【旅行記】北東北の鉄道路線を巡る旅~津軽線と外ヶ浜町営バスで龍飛へ~
前話
3日目の朝を迎えた。昨晩は土砂降りの雨が降っていたが、日付が変わる頃には雨が上がり、朝になるとすっかり晴れていた。天気予報によれば、残りの2日間の天気はいいらしい。これまでの旅程は、ほぼずっと山の中を彷徨ってきた。一方、後半2日は主に海を見ながら走る行程となる。天気がいいなら海の眺めも期待できそうだ。3日目は青森県の2つの半島を走る鉄道路線を巡る。午前中は津軽線に乗車して津軽半島の先端、龍飛崎へ。午後は津軽半島から八戸へと移動し、下北半島を走る大湊線に乗車する。時刻は朝6時前。ホテルをチェックアウトして青森駅へと向かった。

昨日は真っ暗な中で到着したのでよく見えなかったが、駅にはいつの間にか立派なビルが建っていた。去年来た時との変化に驚かされる。青森駅舎の前に建設されたのはJR青森駅東口ビルという名の駅ビル。低層階には商業施設が、高層階にはホテルが入り、その間には美術館なども入る予定になっている。商業施設は2024年春に、ホテルは夏にオープン予定で、今後はこの建物が青森駅のシンボルとなる。
一部区間で不通が続く津軽線
津軽線は青森駅から三厩駅間の55.8kmを結ぶ路線である。途中の新中小国信号場で青函トンネルを経て北海道に至る海峡線が分岐する。そのため区間の南側は、1988年の青函トンネル開通から2016年の北海道新幹線の開業まで、旅客、貨物ともに北海道への大動脈となっていた。本州と北海道を結んでいた北斗星、カシオペア、トワイライトエクスプレスなどの名列車たちもこの路線を駆け抜けていた。2016年に北海道新幹線が開通すると、北海道への旅客輸送は新幹線へ譲り、ローカル輸送のみを担うことになった。しかし、現在も北海道と本州・九州を結ぶ多数の貨物列車が当路線を走行しており、物流上の重要路線となっている。
一方、北側の蟹田~三厩間はローカル線として知られており、貨物列車が多数走行する南側とは対照的に非電化で、運行される列車の本数も少ない区間となっている。この北側区間は、2022年8月の豪雨で被災し、今日まで復旧の見込みは立っていない。利用客の少ない盲腸線であるため、JR東日本は今後の運行の在り方について、復旧にこだわらずに沿線自治体と議論すると発表。現在も廃止の可能性も含めて議論が行われている。
現在津軽線は青森~蟹田間は通常運転である一方、蟹田~三厩間ではバスによる代行輸送が行われている。個人的な乗りつぶしのマイルールでは、長期運休路線について、廃止が決定しているか、運休から半年を過ぎてもなお復旧することが決定しない路線について、代替手段の乗車で当該区間を乗車済みにできると定めている。今回の津軽線の場合も、復旧の見込みが立たないため、この特例を適用。代行バスの乗車をもって暫定的に乗車したとみなすことにした。
貨物列車も多数運行される南側区間を普通列車で蟹田へ

青森から乗車したのは当駅6時16分発の普通列車蟹田行き。津軽線蟹田方面の始発列車で、蟹田からの始発列車が折り返し蟹田行きとなった。
この列車に乗り込むと、スムーズな乗り継ぎで龍飛崎まで向かうことができる。蟹田で代行バスに10分で接続、さらに代行バスは三厩で外ヶ浜町営バスに10分で接続している。そのため、この時間から動き出せば、新幹線を使わなくても青森駅から龍飛崎まで2時間20分程度で到達することができる。701系への乗車は今回の旅3度目。奥羽本線では新庄、羽越本線では鶴岡が運用の南限である秋田の701系だが、津軽線は運用範囲で一番北に位置する路線であり、蟹田が運用の北限である。
乗車記録 No.10
津軽線 普通 蟹田行
青森→蟹田 701系

青森駅を発車した普通列車は、しばらく奥羽本線と並走し、青森駅の南側にあるデルタ線の一辺を通っていく。しばらくすると、青い森鉄道線八戸方面から青森駅を経由せずに奥羽本線・津軽線に入ることができる奥羽本線の貨物支線と合流する。この線路は関東方面から北海道に向かう貨物列車が使用する。また、大阪方面から奥羽本線を経由してやってきた貨物列車も一度ここを通り、機関車の付け替えを行った後、折り返して北海道方面へと向かっていく。やがて奥羽本線の線路と別れると、昔の青森車両センターを横目に単線の線路を進んでいく。青森車両センターは北海道新幹線の開業により配置車両がなくなり、現在は盛岡車両センター青森派出所となった。車両基地群の横を通り過ぎると、津軽平野の東側の細長い平野を北上していく。山側には北海道新幹線の高架橋が見えた。

