【旅行記】夏の和歌山・奈良乗り鉄旅~紀州鉄道走る御坊を訪問~

前話
 
 和歌山電鐵に乗車して、再び和歌山駅へと戻ってきた。これで和歌山市とその近郊を走る路線は翌日に乗車予定の和歌山線以外は全て乗り終えることができた。ここからは一度和歌山市街を離れて、南下する。目指すのは日本一短いローカル私鉄として知られる紀州鉄道線。和歌山駅から紀勢本線(きのくに線)を南下した御坊駅を発着する鉄道路線で、今回の旅で訪れた路線の中でも、長い間乗ってみたいと思いつつも行けずにいた路線だった。
 

和歌山駅を発着する列車を眺める

 和歌山駅からは普通列車でも1時間ほどで行ける御坊駅。ホームへ行くと、御坊行きの普通列車が停車していた。この列車に乗車すれば一番早く御坊へ行けるのだが、帰りも普通列車に乗車するので、往路は後発の特急に乗車してみる。ホームに停車中の普通列車は、特急列車よりも15分ほど早く和歌山駅を発車し、終点の御坊まで逃げ切る。特急は普通列車が御坊に到着した直後に御坊駅に到着する。特急列車の発車時刻までまだ30分近くあったので、和歌山駅を発着する列車を見ていくことにした。
 
 2番のりばに停車中だったのは紀州路快速京橋行。紀州路快速は阪和線一般列車の顔ともいえる種別で、和歌山発着の快速列車のうち、阪和線と大阪環状線の双方で快速運転を行う列車である。日根野以南では各駅に停車するものと和泉砂川、紀伊、六十谷以外の駅を通過するものの2種類があり、阪和線全体で快速運転を行う列車は少ない。単独で運転される列車もわずかにあるが、ほとんどの列車は日根野-大阪環状線内で関西空港発着の関空快速と併結。大阪環状線では「関空・紀州路快速」のフレーズがよく聞こえてくる。日中も1時間あたり4本が運転されているが、和歌山から大阪方面に向かう人は特急を利用する人が多く、和歌山の時点では十分空いている。個人的な話、この列車にはまだ全区間での乗車は出来ていない。
 
 一方4番線に停車中なのは乗車する特急列車の前を走る普通列車御坊行。紀勢本線の和歌山~新宮間はきのくに線の愛称が付けられていて、案内上も基本的にきのくに線と呼ばれている。きのくに線のうち、和歌山~御坊間は阪和線でも使用される223系や225系が主体として使用されている。これらの車両が御坊より南側へ向かうのは朝夕のみで、御坊以南は基本的に227系1000番台が走っている。ただ、和歌山~御坊間であっても車両の送り込みで一部列車は227系が使用されていて、確実に転換クロスの車両がやってくるわけではない。現在は数少なくなったが、阪和線や大阪環状線からきのくに線への直通列車も早朝・夜間に運転されている。
 
 隣には後続の普通湯浅行が停車中。きのくに線は南へ行くほど本数が少なくなり、和歌山~御坊間でも、海南、箕島、湯浅などで折り返す区間列車が設定されている。日中は主に御坊発着と箕島発着の列車が交互に運転され、和歌山~箕島間では1時間あたり2本の普通列車が運転されているが、日中時間帯の終盤にはもう少し先へと進んだ湯浅発着の列車が運転されている。きのくに線の御坊や湯浅、紀伊田辺などの駅名で思い出されるのは、昔新大阪発着で運転されていたB快速。結局一度も乗車する機会はなかったが、乗りたかった列車の一つだった。
 

特急くろしおに乗車して御坊へ向かう

 少しだけ和歌山駅を発着する列車を眺めて、南下を開始する。和歌山から乗車したのは、特急くろしお15号白浜行。289系による6両編成での運転だった。特急くろしおは7年前に初めて和歌山県を訪れた旅で、新宮から新大阪までの列車に乗車している。その時は新型車両287系での運転だった。特急くろしおに初めて乗車したのは2012年。梅田貨物線を通ってみたくて、天王寺~新大阪間で183系で運転されていた特急くろしおに乗ったのを覚えている。通算3回目の乗車はきのくに線内での乗車。まだ283系(オーシャンアロー)には乗れていない。289系は北陸新幹線の開業により余剰となった683系を交流化改造し、北近畿方面と和歌山方面にそれぞれ投入した車両である。289系自体への乗車は2度目。初めて乗車したのは福知山線を走る特急こうのとりだった。
 
