【旅行記】関西地方の全線完乗を目指す旅+α 〜特急こうやと高野山ケーブルカーで高野山を登る~

前話
 
 夜行バスで大阪駅に到着し、そこから今年の万博開催のために延伸開業したOsaka Metro中央線のコスモスクエア~夢洲間に乗車。まもなく始まる万博会場を間近に眺めた後、地下鉄を乗り継いで難波へやってきた。ここからはいよいよこの日の本題へと入っていく。難波からは南海高野線の特急こうやに乗車し、高野山を目指した。

関西最後の未乗幹線、南海高野線に乗車する

 1日目はここから大阪市街と高野山の間を往復しながら、関西地方で最後まで未乗だった南海高野線、南海鋼索線(高野山ケーブル)、近鉄長野線の3路線を巡っていく。まずは南海高野線と高野山ケーブルを乗り継いで、高野山を観光しに行った。
 関西における幹線路線の一つである南海高野線は、正式には汐見橋~極楽橋間を岸里玉出、堺東、河内長野、橋本などを経由して結ぶ路線である。しかし、実際の運行形態は、岸里玉出で分かれており、岸里玉出以南の路線は、南海本線系統との複々線を経由して、難波駅に乗り入れる一方、汐見橋~岸里玉出間は、汐見橋線と呼ばれていて、実質的には支線として扱われている。ややこしいので、ここから先はこの汐見橋線区間は汐見橋線とし、難波~極楽橋間を高野線と記述する。
 実質的に難波と極楽橋を結ぶ路線となっている南海高野線。その名の通り、路線は今から1200年前に空海が開いた高野山を目指している。難波からは特急こうやが発着しており、もちろん高野山への観光客も多く利用する路線だが、大阪府では堺市、大阪狭山市、河内長野市、和歌山県では橋本市などを沿線に有し、関西における幹線路線の一つとして、ベッドタウンが広がる沿線と大阪市中心部を結んでいる。
 この路線は橋本の前後で大きく性質が変わる。難波~橋本間は日中も多くの列車が行き交う都市の鉄道路線としての顔を持つ一方、橋本から先は高野山へ向かう山岳区間となる。路線としては一つだが、基本的に運行形態は橋本で区切られている。この前後のギャップもまた高野線の面白ポイントの一つ。これから乗車する特急こうやは、そんな高野線を走破する列車である。その景色の移り変わりや、走りの変化にも注目である。
 ちなみに高野線は全区間が未乗というわけではなく、汐見橋線区間と、難波(岸里玉出)~中百舌鳥間は既に乗車済みとなっている。この区間は過去に泉北高速鉄道や御堂筋線に乗車した際に乗車した。したがって、この日時点での高野線の未乗区間は、中百舌鳥~極楽橋間となっていた。

高野線特急「こうや」で極楽橋へ

 難波から乗車したのは、9時ちょうど発の特急こうや5号極楽橋行き。「こうや」は難波~極楽橋間を走る特急列車である。高野線には2種類の特急列車が走っている(泉北線直通の泉北ライナーを除く)。一つがこの「こうや」で、おもに日中時間帯に運行され、高野山への観光客を運ぶ。もう一つが「りんかん」と呼ばれる列車で、途中にある林間田園都市を由来とし、難波~橋本間で運転されている。「こうや」に対して「りんかん」は区間列車の位置づけだが、こちらは主に朝夕時間帯で運行され、沿線から大阪市街方面への乗客を運ぶ役割を持つ。「こうや」といえば、30000系のイメージが強いが、貫通型の31000系でも運転されている。今回はこちらの車両の列車に当たった。実はこの31000系という車両は1編成しか存在しない。30000系は1983年、31000系は1999年にデビューしているので、こちらの車両の方が新しい。特急「こうや」用車両の増備を目的に導入されたのが、この31000系である。車内自体は30000系の方もリニューアルが実施されているので大きくは変わらない。なお、似た車両に11000系という車両がいる。こちらは山岳区間に対応しておらず、難波-橋本間の特急「りんかん」と泉北方面の特急「泉北ライナー」で運用されている。
 
