【旅行記】東北鉄道大周遊2023~米坂線代行バスに乗車する~
前旅
山形鉄道フラワー長井線で今泉駅から長井駅まで行って帰ってきた。ここからは再び米坂線の旅を再開して坂町を目指す。この日の宿泊地は現在いる山形県の酒田駅前。最上川はずっと山形県内を流れて酒田へ向かうが、自分はここから一旦新潟県へ出て、海側から山形県へと戻る。最上川とはここでしばしお別れである。前回、前々回の記事で再三書いているが、米坂線は2022年8月の豪雨被害を受けて、現在今泉~坂町間で列車の運転を見合わせている。そのためここからは代行バスに乗車した。
今泉駅で代行バスを待つ

今泉駅の外観はこんな感じ。大きくJRのマークが掲出されているが、山形鉄道へ乗車する場合もこの駅舎を通ってホームへ向かう。駅前は手狭でロータリーはない。駅前には住宅が立ち並んでいる。ちなみに長井駅からここまでは長井市営バスでもたどり着くことができる。ただし、長井市中心部から直接バスで来れるわけではなく、途中の商業施設で乗り換えが必要である。今泉駅から南東へ少し行ったところに大きな病院があるので、そこへ行くバスが駅にも立ち寄っている。

駅舎内にはみどりの窓口も設置されていて、各種きっぷを取り扱っている。せっかくなので、翌日使う乗車券を購入した。この日使っている乗車券は東京都区内~酒田の乗車券。したがって、きっぷに今泉の文字は出てこない。今後使うきっぷを立ち寄った駅で買えば、発券場所としてその駅が出てくるので、記念の意味を込めて買うのも一つの楽しみである。きっぷ購入後は、待合室で代行バスの到着を待った。
米坂線代行バスに乗車して運休区間を坂町へ

発車の5分前になると、代行バスがやってきた。米坂線の代行バスは何社かに委託されているが、今回乗車したのは新潟県のバス会社である新潟交通観光バスのバスだった。新潟交通といえば、個人的には路線バスの車両が纏っている赤と青のバスのイメージが強かったが、高速バスや観光バスの車両は緑のNマークが入ったデザインになっている。観光バスは全く専門外なので、車両についてはよく分からないが、調べる限りエアロミディMJという車両だそうだ。観光バスでよく見かける中型のバスだった。今泉駅前など、狭い道を走る区間があるので、代行バスは基本中型バスかマイクロバスが使われている。
朝の米沢駅の信号故障の影響が長引いているようで、山形新幹線の接続を待った米坂線の列車が少々遅れ、代行バスも10分遅れて発車した。今泉駅から乗車したのは、自分を含めて5名。うち3人が列車から乗り継いだ乗客で、うち2名は地元の乗客だった。
乗車記録 No.5
米坂線 代行バス 坂町行
今泉→坂町 運行:新潟交通観光バス

今泉駅を出た代行バスは、次の萩生駅へ向けた走っていく。今泉駅を出たあとは、バイパスへ出てぐるっと駅の南側へまわり、今泉駅を車窓の左手に見ながら、米坂線と山形鉄道の線路をオーバーパスした。その後、国道から逸れて田んぼの中を一直線に入る道を直進していった。最短距離の道は他にもあるが、おそらく道が狭いのだろう。萩生駅の手前では、米坂線単独となった線路を再びオーバーパスした。今にも列車が来そうたが、線路には草が生い茂っていて、しばらく列車が来ていないことを物語っていた。

萩生駅で地元客1名が下車、次の羽前椿駅でも1名下車し、さっそく車内は自分を含めて旅行・観光客らしき人のみとなった。休日の昼下がりとは言え、利用客は少ない。萩生から先は何度か米坂線の踏切を渡った。線路がどこにあるかわからないくらいに雑草が生えている。最後にここを列車が走ったのは、たった1年数か月前だが、もう廃線跡のようになってしまっている。毎日列車が走っているからこそ、線路も輝くということを改めて実感させられた。羽前椿駅を出たあとは、一旦米坂線の線路と離れて国道へ戻る。車窓には道の駅が見えたが、ここは多くの人で賑わっていた。

