【旅行記】水戸・会津ぐるっと周遊旅~磐越西線快速あいづに乗車する〜
安積開拓で発展し、東北第二位の都市となった郡山を散策

水戸から水郡線の普通列車を乗り通して辿り着いた郡山駅。これが3度目の訪問だった。この後は磐越西線で会津若松へ行く。すぐに乗り換えて会津若松へ行き、会津若松を観光することも考えたが、磐越西線は日中の列車も混雑しているという話は聞いていたので、指定席がある3時間後の快速あいづを利用することにした。
郡山は東北第二の都市だが、市街地周辺に何か有名な観光地があるわけではない。ここで3時間滞在することにしたものの、正直な話、この時間で何をするかは旅行前に相当悩んでいた。久しぶりに白河の方へ行ってみようかとか、ただぼーっと新幹線を眺めてみようかとか、いろいろ考えてみたが、せっかくの郡山での滞在時間なので、市街地を散策することに。郡山駅からは市街地を走る循環バスに乗車。市街地の真ん中にある開成山公園へ行ってみた。

郡山市街地で乗車したのは福島交通の循環路線バス「あすなろ循環」。郡山市街地では福島交通が路線バスを運行しているが、市街地郊外へ向かう路線の他に、市街地内を循環するバスも何系統か運行されている。「あすなろ循環」は、郡山駅を起点とし、市街地の北側半分を周回して、郡山駅へ戻ってくる路線。外回りとなる市役所回りと、内回りとなる西ノ内回りがあり、どちらも基本30分間隔での運行となっている。今回は西ノ内回りの便に乗車。まずは市街地を周回して、開成山公園最寄りの郡山女子大学まで行ってみた。福島交通のバスは、郡山駅から福島空港への空港バスで乗車したことがあったが、一般の路線バスへ乗車するのはこれが初めてだった。

現在は東北で第二の規模を誇る街である郡山。江戸時代は奥州街道の宿場町として賑わったものの、城下町だったわけではなく、宿場周辺には広大な原野が広がっていた。明治時代に入ると、まず地元の有力者たちにより、開成社が結成され、この広大な原野を開拓する計画がスタートした。後にこの開拓事業は国家プロジェクトとなり、さらに大規模な開拓事業へと発展し、日本の近代化の礎となった。元々、水不足が問題で開拓されてこなかった郡山盆地。開拓にあたっては、同時に猪苗代湖から水を引く、安積疏水の建設も行われた。この疏水の完成により、郡山盆地は水で潤い、開拓も大きく進歩した。現在の郡山は、この開拓により、明治以降大きく発展。現在は県庁所在地である福島市よりも人口が多くなり、福島県一の大都市となっている。
今回訪ねた開成山公園は、安積開拓に携わる人たちの心の拠り所として創建された開成山大神宮の前に広がる公園である。公園は市街地の中央にあり、現在も市民の憩いの場となっている。公園へ行く前に、まずは安積開拓と郡山の街の発展を見守ってきた開成山大神宮へ。1876年に創建されたこの神社は、安積開拓の父と呼ばれる中條政恒の働きかけにより創建。伊勢神宮から分霊した御霊が祀られている。

開成山大神宮から横断歩道を渡ると、その先には開成山公園が広がっている。敷地は比較的広く、西側は広場やバラ園、音楽堂があり、憩いの場となっている一方、東側には野球場、陸上競技場も設置され、運動公園の役割も持っている。公園内には五十鈴湖と呼ばれるため池がある。開成山公園はこのため池の周りに整備された公園だった。名前は伊勢神宮の近くを流れる五十鈴川に由来し、大神宮と五十鈴湖で伊勢神宮を模した造りになっている。
湖畔に設置されたベンチに座って一休み。薄曇りで日差しがない分、公園のベンチに座ると、吹き抜ける風がとても心地よかった。暑くもなく、寒くもないこの時期は、外でのんびり過ごすのもいい。

