【旅行記】東北地方太平洋側を北上する旅~大船渡線BRTと陸前高田~

はじめてのBRT~の続き
 

大船渡線BRTに乗車して奇跡の一本松へ

 気仙沼からは引き続き大船渡線BRTに乗車する。もともと大船渡線は一ノ関駅から盛駅までを結んでいた路線で、ドラゴンレール大船渡線の愛称でも知られていた。現在も一ノ関~気仙沼間は鉄道で運行されているが、東日本大震災で大きな被害が発生し太平洋沿岸を走行する気仙沼~盛間は、気仙沼線同様BRTで復旧が行われ、気仙沼線と同様に、こちらも2019年に鉄道事業廃止届が提出された。2020年に正式に廃止されたことで、BRTが鉄道の代替手段となっている。
 
 気仙沼から乗車したのは盛行の快速便。大船渡線BRTでは、快速バスの運行が行われており、陸前高田市街地で快速便と普通便の運行ルートが異なっている。気仙沼駅を出ると専用道を走り、気仙沼市の鹿折地区へと進んでいく。鹿折唐桑駅で専用道は途切れ、ここから先はもともと線路が敷かれていた場所と全く異なる場所を走っていく。というのもここから大船渡線は上鹿折から陸前矢作まで山間部を走って峠越えしていた。一方でBRTは沿岸部を通るルートに変更されていて、旧大船渡線沿線には区間便のBRTが気仙沼側(ミヤコーバス運行)、陸前高田側双方で運行されている。BRTの専用道が一旦途切れる鹿折地区は震災の際、津波で市街地の大部分が火災に見舞われた地区。震災当日の夜テレビで上空から映し出された火災の様子は今も鮮明に覚えている。
 
乗車記録11
大船渡線BRT 快速 盛行
気仙沼→奇跡の一本松
 
 ここ鹿折地区を出るとこのBRTの見どころの一つが待っている。気仙沼鹿折ICからは三陸沿岸道へと入り、対面通行の高速道路を唐桑小原木ICまで走っていく。三陸沿岸道は自動車専用道なので、福岡の西鉄バスと同じ特例なのだろうか。最高時速も60km/hなので後ろが少し渋滞していた。高速道路を降りて唐桑大沢を通過するとその先が宮城県と岩手県の県境。県境を越えるとまもなく陸前高田へと到着し、奇跡の一本松がシンボルとなっている東日本大震災復興祈念公園が見えてくる。道の駅高田松原と津波伝承館が設置されているここが、今回の旅の目的地の一つ。奇跡の一本松でバスを下車した。
 

高田松原津波復興祈念公園を見学

 もともと道の駅高田松原があった場所に道の駅とともに整備された高田松原津波復興祈念公園と東日本大震災津波伝承館。東日本大震災の展示としては最大規模で、主に岩手県の被害・復興の歩みについて展示がなされている。奇跡の一本松を含むエリアは復興祈念公園として献花台などが設置される祈りの場となっている。
 
 時刻は11時半を回ったところ。まずはお昼ご飯を食べることにした。道の駅の中には飲食店もあって海鮮丼などが人気。今回はまつばら食堂の3つの海鮮よくばり丼を購入。3種類のミニ海鮮丼が食べられるがどれもとてもおいしかった。昼食後はお土産を購入して、東日本大震災津波伝承館を見学。津波の被害、復旧作業、そして復興と一つ一つ見ていたらあっという間に1時間経過していた。
 
 伝承館見学後は防潮堤の先にある広田湾を見学。ここに着いた時にはどんよりしていたが、いつの間にか青空が広がっていた。太平洋というと、どこか荒々しい海を想像していたのだが、リアス式海岸の湾内にある海はとても穏やか。こんな穏やかな海が突如として猛威を振るう現実に自然の恐ろしさを感じた。それと同時に三陸にとってこの海は自然の恵みをもたらしてくれる必要不可欠なもの。海と再び共存していく街の姿を見ることができた。
 
