【旅行記】京阪電車と京都の中小鉄道を満喫する旅~嵐電と嵯峨野トロッコ編~
阪急にお目見えした"準特急"で京都へ
2日目も1日目の午後と同様に梅雨の中休みの快晴となった。引き続き、この日も京都の中小鉄道に乗車していく。今回の旅は、大阪と京都を結ぶ鉄道路線も楽しむのも一つの目的。1日目は京阪の各停縛りで京都へ向かい、帰りは近鉄で奈良を経由して大阪にあるホテルへ戻った。2日目の往路は阪急京都線に乗車して京都へ向かう。
時刻は早朝5時45分。新大阪駅構内は、東海道新幹線の始発列車に乗車する人たちで混雑していた。一方、新大阪から梅田方面向かう列車は、まだ朝ラッシュには早すぎるので、ガラガラ。御堂筋線に乗車して梅田駅で下車し、人気がなさすぎる梅田駅構内を通り、阪急大阪梅田駅へと向かった。

約1ヵ月前の兵庫・神戸の旅でも訪れた大阪梅田駅。4月にも訪れているので、3か月連続でこの駅に来たことになる。一時期ドハマりしていた阪急は、2年連続で全路線を乗りつぶしたこともあり、以前は度々京都線には乗りにきていた。しかし、ここ最近はしばらくご無沙汰となっていて、2018年12月以来約4年半ぶりの乗車だった。ホームへ上がると古参の5300系が停車していた。以前の旅行記でも書いたように、梅田のホームに並ぶ顔ぶれも1000系・1300系が着実に増えていて、5300系など古参車両を見かける機会も随分減った。京阪同様、阪急京都線も日中は高槻市より先へ進むのは準急と特急のみとなっており、準急が高槻市~京都河原町間のローカル輸送を担う。普通が京都河原町まで運転されるのは朝夕に限定されている。

阪急京都線と言えば大阪梅田~京都河原町間を43分で駆け抜ける特急がその代名詞となっている。しかし、特急は平日の日中時間帯、および土休日の日中から夜にかけて運転される種別で、朝の時間帯には運転されていない。
朝夕の主役となるのは写真の準特急。この種別は昨年12月のダイヤ改正でデビューした新しい種別で、それまでの快速急行からの名称変更で誕生した種別である。特急との違いは、西院と大宮に停車するか否か。京都市街以外での停車駅はどちらも変わらない。一方、朝の最ラッシュ時には通勤特急も運転されている。通勤特急は準特急と同じく大宮・西院に停車し、京都市街では特急よりも停車駅が多くなる一方、反対の大阪側では、特急が停車する淡路を通過する。さらに土休日は快速特急も走っていて、京都線では特急がつく種別が4つある。
準特急は、以前京王電鉄で走っていた種別だった。京王では2022年3月のダイヤ改正で、特急に名称変更となる形で消滅している。以前京王線沿線に住んでいたことがあったので、久しぶりに準特急の響きを聞いて懐かしい気分になった。

日中の特急は原則転換クロスシートの9300系が使用されるが、朝夕の準特急はロングシート車両も使用される。せっかくなら転換クロスシートで車窓を楽しみながら京都へ向かいたいので、事前に9300系が使用される列車を調べておいた。写真は乗車した列車の数本前に出た9300系の準特急京都河原町行。そこから1300系、8300系と発車していき、3本目に再び9300系が入線。終点の京都河原町まで乗車した。
乗車記録15
阪急京都線 準特急 京都河原町行
大阪梅田→京都河原町 9300系

"あの人の姿懐かしい黄昏の河原町"でおなじみの河原町。個人的には、何度も来たことあるのにほぼ地下にしか来たことない駅になっている。今回もしっかりと地上に出ずに折り返す。もちろん地上にも出たこともあるので問題ない。一度改札を出て入りなおした。梅田から乗車した列車は、折り返し通勤特急大阪梅田行になっていた。この先、大宮で下車するので、この列車に乗ってもよかったのだが、うっかり大宮は通過するものと勘違いしていて、この列車は見送った。乗車したのは、隣のホームに停車していた5300系の普通大阪梅田行。久しぶりに5300系にも乗れたので結果オーライだった。
乗車記録16
阪急京都線 普通 大阪梅田行
京都河原町→大宮 5300系
京福電気鉄道に初乗車 嵐電に揺られて嵐山へ

