【旅行記】北東北の鉄道路線を巡る旅~秋田内陸縦貫鉄道を走破する~

前話
 
 角館で武家屋敷通りを観光後、再び角館駅へと戻ってきた。ここからはこの日のゴールとなる青森駅へ向けて移動を再開する。角館から乗車したのは、未乗路線だった秋田内陸縦貫鉄道秋田内陸線。角館から秋田県の内陸部を縦断して、北秋田市の鷹巣へと向かうローカル線であり、秋田県に2社ある私鉄(三セク)路線の一つとなっている。
 

文字通り秋田の内陸を縦貫する秋田内陸縦貫鉄道を乗り通す

 角館駅では、発車の10分前に改札が開始され列車に乗り込むことができた。乗車したのは2両編成の普通鷹巣行。乗車便には訪日観光客の団体客も乗り込んできた。秋田内陸鉄道のうち特に南側の角館~阿仁合間は、区間の後半で渓谷の上を走る車窓が見られるとあって、最近では外国人の団体客も多い区間となっている。2両編成だが、後ろの1両は回送列車となっており、途中の阿仁合で切り離す運用だった。秋田内陸線では団体客向けに車両の貸切も行っており、事前に申し込むと一般の旅客列車に連結して貸し切り車両を運行してくれる。ただし、それはあくまで事前に貸切の申し込みを行って所定の貸切料を払ったときの話であり、団体運賃を支払っただけでは貸切にはできない。乗車便に乗り込んだ訪日客の団体は、当日に団体運賃を支払っていたので一般の乗客と混乗となった。ローカル線のため、車内の乗客は一般客より団体客の方が人数が多かった。もはや貸切列車に一般の乗客が紛れ込んだような状態だった。
 
 各ボックス席のデーブルが路線図になっていた。秋田内陸縦貫鉄道は角館と鷹巣間の94.2kmを結ぶ路線である。全29駅あり、全線走破すると大体2時間30分ほどかかる。当路線は鷹角線として計画された路線で、戦前にまず鷹巣側から工事が開始された。最初に開通したのは鷹巣(開業当時は鷹ノ巣)~米内沢間である。国鉄阿仁合線として開業し、その後順次延伸が行われ、最終的に比立内駅まで開業した。一方、戦後になると角館側からも鉄路が延び、角館線として角館~松葉間が開業した。しかし、その中間部分となる比立内~鷹巣間は着工せず、1981年には阿仁合線、角館線とも第一次特定地方交通線に選定され廃止対象となった。秋田内陸縦貫鉄道はこの国鉄阿仁合線、角館線を引き継いだ第三セクター会社であり、1986年に両路線が引き継がれている。同時に未開通区間の工事が鉄道公団により工事が行われ、1989年にようやく全線開通となっている。角館-鷹巣間で全線開業となったのは平成に入ってから。最も新しい区間は、まだ開業から35年ほどしか経っていない。
 
乗車記録 No.7
秋田内陸縦貫鉄道 普通 鷹巣行
角館→鷹巣 AN8800形
 
 列車は角館を発車後、しばらくの間田沢湖線の線路と並走。以前は両方とも同じ線路幅だったので田沢湖線と行き来が可能だったが、田沢湖線の改軌により不可能となった。田沢湖線の線路を見ながらカーブすると、その後は田園風景の中を走っていく。角館と合併し仙北市となった西木町内を北上する。
 
 列車は松葉駅へと到着した。この駅がかつての角館線の終点駅である。駅前の看板には田沢湖入口の文字が見える。ここから山を登って行くと田沢湖に出る。車窓に見える山の上に大きな湖があるなんて信じがたいが、この駅からは田沢湖帰りと見られる団体客の乗車があった。どうやら何らかの手違いで本来乗車する予定でないこの列車に乗車することになったらしく、急遽後ろの回送車両が開放された。
 
 列車は桧木内川を何度も渡っていく。山田線の閉伊川橋梁ほどではないものの、秋田内陸線の桧木内川に架かる橋も25個以上ある。区間の前半はガーター橋が多いが、後半はコンクリート橋も多い。鉄道公団が建設した比較的新しい路線の証拠である。
 
 列車は上桧木内駅で反対列車とすれ違った。秋田内陸線の交換駅には場内信号機とともに通過信号機という四角い信号機が設置されている。乗車列車は普通列車だが、秋田内陸線では急行列車、快速列車の運転がある。通過信号機は交換駅を通過する列車が使う信号機で、出発信号機が何の現示を示しているのかを先に示す役割がある。全国的にも島原鉄道など急行運転を行う限られた私鉄路線でしか見ることができない信号機になっている。
 

