【旅行記】西肥バス・生月バスで巡る佐世保・平戸旅~3本のバスを乗り継いで、生月・平戸を旅する~
前話
佐々から西肥バスの楠泊線に乗車した後、江迎で半急行へ乗り換えて平戸桟橋に到着。平戸では少し桟橋周辺を散策した。ここからは生月島と平戸高校前でバスを乗り継ぎながら、平戸周辺を走る3路線を巡った後、普通鉄道として日本最西端の駅となっているたびら平戸口駅を訪ねた。
平戸市街と生月島を結ぶ生月バス平戸線に乗車
今回の旅では、当初は西肥バスの平戸高校前線を島内で往復する予定だった。しかし、調べてみると、平戸桟橋から生月バスを使って生月島へ行き、そこで平戸高校前行きのバスに乗り換えれば、待ち時間も少なくスムーズに乗り継げることが分かった。それなら試さない手はないということで、予定を変更し、生月島まで足を延ばすことにした。恥ずかしながら、筆者はこの時点で生月島の存在を初めて知った。生月バスというバスの存在は知っていたが、勝手に平戸島内のローカルバスだと思い込んた。生月島は平戸島のさらに西側に浮かぶ島で、両島は生月大橋で繋がっている。

平戸桟橋から乗車したのは、生月島に本社を置く生月バス(生月自動車)の平戸線。平戸市街と生月島を結び、同社の路線の中で幹線的な役割を担っている。生月バスは平戸線、平戸高校線、御崎線の3路線を運行しており、このうち平戸線と平戸高校線は生月島と平戸島を結び、御崎線だけが生月島完結の路線となっている。平戸線は最も本数が多く、かつては西肥バスとの共同運行も実施されており、佐世保からの直通便も走っていた時代があった。現在は生月バス単独で運行。1日の運行本数は平日8往復、土休日6往復となっている。
平戸桟橋には生月バス専用のバス停標柱はなく、のりばがここで合っているのか少し不安になったが、よく見ると西肥バスの標柱の時刻表に生月島行きも併記されていた。
今回の旅はSUNQパスを使用しているが、生月バスはSUNQパス運営委員会加盟事業者ではないため、SUNQパスは使えず、運賃は現金で支払う必要がある。九州でSUNQパス加盟事業者以外のバスに乗るのは、福岡県の太陽交通香春線以来だった。
乗車記録 No.6
生月バス 平戸線 加勢川入口行
平戸桟橋→加勢川入口

平戸桟橋では自分以外にもう1人が乗車。運転士と乗客は顔見知りのようで、乗客同士も互いに会話を交わしていた。筆者も運転士に挨拶してバスへ乗り込む。生月島への旅行者は基本的に自家用車かレンタカーを利用するため、観光客の利用は多くない。
平戸桟橋を発車すると、2つ先の平戸新町で2人が乗車。やはり運転士と知り合いのようで、車内はローカルな雰囲気に包まれていた。平戸新町バス停は市街地中心部に位置し、沿線住民の利用も多い。バスはその先で交差点を右折し、江迎から乗車したバスとは反対方向に坂道を登っていった。

平戸市街から生月大橋までは約15km。バスは県道19号線をしばらく進み、生月大橋を目指す。やがて車窓には古江湾が広がり、湾を高台から眺める形で走行した。県道は2車線ながらカーブとアップダウンが続く。先ほど楠泊線でスマホを見て若干酔った筆者は、外の景色に集中することにした。

やがてバスは中野という地区に到達。県道19号線はここで交差点を右に曲がり、島の西部へ向かう。この周辺は少し開けていて、遠くまで田園地帯が広がっていた。平戸大橋から生月島を目指すには平戸市街地を経由してこの県道19号線を経由する方法と、国道383号線を経由して、川内地区で右折して中野を目指し、県道19号線に入る方法の2つがある。おそらく後者の方が所要時間は短いと思われるが、いずれの経路も中野から先は同じ道を進む。

バスは田園風景を車窓に走った後、しばらく山の中を進み、峠を一つ越えた。まもなく視界には海が広がり、奥にはこれから渡る生月島が姿を現した。平戸島の西海岸は、海岸線へ山が迫り出す急峻な地形をしている。県道はこの山の斜面に張り付くようにして走っている。ヘアピンカーブを経て、アップダウンを繰り返すと、時折車窓には生月島と海の美しい景色を楽しむことができた。

