【旅行記】函館本線と道南鉄道路線乗りつぶし旅~がんばれ道南いさりび鉄道~
倶知安から普通列車と路線バスを乗り継いで函館駅に到着。札幌からここまでは、これから新幹線が開業する区間の走ってきた。倶知安駅や長万部駅は10年もすれば新幹線がやって来る。夢みたいな話だが、10年後には真新しい新幹線の駅舎がお目見えしている。

さて、ここからは函館本線から分岐する第三セクター鉄道である道南いさりび鉄道に乗って木古内まで行ってみる。この道南いさりび鉄道はJRの江差線が三セク化されたもの。現在も続く函館本線の議論とも密接に関わる鉄道である。函館本線と道南いさりび鉄道の関係について一度確認してから旅を再開しようと思う。
函館本線議論と道南いさりび鉄道
これから旅する区間は、すでに新幹線が開業している区間。新函館北斗まで新幹線がやってきたのは7年前の2016年のことだった。この時、並行在来線となる江差線の五稜郭~木古内間は第三セクター化され、道南いさりび鉄道となった。この道南いさりび鉄道は国鉄・JR時代には江差線呼ばれ、一時期には本州と北海道を結ぶ架け橋として機能していた。
江差線は五稜郭で函館本線を分岐した後、木古内を経由して江差へと向かうローカル線だった。古くは木古内からは松前線も分岐していた。松前線は青函トンネルが開業する直前に廃止。青函トンネル開業後は木古内で接続する線路が松前線から海峡線へと変わった。江差線の五稜郭~木古内間は電化され、愛称として津軽海峡線と呼ばれるようになった。その後は30年近くに渡り、本州と北海道を結ぶ大動脈として機能し、特急白鳥や寝台特急北斗星、カシオペア、トワイライトエクスプレスなどの名列車が数多く通過した。しかし、その海峡線も2016年の新幹線開業に伴い旅客の大動脈としての座を新幹線に明け渡して定期旅客列車の運行を終了。江差線の末端区間はその直前の2014年に廃止され、残る五稜郭~木古内間は三セク化されて今に至っている。

本州と北海道の動脈として機能していた現道南いさりび鉄道の五稜郭~木古内間。都市間輸送の役目を終えて、旅客輸送としてはローカル線へと戻ったが、現在も貨物列車が多数運行されており、貨物としての大動脈の地位は現在も続いている。
しかし、その貨物列車の大動脈としての地位が今揺らぎかけている。その原因となるのが、北海道新幹線札幌延伸に伴う函館本線の存廃という問題。函館本線の今後の議論の行方によっては、貨物列車の大動脈という立ち位置され失いかねない状況となっている。
函館本線のローカル輸送の輸送密度は低く、三セク化しても多額の赤字が見込まれている。新幹線開業後は旅客輸送を行わない公算が大きい。函館本線が貨物列車の運行に特化した場合、地域輸送のための出資ではないため、沿線自治体は函館本線の維持に対する議論にはノータッチのスタンス。昨年、国がこの議論について重い腰を上げて、維持費を誰が負担するか議論が行われている。議論の行方によっては、函館本線から貨物列車も消えることになる。そうなると当然、道南いさりび鉄道を通る貨物列車も減少もしくは消滅することになる。
そのため、函館本線の議論は道南いさりび鉄道の存続にも直結する。影響を受けるのは道南いさりび鉄道だけではない。東北地方の青い森鉄道、IGRいわて銀河鉄道や北陸地方の各第三セクター会社は、北海道方面へ向かう貨物列車の線路使用料が大きな収入源となっている。函館本線から貨物列車が消えれば、こうした並行在来線の第三セクターもたちまち影響を受ける。三セク鉄道だけでなくJR路線でも影響は大きい。この函館本線の議論の影響は、他のローカル線のような地域輸送に関わる問題ではなく、日本全国の路線ネットワークの維持に関わる重要な問題である。
津軽海峡を車窓に道南いさりび鉄道をゆく
青函トンネル開業の開通、北海道新幹線の開業など、北海道へのアクセス手段が変化するなかで、姿・形を変えてきた現・道南いさりび鉄道。早速、木古内行の普通列車に乗り込んだ。

発車の30分ほど前には改札内へと入ったが、すでに乗車する木古内行の普通列車は到着していた。キハ40形1両編成で運転されるが、もちろんこのキハ40形はJR北海道から移籍した車両。道南いさりび鉄道の車両は車両によって外観が異なっているが、この車両は国鉄色の車両だった。