大宮で普通列車を下車して、ここから2日目の京都の中小鉄道を巡る旅がスタートする。繁華街の西側にある大宮から乗車するのは、京福電気鉄道。嵐電の愛称で親しまれ、四条大宮~嵐山間の嵐山本線と、途中の帷子ノ辻~北野白梅町間の北野線の2路線を運行している。京福電気鉄道はその名の通り、もともとは京都と福井で鉄道・軌道路線を運行していた。1日目に乗車し、この日も午後から乗車予定の叡山電鉄の路線は、1986年まで京福電気鉄道の路線だった路線を分離した路線である。また、福井では、現在のえちぜん鉄道の路線を2003年まで運行していた。こちらは、2000年と2001年に2度の正面衝突事故が発生。全線運転停止の上で業務改善命令が出されたものの、当時の京福電鉄は厳しい経営状態だった。そのため、同社での営業継続は困難と判断され、2003年に第三セクターのえちぜん鉄道が路線を引き継いでいる。京福電鉄の路線として残ったのは、これから乗車する嵐山本線、北野線と、叡山ケーブルの3路線。京福電鉄は、京阪グループに所属し、京都で路線バスを運行する京都バスや福井で運行する京福バスなどを子会社に持つ。鉄道路線としては福井での運行はなくなったものの、今もグループ会社が福井で企業活動を行っている。

四条大宮から嵐山までを走る嵐山本線。現在京都で唯一となった路面電車路線として、観光客からも人気の路線になっている。嵐山へはJR、阪急、嵐電で行くことができるが、京都気分を存分に味わいたいなら、嵐電がおすすめ。かわいい路面電車が京都の街を走っていく光景が京都らしい。京福電鉄ではICカードも利用可能だが、旅の記念にフリーきっぷを買うのもいい。1日フリーきっぷは700円で、駅窓口にて購入することができる。また京都市営地下鉄、阪急(春秋発売)とのフリーきっぷや、映画村とのセット券なども販売されており、用途に応じて使い分けできる。

京都市街を走る京福電鉄。平日の朝は5分間隔の運転となっているが、それでも1両では輸送に限界があるので、一部列車は2両編成で運転されている。連接車が各地の路線電車で走っているものの、1両の路面電車を2両つないで走るのは珍しい。他の路面電車だと、故障や事故の救援でしか見かけない。この珍しい1+1=2両編成の路面電車に乗車した。乗車したのは2両目のモボ101形。デビューしたのはなんと1929年。御年94歳のご長寿車両で、今も元気に活躍している。
乗車記録17
京福電気鉄道 嵐山本線 嵐山行
四条大宮→嵐山 モボ101形

四条大宮を出ると次は西院。この区間は阪急京都線とルートが被っている。嵐電は阪急が地下を走る四条大通の南側の住宅街の中を走っていく。行って初めて知ったのだが、西院は阪急では「さいいん」と読むが、嵐電では「さい」と読む。四条大宮~西院間はそこまで混んでいなかったが、西院で阪急からの乗り換え客を乗せ混雑した。次の西大路三条から蚕ノ社間は路面電車として併用軌道を走る(山ノ内~太秦天神川間の一部区間は専用軌道)。西大路三条を出て車窓の右手に見えるのは、京都の一大企業である島津製作所の本社と工場。京都はこのほか、オムロン、京セラ、村田製作所、ロームなど、電子部品や計測機器を扱う企業の本社がたくさんある。地下鉄東西線と接続する嵐電天神川は、右京区の区役所が立地する。バスターミナルも設置されていて、交通結点の役割をもっている。蚕ノ社から再び専用軌道に変わると、次は太秦広隆寺。広隆寺の楼門の前だけ一瞬併用軌道となっていて、交差点の南側を走っていく。難読駅名の一つ帷子ノ辻(かたびらのつじ)では北野線と接続し、その後は嵐山へ向けて西進。このあたりになると車内の混雑も落ち着いた。