目の前に水色の大きな生月大橋が姿を現すと、バスはいよいよこの橋を渡る。平戸島と生月島を結ぶこの橋は1991年に開通。かつては生月島へは平戸桟橋から船で行き来していたが、この橋の開通以降は車で行き来できるようになった。乗車している生月バスもかつては生月島内のみでバスを運行していたが、橋の開通によって、平戸島方面に路線を延ばすこととなった。
橋の全長は960m。以前は有料だったが2010年に無料化されている。平戸島と生月島にある海は辰ノ瀬戸と呼ばれる。遠くには平戸市の離島である的山大島が見えていた。車窓に広がる青い海に感動せずにはいられない。九州本島から橋を2つ渡って離島へ行くなんて、熊本県の天草を除けば恐らく初めてではないかと思う。初めて行く島はどんな場所なのか、その期待が高まった。

橋を渡り生月島へ入ると、まもなくバスは舘浦という港町に到着。ここには道の駅やファミリーマートなどがあり、橋が開通した後は島の玄関口となっている。生月島内にはコンビニが2軒あるが、コンビニ御三家の店舗はここが唯一である。中にはツーリングを楽しむバイクの姿も。暑さ対策は大変だろうが、このロケーションをバイクで走るのも心地よさそうである。やがて舘浦漁港の前を通り過ぎると、奥には今渡ってきた生月大橋が見えた。

バスはここからもしばらく島内を走って、壱部という地区まで走っていく。今は走っている道路をまっすぐ進めば、海岸線沿いを経て、壱部地区へたどり着くが、バスは交差点を左折し山側の県道へ。こちらの方が沿道に集落が広がっているため、バスはこちらを経由する。舘浦地区では1人が下車した。
バスは坂道を登り、高いところから辰ノ瀬戸を眺め、その後は終点である壱部地区を車窓に見ながら坂を下っていく。途中には生月バスの車庫があり、その先にあるダイハツのディーラーも、このバスを運行する生月自動車が運営している。平戸市の生月支所の裏から再び海岸沿いの道へ出ると、バスは壱部地区へ。一部桟橋で乗客を下ろすと、漁港の前を通過。最後に坂を駆け上がって、終点の加勢川入口に到着。運賃を支払うとともに運転士にお礼を告げてバスを下車した。

バスの終点加勢川入口は生月島の中央部、壱部地区の北側に位置している。周辺には人家も多く、平戸島内からの2路線はここが終点となっている。ここから先にも御崎線というバス路線が運行されており、島の北側先端にある御崎地区まで時間が合えば行くこともできる。
生月島では約25分の乗り継ぎで、今度は平戸高校前行きのバスに乗り換える。次のバスもここが始発なので、そのまま待ってバスに乗ってもいいのだが、せっかくなら島の風景も楽しもうと、一部桟橋へ戻りながら、少しこの島の景色を眺めた。
彩度の高い青い空と海に圧倒された生月島

加勢川入口バス停から坂を下って港へ歩くと、やがて目の前に辰ノ瀬戸の青い海が広がった。奥には平戸島や度島、的山大島を一望できる。交通量も少なく、蝉の声も聞こえないこの辺りは、夏にもかかわらず驚くほど静かだった。耳を澄ませば、海岸に打ち寄せる波の音だけが聞こえる。
清々しい青空が広がるこの日、海もその青さを反射して輝いていた。透き通るほどのオーシャンブルーに、ただただ心を奪われる。周囲からは「猛暑の中、旅に出るなんて馬鹿じゃないか」と思われるかもしれないが、この彩度の高い景色を楽しめるのもこの季節ならでは。暑さを忘れさせる美しさがそこにはあった。こんな景色を目の前にすると、暑くても夏こそ旅に出たくなる。

