【旅行記】北東北の鉄道路線を巡る旅~花輪線と106特急バスで大館から宮古へ~
前旅
大館駅前にて秋田犬の里を観光後は、旅の移動を再開した。この日の宿泊地は、岩手県の三陸エリアにある宮古市。大館から列車とバスを乗り継いでいく。
雨降る花輪線を走破する
大館から乗車するのは花輪線である。花輪線は岩手県のIGRいわて銀河鉄道(旧東北本線)好摩駅から岩手県八幡平市、秋田県鹿角市などを経由し、奥羽本線と接続する大館駅までを結んでいる。好摩側では全ての列車がIGRいわて銀河鉄道線へと乗り入れており、全列車がIGRいわて銀河鉄道線を介して盛岡へ直通している。大館駅から盛岡駅まで運転される列車は1日5本のみ。大館駅からは途中の鹿角花輪駅発着の列車も運転されており、岩手県側より秋田県側の方が若干運転本数が多くなっている。なお、盛岡側では東北本線に直通する列車も存在しており、JR-IGR-JRと走る列車も存在する。
この花輪線だが、昨年8月の大雨被害を受け、今年5月まで大館~鹿角花輪間が約9か月にわたり運転を見合わせていた。今年5月に復旧工事が完了し、ようやく全線での運転が再開された。昨年秋に奥羽本線を走る特急つがるで大館駅を通った際には、車内放送で代行バスの乗り換えが案内されていて、この駅に気動車の姿はなかった。

乗車したのはキハ110系100番台2両編成の普通列車盛岡行き。これまでも八高線や小海線などで乗車しているキハ110系だが、昨年石巻線で久しぶりに乗車した。これから東北地方のローカル線に多く乗車していくつもりなので、この車両にお世話になる機会も増えることが予想される。JR西日本のローカル線巡りでは、キハ120形にたくさん乗ることになるが、その東日本版と言えるのがこの車両である。キハ110系は、キハ120形と同じくJR発足直後にデビューした形式。1990年代はローカル線で活躍していた国鉄型車両が各地で新型気動車に置き換えられていった。見た目に反して、かなり高性能な気動車で加速力は電車並みと言われている。後輩となるキハE120形、キハE130系や、ハイブリッド、電気式などの気動車も登場しているが、今も東日本のローカル線を支える一大形式となっている。

花輪線は起点が好摩駅で終点が大館駅となっている。終点の大館駅では3番線発着で、2・3番線のホームには花輪線終点駅を現わす看板が設置されていた。好摩までの距離は106.9km。さらに好摩から盛岡までは21.3kmあり、乗車する列車は合計128.2kmを所要時間2時間55分で走っていく。東北地方の距離感はまだしっかりと掴めていないので、九州で同じ距離を探してみた。長崎本線鳥栖-長崎が125.3kmなのでほぼ同じ距離である。西九州新幹線開業前にこの間を走破する普通列車に乗車したが、確かに所要時間は3時間で同じくらいだった。

大館駅は奥羽本線の秋田県最北のターミナル駅。奥羽本線はこの駅を出ると峠を越えて青森県の弘前へと走っていく。秋田側から走ってきた列車のうちの半分くらいはこの駅で折り返す。駅舎の反対側には留置線があり、奥羽本線と花輪線の車両がそれぞれ留置されていた。ちなみに花輪線と奥羽本線では管轄する支社が異なる。花輪線は盛岡支社、奥羽本線は秋田支社の管轄で、花輪線は盛岡支社としては飛び地路線になっている。
発車の数分前に奥羽本線秋田始発の普通列車と接続した。何人かが乗り換えたがそれでも車内は閑散としていた。花輪線はこれから東へ向かっていくのだが、大館駅から奥羽本線の鷹ノ巣方面と同じ向きで発車し、その後奥羽本線をオーバークロスして、進路を南へと変える。そのため大館から南へ走る路線なのに大館駅では一番北側のホームからの発着である。
乗車記録 No.3
花輪線 普通 盛岡行
大館→盛岡 キハ110系