 今回は事前に南海電鉄のチケットレスサービスを利用し、特急券を購入した。チケットレスサービスであれば、座席番号を指定できるので、どちらの車両が使用されるか事前に分かる。南海の座席番号は、難波から極楽橋を向いた時、先頭の進行方向左側を1番とし、横に2番、3番、4番、そして2列目が5番、6番と続く。例えば3号車は、30000系が47番までの一方、31000系は51番まで座席があり、後者の座席が1列多い。全体の座席数も、30000系と31000系では、31000系の方が多くなっている。
 乗車した特急こうや5号は、8時35分に難波に着く橋本始発の特急りんかん4号の折り返しだった。乗客もまばらで清掃作業もすぐに終わり、発車の20分前には車内へ入ることができた。
 
乗車記録 No.6
南海高野線 特急こうや5号 極楽橋行
難波→極楽橋 31000系
 
 発車時間が近づくと、乗客の数も増え、窓側座席は8割程度が埋まった。外国人観光客の利用も比較的多かった。難波を発車すると、同発の関西空港行きの特急ラピートα13号と並走し、2列車並んで新今宮、天下茶屋と停車していく。分単位で見ると新今宮は同発、天下茶屋はラピートの方が先に発車するが、ラピートの方はやはり大きな荷物を持った乗客が多く、乗車に時間がかかっており、こちらの方が一足先に天下茶屋を発車した。
 高野線側には難波〜新今宮間に今宮戎、新今宮〜天下茶屋に萩ノ茶屋の2駅がある。所属上は南海本線に属するが、系統としての南海本線上にはホームがなく、高野線系統の列車しか停車しない。南海では有名な撮影地として知られ、この日も列車を撮影している人の姿があった。自分ももう10年以上前だが撮影しに行ったことがある。
 
 天下茶屋を発車すると、加速している間に列車は岸里玉出を通過する。この駅のホーム手前で南海本線系統と分かれ、正式な区間としての高野線へと入っていく。厳密には高野線に含まれる汐見橋線区間は、南海本線側にホームがあり、高野線ホームからは少し距離がある。岸里玉出以降の高野線は南海本線のやや東側を南下する。両線の間にはしばらく、グループ会社の阪堺電車も並走し、3路線並んで南下していく。
 
 住吉区内を縦断した列車は、我孫子前を通過し、やがて大和川を渡った。この鉄橋を渡ると列車は堺市に入る。今度は堺市堺区の市街地の中を走って、列車は堺東に到着した。
 堺東駅は高野線における堺市の中心駅である。南海本線の堺駅と比較すると堺東駅の方が、百貨店や市役所があり、より中心的な役割を果たしている。堺東駅と堺駅は大小路筋という通りを経て、道一本で繋がっている。この通りは昨年の旅で阪堺電車に乗車した時に横断した。
 
 堺東を出た列車はカーブして南東を向き、JR阪和線との接続駅である三国ヶ丘、そして泉北高速鉄道が枝分かれし、Osaka Metro御堂筋線も乗り入れる中百舌鳥を通過する。JRにとっての三国ヶ丘は、関空・紀州路快速なども停車する主要駅だが、南海は準急以下の列車しか停車しない。また、中百舌鳥も周辺のターミナル駅となっているが、こちらも準急以下しか停車せず、この特急も通過となる。高野線の速達系統は、この先の駅と堺・大阪市街を速達で結ぶのが大きな役割である。
 ところで、泉北高速鉄道は2025年4月1日に南海電鉄に吸収され、南海泉北線に変わった。中百舌鳥ですれ違った泉北高速鉄道の車両のロゴも「NANKAI」となっており、吸収へ向けた準備が着々と進んでいた。中百舌鳥を通過すると、その先で数日後に南海電鉄の路線の一員となる泉北高速鉄道の線路がトンネルへと入っていき、高野線から分かれていった。ここまでの区間はこの泉北高速鉄道に乗りに行った2019年8月に乗車しているが、ここから先は全く乗車したことがない区間へと入る。
 
