【旅行記】水戸・会津ぐるっと周遊旅~会津鉄道の普通列車で会津田島へ〜
前話
各路線から通勤通学列車が到着する朝の会津若松駅

会津若松に宿泊し、迎えた3日目。この日は会津若松を起点に会津鉄道の普通列車と東武へ直通する特急リバティ会津に乗車。2つの列車を乗り継いで、東京都内へ戻った。
この日は前日より少し早めの動きだしとなったが、それでも会津若松発8時前と、いつもの自分の旅の旅程からすれば、遅めのスタートだった。朝起きて、ホテルの客室から外を見ると、すっかり日が昇り、街は既に動き出していた。列車の発車時間が近づくと、駆け足で駅へ向かう人が各方面から集まって来る。いつもの何気ないこの駅の風景を眺めながら、身支度を整えた後、7時過ぎにホテルをチェックアウトし、駅へ向かった。

かなり早く駅へ来たのは、この駅の朝の様子を見てみたいと思ったから。朝7時台の会津若松駅は、周辺一円から会津若松への通勤通学客を乗せた列車が相次いで到着する。前日のうちに仕込んでおいたちょっと特殊な乗車券を改札機に突っ込んで改札を通過すると、改札前の1番線には、磐越西線の郡山からの始発列車が到着。4両編成の列車には、通学客が大勢乗車していて、改札前には大行列ができた。
その数分後には野沢からの普通列車も到着。昨日は出会えなかったGV-E400系と久しぶりに対面した。支社境は喜多方-山都間にあるが、現在は電化設備と運行系統がここ会津若松で区切れるため、実質的にここが東北エリアと新潟エリアの境目となっている。E721系とGV-E400系が顔を合わせるのもこの駅だけの光景。郡山からの列車も4両のうち2両を切り離し、折り返しの普通郡山行きとなったが、野沢から到着した列車も前1両を切り離し、折り返し普通喜多方行きとなった。

しばらくすると、今度は会津川口始発の只見線の列車が到着。JR東日本屈指のローカル線として知られる只見線も、会津若松に近い区間では通学客の利用が多い。西若松や七日町で降りる乗客も多いとみられ、この駅到着時点ではそこまで混雑していなかった。キハE120系をキハ110系でサンドした豪華3両編成でやってきたこの列車も、やはりここで先頭の1両を切り離し、折り返しの普通会津川口行きとなった。朝ラッシュ対応を終えた各方面の列車が車両を切り離す朝の会津若松。列車の入換がとても忙しそうだった。
昨年小出からここまで乗り通した只見線。今年は沿線が大雪に見舞われて、一部区間で長期間の運転見合わせが続いた。特に会津川口-只見間は旅行日の10日前に3ヶ月ぶりの再開を果たしたばかりだった。昨年は4月に乗車したが、もし今年だったら乗れなかったということになる。乗車した日は天気に恵まれて、只見川の絶景を楽しめた只見線。列車が止まるほどの雪が降っては元も子もないが、厳冬期に乗車するのもまた春とは違った景色が楽しめるのではないかと思う。
会津鉄道会津線の普通列車で会津田島へ

