【旅行記】47都道府県制覇の旅in沖縄~沖縄バスで名護へ~
初めての沖縄旅行の2日目は早朝の那覇バスターミナルからスタート。帰りの飛行機が15時と早いので、朝早くから動くことにした。1日目はゆいレールを使って観光したが、2日目は路線バスを使って本島北部にある名護市まで行ってみる。戦後ゆいレールが開業するまで鉄道がなかった沖縄本島は他地域よりもマイカー文化が根強い。その一方で、地域の公共交通の主体は路線バスが担っていて、那覇バスターミナルを拠点に路線バス網が形成されている。現在の那覇バスターミナルがある場所はもともと那覇と与那原、嘉手納、糸満などを結んでいた軽便鉄道の那覇駅があった。鉄道からバスに変わった現在も、沖縄本島の交通の要衝となっている。
本島東海岸を経由する77番で名護へ

はじめて沖縄に来たので、路線事情もよく分かっておらず、どのバスに乗ろうか迷ったが、沖縄本島でも長距離路線バスとして知られている2路線に乗車して、那覇と名護の間をぐるっと一周することにした。那覇と名護の間は高速バスも運行されているが、路線バスも2路線が運転されている。一つは那覇・那覇空港から国道58号線などを経由し、嘉手納、読谷などの西海岸を経由して名護に向かう120番・20番名護西(空港)線。もう一つが那覇から伊佐、普天間、具志川、金武、辺野古などを経由して名護市街に至る77番名護東線。どちらも運行時間は2時間30分を越え、全国的に見ても長時間運行の路線バスとなっている。
時刻は6時30分をまわったところ。那覇バスターミナルから最初に乗るのは、沖縄バス運行の名護バスターミナル行き77番。6時40分に那覇バスターミナルを出て、終点名護バスターミナルに着くには9時45分。運行時間3時間5分のバスに終点まで乗車していく。
乗車記録7
沖縄バス[77]伊佐・コザ経由 名護バスターミナル行
那覇バスターミナル→名護バスターミナル

那覇の冬の夜明けは遅い。まだ真っ暗な中、那覇バスターミナルを出発。バスは県庁前を経由した後、国道58号線を経由して北へと進む。途中の伊佐バス停までは行きも帰りも大体同じルートで走っていく。まだ時刻は7時ごろと、朝ラッシュには少し早い時間だが、那覇方面に向かう道路はすでに多くの車で渋滞している。泊港を出たバスは米軍の牧港補給基地を車窓の左手に眺めて進む。その後丘の上に普天間基地がある伊佐バス停から県道81号へと入り、普天間方面へと走っていく。

普天間基地自体は道路からは見えないが、普天間あたりの県道81号は米軍海兵隊の基地であるキャンプ・フォクスターの間を通り抜けていくので、広大な米軍基地が両側に広がる。柵の向こうの米軍基地ではアメリカ人の学生たちがランニングしていた。なお、米軍基地で働くのはアメリカ人だけではない。警備員、エンジニア、基地内の売店店員など沖縄県だけで約9千人の日本人が働いている。こうした光景は観光地に行くだけではあまり見えてこないので車窓に見るだけでも勉強になる。イオンモールライカムの近くからこのバスも渋滞にはまり始め、同時に各バス停から高校生が乗車してくるようになった。8時前になり、朝ラッシュへと突入した。その後は沖縄市のコザ、そしてうるま市の具志川と多くの区間で渋滞が発生しており、バスの遅延は25分まで拡大した。

具志川で渋滞を抜け、高校生が降りていくと、そこからは乗降もほとんどなく、バスは国道を快走していく。ここまで海はほとんど見えなかったが、うるま市の石川あたりで海が見えはじめ、ここからは本島東海岸に沿って辺野古まで進んでいく。奥に見えるのは宮城島や加計島と言った島々。現在は海中道路や橋によって本島と繋がっている。ダイヤにかなり余裕が持たせてあるのか、具志川あたりでは25分遅れだったバスも、遅れを一気に回復し、金武、宜野座と経由するころには10分遅れになっていた。

バスは名護市へと入り、このバスの乗車も終盤へと突入。名護市の東海岸に位置する豊原・辺野古地区へと立ち寄る。辺野古には米軍のキャンプ・シュワブがあるが、この日もバスの走る国道の両側で攻防戦が行われているのが見えた。辺野古を出ると、バスは名護市の中心部へ向かって峠を越える。

峠を越えると、西海岸の海が見え、名護市街を通って、終点の名護バスターミナルへと到着。10分遅れだったので、乗車時間は3時間15分だった。乗りごたえがあると同時に、沖縄の街の景色をじっくり楽しめた。しかし途中休憩も一切なく那覇から名護まで3時間以上運転するのは大変そうだ。ここから先にある美ら海水族館方面にも行ってみたいが、今回は時間がないので、ここで那覇方面に折り返す。乗り換えの時間が少し時間があるので、近くに海岸に行ってみることにした。
美しい名護の海

