【旅行記】東北地方太平洋側を北上する旅~はじめてのBRT~
2日目は早朝のあおば通駅からスタートした。この日は仙石線、石巻線、気仙沼線、BRTと乗り継いで岩手県の大船渡市まで向かう。途中の陸前高田では寄り道して、道の駅高田松原に併設された津波伝承館と復興祈念公園や陸前高田駅周辺を見学していく。
仙石線 石巻線 気仙沼線と乗り継いで柳津へ

最初に乗車するのは仙石線。仙石線はあおば通駅を起点に石巻駅まで結ぶ路線で、前日夜に仙石東北ライン系統の列車で石巻~高城町に乗車したが、この日は下りの始発列車で仙石線を全区間乗り通す。あおば通駅は比較的新しい駅。もともと仙石線は宮城電気鉄道と呼ばれる鉄道会社が運行していた路線で、戦時中に国有化され、現在に至っている。仙台駅在来線の北東側のホームがあったが、2000年に陸前原ノ町~あおば通り間の仙台トンネルが開業して地下へと潜り、起点があおば通駅へ変更となった。仙石線はその路線の歴史的経緯から東北のJR路線で唯一直流で電化されている。乗車したのは山手線で活躍していた205系3100番台。4両編成となったあと、仙石線で20年あまり活躍している。
乗車記録7
仙石線 普通 石巻行
あおば通→石巻 205系3100番台
夜明けの仙台、多賀城、塩釜の街を走り抜け、昨日は土砂降りだった松島が車窓に見えた。高城町の手前から昨日夜に走った区間を再び走行する。高城町から少し石巻方面へ進んだ陸前大塚~陸前小野間は津波の被害により高台へと移転した区間。震災当時、あおば通行の列車が津波に押し流され、民家の軒先でL字に折れ曲がった状態となった。陸前小野から先は割と内陸を走るが、平地であるため津波が内陸深くまで押し寄せた。沿線も津波による浸水被害が発生している。仙石東北ラインの快速列車の停車駅でもある矢本駅はブルーインパルスの拠点である航空自衛隊松島基地の最寄り駅。車窓にも滑走路を見ることができた。

石巻駅ではおよそ7分の乗り換え時間で石巻線の古川行普通列車に乗車した。石巻線の列車で唯一陸羽東線に直通する列車で、なんと堂々の4両編成。ローカル線と言えど朝の通学時間帯は多くの乗客が利用する。この列車に乗って前谷地駅へと向かった。
乗車記録8
石巻線 普通 古川行
石巻→前谷地 キハ110系

前谷地駅は石巻線小牛田~石巻間の真ん中あたりにあり、ここから気仙沼線が分岐している。前谷地駅からは、2日かけて宮城県、岩手県、そして青森県の太平洋側をひたすらに北上していくことになる。前谷地駅から気仙沼線まで続いていた気仙沼線。東日本大震災の津波被害で大きな被害を受けたことから柳津~気仙沼線間はBRTで仮復旧し、2019年に鉄道路線としての廃止届が提出された。鉄道路線としての気仙沼線は前谷地駅から少し進んだ柳津駅で途切れることになった。
乗車記録9
気仙沼線 普通 柳津行
前谷地→柳津 キハ110系

乗車するのは1両の柳津行。乗車すると車内は混雑していたが、どうやら気仙沼線沿線からここまできた乗客が、石巻線の普通列車を待つ待合所がわりになっていたようだ。石巻行の列車が来ると皆そちらに乗り換えていき、車内はわずか数人となった。朝ラッシュが終了した気仙沼線を20分ほど走り、北上川を渡るとBRTとの接続駅となっている柳津駅へと到着した。
初めてのBRTに乗車

朝8時半の柳津駅。この駅で今日の鉄道の旅は終わり。ここからは盛駅までバスの旅となる。最初に乗車するのは気仙沼線BRT。柳津駅から気仙沼駅まで1時間40分ほどかけて走っていく。この日は柳津から陸前戸倉間で自動運転の試験走行が行われていて、その車両も並んで停まっていた。