景色に見惚れていると、少年が自転車を颯爽と海岸線に沿って駆け抜けていった。何気ない日常の光景も、この壮麗な景色を前にすれば、まるで映画のワンシーンのように見える。今年まだ夏らしいことをしていなかったが、この光景を見た瞬間、「これが今年の夏の象徴だ」と直感した。某有名アーティストの曲にある「夏が始まった合図がした」という表現も、この瞬間の感覚に重なるようだった。ようやく、筆者にとっての今年の夏が始まった気がした。
今回の旅を計画する際、初めて知った生月島。この旅は「九州を再発見すること」がテーマだったが、まさにそれにふさわしい目的地だった。旅に出ると、まだまだ九州の知らない場所が多いことを実感させられる。それが次の旅への原動力にもなる。バス旅と少しディープな九州旅の面白さは、まさにここにある。

その後はバス通りをしばらく歩き、一部桟橋バス停へ向かった。途中、一部漁港にある漁協運営のスーパーは、この日も多くの人で賑わっていた。その先に見える「生月バスターミナル」と書かれた建物が、一部桟橋バス停である。建物には「バスターミナル」とあるが、案内上は「一部桟橋」で統一されている。内部には待合室のほか、窓口や売店、トイレなどのブースがあるが、いずれも閉鎖されており、現在は待合室としての機能のみを持つ。名前から察するに、おそらく生月大橋が開通する以前は、この一部桟橋から平戸桟橋へのフェリーが運航されていたのではないかと思われる。

一部桟橋の横には公園があり、その裏からは遠くに生月大橋を眺めることができた。港には岸壁があるため奥の海は見えないが、それでも目の前の青い海に見とれてしまう。15分ほど歩けば汗が止まらない。しかし、それでも歩くだけの価値はある。この景色を日常の中で眺められる人々が、とても羨ましく思えた。バスの乗り継ぎが25分しかないのが惜しまれる。できることなら、あと1時間でも2時間でも、この景色を眺めていたいと思った。
生月バス平戸高校線に乗車する

あっという間に時間が過ぎ、次のバスの時間がやってきた。やがて加勢川入口方面へ回送で走り去ったバスが折り返して一部桟橋へ入ってきた。次に乗車するのは平戸高校前行きのバス。平戸高校は平戸島の中央部に位置し、この路線は主に高校への通学客と、その手前にある市民病院への通院客のために運行されている。1日の運行本数は4往復と比較的多いが、この日は夏休み期間のため、午後の一番遅い便は運休。これから乗るのが平戸高校前への終バスだった。
この車両には降車ボタンが付いていないようで、乗車すると運転士から行き先を尋ねられた。「終点までお願いします」と答えると、驚きながら「本当に大丈夫?」と念を押されたが、西肥バスに乗り継ぐことを説明すると理解してくれた。もちろん、この時間に平戸高校方面へ向かう人はおらず、バスは貸切状態で発車した。
乗車記録 No.7
生月バス 平戸高校線 平戸高校前行
一部桟橋→平戸高校前

本来、このバス路線は生月島内では平戸桟橋方面のバスと同じルートを進み、生月大橋を渡った直後に右折、県道19号線を南に下っていくルートで走っていく。しかし、昨年11月の大雨で沿道の山腹が崩落した影響で、県道は現在も通行止めが続いている。そのため、バスは生月大橋から先で大幅な迂回運行を行っている。正規ルートは風光明媚な場所を走るが、今回はそちらを通ることは叶わなかった。なお、現在の迂回ルートが適用されたのは2020年10月からで、それ以前は今回の迂回ルートが正規ルートだったらしい。
バスは先ほど通った道を戻る形で生月大橋へ。窓越しに辰ノ瀬戸の青い海が広がる。このリエッセと呼ばれるバスは客室の窓がとても大きく、まるで窓全体が額縁のように絶景を切り取る。光を反射して輝く海面に、目を奪われた。

生月大橋を渡ると、対岸に生月島を望みつつ、山の斜面にへばりつくように続く道を走っていく。平戸島と生月島の間には中江ノ島という小島が浮かんでいるが、この島は「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成遺産の一つとして世界文化遺産に登録されている。江戸時代、キリスト教の信仰が禁止された際、この島でキリシタンが処刑された。生月島や平戸島の信徒たちはここを殉教地として信仰し、岩から滲み出る水を聖水として採取する「お水取り」は現在も行われている。