公園の中には開拓者の群像というモニュメントがあり、安積開拓に貢献した人物の銅像が立っていた。一番左側が、先述した安積開拓の父、中條政恒。その隣が、安積開拓を国営事業にした大久保利通。一番右側が、安積疏水の建設に携わったファン・ドールンである。いずれも安積開拓、ひいては郡山の発展に大きく貢献した。
その後は五十鈴湖の橋を渡って、公園内に設置されたバラ園を見学しバス停へ。ちょうどバラが見ごろの時期だったようで、様々な品種のバラがとても美しかった。数週間後には楽天とDeNAのプロ野球公式戦が、開成山公園内の野球場で開催された。NHKが中継しており、自宅から見ていたが、五十鈴湖やバラ園が紹介されていて、ちょっと懐かしかった。
郡山女子大学バス停へ戻った後は、再びあすなろ循環の郡山行きに乗車し、郡山駅に戻った。旅行前は、何をしようかかなり悩んでいた今回の郡山での滞在時間だったが、この街の成り立ちを知るいいきっかけになったかなと思う。今年の旅は明治の近代化遺産によく出会うが、ここでもまた郡山の街という立派な近代化遺産に出会うことができた。
磐越西線の快速あいづ指定席で会津若松へ

郡山へ戻った後は、乗り鉄の旅を再開させた。ここからは磐越西線に乗車し、この日の宿泊地である会津若松へ向かった。郡山であえて3時間待って乗車したのは、16時15分発の快速あいづ3号会津若松行き。磐越西線の快速列車のうち、「あいづ」の名称が設定された列車には、半室だが指定席が設定されている。どうせ乗るなら車窓の景色を楽しみたいので、今回はこの指定席を利用した。
郡山と新津を結び、途中で会津若松、喜多方、五泉などを経由する磐越西線。この路線の西側区間である会津若松-新津間には、昨年出かけた「信濃・会津・越後のローカル線を巡る旅」の中で乗車した。一方、東側区間である郡山-会津若松間はまだ乗車しておらず、郡山駅に乗り入れる路線ではこの路線が最後まで乗り残す形となっていた。今回はこの東側区間に乗車し、磐越西線の全線の乗りつぶしを完了させる。
磐越西線の東側区間は、普通列車と快速列車が運転されている。郡山さらには首都圏と会津地方を結ぶ大事な交通機関ではあるものの、列車本数はそう多くなく、普通列車と快速列車を合わせて、1時間に1本程度の運転となっている。この路線、かつては郡山〜喜多方間が電化区間となっていたが、数年前に会津若松-喜多方の電化設備が廃止され、会津若松から先へ行く電車の運行がなくなった。郡山発着の列車も、以前は朝夕を中心に郡山から喜多方へ向かう電車もあったが、現在は区間列車を除いて、全列車が会津若松発着になり、喜多方方面へは必ず乗り換えが必要になっている。

以前は特急列車も運転されていた磐越西線の郡山-会津若松間。特急列車の運行は2003年10月に廃止され、その後は快速列車が運行されるようになった。この時の快速列車は、引き続き特急型列車で運行。2004年から2007年にかけて一旦運行が休止された期間があったものの、しばらくこの運行形態が継続された。しかし、2015年3月にこの特急型車両を使った快速列車の運行が終了。磐越西線は一般車両による快速・普通列車のみが走る路線になり、指定席がある列車の運行もなくなった。一方で、磐越西線は新幹線へのアクセス路線であり、また会津を訪れる観光客も多く使う路線である。こうした点を考慮し、2020年のダイヤ改正で、E721系の1両半室を指定席に改造した車両を用いた快速「あいづ」の運行が開始された。これにより2015年のダイヤ改正以降なくなっていた愛称設定の定期列車、及び指定席の設定がある定期列車の運行が復活する形となった。
現在は7往復の快速列車が設定されているが、このうちの3往復が快速あいづとして運転されている。快速あいづとして運転される列車は必ず4両編成で運転され、郡山方の先頭車の後ろ側の半室が指定席座席となっている。その他名前のない快速列車には指定席の設定はない。快速あいづの指定席はたった14席のみ。列車によっては混雑するが、乗車した列車は自由席座席が混雑するなか、指定席座席は半分程度しか埋まっておらず、快適に移動することができた。
乗車記録 No.9
磐越西線 快速あいづ3号 会津若松行
郡山→会津若松 E721系

車両は発車の15分程前に、新白河方にある留置線から入線。先述の通り、指定席には空きがあったが、夕方の列車ということもあり、発車間際になると乗客が増え始めた。一般の座席は通学客を中心に混雑。ドア付近にも立ち客が数人現れる程度となり、郡山を発車した。
郡山を発車すると、まもなく左へカーブし、東北新幹線の高架をくぐって東北本線と別れる。今回は会津若松までの乗車だが、磐越西線にとっては新津までの長い旅の始まりである。この路線の全長は175.6km。JR東日本の路線の中でも比較的長距離な路線の一つである。

