【旅行記】北東北の鉄道路線を巡る旅~快速しもきたで大湊線を往復する~

前話
 
 奥津軽いまべつ駅から新幹線はやぶさ28号に乗車して到着した八戸駅。津軽半島を旅した前半とは打って変わって、後半は青森県のもう一つの半島である下北半島を走る大湊線に乗車していく。この日の宿泊地はここ八戸だが、ホテルにチェックインするのはまだ数時間先の話。ここから直線距離で90km近く離れた大湊を目指した。

1年ぶりに訪れた八戸駅

 八戸駅へ来たのはちょうど1年ぶりだった。太平洋側を北上する旅のゴールとなったのがこの駅で、久慈から八戸線に乗車してこの駅に到着後、三沢空港から空路で九州へと帰ったのだった。1年ぶりに訪れた八戸だが、また次回の旅でもお世話になる。東北地方で最多の訪問回数となるのは、しばらくの間八戸になる予定である。

青い森鉄道から大湊線に直通する快速しもきたに乗車

 これから乗車するのは、下北半島を走るローカル線、大湊線である。ただし、八戸駅自体に大湊線は乗り入れていない。大湊線は現在の青い森鉄道野辺地駅から大湊駅を結ぶ路線で、JRで2つある全く他のJR路線と交わっていない路線の一つとなっている。野辺地駅を走る旧東北本線は、東北新幹線の八戸~新青森間の開業に伴い青い森鉄道に移管された。青い森鉄道としか接していない大湊線は、JRの路線としては完全な孤立路線となり、青い森鉄道を経由しないと辿りつけない路線になっている。2つあると書いたが、もう一つはJR西日本の七尾線である。IRいしかわ鉄道線の津幡駅で分岐するので他のJR路線と一切接続していない。ただし七尾線は津幡から3駅先の金沢でJRと接するので、飛び地という言葉が最適かもしれない。一方、大湊線は八戸駅まで約50km、青森駅へも45kmほど離れていて、他のJR路線から見るともはや飛び地というより離れ小島状態になっている。
 他のJRと全く接していない大湊線だが、一部列車は青い森鉄道線へと直通し、八戸駅まで乗り入れている。かつては青森へも直通列車があったが、2021年に廃止となり、現在は八戸への直通列車のみとなっている。今回はその八戸直通の大湊線列車を利用して、大湊まで往復してみる。
 
 乗車したのは八戸15時14分発の快速しもきた大湊行き。快速しもきたは大湊線の快速列車で、現在の運転本数は上り4本、下り3本である。このうち大湊線完結の列車が上りに1本設定されているため、青い森鉄道へと直通するのは上下3往復。これらの列車は青い森鉄道では必ず快速運転を行うが、大湊線内で普通となる列車が1往復設定されており、八戸~大湊間の全区間で快速運転を行う列車は1日2往復と少ない。列車によって停車駅にも違いがあり、青い森鉄道線内では八戸、下田、三沢、上北町、野辺地と停車するのを基本とするが、乙供に停車する列車が存在する。さらに大湊線では野辺地、陸奥横浜、下北、大湊と停車するのを基本とするが、近川に停車する列車がある。この列車は、乙供には止まらないが近川に停車する列車で、八戸、下田、三沢、上北町、野辺地、陸奥横浜、近川、下北、大湊と停車していく。
 この快速しもきたの見どころの一つは、その俊足ぶりである。乗車する列車は八戸~大湊間の109.8kmを1時間39分で走り切る。表定速度は66.7km/hとなっている。快速しもきたの最速達列車は大湊10時22分発の八戸行で所要時間は乗車する列車よりわずかに早い1時間36分。表定速度は68.6km/h。全国の気動車快速列車としては、JR東海の快速みえに次ぐ俊足の持ち主である。
 乗車したのはキハ100系気動車。この旅で3回目となるもはやお馴染みのこの顔だが、花輪線、山田線で乗車した車両はキハ110系と呼ばれる形式で、同じグループではあるものの違う形式である。キハ100系はキハ110系よりも一足早く導入され形式で、キハ110系が車体長が20mである一方、キハ100系は16mと短い。キハ110系の車内は2+1列のボックスシートが並ぶが、キハ100系は2+2列のボックスシートになっている。
 
乗車記録 No.14
青い森鉄道・大湊線 快速しもきた 大湊行
八戸→大湊 キハ100系
 八戸では新幹線からの乗り換え客を含めて多くの乗車があり、座席は全て埋まり、立ち客も出た状態での発車となった。八戸からの青い森鉄道線にも今回が初めての乗車となった。この時間は西日が眩しいので、車窓が見辛い。しかし、大湊線の陸奥湾の眺めを楽しむには、進行方向左側に座る必要があり、八戸~野辺地間は西日との戦いを覚悟しなければならない。翌日も同じ区間に乗車するので、青い森鉄道区間は車窓が見えなくても大きな影響はない。太陽が雲に隠れたところで写真を一枚とってみた。奥に見える山は八甲田山だろうか。野辺地までの間は、平野と山が何度か繰り返される。列車は三沢駅に到着。ここで多くの乗客が下車していった。全線に渡ってJRの乗務員が乗務するが、野辺地までは青い森鉄道の列車として運行する。そのため車内放送も"青い森鉄道をご利用くださいましてありがとうございます"と放送される。続いて停車した上北町でも多くの降車があり、車内の半数以上は青い森鉄道線内の停車駅で降りて行った。
 