大館駅を出た列車はすぐにカーブして奥羽本線の上を通り、米代川の支流である長木川の鉄橋を渡る。大館の市街地はこの長木川の南北両側に広がっており、次の東大館駅周辺もかなり栄えている。市役所や総合病院なども東大館駅側である長木川の南側にある。この駅からは何人か高校生の乗車があった。大館市街を出た列車は米代川を渡り、その後はこの米代川を進行方向の左側に見ながら走っていった。
途中の十和田南駅で進行方向を変え、鹿角花輪へ

列車は大館からおよそ45分で十和田南駅へと到着した。花輪線の面白いポイントの一つは、この駅で列車の進行方向が変わることである。大館方面、好摩方面どちらの列車も南側からこの駅に入線し、進行方向を変えて発車していく。西武池袋線の飯能駅にも似た構造になっている。この駅がこのような構造になっているのは、ここから北へ延びる線路の建設が想定されていたから。この駅から北へ行けば、前回の記事で取り上げた小坂製錬小坂線が山を越えて結んでいた小坂があり、花輪線もこの小坂への延伸が計画されていた。結局この計画は実現しなかったため、独特な配線になってしまったらしい。十和田南駅周辺は住宅も少ない。もう少し北へ進めば毛馬内という地区があり、そこにはある程度住宅が立ち並んでいるが、花輪線はその直前で折り返す。かつてこの駅は十和田湖方面への観光輸送で賑わったのだとか。駅には十和田湖方面へのバスが発着していたバスのりばが残っている。

列車は十和田南で進行方向を変え、逆向きに出発した。大館からおおよそ東へ走ってきたが、十和田南からしばらくは南下していく。十和田南駅から10分ほどで到着する鹿角花輪駅は鹿角市の中心駅であり、花輪線の由来となった花輪地区に駅がある。ここでは反対列車を待ち合わせるために5分停車。約3時間の長時間乗車となるので、こうした停車時間はちょっと外に出て体を動かすのがいい。この駅からは某ツアー会社の団体客が乗車してきた。この先にある湯瀬温泉までの短区間利用で、本来なら紅葉や渓谷を列車から眺めることが目的だろうが、この日は生憎の天気で窓も曇っていたので、残念そうだった。
湯瀬渓谷を眺めて山間を進み秋田県から岩手県へ

鹿角花輪駅を出た列車はやがて鹿角の盆地を出て、ここからは1時間ほどかけて東北地方の背骨となる山々を越えていく。大館からずっと並走してきた米代川も一気に渓谷の風景へと変わり、列車はエンジンを唸らせて坂道を上る。ところどころ紅葉も進んでいるところがあった。ネットで見かける花輪線の写真は、岩手山を見ながら田園風景を走る姿が印象的で、峠越えが険しい路線という印象はあまりなかったが、実際乗ってみると思った以上に山の中を突き進む路線だった。この山越え区間では並走する高速道路が時折見える。東京から青森へ続く東北自動車道で、盛岡から先は概ね花輪線に沿って進み、鹿角や小坂を通って弘前へと走っていく。おそらく東北自動車道の中でもかなりな山岳エリアになるのだと思う。列車は米代川を何度も渡りながら山の中を縫うように走っていった。
安比高原を経由して龍ヶ森越えを下る

湯瀬温泉~兄畑間で秋田県から岩手県へ県境を跨いだ列車は、一つ目の峠を越えて荒屋新町駅へと到着。岩手県八幡平市の安代という地区に駅があり、盛岡側からこの駅までの区間列車も設定されている。先ほど紹介した東北自動車道には安代JCTがあり、弘前・青森方面へ向かう東北自動車道と、八戸方面に向かう八戸自動車道がここで分かれる。青森県の東西へ向かう高速道路が分かれる交通の要衝でもある。これで山間を走る区間も終わりかと思えばそんなことはなく、ここから何駅かを経て、再度山の中を走っていく。川の流れが先ほどとは逆となり、進行方向と同じ向きに変わる。安比高原駅を通って、列車は下り坂で山をおりていった。安比高原~松尾八幡平間の峠は龍ヶ森越えと呼ばれ、花輪線の難所になっている。蒸気機関車が走っていた時代の下り列車は、機関車を3つ連結した3重連でこの龍ヶ森越えを越えていたのだとか。
峠越えから一転、田園の中を駆け抜け好摩へ