終点の嵐山に到着。平日朝の沿線の日常利用を垣間見ることができた乗車だった。嵐電の嵐山駅は、渡月橋の北側に位置し、JR嵯峨嵐山駅、阪急嵐山駅とはそれぞれ離れた場所にある。阪急嵐山駅は渡月橋を渡った対岸にあり、徒歩10~15分ほどかかる。またJR嵯峨嵐山駅は当駅の北東にあり、乗り換えるには一つ手前の嵐電嵯峨駅を使った方が便利である。駅前は観光地らしいく土産物店や飲食店が並ぶ通りとなっていて、駅の西側には天龍寺がある。朝の8時半なのでまだお店は営業していないが、それでも観光客の姿がちらほらとあった。

折り返しの時間を20分ほど設けていたので、駅から2・3分ほど歩いた場所にある渡月橋を見に行った。渡月橋は836年に僧侶の道昌という人物が架橋したのが始まりとされ、鎌倉時代に渡月橋と名付けられたとされる。現在の橋は昭和9年に架けられた橋。戦による焼失や水害による流失を繰り返し経験してきた橋で、近年でも流出こそしていないが、2013年と2018年に洪水により被害が発生している。川の正式名称は桂川だが、嵐山から上流部は保津川と呼ばれており、さらに上流部では大堰川、さらに進むと再び桂川と地域によって川の呼び方が変わる。嵐山から亀岡までの区間は保津峡と呼ばれる渓谷を進んでいくが、その景色は後ほど楽しむ。

嵐山からは再び嵐山本線に乗車し帷子ノ辻駅で下車した。乗車したモボ301形301号車は1971年に登場し、50年以上に渡って嵐電を支え続けている車両である。調べたところによると一度2007年に運行終了した後、2008年に再び運用に復帰した経歴をもっているらしい。このツートンカラーは京福の旧塗装。そう言えば前日鞍馬駅に展示してあった車両も同じ配色だった。先述のとおり、叡山電鉄の路線は京福から分離した路線てあり。以前は京福カラーの車両が走っていた。デビュー当時はトロリーポールを装備しており、この形式が日本で最後の新製時にトロリーポール装備していた車両だった。ただし、現在はパンタグラフに交換されている。なお、京福では2024年以降に新型車両を導入予定。四条大宮から乗車したモボ101形とこのモボ301形は引退することが発表されている。
乗車記録18
京福電気鉄道 嵐山本線 四条大宮行
嵐山→帷子ノ辻 モボ301形
帷子ノ辻からのびる北野線に乗車後、再び嵐山へ

帷子ノ辻からは北野線に乗車した。北野線は帷子ノ辻から北野白梅町までを結び、嵐山本線がJR山陰線の南側を走る一方、この路線は北側を走っていく。乗車したのはモボ611形。同型車と合わせて、現在の京福電鉄を支える主力車両となっている。水戸黄門のイラストが描かれたヘッドマークが掲出されている通り、帷子ノ辻を出てすぐのところに東映京都撮影所がある。なお、映画村へ行くなら嵐山本線の太秦広隆寺が最寄り。撮影所前で降りても関係者以外立ち入り禁止のスタジオしかない。
乗車記録19
京福電気鉄道 北野線 北野白梅町行
帷子ノ辻→北野白梅町 モボ611形

帷子ノ辻を出て、すぐに撮影所前に停車すると、その先でJR山陰線の線路とクロスする。その先の常盤~鳴滝は北野線唯一の複線区間となっており、鳴滝駅で反対列車とすれ違った。鳴滝駅を出ると御室川を渡るが、このエリアは桜の名所として知られている。宇多野駅から先は、御室仁和寺、妙心寺、龍安寺、等持院・立命館大学衣笠キャンパス前と駅名に寺院の名前が続く。沿線には京都観光で有名な寺院が多数あり、1日・2日使ってこのエリアだけを巡る旅も面白いだろう。