通常は柳津からすぐに旧気仙沼線の線路跡を進んでいくが、自動運転と専用道の工事のため柳津~志津川間は一般道を迂回運行。BRTは鉄道路線の代替バスなので、乗車券の制度は基本的に鉄道と同じシステムになっている。今回はあおば通からBRT盛までの乗車券を使用したが、この乗車券でもちろんBRTも利用でき、100kmを越える乗車券であれば途中下車も可能である。また、気仙沼線の列車では交通系ICカードは使用不可だが、BRTでは地域カード「Odeca」と「Suica」が使用可能なので利便性が高い。
乗車記録10
気仙沼線BRT 志津川・本吉経由 気仙沼行
柳津→気仙沼

バスは国道45号線を北上して陸前横山と陸前戸倉の間の峠を越える。専用道はここをトンネルで一気に貫いている。陸前戸倉から先は、車窓に太平洋が見えるようになる。20分ほど走ると南三陸町の志津川へに到着。街の入口は旧市街地だった場所で、震災以降として「ブライダルパレス高野会館」と「南三陸町防災対策庁舎」の建物が、元の高さの場所に保存されている。志津川駅の駅前だったところは現在は復興祈念公園となっていて、震災前の面影を残すものはほとんどない。街は高台へと移転しているため、BRTも高台にある役場や病院があるエリアに立ち寄る。市街地が変わっても柔軟なルート選択ができるのがバス路線のメリット。こうした事例は被災地だけでなく、駅から離れた場所にロードサイド店が郊外に進出している地方都市でも使えそうだと思った。志津川ではこうして住宅地や拠点となる場所を巡り、ここから先は旧気仙沼線線路跡の専用道を進んでいく。

全線開業が1977年と比較的新しい路線だった気仙沼線。特に柳津~本吉の区間が最後に開業した区間なのでトンネルと橋を通ってリアス式海岸をショートカットして進んでいく。BRTになったことで、鉄道よりもより細かくいわゆる閉塞区間をつくれるようになったのもBRTのメリット。BRTのバス停や途中の区間にセンサ式の信号が設けられていて、バスは一時停車して信号が青になってから先に進んでいく。ただ、こまめな一時停止が必要なのでやはり乗り心地としては鉄道の方がいいように感じた。

バスは本吉駅で小休憩。時間調整もあって数分停車した。志津川から続いていた専用道は小金沢駅の手前で一旦途切れ、バスは再び国道を経由。大谷海岸へと進んでいく。

大谷海岸は美しい砂浜が広がる海岸で、気仙沼線はこの海岸の目の前を走っていた。現在は道の駅の中にBRTの駅があり、道の駅にはJRのマークとともに大谷海岸駅と大きく書かれている。道の駅にJRの駅があるのが珍しい。大谷海岸を出ると再び専用道区間となり、ここから専用道は気仙沼駅まで続いていた。

バスは専用道をひた走り、気仙沼市街へと到達。南気仙沼駅周辺の方が市街地的には栄えているので、地元の乗客の多くは南気仙沼駅で下車していった。この南気仙沼駅周辺も津波の被害が甚大だったエリアで、少し手前の最知駅付近ではキハ48形が津波により流されている。

最後に市街地をぐるっとまわり、左からJR大船渡線の線路が近づくと終点の気仙沼駅に到着。待機中の大船渡線のキハ110系の横を通り、もともと線路だった場所を舗装したバス専用のホームに到着した。

宮城県の北部沿岸の突き出た部分にある気仙沼市。気仙沼線は前谷地駅からここまで、大船線は一ノ関から盛(大船渡)と目的地が路線名になっているが、どちらも鉄道路線としては目的地に行かない路線になっているので、ちょっとだけややこしい。今回は石巻経由で気仙沼までやってきたが、基本的に仙台から気仙沼へ向かうには高速バスを使うか、新幹線で一ノ関を経由し、大船渡線でやってくるのがメジャーな行き方になっている。ここでは約1時間の待ち合わせ。今度は大船渡線BRTに乗車し、岩手県へと入っていく。