バスは中野で交差点を右折。左に行けば平戸市街へ辿り着くこの道を、逆の方へ進んだ。ここまでも一つ峠を越えてきたが、この先はまた山道となり、峠を越える。かなり標高の高い場所を走っているようで、峠を越えた先では遠くの山まで見渡すことができた。山を下りるとバスは紐差地区に到達。ここで本来のルートと合流し、迂回ルートを終えた。紐差は平戸の中央部に位置する集落。ここでバスは平戸大橋方面からやってくる国道383号線へ入った。

平戸島内を南北に縦断するこの国道をあともう少しだけ下れば、バスの終点平戸高校前となる。バスは紐差の集落を過ぎたところで、平戸市民病院へ。ここでは構内のバス停に停車した。その後、再び国道へ戻ると、のどかな田園風景を眺めたのち、再び小さな峠を越えて終点の平戸高校前に到着した。
のどかな場所にある平戸高校とバス停

平戸島の中央部に静かに佇む長崎県立平戸高校。その入り口前の国道上にバス停が設置されている。島内には平戸市街にある猶興館高校と、この平戸高校の2校が存在する。平戸高校は、猶興館高校の分校が独立して単独の高校となった経緯を持つ。生徒数は全体で約75人と小規模だが、通学の利便性を考慮し、平戸市街地、生月島、さらには島南部の宮の浦方面からもバスが運行されている。バス停の待合スペースには、高校のスローガン「地域に根差し、道を拓く」が大きく掲げられていた。
乗車したバスは、ここで数分停車した後、折り返しの加勢川入口行きとして来た道を戻っていく。夏休み中の日曜日のため、この日はバス停に高校生の姿はなく、普段どれほどの生徒が利用しているのかが気になるところだった。

かつてはここから南へ向かう西肥バスの路線も運行されていたが、2021年に廃止され、現在は平戸島内で最も南に位置する西肥バスの終点となっている。南部へのアクセスは、平戸市が運行する「ふれあいバス」を利用すれば可能だが、今回は宿泊地への到着時間を考慮し、ここで平戸市街へ折り返すことにした。なお、西肥バスが宮の浦まで運行していた末期には、朝の上り便と夜の下り便しかなく、旅行者の利用は困難だった。高校があるからこそ、この場所は現在もバスターミナルとして機能している。もし高校がなければ、このバス停も、そして現在の西肥バスの路線網の一端としても存在していなかっただろう。

本当にのどかな場所にある平戸高校前バス停。高校は国道から一段高いところにあり、バス停から体育館らしき建物は見えるものの、その後ろにある校舎は山の影に隠れて見えない。
写真の手前が手前側の少し離れた場所には民家が数軒あるが、この最寄りの国道沿いには「草積」という別のバス停が設置されている。平戸高校前バス停横には自販機と無人販売コーナーがあり、時折車が飲み物を買いに立ち寄る。バス停と共に、休憩所にもなっているらしい。道の向かいには田んぼが広がり、森からは蝉の大合唱が聞こえてきた。
西肥バスの平戸口駅行に乗車

ここまで生月バスを2本立て続けに乗車してきたが、ここで西肥バスの路線に復帰する。平戸高校前を始発として、平戸口駅前まで運行されるバスに乗り、終点を目指した。
平戸高校前-平戸口駅前間のバスは、平戸島内の基幹的な路線として機能している。平戸高校前からは国道383号線を進み、一旦平戸市街地・平戸桟橋を経由して平戸大橋を渡る。その後は田平港を経由し、鉄道としての平戸の玄関口であるたびら平戸口駅へ向かう。本数も比較的多く、平日は8往復、土休日は7往復の運行である。ちなみにこの日は日曜日で、これから乗車するバスが上りの終バスだった。
しばらく待っていると、紐差方面からバスがやってきた。のどかな場所から乗車するには少々もったいないほど、大きく新しいバスに乗り込む。バスは屋根付きの待合スペースの向かいにあるバス停から発車する。回送で到着したバスは、平戸高校の校舎へ向かう道路を使ってUターンしてバス停に入ってきた。通常であれば、平日なら紐差や平戸市街方面に帰宅する高校生の利用も一定数あるはずだが、この日は夏休みの日曜で高校生の姿はなく、バスは自分1人を乗せて平戸高校前を発車した。
乗車記録 No.8
西肥バス 平戸高校前線 平戸口駅前行
平戸高校前→平戸口駅前