険しい東北の背骨を越えると景色が一気に開けてこれまでの車窓とは対照的に田園風景が広がった。ここから好摩までの間は、田畑が広がる中をのんびりと走っていく。見ている車窓の反対側には天気が良ければ岩手山が見えるが、生憎の天気なので残念ながらその姿を見ることはできなかった。北森駅は八幡平市役所が隣接して建設されていて、駅から直接市役所に行けるようになっていた。さらに数駅進んだ大更駅も市立病院が駅の裏手に建てられていて、こちらも駅から直接病院に行けるようになっている。八幡平市を貫く花輪線。鉄道利用を促す取り組みがなされていることが分かる。ただ、本数は決して多いとは言えないので、実際どれくらいの人が利用しているのかが気になった。

最初に述べた通り、花輪線は大館側より盛岡側の方が本数が少ない。地図を見ても、秋田県側は大館や鹿角などの比較的大きい都市があるのに対し、岩手県側は駅前に市街地が広がるような駅がない。そのため乗り降りする人も少なく、この列車に乗車している人もその多くが秋田県側から乗車し盛岡へ向かう人たちだった。山が遠ざかると徐々に天気が回復し、それに加えて窓の曇りも落ち着いてきた。列車は大館から2時間半ほどで好摩に到着。これで初めて花輪線を走破したことになった。
IGRいわて銀河鉄道線へ直通し盛岡へラストスパート

好摩駅から先はIGRいわて銀河鉄道へと直通する。IGRいわて銀河鉄道は東北新幹線の並行在来線となった東北本線のうち、岩手県区間である盛岡~目時間を運行する第三セクター会社である。花輪線は並行在来線とは関係がないので、JR東日本による運転が続けられており、盛岡側から見ると他のJR線から孤立している。IGRいわて銀河鉄道は保有する全ての車両が電車であり、運転士も電車の操縦免許しかもっていない。そのため、花輪線からの列車はIGRいわて銀河鉄道線内も引き続きJRの乗務員によって運行される。花輪線ではワンマン運転が行われておらず車掌が乗務している。車掌も引き続き盛岡まで乗務する。

好摩から盛岡まではおよそ30分ほどかかる。比較的のんびり走ってきた花輪線とは異なり、列車も本線の走りを見せる。花輪線とは違って各駅から乗車する人が多数いる点も幹線路線とローカル線の違いを感じる。花輪線の峠越え区間はずっと雨だったが、盛岡周辺は青空も見えていた。日本海側では雨が降っていても、太平洋側は快晴のことも多い。この日の天気予報も秋田は雨だったのに目的地の宮古は快晴だった。全国の天気予報を見ると東北は仙台の天気が代表して載っていたりするが、それに従って日本海側も晴れなんて思っていたら騙されるので注意しないといけない。
徐々に日が暮れていく車窓。それとともに列車は街中へと入っていき、東北新幹線の高架橋が合流すると盛岡駅まではもう少し。最後に明日乗車する山田線の線路と合流して、列車は盛岡駅に到着。大館から3時間の花輪線の旅が終わった。
初めて盛岡駅に降り立つ

列車は新幹線の高架下にある0番線へと到着した。盛岡駅に降り立つのはこれが初めて。新幹線で通ったことは何度かあったが、降りたのはこれが初めてだった。到着するまで全く知らなかったのだが、ここ盛岡駅はJRの駅とIGRいわて銀河鉄道の駅が分かれていた。IGRいわて銀河鉄道の列車は基本的には0番・1番線からの発着で、この2つのホームはIGRいわて銀河鉄道の駅としてJRの駅とは完全に分離されている。花輪線の列車も盛岡~好摩間はIGRいわて銀河鉄道の列車として運転される。そのため、JRに直通するJRの車両でありながら、盛岡駅はIGRいわて銀河鉄道線のホーム発着になる。したがって、花輪線の列車に乗車するのにJRの駅で待っていては待てど暮らせどやってこないので注意しなければならない。
ただし例外もある。朝の時間帯は東北本線とIGRいわて銀河鉄道線・花輪線との間で直通運転が行われるため、盛岡が途中駅となる列車が一部に存在している。そのため、IGRいわて銀河鉄道線の列車であっても一部にJRのホームから発着する列車が存在する。また花輪線の列車に関しても、始発列車はJRのホームから発着する。これらのことを知らずに列車の発車直前にIGRの改札に来たら多分間に合わないだろう。