さて、只見線の列車の数分後に駅へ到着する列車の折り返しが、この日最初に乗車する列車だった。赤い気動車を先頭にこれまた豪華3両編成でやってきたのは、会津鉄道会津線の列車。会津線は会津若松から只見線を2駅進んだ西若松を起点とする第三セクター会社。会津線の列車は定期の全列車が只見線へ直通し、会津若松発着で運転されている。会津若松駅の5番線ホームは、会津鉄道の列車専用となっていて、3両編成の列車は、ホーム目一杯に停車した。到着した列車は、折り返し普通会津田島行きとなる。この日最初は、この列車に乗車して会津田島へ向かった。水戸・会津ぐるっと周遊旅の3日目は、会津若松から都心へ”もう一つのルート”を2本の列車を乗り継いで旅していく。
- 会津から都心への”もう一つのルート”を構成する会津鉄道会津線
会津鉄道会津線は西若松を起点に、野岩鉄道と接続する会津高原尾瀬口までを結ぶ路線である。かつて国鉄会津線として運行されていた路線を第三セクターである会津鉄道が引き継いだ。先述の通り、西若松で列車は只見線に直通し、定期列車は全列車が会津若松発着で運転されている。
この会津鉄道会津線は、ふつうの第三セクター路線からすれば、ちょっと特殊な路線になっている。というのも、会津若松側ではJR東日本の路線へ直通している一方で、もう片方では野岩鉄道を介して、大手私鉄である東武鉄道の線路と繋がっている。会津田島以南は電化されていて、この区間には東武線から直通する都心からの列車もやってくる。また、会津田島以北は非電化であるものの、会津鉄道の気動車を利用した快速列車が東武鬼怒川線の鬼怒川温泉発着で運転されるなど、走る列車も一般のローカル鉄道とは一線を画している。
会津地方から関東へは、磐越西線に乗車して郡山へ出た後、東北新幹線に乗り換えるというのが、メジャーな方法である。一方、これから乗車する会津鉄道-野岩鉄道-東武鉄道のルートも、所要時間こそかかるものの、1回の乗り継ぎで都心へ行くことができる。そのため、会津鉄道は、会津と東京を結ぶもう一つのルートを構成する路線の一つとなっている。
会津若松発着で運行される会津線の北側区間の普通列車は、その一部が会津田島で野岩鉄道・東武鉄道へ直通する列車と接続している。中でも会津田島で浅草発着の特急リバティ会津に接続する列車は、普通リレー○○号とリバティ会津の号数に合わせた列車名が付けられており、会津田島でこの特急列車に接続する。接続時間は数分から30分程度と幅があるが、数分で乗り継ぐ場合、会津若松~浅草間の所要時間は4時間30分となる。これから乗車する列車は、特急リバティ会津への接続がない普通列車で、列車名の設定はない。しかし、この列車も終点の会津田島で野岩鉄道・東武鉄道直通の区間快速鬼怒川温泉行に接続している。この列車に乗り換えれば、さらに終点の鬼怒川温泉で浅草行の特急リバティきぬ122号浅草行に乗り換えられる。また、会津若松を6時56分に発車する快速AIZUマウントエクスプレスは、会津若松から東武線の鬼怒川温泉まで運転され、やはり鬼怒川温泉で特急きぬ116号浅草行に接続する。このように特急リバティ会津に接続していない時間帯も野岩鉄道方面への列車に接続したり、そのまま直通することで、鬼怒川温泉で特急列車に接続している場合がある。先述した区間快速は、会津鉄道線内では希少な一般の電車列車だったり、快速AIZUマウントエクスプレスは、4社の路線を走る列車だったりと、特色ある列車も多く走っており、車窓だけでなく、列車やダイヤも魅力的なのが、この路線の一つの特徴になっている。
今回は途中会津田島で2時間弱の滞在時間を設け、ここで特急リバティ会津浅草行に乗り換える。ここ会津若松から東京都心への移動にチャレンジしつつ、会津鉄道、野岩鉄道、そして東武鬼怒川線という未乗3路線を乗りつぶしていく。
- ちょっと特殊な4線連絡片道乗車券を利用する

