【旅行記】東北地方太平洋側を北上する旅~三陸鉄道を走破する~

 
 最終日は大船渡から三陸鉄道と八戸線を走破して青森県の八戸駅へと向かう。さらにそこから三沢空港へと移動して帰路につく予定。ホテルをチェックアウトして、大船渡線のBRTで盛駅へと向かった。
 

盛駅近くにある珍しい踏切

 気仙沼からやってくる始発の便だったが、思いのほか乗車は少なく、高校生のみ数人が利用していた。時刻は7時を回ったところなので、朝ラッシュはおそらくこれから。三陸鉄道の列車まではまだ1時間くらいある。それなのに早く駅に来たのは、近くの踏切を見たかったからだった。
 
乗車記録15
大船渡線BRT 快速 気仙沼行
地ノ森→盛
 
 盛駅から歩いて5分ほどの場所にある佐野街道踏切。もともとは大船渡線と三陸鉄道の共用踏切だったが、大船渡線がBRTとなったことで、全国で唯一、BRTが通過する踏切になっている。法律上はBRTの専用道は線路ではなく道路の扱い。踏切と言いながらBRTの方は交差点の扱いである。しかし、BRTの方も警報機がちゃんと鳴るようになっていて、遮断機こそないものの、踏切が鳴るとバスが通過するという珍しい光景を見ることができる。ちなみに方向指示器は三陸鉄道の方でしか作動しない。
 

4時間30分のロングラン列車で三陸鉄道リアス線を走破

 盛駅に戻って三陸鉄道の列車を待つ。三陸鉄道はちょうど旅行中に利用可能となっていた東日本パスで利用可能だが、今回は東日本パスは使用していないので、盛~久慈までの運賃が必要となる。しかし、全国旅行支援が始まったおかげで宿泊でもらえる地域クーポン3000円分がもらえるようになり、三陸鉄道の窓口でも利用可能なので、きっぷの購入に使用した。他のフリー乗車券や片道途中下車きっぷの支払いに使える。前日のうちに盛駅の窓口に出向いて盛~久慈間の片道途中下車きっぷ(3,780円)を購入。3000円分使ったので、780円を支払うだけで済んだ。
 
 盛駅に戻ってしばらくすると列車が到着。たくさんの高校生を降ろして折り返しの準備を行う。この列車が折り返し盛発久慈行の普通列車となる。盛~久慈間を結ぶ三陸鉄道、もともとは盛~釜石間の南リアス線と宮古~久慈間の北リアス線に別れ、その間にJR東日本山田線が走っていたが、東日本大震災をきっかけに、山田線区間が三陸鉄道へと移管され、リアス線に名称を変更。現在、日本最長の私鉄路線となっている。区間列車が多いものの、盛~久慈間を走破する列車も2.5往復設定。この列車は下りの1本目の列車となる。
 
 途中の宮古までは2両編成で運転。1両目(前の写真)は36-R形と呼ばれるレトロ調車両、後ろは一般形の36-700形だった。1両目の36-R形は2014年に運行を開始。東日本大震災からの復旧過程でクウェートからの支援を受けた車両で、車両には感謝を告げるステッカーが貼られている。一方、後ろの36-700形は2018年に山田線が三陸鉄道に移管されることに伴って導入された車両。どちらもボックスシートとなっていて、各ボックス席にはテーブルが設置されている。
 
 後ろの車両は宮古で切り離しとなるため、久慈まで行く1両目に乗車。ここから約4時間半の間、この列車に乗車して岩手県の太平洋側を縦断していく。この日は2両で5人くらいの乗車で盛駅を出発した。
 
乗車記録16
三陸鉄道リアス線 普通 久慈行
盛→久慈 36-R形
 
 列車は大船渡線BRTの専用道と別れて盛川を渡る。その先で岩手開発鉄道の線路と交差すると、トンネルに入り大船渡市の市街地から離れていく。ここから先は駅と駅の間をトンネルで短絡しながら、リアス式海岸の入り江の集落地区を辿っていく。
 
 一般にはあまり知られていないが、三陸鉄道は意外と海が見える機会が少ない。そのため、海の車窓を期待して乗車するとトンネルの長さに失望することになる。最初からわずかな海が見える区間を見逃さないと思って乗る方がいいように思う。実際、この先で乗ってきた観光客は口々に思ってたのと違ったと言っていた。南リアス線区間もトンネルとトンネルの間に時折海を見ながら走っていく。
 
 列車は釜石市街地に入り、日本製鉄の釜石工場を見ながら左にカーブして釜石駅に到着。釜石はラグビーの聖地として知られ、現在も釜石シーウェイブスというクラブチームの拠点となっている。このチームの前身は新日鉄釜石として全国的にも有名。日本製鉄はその新日鉄と住金が合併した企業である。釜石では盛岡からこの駅までを結ぶ釜石線が接続。ここまで乗客はわずかだったが、各ボックス座席が埋まる程度に混雑した。釜石線ではSL銀河の運行が行われており、駅構内には転車台を見ることもできる。
 
 釜石からは旧山田線へと進んでいく。少し進んだ鵜住居駅で旧型の36-100形とすれ違う。朝ドラあまちゃんでも登場した車両なので、三陸鉄道と言えばこの車両を思い浮かべる人も多いかもしれない。鵜住居駅の近くにはラグビーのスタジアムがあり、2019年のワークショップではフィジー対ウルグアイ戦などが行われた。
 
 列車は大槌、陸中山田などを経て宮古へと走る。鵜住居や大槌あたりでは、雨が降っていたが、宮古まで来ると再び青空が見えた。旧山田線となる釜石~宮古間は、北リアス線、南リアス線とは違い、高架橋やトンネルが少ない。宮古駅の手前にある津軽石駅では、当時運行中だったJR東日本キハ110系が津波で流される被害も発生している。宮古駅は三陸鉄道の本社が置かれていて、JRとして存続している山田線が盛岡から延びている。ここで乗客の大半が入れ替わり、後ろの1両が切り離されて1両編成になった。
 
 宮古~久慈間は再び以前から三陸鉄道の北リアス線区間に入る。ここから先は南リアス線以上にトンネルと高架橋を多用する。線路もほぼ直線に敷かれているのが地図を見ることがよくわかる。前半は高い堤防が整備されたこともあってほとんど見えないが、南側のリアス式海岸とは違った景色が広がる。しばらく進んだ普代駅から先はしばらく海が見える区間が続く。三陸鉄道で一番海が見える区間となっている。列車は観光名所でもある大沢橋梁や安家川橋梁で観光停車。なんとか天気が持ってくれて、少し荒々しい太平洋を見ることができた。
 
 陸中野田駅手前で海が見える区間は終了し、ここから久慈までは最後に峠を越えて走る。その手前陸中宇部駅では反対列車と交換。この列車は盛行で今来た道を戻っていく。盛を出て4時間あまり。すっかり正午を過ぎた終点の久慈駅へと到着した。
 久慈駅からは八戸線に乗車して、いよいよ青森県の八戸へ向かう。3日間かけて東北地方太平洋側を進んできた旅もいよいよ終わりが近づいた。
 
八戸線をゆく~続く