 中百舌鳥を出ると、車窓に広がる景色も少しのんびりし始める。高い建物は少なくなり、列車は比較的新しい戸建て住宅が立ち並ぶ郊外の景色の中を走っていく。南海高野線、近鉄長野線のいずれにも乗車したことがなかったため、大阪府の南東部へ行くのはこれが初めてだった。大阪の南東部といえば、個人的には近鉄南大阪線の藤井寺とか古市を思い出す。それらは確かに大阪市街からみたら南だが、まだまだ南にも街がたくさんある。メジャーと言える観光スポットはほぼない大阪府内の高野線の沿線。通るとすればやはり高野山へ出かけるときだろう。
 列車はやがて北野田を通過した。北野田は堺市東区の中心的な街で、高野線では特急以外の一般列車の全てが停車する主要駅となっている。駅周辺にはタワーマンションが建っていて、ここだけ都会的な雰囲気へと戻った。
 
 北野田を出た列車は直後に堺市を出て、大阪狭山市へと入った。市名に大阪が入るのは埼玉県にも同じ名前の狭山市があるからである。埼玉県狭山市は西武線の沿線にあり、東京のベッドタウンとなっている。一方、大阪狭山市は大阪のベッドタウンである。場所は違うが似たような性質をもつ。北野田から先は狭山、大阪狭山市、金剛と駅が続く。一見すると、大阪狭山市が中心駅なような感じがするが、実際には金剛駅が中心駅である。駅の東側にはすぐ富田林市との市境があり、ここは大阪狭山市の中心駅であると同時に、富田林市西部のターミナル駅の役割も果たしている。金剛には乗車している列車も停車。さすがにこの時間は下車する人の姿はなかった。
 
 金剛を出ると次の滝谷付近で一瞬だけ富田林市へ入り、その後河内長野市へと進む。このあたりまで来ると、車窓にも緑が増え始めた。千代田を通過すると、車窓の両側には大きな車両基地が広がる。西側に広がるのは千代田工場で、南海電鉄が保有するケーブルカー以外の全ての車両の大規模な検査を担当している。一方、東側に広がるのは小原田検車区千代田検車支区で、高野線の車両基地となっている。この検車支区が千代田-河内長野間にある関係上、難波始発の列車の一部は、河内長野まで行かずに千代田で終点となる。南海高野線の列車は河内長野駅周辺で段階的に列車本数が少なくなっていく。列車は河内長野に停車。近鉄長野線も乗り入れるこの駅には、この後帰りに立ち寄る。
 
 河内長野を出るといよいよ大阪府と和歌山県の県境区間へ差し掛かる。次の三日市町も難波方面からの一部列車が折り返す駅で、難波でもよく見かける行き先となっている。この駅を出ると、田畑が増え始め、徐々に山が近づいてくる。美加の台から先はトンネルが連続し、トンネルと駅が繰り返される。天見を通過すると上下線が別々の紀見トンネルへ入り、和泉山脈の峠である紀見峠を越える。列車はトンネルの中で大阪府と和歌山県との県境を跨いだ。
 
 紀見トンネルを出て、まもなく紀見峠駅を通過すると、車窓にはニュータウンが広がり初め、列車は林間田園都市に到着した。和歌山県橋本市にあるこのニュータウンは、南海が開発を手がけた大きなニュータウンで、和泉山脈の山の斜面に住宅地が広がっている。難波までは急行では50分弱、特急では40分と近く、1980年代以降に急速に発展した街である。もう一つの高野線特急である「りんかん」は、ここを名前の由来とする。後もう少しで橋本だが、橋本までは行かずに、この駅で折り返す列車も多い。立地的には南海本線の和歌山大学前によく似ている。どちらも和泉山脈の和歌山側の山の中腹にニュータウンが開発されている。
 
 紀見峠以降の高野線は橋本駅までずっと下り坂となっている。林間田園都市を出た直後には橋本の市街地も反対側の車窓には見えていた。御幸辻を通過すると車窓には再び車両基地が見えた。ここは小原田検車区の本所。御幸辻と橋本駅の間にあり、乗車中の31000系を含め、高野線で活躍する車両が所属する車両基地である。この車両基地の横を通過すると、列車はやがてカーブしてJR和歌山線と合流し、橋本に到着した。
 
 列車は橋本に到着。ここでは2分ほど停車した。車窓にはJR和歌山線のホームが見えた。JRの方は2面3線だが、高野線の方は、それより列車本数が圧倒的に多いはずなのに1面2線でやりくりしている。この駅は和歌山線に乗車した際に、ホームにだけ降りたことがある。この後、帰り道にはここで各停と急行を乗り継ぐので、乗り換え時間を利用して、改札の外へ出てみようと思っている。
 