平戸高校前から紐差までの区間は、先ほど乗車した生月バス・平戸高校線と同じルートを進む。どこまで貸切状態が続くだろうかと思っていたが、市民病院とその手前のバス停で計4人が乗車し、あっという間に貸切状態は解消された。その後、バスは紐差地区へ。ここでは1人下車する代わりに1人が乗車した。やはり島内の基幹路線だけあって、日曜でも一定の利用者がいるらしい。

紐差を出ると国道383号線は山の上へ向かい、しばらく標高の高い場所を走る。眼下には沿岸の港町が見え、対岸の九州本島も望むことができた。恐らく対岸に見えるのは、午前中に乗車した楠泊線で通ったエリアである。山の上には風力発電用の風車が何機も林立していた。やがてバスは緩やかな坂道を下る。車窓の目前には海が広がり始めた。

川内地区で国道は海沿いへ出て、湾に沿うように走る。車窓には川内の集落が湾の対岸に見えた。しばらく走ると、今度は川内の港から今通ってきた道路を見渡すことができた。長崎本線にも似たような区間があったことを思い出す。川内付近から北西に進む道は、生月バスで通った中野の交差点へ通じている。

川内の集落では乗降はなかったが、次の千里ヶ浜バス停では4人の乗客が乗車。千里ヶ浜には海水浴場があり、白い砂浜が広がっていた。この日も海水浴を楽しむ人の姿が見られた。平戸瀬戸越しに九州本島を眺められるこの場所は、平戸のビュースポットの一つである。海水浴場から道を挟んだ反対側には、大江戸温泉物語系列の旅館があり、ちょっとしたリゾート地となっている。

千里ヶ浜を出ると再び山を登る。間もなく平戸大橋が車窓に見え、平戸市街への接近を実感する。国道をまっすぐ進み、突き当たりを右折すれば平戸大橋だが、バスは市街地を経由するため、上大垣交差点で左折。このあたりにはロードサイド店舗が何店舗かあり、直後の上大垣バス停で数人の乗客が下車した。そのまま坂道を下ると、バスは平戸市街地へ。平戸新町でも数人が下車し、平戸桟橋へ到着。数時間ぶりに平戸桟橋へ戻ってきた。

このバスの終点は平戸桟橋ではなく、平戸口駅前である。平戸桟橋からは、佐世保-平戸桟橋間のバスと同じルートで田平港へと進む。平戸市街地からの乗車はなく、自分ともう1人の乗客を乗せたバスは平戸大橋へ。日が傾き、より美しい景色となったこの橋を渡り、九州本島へ入った。そ田平港付近を周回し、坂を登ると終点の平戸口駅前はもうすぐそこ。少し手狭な駅前の交差点を曲がり、バスは終点の平戸口駅前に到着した。
普通鉄道における日本最西端の駅「たびら平戸口駅」を訪問
平戸桟橋から生月島、そして平戸高校前を経由し、3本のバスを乗り継いで平戸口駅に到着。初めて訪れる島でのバス旅に、ちゃんと乗り継げるだろうかと若干不安だったが、無事にその乗り継ぎを果たし、平戸・生月の美しい景色を車窓から思う存分楽しむことができた。少し達成感を感じつつ、平戸口駅前に降り立つ。都合よくバスの終点だったこの駅が、次の目的地だった。

松浦鉄道西九州線における平戸の玄関口であるたびら平戸口駅。伊万里-佐世保間のおおよそ中間付近に位置し、北松浦半島の北西部に位置するこの駅は、同線で最も西にある。九州本島においても西の方に位置するこの駅は、沖縄県に鉄道がなかった期間、日本最西端の駅となっていた。
沖縄県では戦前に鉄道が存在したが1943年に一旦廃止された。それ以降、2003年にゆいレールが開業するまでの期間、ここは日本最西端の駅だった。現在の日本最西端の駅は、那覇空港駅となっているが、ゆいレールはモノレール路線のため、普通鉄道路線に限れば、現在もこの駅が最西端である。松浦鉄道では、普通鉄道としての日本最西端の駅として観光資源に活用している。