名護バスターミナルから10分くらい歩いた場所にある運動公園の前に広がる海岸。やはり他の地域とは海の色が全く違う。もっと青空が広がっていれば最高だったが、朝の雨はすっかり止み、空は少しだけ青空が見えていた。

足元を見るとサンゴの死骸がたくさん打ち上げられている。いろんな形をしたものがあって面白い。しかし、これらのサンゴのお持ち帰りは厳禁。法律により海岸や砂浜にあるものを勝手に持ち帰る行為は禁止されている。波の音だけが響く天然のASMRを楽しんで再びバスターミナルへと戻る。

この名護市の運動公園は北海道日本ハムファイターズが1軍キャンプで使用する。海岸から振り向くとタピックスタジアム名護という比較的新しい球場がある。この日はキャンプ開始まで残り数日となり、選手を迎え入れる準備が着々と進められいた。おそらくこの記事を公開する頃には2月になっているだろうから、この近辺も多くの人で賑わっているはず。大谷翔平やダルビッシュ有といった世界で活躍する選手も、過去には当然名護でキャンプを行っていた。球場から徒歩数分のホテルには日ハム歓迎の看板が掲出されていた。
リゾートホテルが立ち並ぶ西海岸をゆく

さて、名護バスターミナルへと戻り、ここから再び那覇へと戻る。次に乗車するのは120番の名護西空港線という路線。その名の通り、名護から本島西海岸を進み、那覇市街を経由して那覇空港へと至る。先ほど乗車した77番の運行時間には及ばないが、それでも運行時間は2時間30分越えのロングランバスとなっている。

この路線は沖縄バスと琉球バス交通の2社による共同運行路線となっていて、便によって運行会社が変わる。乗車便は行きと同じ沖縄バスだった。名護バスターミナルは同路線を運行する2社と那覇バス、東陽バスによる4社共同管理のバスターミナル。バスターミナルの建物自体はかなり年季が入っていて、売店も営業していた。
乗車記録8
沖縄バス[120]恩納・嘉手納経由 那覇空港行
名護バスターミナル→那覇空港

名護バスターミナルを出たバスは名護市街を走っていく。写真は名護十字路バス停あたりの車窓。名護市の人口は6万人ほとで、本島北部の中心的な都市である。

名護市街を出た後は国道58号線を南下していく。車窓には時折青い海が見える。往路で走った東海岸とは異なり、西海岸は国道58号線沿いに多数のリゾートホテルが立ち並んでいる。そのためこちらの路線は地元の乗客よりも観光客の姿が目立った。

バスは恩納村を経た後、海岸線からは離れて読谷村へ。その後嘉手納基地がある嘉手納町へと向かう。嘉手納町の中心部を出ると基地の滑走路の端を通る。嘉手納基地はアメリカ空軍の基地で、日本国内にある米空軍基地で最大の規模を有し、東アジアでも最大規模を誇る基地となっている。滑走路が2本あり、敷地面積は羽田空港の2倍らしい。嘉手納町の中心部から滑走路を挟んで反対側には、基地の居住区があり、この居住区の面積もとても広い。

嘉手納から北谷を経由してしばらく走ると、伊佐バス停へ。ここで朝に普天間、コザ方面に向かった道と合流する。その先もしばらく国道58号を進むが、このバスは泊高橋から国道を逸れて、安里、牧志を経由。昨日は歩行者天国になっていた国際通りを走っていく。国際通りも車通りがあるとまた違った雰囲気になる。

那覇バスターミナルを経由して、バスは終点の那覇空港に到着。那覇空港に到着するバスは3Fに着く。那覇と名護の間をぐるっと回るバスの旅。初めて沖縄に来た自分にとっては、名前を聞いたことのある街があったり、初めて知った街があったりと楽しいバス旅だった。
那覇空港の国内線は3階が航空会社のカウンター、2階が保安検査場、1階が到着ロビーとなっている。あまりこうした構造のターミナルビルは見かけない。1階は少し薄暗い雰囲気だが、3階は開放感のある作りになっていた。

那覇空港に到着して、あとは飛行機で帰るだけ。帰る前にせっかくなので沖縄名物を食べて帰ることにした。沖縄だけのファストフード店であるA&Wは日本初のファストフードチェーンとして知られている。とは言っても、オープンした当時はまだアメリカの統治下に置かれていた。本土にファストフードができるかなり前から沖縄にはファストフード店があった。沖縄はファストフードのほかにもステーキが有名だったり、アメリカの文化が多数入ってきている。郊外店舗のA&Wは、車に乗ったまま注文し、食べることができるドライブイン方式を採用している。
那覇空港からは初めての搭乗となる日本トランスオーシャン航空で福岡へと戻る。