 橋本が高野線にとっては一つの大きな区切りである。橋本から先の区間は高野山への山登り区間となる。橋本までは8両編成の列車が走っているが、ここからは最大4両という制約があり、車両も山岳区間に対応した車両に限られる。山岳区間対応の車両はズームカーと呼ばれる。もちろん乗車中の31000系もその一種である。高野線の運行系統は基本的に橋本で区切れているが、中には橋本を介して難波と極楽橋を直通する列車もある。このような直通運転列車のことを大運転と呼ぶ。この特急こうやも大運転列車の一つだが、通常は一般列車の直通列車を指す場合が多い。現在、難波と極楽橋を直通する一般列車は、平日が下り3本、上り1本、土休日が下り1本のみでほんの僅かしか存在しない。
 橋本を出た列車はカーブしながらJR和歌山線と交差し、その先で紀の川を渡った。鉄橋を渡ると、その後再度カーブして、今走ってきた橋本駅周辺を川の対岸に眺めながら、しばらく西進していく。
 
 橋本から山岳区間に入ったと言っても、いきなり山登りが始まるわけではなく、しばらくは川沿いを走っていく。車窓には紀の川沿いののどかな景色が広がる。川の対岸にはJR和歌山線が走っている。紀伊清水、学文路(かむろ)と通過すると、列車は九度山町へ。九度山駅付近で進行方向を南に変え、紀の川と別れると、列車は山の中へと入っていった。
 
 九度山で車窓は一変し、ここからは山の中へと突き進んでいく。次の高野下までは紀の川の支流である丹生川に沿う形で走る。この辺りは龍王渓と呼ばれる渓谷で、列車はしばらく車窓の右側にこの渓谷を眺めて走る。その後はこの川に架かる鉄橋を渡り、トンネルへ入った。トンネルを出ると列車はゆっくりと高野下の構内へ入り、ここでしばらく停車した。
 
 高野下では数分停車し、反対列車の極楽橋発難波行き特急こうや4号と交換した。橋本以南の高野線は単線となっている。しかしながら列車の本数は比較的多く、途中のすべての駅で行き違いができる。橋本からこの駅の間にも、学文路で各停と、九度山で天空とすれ違っていたので、この列車が3列車目の行き違いだった。橋本と高野下の間には区間列車も設定されている。
 
 高野下を発車すると、駅周辺の集落を見ながら、急勾配を登っていく。急勾配であると同時に、カーブもまた急である。4両編成の最後尾に乗っていて、直前の3両目が車窓に見えるのが、いかに急なカーブなのかを物語っている。床下からは急カーブを曲がる時独特の車輪とレールが擦れる音が聞こえてくる。高野下から先は、いよいよ高野山への本格的な山登りが始まる。路線はカーブを多用しながら、急勾配で山を登る。
 この高野山への山岳区間を有する南海電鉄は、国内の急勾配区間のある鉄道会社とともに、「パーミル会」と呼ばれる団体を構成し、登山鉄道の魅力をPRする活動を行っている。南海電鉄の他には、小田急箱根(旧箱根登山鉄道)や神戸電鉄、大井川鐵道などが参加している。
 
 高野下から先は、不動谷川という小さな川に沿って、その川が流れる谷間への山の斜面を縫うように走りながら、ジワジワと標高を上げていく。高野下を出ると、下古沢、上古沢と駅が続く。まだこのあたりは集落も規模も比較的大きい。しかし、1時間前に車窓に広がっていた大阪や堺の市街地とは対照的な景色の中を、列車は走っていく。ここもまた南海という大手私鉄の路線であり、高野線という関西の幹線路線の一部である。区間の前後でこの景色のギャップを楽しめるのが、高野線の一つの面白さである。
 
 上古沢を出るとその先は人家の数も減り、周辺に大きな道もないような山の中を走る。列車はカーブとトンネルを何度も通り、どんどん山の奥へと進んでいった。途中の駅も秘境駅の雰囲気が漂い始め、駅近くの集落もかなり下の方に見えるようになった。一体どこに連れて行かされるのだろうかと思うほど、山の中である。この先に街があるというのが、嘘のような気さえしてしまう。
 