線路は陸奥湾に沿って敷かれているが、線路と海岸との間に住宅が広がっているため、蟹田直前以外は海を望むことはできない。津軽線の線路が住宅と田畑の境目になっている。列車は奥沢で北海道からやってきた貨物列車とすれ違った。今年の春に乗車した道南いさりび鉄道でもそうだったが、貨物列車は20両ほどあるので、津軽線の南側の駅は広々としている。続いて中沢では上りの普通列車とすれ違った。上り列車の車内にはそれなりに乗客がいた。津軽線も南側は一定数の利用がある。中沢駅から2駅進んだ郷沢駅ではまたしても貨物列車とすれ違う。津軽線では旅客列車よりも貨物列車の本数が多いので、すれ違う列車も貨物列車の方が多くなる。

蟹田まで1駅となった瀬辺地駅を出ると、ようやく陸奥湾が見え始めた。奥に見えるのは北海道かと思ったが、まだここから北海道は見えない。青森県のもう一つの半島である下北半島の西側が見えている。この列車の終点の蟹田から下北半島へは、むつ湾フェリーというフェリーで渡ることもできる。下北半島は大湊線が走る首の部分は細長い。しかし、頭の部分が想像以上に大きい。陸奥湾の広さを車窓から改めて感じる。向こうに見える山々もこちらと陸続きであることがなんだか信じられない。しばらく陸奥湾を眺めながら走ると列車は終点の蟹田に到着した。

乗車した列車はワンマン列車だった。朝の蟹田駅は窓口が閉まっているので、1両目の運転席後ろのドアから下車となる。同時にホームで待っていた通学の高校生たちが一斉に列車に乗り込んできた。列車は10分ほどで折り返し青森行として帰っていく。
蟹田駅は津軽線の途中駅であり、線路はまだこの先へと続いている。ただし、在来線の海峡線として青函トンネル通り、北海道方面へ向かう旅客列車は、団体列車のトランスイート四季島を除いて運行されておらず、先述の通り三厩へ向かる津軽線の北側区間も災害で不通のまま。ここから先も線路は続くが、現状在来線の一般の旅客列車で行けるのはここまでである。
蟹田駅で代行バスに乗り換える

蟹田駅の外へと出て来た。海峡線の正式な分岐駅は次の中小国駅だが、海峡線の列車は全ての列車が中小国を通過していたので、運行上はこの駅が分岐駅という扱いになっていた。ここから海峡線に向かう列車の次の停車駅はJR北海道の駅となるので、特急列車の乗務員交代もこの駅で実施されており、新青森駅まで新幹線が開業して以降は、全特急列車(寝台特急を除く)がこの駅に停車していた。その当時は奥津軽への玄関口の役割を担っていたのもこの駅だった。

蟹田駅では少々慌ただしい乗り継ぎで三厩へ向かう代行バスに乗り換える。代行バスは駅前のロータリーに停車していた。代行バスは中泊町に本社を置く中里交通がJRからの委託を受けて運行している。旅行日の直前に代行バスの増便が実施され、平日は朝1.5往復、夕2.5往復の合計4往復、土休日は1往復減った3往復の運行となっている。ただし、午前中の下り便は蟹田駅を7時17分に出るこのバスだけである。大きなハイデッカー車両での運行だが、乗り込んだのは自分を含めて2名。上りの便は通学者を含めて一定の利用があるが、下り便は利用客は少ない。
乗車記録 No.11
津軽線 代行バス 三厩行
蟹田→三厩 中里交通運行

バスは蟹田駅を出発して三厩へ動き出した。駅前の通りを進んで国道へ出ると、国道にかかる橋の上から朝日に輝く陸奥湾の景色が見えた。蟹田駅があるのは外ヶ浜町でこの津軽線の終点や龍飛崎があるのも外ヶ浜町である。このあたりは飛び地的に合併が行われていて、津軽線も外ヶ浜町、今別町、外ヶ浜町と走っていく。間に挟まれたい今別町には飛び地はないが、外ヶ浜町に隣接する中泊町と五所川原市にも飛び地が存在している。こうなった背景は説明すると長くなるので、ここでは述べない。外ヶ浜町は蟹田町、平館村、三厩村の3町村が平成17年に合併し誕生した。ここまで概ね海岸に近い場所を走ってきた津軽線だが、この蟹田の街を出ると山の方へ向かっていく。バスも津軽線の向かう山の方向へ左折した。
代行バスの車窓から津軽線と海峡線の分岐点を見る