西大路通とぶつかる北野白梅町が北野線の終点。交差点の手前で線路が途切れる形となっている。駅の南にはイズミヤがあり、交差点の向かい側には信用金庫両側にある。北野白梅町駅と対面し、西大路通と直角に交わる通りは京都市街を東西に走る府道101号線。まっすぐ進むと、今出川、出町柳を経由して東山慈照寺(銀閣寺)へたどり着く。沿線に北野天満宮、京都御所、同志社大、京大などを有する大きな通りである。北野白梅町は西大路通とこの通りが混じわる京都市街の西側の交通の要衝となっている。
乗車記録20
京都市営バス 203系統 錦林車庫前行
北野白梅町→西ノ京円町

京福電鉄を乗りつぶして、北野白梅町からは京都市営バス203系統に乗車。西ノ京円町で下車し、JR山陰線の円町駅へと向かった。
西大路通は無限にバスがやって来る。京都を制する者は路線バスを制すると言っても過言ではないくらい、京都はバスに支えられている街である。この区間のバスに乗るのは、中学校の修学旅行の自由行動以来だった。自由行動ではあるものの、金閣寺と清水寺には必ず行って、現地で待っている先生に会ってチェックを受けるという縛りがあった。しかし、中学生の身として、正直寺社仏閣よりも街ブラの方が魅力的だったので、同じグループのメンバーとは、金閣、銀閣、清水寺を最速でまわり、その後は京都駅近辺で街をブラブラしようと話していた。このころから交通機関を使った旅の計画には慣れていたので、路線バスを駆使して、スタート地点から最速で金閣寺へアクセス。結果、タクシーで金閣寺へ向かった先生より早く到達したのはちょっとした自分の武勇伝。円町はスタート地点から金閣寺へ向かうときにバスを乗り換えた場所だった。旅に出て、初めて行く場所に感動することも一つの楽しみだが、過去の旅と交錯するときもまた楽しい。今となってみれば、もう少ししっかり金閣や銀閣を見ておけばよかったと思うが、また京都へ赴くための宿題だと思っている。
乗車記録21
山陰本線 普通 亀岡行
円町→嵯峨嵐山 221系

円町からは普通列車の亀岡行に乗車して嵯峨嵐山駅で下車した。JR版の嵐山の玄関口となる嵯峨嵐山駅。もともとは嵯峨駅という名前だったものを1994年に改称し、現在の駅名となった。阪急は嵐山駅だけで嵯峨駅はなく、JRは嵯峨と嵐山が同じ駅。他方、京福は嵐山と嵯峨が別の駅である。これはどういうことなのかと思い調べてみた。そもそも嵐山は桂川より南のエリアの地名らしい。一方の嵯峨はJR嵯峨嵐山駅がある桂川より北側のエリアの地名でなんだそう。すなわち、桂川の北側は本来は嵐山ではないらしい。嵐山を名乗る3駅のうち、嵐山が住所に入る場所にあるのは阪急の駅だけ。JRと京福の駅があるところは住所的には嵐山ではない。観光地としての嵐山は渡月橋を挟んだ両側のエリアを指しているが、住所的には南側だけだったとは初めて知った。
観光路線として名高い嵯峨野観光鉄道のトロッコ列車に乗車

海外からの観光客でにぎやかな嵯峨嵐山駅周辺。ここから乗車するのは観光路線として全国的に有名な嵯峨野観光鉄道、通称嵯峨野トロッコである。もともと嵯峨嵐山駅から先の山陰本線は、保津峡に沿って走る非電化の峡谷路線だった。1989年に馬堀駅までの間にトンネルと鉄橋で短絡する新線が開業し、旧線は御役御免となった。しかし、保津峡を楽しめる風光明媚な車窓を活用するトロッコ列車の運行が計画され、1991年に嵯峨野観光鉄道嵯峨野観光線として運行をスタートした。運行を行うのは嵯峨野観光鉄道で同路線の第二種鉄道事業者だが、JR西日本が第一種鉄道事業者となっている。これから乗車する区間は山陰本線の増線となっている区間。山陰本線は嵯峨嵐山~馬堀間は複線と単線の線路3本が並んでおり、そのうちの単線の線路を嵯峨野観光鉄道が嵯峨野観光鉄道線として列車を走らせている。
この路線は座席がボックスシートなので一人旅ではなかなか乗りづらく、正直今まで京都の乗り鉄旅を後回しにしてきた原因は、この路線に乗るのをためらっていたからだった。国内ツアーでも海外からの観光客からも人気の高い路線で、なかなか乗るのに勇気が出なかったのだが、国内旅行としてはオフシーズンのこの梅雨の時期に乗ってみることにした。