野辺地から大湊線に入り、自慢の快足を飛ばす

 列車は野辺地駅へと到着。ここからはJR東日本の大湊線へと入る。青い森鉄道線走っている間に車内の混雑は落ち着いて、4席全て埋まっていたボックスシートも対角の座席が埋まる程度となった。八戸から乗車している乗客は多くがスーツケースを持っていた。下北・大湊への仙台や東京から帰宅するにはちょうどいい時間の列車である。一方、野辺地からは高校生の乗車が多かった。野辺地にも高校があるが、青森市内へ通学する人も一定数いると思われる。
 駅の後ろ見える木々は日本最古の防雪原林らしい。明治期に700本の杉の木が植えられ、鉄道の安全運行を陰で支えている。かつてこの駅には南部縦貫鉄道という路線が乗り入れていた。七戸へ向かう鉄道路線だったが、1997年に休止、2002年に廃止となっている。このあたりは内陸へ向かう廃止された鉄道路線がいくつもある。
 
 列車は野辺地駅で数分停車した後、青い森鉄道線と離れて大湊線へと入った。所要時間1時間39分のうち、43分が青い森鉄道線での走行時間、3分が野辺地駅での停車時間である。すなわち、この列車が大湊線を走るのは53分。大湊線の全長は58.4kmで、これを1時間以内で走り切るというのはローカル線では脅威的なスピードだと思う。ローカル線の表定速度は大体40km/h前後であることが多い。この列車はそれを20km/h以上上回った速度で走っていく。ふつう本線的な路線からローカル線へと入るとその走りものんびりしたものになることが多いが、この列車は大湊線に入っても青い森鉄道線とほとんど変わらない走りを見せる。次の停車駅は30km先の陸奥横浜駅。25分間無停車で快足を飛ばす。車窓にはやがて夕暮れの陸奥湾が見えてきた。
 

有戸-吹越間の車窓に広がる夕暮れの陸奥湾

 列車は80km/h前後のスピードを維持して走り続け、やがて有戸駅を通過する。この有戸駅から次の吹越駅までの区間が大湊線で一番眺めのいい区間である。大湊線は陸奥湾から少し距離を置いた内陸を走る区間が長く、海岸線と隣り合わせで走る区間はこの有戸~吹越間だけとなっている。車窓に海が見え始めると、車内自動放送でも観光放送が行われた。夕暮れの陸奥湾。白い波が幾重にも重なって海岸へと打ち寄せていた。遠くには先ほどまで旅していた津軽半島と、この列車の終点大湊からさらに奥へと進んだ下北半島の山の稜線がわずかに見えた。
 
 進行方向を見てみる。奥に見える少し背の高い山の麓にあるのが大湊駅である。列車はここからあの山の麓まで走っていく。終点はまだ地平線の先にある。一瞬で海を目前にする区間は終わり、その後列車は林の中を進んでいった。
 列車はやがて最初の停車駅陸奥横浜駅に停車。横浜という駅があるのは、神奈川だけではない。青森にも横浜町という町がある。大湊線は駅間距離が非常に長いことでも有名である。全長58.4kmだが駅は11駅のみ。海岸線区間を含む有戸~吹越間の駅間距離は13.4km。そのほか駅間距離が6km以上の場所がいくつもある。
 
 その後も北上を続けた列車は近川を経由して下北へと到着した。この駅は終点大湊駅の一つ手前の駅だが、むつ市そして下北半島のターミナル駅となっている。駅自体は棒線駅だが、駅前からは下北半島の各地へ向かうバスが発着している。かつてこの駅には大畑へ向かう下北交通大畑線も乗り入れていた。この駅では車内の乗客の大半が下車した。田名部というむつ市の中心市街地がこの駅前に広がっている。多くの乗客を降ろしてガラガラになった列車は、下北駅を出て田名部川を渡り、終点大湊へと到着した。
 
 なんとか日が暮れる前に大湊まで来ることができた。2両編成の列車はすぐに折り返しの普通野辺地行きとして帰っていく。快速しもきたはキハ100系の本気の走りを楽しめる楽しい列車だった。先ほどまで青森県でも南の方の八戸駅にいたのに、いつの間にか三厩駅よりも北までやってきた。本州最北端の終着駅となるのがここ大湊駅。実は手前の下北駅の方がやや北側にあって、本州最北端の駅となるのは下北駅である。
 

てっぺんの終着駅こと大湊駅とその周辺

 駅の入口に「てっぺんの終着駅 大湊駅」と掲げられている大湊駅。本州という一つの島で見れば下関駅から続く線路の一つの終点である。みどりの窓口が設置されているが、駅自体大きくはない。ホームは2面2線だが、行き止まりのため対面するホームにも水平移動で行くことができる。利用客数は隣の下北駅の方が多く、最近の乗車人員は100人に満たない。
 