蟹田の街を出て、少しだけ森の中を走ると、やがて景色が開けて津軽線の踏切を渡る。ここはまだ海峡線との分岐点の手前なので、多数の貨物列車が走っている。旅客列車は走っていないので、実質の貨物線である。このカーブを曲がって少し行くと海峡線との正式な分岐駅である中小国駅がある。バスは駅前の県道上で一旦停止した。分岐駅とは言え、ただの棒線駅。ここが北海道への分岐点かと思うほどに普通の駅である。

バスは中小国駅の代替となるバス停を発車。やがて中小国駅周辺の住宅も途切れて、田んぼを隔てて津軽線の線路が見えるようになる。何気ない田園風景だが、ここで津軽線は北海道へ向かう海峡線を分岐する準備を行っている。写真に見えている部分には、セクションと呼ばれる電気的な境目がある。津軽線は在来線なので交流20kV、一方の海峡線はこの先で北海道新幹線と合流ため、全線が新幹線が使う交流25kVとなっている。ここは新幹線の電気と在来線の電気の切り替え地点になっている。ここから先は交流25kVに対応した電車しか入線することができない。路線上は津軽線だが、電気設備だけは一足先にJR北海道の設備に切り替わっている。奥に小さく変電所のような建物が見える。JR北海道の中小国キ電区分所である。

少し進むと、架線柱が複数の線路を跨いでいるのが見える。ここが線路設備上の津軽線と海峡線の分岐点である新中小国信号場である。津軽線はこの信号場以降は非電化となる。車窓の一番手前を津軽線の非電化の線路が走っている。津軽線と海峡線の境目がJR東日本とJR北海道の境界点になっている。線路は並走しているが、架線のある方の線路はJR北海道の海峡線の線路である。海峡線側には3本の線路が敷かれており、青函トンネル方面へ向かう列車は、ここで保安装置や列車無線を新幹線用のものに切り替え、反対に青函トンネルからきた列車はここで在来線のものへと切り替える。北海道側における木古内駅の設備に相当している。設備上の在来線と新幹線の境目はこんな田んぼの中にあるのだ。

新中小国信号場を出ると、やがて新幹線の高架橋が見える。それと同時に海峡線の線路が高架となり、カーブを描きながら、北海道新幹線の線路と合流する。平面交差を避けるために海峡線は上下別れて新幹線と合流する。先に出来たのは海峡線だが、新幹線を走らせる計画は青函トンネル開通時からあったので、すでにここで合流することを前提に建設されていた。ここが本州側の新幹線と在来線の分岐部である通称大平分岐部である。ここから青函トンネル出て木古内駅の手前まで、新幹線と海峡線は同じ線路を走っていく。一方の津軽線は海峡線の線路とここで別れてまっすぐ走る。新幹線をくぐるとまもなく大平駅となる。津軽線に乗っているとよく見えないであろうこうした構造物や設備を楽しめるのは代行バスのいいところかもしれない。今年の春には木古内へも行ったが、一連の旅行で青函トンネル周辺の鉄道設備についてだいぶ理解を深めることができたと思う。
突如現れる巨大な新幹線駅を車窓に終点三厩へ

代行バスはここから小国峠という峠を越える。外ヶ浜町の蟹田地区と今別町の間にある峠で、津軽線もこの峠を越えて次の津軽二股駅へむかう。県道はどちらかといえば北海道新幹線に近い場所を走っていて、津軽線の線路だけ少し離れた場所を走っていく。峠を越えるとやがて津軽線の線路が道路の上を越えていき、巨大な奥津軽いまべつ駅の建物が見えてくる。詳しくはこの後ここに訪れた際の記事で書くが、津軽線の津軽二股駅もこの駅に隣接している。代行バスの発着場所は奥津軽いまべつ駅のロータリーとなっていて、バスは駅前のロータリーに立ち寄る。周囲に民家も少ない場所に突如現れる駅の大きさに驚かずにはいられない。

津軽二股駅(といいつつ奥津軽いまべつ駅のロータリー)を出たバスは、再び津軽線の隣を走っていく。次の大川平までは津軽線の線路が隣を走るが、線路には草が生い茂っていた。県道はバイパス的に大川平駅前に広がる住宅の後ろを走るが、代行バスはその旧道であろう狭い道へと入っていった。次の今別駅を出ると車窓には再び海が見えた。津軽線も今別駅から三厩駅間では再び海の近くを走っていく。海の奥には北海道の渡島半島の山の稜線が見えた。いよいよ北海道が目の前に迫ってきた。