発車の10分前になると改札が開始され、列車に乗車することができた。嵯峨野トロッコの指定券は、JR西日本のインターネット予約サービスe5489で取り扱っており、1ヵ月前から購入が可能となっている。以前はJR西日本管内のみどりの窓口で発売をされていたが、2020年に窓口発売を縮小。大阪、京都、三ノ宮などの京阪神の主要駅など特定の駅での発売に変更されている。e5489では座席指定ができない欠点があり、今回は1か月前に神戸に赴いていたので、三ノ宮駅で購入。発売のある駅であれば、みどりの窓口だけでなく、オペレーター通話型のみどりの券売機(みどりの券売機プラス)でも取り扱っている。写真はJRのホームから撮影した嵯峨野トロッコの車両。JRのホーム側からの方がきれいに撮れる。

機関車1両とトロッコ5両で構成され、機関車の次に連結される車両は素通しの車両になっている。この車両は「リッチ号」と呼ばれており、指定券発売上は嵯峨野リッチとして別枠で発売されている。トロッコ車両は全てもともと貨車だった車両の足回りを流用して作られており、車内は木製のボックスシートが並んでいる。終点のトロッコ亀岡はただの棒線駅で、機関車を前後に付け替えることができないので、1号車は制御車となっており、トロッコ亀岡行の列車はは1号車の運転席から機関車を制御する。
乗車記録22
嵯峨野観光鉄道 嵯峨野観光線
嵯峨野3号 トロッコ亀岡行
トロッコ嵯峨→トロッコ亀岡

トロッコ嵯峨駅を発車した列車は、すぐに山陰本線の線路と合流し、次のトロッコ嵐山駅の直前まで山陰本線の線路を走っていく。山陰本線と嵯峨野観光線は、嵐山でも有名な観光スポットの竹林を横切る。この竹林の中を通る道が山陰本線を跨ぐ野々宮踏切は、芸能人が線路上で写真を撮って書類送検されて話題になった。一見普通の踏切のように見えて、実はこの踏切、結構レアな光景が見れる踏切である。乗車中のトロッコ亀岡方面の列車は、違和感なく山陰本線の下り線を走ってトロッコ嵐山駅へと向かう。一方、トロッコ嵯峨へ向かう列車も、実は山陰本線の下り線を使う。トロッコ嵯峨行の列車は山陰本線を逆走しているように見える。時と場合によっては、山陰本線の京都行の列車と、トロッコ嵯峨行の列車が並走することもあるらしい。
下り線の線路を逆走しているように見えるものの、これは逆走ではなく、当然衝突する危険もない。例えるなら、複線の本線から単線の支線が分岐している駅で、支線から来た列車が転線するため、一時的に複線の反対方向の列車が走る線路を走るのと同じである。実は逆走しているように見える区間は、全てが嵯峨嵐山駅の構内となっている。設備的に駅構内とは、場内信号から場内信号までのことを指す。嵯峨野観光線の場合もトロッコ嵐山駅のトロッコ嵯峨駅方に嵯峨嵐山駅の場内信号機が設置されており、トロッコ嵐山から一歩踏み出すと、そこはもう嵯峨嵐山駅の駅構内という扱いになっている。トロッコ嵯峨駅と嵯峨嵐山駅は営業上は別の駅だが、設備上は同じ駅。トロッコ嵯峨駅は、設備的には嵯峨嵐山駅5番線として扱われている。