乗車したときはガラガラだった車内も、発車間際になると乗客が増え混雑し始めた。北海道のキハ40は雪国仕様となっていて、窓は2重窓で客室の間仕切りがある。根室本線の東鹿越~滝川間の普通列車に乗って以来の北海道のキハ40。九州でも見慣れた存在だが、各地で徐々に数を減らしつつある。道南いさりび鉄道は全線が電化されているが、旅客列車は全てこのキハ40形での運転となっている。
乗車記録 No.6
道南いさりび鉄道 普通 木古内行
函館→木古内 キハ40形

函館を発車した普通列車は次の五稜郭まで函館本線を走る。五稜郭が道南いさりび鉄道と函館本線の分岐点で、貨物列車は五稜郭駅の構内で機関車を付け替えて折り返し走っていく。旧江差線である道南いさりび鉄道線内へと入ると、乗客がみるみるうちに減っていく。道南いさりび鉄道は木古内までを結ぶが、実質的には函館と北斗を結ぶ路線となっている。次第に車窓には函館山が見え始める。線路が七飯の湾に沿ってぐるっとまわっているのがよくわかる。北斗市の市街地が終わる上磯駅は、函館方面への区間列車も多く設定されており、この駅の時点で7割ほどの乗客が降りて行った。上磯から先は車窓もガラッと変わり、トンネルで山を越え、海岸線を走っていく。先ほど発った函館市街と函館山が真横に見えるので、いかに遠回りしているかがよくわかる。天気がよければ、青森県の下北半島が望めるが、この日は雲に隠れていた。しばらく進むと、函館山が遠くに離れ、進行方向正面には、渡島半島の南にそびえる山々が見える。その麓には北海道電力の知内発電所があり、その煙突も車窓に見える。しばらく車窓に見える津軽海峡の景色を楽しんだ。

函館駅から1時間。終点の木古内駅へと到着。駅の手前で新幹線の高架橋が近づいてきて、1両の気動車の隣に10両の新幹線が止まる巨大な駅が現れた。終点の駅だが無人駅の道南いさりび鉄道木古内駅。運転士にきっぷを提示して下車した。
木古内駅はもともと3面5線の駅だったが、新幹線開業後は2面3線のホームが撤去された。現在道南いさりび鉄道が使っているホームはもともと江差線の江差方面の列車が使っていたもので、このホームの線路は架線がない。ここから先の在来線はJR北海道の海峡線となるが、団体列車以外で乗客を乗せて走る列車は存在しない。数キロ先には北海道新幹線との接続点である木古内分岐点がある。当然、駅名標の片方は空白になっている。海峡線や江差線があった時代はこの空白に知内、津軽今別、渡島鶴岡と言った駅名が書かれていたが、ついには空白となってしまった。
大都会と人口4000人の小さな街をつなぐ新幹線

木古内駅は現在、北海道最南端の駅となっている。北海道最南端の駅は、北海道新幹線の準備として海峡線の知内、吉岡海底駅が廃止されるまでは吉岡海底駅、その後江差線の木古内~江差間が開業するまでは渡島鶴岡駅が最南端だった。JR北海道としては青函トンネルを抜けた先にある奥津軽いまべつ駅が最南端となっている。東京からの直通列車として10両編成が停車する新幹線の駅。巨大な建物が街の真ん中にそびえている。

ちょうど北海道新幹線が発着する時間だったので、入場券を買って新幹線を見に行ってみた。すでに北海道新幹線には乗車済みなので、一応この駅は通ったことはある。木古内駅の新幹線ホームは東京方面の線路のみに通過線がある特殊な配置。反対に奥津軽いまべつ駅は新函館北斗方面に通過線がある。自分と駅員しかいないホームに東京始発のはやぶさが到着。東京で見ると普通な10両編成もここで見るととても長く感じる。車内は結構乗車率が高かったが、この駅で降りたのはわずか数人。木古内駅の1日の乗降客数は、100人ほどとなっている。

木古内駅の発車票に並ぶ東京の文字。本数こそ少ないが、ここから東京に1本で行けるというのは革命的。先に訪れた倶知安や長万部でも10年後にはこうした光景が見られるようになるのだろうか。人口4000人にも満たない街が東京と1本の列車でつながっているというのは面白い。
みそぎの郷として知られる木古内町

