【旅行記】夏の和歌山・奈良乗り鉄旅~和歌山電鐵で貴志川へ~

前話
 
 南海和歌山市駅から路線バスに乗車して到着したJR和歌山駅。和歌山市駅と対照的に7年前と変わらぬ風貌に懐かしさを感じる。今日は駅前のホテルに宿泊する予定なので、ここが1日目のゴールだが、時刻はまだ正午過ぎ。引き続き乗り鉄の旅を続けていく。

たま電車で有名な和歌山鐡道貴志川線に乗車する

 JRのマークしか掲出されていない和歌山駅。和歌山市駅がJRが乗り入れているにも関わらず南海のマークだけだったように、この駅にもJR以外の鉄道会社が乗り入れている。ここから乗車するのは、和歌山電鐵貴志川線。たま電車が全国的に有名な鉄道会社に初めて乗車する。
 
 和歌山電鐵貴志川線の和歌山駅は、JRの改札を通り、地下通路を歩いた先にある。この路線の窓口や改札へ行くには、一度JRの改札の中へ入らなければならない。和歌山電鐵の窓口で1日乗車券を購入する予定だったので、JR西日本の改札では、有人改札で和歌山電鐵の窓口で一日乗車券で買う旨を駅員に伝えればいい。なお、普通乗車券を購入して乗車する場合は、JR西日本の券売機で売ってあるので、ここできっぷを買って改札を通る。アルピコ交通上高地線の松本駅や関東鉄道の下館駅など、全国を旅しているとこんな形態の駅にちょこちょこ出会う。
 和歌山電鐵のホームは9番線の扱い。ホームへ上がる階段へたどり着くと、さっそく和歌山電鐵のシンボルともいえる「たま」の出迎えを受ける。「たま」は和歌山電鐵においては、窮地を救った神的な存在。2015年に病気で亡くなってしまったが、それ以降も沿線そして訪れる観光客に愛され続けている。
 
 階段を上がると、和歌山電鐵の窓口があり、JRとの乗り換え客用にICカードの入出場機が置かれている。ここで一日乗車券を購入してホームへと入った。和歌山線・紀勢本線(和歌山市-和歌山間)の列車が使うホームの裏にある和歌山電鉄のホーム。7年前に来た時は、この存在に全く気付いていなかった。
 
 ホームに停車していたのは、「おかでん チャギントン電車」。おかでんとは岡山県で路面電車を運行する岡山電気軌道のこと。岡山電気軌道ではアニメ・チャギントンの路面電車を走らせていて、この電車はその運行開始に合わせて、ラッピングされた電車である。岡山と和歌山の鉄道会社にどんな繋がりがあるのかと思うかもしれないが、実は密接な関わりがある。
 車両の形を見ても分かる通り、この和歌山電鐵貴志川線は、もともと南海電鉄の路線だった。しかし、乗客の減少が続き、2003年に廃止を検討していることが表明された。沿線ではなんとか貴志川線を存続させようと活発な運動が行われ、沿線自治体も存続へ向けて動き出す。線路などの設備を自治体が買い取り、運行する会社を公募で決定することにした。一般的にこのような場合、第三セクター会社を自治体が経ちあげて運行する場合が多いが、和歌山電鐵は公募で決めたという点が当時としては画期的だった。いくつかの会社が公募に参加したが、運行会社として選ばれたのは、岡山電気軌道だった。その後、岡山電気軌道の完全子会社という形で和歌山電鐵が発足し、2006年に南海から和歌山電鐵へ運行が引き継がれている。このチャギントン電車は、和歌山電鉄が岡山電気軌道、また両備グループの一員であることを示すそんな電車である。
 
乗車記録10
和歌山電鐵貴志川線 普通 貴志行
和歌山→貴志 2270系
 
 和歌山駅を出た列車はすぐに紀勢本線の線路と別れて、和歌山市の東側に広がる住宅街の中を走っていく。休日の日中ながら、車内の乗客も多く、沿線住民や部活帰りの高校生、さらには「たま」目当ての観光客などいろんな目的で電車に乗っている人の姿があった。驚いたのが、訪日観光客の姿も多く見られたこと。海外でも「たま電車」の存在は有名なのか、観光客として乗っている人の半数以上は訪日観光客だった。ただ、乗った電車は「たま電車」ではなかったので、途中で行違う電車に乗り換える人もいた。次第に景色はのどかな風景へと移り変わり、和歌山電鐵の車庫がある伊太祈曽駅を経由。和歌山駅から30分ほどで終点の貴志駅へと到着した。
 

貴志駅とその周辺を見てまわる

 貴志駅で駅長を務めていた「たま」。駅舎は猫をモチーフにした造りで、とても可愛い。この駅やたま電車、さらに「たま」のイラストをデザインしたのは、鉄道車両のデザイナーとして有名な水戸岡鋭治氏。岡山県出身で、岡山電気軌道の低床路面電車「MOMO」のデザインを手がけており、JR九州の車両デザインで有名だが、両備グループや岡山電気軌道との関係も同じくらい密接である。「たま電車」は同氏デザインの代表作の一つ。和歌山電鐵の再建やたま電車については、両備グループのCEOであり、和歌山電鐵の社長である小嶋光信氏の書籍や、水戸岡氏のデザインに関する本に多くの記載がある。自分も公共交通に興味があり、両者の本を何冊か読んだことがあるので、乗ったことはなかったが、この路線のことはある程度知っていた。両者の書籍でなくても、和歌山電鐵は国内の公共交通再興について書かれた本ではほぼ確実に登場する。
 この猫、九州から来た身としては、どこかであったことがあるような目をしている。多分それはJR九州の車両で犬の「くろちゃん」を見かけるからだと思う。観光列車「あそぼーい!」のほか、筑肥線や福岡市地下鉄を走る305系でよく見かける。「たま」も「くろ」も丸い目がかわいらしい。
 