信号ネタが好きなので、話が長くなってしまったが、話をトロッコ列車の話に戻す。トロッコ嵯峨に続いてトロッコ嵐山からも多くの乗車があった。自分の座ってボックスシートは自分だけだったが、車内は8割ほどの座席が埋まっていた。インバウンドの乗客が7割を占める嵯峨野トロッコ。感染症禍を乗り越えて、再び賑わいが戻りつつある。トロッコ嵐山駅はホームのトロッコ亀岡側がトンネルとなっており、1号車と2号車はトンネルの中に止まる。次第に数を減らしているドアカットが見れる貴重な駅でもある。トンネルを抜けると、まずは車窓の左側に保津川が見える。しかし、その先ですぐに鉄橋を渡り、以後はずっと保津川が右側に見える。座席を指定するときはトロッコ亀岡行なら右側、トロッコ嵯峨行なら左側がいい。

鉄橋を渡ると途中駅のトロッコ保津峡駅に停車する。山陰本線時代も保津峡駅として営業されていた駅で、新線付け替え後は、南側の橋の上に引越している。周辺には建物もほとんどなく、乗り降りする人も少ない。その後も時々トンネルを挟みながら川を車窓に走っていく。時々頭上を立派な新線の高架橋が通過する。新線はまっすぐに線路が敷かれており、どれだけ川とトロッコの線路が蛇行しているのかよくわかる。保津川は川下りができる場所としても有名。トロッコから川下りの船が見えることもある。しかし、旅行時は、今年3月に転覆事故が発生した影響で運休となっていた。なお、再発防止策をとった上で、7月17日から運航を再開している。嵐山からトロッコ列車と川下りで保津峡を満喫するのも楽しいだろう。梅雨の旅だったので、まったく景色が期待していなかったが、夏の青空に恵まれ、美しく輝く保津峡の景色を楽しむことができた。

トロッコ嵯峨から25分ほどで終点のトロッコ亀岡駅に到着。嵯峨野トロッコの旅が終わった。保津峡の景色は美しく、トロッコ列車という乗り物も面白かったので、乗車自体は楽しかった。また、何より京都の観光名所の一つなので、京都観光を満喫するのを目的に乗車するにはいい。しかし、ちょっとせわしないのが欠点。のんびりと川の車窓を楽しみたいなら、高山本線とか錦川鉄道線とか現在運休中の肥薩線の方がいいかもしれない。
トロッコ亀岡駅は旧線と新線が合流する地点に駅が設けされていて、こちら側では双方の線路は接続されいない。本来であれば、そのまま折り返してトロッコ嵯峨へ戻る乗客も多いが、この日の帰りの便は団体予約で満席。修学旅行の団体客が駅で待っており、駅構内は足の踏み場もないほどに混雑していた。トロッコ嵯峨駅は嵯峨嵐山駅に隣接しているが、トロッコ亀岡駅は最寄りのJRの駅から少し距離がある。駅名に騙されてはいけない。最寄り駅は亀岡駅ではなく、馬堀駅である。
乗車記録23
山陰本線 普通 京都行
馬堀→二条 223系

トロッコ亀岡駅から徒歩で馬堀駅へ行き、そこからは山陰本線の普通列車で京都市街の二条へ向かった。直前に20分以上かけて走ってきた区間をトンネルと鉄橋でわずか8分で嵯峨嵐山駅へ帰る新線の走りには圧倒される。今度来た時は途中の保津峡駅でも降りてみたい。乗車したのは今年3月に阪和線から移籍し、山陰線での運行を開始した223系2500番台。阪和線カラーの車両に乗るのも久しぶりだが、まさか嵯峨野線で久しぶりの乗車を果たすなんて予想してなかった。嵯峨野線は最近、混雑の激化が話題となっている。京都市街を走る鉄道路線ながら運行本数は特急を除いて1時間あたり4本。うち1本は快速なので、快速通過駅では20分に一本になる。運行本数が少ない上に4両編成で運転される列車が多く、京都駅構内で単線になるボルトネックも存在。増結などで対応するも増発は難しく、現在も根本的な解決には至っていない。乗車した普通列車も日中の電車にしては混んでいて、特に京都駅で改札に近い先頭車の混雑が激しいように見えた。
嵐山エリアをメインに巡った2日目の午前中の旅もここで一区切り。2日目後半は京都府と滋賀県の全線乗車を果たすべく、霊山比叡山へと向かった。
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