この日は函館に戻れば1日の行程が終了なので、すぐには折り返さず、1本あとの列車で函館へと帰ることにした。木古内駅の在来線側から海に続く道をまっすぐ歩いていくと、海岸に鳥居が建っている。木古内町はみそぎの郷として知られ、毎年1月中旬に寒中みそぎ祭りが行われている。4人の男が真冬の海に入ってその年の豊作と豊漁を祈る祭りで江戸時代から続く伝統ある祭りとして全国的に知られている。

海岸から函館方面を眺める。海岸線の先に見える島のようなものが函館山。結構近く見えるが、陸地はぐるっと迂回しているので、思った以上に遠い。天気がよければその先には亀田半島が見える。遠くには津軽海峡を航行する船の姿がいくつか確認できた。

反対に知内方面。知内町の背後には山が迫っている。晴れていれば、画面の右手奥に津軽半島、画面の左手奥には下北半島が見えるらしい。しばらく津軽海峡の景色を眺めたあと、再び駅へと戻って、駅に隣接された道の駅に立ち寄った。

木古内駅は駅のロータリーの反対側に道の駅が併設されていて、お土産などはここで購入できる。車と公共交通どちらも集客ができるいいアイデアだと思う。道の駅のなかでは軽食も販売されていて、せっかくなのでカレーパンを購入した。道の駅はバスの待合所も兼ねていて、ここから江差、松前方面には函館バスの路線バスが延びている。函館市内からの直通便もあるので、こちらも乗ってみたい路線の一つである。
貨物列車とすれ違いながら函館へ

道の駅でお土産を選んでいたら、あっという間に帰りの列車の時間。発車の10分ほど前に折り返しの列車が到着。帰りの車両はイベント用にも使用される「ながまれ号」という車両。車内はテーブルが設置できるようになっていて、「ながまれ」とはこの地方の方言でゆっくりしてという意味らしい。新幹線の時間に接続するようになっていて、この時間も東京からのはやぶさに接続。何人か乗り換えで利用する乗客の姿があった。
乗車記録 No.7
道南いさりび鉄道 普通 函館行
木古内→函館 キハ40形

函館方面へと発車した普通列車。2駅先の泉沢駅では、本州方面の貨物列車と交換した。木古内方面の列車も途中で1本の貨物列車とすれ違い、道の駅でカレーパンを食べているときも貨物列車が通過していった。北海道と本州を結ぶ貨物列車の大動脈としての一面が垣間見れる。道南いさりび鉄道を走る貨物列車は全てEH800形と呼ばれる北海道新幹線との共用区間対応の機関車が使用されている。新幹線はATCを使用しているので、この機関車もATCを搭載しているほか、在来線と新幹線では架線の電圧が異なるので、その両方に対応している。新幹線は2万5千ボルト、在来線は2万ボルトとなっていて、木古内駅と札苅駅の間にその境界が設けられている。木古内駅構内は2万5千ボルトになっているので、在来線車両は気動車しか入線できない。

往路よりも少し天候が回復してきたようで、車窓に見える函館山と函館市街地に太陽の日差しが当たってちょっと幻想的な光景に。ここから見ると函館の街がすごい場所に形成されているのがよくわかる。しばらく夕暮れ近い津軽海峡の景色を見ながら走っていく。

茂辺地駅では反対列車と交換。あちらは2両編成で、国鉄急行色の塗装が施されたキハ40が先頭に立っていた。この茂辺地駅と次の上磯駅の間は、やや駅間距離が長くなっていて、途中には矢不来信号場が設けられている。海岸線を進む本線に対して、待避線側はトンネル二本を通る形となっていて、待避列車はトンネルからちょこんと顔を出して、反対列車とすれ違う以前は旅客列車も多く走っていた名残だが、今も現役で使用されている。

上磯からは帰宅ラッシュに突入した列車は、多くの乗客を乗せて北斗・函館の街を走っていき、函館駅に到着した。津軽海峡の景色を楽しめるローカル線としての一面の一方で、貨物列車の大動脈として、北海道と本州の物流の架け橋として多くの貨物列車が駆け抜ける姿も印象的だった。2日目の行程はこれにて終了。この日は函館駅近くのホテルに一泊して、最終日の旅に備えた。
3日目は函館本線支線と函館市電を乗りつぶす。