ここからは小国へ向けた険しい峠越えの区間に入る。手ノ子駅が盆地の端となっていて、その先はしばらく山の中を走って小国へと向かう。この峠は宇津峠という名前である。バスは国道の新宇津トンネルを通る。米坂線もその隣で長いトンネルになっている。この峠が最上川水系と荒川水系の境になっている。ここまでは最上川水系の白川に沿って走ってきたが、このトンネルを抜けると荒川水系の間瀬川や明沢川の谷間に沿って進んでいく。山形県は県内の多くが最上川とその支流の流域になっているが、小国地域は最上川水系ではないエリアの一つである。車窓の山々は終わりかけだったが紅葉していて美しかった。しばらくの間、深い山の中を走っていく。

かなり長い時間山の中を走っているが、それでも小国の街はまだ先である。写真は伊佐領駅周辺の景色。今泉駅から坂町駅までは67.7kmあるが、小国はそのほぼ中間点に位置している。山深い峡谷を走っている時間は、小国から先よりも小国より手前の方が長い。途中の各駅周辺には一応人家があるが、決して密集しているわけではない。平均の利用客数は20年前の時点で一桁なので今はほとんどいないのではないかと思われる。こうした現状を見ると、鉄道での復旧というのは厳しいと言わざるを得ないだろう。
小国駅で小休憩、赤芝峡を経て新潟県へ

山の中を30分以上走ってようやく小国の街が見えて来た。山の中に街が現れると不思議と安心感に包まれる。バスは小国駅に到着。ここではトイレ休憩を兼ねてしばらく停車した。小国駅は比較的大きな駅であり、人口7千人ほどの小国町の中心駅である。列車が運休している現在も駅員の配置があるようで、駅員がバスを出迎えていた。ただし回線が途切れてしまっている関係上、みどりの窓口の営業は休止している。払い戻しの証明は窓口で対応している他、近距離きっぷや一部企画券は券売機で取り扱っているようだ。米坂線はここから先、新潟エリアのフリー乗車券であるえちごワンデーパスを利用できる。小国駅はこの切符が使える唯一の山形県の駅である。
ところで、九州人からすると、小国という地名はとても親近感が湧く。九州にも熊本県に小国町があるからである。九州の方の小国町にもかつて国鉄宮原線という鉄道路線があり、肥後小国駅がその終点となっていた。人口も大きくは変わらず、県境という点でも似ている。

さて、小国駅での休憩を経て、再びバスは動き出した。街を出たところでこれまで並走してきた明沢川は、大朝日岳の方から流れてくる荒川と合流する。しばらくするとバスは再び峡谷区間へと突入した。赤芝峡と呼ばれる山形と新潟の県境にある渓谷である。国道は急カーブで荒川を渡り、その後は切り立った谷間の狭いところを走っていく。米坂線の線路も近くを走っていて、国道と線路の2つの鉄橋が蛇行する荒川を何度か跨ぐ。やがて渓谷に造られた赤芝ダムというダムが見える。荒川はこの先3つのダムが連続的に建設されている。

しばらく狭い峡谷の走ると、少し山の開けたところに出る。ここには越後金丸駅があり、バスはその前に設置された代替バス停で一旦停車した。目前には先ほどの赤芝ダムの下流にある岩船ダムのダム湖が広がる。少し前の峡谷を流れる激しい川の様子と異なり、川はとても穏やかだった。駅名からも分かるように、バスは新潟県へと入ってきた。赤芝ダムの少し下流が山形県と新潟県との県境だった。

越後金丸駅を発車したバスは、しばらく岩船ダムのダム湖を眺めて走った後、再び川を渡る。米坂線も国道にピッタリくっついて川を渡っていく。再び山が近づいてきて、バスはしばらく山中を走る。その途中には越後片貝駅がある。駅は国道に面しているが、バスは駅前を素通りし、少し離れたところで停車した。国道から左折した場所だが、周辺には家はないように見える。なぜ駅前でなくここが代替のバス停なのかはよくわからなかった。