乗車記録12
紀勢本線 特急くろしお15号白浜行
和歌山→御坊 289系
 
 和歌山を出た列車は、御坊までの間に海南、箕島、藤並、湯浅に停車する。和歌山駅からしばらく進むと、山の斜面に紀三井寺が見える。この紀三井寺は数年前にケーブルカーが完成。乗りつぶしをしている身からすれば、これが鉄道事業としてのケーブルカーなのか、それとも斜行ケーブルカーなのかという扱いが問題となっていた。和歌山を訪れていなかったのも、一つにはこのケーブルカーの運行形態が分からなかったからというのも理由の一つだった。結局このケーブルカーは鉄道事業には当たらないものであることが判明し、乗りつぶしの対象ではなくなった。もちろん紀三井寺は観光として訪れたい場所。次に和歌山市街に来るときは、路線は全て乗り終えているので、純粋な観光旅行を楽しんでみたい。
 海南あたりからは次第に太平洋が車窓に見え始める。ただ晴れた日の午後の下り列車海側席は直射日光を受けるので、正直眩しくて景色など見ていられないのが残念。その後箕島駅へと到着した列車は、ここからしばらく有田川に沿って走る。言わずと知れたみかんの産地で、山の斜面は麓から頂上に近いところまでみかん畑が広がっている。藤並駅が近づくと、列車は有田川を渡る。紀伊山地には少し発達した積乱雲が広がっていて、有田川に架かる形で虹が出ていた。虹が見える方角には2002年まで有田鉄道という鉄道が走っていた。虹はここにも鉄道路線があったことを知らせているかのようだった。藤並駅の次は湯浅駅。漢字が違うが阪神タイガースを連想させるような駅名が続く。そこからさらに山を一つ、二つと越える。やがて車窓が開けると、まもなく御坊へ到着した。
 
 和歌山駅から40分ほどで御坊駅に到着。隣のホームには、先ほど和歌山駅で撮影した223系が停車していた。御坊市は紀伊山地から流れ出る日高川の河口部に形成された街で、人口は2万人ほどだが、このあたりの中心都市としての役割を持っている。御坊という地名は浄土真宗本願寺派の日高別院を地元の人が御坊と呼んだことに由来するらしい。ここ御坊駅はきのくに線のターミナル駅の一つで、日中の普通列車はこの駅で系統が区切れ、和歌山から紀伊田辺方面へはこの駅で乗り換える必要がある。和歌山方面の列車が紀伊田辺方面の列車に比べると若干多いが、ここで極端に運転本数が減るというわけではない。ここから紀伊田辺方面は227系が主として活躍していて、ロングシートとなる確率は高まる。
 

"日本一短いローカル私鉄"紀州鉄道の旅

 御坊駅からは待望の紀州鉄道に乗車していく。紀州鉄道は東京都中央区に本社を置く企業で、主にホテルやリゾート施設経営を手掛ける会社である。その会社のルーツとなっているのが、御坊市を走るこの路線。もともとは御坊臨海鉄道が開業させた路線で、福島県で鉄道事業を営んでいた磐梯急行電鉄の経営陣が設立した不動産会社が、御坊臨海鉄道を買収した経緯がある。買収後にこの不動産会社が名前を変更したのが紀州鉄道。鉄道事業を営んでいるというのは、不動産やホテル経営においては信頼や信用を高めることに繋がる。紀州鉄道がこの地で現在も鉄道事業を営むのは、一種の広告の意味があるらしい。千葉県の芝山鉄道が開業するまでは、この路線が日本で一番短い私鉄路線だった。ただ、芝山鉄道は京成電鉄との直通運転を行っていることから、紀州鉄道は「日本で一番短いローカル私鉄」を名乗っている。鉄道事業を営む会社側の意図があったとしても、JRの駅と市街地が少し離れているこの地域の足として重宝されているのが、この紀州鉄道線である。
 和歌山駅における和歌山電鐵と同じように、紀州鉄道の御坊駅もJRの改札の中にある。紀勢本線のホームの隣にある0番線が紀州鉄道ののりば。電柱に紀州鉄道のりばとの表示があり、紀勢本線からの乗り換え客用のICカードの入出場機と時刻表が掲出されているだけで、列車が停車していないと他社線が発着するホームであることにすら気づかないかもしれない。紀勢本線からの乗り換えではなく、この駅から乗車するときは、JRの改札で紀州鉄道に乗車することを駅員に伝えて通してもらう。紀州鉄道は御坊駅には改札や窓口がなく、車内精算のみ対応。JRの券売機でもきっぷは発売されていない。
 
