【旅行記】北東北の鉄道路線を巡る旅~奥津軽いまべつ駅と津軽二股駅を訪問~

前旅
 
 龍飛崎に3時間滞在した後は、次の未乗路線を目指すため、北海道新幹線の駅である奥津軽いまべつ駅へと移動した。奥津軽いまべつ駅では、新幹線の発車まで約1時間半ほどの時間がある。駅前には道の駅があるので、ここで昼食を食べ、その後は奥津軽いまべつ駅とその周辺を見ていくことにした。
 

乗り合いタクシー「わんタク」を利用して龍飛崎から奥津軽いまべつ駅へ

 龍飛崎からは乗り合いタクシーである「わんタク」を使って奥津軽いまべつ駅へと移動した。「わんタク」は津軽線蟹田駅~三厩駅の沿線と三厩駅~龍飛崎間で運行されている乗合タクシーである。2022年7月から運行が開始され、その後津軽線の被災も相まって運行期間が延長。現時点では来年3月31日までの運行が決定している。
 利用は基本予約制で、1週間前からWEBの予約フォームまたは電話で乗車・降車場所と配車時間を指定して予約が可能。乗合型のタクシーであるため相乗りとなることもあるが、エリア内を一回あたり500円、津軽線の乗車券や企画券を持っている場合は300円で利用できる。定時便もある一方、自分の好きな時間に配車が可能なので、列車やバスの本数が少ないこのエリアの旅行にはとても重宝した。
 青函トンネル記念館前から奥津軽いまべつまでの所要時間はおよそ25分ほど。途中乗降がなければ、バイパスをスイスイ走っていく。バスであれば一度三厩駅で乗り換える必要があるので、それを考えればかなり利便性が高い。新幹線とスムーズに乗り継ぐことができれば、新青森~龍飛崎を1時間以内で移動することもおそらく可能だろう。決済手段もクレジットカード、ICカード等のキャッシュレス決済にも対応していた。この日は平日だったが、自分以外にも観光客と見られる利用があった。被災して津軽線の代替手段としたいというJRの思惑もあるが、龍飛崎から奥津軽いまべつ・蟹田がダイレクトで結ぶれるので、龍飛崎へのアクセスという点においては、津軽線よりも便利だった。
 

奥津軽いまべつ駅に隣接するも全く違う津軽線津軽二股駅

 奥津軽いまべつ駅の特殊な点、その一つは隣接して別のJRの駅がある点が挙げられる。奥津軽いまべつ駅の駅舎へ入る前に、まず津軽線の津軽二股駅に訪問した。奥津軽いまべつ駅は北海道新幹線に属する駅なので、JR北海道の駅である。一方、奥津軽いまべつ駅付近では津軽線の線路も並行して走っており、津軽線にも津軽二股駅という駅がある。津軽線はJR東日本の路線であり、違うJRの駅が隣接して営業しているとても珍しい光景を見ることができる。例えば東京駅や新大阪駅のように同じ駅に複数のJRが乗り入れていることはよくある話だが、違うJRがほぼ同じ場所に全く別の駅を営業しているというのは珍しい。
 現在、津軽線の津軽二股駅に隣接するのは、北海道新幹線の奥津軽いまべつ駅である。しかし、新幹線が開業する以前は、ほぼ同じ場所に海峡線の津軽今別駅という駅が設置されていた。津軽今別駅は今の奥津軽いまべつ駅よりももっと津軽二股駅に近く、写真の駅の看板の右側に津軽二股駅へ向かう通路があり、屋根付きの通路を使って一段上を走る津軽今別駅へ行くことができたらしい。津軽今別駅時代は停車する列車も上下2往復ずつと少なく、津軽線の津軽二股駅の方が列車本数が多かったが、奥津軽いまべつ駅開業で逆転し、津軽二股駅の方が本数が少なくなった。
 
