【旅行記】東北鉄道大周遊2023~山形新幹線つばさと米坂線~

 

前回の旅から1ヵ月余り、再び東北でローカル線を巡る旅に出る

 気が付けば今年ももう年の瀬が近づいている。街ではクリスマスツリーが光り、朝の冷え込みもぐっと厳しくなった。日常生活を振り返れば、1年というのはあっという間である。年齢を重ねるごとに1年が過ぎるのは早くなるらしい。今でももう十分早いのに、数十年後に体感する早さとはどんなものだろうか。今からその早さに怯えている。
 さて、人生とは旅であり、流れゆく時間もまた旅人のようなものだと表現したのは、江戸時代の俳人松尾芭蕉である。松尾芭蕉、そして奥の細道と聞くと、中学校の国語の授業で奥の細道の序文を暗記する課題があったのを思い出す。あの時は面倒臭く覚えた記憶があるのだが、「片雲の風に誘われて、漂泊の思ひやまず」という一文は、その後もずっと覚えていて、とても好きな一節である。旅する前のソワソワを感じると、自分も奥の細道の序文の松尾芭蕉と一緒だなと思う。しかし、江戸時代と現代とでは旅に出る気軽さというものは全く違う。何百年も前に人生を懸けて旅に出た人物というのは本当に偉大である。今回の東北旅は松尾芭蕉の足跡を辿るわけではないものの、一部で奥の細道ルートを逆行する。そんなわけで奥の細道にちなんで序文を書いてみた。
 1月の沖縄旅行からスタートした今年の旅行もいよいよ今回が最後となった。今年最後の旅も前回に引き続いて東北を旅していく。前回の旅では北東北エリアに的を絞ったが、今回の旅ではより広範囲に秋田県を除く東北各県と新潟県の未乗路線を旅していく。これまで3回東北には訪れているが、まだまだローカル線、特に東西を結ぶ路線を中心に未乗路線が多い。今回もいくつかのローカル線を巡ることが目標だった。旅程は3泊4日。東京駅から東北を周遊する鉄道旅がスタートした。

前旅

 

山形新幹線「つばさ」に乗車し米沢へ

 旅のスタートは早朝の東京駅。前回の旅と同様に前日のうちに東京入りし、蒲田駅近くのホテルに宿泊した。朝から京浜東北線の各駅停車で蒲田駅から移動。前回の旅は羽田から大館能代へと飛んで東北旅がスタートしたが、今回は東京駅から新幹線で東北へと向かった。
 今回の旅は、3泊4日の行程のだが、前半3日と後半1日に分かれている。前半の3日間は、東北地方をジグザグに走行しながら北上し、東北の未乗路線を巡る。まずは山形新幹線に乗車して、今回乗車する最初の未乗路線が走る米沢駅へと向かった。
 
 東京から乗車したのは、7時12分発のつばさ123号新庄行(写真は米沢駅で撮影したもの)。この列車には最初の未乗路線が走る米沢駅まで乗車した。山形新幹線「つばさ」は、昨年の旅で新庄~東京間で乗車しているので、乗車するのは2度目だった。昨年乗車した「つばさ」は、日中に東京駅に到着する列車で、福島~東京間も単独で走行する通称「単独つばさ」だった。今回乗車したつばさは、東京~福島間でやまびこ123号仙台行を併結し、同区間を17両編成で走っていく。東京駅のホームに回送列車として現れたやまびこE2系とつばさE3系の17両編成はやっぱり迫力があってかっこよかった(写真は米沢駅で撮影したもの)。
 
 17両編成のうち、つばさは新庄・仙台寄り前7両になっている。単独運転であっても必ず号車番号は11号車~17号車となるが、今回は本当の意味で17両編成の17号車である。「つばさ」に投入されているE3系は、製造時期の違いで座席にコンセントがついていたりいなかったりするが、今回はコンセント有りの2000番台での運転だった。長距離移動となるときにコンセントがあるのはとてもありがたい。特に充電を長く持たせないといけない午前中なおさらである。東京駅から米沢駅間の所要時間は2時間20分ほど。日が昇り、高層ビルの上側だけに日が当たる早朝の大都会を出発し、一路東北を目指す旅路がスタートした。
 
