【旅行記】北東北の鉄道路線を巡る旅~ハチ公ふるさと大館を観光する~

前話
 
 羽田空港から航空機とバスを乗り継いで到着した大館駅。時刻は11時30分になろうとしていた。大館駅からは花輪線に乗車して盛岡駅を目指すが、次の列車は約2時間後の13時35分の発車。発車までかなり時間があるので、しばし大館駅周辺を散策していくことにした。

オープン間近(旅行当時)の大館駅新駅舎

 前回の記事の最後にはプレハブの大館駅仮駅舎を載せたが、その左側にはオープンの日が目前に迫った新大館駅舎が供用開始の時を待っていた。改札やみどりの窓口等の駅の設備とともに駅なか交流センターもあり、会議室やイベントスペースなど市民の交流の場としての活用も予定されている。駅舎の前にはロータリーの工事が進んでいた。駅舎の供用開始後に本格的に整備され、より一層交通結点としての機能が高まる予定になっている。なお、旅行後この記事を書いている間にプレハブ駅舎は役目を終え、10月29日、ついに新駅舎の供用が開始された。
 

廃止された小坂製錬小坂線の廃線跡と鉄道パークをみる

 現在はJR東日本が運行する奥羽本線と花輪線の2路線のみが走る大館市。JR東日本の大館駅の隣には、JR貨物の大館駅もあり、貨物コンテナが並んでいるのが見える。一方で以前の大館にはもう一つ大館駅があった。それが小坂線、花岡線の2つの路線が発着していた大館駅である。大館周辺のエリアはもともと鉱石の採掘がさかんに行われていた。その代表的なものが、大館の北側にある花岡鉱山と、東側にある小坂鉱山である。この2つの鉱山から算出された鉱石の輸送を目的に建設された路線が小坂線と花岡線だった。花岡線は同和鉱業が運行していた1985年に廃止。一方の小坂線は花岡線廃止後も運行が続けられ、1989年に同和鉱業から小坂製錬に運行元が変ったが、最終的に2009年に廃止されてしまった。どちらの路線も貨物輸送の傍らで旅客輸送も行っていた。花岡線は1985年の路線廃止をもって旅客運行を終了。一方の小坂線は貨物輸送終了よりも15年ほど早い1994年に旅客輸送を終了している。現在、秋田犬の里があるあたりには、かつてこれら2路線が発着するもう一つの大館駅が存在していた。
 
 花岡線はかなり早い時期に廃止された路線だったが、比較的最近に廃止された小坂線については、廃止後、観光資源としての活用が模索され、沿線各所に観光スポットが点在している。路線の終点だった小坂駅周辺には小坂鉄道レールパークが2014年にオープン。ブルートレインを活用した宿泊施設などがあり、このエリアの貴重な観光スポットとなっている。一方、大館側では、小坂線・花岡線の大館駅跡地は大館市の観光拠点「秋田犬の里」となった。その敷地内の一角には、かつての小坂線・花岡線の歴史を伝える鉄道パークが設置されている。敷地内を横断するように線路が敷かれ、土休日には手漕ぎトロッコでこの線路を行ったり来たりすることもできるらしい。線路脇には花岡線・小坂線の歴史を伝えるパネルが設置されていた。
 
 線路が残っているのはこのレールパーク部分だけではない。ここから小坂までの大半で線路が今も残っている。信号機などもそのまま残されていて、廃止されて15年ほどが経過しているとは思えないくらい今にも列車が通りそうな雰囲気が漂う。鉄道パークから道を挟んで小坂方面を見る。ここから正面に見える山を越えて列車が小坂まで走っていた。ちなみに線路と道路の間には少し空き地があるが、これが1985年に廃止された花岡線の線路跡である。花岡線の線路は少しだけ小坂線の線路と並走したあと、北へカーブしている。少し坂を上っているのが分かるが、カーブを曲がった先で奥羽本線の線路をオーバークロスする形となっていた。
 
 花岡線、小坂線の2路線は、建設当時の2路線は線路幅が国鉄在来線の狭軌幅と異なっていたが、後に改軌されて狭軌幅となり、奥羽本線と貨車のやりとりを直接できるようになった。小坂製錬に経営が移って以降の小坂線は、鉱石ではなく同社の工場で製造された濃硫酸の出荷に使用されており、奥羽本線や秋田臨海鉄道線を介して、出荷先まで運ばれていたらしい。現在、小坂へは廃線跡に並行して走る秋北バスの路線バスで移動できる。今回は行かないが、いずれは行ってみたい場所である。
 

東北の渋谷、秋田犬の里を観光

 大館は忠犬ハチ公のふるさととして知られる。ちょうど100年前の1923年に大館市の農家に生まれた1匹の秋田犬が当時東京帝国大学の教授だった上野英三郎博士に贈られた。ハチは博士に可愛がられ、博士を渋谷駅まで送り迎えするのが日課だった。しかし、博士はとある日、急逝してしまう。ハチは博士が亡くなったあとも、渋谷駅で博士の帰りを待ち続けた。それが新聞の記事で特集されたことで一躍有名となり、渋谷駅前に「ハチ」の銅像が建てられた。その後、戦時中の金属回収令によってなくなるものの、戦後に2代目の銅像が立てられ、今日まで渋谷の街を見守り続けている。
 さて、ここ大館の秋田犬の里の入口にも忠犬ハチ公像がある。大館にハチ公像が初めて建てられたのは、ハチが亡くなった1935年のこと。渋谷のハチ公像と同じく第二次世界大戦により一旦姿を消すが、その後1987年になって再建され、2019年の秋田犬の里オープンに合わせて、現在の位置に移設された。実はこちらも歴史が長い。
 秋田犬の里の建物は大正時代の渋谷駅をモチーフにしているそう。ネットで大正時代の渋谷駅を調べてみると、確かに三角屋根にアーチ形の窓、そして時計台のある建物がヒットする。ハチ公が毎日訪れていた駅舎そっくりな建物がここ大館に建っている。
 