その後は郡山の市街地を北西へ。快速列車も郡山市街地の中とそのはずれにある郡山富田、喜久田の2駅には共に停車する。郡山富田では車内の乗客の一部が入れ替わった。駅ではこの後に入ってくる郡山行きの列車を大勢の高校生がまっていた。郡山市街地で唯一の磐越西線単独駅であるこの駅は、2017年に開業した比較的新しい駅。それまで磐越西線は郡山を除いて市街地に一個も駅がなく、普通列車も市街地を素通りする形になっていた。

郡山富田を出た後も列車はしばらく市街地を進んでいく。やがて車窓の景色に田畑が広がり始めると、東北道と交差。その後は物流企業の倉庫が立ち並ぶ中を進んで、次の停車駅である喜久田に到着した。ここでは反対列車の快速郡山行きと交換した。喜久田を出ると、車窓の景色ものどかなものに変わる。列車は段々になっている水田を眺めつつ進み、ジワジワと坂を登った。

次第に山が近づいてくると、まもなく郡山盆地も終わりとなる。列車は安子ヶ島を通過し、磐梯熱海に到着。ここでは通勤通学客と観光客らしき人たちが列車を下車して行った。磐梯熱海は郡山市近郊の貴重な観光地。磐越西線が並走する五百川に沿って温泉旅館が立ち並んでおり、福島県内でも有名な温泉地の一つになっている。この磐梯熱海を出ると、列車はしばらく山の中を進み、中山峠と呼ばれる峠を越える。

磐梯熱海を出ると、列車は次に猪苗代に停車する。途中では中山宿、上戸、関都、川桁と4駅を通過し、快速列車としての本領が発揮される。磐越道や国道49号線も磐越西線の近くを走っており、共に峠を越えて、猪苗代湖の湖畔へと出て行く。安積開拓の際に整備された安積疏水もこの中山峠経由で建設された。上戸駅の近くには頭首工と呼ばれる取水口があり、ここから取水した水が、峠に建設されたトンネルを通って、安積の平野へ流れ、分配されている。
上戸駅と関都駅の間で列車は猪苗代湖畔駅を通過した。この駅は磐越西線が最も猪苗代湖に接近する地点に設けられた臨時駅。現在も廃止にはなっていないが、2007年の営業を最後にかれこれ18年間休止状態が続いている。駅前には猪苗代湖の志田浜があり、ここへのレジャー客のために営業されていたらしい。ちなみに磐越西線から猪苗代湖はほとんど見えないので注意が必要。会津若松行なら進行方向右側に座った方が、この先磐梯山を眺められる。

列車は休止状態の猪苗代湖畔駅を通過した後、猪苗代湖の北側を周回する形で走っていく。川桁を通過すると、やがて車窓には磐梯山が見え始めた。別名を会津富士とも称されるこの山は、この地域のシンボル。標高は1816mで、日本百名山の一つに数えられている。磐越西線は猪苗代湖と磐梯山の間に広がる平地をしばらく走っていく。列車はまもなく磐梯エリアの観光拠点である猪苗代に到着。ここでは反対列車と再び行き違いを行った。

猪苗代を出た後も、次の翁島までは磐梯山を眺めつつ、広い水田地帯を走って行く。この間はずっと直線なので、列車の走りも軽やかだった。磐梯山の麓にはスキー場やリゾートホテルなどがある。車窓から山をよく見ると、確かにスキー場らしき施設を確認できた。
磐梯山周辺へ来るのは初めてだが、実はこのあたりの景色、空の上から眺めることはよくある。というのも、羽田から離陸し、東北や北海道方面へ向かう飛行機はちょうど磐梯熱海の上空を飛んで行くので、左側の座席に座ると、磐梯山や猪苗代湖が機窓に見えるのである。中でも2022年春の北海道旅の際、羽田から帯広への飛行機を利用したときに眺めたこのあたりの景色は今でも印象に残っている。空から見たときのこのあたりの景色を思い出しながら、地上目線での景色を楽しむのもまた面白い。

猪苗代駅を発車した後も次の翁島までは田園風景を眺め走るが、その先は会津若松へ向けての山下りとなる。ここから先の磐越西線は鉄道版九十九折りの様相を呈していて、線路は何度もカーブして、南へ北へと列車の先頭を向け、長い坂道を下りていく。車窓には一度通り過ぎたはずの磐梯山が再び現れる。この日は曇っていたのもあって、まるで蛇のように敷かれた線路の上を走っていると、何度かカーブしているうちに自分がどちらの方向を向いているのかよくわからなくなった。この九十九折りの途中で列車は磐梯町に停車。無人駅のこの駅では、車掌がきっぷの回収を行っていた。