先述の通り、会津鉄道の普通列車は、野岩鉄道、東武鉄道との接続が考慮されており、乗り換え駅では最短数分で乗り換えることができる。また、都心と会津若松の間をこのルートで移動する人も一定数いる。したがって、JRの会津若松駅から入場して、出場するのが東武線の駅になるのはよくある話である。こんな時、ICカードが利用できれば、何の意識もせずに改札を通れるが、会津鉄道・野岩鉄道ともにICカードの利用はできない。さらに会津鉄道の券売機へ行っても野岩鉄道の駅までのきっぷしか発売されていない。
実は会津若松から東武線内へのきっぷは、みどりの窓口でのみ発売されている。鉄道ファンにはこのきっぷの存在はとても有名。筆者も今回のルートで旅するにあたっては、このきっぷを使って旅してみたいとずっと思っていた。駅員に東武線の浅草までのきっぷをお願いすると、会津若松から浅草までのきっぷを瞬時に発券してもらえた。会津鉄道経由のアレですよね?という駅員さんの質問でなんだか裏取引しているみたいだった。3日目はこのきっぷを携えて、浅草まで旅していく。
4線連絡片道乗車券という名前のこのきっぷは、会津若松と東武線のうち特急が停車する主要9駅(浅草、東京スカイツリー、北千住、春日部、栃木、新鹿沼、下今市、東武日光、鬼怒川温泉)間限定で発売されているきっぷである。4線とはJR線、会津鉄道、野岩鉄道、東武線のことを指し、運賃は各社の運賃の単純な合計になっている。別に割引があるわけではない。そもそもJRが一般に他社と結んでいる連絡運輸の契約は、通常3社までとなっていて、駅できっぷを発券するためのマルスシステムも、3社までしか対応していない。JR東日本ではHPで連絡運輸の範囲を公開している。この中においても会津鉄道、野岩鉄道との連絡運輸は記載されているものの、2社を介して東武鉄道までの連絡運輸というのは記載がない。この4社連絡の乗車券は、一般の連絡運輸とは別に、4社間で結ばれた個別の契約に基づいて発売されている。JRでは会津若松のみの発売。一般の連絡きっぷだと発券に少々時間がかかる場合もあるが、このきっぷはすぐに発券される。マルス上では企画券の中に入っているらしく、それを選ぶだけでいいらしい。今回の旅を半時計回りにしたのは、マルス券のこのきっぷを入手したかったというのも理由の一つ。東武側でも発売されているがやはり、マルス券の方が将来的に保存状態はいい。
券面には磐越西線経由では使えない旨と東武鉄道の駅では改札機を使えないという注意書きがあった。会津から浅草までのお値段は4,780円。乗車券としては割と高額である。有効期間は3日間に設定されており、全区間で途中下車も可能になっている。東武線内では特急停車の主要駅のみの発売だが、利用列車に関してはないので、普通列車ももちろん利用可能。逆に特急列車を使う場合は、この乗車券と合わせて特急券が必要になる。

3両編成で到着した列車だが、折り返しの会津田島行は、最後尾の1両が締切となり、前2両のみに乗車できた。この赤い車両は快速AIZUマウントエクスプレスという快速列車に使用される車両で、中には特急列車のような座席が並んでいる。ちょっとした乗り得車両だが、折り返しではこの列車が締切となるため乗車することはできなかった。前2両のうち1両目は転換クロスシート、2両目はボックスタイプのセミクロスシート車で、1両ごとに座席の種類が違った。転換クロスシートかボックスシートかといわれれば、転換クロスシートの方が好きなので、今回は先頭車両に乗車した。会津田島までの所要時間は1時間10分ほど。まずはこの列車で会津線の北側区間に乗車していく。
乗車記録 No.10
只見線・会津鉄道会津線 普通 会津田島行
会津若松→会津田島
AT600形+AT550形+AT700形

発車時刻が近づいてきて、ちらほら乗客が現れたものの、朝ラッシュは終わりとなる時間で、そもそもラッシュに対向する列車とあって乗客の姿はまばらだった。この列車に接続する列車はなく、さらに10分前には西若松まで同じ線路を走る只見線の普通列車が走っているのも理由である。利用客が少ない会津若松から乗車したのはわずかに5人ほど。入換作業中のキハ110系とすれ違う型で会津若松を発車した。

ゆっくりと駅を発車した列車はここからわずかな区間、只見線の線路を走って行く。住宅の裏を通り抜ける形で市街地を駆け抜けて、七日町、西若松と停車。この2駅では合わせて7、8人の乗車があった。朝ラッシュのピークを迎えている道路は、踏切待ちの車が長い行列を作っていた。車で待っている人の方が多いと思うので、なんだか申し訳ない気持ちになった。
会津鉄道会津線の起点となる西若松では、乗務員が交代。西若松の近くには会津鉄道の本社があり、乗務員の詰所もそこにあるので、乗務員交代はこ西若松で行われている。会津線からの直通列車は只見線内も会津鉄道の乗務員がそのまま乗車する。この兼ね合いで、早朝夜間には会津鉄道の車両を使った西若松-会津若松間の只見線完結列車も走っている。