 中には小規模ではあるが、ハチ公、そして秋田犬についての展示がなされている。秋田犬はもともと大館犬と呼ばれていたらしい。甲斐犬、紀州犬、柴犬、四国犬、北海道犬と並び、国の天然記念物に指定され、DNAがもっとも狼に近い犬種なんだとか。
 足が長く、ピンと立った耳が特徴的な秋田犬。その耳を折り曲げてなんとも言えない表情をする秋田犬はいつ見ても癒しを与えてくれる。YouTubeなんかで秋田犬の動画を見始めたら止まらなくなる。個人的にはくるんと巻いた尻尾が一番好きかもしれない。とはいえ、もともとは狩猟の場で活躍していた犬なので可愛らしい一方意外とパワフルな一面もある。
 
 秋田犬のぬいぐるみのタワー。名前を見ると「マサル」とある。「マサル」はロシアのフィギュアスケート選手、ザギトワ氏に贈られた秋田犬。平昌オリンピックの直前に日本を訪れた際に秋田犬に一目惚れし、その後秋田犬保存会からザギトワ氏に「マサル」が贈られた。その後2021年にはギザトワ氏もこの施設を訪れており、館内にはその時に撮影した写真も飾られていた。空港や駅でもよく見かける秋田犬のぬいぐるみ。可愛いのでいつも買おうかと思ってしまうが、物はあまり増やしたくないので自制している。
 
 展示の中には本物の秋田犬を見れるスペースもある。ちょうど一匹の秋田犬が休憩から帰ってきたところだった。秋田犬の里のホームページによると、秋田犬は飼い主にはとても忠実で、知らない人には塩対応とのこと。実際に見る秋田犬はその説明通りで、飼い主についていき、飼い主の指示には忠実だが、全然こっちには来てくれなかった。それでも実際に間近で見る秋田犬はとても可愛かった。
 
 秋田犬の里の中を見て、再び外へと出て来た。建物の隣にある広場にはいくつか遊具があるが、それも秋田犬仕様。あまりにも可愛いので写真に撮りたくなってしまう。はちくんは大館市の観光キャラクター。正直な話、本物のはちくんより遊具のはちくんの方が可愛いと思う。
 
 その隣には渋谷ではハチ公像と同じくおなじみだった青ガエル(東急5000系)が展示されている。この青ガエル、もともと渋谷にあったアレを移設して持ってきたもの。何年か前に渋谷で見たのを覚えているので、その時以来の再会となった。まさかこんなところで出会うとはびっくり。大正時代の駅舎を模した建物、ハチ公像、そして青ガエル。ここは東北の渋谷なのだ。スクランブル交差点もできれば100点ではないだろうか。
 

大館駅弁鶏めしを食す

 可愛い秋田犬に癒されたところで、お昼を過ぎたので昼食の時間にした。大館駅は駅弁鶏めしが有名である。駅の道向かいに駅弁を製造する花善というお店がある。食堂も併設されていて、お昼どきなので、食堂の方は行列ができていた。駅弁は食堂の隣の販売所で買うことができるのでスムーズに買うことができた。いろんなバリエーションがあったが、今回は定番の鶏めし(950円)を購入した。
 
 秋田犬の里の広場のベンチで食べようと思っていたが、生憎の雨で座るところもないので、駅構内へと入って、待合室で駅弁を食べることにした。旅先で駅弁を食べるのもまた旅の一つの楽しみ。少々お値段がするので、毎食とはいかないが、やっぱり有名な駅弁は一度は食べておきたい。大館駅の鶏めしは北東北エリアでは有名な駅弁の一つとして知られている。
 
 弁当の中身はこんな感じ。鶏めしというだけあって、ごはんにしっかり味がついていておいしかった。お米はあきたこまちを使用しているらしい。駅弁のお米はパサついていることもあるが、この駅弁のお米はふんわりしていて、噛めば噛むほど鶏めしのうまみが口の中に広がる。秋田北部エリアは比内地鶏に代表される鶏の産地としても知られる。それだけに鶏めしはこの地の食のシンボル的な存在でもある。比内地鶏を使用した比内地鶏の鶏めしという駅弁も別に販売されている。
 
 さて、鶏めしを食べて満たされたところで、大館からはいよいよ北東北のローカル線の旅をスタートさせる。この日の宿泊地は岩手県の三陸エリアにある宮古駅前。ここからは花輪線で盛岡へ行き、盛岡からは翌日の山田線への乗車に備えて、106特急バスで宮古へ向かう。生憎の天気ではあるものの、初の北東北のJRローカル線の旅を楽しんでいく。
 
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