【旅行記】秋田・岩手鉄道ぶらり旅~男鹿線(男鹿なまはげライン)を往復する~

前話
 
 秋田駅前のホテルに宿泊して迎えた2日目。この日は秋田県内で未乗にしていた男鹿線と北上線の2路線に乗車し、秋田県内の全路線完乗を目指して旅していく。まず秋田駅からは男鹿線の普通列車に乗車。男鹿線の終点男鹿駅を目指した。

九州の近郊電車にそっくりなEV-E801系で男鹿線を往復する

 6時過ぎにホテルをチェックアウトして、歩いて秋田駅へ。発車時刻の20分くらい前にはホームへ着いたが、既に乗車する列車はホームに停車していた。
 これから乗車する男鹿線は、奥羽本線の追分を起点とし、男鹿までの26.4kmを結ぶ路線である。八郎潟の南側を走り、男鹿半島の付け根に位置する男鹿市の市街地へ至る鉄道路線で、起点は追分だが、全列車が奥羽本線に直通し秋田発着で運転されている。秋田-男鹿間には「男鹿なまはげライン」の愛称があり、案内上は男鹿線とともにこの愛称も用いられている。沿線には男鹿市のほか、潟上市があり、ローカル線の雰囲気を持ちながらも、沿線の通勤通学、日常利用が比較的多い路線である。そのため、秋田県内の路線では幹線路線に近い性質を持っている。
 現在の男鹿線は赤と青のなまはげカラーが特徴的なEV-E801系で運転されている。これまで秋田へ来た際に度々見かけてきたこの車両に今回初めて乗車した。九州からの旅人としては、遠い秋田の地を走る列車でありながら、実親近感が湧くのがこの車両である。今回乗車できるのを楽しみにしていた。
 
 このEV-E801系という車両は、JR東日本が初めて導入した交流形の蓄電池車で、JR九州が先に営業運転を開始させていたBEC819系をベースに開発・製造された車両である。そのためこの形式は、BEC819系や他のJR九州の近郊型電車に外見も車内もよく似ている。それ故、普段JR九州の電車によく乗る筆者からすれば、九州の路線に乗車しているような気がしてしまう。
 JR東日本で活躍する新型の通勤型、近郊型電車は、その多くが同社のグループ企業である総合車両製作所製である。しかし、この車両はBEC819系をベースに開発されているため、819系と同じく日立製作所製となっている。日立製作所が製造した815系以降のJR九州の近郊型電車の特徴といえば、はめ込んだような運転席まわりやトイレの造りである。このEV-E801系も同じ構造がそのまま採用されている。この部分だけ見ると、本当に九州に帰ってきた気がする。JR九州の近郊電車は、水戸岡デザインとなっているのでちょっと派手だが、こちらは落ち着いた車内となっている。ただ、どこか水戸岡デザインの面影を感じてしまうのも事実である。座席モケットの柄はなんだか817系2000番台に似ているし、BEC819系で採用されている床のQRコード柄は、その面影を残しつつ四角形の模様になっている。パッと見はJR九州の車両に見えるJR東日本の車両、それがこのEV-E801系という車両だなと思う。もちろん違いもいくつかある。BEC819系は側面窓が1枚窓なのに対して、こちらは開閉ができる窓になっている。また、雪国を走る車両であることから、走行設備には耐寒、耐雪仕様が加えられているらしい。
 
 先述の通り、このEV-E801系は交流形の蓄電池車である。男鹿線は全線が非電化の路線だが、路線全長が26kmと比較的短く、全列車が交流電化された奥羽本線へ乗り入れるため、蓄電池車との相性が良かった。そこで、2017年にEV-E801系がまず1編成だけ先行的に投入され、その後2021年に増備された編成が、それまで活躍していたキハ40系を完全に置き換えた。この車両の運行開始に当たっては、終点の男鹿駅に充電設備が設けられた。奥羽本線走行時と男鹿駅停車中にはパンタグラフから電気の供給を受け、走行・充電を行う。一方、非電化区間では充電した電気を用いて走行するしくみである。東北地方でこの運行方式を採用しているのは男鹿線のみ。全国的にも栃木県の烏山線と、福岡県の香椎線、筑豊本線(若松線)と男鹿線の4路線しかない。このうち烏山線のみが直流の蓄電池車であり、こちらではJR東日本などが開発した直流形のEV-E301系が活躍している。JR東日本の蓄電池車2形式(EV-E301系、EV-E801系)には共通して「ACCUM」の愛称がついている。
 