乗車記録 No.1
山形新幹線 つばさ123号 新庄行
東京→米沢 E3系
 
 東京駅を出て数分で、列車は上野に停車。ここでも東京駅と同じくらいの乗客が乗り込んだ。再び地上に顔を出し、東京そして埼玉の街並みを見ながら走っていく。車窓に見える赤羽や浦和はしばらくご無沙汰になっている。東京近辺の鉄道路線は北関東を除けばおおよそ乗車済みなのでなかなか行く機会がない。車窓から見える武蔵野線とデルタ線を見ると、大宮に乗り入れてくるしもうさ号とむさしの号にも乗ってみたいと思っていることを毎度思い出す。
 
 上野を出た列車は大宮、宇都宮、郡山、福島と停車していく。やまびこ・つばさは、東北新幹線では準速達の立ち位置である。宇都宮駅では3分の停車時間の間に後続のはやぶさ101号盛岡行に追い抜かれた。やまびこに関しては、この後福島駅でつばさを切り離している間にもう一度はやぶさ・こまち5号に追い抜かれるので、仙台駅までの間に2本の列車に追い抜かれる。一方、つばさに関しては宇都宮で追い抜かれるのが最初で最後。昨年乗車したつばさは追い抜きがなかったので、東北新幹線で通過待ちを体験したのは、今回が初めてだった。
 
 宇都宮を出た列車は、那須連山を車窓に走っていく。この日は珍しく関東の方が曇っていて、北へ向かえば向かうほど、天気は良くなっていった。松尾芭蕉が夢見た東北の入口である白河も新幹線はあっという間に通過していく。スマホに気を取られていると、東北地方に到達したことすら気づかないので意識して窓の外を見ておかないといけない。郡山を経由して、列車は福島へ到着。ここで東京から連結して走ってきた「やまびこ」と「つばさ」が別れてそれぞれの方向へと向かう。単独となった「つばさ」は、福島駅を出たのちアプローチ線を下り、以後は奥羽本線を進んでいった。
 
 奥羽本線へと入った列車は、庭坂駅を出て、峠越えに挑む。庭坂駅の次は峠駅だが、かつては赤岩駅という駅があった。2017年3月以降全列車が通過となり、2021年3月に正式に廃止されている。この駅と今も現役の板谷、峠、大沢の4駅は、かつてはスイッチバック方式の駅だった。現在はスイッチバックは廃止され、ホームも移設されているが、車窓にはスイッチバック線の跡地や巨大なスノーシェルター、信号機などの遺構を見ることができる。スノーシェルターは、雪深いこの地にある駅の屋根代わりになっている。列車は普段は停車しない大沢駅で停車した。どうやら早朝に米沢駅で信号故障があったようで、先行列車が遅れていたようだ。すでに故障は復旧済みだったので、事なきを得た。昨年山形新幹線に乗車したときも、大宮あたりで作業員が行方不明になるという事件が発生したのを思い出す。関根駅までたどり着くとやがて米沢盆地へと入り、視界が開ける。列車は10分の遅れで米沢駅に到着した。
 
 降り立つと東京との寒暖差に驚く。東京はむしろ暖かいくらいあったが、米沢は寒かった。米沢といえばやっぱりメガネ(それは九州人だけ)ではなく、米沢牛が有名。駅のホームにも立派な米沢牛の像が置いてあった。米沢ではこの駅から延びる米沢線に乗り換える。列車の発車まで1時間くらいあるので、一度改札の外へ出て、駅前の街並みを見に行くことにした。
 

米沢駅と街を流れる最上川

 立派な宮殿のような駅舎の米沢駅。かっこいいデザインだが、これは米沢市にある現在の山形大学工学部、旧米沢高等工業学校本館の建物を模して造られたものらしい。駅舎のモデルとなった建物は1910年に建てられたもので、国の重要文化財に指定されている。
 米沢市は山形県の南部に位置する人口8万人の街である。米沢盆地の最も南側に市街地があり、街の中心部には山形県の代表的な河川である最上川が流れている。米沢盆地周辺のエリアを置賜(おきたま)エリアと呼ぶ。米沢市はこの置賜エリアの中心地となっており、この駅まで乗車してきた新幹線「つばさ」は全列車がこの駅に停車する。奥羽本線(山形線)の普通列車については、この駅の南北で運行系統が分かれていて、ここから山形方面には運行本数も多い一方、ここから福島方面へ進む普通列車の本数は少なくなっている。
 