 現在、津軽線のこの区間は災害により運休中で、この駅に列車が来ることはない。代行バスは以前はこの駅の前に停車していたが、現在は奥津軽いまべつ駅のロータリーで乗降を行っている。もはや代行バスも奥津軽いまべつ駅に停車しているも同然な状態である。
 津軽二股駅から蟹田方面を見る。後ろに見える長い通路が奥津軽いまべつ駅の改札へ向かう通路である。歩けば数十秒の駅にも関わらず全く別の駅なので、蟹田、青森、新青森を経由して津軽二股駅から奥津軽いまべつ駅までの乗車券を買うことができる。現地できっぷを買おうとすると、津軽二股駅は無人駅なので乗車券は奥津軽いまべつ駅で買うことになるのが面白いところでもある。今は新青森経由だが、津軽今別駅時代は、津軽二股、中小国、津軽今別というもっと短距離のルートが可能だった。ただし、海峡線の列車は中小国には止まらないので、区間外乗車の特例を使って蟹田駅で折り返す必要があった。
 列車が1年以上来ていない津軽二股駅。駅の先は草が生えていて、レールも錆び切っていた。ここに列車が帰ってくることはあるだろうか。協議では蟹田からこの駅までを鉄道として残す案も挙がっているが、大きな収支改善効果はないとJRが報告しており、可能性は薄いと思われる。
 

道の駅いまべつでいまべつサーモン丼を食す

 津軽二股駅の正面には道の駅いまべつの建物がある。この道の駅の愛称は"半島ぷらざアスクル"。某オフィス用品通販サイトと同じ名前である。建物は新幹線が開業する以前からあり、津軽二股駅、津軽今別駅の待合所としての役割も兼ねていた。現在も奥津軽いまべつ駅の売店の機能も兼ねていて、建物内には新幹線の発車時刻が表示されるディスプレイが設置されている。なお、奥津軽いまべつ駅のホームまでは歩いて5分以上はかかるので、注意が必要である。
 ここには食堂も設置されている。ちょうどお昼になる頃だったので、ここで昼食を食べてから奥津軽いまべつ駅を見てみることにした。
 
 注文したのは「いまべつサーモン丼」。今別町はサーモンやうに、マグロが有名。いまべつサーモン丼は津軽海峡で養殖されたサーモンを使用した丼で、漬けと炙りのサーモンも楽しめる丼だった。やっぱり津軽海峡に来たら海の幸を食べた帰りたいが、なかなか交通機関の旅では駅の近くにこうしたグルメを気軽に楽しめる場所が少ないので、こうした道の駅の食堂の存在はとてもありがたい。刺身ではサーモンが一番好きな自分にとってはとても幸せな一杯だった。
 

日本で最も乗降客数が少ない新幹線駅で知られる奥津軽いまべつ駅

 さて、昼食も食べたところで、今度は奥津軽いまべつ駅を見ていく。朝も津軽線の代行バスで通った奥津軽いまべつ駅。外ヶ浜町の間に挟まる今別町にある北海道新幹線の駅である。全国にある新幹線の駅で乗降人員が最も少ない駅として知られ、1日の乗降客数は大体50~60人ほど。先述の通り、北海道新幹線の駅であるため、本州だがJR北海道の駅である。なお、北海道新幹線の起点は新青森だが、新青森駅はJR東日本の駅である。そのためこの駅がJR北海道の最南端の駅になっている。
 先述の通り、2016年の北海道新幹線の開業に伴ってできた駅だが、開業以前には海峡線に津軽今別駅が設置され、この駅と同じ場所に海峡線の駅があった。現在も海峡線がここを通るが、海峡線としての駅は廃止されており、海峡線においては駅ではなく信号場という扱いになっている。
 駅の前には小さいビルのような建物が建っているが、これは駅舎の本体に続く通路にタワー棟。階段とエレベーターのみが設置された建物で、この建物で一番上の階まで行き、そこから長い通路を歩いてようやく駅舎本体に到着する。旧三江線宇津井駅を思い出す構造になっている。
 