IGRいわて銀河鉄道の盛岡駅の改札口。盛岡駅の1階にあり、JRの駅からは少し離れている。この駅の時点では花輪線へ直通する列車もIGRいわて銀河鉄道線の列車なので、花輪線と大きくは書かれてはいない。ただ、駅構内の案内には、IGRいわて銀河鉄道・JR花輪線の盛岡駅と案内されていて、他のJR線とは区別されている。それにしても花輪線だけが異端児のような扱いになっていてちょっと面白い。

盛岡駅の正面に出て来た。ここ盛岡駅は東北の大河川北上川に雫石川、中津川という3つの河川が合流する地点のやや北側にあり、駅正面には北上川が、駅の裏手には雫石川が流れている。路線上は東北新幹線、東北本線、IGRいわて銀河鉄道線、田沢湖線、山田線の5路線が乗り入れるが、乗ってきた花輪線のほか、釜石線の列車も乗り入れており、さらに系統上は田沢湖線と秋田新幹線は別として扱われるので、乗り入れる路線・系統はかなり多い。
盛岡駅を発着する列車を眺める
最初に計画を立てた時点では、1日目はこれで終了となり、盛岡に宿泊予定だったが、直前になって、とある事情で宿泊地を盛岡から三陸の宮古へと変更した。ここからはバスに乗り換えて宮古へ向かう。ただ、バスの発車時間まで1時間ほどあったので、入場券を購入してJRの列車を見に行くことにした。

東北新幹線の開業に伴い、東京駅から続く東北本線は現在、この駅が終点となっている。ここから先はIGRいわて銀河鉄道と青い森鉄道が運行しており、それぞれいわて銀河鉄道線、青い森鉄道線として運行されている。盛岡車両センターに所属する電車は写真の701系のみ。東北本線のほか、直通列車が運転されるIGRいわて銀河鉄道線にも入線し、いわて沼宮内~一ノ関間で運用されている。この紫色の701系とは初顔合わせ。今回は乗車する機会はないが、東北本線の乗りつぶしの際には乗車することになる。日中は2両編成が基本だが、朝夕は4両で運転される列車も多い。

一方、別のホームには釜石からの列車が到着し停車中。釜石線の快速列車である快速「はまゆり」で指定席車両を含めた3両編成で運転されていた。写真の車両はキハ110形のトップナンバーであるキハ110-1。ここでもまたキハ110系が登場したが、キハ110系0番台は他のキハ110系とは異なり、急行列車への投入を想定して投入されたため、車内は転換クロスシートとなっている。
実はこの列車には次回の旅で乗車する予定。乗車録は次回の旅の旅行記で書く予定でいる。車内の様子を見ることができたので、座席指定の参考になった。

最後は田沢湖線の普通列車雫石行き。田沢湖線は秋田新幹線の列車が走行するため、線路幅が標準軌となっており、他の在来線との直通運転は行えない。そのため田沢湖線のホームである8・9番線の先は行き止まりになっている。田沢湖線の普通列車として活躍するのは標準軌車両である701系5000番台。秋田地区の狭軌の701系と同じ紫とピンクのラインを纏っている。田沢湖線の普通列車は夕方こそ1時間に1本の列車があるものの、それ以外の時間は運転間隔が空く時間もある。多くが雫石や赤渕で折り返し、大曲まで行く普通列車は1日に3本しかない。雫石駅に関しては一部新幹線こまちも停車するのでそちらを利用することもできる。新幹線なら容易に走破できる田沢湖線だが、普通列車だと難易度が格段に上がる。それでもいつかは挑戦してみたい。
岩手県北バス106特急バスで盛岡から宮古へ
さて、盛岡からはバスで宿泊地である宮古へと向かった。当初の計画では盛岡に宿泊予定で、翌朝山田線で宮古へ行き、バスで盛岡へと帰って来る予定にしていた。しかし、事前に山田線について調べていると、この時期は落ち葉による空転が多発することが分かった。宮古で列車からバスへ乗り継ぐ時間は1時間ほどしかないが、空転が発生した場合、1時間以上遅延することもよくあるらしい。2日目はその先も列車を乗り継いで青森駅まで行く予定。万一、空転で大遅延が発生して、バスに乗り継げないと、後の旅程が崩壊するので、リスク回避のために計画を変更し、1日目にバスで宮古まで移動。翌朝山田線で盛岡へ戻り、乗り継ぎに余裕を持たせることにした。バスは夜間の移動になり、車窓が望めないのが残念だが、山田線とほとんど並走して走るので、今回は妥協することになった。