 そして陸前高田のシンボルとしてBRTの駅名となっている奇跡の一本松。数万本と言われた高田松原の中で唯一津波に耐えた松が現在はレプリカとして保存され、東日本大震災からの復興の象徴にもなっている。現在は防潮堤の先に新しい松の木が植樹されていて、長い時間をかけて再び松原が再生されていく。いつの日か、この奇跡の一本松の後ろに広大な松原が蘇ることだろう。
 
 さて、3時間弱の時間を取っていた東日本大震災復興祈念公園も正直もう少し時間を取っていればよかったと思うほど貴重な時間になった。津波という自然の猛威と、自然との共生を学べたのは、乗りつぶし以上に旅行に来た意義があったと思う。奇跡の一本松からは再びBRTに乗車して一駅先の陸前高田へと向かう。
 
乗車記録12
大船渡線BRT 普通 盛行
奇跡の一本松→陸前高田
 

みどりの窓口が営業している陸前高田駅

 バスに5分ほど乗車して、更地となり嵩上げされた旧市街地を走り、その後さらに嵩上げされた現在の市街地へと坂を上る。市街地へと入り、商業施設を横目に進むと、ロータリーが設置された陸前高田駅に到着。さきほどまでいた祈念公園は陸前高田駅からも見えるが、思ったより遠く、歩くと25分ほどかかる。
 
 陸前高田の中心部にある陸前高田駅。大船渡線の途中駅だったが、旧陸前高田駅は津波に襲われ、当時勤務していた駅員が亡くなっている。その後しばらくはプレハブ駅舎でのみどりの窓口営業が行われ、嵩上げ工事の完了と共に現在の中心部に移転した。駅舎は旧陸前高田駅の駅舎をモチーフに作られている。現在もみどりの窓口が毎日営業し、全国のきっぷを取り扱っている。全国的にも珍しい接続路線を含めて列車が一本も来ない駅のみどりの窓口となっている。
 
 陸前高田駅から海の方向を眺める。もともとここは中心市街地が広がっていた場所だが、今は全てが更地になっている。その中で震災遺構として保存されている建物の一つが、手前に見える米沢商会の建物。現陸前高田駅からは階段を降りるとすぐ見学できる。この3階建ての建物の屋上にまで津波が到達したという表示がなされており、いかに高い津波だったかを知ることができる。
 

2日目のゴール大船渡へ

 せっかくなので陸前高田駅で次の旅で使うきっぷを購入して陸前高田を出発。2日目の目的地である大船渡へと向かう。陸前高田市街は一般道を走り、その後は再び線路跡の専用道を大船渡へと進んでいく。途中、車窓には青く輝く大船渡湾の景色を見ることができた。今回は大船渡駅近くのホテルに宿泊するが、時間もあるので一旦終点の盛駅まで行ってみることにした。
 
乗車記録13
大船渡線BRT 快速 盛行
陸前高田→盛
 
 大船渡線の終点の盛駅。誤読を防ぐためかBRTの行先表示は盛(さかり)と書かれている。盛駅はJR東日本、三陸鉄道、岩手開発鉄道の3社が乗り入れるターミナル駅。岩手開発鉄道は1992年に旅客営業を終了している。JR東日本は東日本大震災以降鉄道ではなくBRTとして復旧したので、現在鉄道で旅客営業しているのは三陸鉄道だけとなっている。構内はつながっているが、JRと三陸鉄道で違う駅舎となっており、それぞれに窓口が設置されている。
 
乗車記録14
大船渡線BRT 快速 気仙沼行
盛→大船渡
 
 盛駅まで行って大船渡線BRTの本線を乗りつぶした後は、少し戻って大船渡駅で下車。ここ大船渡駅周辺も津波で甚大な被害が発生した場所。現在は新しい市街地が開発され、スーパーや地元の飲食店が入居する新しい施設がオープンしている。しかし、そこを少し先へ行くとまだまだ更地のままの場所が多い。大船渡駅前の建物には大船渡高校出身の佐々木投手の完全試合達成を祝う横断幕と千葉ロッテのユニホームが飾られていた。今回は大船渡駅から北に少し進んだ場所にあるホテル福富に宿泊。夕暮れとともに2日目が終了した。
 
三陸鉄道を走破する~に続く