西若松を発車すると、只見線の線路が離れて行き、やがて会津若松の市街地も途切れて、景色ものんびりし始める。まだ会津線は始まったばかりだが、次の南若松ではほとんどの乗客が下車して行き、車内に残った乗客は僅か数人になった。南若松駅の近くには工場が多く立地する。ここへ通勤する乗客の利用が一定数あるらしい。

南若松の先で市街地も完全に途切れ、車窓は田園風景に変わった。会津線はほぼ全線に渡って、阿賀川と並走しながら山奥へ進んでいく路線である。阿賀川は会津線の会津高原尾瀬口駅からさらに山奥へ進んだ荒海山付近を源流に、会津盆地の中央を流れながら福島県から新潟県へ流れ、新潟市の東側で日本海へ注ぐ河川。新潟県内では阿賀野川と呼ばれている。鉄道路線では会津線と磐越西線がこの川に沿う形で走っている。

会津線は途中で交換できる駅が比較的多くある。南若松の次の門田は、西若松側の最初の交換可能駅。しかし、この時間、対向列車の姿はなかった。門田駅のあたりが会津盆地の南端にあたる。この先もしばらく田園風景が続くが、列車はここのあたりで会津盆地を出る。次第に山が近づいてきて、景色も山間ののどかさに変わった。この先の会津線の沿線には、温泉地が点在している。駅名にも”温泉”が付く駅が増える。会津若松方面から見て最初に温泉が付く駅となるのが、門田から2駅進んだ芦ノ牧温泉駅。駅名の由来となっている芦ノ牧温泉は、駅から少し離れた場所にあるが、鉄道でのアクセスとしてはここが最寄りとなっている。ここでは観光客らしき女性のグループ客4人の乗車があった。列車はこの駅で会津若松行きの普通列車と行き違った。

芦ノ牧温泉を出ると、水田も車窓から消え、列車は阿賀川の横を通過。やがてこの川の上流部に位置する深い峡谷区間へ入っていった。この先の阿賀川には大川ダムというダムが設置されている。会津線は長いトンネルを経由して、曲がりくねっている川を短絡する。今年年初に乗車したわたらせ渓谷鉄道、そして前回の旅で乗車した北上線といずれもダム建設により一部区間が新線へ付け替えられていたが、ここもやはりダム建設に伴い、新線へ移設された区間がある。芦ノ牧温泉南駅付近では、車窓に大川ダムのダム湖である若郷湖を見て走っていく。森の緑を反射させた濃緑のダム湖がとても美しく、会津線で運転される観光列車では徐行ポイントの一つになっている。

芦ノ牧温泉南を発車し、さらにトンネル区間を進むと、列車は湯野上温泉に到着。芦ノ牧温泉から乗車した女性グループは下車して行き、入れ替わりで旅行客らしき客が1人乗車してきた。湯野上温泉もまた芦ノ牧温泉と同じく阿賀川沿いに温泉旅館や民宿が立ち並んでいる。芦ノ牧温泉は駅から離れた場所にあったが、こちらは駅の目の前に温泉街がある。この駅は会津線の桜の名所。春には満開の桜と列車のコラボレーションを楽しむことができることで知られる。

湯野上温泉の手前で会津線は初めて阿賀川を渡った。ダム完成前の旧線では途中2度この川を渡っていたそうだが、新線ではずっと川の東側を行く形に変わっている。湯野上温泉から先はこの川を何度か渡りながら、会津田島を目指す。次は塔のへつりという妙な名前の駅。塔のへつりとは阿賀川の景勝地の名前。言葉で表現するのは難しいが、川沿いに迫り出す奇岩が美しい。