秋田県最長の十二段トンネルを通り、渓谷を跨いで阿仁合へ

 列車はいよいよ桧木内川の最上流部へと差し掛かり、長いトンネルへと入った。仙北市と北秋田市の市境に位置する十二段トンネル。長さは5697mで秋田県で最も長いトンネルである。このトンネルは上り勾配の区間と下り勾配区間があり、そのちょうど境目あたりにおよそ6km離れたトンネルの入口と出口が同時に見れる場所があるらしい。
 トンネルを抜けるとすぐに阿仁マタギ駅に停まる。マタギとは東北地方の山で伝統的な方法で狩猟を行う人々のことを指す。各地にマタギ集落が点在しており、今もその文化が受け継がれているという。阿仁マタギはマタギ集落の中でも特に有名であり、駅名にもなっている。この駅を出たところにはかかしコンテストなるものがあり、地域住民手作りのかかしが列車を出迎えた。
 峠を越えた列車はここから米代川へと流れる阿仁川に沿って走っていく。ここから阿仁合までの間は、秋田内陸線の中でも景色の美しい区間である。列車は時折阿仁川の渓谷を見ながら走っていく。
 
 列車は奥阿仁から比立内間で比立内川橋梁を渡る。写真で見ても分かるようにかなり高い場所に鉄橋がある。列車は観光用に徐行して橋を渡った。ここは秋田内陸線を撮影できる撮影スポットにもなっており、観光ポスターで見る秋田内陸線の写真は、ここかこの先にある大又川橋梁で撮影したものが多い。
 
 列車は阿仁合まであと一駅となった荒瀬駅へ到着した。写真には写っていないが、自分の座っていた車窓の反対側に熊がいたらしい。団体客は日本よりも南の国の人々で、当然熊など生息していない。そのため野生の熊に車内はかなり盛り上がっていた。とはいえ、民家の近くに熊がいるというのは少し恐ろしい。この日の数日前には鷹巣の市街地に熊が出没したというニュースもあった。列車は荒瀬駅を出て、阿仁合へと向かう。車内ではアテンダントが団体客向けに外国語で車内放送。これも団体客に喜ばれていた。
 
 列車は阿仁合駅に到着。ここでは10分ほど停車し、後ろ1両を切り離す。団体客はここで全員下車していった。切り離し作業と同時にこの駅では鷹巣から来る急行列車と行き違う。急行列車にはまた別の団体客が乗り込んでいて、阿仁合駅はとても賑わっていた。自分は恥ずかしながら、阿仁合という駅が拠点となる駅であるということを来て初めて知った。もちろんこの駅の写真は鉄道雑誌で見たことがあるが、そんなに人の乗り降りが多く団体客で賑わう駅だとは知らなかった。阿仁合は秋田内陸縦貫鉄道の本社所在地で、車両基地も併設される秋田内陸線の拠点駅である。
 

阿仁川に沿ってのんびり走る内陸線の北側区間

 停車時間を使って、ようやく乗車中の車両を撮影することができた。乗車していたのは、AN-8800形である。この車両は秋田内陸線全線開通の直前に導入された気動車で、全9両が活躍する同路線の主力車両である。秋田内陸線の車両は全面の下部に設置された四角い尾灯が特徴的。また各車両でカラーリングが異なっている。
 
 団体客がいなくなった車内は閑散とした。アテンダントや車掌の乗務もこの駅で終了し、ここからは地元客数人に加え、自分を含めた観光客数人だけとなった。阿仁合から鷹巣間はおよそ1時間かかる。車内には先ほどまでのにぎやかな観光列車の雰囲気とは異なり、のんびりとした雰囲気になった。
 
 列車は引き続き阿仁川に沿って走っていく。しかし、ここから先は阿仁川を渡ることはなく、阿仁川の東側を並走していく。車窓も進行方向左側の方がよく見えるので座席を移動した。阿仁合から15分ほどで阿仁前田温泉駅に到着する。この駅は駅舎に温泉宿泊施設が入っている。写真はこの駅に到着する直前に渡る小又川にかかる鉄橋から撮影したものである。
 
 列車はさらに北へと進んでいく。阿仁合あたりまでは線路も割と直線的で列車もそれなりにスピードを出していたが、阿仁合から先は戦前に開業した区間となるため、一気にローカル線感が増す。鉄道公団が建設した区間と、戦前に開業した区間で線路の敷き方も列車の走りも変わっている。これもまた秋田内陸線の見どころの一つかもしれない。
 車内の地元客が地元の方言で会話していた。津軽弁にも似ているがおそらく秋田県の北部で使われている方言だと思う。そうした車内で飛び交う方言を聞くのもまた旅行感があっていい。ただ、自分には内容は聞き取ることができなかった。
 列車は鷹巣市街が迫った縄文小ヶ田駅へと到着。この駅は大館能代空港の最寄り駅。駅から3kmほどの場所に、前日に羽田から降り立った大館能代空港がある。1日目、北東北の旅を始めた場所に帰ってきた。なんてヘンテコなルートを組んだのだろうと思った。
 