越後片貝駅の代替バスを発車し、その後しばらく進むと景色が一気に開けてくる。バスは現在走っている関川村の中心地下関へと到達した。下関もまた九州の人間からすれば馴染みのある地名である。しかし、山口県の下関は"しものせき"になのに対して、こちらは"しもせき"である。バスの車窓には立派な屋敷が見えた。江戸時代の豪商の屋敷が今も大切に保存されていて、国指定の重要文化財にも指定されているのだそうだ。この日はちょうど祝日だったので、国旗も掲出されていた。茅葺の屋根がとても美しかった。小国を出て、新潟県に入って以降最初の街だが、ここで乗り降りする人の姿はなかった。関川からは坂町や村上に路線バスの運行もあるようで、代行バスも路線バスの下関営業所バス停と同じところに停車した。

下関を出ると、坂町はもうすぐ。徐々に河口へ向けて川幅を広げる荒川とともに走っていく。もう奥に山はない。日本海側まで到達した証である。見ていた車窓の反対側に米坂線が走っているが、この付近は、豪雨の際に大規模な土砂崩れが発生するなど被害も大きかった区間である。そのため現在米坂線の線路を一旦撤去した上で、法面の工事が行われていた。被災から1年3か月ほど経った現在も、大雨の爪痕はまだまだ残っている。
かつては機関区が設置されていた鉄道の街、坂町

今泉から2時間10分、代行バスは終点の坂町駅へと到着した。結局、今泉から数駅で下車した乗客がいた以降は、乗り降りが全くなかった。
坂町駅は新潟県の一番北に位置する都市、村上市の駅である。村上の市街地までは距離があり、駅前は小さな街がある。ここは2008年まで荒川町の中心地だった。米坂線が被災した大雨では、駅周辺も浸水被害が発生した。現在はその痕跡は見当たらなかった。
坂町からは羽越本線を下って、宿泊地の酒田へ向かう。特急いなほが先発だが、去年乗車したので今年は後続の普通列車に乗車することにした。次の羽越本線の普通列までは1時間10分ほどの待ち合わせとなったが、駅前には特に何もない。近くにイオンがあるみたいだったので立ち寄ったみた。小さな街だが、駅前には八百屋さんがあったり、和食屋があったりしていい雰囲気だった。このくらいの小さな街のサイズ感は個人的にはすごく好きである。

駅へと戻ってきた。発車までまだ30分くらい時間があったが、ホームの待合室で待つことにした。米坂線が分岐するこの駅は2面3線の駅。現在は米坂線の列車が全く走っていないので、あまり分岐駅という感じがしない。普段であれば、米坂線の折り返しの列車が、ディーゼル音を立てて止まっているのだろうが、今はこの駅で長時間止まる列車がないのでとても静かだった。

駅の裏手には雑草が生い茂った空き地がある。駅舎にも書かれていたが、かつてここ坂町は鉄道の街として栄え、坂町機関区という機関区が置かれていた。かつては立派な扇形の機関庫があり、多数の蒸気機関車が所属していた。草に埋もれて見えないが、この写真のどこかに機関車を方向転換するための転車台がある。Google Mapの航空写真では転車台が残っているのが確認できる。数年前までは村上まで臨時のSL列車が運転されていた。その時には、村上からSLを坂町まで回送させて、この転車台を使って方向転換していたらしい。割と最近まで使われていた設備だが、残念ながら今は完全に使われなくなってしまった。羽越線と米坂線の運行を支えた機関区の跡地を今もホームから見渡すことができる。

時刻は16時をまわったところだが、新潟はもう日の入りの時間。平野に沈む夕日がとてもきれいだった。乗り換えの暇時間を駅のベンチで何をするでもなく過ごすというのもまた楽しい。日程の都合で慌ただしい行程になる旅程もあり、それはそれでいろんな路線との出会いがあって楽しいが、とりあえず宿泊地に着きさえすればいいみたいなのんびりした旅もとても好きである。