塔のへつりを発車すると、列車は弥五島を経由して会津下郷へ。このあたりからは再び車窓に田畑が広がり始め、その奥には民家が立ち並ぶ農村の景色を眺め進む。会津下郷駅は会津線の主要駅の一つ。周辺には少し大きな街が広がっている。ここは会津若松市と南会津町の間に挟まれている下郷町の中心駅。人口は約4500人で、会津線は湯野上温泉から養鱒公園までの区間でこの町を経由している。この駅では地元客1名の乗車があった。

会津下郷を出た直後に会津線は阿賀川を渡る。この鉄橋が会津線最後の阿賀川の鉄橋になる。ここからは再び川の南・東側を走って行く。列車はふるさと公園、養鱒公園と公園の名のつく駅に連続して停車した。先ほどは大川ダム公園駅もあったように、会津線は温泉が付く駅が多いが、公園駅も多い。ふるさと公園駅は2002年に開業した駅。その他2駅は会津線が会津鉄道に移管された際に、駅名が変更されている。会津鉄道移管後の会津線は、観光利用促進のため、駅名の変更や新駅の設置が積極的に行われた。

会津長野付近では車窓に田植えを終えたばかりの水田が広がった。今回の旅はほぼずっと曇りだったが、ここでは一瞬だけ青空が見えた。水面はそのわずかな青空と、奥の山を反射させていて美しかった。もちろん観光地へ行く旅もそれはそれで楽しいが、何気ない風景を楽しむ旅というのも、そこに住む人たちの暮らしや日常というものを垣間見ることができて楽しい。何気ない風景にこそ、美しさや風情を感じながら進むのが、乗り鉄旅の一つの醍醐味だと思う。

会津長野、そして会津高校前と停車し、1人ずつ乗客を乗せた列車。田島高校前を出ると、やがて車窓には市街地が広がり始め、まもなく列車は終点の会津田島に到着した。
3両編成のうち前2両を営業列車として走ってきたが、七日町-南若松で若干の通勤利用があった以外はポッポッと乗客が現れる程度で、車内は終始空いていた。終点の会津田島で下車したのも7人ほど。会津若松では3両分しかホームがなく、いい感じに写真を撮れなかったので、ここで乗ってきた3色団子を写真に収めた。
数年ぶりに復活した3社直通の区間快速と出会う

会津若松から乗車した普通列車は、ここで野岩鉄道方面への列車と接続するが、今回は特急リバティ会津に乗車するので、ここで約2時間の待ち合わせとなった。改札を出ようとすると、会津高原尾瀬口方の踏切が鳴り、まもなく2両の列車が入線してきた。列車は折り返し、9時8分発の区間快速鬼怒川温泉行となる。この列車が乗車してきた普通列車の接続列車であり、乗り換えれば終点の鬼怒川温泉で、さらに先へ行く特急リバティきぬへ乗り継ぐことができる。今回はこの接続列車には乗車しないが、ちょっと珍しい列車ということで、写真を撮影していくことにした。
区間快速に使用されるのは野岩鉄道の6050系電車。この6050系はかつて東武、野岩、会津の3社が所有し、東京と日光・鬼怒川・会津を結ぶ快速列車で活躍していた車両だった。しかし、2017年に車両の老朽化と、運行形態の見直しにより、都心から同エリアへの快速列車の運行が終了。その後はしばらく日光・鬼怒川エリアの普通列車で運行されていたが、東武と会津鉄道が所有していた編成については2022年に運行が終了となり、残すは野岩鉄道が所有する2編成が現役で活躍しているのみとなった。6050系の東武車については、以前日光へ行った際に東武日光駅で出会っていたが、野岩鉄道の車両に合うのはこれが初めて。2ドアでボックスシートが並ぶ車内は、どこか懐かしさを感じる造りである。