 列車は高野下から20分ほど山の中を縫うように走り続け、難波から1時間28分、ついに終点の極楽橋に到着した。少し手狭だが、頭端式で3面4線を有し、ターミナル駅の風格を持つこの駅こそ、大阪市街地から続く南海の幹線路線の一つ、高野線の終点駅である。この駅への到着をもって、未乗だった中百舌鳥以南を乗りつぶし、南海高野線は完乗とした。これで残る関西地方の未乗路線は2路線となった。
 極楽橋は高野線の終点だが、高野山まではまだひと道ある。列車の行先は、利用者にわかりやすいように高野山(極楽橋)と書かれているが、高野山駅へはここでケーブルカーに乗り換え、さらに山登りをしないといけない。また、ケーブルカーで登った先の高野山駅も、高野山の中心部とは少し離れていて、そこからさらに路線バスに乗車し、20分ほど進むことで、やっと高野山の中心部へ辿り着くのである。
 乗客の多くは数分で接続するケーブルカーに乗車したが、これに乗ったとしても、ケーブルカーもその先の路線バスも混雑している。そこで一本後のケーブルカーに乗ることにした。一本後の便は橋本からの各停に接続している。特急に比べれば、各停の方が利用客は少なく、接続するケーブルカーも空いているのである。以前旅した箱根もそうだったが、こういう観光地を走る路線に乗車する時は、時刻表とにらめっこして戦略的に行動しないと、終始混雑に巻き込まれることになる。
 
 極楽橋駅では高野線ホームからケーブルカーののりばまで30mほどの通路を歩いて乗り換えとなる。途中に乗り換え改札はなく、そのまま乗り換えられる。きっぷも難波から通しで購入できる。極楽橋駅にも一応出口はあるが、周辺に人家はないため、ここから電車に乗る人はほとんどいない。一方でこの区間を含む乗車券を持っていると、途中下車できるという特例がある。帰りに少し時間があるので、途中下車して外の景色を見に行ってみようと思う。
 駅名の由来である極楽橋は、高野街道京大坂道の不動坂ルートにかかる橋の名前に由来する。古くはこの橋が俗世と高野山の聖域との境目だったと伝えられている。極楽橋駅はこれに基づいて「はじまりの聖地」がコンセプトとなっている。写真の通路は「はじまりのみち」と名付けられていて、ケーブルカーのりばの手前には手水舎で高野山へ来たことを実感し、天井絵などを楽しめるようになっていた。ここから先は俗世を離れ、高野山の聖域へ入っていくという設定である。
 
 俗世と聖域の境である「はじまりのみち」からは下を流れる不動谷川が見えた。高野線は高野下からこの川にずっと沿って走ってきた。高野線のホームもまたこの川に沿って作られている。本当にすごい場所に駅を作ったなというのが、この駅に来た率直な感想である。空海が高野山を開かなければ、こんな場所に駅などできるわけもなく、何の変哲もない森だったに違いない。大都会の難波から続く大手私鉄の幹線路線の終点が、どこのローカル線の終点よりも秘境なのがまた面白かった。奥に見える赤い橋が、駅名の由来となった極楽橋である。

和歌山県と南海電鉄最後の未乗路線、高野山ケーブルに乗車

 さて、極楽橋からは高野山ケーブルに乗車した。高野線の終点極楽橋駅から高野山の玄関口高野山駅を結ぶこのケーブルカーは、正式な路線名を鋼索線といい、南海電鉄が運行する唯一のケーブルカー路線である。路線距離は0.8kmで、極楽橋と高野山の高低差は328mとなっている。ケーブルカーは基本的に、高野線の列車に接続する形で運転される。日中は毎時2本だが、高野山へ向かう観光客が多い午前中と、帰りのラッシュとなる夕方は本数が多くなり、1時間に5本が運転される時間帯もある。始発は5時台、最終は22時台となっていて、観光客輸送だけでなく、高野町からの貴重な交通機関の一翼も担う。終点の高野山もまたバスとの接続点であるため、始発・最終の時間帯を除き、基本的には高野山でも基本的にはバスに連絡している。
 