磐梯町を出た後も列車はカーブを何度も曲がりながら進んで行く。猪苗代湖から阿賀川へ流れる日橋川の鉄橋を渡ると、その先で東長原を通過。まもなく景色が開け、車窓には会津盆地が広がった。列車は眼下に広がる盆地へ向け、坂を軽快に下って行く。少し後ろの方を眺めると、奥には飯豊山地の山々が見えていた。やがて終点会津若松を告げる放送が流れると、列車は会津若松の市街地へ。新津からやってきた線路と合流し、列車は終点の会津若松に到着した。

郡山から1時間6分で終点の会津若松に到着。ここから先の非電化区間は、昨年乗車済みだったので、これをもって磐越西線も全線完乗となった。昨年は小出から只見線を乗り通してここへ来て、鶴ヶ城を観光。その後、磐越西線で新津、羽越本線で新発田を経由し、白新線で新潟まで旅した。西若松で分岐する会津鉄道を含め、4方向から鉄路が延びる会津若松。乗りつぶしをする上では必ず2回来ることになる駅である。
乗車してきた車両は、折り返し17時30分発の快速あいづ6号として来た道を戻っていく。すぐに折り返し作業が行われ、指定席座席も係員が座席の回転を行っていた。1時間ほどの乗車だったが、リクライニングシートで快適に移動でき、空いていたので車窓の景色もしっかり楽しむことができた。また磐越西線を利用する機会があれば、指定席を使ってみたいと思う。ちなみにE721系の2両編成で指定席があるのは、この編成だけ。毎日固定運用となっているようで、快速あいづの3往復でのみ運用されている。検査で同線から不在の時は、代わりに全席自由席の快速列車が運転されているらしい。

この時間の会津若松駅は、乗車してきた快速列車に接続する形で磐越西線の喜多方行き、只見線の会津坂下行きが発車を待っていた。改札を出る前に列車を眺めて行くことにした。
写真はキハ110系2両で運転の磐越西線普通喜多方行き。磐越西線の会津若松-喜多方の間には5つの駅があるが、多くの列車は、塩川駅以外の全ての駅を通過する。この列車もそのうちの1本で、途中停車駅は塩川のみ。実質的な快速列車になっている。現在、会津若松から新津方面は非電化化されており、既に架線の撤去も進んでいる。会津若松以西は、全列車が気動車(SL、DL列車を除く)で運行されている。GV-E400系で運行される列車が多いが、一部にはキハ110系の運用もある。確か昨年磐越西線に乗車したときには、このキハ110系使用の列車と野沢駅ですれ違ったと記憶している。

喜多方行きの普通列車の隣には、只見線の普通会津坂下行が停車中だった。非常に本数が少ない只見線。しかし、17時台だけは2本の列車が会津若松を発車していく。1本目は17時ちょうど発の普通小出行き。会津川口から先で終電となる列車で、およそ4時間30分で小出へ走る。一方、写真の列車は会津坂下止まりの列車。会津坂下は、会津若松から見て北西にあり、只見線はこの駅の先で会津盆地を出る。すなわちこの列車は盆地内で完結する列車。会津盆地内の各駅への帰宅客が利用する列車になっている。2両編成だが、乗客はさほど多くなかった。会津坂下にも高校があるようなので、もしかするとこの先の駅からの乗車で混雑するのかもしれない。

さて、昨日同様、まだ日も暮れていないが、この日の旅はこれで終了。翌日使うきっぷをみどりの窓口で購入し、駅の隣にあるスーパーで夕食を買い込んだ後、宿泊先のホテルへ向かった。この日は駅近の東横INN会津若松駅前に宿泊。客室からは駅周辺や、只見線や会津鉄道の列車を楽しむことができた。昨日は水戸で茨城県初宿泊を果たしたが、実は福島県に宿泊するのもこれが初めて。今回の会津若松宿泊で東北地方に関しては全県に宿泊したことになった。
最終日となる3日目は、会津若松から東京へ戻り、今回のぐるっと一周の旅程を完成させる。まず会津若松からは会津鉄道の普通列車に乗車。南会津町のターミナル、会津田島へ向かった。
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