 最近のJR九州の近郊電車の特徴とも言える大型の行先表示器は、EV-E801系でもそのまま採用されている。もちろん前面の行先表示器も変わらない。九州人はもはやこの大きさに慣れてしまっていて、普通の行先表示器が小さく見えてしまう。EV-E801系は男鹿側の車両が赤、秋田側の車両が青という大胆なデザインである。これはもちろん男鹿半島のシンボルなまはげに由来する。JR九州の車両とはまた違った斬新さを感じる。斬新だがやはりJR東日本らしいスマートさを感じるデザインである。個人的に九州の近郊型、通勤型電車も817系3000番台や303系のデザインは好きなのだが、最近はなんだか派手になってしまってシンプルさがなくなってしまった感がある。
 
乗車記録 No.6
奥羽本線・男鹿線 普通 男鹿行
秋田→男鹿 EV-E801系
 
 早朝の列車だったため、秋田駅から乗る人は少なかった。しかし、奥羽本線区間の各駅では比較的多くの乗車があり、2駅目の土崎駅までの間に座席のほとんどは埋まった。泉外旭川と土崎の間には秋田総合車両センターが見える。房総特急として関東で活躍していた255系が分割されている状態で留置されているのが見えた。
 しばらく奥羽本線を走った列車は、分岐点である追分駅に到着。ここで車内の乗客は半数ほどが入れ替わった。この駅の近くには金足農業高校や県立秋田西高校、それに秋田県立大学がある。中でも金足農業高校は、高校野球でその名を知られる高校である。自分が応援しているヤクルトの選手で言えば、和尚と呼ばれている石山泰稚投手がこの高校の出身である。
 追分駅から列車は男鹿線へと入る。ここでは数分停車し、乗客が乗り降りしている間に、パンタグラフを下げ、蓄電池での走行へと切り替わった。車内の電気が消えるわけではないので、乗っている分には別に何も変わらない。男鹿線に入った列車は奥羽本線の線路と分かれて左へカーブする。次の出戸浜駅からは潟上市に入った。海はほぼ見えない男鹿線だが、車窓には海岸沿いに設置された風車が見えていた。出戸浜から2駅進んだ二田駅では、行き違いのために数分停車。対向列車は4両で、高校生を中心に多くの乗客を乗せていた。乗車している列車も高校生の利用が多かったが、まだ座席には空席があった。
 
 天王を出ると、列車は八郎潟と日本海を繋ぐ船越水道の鉄橋を渡る。この水道が潟上市と男鹿市の市境になっていて、鉄橋の途中で列車は男鹿市へと入った。鉄橋を渡った先の船越では、近くにある男鹿工業高校への通学生が下車していった。秋田市街地から通学している人もいるようだ。男鹿線も潟上市の上二田駅付近から男鹿市の脇本駅付近までは、沿線に住宅が連続している。そのため、このあたりから秋田市街地へ出る人の利用が比較的多い。高校生の利用が主体だが、潟上市内では小学生も通学に利用しているようだった。
 
 船越駅の次の脇本駅付近までは住宅の裏を抜けていくような車窓が続く。脇本駅付近でそうした車窓も途切れて、のどかな田園風景となる。脇本~男鹿間は、男鹿半島の山の麓を走っていく。ここまでは割と開けた車窓だったが、この先は森の中を進む場面もあった。最後の途中駅、羽立を出ると、列車は男鹿市の市街地へ入り、ゆっくりと終点の男鹿へと到着した。
 
 秋田駅からおよそ1時間、列車は終点の男鹿に到着した。男鹿駅の周辺にも男鹿海洋高校があり、最後まで高校生の利用が多かった。高校は駅からは少し離れているので、駅前からスクールバスが出ていて、高校生たちは数分で接続するこのバスに乗り込んでいた。何気ない日常の風景だが、自分はそういうのが好きである。もちろん、観光地も好きだが、鉄道を介して各地の人たちの暮らしが垣間見える瞬間というのが一番楽しい。この旅行の直前に鉄道ジャーナルという雑誌が残念ながら休刊になってしまった。筆者は20年以上毎月読んでいたが、この雑誌の中で取り上げられる各地のルポ的な記事がとても好きだった。今、全国の鉄道路線を旅しているのは、この雑誌が教えてくれた各地の鉄道路線の日常というものを、この目で見てみたいと思ったというのも、間違いなく理由の一つとしてある。
 高校生たちの流れを遮っては申し訳ないので、写真を撮りつつ最後に改札へ行き、駅員にきっぷの持ち帰りを願い出た。いつも快く対応してくださる駅員さんには感謝しかない。