津軽浜名駅を出ると、次の三厩駅との間で再び町境を越えて外ヶ浜町へと戻る。今別町の街の後ろにも国道のバイパスが通っており、三厩でこのバイパスと旧道とが合流する。その合流地点の交差点には、風の岬へようこそと書かれたモニュメントのようなものがあった。ここから車窓の左側に見える山に沿ってもう少し進めば龍飛岬である。津軽線の終点三厩駅は、少し海岸から内陸に入り込んだところにある。蟹田駅から約50分、バスは終点の三厩駅へと到着した。
津軽線の終点三厩駅に到着

バスは終点三厩駅に到着。運転士にお礼を告げてバスを下車した。ここが津軽線の終点であり、本州の鉄道路線の一端である。果ての雰囲気が駅前にも漂っているのを感じる。
現在は列車が走っていないので、元も子もないが、津軽線の新中小国信号場~三厩間はつい最近までCTC化のなされていない路線だった。そのため三厩駅も2019年までは有人駅であり、運転取扱業務のため駅員が常駐していた。津軽線の南側である青森~新中小国信号場間は、津軽線の北側よりも海峡線と密接に関係している。そのため、運行管理は海峡線とセットで一元的に管理した方がやりやすいという津軽線特有の事情があった。この北側区間がCTC化されるまで、南側区間のうち青森駅付近を除く運行管理や指令はJR北海道に委託され、函館の指令所から行っていたらしい。本当は列車でたどり着きたかったが、過去に戻ることはできないので悔やんでも仕方がない。

駅のホームにも入ることができた。もう1年以上列車が来ていない線路は錆びていて、蟹田方面の線路は草で覆われている。正直、再びここに列車が戻って来るのは現状厳しい状態にある。利用客が少ない区間だけに仕方のないことだとは分かっていても、どこか寂しい。それでも、鉄道雑誌で見ていた写真の中の世界に今実際に立てているのは嬉しい。

駅舎の方を見る。現在は1線のみの三厩駅のホームだが、かつては島式で2つのホームがあった。この先で線路は行き止まりになるが、かつてこの線路の先には車庫があり、この駅で停泊する運用も存在していた。車庫が撤去された現在はその面影もない。しかし、車庫が撤去されたのはかなり最近の話である。半世紀ほど前のこの駅は青函トンネルの建設に従事する人たちも行き来していた。その頃はとても賑わっていたのではないかと推察するが、今はもうかつての隆盛を感じることは難しい。
外ヶ浜町の町営バスで龍飛崎へ

蟹田駅と同様に三厩駅でも慌ただしく次のバスへと乗り換える。次に乗車するのは外ヶ浜町営バスの龍飛埼灯台行。運賃は100円で、乗車時に行先を伝え運賃を支払うシステムだった。三厩地区を走る町営バスは、三厩駅前から龍飛崎灯台・龍飛漁港間の運行を基本とし、平日は8往復、土休日は7往復が運行されている。外ヶ浜町の病院は蟹田地区にある関係上、通院に最適な午前中の一往復のみ今別町を経由して蟹田地区の蟹田駅・外ヶ浜中央病院まで運行される。このように地区を跨いだ際には運賃が200円になる。三厩駅からは外ヶ浜町町営バスだけでなく、今別町の巡回バスも運行されている。こちらにもいくつか系統があるが、来訪者には三厩駅と奥津軽いまべつ駅を結ぶ便が使えそうである。外ヶ浜町営バスは今別町巡回バスとJR津軽線の代行バス、わんタク定時便と呼ばれる定時制乗り合いタクシーとの接続が考慮されている。さらに今別町の巡回バスは奥津軽いまべつ駅での新幹線と接続が考慮されており、意外と利便性が高い。駅のロータリーには、JR津軽線の代行バス、外ヶ浜町営バス、今別町の町営バスが並んでいた。
乗車記録 No.12
外ヶ浜町営バス(三厩地区) 龍飛崎灯台行
三厩駅前→龍飛崎灯台
・自家用有償旅客運送という制度について
ところで、これから乗車するバスは、ナンバープレートから分かるように車両は自家用である。このように自家用車両で旅客運送を行う形態を自家用有償旅客運送という。この方式についても少し書き留めておく。通常、有償で旅客を運ぶバスやクシーは道路運送法により旅客自動車運送事業の認可を得る必要がある。そのため基本的に街で見かけるバスやタクシーは事業用の緑ナンバーをつけて走っている。自家用のナンバーで認可なしに旅客を有償で運ぶことは違法であり、その最たる例が白タクと言われるものである。この旅客自動車運送事業を行うには一定のハードルがあり、採算性や経済面から特に過疎地では事業が成り立たず、交通空白地帯の発生を招く原因にもなっている。そうした過疎地における地域住民の最低限の移動や来訪者の足を確保するために設けられているのが、自家用有償旅客運送の制度である。交通も都市部では営利事業として成り立つが、過疎部へ行けば行くほど福祉の意味合いが強くなるので、交通空白地域においては、例外的に自家用で旅客運送することを認めるという制度である。この場合の運営は、自治体かNPO法人に限られる。この自家用有償旅客運送は、交通の福祉としての側面をカバーした制度になっている。