乗車したのは岩手県北バスの盛岡-宮古線「106特急バス」。山田線のライバルだが、山田線が快速列車でも2時間30分ほどかかる盛岡-宮古間を1時間40分ほどで結び、交通機関における盛岡-宮古間の移動は、バスの一人勝ちの状態になっている。かつてはもう少し所要時間がかかっていたが、山田線に並走する国道106号線に高規格道路の盛岡宮古横断道路が整備されたため、所要時間が短縮された。この路線には、特急と急行の2つの種別があり、急行はもう少し所要時間をかけて沿線の地域を巡る。かつては急行バスだけだったので、106急行バスの方が名前として根付いて、特急バスでも急行バスと呼ぶ場合がある。なお、少し前までは盛宮106特急という名前で2階建てバスが走っていたことで話題になっていたが、現在は運行を終了し、全てのバスが普通のハイデッカー車両での運転である。
このバスは予約制ではないが、ハイウェイバスドットコムで予約も受け付けており、予約した場合は非予約者より先に乗車して好きな席に座ることができる。運賃も予約をした方が若干安い。バスは4列トイレなし車両での運転で、途中のやまびこ物産館(山田線川内駅に近く)で5分ほどの休憩時間があった。写真はその時に撮影したものである。
乗車記録 No.4
岩手県北バス 106特急バス 宮古駅前行
盛岡駅東口→宮古駅前
盛岡駅を出たバスは盛岡バスセンターなどを経由して、川目ICから盛岡宮古横断道路へ入り、その後はこの道路をひたすらに進んでいく。国道の旧道がクネクネと曲がっている区界までの道のりも、高規格道路はトンネルで一気に貫いていて、トンネルを出たときにはもう区界の先にいる。この日は今期一番の冷え込みで、区界あたりの道路の温度表示は5℃になっていた。その後は山田線とほぼ並走しながら宮古を目指す。山の中の夜間走行なので、車窓は全く見えなかったが、トンネルをいくつも経て走っていく姿が印象的だった。旧来からの国道と新しく建設された高規格道路が何度か繰り返される。盛岡市街地を離れてから1時間ほどで宮古市街へ到達。車窓を載せることはできないが、高規格道路の威力を感じる106特急バスの走りを楽しむことができた。なお、このバスが盛岡駅を出たのとほぼ同じタイミングで山田線の宮古行最終列車も盛岡駅を出発している。その山田線の普通列車が宮古へ到着するのは、まだ1時間近く先のことである。バスが宮古駅に到着した時点ではまだ区間の6割程度しか進んでいない。

盛岡駅から1時間40分で宮古駅に到着。1日目の行程はこれで終了。駅近くのホテルに宿泊した。2日目はここから山田線に乗車して来た道を戻り盛岡へ向かう。今回は夜に到着して早朝には出発してしまうので、宮古市についてざっと概要を書いておく。人口は5万人ほどで岩手県の三陸エリアでは最も人口が多い都市である。景勝地の浄土ヶ浜が観光地として有名で、本州で最も東に位置する都市としても知られる。駅についてはまた翌日の記事でも書くが、山田線と三陸鉄道リアス線の2路線が乗り入れている。東日本大震災からの復旧に際し、山田線の宮古~釜石間が三陸鉄道へと移管されることとなり、2019年の復旧から当駅が山田線の終点駅となった。

駅のホームを覗くと釜石行の三陸鉄道の車両が停車していた。三陸鉄道の車両を見ると夜でも三陸まで来たのだと実感することができる。昨年乗り通した三陸鉄道。今回の旅では乗車しないが、次回の旅で少しだけ乗車する予定にしている。昨年乗車したときは東日本パスやツアー客でとてつもなく混雑していたのを思い出す。今年はどうだろうか。
羽田空港を出発し、大館能代空港へひとっ飛び。大館で秋田犬を見たあと、花輪線と106特急バスを乗り継いで移動した1日目もこれで終了となった。2日目も引き続き北東北の鉄道路線を巡っていく。
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