 一本前のケーブルカーが発車していくと、5分ほどで対向のケーブルカーが到着した。高野山ケーブルは2018年から2019年にかけて車両の入れ替えが実施され、現在は4代目となるN10-20形車両で運転されている。4代目はスイス製で2両編成。前面の大きな窓が特徴的で、とても開放感のあるモダンな車両である。
 ところで、筆者にとってはこの路線が、関西地方最後に乗車するケーブルカー路線となった。関西地方は他の地方に比べて、ケーブルカー路線が多いという特徴がある。域内には現在、兵庫県に六甲ケーブル、摩耶ケーブルの2路線、大阪府に西信貴ケーブルの1路線、京都府に石清水ケーブル、鞍馬ケーブル、叡山ケーブル、天橋立ケーブルの4路線、奈良県に生駒ケーブル、滋賀県に坂本ケーブル、和歌山県にこの高野山ケーブルのそれぞれ1路線ずつがあり、合計10のケーブルカー路線がある。他の地方に比べてぶっちぎりで多い。さらに筆者は、2023年12月に廃止された兵庫県の妙見ケーブルにも乗車しており、この路線が関西地方で乗車する11路線目のケーブルカー路線となった。関西地方の乗りつぶしはある意味このケーブルカーをどう攻略するかが一つのカギになる。運行距離の割にアクセスが難しい路線もあるが、ケーブルカー巡れば、同時に各地の寺社仏閣や観光地を観光できるので、それもケーブルカー巡りの一つの楽しみになる。
 
乗車記録 No.7
南海鋼索線(高野山ケーブル) 高野山行
極楽橋→高野山
 
 ケーブルカーは一番前が人気だが、個人的には一番後ろに立つことが多い。高所恐怖症の人は怖いかもしれないが、特に上りは一番後ろだと坂を登っているのがよくわかるのが好きだからだ。それに1番前は子どもたちに譲ってあげたいというのも一つの理由である。今回も座席は概ね埋まっていたので、一番後ろに立っていくことにした。ケーブルカーの所要時間は約5分なので座るほどでもない。
 ケーブルカーは極楽橋を発車。停車していたホームを後にして、急坂を登っていく。山麓側には住宅などの建物が並んでいるケーブルカーも珍しくないが、こちらは極楽橋の時点で山の中なので、周囲には何もない。
 
 発車後しばらくすると、駅の横で不動谷川に合流する沢と高野街道の小道の上を跨ぐ鉄橋を渡る。そこからはその沢を進行方向の左側に見ながら山を登っていく。線路からは滑車がカラカラとまわる音が聞こえてくる。その音がとても心地いい。
 
 ケーブルカーのお楽しみといえば、中間地点でのすれ違い。ケーブルカーはロープの両側に車両が取り付けられていて、坂を登る車両は下る車両の重力を使って釣り合いながら坂を登っていく。単体の車両のように見えるが、実は2つで一つなのである。こうした仕組みのケーブルカーは交走式と呼ばれる。国内のケーブルカーの多くはこの方式で走っている。午前中の便ということもあり、反対の車両に乗っているのは僅か数人だった。
 
 行き違いポイントを通過して、ケーブルカーはさらに標高を上げていく。終点の高野山が近づくと線路脇には雪がうっすら積もっていた。3月の下旬だったこの日は、春の陽気でとても暖かかった。しかし、数日前には季節はずれの寒波がやっていて、関西でも山沿いを中心に積雪。自分が住む九州でも山では雪が降っていた。まさかこの時期の関西で雪を見られるとは予想していなかった。
 
 ケーブルカーは極楽橋から5分で高野山に到着。これで南海鋼索線を乗り終えて、南海電鉄の全線完乗を達成。同時に関西のケーブルカー路線も全て乗り終えて、残す同地方の未乗路線は近鉄長野線の1路線とした。また、和歌山県についてもこの南海鋼索線の乗車をもって全路線完乗となった。
 難波から約2時間で高野山に到着。ここからは乗り鉄の旅は一休みして、高野山の観光へ出かける。高野山駅からは南りんかんバスが運行する路線バスで高野町の中心部へ向かった。
 
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