 しばらくすると紀州鉄道の車両が姿を現した。車両は「KR301」という車両。以前は信楽高原鉄道で活躍していた車両で、同じく信楽高原鐡道からやってきた「KR205」とともに2両で紀州鉄道の運行を支えている。この車両、以前は信楽高原鐡道で活躍していた頃の塗装で活躍していたが、何年か前にクリーム色と緑色の2色に塗りなおされている。この塗装の由来となっているのはかつて紀州鉄道で活躍していた「キハ603」という車両。九州は大分県の中津駅と守実温泉駅を結んでいた大分交通耶馬渓線で活躍していた車両で、紀州鉄道に来た後も大分交通の列車が纏っていたこの2色カラーのままで活躍していた。耶馬渓線は1975年に廃止され、現在は大交北部バスが耶馬渓エリアの路線バスを運行しているが、同社の路線バスもこの2色を纏う。それとこの紀州鉄道のカラーリングのルーツは同じ。なお、キハ603は現在も保存されていて、紀州鉄道の車窓に見ることができる。和歌山の地で少し前に旅した耶馬渓エリアの路線バスを思い出した。
 さっそく、この車両に乗車して、終点の西御坊へと向かった。
 
乗車記録13
紀州鉄道 普通 西御坊行
御坊→西御坊 KR301
 
 御坊駅を発車した列車はゆっくりとしたスピードで、少しだけ紀勢本線の線路と並んで走り、その後カーブを曲がって紀勢本線の線路と別れる。前述のとおり、JR御坊駅と御坊市街地は南北に2kmほど離れていて、この路線はJRの駅と御坊市街地をつなぐ役割を担っている。御坊駅と次の学門駅の間では少しだけ田園風景が広がる。道路沿いに広がる住宅街を遠くに見ながら、ゆっくりと進んでいく。駅名が珍しい学門駅。その名の通り駅の近くには和歌山県立日高高校と付属中学校があり、この日は休日で利用者はいなかったが、平日はこの学校へ通う通学路線にもなっている。日高高校前ではなく、学門と名付けたのがローカル鉄道らしいなと思う。この駅を境に市街地へと入り、すぐに紀伊御坊駅へ到着。この駅は紀州鉄道の鉄道事業の拠点となる駅で、車両基地を併設。また窓口の営業も行われている。先ほど述べたキハ603はこの駅の学門駅側に保存されている。窓口では硬券によるきっぷの発売もあり、JRとの連絡乗車券も発売されているらしい。
 その後も引き続き御坊市内を走り、市役所前を経由。列車は終点の西御坊駅へと到着した。全線乗っても運賃は180円。運賃箱に現金を投入して列車を下車した。
 
 紀州鉄道の終点、西御坊駅に到着。線路と隣の建物との間のわずかなスペースに駅舎がある。駅舎が駐輪場の役割も果たしていて、何台かの自転車が停めてあった。この時間は少し列車の間隔が空き、次の列車は40分後。駅とその周辺を少しだけ歩いて回った。紀州鉄道の運転士は基本的に始発から最終までを一人で乗務するらしい。これから夕方の時間へと走り、運行本数も増えるので、この時間はその直前の休憩時間を兼ねているのだと思う。
 
 駅舎の前は商店街が広がっている。この通りをまっすぐ歩いていくと、御坊の地名の由来となった浄土真宗本願寺派日高別院がある。この通りは別院の裏側から続いている道で松原通りという名前らしい。御坊駅はかなり内陸の方にあるのだが、西御坊駅は海岸まで0.7kmほどの場所に位置している。この道を写真と反対側に進んだ方向に海岸があり、駅からも奥には海岸近くの松原が見えていた。
 
 駅近くのコンビニに軽食を買いに行って交差点を渡ろうとしたとき、国道の表示に目が止まった。こんなところで浜松の文字を見るとは思わなかった。国道42号線は(和歌山側から書くと)和歌山市から紀伊半島をまわり、松坂を経由して鳥羽へ。鳥羽から海上区間で渥美半島の伊良湖へと渡り、半島の南側を通って浜名湖あたりで国道1号線と合流する国道である。和歌山と浜松をつなぐ国道。そんなものがあるとは知らなかった。以前鳥羽水族館に行ったことを思い出す。この国道はあの水族館の隣で海へ出る。
 