 米沢の市街地の中心部は駅から西へ少し進んだところにある。今回は中心部まで行く時間はないが、駅からまっすぐ10分ほど歩いたところに、最上川が流れているので、それを見に行ってみることにした。最上川は今回の旅でキーとなる川である。自分の旅では初めて訪れた街では川を見に行くことが多い。川と街の関係は切っても切れないくらい密接でなので、街を流れる川を見に行くと、街の雰囲気がよく分かるからだ。駅前から最上川まではただひたすらにまっすく歩くのみ。遠くに見える橋を目指して、街の中を歩いて行った。
 
 最上川に架かる住之江橋という橋まで歩いて来た。大河川のイメージの強い最上川だが、米沢を流れる最上川はかなり上流に位置しているので、川幅も狭い。最上川は山形県と福島県の県境に源流があり、米沢、長井、左沢、村山、新庄などを経由して山形県内を南北に流れた後、西へ向かって酒田から日本海に注ぐ。山形県のほぼ全域が最上川の流域である。最上川はここからいくつもの河川と合流し、酒田へたどり着くころには大河川なる。その様子は次の日見ることができるので、川の変化というのを楽しむためにも米沢では最上川を見ておきたいと思っていた。盆地の南側に位置しているので、南側には高い山が聳えている。写真は下流側を見ている。下流側は米沢盆地が奥に広がっているので、広々としていて山も遠かった。
 徒歩10分というのも意外と離れているもので、のんびりしていたら次の列車の発車時刻が迫ってきた。再び駅へと戻って鉄道の旅を再開する。少し速足で米沢駅へ戻った。改札に入る前に忘れてはいけないものがある。米沢といえば、駅弁が有名。これを買わずして米沢を去るわけにはいかないので、駅前の駅弁屋で駅弁を購入し、次の列車に乗り込んだ。
 

米坂線の列車運行区間に乗車する

 米沢から乗車するのは、今回の旅最初の未乗路線である米坂線である。米坂線は米沢と新潟県村上市の坂町駅を結んでいるローカル線。ただし現在列車が運行されているのは、米沢駅から途中の今泉駅間のみであり、残りの区間は2022年8月の大雨被害の影響を受けて、代行輸送が行われている。現時点で復旧の見込みは立っておらず、被災区間が鉄道で復旧されるかどうかも不透明な状況である。復旧検討会議すでに開催されているが、80億以上かかるとされる復旧費を誰が負担するのかという点と、復旧後の鉄道運行の安定性をどう確保するのかという点が論点となっている。
 列車で坂町まで向かいたいのは山々だが、2022年8月時点での東北の乗車路線は東北新幹線と磐越東線だけだった自分には、もはや悔やみようがない。したがって、列車に乗れる日を信じて、今回は代行バスで暫定的に乗車しておく。乗りつぶしのマイルールでは、復旧見込みのない路線について、代行バスへの乗車で暫定的に乗車したこととみなすと定めている。今回はこの特例ルールでの乗車となる。もちろん復旧が正式に決定した場合には、再び未乗路線として扱うことになる。地域の交通の持続可能性というものを考えると、鉄道が最良の手段かどうかというのは議論せざるを得ない。どんな結論であれ、地域がそれを選択したのであればそれを尊重しなければならないと思う。当然、公共交通が趣味のために存在しているものではないことは重々承知だが、趣味としての目線で言えばいつか代行バスでの乗車記録を削除して、再び米坂線に乗車できる日が来てほしいとも思う。果たして、どのような結論が出るのだろうか。今後の動向を注視したい。
 改札を通って米坂線のりばへ。すでに2両編成の列車が停車していた。
 
 乗車したのは普通今泉行き。キハ110系2両編成での運行だった。米坂線は区間のうち米沢~今泉間が東北本部の管轄。残りの区間は新潟支社の管轄になっており、米坂線で使う車両は新潟支社の新津運輸区に所属する気動車が使用される。写真のキハ110系も新津運輸区所属である。米沢で奥羽本線と接続しているが、奥羽本線のこの区間は標準軌になっている。そのため、仙台や山形との車両のやり取りはできない。そのため必然的に狭軌の線路が繋がっている最寄りの車両基地である新潟の車両を使うことになる。ただし、現在は災害で新潟方面への線路は寸断されており、線路を通じて新潟との間で車両のやり取りも行えない状態である。車両は米沢~今泉間で閉じ込められている。線路を介して車両のやり取りはできないので、検査の時は車両を今泉駅まで回送し、今泉駅でトレーラーに載せ替えて新潟まで運んでいるようだ。
 
