進行方向左側となる席の方が眺めはいい。列車は次の川辺で2人の乗客を乗せた。こちら側の車窓は、天気が良ければ時々鳥海山が見えるらしい。さすがにこの天気では山は見えないが、この先の高原地帯に建つ風力発電用の風車が数基、雲の隙間から見えていた。
 
 列車は前郷に到着した。ここでは往路同様、反対列車と行き違う。駅員が運転席に駆け寄ると、タブレットを回収して、駅事務所へ。やがて反対列車が到着すると、走って乗車している列車から回収したタブレットを渡しに行き、代わりにスタフを回収して、再び駅事務所へ入り、閉塞装置を取り扱って乗車している列車の運転士にスタフを渡す。この駅の駅員になるには俊敏さと正確性、それに体力も求められそうだ。駅員さんの素早い取り扱いのおかげで、上下列車ともスムーズに発車していく。対向の列車は先ほど往路で乗車した緑色の列車だった。
 
 曲沢を出ると列車はまた子吉川の鉄橋を渡った。鉄橋を渡った先にある国道108号線との踏切は、第三セクター鉄道では珍しく踏切信号になっている。時々お目にかかることがある踏切信号。踏切の総数からすればごくわずかだが、全国だと何か所くらいあるのだろうか。交差点に近接しているか、国道やバイパスを横断する際によく設置されているが、こちらは後者のパターン。信号機がついているため、一時停止せずに通過できる。
 
 本荘の市街地の入口にある薬師堂では数人が下車していった。羽後本荘まで行かずにこの駅で下車する人も多いらしい。薬師堂出ると、羽越本線の線路が近づいてきて、両線並んで羽後本荘駅へ入っていく。加速している間に、羽越本線の普通列車が颯爽と追い抜いていった。並走区間は2kmほどだが、タイミングが合えばこうして並走シーンも楽しめるらしい。追い抜いていった列車は、羽後本荘で数分間停車し、この列車からの乗り換え客を待つ。701系の走りとは対照的に、列車はゆっくりと市街地の中を走り、終点の羽後本荘に到着した。
 
 少し薄暗くなってきた羽後本荘に到着。ここでも運転士へきっぷを提示して、列車を下車した。羽越本線の普通列車に乗り換える乗客は、急ぎ足で乗り換えていた。自分もまたこの後秋田へ向かうが、矢島同様ここでも一本飛ばして、1時間20分後の次の普通列車に乗車することにした。

夕暮れの羽後本荘駅とその周辺

 往路は時間がなかったので、少し慌ただしく乗り換える形となった羽後本荘駅。羽越本線と由利高原鉄道鳥海山ろく線が乗り入れるターミナル駅で、新潟-秋田間を結ぶ「いなほ」の停車駅となっている。羽越本線の普通列車は、ここで秋田側に折り返す列車も多い一方で、ここから酒田までの区間は、県境を越える区間として、本数もやや少なくなる。以前は国鉄時代に建てられた少し古めの駅舎が使用されていたが、2021年に現在の駅舎となった。現駅舎は橋上駅舎であり、住宅地が広がる東側にも新たに出入口が設けられている。
 
 駅前にはバスロータリーがあり、秋田から乗車した急行バスの他、横手、仁賀保など各地へ向かう路線バスとコミュニティバスが発着している。高速バスののりばも用意されていて、現在も仙台便が運行されているが、休日のみの運行で1往復しか運行されていない。東京へ向かう夜行バスも以前は運行されていたが、こちらは運休が続いている。
 駅の西口には本荘の中心市街地が広がっている。現在は由利本荘市の中心地となっているこの付近だが、周辺の町と合併するまでは、本荘市という単独自治体の中心地だった。現在は市全体で7万人の人口を有し、自治体別の人口はとしては、秋田市、横手市、大仙市に次ぐ県内4位を誇る。そのうち本荘市街地周辺には4万5千人程が暮らしている。羽越本線の普通列車は秋田まで40分程と近く、通勤通学で秋田市へ通う人も多い。秋田県南部の日本海側の中心地として、栄えてきた街である。
 
 別に行きたいところがあるわけでもなく、ただ市街地の中をぶらぶらしてみた。途中には立派な神社があった。本荘八幡神社という神社で由利本荘を代表する神社らしい。江戸時代は本荘藩の中心地だった本荘の市街地。この八幡神社は、本荘城下の総鎮守だった。本殿までは約200mの参道が続く。住宅街の中に囲まれているが、この時間、人の姿はなく、鳥のさえずりと手水舎の水の流れる音が響いていて、とても静かだった。

羽越本線の普通列車で秋田へ戻る

 往路は本荘までバスで来たが、帰りは列車で秋田へ戻る。羽後本荘からは酒田始発の普通列車秋田行に乗車した。このあたりの羽越本線は、3年前の旅の特急いなほ以来の乗車になる。直前にはその特急いなほも走っていて、特急か普通かでかなり迷ったのだが、せっかくなら乗ったことがない普通列車に乗車してみようということで、1時間待って普通列車を選んだ。普通列車でも羽後本荘と秋田の間は40分ほどなので、そんなに時間はかからない。羽越本線の普通列車は、基本酒田まで秋田の701系の管轄である。ただし1日に1本だけ鶴岡までこの車両が足を延ばす運用があり、南限は鶴岡となっている。
 
乗車記録 No.5
羽越本線 普通 秋田行
羽後本荘→秋田 701系
 
 日曜夜の秋田行ということで、車内は終始空いていた。乗ってから気づいたが、この車両の2両目はセミクロスシートになっていた。秋田の701系にもセミクロスシート車両がいるということは、この時初めて知った。調べて見ると、秋田新幹線が開業した際に特急列車がなくなる横手や湯沢からの利便性の向上のために設置されたとのこと。この編成を含む3編成のみに備わる設備で、秋田地区の701系でも珍しい車両だったらしい。
 
 夜間走行で真っ暗な中を突き進み、羽後本荘から40分ほどで終点の秋田に到着。1日目の旅はここまで。この日は秋田駅前のホテルに宿泊した。天気こそ少し残念だったが、東北地方で乗り残していたローカル鉄道の一つ、由利高原鉄道に乗車して、のどかな景色を楽しむことができ、改めてローカル鉄道ののんびりした旅の楽しさを実感することができた一日だった。
 2日目も引き続き、未乗路線をいくつか巡っていく。まずは早朝から男鹿線の普通列車に乗車し、終点の男鹿を目指した。
 
続く