 列車は米代川を渡って終点の鷹巣駅に到着した。JRの奥羽本線の隣にある秋田内陸縦貫鉄道のホームに到着する。線路の幅が違う角館駅と違って、鷹巣駅で接続する奥羽本線と秋田内陸線の線路は接続されていて、かつては直通の臨時列車の運行もあった。ただし、JRと秋田内陸線に直接直通できるわけではなく、一度駅構内で入換作業を実施しなければならなかったらしい。JRのホームと隣合わせで柵などはないが、駅舎は別々にある。大鰐温泉駅や津軽鉄道も同じような構造の駅だったと思うが、九州から来た人間からするとこういう構造の駅は少し珍しい。
 

表記の違う内陸線鷹巣駅と奥羽本線鷹ノ巣駅

 駅員にきっぷを手渡して駅舎の外に出て来た。秋田内陸縦貫鉄道の鷹巣駅はログハウス調になっている。秋田内陸縦貫鉄道が使うのはJRの1番線に面したホームである。ホームには駅名標が吊るされていたが、JRと同じ緑のラインが入った駅名標だった。JRのホームの駅名標は「鷹ノ巣」だが、秋田内陸線ホームのものだけはきちんと「鷹巣」となっている。これはJRが用意したのか、それとも秋田内陸縦貫鉄道が用意したものなのか、どっちだろうか。
 
 一方、秋田内陸縦貫鉄道の鷹巣駅の隣にあるのが、JR東日本奥羽本線の鷹ノ巣駅である。JRの方は鷹ノ巣とノが入る。JRの鷹ノ巣駅は、開業当時から駅名にノが入る。秋田内陸縦貫鉄道も1989年の内陸線全線開業までは同じ鷹ノ巣駅だった。現在は北秋田市であるこの地はもともと鷹巣町という自治体だった。秋田内陸縦貫鉄道の鷹巣駅は、それに合わせて鷹巣駅になったのだろうと推測される。ではなぜ以前から鷹ノ巣駅にノが入っているのかは調べてもよく分からなかったが、一関と一ノ関とか三宮と三ノ宮など同じケースは全国各地で見られる。おそらく明治ごろに駅名を付ける時のルールとして、ノを入れるというルールがあったのだと思う。駅舎は平屋の四角いが、この造りは秋田県や青森県の比較的大きな駅でよく見かける。駅構内は2面3線のいわゆるJR形配線。ほとんどの列車が秋田-大館・弘前間の運転となっているため、当駅は途中駅となるが、朝に1本だけ大館方面に折り返す列車が設定されている。もちろん特急つがるも全列車が停車する主要な駅である。
 

奥羽本線の普通列車で宿泊地の青森へ向かう

 この日の宿泊地は青森駅前。鷹ノ巣駅からは奥羽本線の普通列車に乗車して、青森駅まで向かった。少し待てば特急つがるにも乗車でき、青森駅にはつがるが先着となるが、今回は普通列車でのんびり向かうことにした。鷹ノ巣駅から15分ほどで、昨日花輪線に乗車した大館駅に到着。ここで車内の乗客の7割ほどは下車していった。大館から先は県境を越える区間に入る。乗降客数の少ない駅もあり、乗車した列車は青森県に入って最初の駅である津軽湯の沢駅を通過した。列車は昨年弘南鉄道に乗車した際に訪れた大鰐温泉を経て弘前へ向かう。弘南鉄道大鰐線は線路の不具合が発生し、旅行当日も全線での運転見合わせが続いていた。大鰐温泉~弘前間の奥羽本線の途中駅は1駅のみ。利用者が少ないとは言え、弘南鉄道が沿線のローカル輸送を担っている大事な地域の足である。
 
乗車記録 No.8
奥羽本線 普通 弘前行
鷹ノ巣→弘前 701系
 
 鷹ノ巣から1時間で終点の弘前に到着。ここで青森行の普通列車に乗り換える。ただスムーズに乗り換えることはできず、40分ほどの乗り換え時間があった。弘前では所用を済ませるために一旦改札を出た。所用についてはまた別の記事で書きたいと思う。弘前に来たのはこれが2回目。今回は乗り換えで立ち寄っただけなので、次こそは弘前城を見に行きたい。
 
 青森から乗車したのは当駅始発の普通青森行。3両編成の701系での運転だった。秋田車両センターの701系は2両編成と3両編成が所属しており、奥羽本線の普通列車は列車によって2両だったり3両だったりする。昨年701系に乗車したときの列車も2両編成だったので、3両編成への乗車は初めてとなった。中間車が1両あるだけで迫力が全然違う。この日の青森県内には発達した雨雲がかかり、土砂降りの雨が降っていた。夏の夕立のような雨が降っていたので、電車が止まらないかとひやひやしたが、平常通りの運転で青森駅まで向かうことができた。
 
乗車記録 No.9
奥羽本線 普通 青森行
弘前→青森 701系
 
 早朝に宮古を出発し、盛岡、角館、鷹巣、弘前と列車を乗り継いで来た2日目。東北のローカル線で乗ってみたいと昔から思っていた路線の一つだった山田線と、乗りに行くのが結構難しい秋田内陸縦貫鉄道の2路線に無事に乗車することができた。3日目は青森駅からこの旅最大の目的地である奥津軽・龍飛崎を目指した。
 
前話