広い駅構内が広場と道の駅に生まれ変わった男鹿駅前を歩く

 男鹿駅の外に出て来た。現在の駅舎は2018年に完成し、それまでホームの西側にあった旧駅舎から頭端式の駅へと生まれ変わっている。駅舎内は改札横に観光案内所と待合室、反対側に券売機とお手洗いがある割と簡素な造りだった。みどりの窓口はないが、指定席券売機と近距離きっぷ用の券売機が1台ずつ置かれている。また、男鹿線では全線でsuicaの利用が可能である。そのため改札横には簡易改札機が設置されていた。秋田県内でsuicaが使えるのは、男鹿線の他に奥羽本線の追分~和田駅間と、羽越本線の秋田~新屋駅間のみとなっている。かつてはキハ40系が走行し、ローカル線のイメージが濃かったこの路線だが、EV-E801系とsuicaの導入によって、都市近郊の鉄道路線へ、そのイメージも進化した。
 
 現在の駅舎前には広場があり、道を挟んだ向かいには道の駅がある。鉄道駅と道の駅がこの付近に集約されており、男鹿半島観光の拠点となっている。この道の駅を含めた広い空間には、かつて線路が敷かれていた。現在は男鹿駅で完全に線路が途切れる男鹿線だが、かつてはこの先も少しだけ貨物列車が走る支線が延びていて、男鹿駅構内は、この貨物列車が入換や留置で使う線路が何本も敷かれていたのである。
 しかし、2002年に貨物列車の運行が廃止されると、支線も男鹿駅構内の多くの線路も、その役目を終えた。しばらくそのままになっていたが、2017年頃から駅周辺の再開発が実施され、駅舎が現在地へ移転。さらに貨物列車用の線路が敷かれていた駅構内は広場と道の駅に転用された。広場はイベントスペースとしても活用されており、催事の際には隣の道の駅とともに賑わうという。この日は平日だったため、犬の散歩をする人と、登校前にキャッチボールを楽しむ高校生の姿があった。なんてのんびりした平日の朝だろうか。筆者も学生時代、意味もなくキャッチボールしていたのを思い出した。
 
 男鹿市の市街地は男鹿半島の付け根の南側に位置している。駅周辺の市街地は割と小規模で、ロードサイド店舗などは数駅戻った船越駅の周辺にある。男鹿駅周辺は市役所や銀行、病院などの機能が多い。また、市街地の南側には石油の備蓄基地がある。
 男鹿線は北側から男鹿市の市街地へと入ってくる。駅の西側には市街地が広がる一方、東側はすぐ港になっていて、歩いて数分で海を見ることができる。港には市民病院もあり、8時過ぎということもあって車の出入りが多かった。奥に見える山の稜線は、湾を挟んだ反対側にある秋田市街地の背後の山である。もう少し高台へ登ると、おそらく秋田市街地も見えるのではないかと思う。
 
 駅の隣にはかつての男鹿駅構内の敷地が転用された道の駅おが「なまはげの里 オガーレ」がある。2018年に男鹿駅新駅舎とともにオープンした道の駅で、物産館やレストランもあり、男鹿線の列車を待つ間の暇つぶしにも使える。この時間はまだ営業開始前で、物産館へ商品を届けに来ている人が多かった。ここの物産館では地元で獲れた鮮魚が人気らしい。かつて写真のあたりには、踏切があり、殺風景に線路が並んでいた。ネットで調べるとその写真が出てくるが、とても様変わりしているのがわかる。
 
 道の駅からは市街地中心部の方へ歩いてみた。道の駅に「なまはげ散歩みち」なる散歩コースの案内が掲出されていて、これに従って歩けば、市街地をぐるっと一周できるようだった。特に何かがあるわけではないが、なんとなく街を歩いてみるにはちょうどいいので、これに従って歩いてみることにした。
 駅横の通りから一本進んだ通りが男鹿市のメインストリートである。奥の方には男鹿市の市役所が見えた。男鹿市の人口は2万3千人ほど。秋田市街地から1時間ほどの場所ではあるものの、近年は過疎化が進行している。調べると2012年には3万2千人だったようなので、10年強で1万人弱も人口減少していることになる。秋田県は全国で最も人口減少率が高い県だが、男鹿市はその中でも特に減少率が高い。
 