 米沢駅の米坂線ホームは1番線の南側にあり、切り欠きホームが2本、縦に並んでいる。ほとんどの列車が手前の4番線を使うが、夜の1本のみ奥の5番線を使う。5番線は改札から結構離れてる。ホームの横には米坂線用の留置線があった。改札以外に電光表示板はなく、時刻表が直に掲げられていた。米沢~今泉間の現在の列車本数は1日9本。朝は1時間に1本だが、その他の時間帯は2~3時間に1本となっている。なお今泉から先を担う代行バスも一部が米沢駅発着となっており、バスを含めれば、10往復になる。被災前は1日1往復のみ新潟-米沢駅間の快速べにばなも運行されていた。
 
 現在は陸送されてきたキハ110系が活躍する米坂線。被災前はキハ110系以外にも新潟地区に投入された新型気動車であるGV-E400系も乗り入れていたほか、現在は只見線などで活躍しているキハE120形もかつては米坂線で活躍していた。GV-E400系で走る米坂線というのも体験してみたかったと思う。今後復旧すれば、そのチャンスがあるかもしれない。キハ100・110系には前回の旅でも何度かお世話になったが、今回の旅でも度々お世話になる。そろそろ飽きてきたというのは秘密にしておく。
 
乗車記録 No.2
米坂線 普通 今泉行
米沢→今泉 キハ110系
 
 米坂線は米沢から北へ進んだのち、西に向かい新潟県を目指す路線だが、米沢駅では南側へ発車し、米沢市街地をぐるっとまわって進路を北に変える。奥羽本線の線路と離れるとカーブした後、先ほど歩いて見に行った最上川を渡った。南米沢、西米沢と停車する列車。その名の通り、市街地の南側と西側に駅がある。米沢駅は市街地の東側にあるので、中心部をきれいに迂回して線路が敷かれている。車両基地でしっかり洗車されるということも基本なく、車庫に入ることもないはずなので、少々窓が汚いのはご愛嬌である。
 
 米沢市街地を出た列車は、米沢盆地を北上していく。南北に細長い形をしている米沢盆地。この東側を奥羽本線が、西側を米坂線が走る。なお北側には山形鉄道フラワー長井線が走っているので、盆地の外周を鉄道路線が走っているような形になっている。車窓の右側には山形県と福島・宮城県にまたがる蔵王山が見える。また左手にはこれから米坂線が進んでいく新潟県との県境の山々が見えた。山は既に冬を迎えていて、真っ白に輝いていた。その後も盆地の田園風景の中を列車はのんびりと走っていった。
 
 写真では分かりにくいが、車窓から見える盆地の端の山は紅葉が美しかった。盆地は霧が出やすい地形である。この日も場所によっては霧が出ていたようで、車窓の奥に見える山の麓には霧か立ち込めているのが見えた。列車は羽前小松駅に停車。米沢市に隣接する川西町の中心部に位置する駅で、この駅では何人かの乗客が下車していった。駅前に広がる小さな街を出ると、その後も田園風景の中を軽快なジョイント音とともに走り、米沢から40分で終点の今泉駅に到着した。
 
 終点の今泉駅に到着。現在の米坂線の列車の運行はここ今泉駅までで、ここから先へ行くには代行バスに乗り換えとなる。駅前にはすでにこの列車に接続する代行バスが待機しており、何人かが乗り換えていた。乗ってきた列車は折り返し米坂行きの普通列車として帰っていく。
 駅の詳細は次回の記事で述べるが、今泉駅は米沢盆地の北側に位置する長井市の駅。駅周辺はそれほど栄えているわけではないのだが、この駅には山形鉄道フラワー長井線も乗り入れおり、ターミナルとして機能している駅である。
 自分もこの後は代行バスで坂町へ向かう。しかし、今泉駅や長井市に来たのはこれが初めて。まったく急ぐ旅ではないので、今回は恐らく米坂線が普通に動いていたら、降り立つことなく通りすぎていたのであろう今泉駅と長井市を覗いていくことにした。
 
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