三厩駅を出たバスは旧三厩村の中心部を通って北上する。狭い道路の両側に住宅が立ち並んでいて、その間をすり抜けるようにして走る。バスの運転手も地元の人なので道行く人は知り合いらしい。何人か手を上げて挨拶していた。"果て"を走るバスではこうした光景もよく見かける。このローカルな雰囲気が好きである。バスは狭い道から国道へと出る。その先に道路がX字に交わっている場所がある。何気ない交差点に見えるが、ここが青森市から津軽半島の海岸線を進んできた国道280号線と、弘前市から中泊町や龍飛崎を経由して津軽半島をぐるっとまわって来る国道339号線の終点である。バスはここから国道339号線を走って龍飛崎へと向かっていく。やがて、車窓には津軽海峡が見えてくる。奥に見えるのは渡島半島は、代行バスの車窓よりもかなり近づいていた。

その後も海岸線に沿う国道を走り続ける。海岸も荒々しくなり、切り立った崖とその海岸の間をクネクネと曲がりながら走っていく。洞門やトンネルがいくつもあり、中には素掘りのトンネルもある。大正時代に13個の洞門が人力で掘られ、そのうちのいくつかが現在も国道のトンネルとして使われている。それまで龍飛へ行くには海岸を歩いたり、崖をよじ登ったりしなければ到達できなかったが、当時この地で事業に成功した人物がトンネルを掘って龍飛までの道路が造られたのだとか。少し前に行った北海道の増毛町でも、半世紀ほど前まで船で行き来していたという場所があったのを思い出した。現代は道路が整備されているので、車に乗れば大抵の場所に行くことができる。しかし果ての地へ行くと、それが当たり前でなく、先人たちが築き上げてきたとてもありがたいものであることに気づく。

バスは津軽半島最北の集落である龍飛の集落へと入り、漁港で折り返す。ここ龍飛は太宰治ゆかりの地としても知られ、集落の入口にある龍飛館は、太宰治がこの地に来た際に宿泊した旅館である。現在は観光案内所になっている。その前には文学碑がある。小説津軽の一節が石碑に刻まれている。自分はこの小説を読んだことはないが、前回旅した五所川原や太宰治の出身地金木のほか、蟹田や龍飛、さらにはこの後で旅する深浦や鰺ヶ沢も出てくるということで、一度読んでみたいと思っている。太宰はこの地を本州の袋小路と表現した。もちろん、本州の本当の最北点は下北半島の大間であるが、あちらは街があり、函館へ渡る航路もある。対する龍飛はここから先へ向かう手段がなく、現在も袋小路になっている。
龍飛漁港で折り返したバスは、龍飛崎へ向けて坂を登る。後ほど見学する青函トンネル記念館を経由して、終点の龍飛崎灯台に到着。青森駅から津軽線の列車と代行バス、そして町営バスを乗り継いで2時間20分あまりでついに龍飛崎へ到達することができた。

時刻は8時45分。当然こんな朝早くに竜飛崎に来る観光客などおらず、駐車場には車が2台くらい止まっていたが、仕事でこのあたりへ来てとりあえず休憩のために立ち寄った人のようだった。「ご覧あれが竜飛岬 北のはずれと・・・」という津軽海峡・冬景色のフレーズで知られる龍飛崎。青森駅近くの青函連絡船八甲田丸の前にもある津軽海峡・冬景色の歌謡碑がここにも設置されている。ここにある歌謡碑は2番から始まる。さっそくボタンを押して曲をかけてみる。風の音が胸をゆする泣けとばかりにという歌詞とはまた意味が違うが、美しい龍飛崎と津軽海峡の景色に泣きそうになってしまった。ずっと行ってみたかった龍飛崎。今、そこにいるということを実感できるその瞬間ほど、旅行においてうれしく、楽しいものはない。
龍飛岬には3時間滞在する予定としていた。この後はじっくりと竜飛崎周辺を散策した。
前話