 実は紀州鉄道線の終点が西御坊駅となったのは、1989年の話。それまではこの駅から先にも少しだけ線路が延びていて、日高川に突き当たる場所にある日高川駅が終点だった。現在も西御坊駅から日高川方面に撤去されずに残ったままの線路を見ることができる。本当は折り返しの時間を使って、廃止された日高川駅の跡地まで行こうと思ったが、暑くてクタクタだったので断念。午前中に加太駅から加太の海岸まで速足で歩いたのが今になって響いた。
 
 駅舎の裏側から折り返しに備えて停車中の車両を撮影。乗務員の詰所となっている建物が、建築限界ギリギリまで迫り出している。この駅に到着したときは、こちら側のドアから下車するのだが、屋根が低すぎて頭をぶつけるかと思った。ガラガラというディーゼル音が響く駅。夕方になってもまだまだ暑く、すでに乗車できるようだったので、駅の自販機で飲み物を購入して、涼しい車内で折り返しの時刻を待ち、御坊へと戻った。
 
乗車記録14
紀州鉄道 普通 御坊行
西御坊→御坊 KR301
 

御坊から普通列車で和歌山へ

 先ほど御坊駅に来た時は、そのまま紀州鉄道へと乗り換えたので、今度は改札の外へと出てみた。和歌山駅での和歌山電鐵は下車改札時に精算済証が手渡され、それをJRの改札機へ投入すれば外へ出ることができたが、紀州鉄道の場合は精算済証すら渡されない。車内で運賃を支払えば、そのままJRの改札の前を通って出るだけだった。なお、JRにそのまま乗り換える乗客用に精算済証の用意はあり、車内放送で必要ならば申し出るように案内されていた。
 割と小さめな御坊駅舎。駅前は地方の特急停車駅らしく大きい建物もいくつかあるが、やはり市街地とは離れているので、人よりも送迎する車の出入りの方が多い。
 
 再びホームに入りなおすと、ちょうど紀伊田辺方面からの普通列車が到着した。227系1000番台の折り返し普通紀伊田辺行。この227系1000番台は、和歌山線・桜井線ときのくに線で活躍している列車で、きのくに線では和歌山市~新宮間のJR西日本区間の全線で運用を持つ。現在、和歌山市-和歌山と紀伊田辺-新宮間はこの列車のみで運用されいる。御坊から紀伊田辺間も朝夕は223系や225系が運用されているが、日中の列車は227系で運用され、日中の紀勢本線の普通列車はここで4両から2両へ短くなる。和歌山~御坊間においても、この車両で運用されている列車も多数あり、送り込みなどの運用だけでなく、箕島駅などで折り返す列車でも使用されている。なお、227系1000番台には3つの編成があり、この車両はSS編成。初めて和歌山線に投入された編成は霜取り用のパンタグラフを装備しているのに対し、このSS編成にはその装備がない。SS編成は主にきのくに線での運用を想定して投入されている。
 
 さて、御坊駅からは普通列車で和歌山駅へと戻る。乗車したのは、223系の普通和歌山行。阪和線や紀勢本線で活躍する223系は2500番台。この2500番台には少し前の京都旅行のときに山陰本線で乗車した。まさか山陰本線で阪和線カラーの223系に乗る日が来るとは今年のダイヤ改正まで思ってもみなかったが、今度はこの車両のもともとの活躍の場である和歌山で乗車していく。
 
乗車記録15
紀勢本線 普通 和歌山行
御坊→和歌山 223系2500番台
 
 特急列車の快調な走りも楽しいが、普通列車で一駅一駅噛みしめながら走っていくのも楽しい。よくよく考えたら紀勢本線の西日本区間で普通列車に乗車するのは、和歌山市~和歌山間を除いてこれが初めてだった。普通列車で和歌山市から亀山へ紀勢本線を走破する旅も何時間かかるかはわからないが楽しいだろう。日曜夕方の上り列車なので、利用客はそこまで多くなかったが、一駅一駅乗客が増えていった。時間が進むにつれて、次第に日が沈んでいく。この時間の普通列車の車窓は美しい一方、感傷的な気分にさせてくれる。和歌山市街へ入ったことにはすっかり日が沈んでいた。
 
 乗ってきた列車は折り返し普通紀伊田辺行となった。223系や225系の運用の南限は現在は紀伊田辺らしい。以前はさらに南下し周参見まで向かう列車もあったのだとか。紀伊田辺駅は大阪方面からの一般列車の直通列車がやって来る南限でもあり、上りに朝1本だけ大阪方面の快速列車の運転がある。御坊以南は227系での運転が多く、223系や225系での運転列車は少ない。
 1日目の行程はこれにて終了。この日は和歌山駅前のホテルに一泊し、翌日に備えた。
 
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