 入口を入ると、階段とエレベーターがあり、どちらで上るかという選択に迫られる。階段で上った場合、途中にエレベーターの乗降口はないので、通路のある一番上まで階段のみで上がることになる。先ほど竜飛崎の階段国道で高低差70mの階段を上って疲弊したところだが、せっかくなら階段に挑戦してみようと階段で上ってみた。結局、上に着くころにはエレベーターでのぼればよかったと後悔した。
 
 階段をのぼり初めて数段のところには写真のような掲示が。新幹線開業の時に階段の段数を115段と発表したが、実際には116段だったことが判明したとのことだった。こんな掲示があると面白くて階段を選びたくなってしまう。自分のカロリー消費量を増やして、エレベーターの電気代を節約したのはいいが、116段は思った以上にキツイので、後悔したくないならエレベーターを選んだほうがいい。
 
 階段をのぼって、そこから津軽線、保守基地への線路、海峡線の下り線を跨ぐ長い通路を歩くと改札口が現れる。いたって改札口は普通の新幹線駅という雰囲気で、しっかりとみどりの窓口も営業している。窓口の隣には、指定席券売機もあり、そのうち1台はオペレーター通話型の券売機なので、窓口営業時間外となる時間も各種割引適用や払い戻しができる。九州から来た身としては、この充実ぶりはうらやましい。この駅から新幹線に乗る人は1日30人ほどだから、設備はかなり豪華だった。せっかくなので指定席券売機で次回の旅行で使うきっぷを購入した。北海道に行ってないのにJR北海道発行のきっぷを購入するというのは、なんだか不思議な感じがする。北海道の駅で発売されている記念入場券「北の大地の入場券」は、北の大地ではないこの駅でも発売されている。自分は集めていないので購入しなかったが、旅の思い出に買うのもいいだろう。
 
 ここはJR北海道の駅なので、駅の造りもほぼ北海道の駅と変わらない。駅の掲示物やパンフレットなども当然JR北海道のものである。えきねっとやビューカードなどJR東日本と共通するものも多いが、ポスターに起用されているのが日ハムの選手というのが青森なのに北海道にいるような気にさせてくれる。「竜飛崎から磐梯山 羽ばたけ命ある限り」と球団歌にある同じパ・リーグの他球団の包囲網の中にいながら、ここだけは日ハムの陣地になっていた。
 

新幹線が貨物列車を追い抜く青函トンネル周辺限定の光景

 タワー塔から駅舎へ続く通路で外を眺めていたら、青森方面から貨物列車がやってきた。どうやらここで新幹線の通過待ちをするらしい。奥津軽いまべつ駅では、新幹線のホームの外側に上下2本ずつの待避線がある。この待避線は海峡線の列車が使うもので、前後の区間は三線軌条になっているが、駅周辺だけは標準軌、狭軌がそれぞれ分かれている。貨物列車の到着から数分後、E5系が姿を現し、駅を通過していった。通過したのは、東京を9時36分に発車するはやぶさ13号新函館北斗行。途中停車駅が大宮、仙台、盛岡、新青森のみの東北・北海道新幹線の最速達便だった。ここからトンネルを何個か通ると青函トンネルへ突入する。30分後には北海道へ上陸しているはずである。
 
 新幹線が通過後、貨物列車が動き出し、北海道へ向けて発車していった。記事を書きながら、この列車はどこから来たのか調べてみた。そしたらなんと福岡貨物ターミナル発札幌貨物ターミナル行の列車の国内最長距離を走る貨物列車だった。福岡を前日の深夜に発車。そこから鹿児島本線、山陽本線、東海道本線、湖西線、北陸本線、IRいしかわ鉄道線、あいの風とやま鉄道線、えちごトキめき鉄道日本海ひすいライン、信越本線、羽越本線、奥羽本線、津軽線を経てようやく海峡線に入り、ここまでやってきたのだ。自分よりも約30時間遅れて九州を発った列車とこんなところで出会うなんてちょっとびっくり。目的地である北海道はもう目の前。ただし、終点の札幌へ着くのは夜8時頃。まだここから6時間以上の長旅である。
 