 なまはげ散歩みちに従って歩くと、通りの正面にきれいな建物が建っていた。この建物こそ、2018年の新駅舎開業まで、使われていた旧駅舎である。現在は地元企業が醸造所として使用している。横の方にはショップとレストランもあるみたいだった。旧駅舎は2012年に一度リニューアルされ、現在に近い外装になった。そして駅舎としての役目を終え、醸造所となる際に改めてリノベーションされている。過去に撮影された旧駅舎の写真を見ると、窓の配置などが変わっていることがわかる。男鹿駅のホームはこの建物のすぐ裏にある。かつては構内踏切を渡って、ホームへ行く構造になっていたらしい。
 
 この建物の前も広場として整備されていて、JRの駅舎だった頃に設置されたなまはげ像がそのまま置かれていた。JR男鹿駅という表示が、ここが以前JRの駅だったことを示している。下から撮ると大迫力。この像も相当怖いが、現駅舎の中にはさらにリアルななまはげ像が置かれていてもっと怖い。なまはげは言わずと知れたこの地方の伝統行事。大みそかの夜に家々をまわり、無病息災や翌年の豊作を祈る。大みそかのニュースで襖が開いた途端「泣く子はいねがー」となまはげがやってきて、子供たちが大泣きするという光景は季節の風物詩になっている。現在はユネスコの無形文化遺産に登録されており、秋田を代表する伝統文化、まさに秋田の顔である。先ほど乗車したEV-E801系のデザインは、赤と青のなまはげの仮面に由来する。また、この旅の最初に乗車したE6系新幹線の車体デザインも、なまはげがモチーフとなっている。

男鹿駅の充電設備で充電中の列車を眺めて、折り返し秋田へ

 さて、市街地をぐるっと一周して、駅へと戻ってきた。駅の待合室には階段があり、駅舎の屋上へ行けるようになっていて、ここから駅周辺を一望することができた。やがて、秋田からの普通列車が到着。列車は到着後、パンタグラフを上げて、充電モードに入る。充電設備はこの駅のひとつの見どころである。
 1面2線の男鹿駅だが、通常は1番線側のみを使う。2番線には充電設備が設けられておらず、定期運用で入るEV-E801系は1番線でしか充電が行えないのである。では2番線は何のためにあるのかといえば、時々運転される臨時列車のためにある。代表的な列車といえば、東北各地を巡回して走る観光列車「ひなび」や「風っこ」。たまに男鹿線でも運転されている。駅舎の横に充電設備用の変電所が設けられている。
 
 駅舎の横の方からも停車している車両を見ることができる。充電設備は1番線側に2つ設けられている。先ほど往路ですれ違ったが、男鹿線では4両編成の列車も走っている。充電設備はその4両編成に対応するために2個ある。また、夜間は2編成が停泊しているらしい。縦列で停車しているのだろうか。それとも入換えが行われるのだろうか。1編成を充電するのには20分かかるという。そのため、この駅では折り返し時間が20分ほどに設定されている。
 
 男鹿駅で見られるような充電設備は、栃木県を走る烏山線の終点、烏山駅でも見ることができる。しかし男鹿線は交流、烏山線は直流と、充電に用いる電気の種類がことなっている。おそらく変電所とか送電線の設備に詳しい人がみれば、2つの違いが分かるのだろうが、素人には同じに見えてしまう。2つ前の写真に写っているが、男鹿駅の構内には風力発電用の風車が並んでいる。男鹿駅で充電される電力の一部は、この風力発電で発電された電気によって賄われている。エコにも貢献しているのである。
 
 さて、男鹿からは来た道を戻って秋田駅へ帰る。この後は男鹿線、奥羽本線、北上線、東北本線と辿り、盛岡まで旅していく。男鹿から盛岡までの乗車券を改札で提示して、列車に乗り込んだ。充電が完了すると、パンタグラフが下ろされた。発車時刻が迫って来ると、乗客がチラホラ現れて、10人ほどの乗客を乗せ、列車は男鹿駅を発車した。
 