かつては浅草からもこの6050系を使った列車が走っていた会津線。しかし近年は特急リバティ会津が運行を開始し定着した一方で、一般列車で会津鉄道から野岩鉄道へ直通する列車の運行は縮小気味となっている。2022年のダイヤ改正では、会津鉄道へ直通する一般の電車列車の運行がなくなった。一般の電車列車とは、この6050系使用の列車のことを指す。すなわち2022年で一旦、6050系の会津鉄道直通列車の運行は見納めとなった。しかし、今年のダイヤ改正で、乗り継ぎダイヤの改善が図られ、東武・野岩鉄道-会津鉄道間の区間快速が復活。それまで鬼怒川温泉-会津高原尾瀬口間で運用されていた6050系が、久しぶりに会津鉄道へ足を踏み入れることになった。現在は鬼怒川温泉-会津田島、新藤原-会津田島間で各1往復が運転されており、久しぶりに会津-野岩-東武間の一般の電車列車が見られるようになっている。6050系自体、いつまで見られるかわからないので、これもまたいい記録となった。
都内からの列車もやってくる南会津のターミナル、会津田島駅

福島県南会津郡南会津町のターミナル駅である会津田島。駅は町の交流施設などを併設し、会津鉄道の窓口の他、土産物店、飲食店などもある。駅前には南会津町の中心市街地が広がっている。この駅のロータリーの東側は、地元の会社の土地に面しているようで、その会社が運営するガソリンスタンドが、ロータリーの中にあった。その背後には、ホテルとコンビニ(デイリーヤマザキ)もあり、駅側から直接行ける。駅前からは会津バスの路線バスが出ている。以前は会津高原尾瀬口発着だった檜枝岐村・尾瀬沼山峠行の路線バスも現在はここ発着で運転されている。かなり山奥へ進むバスで、バス旅好きとしては気になる路線。いつかは乗ってみたい。一方で、ここからは只見線が発着する只見駅へも周遊バス「自然首都・只見号」が運転されている。土日限定運行だが、このバスに乗車することで、直接只見へ行ける。南会津一体の玄関口となっているのが、ここ会津田島である。

会津田島では2時間ほど時間があった。この後は特急リバティ会津に3時間30分ほど乗車して、東京・浅草へと戻っていく。車内で昼食を食べてもよかったのだが、シートマップを見てみると、鬼怒川温泉から先はほぼ満席となっていたので、この空き時間を使って食べることに。駅から歩いて5分のところにヨークベニマル田島店があったので、ここで総菜を買い込んで、駅のベンチで食べた。駅からスーパーへの道から一本入ると、駅の西側を渡る踏切があった。ちょうど、浅草からの特急リバティ会津101号会津田島行きが到着。大手私鉄の特急型車両が、山間の小さな駅へ都会の風を連れてくる。

駅のベンチで早めの昼食を食べた後は、少し街を散策しに行ってみた。駅前の道路をまっすぐ歩くと、南会津町の町役場があった。田島の街は鎌倉時代に長沼氏が鴫山城を築いた後、その城下町として発展した街。江戸時代にはこのあたり一帯が幕府の直轄地となり、その中心地として陣屋がおかれていた。現在町役場があるあたりに、その陣屋が置かれており、駐車場の端には陣屋跡の石碑があった。現在の人口は約1万3,000人。昭和の面影を残す町並みがどこか懐かしさを感じさせ、また周辺に広がる山々がのんびりした雰囲気を醸し出していた。

そこから少し歩いて、今後は駅の東側を横切る踏切へ。ここからは会津田島駅構内を一望することができた。2番線にはこれから乗車する特急リバティ会津が待機中。架線は駅舎横で行き止まりになっている1番線と、2番線に張られている。一方、架線がない3・4番線は基本的に会津若松方面への列車が使用する。架線はちょうどこの踏切の辺りで途切れていた。駅の裏には会津鉄道の車両基地がある。この日はお座トロ展望列車に使われるAT-400形・AT-350形が外へ出ているのが見えた。
さて、この後は踏切の先に見えていた田出宇賀神社まで歩いて行った後、駅へと戻り、野岩鉄道、そして東武鉄道へ直通する特急リバティ会津128号浅草行きに乗車。終点の浅草までこの列車を乗り通し、水戸・会津を経由してぐるっと一周する今回の旅程を完了させた。
続く