青函トンネルに付随した設備が整う駅構内

 発車の30分前になったので、改札内へ入った。ここを走る新幹線は全て10両編成なので、ホームも長くて駅構内はとても広々としている。そんな長いホームにいるのは自分一人だけ。自分の足音だけが響く。奥津軽いまべつ駅は下りのみ通過線を持っており、下りの通過列車はこの通過線を、上りの通過列車はホームがある11番線を通過していく。窓の外を覗くと狭軌の線路が並んでいる。ホームの両側を線路に囲まれているのもまた、この駅独特の光景である。
 
 11番線のホームの青函トンネル側の端まで歩いてきた。右から海峡線上りの線路が2本、新幹線上りが1本、新幹線下りが2本、海峡線下りが2本の計7本の線路が並んでいる。新幹線はまっすぐ走って来る一方、海峡線の列車は新幹線の駅を避けるように両側に分かれて走る。新幹線開業前の海峡線津軽今別駅は、当初はまっすぐ続く現在の新幹線の上下線の写真のあたりにあったと思われる。新幹線工事開始後は両側の海峡線の線路に仮設のホームが造られていた。青森方面の仮設ホームは、駅の入口から一番遠い写真右側の線路上にあり、写真の真下あたりに開業前の新幹線の線路を跨ぐように通路が設置されていたらしい。自分は津軽今別駅があった頃を知らないが、おそらく知っている人からすると驚くべき変化なんだろうなと思う。
 
 今度は12番線のホームの新青森側まで歩いていってみた。この駅の中をウロウロしているうちに2kmくらいは歩いたのではないかと思う。新幹線はATCという保安装置を使っていて、運転席に車内信号という形で信号機があるので、在来線のように信号機は設置されていない。しかし奥津軽いまべつ駅にはなにやら信号機らしきものが設置されていた。どうやらこれは信号機ではなく列車の停止位置を示すためのものらしい。ネットで調べても詳しくは出てこなかったが、おそらく列車に異常が発生した際に使われるものだと思う。海峡線の方にも同じようなものが設置されている。調べてみると北海道の湯の里知内信号場にもあるみたいだった。
 

約3時間ぶりの上り列車で八戸へ移動する

 1時間30分ほど奥津軽いまべつ駅に滞在して、ようやく乗車する新幹線の発車時間が近づいてきた。この駅からは次の未乗路線を目指して八戸駅へと移動していく。乗車したのは、東京行きのはやぶさ28号。夜の区間列車を除いて、この駅からの上り列車は東京行きである。周りに人家も少ない駅から列車に乗り込む。この列車が約3時間後、大都会東京の街中を走行しているというのがちょっと信じられない。乗車した列車にこの駅から乗り込んだのは自分を含めて4人ほどだった。八戸までの所要時間はたった40分。ここに新幹線の駅がなければ蟹田、青森と乗り換えて八戸までは3時間近くかかるだろう。ここに新幹線の駅がなければ今回の旅程は成り立たなかった。
 
乗車記録 No.13
北海道新幹線 はやぶさ28号 東京行
奥津軽いまべつ→八戸 H5系
 
 はやぶさ28号は希少なH5系新幹線での運転だった。北海道新幹線を使うのは、2年前に新函館北斗から鹿児島中央までの新幹線大縦断をやって以来2回目。この時もH5系だったのを思い出す。東北新幹線にも乗車何度か乗車しているが、H5系、E6系やE3系で乗車していて、未だ主力のE5系には乗車できていない。おそらく次の旅で乗車することになるだろう。ゆっくりする暇もなく、列車は新青森を経てあっという間に八戸に到着した。
 
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