 駅舎では現駅長がお仕事中。その名も「ウルトラ駅長 二タマ」。タマに似た三毛猫だから二タマと名付けられたそう。辞令も交付されていて、しっかりとその職責を全うしていた。駅の窓口などはない無人駅だが、猫の駅長が常に乗客への気配りを忘れず、不正乗車を許さないと言わんばかりの睨みをきかせている。駅舎にはカフェとグッズショップが入っている。それぞれとても賑わっていて、いかに「タマ」がこの鉄道や駅に大きく貢献したかがよく分かる。
 
 現在「たま」はたま大明神という形で、駅のホームで列車の運行を見守っている。「たま」が亡くなった際には、貴志駅で小嶋社長や和歌山県知事も参列の上で社葬が執り行われた。県知事が参列するくらいだから、いかに「たま」はとても大事な存在だったかがよく分かる。「たま」の死去と社葬の様子は全国だけでなく、海外でも報じられたらしい。また親会社の岡山電気軌道では追悼列車を運行し、グループ全体で追悼が行われた。社内や沿線に留まらず、全国そして世界から愛された「たま」。地方鉄道を救い、日本の公共交通の新しい形と持続可能性を示してくれた猫だったのではないか。
 
 さて、駅舎を見て回った後も少し時間があったので、貴志駅周辺の街を見に行ってみることにした。貴志駅があるのは和歌山県紀の川市。和歌山市の隣に位置し、紀ノ川の流域のいくつかの町が合併して誕生した自治体である。貴志川は紀ノ川へ流れ込む最大の支流で、高野山の西側から海南市、紀の川市などを経て、紀ノ川へと注ぐ。ふつう鉄道路線名に川の名前がつくときは、その川に沿って走る場合が多い。一方貴志川線は全く並走しておらず、貴志川を鉄橋で渡ることもない。この路線の貴志川とは、貴志駅周辺の旧貴志川町のことを指す。ヤバいTシャツ屋さんの「喜志駅周辺何にもない」として知られる喜志駅は、大阪府富田林市にある近鉄長野線の駅。ここではない。
 駅は高台の上にあり、駅から続く下り坂を降りていけば、貴志川が流れている。
 
 駅から5分ほど歩いた新諸井橋という橋の上から貴志川を眺める。のどかな風景と夏空。自分も川に飛び込んでしまいたくなるような日差しが照り付ける。観光地もいいのだけど、自分はこういうその土地土地の素朴な景色が好き。こういう景色に出会えるのも鉄道旅の一つのよさだと思う。
 左奥に見えるのは和泉山地。川は南北に流れ、この先で東西に流れる紀ノ川へと注ぐ。和泉山地に並行して和歌山線も走っており、この道を画面の手前の方へ10分も車で走れば和歌山線の船戸駅がある。紀の川市と岩出市が共同運行するコミュニティバスで和歌山線の駅へと抜けることもできるらしい。
 

たま電車ミュージアム号で和歌山駅へ戻る

 しばらく橋の上からの貴志川の景色を眺めて、再び駅へと戻る。日陰のベンチで列車を待っていると、遠くから踏切の音が聞こえてきて、やがてガタンゴトンの音とともに列車が姿を現した。
 帰りの電車は「たま電車ミュージアム号」。2021年12月にデビューした新しいたま電車で、黒い車体が特徴的な車両である。往路では言及していなかったが、和歌山電鉄で活躍している車両は南海2270系を譲り受けたもの。この日の朝に多奈川線で乗車した車両と同じ元22000系グループの車両である。もともと和歌山電鐵では、「たま電車」、「いちご電車」、「おもちゃ電車」の3つの電車が走っていた。この「たま電車ミュージアム号」は現在の貴志駅のウルトラ駅長二タマがウルトラ駅長に昇格したことをきっかけにデビューした車両で、「おもちゃ電車」を再改造した車両となっている。
 
 車内はまさに観光列車。車両のデザインを手がけたのはもちろん水戸岡氏である。ミュージアム号というだけあって、美術館のような車内になっている。いろんな形の座席が用意されているのが特徴的でどこに座ろうか迷ってしまう。車内はタマや二タマが所せましと描かれていて、どれも写真を撮りたくなる。個人的には月の上に座っているたま駅長が好きだった。
 
乗車記録11
和歌山電鐵貴志川線 普通 和歌山行
貴志→和歌山 2270系「たま電車ミュージアム」
 
 貴志駅を出発して和歌山駅へと戻る。行きは車窓を楽しんだので、帰りはどちらかといえば車内の雰囲気を楽しみながら帰った。帰りの列車も観光客と地元の利用客それぞれ多くの利用があった。この路線には途中に交通センターという駅がある。いったい何があるのだろうかと思ったら、他で言うところの免許試験場らしい。駅の隣には交通公園もあった。行きの電車でこの駅で降りる人が多くて何事だろうかと思ったが、どうやら免許の更新に訪れた人たちだったらしい。交通センターと聞くと九州民は熊本市にあったバスターミナルを思い出してしまう。
 終点の和歌山駅に到着。改札で一日乗車券を提示して、精算済証を貰い、それをJRの改札機へと投入して改札の外へ出る。日本一豊かなローカル線を目指す和歌山鐡道。なんだか心がほっこりするそんな路線で、「たま」駅長の偉大さを実感した乗車だった。
 さて、和歌山での乗り鉄の旅はまだまだ続く。ここからは和歌山の市街地を離れて南下。日本一短いローカル私鉄、紀州鉄道が走る御坊市を目指した。
 
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