乗車記録 No.7
男鹿線・奥羽本線 普通 秋田行
男鹿→秋田 EV-E801系
 
 帰りの列車は各駅から乗車する人が多く、二田あたりで座席は全て埋まり、その後、奥羽本線内では立ち客も多く出た。列車は10時前に秋田に到着する。もちろん通勤通学で使う人は少ないが、所用や買い物で秋田駅周辺に向かう人には都合のいい時間の列車だった。追分-秋田間の奥羽本線は朝7時台には1時間あたり6本もの列車が運転されていて、需要の高さをうかがわせる。一方で、その他の時間は概ね男鹿線系統1本、奥羽本線系統1本の1時間あたり2本が運転されている。

秋田駅で奥羽本線の普通列車に乗り換え横手へ向かう

 男鹿駅から50分ほどで秋田へと戻ってきた。EV-E801系で行く男鹿線の旅は、車窓だけでなく、この車両自体も一つの魅力だった。東北唯一の蓄電池車としても、九州の近郊電車にそっくりという点でも楽しめる。特に九州で817系やBEC819系あたりに乗り慣れている人は是非乗ってみてほしい。もし九州から秋田へ引っ越して、ホームシックになったら、この列車に駆け込めばいい。きっと実家のような安心感に浸れると思う。
 さて、秋田では15分ほどで次の列車に乗り換えた。次はいよいよ秋田県最後の未乗路線である北上線に乗車しに行く。秋田からは乗ってきた男鹿線の列車の横に停車していた奥羽本線の普通院内行に乗車。北上線が発着する横手に向かった。
 
 奥羽本線は昨年夏の大雨で被害を受け、旅行日の時点でも院内-新庄間で運転見合わせが続いていた。それまで新庄まで運行されていた普通列車は、院内で折り返す形となり、以前は僅かにしか見られなかった院内行きの普通列車が日中時間帯でも見られるようになった。院内からは奥羽本線における秋田県最南端の駅である。JR東日本は被災区間について、非電化化した上で復旧させることを発表し、旅行日の数日後に約8ヶ月ぶりに運転が再開された。非電化に伴い、以前は乗り換えなしで行けた秋田-新庄間も、早朝夜間を除いて乗り換えが必要になった。秋田側からの電車による普通列車は、引き続き院内まで運転されている。
 
乗車記録 No.8
奥羽本線 普通 院内行
秋田→横手 701系
 
 秋田-大曲間は1日目に秋田新幹線「こまち」で走行した区間であり、また全体としても数年前に乗車した区間となるため、詳細な乗車記は省略する。「こまち」を使うと大曲まで30分だが、普通列車だと50分ほどかかる。横手まではさらに20分かかるので、秋田から横手までは1時間15分ほどと結構乗車時間が長い。景色も開けているわけでもなく、また山の中というわけでもないので少々退屈する。秋田からの乗客の多くは大曲までに降りていき、大曲で再び乗客が増えた。この列車は大曲の手前で1日目に乗車したこまち3号とすれ違う。大曲では、この列車から乗り換えて、横手や湯沢へ行く人を乗せる。
 
 横手に到着し、数分停車したのち院内へ走り去る列車を見送った。静かになった駅のホームの横からはエンジンの音が聞こえてきた。長期不通となっていた院内~新庄間の復旧を数日後に控え、ホームの横ではGV-E400系の試運転と乗務員の訓練が行われていた。
 復旧後に運転されるGV-E400系による普通・快速列車は、電車で運行される普通列車の終点院内から秋田方面へ一駅戻った横堀から新庄の間で運転される。駅の信号設備の関係上、院内では対面での乗り換えができないため、対面接続が可能な横堀が乗換駅となった。そうであれば秋田からの普通列車は横堀まででいいのではないかと思うが、秋田・横手方面からの利用者が多いのでそちらにも配慮されている。秋田から送り込まれるため、朝夕にはこの形式を使った秋田-新庄間の普通列車も走行する。気動車となり、本数も1往復だけになったが、秋田駅からの新庄行きが戻って来る。
 
 さて、横手からは北上線に乗車して北上へ向かう。北上線は本数がとても少なく、次の列車までは2時間45分の待ち合わせ。駅から少し歩いたところに、この地の名物であるかまくらの中に入れる場所があるというので、街を散策がてらに行ってみることにした。
 
続く