 大湊駅の駅舎。駅前はバス停になっていて、駅の入口の真横にバスが横付けされる。ここからはJRバス東北の田名部および脇野沢行きのバスが発着している。脇野沢行きのバスに乗り、脇野沢まで行くと、むつフェリーで蟹田へ渡ることもできる。駅の隣にはJR東日本が東北エリアで展開するホテルフォルクローロ大湊が隣接している。この日は満室だったようで、駅よりホテルの方が人の出入りが多かった。
 
 ここ大湊には海上自衛隊の大湊基地があるところとして知られる。基地自体はもう少し進んだ宇曽利川という場所にある。海上自衛隊の大湊地方隊という地方隊の佐世保、呉、舞鶴、横須賀の地方隊が置かれているがそれに並ぶ大きな部隊である。午前中に龍飛崎でみた自衛隊の龍飛﨑警備所という施設はこの大湊地方隊が管轄する警備所である。大湊地方隊は津軽海峡および宗谷海峡の2つの国際海峡周辺の海域を担当する。乗ってきた大湊線もこの地に赴任する自衛隊員の利用が多いらしい。
 先ほど大湊線の車窓にも見えていた山が目前に迫っている。特徴的な形をした山で、山の上には何か建物が建っている。この釜臥山という山で、山上に見える建物はガメラレーダーという自衛隊のレーダー設備である。
 
 駅へと戻って帰りの列車を待つ。駅にはみどりの窓口も設置されていて、ひっきりなしにきっぷの購入や変更を行う人が訪れていた。隣の下北駅にもみどりの窓口が設置されているが、17時過ぎには閉まってしまう。17時から18時の間にきっぷを買いたい場合は、中心部から少し離れたこの駅まで来る必要がある。
 駅の待合室には下北半島のパンフレットが掲出されていた。持ち帰られるものがあればもらって帰ろうと思ったが、持ち帰り用のパンフレットはなかった。張り出されたパンフレットの中にはバスの路線図が書かれているものがあった。こうしたバス路線図はネットではなかなか見当たらないことが多いので、今後の旅行の参考に掲示してあったら写真を撮って帰るようにしている。下北半島のバス路線はその多くが下北交通により運転されている。大間や尻屋崎、恐山方面に行くなら下北で乗り換えとなる。下北駅から10分のところにむつバスターミナルがある。ここが下北半島のバスターミナルになっているようだ。大湊線の先にある脇野沢への路線バスはJRバス東北が運行している。下北半島に西側はバス路線が途切れているので、路線バスで下北半島を一周することはできない。今回は大湊線の往復だけの下北半島だが、いずれはここだけをメインにして数日間訪れたいと思っている。
 

復路は大湊線内普通の快速しもきたに乗車

 大湊には1時間ほど滞在し、18時13分発の列車で八戸へと帰った。帰りの列車はキハ100系1両編成の快速しもきた八戸行。時刻表上では、野辺地までは普通、野辺地から快速しもきたに変わると記載されているが、現地の案内上は始発から快速しもきた八戸行として案内されていた。先述の通り、大湊線内で普通となる快速しもきたは上下1本ずつ設定されている。行きは所要時間1時間39分だったが、野辺地まで各駅に停車するので、帰りの所要時間は少し長い1時間46分だった。
 
 駅のホームには本州の終着駅から行ってらっしゃいという文字が。それに見送られて大湊駅を出発した。大湊では自分を含めて2人しか乗車がなかったが、次の下北駅で多くの乗車があり、座席の多くは埋まった。沿線へ帰宅する高校生の姿も多かった。この列車は野辺地までは各駅停車なので、往路には停車しなかった駅に停車しながら野辺地へと向かっていった。
 
乗車記録 No.15
大湊線・青い森鉄道 快速しもきた(大湊線内普通) 八戸行
大湊→八戸 キハ100系
 
 列車は野辺地から青い森鉄道線へと入り、闇夜を切り裂く爆走で八戸へと向かった。1両でこんなに爆走する気動車列車というのも珍しいように思う。この時間になるとさすがに途中駅での乗降も少なく、野辺地からは車内の乗客もほとんど増えずに八戸へと到着となった。八戸駅に到着したのは20時前。この列車は八戸を20時13分に発車する東京行きの最終はやぶさ48号に接続している。この列車に乗れば東京には23時過ぎに着く。車内の乗客の会話を聞いていると、仙台などからの出張の帰りという声も聞こえてきた。実際には盛岡や仙台へ向かう乗客が多いのかもしれない。
 青森駅から出発し龍飛崎から津軽海峡を眺め、奥津軽いまべつ駅から八戸へと移動し、さらに大湊線を往復した3日目。青森県の2つの半島を楽しめた密度の濃い1日だった。翌日はいよいよ最終日となる。早朝に八戸を出発し、青森から去年全区間で乗車することのできなかった快速リゾートしらかみを乗り通して旅ゴールとなる秋田駅を目指した。
 
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