駅舎横には、日本最西端の駅の石碑がある。日本最西端時代に建てられたもので、那覇空港駅にその座を譲った後も、普通鉄道としての最西端であることを示すため、そのまま置かれている。
鉄道にもいろんな分類があるため、各社いろんな端をアピールしているが、代表的なものは3つある。一つは全鉄道における端の駅。次にJR路線の端の駅、そして普通鉄道の端の駅である。この他、地下鉄の端とか路面電車の端とか、いろいろありはするものの、大体この3つを押さえておけば十分だろう。筆者もこれまで、稚内駅、根室駅、那覇空港駅、赤嶺駅、西大山駅といった代表的な端の駅のほぼ全てを訪問済みだったが、普通鉄道としての最西端であるこの駅は通過するだけで降りたことがなかった。今回、ようやく訪問の機会を得た。
駅は有人で窓口も営業している。朝夕には一部列車が当駅始発・終点で運転されており、ホームは2面3線と大きい。駅舎の窓口前は鉄道博物館として、松浦鉄道や国鉄松浦線時代の様々なものが展示されている。窓口では松浦鉄道のグッズなども販売されており、記念きっぷやこの駅の訪問証明書も購入できる。
田平港から平戸大橋を眺めて宿泊先のホテルへ移動

せっかく最西端の駅に来たのなら、列車で移動したほうがよかったかもしれない。この日の宿泊地へは列車で行く選択肢もあったが、田平港の様子も見てみたかったため、今回は列車移動を見送った。
駅から少し歩いて田平港へ。駅前を走る国道は道が狭く、歩道がない場所も多いため、車の通行に注意しながら進む。やがて奥には平戸大橋が見え始め、夕日を浴びる大きな橋が建物が並ぶ国道の先に輝いていた。橋が身近にある街というだけで、個人的には魅力的に感じられる。
時刻は17時45分を回り、防災無線からは「小学生・中学生は家に帰りましょう」という放送が地域ごとに流れていた。各所から響く放送は、旅の何気ない風景の中で「あぁ、旅しているな」と実感させる瞬間でもあった。

たびら平戸口駅から歩いて10分ほどで田平港に到着。海岸からは平戸大橋を一望することができ、反対側には数時間前に歩いた平戸桟橋付近も見えていた。さっきは平戸側から田平港を見ていたが、今度はこちら側から平戸を眺める。港にはフェリー乗り場もあるが、就航するのは的山大島からの1便のみ。佐世保方面への便が、朝のみ田平に立ち寄る形となっている。かつてここは平戸口桟橋と呼ばれ、平戸桟橋とともに各地への船が就航していた場所だった。
フェリー乗り場の隣には平戸瀬戸市場という物産館があり、新鮮な地元の魚介類が並ぶ。営業は18時までで、到着時には閉店していたが、日中にバスで通過した際には、駐車場もほぼ満車で賑わっていた。

田平港ではしばらく平戸大橋周辺の景色を眺めた後、平戸瀬戸市場の道向かいにある田平港バス停の標柱の影に隠れ、西日を避けつつバスを待った。ここも以前は平戸口桟橋という名前だったらしい。数年前まで窓口も営業していたが、現在はただのバス停になっている。2日間で何度かこのバス停を通過したが、平戸・江迎方面双方への利用者の姿を何度も目にした。
乗車記録 No.9
西肥バス [半急]佐世保バスセンター行
田平港→江迎
やがてバスの時間が近づくと、平戸大橋に目を向ける。乗車するバスが橋を通過していった。田平港からは半急行の佐世保バスセンター行きに乗車し、この日の宿泊地・鹿町へ。昼に立ち寄った江迎バス停で下車し、徒歩10分の場所にあるホテルAZ佐世保鹿町店に宿泊した。九州でよく見かけるこのホテルだが、駅から遠いマイナーな立地のため、宿泊機会は少なかった。今回は初めて宿泊の機会を得た。佐世保に宿泊する選択肢もあったが、翌日の行程を考え、ここに宿泊することになった。
翌日は鹿町から旅を開始し、まずは吉井-佐世保間を世知原経由で走るバスに乗車。その後、船で西彼杵半島へ渡り、西海橋へ向かった。
続く