乗車する普通列車の数分前に、上りの特急列車がやってきた。酒田発の特急いなほ10号新潟行である。いなほといえば多くの列車はE653系6両編成で運転される。しかし、新潟~酒田間の一部列車は、通常信越本線方面の特急しらゆきに使われる4両編成の車両が使用されている。このしらゆき編成が使われる特急いなほは1日1往復のみ。貴重なしらゆき編成の特急いなほを見ることができた。なお、特急いなほの代名詞といえば、豪華すぎるグリーン車だが、このしらゆき編成にはグリーン車の設備はなく、普通車のみの設定になっている。
羽越本線の普通列車で宿泊地の酒田へ向かう

特急いなほが発車すると、すぐに乗車する普通列車がやってきた。乗車したのは、普通列車酒田行き。この列車に終点酒田まで乗車した。
羽越本線は全線電化路線だが、新潟支社管内の普通列車は、電車で運転されるものと、気動車で運転されるものが両方存在している。村上駅の秋田方面方に直流と交流を切り替えるデッドセクションがある。新潟エリアで活躍するE127系電車は直流電車なので、村上駅から先に進むことができない。一方で、村上駅から先の区間は輸送密度が小さい区間である。交直流電車はコストが大きいため、デットセクション区間を挟む村上~酒田間の普通列車は基本的に気動車で運転されている(鶴岡~酒田間のみ交流電車での運行がある)。車両基地が羽越本線の起点である新津にあることから、新津~村上間においても、一部で気動車の普通列車の運行がある。今回乗車したのは、そのうちの1本だった。
乗車記録 No.6
羽越本線 普通 酒田行
坂町→酒田 GV-E400系
58分間停車の間に村上駅で途中下車

列車は先ほどまで米坂線で並走していた荒川を渡り、村上駅を目指して走っていく。坂町駅~村上駅までの所要時間はおよそ15分。車窓には田園風景が広がる。この田園風景を見ると、新潟に来たなという実感が湧いた。村上駅に到着すると、乗客は全員下車していった。実はこの列車、この駅でなんと58分間も停車する。途中駅で長時間停車する列車として有名な列車である。先行の列車が6分前に発車している上に、58分の停車の間に後続の普通列車に追いつかれるので、この列車にこのまま乗車しようとするのは鉄道ファンくらいのもの。自分も初めてこの駅に立ち寄るので、一旦下車して駅前を見ていくことにした。

村上駅は新潟都市圏の鉄道路線の一端となる駅である。先述の通り、羽越本線の新潟方面からの列車の大半はここで折り返す。かつては新潟かららくらくトレイン村上などのライナー列車の運転もあったが現在は廃止されている。新潟都市圏の鉄道路線の一端ではあるものの、近年、列車運転本数は減少傾向で、ここを新潟都市圏の一端と表現していいかというのは迷うところである。
村上といえば昨年流行語大賞を獲得した村神様でおなじみヤクルトの村上選手が有名だと思う。村上選手は熊本県熊本市の出身で、こことは何のつながりもないのだが、時々神宮球場で開催されるヤクルト戦の試合中継を見ていると、応援席に村上の方向幕を持った人達がいる。村上だけのものもあれば、吉田経由村上というものや、らくらくトレイン村上の方向幕を掲げている人もいる。その方向幕の村上こそここ村上駅のことである。という自分はヤクルトファン。正直これを書きたいがために降りてみたところがある。
特にやることもないので、駅前をぶらぶらした後は、列車に戻って発車を待った。発車の20分前になると、後続の内野発新潟経由村上行の普通列車が到着。この列車から何人かの乗客が乗り換えていた。
夜の日本海に沿って酒田を目指す

村上から先は夜間の走行となった。羽越本線は昨年乗車済みで車窓も眺めているので、夜間走行でも問題はない。村上~酒田間でも2時間以上かかる普通列車。特急列車で駆け抜けるのもいいが、時間に余裕があるときは一駅一駅噛みしめるように進んでいくのも面白い。村上から乗車した乗客は、半数程度が数駅のうちに下車していった一方、後の半分は鶴岡、酒田まで乗車していた。県境区間はどれくらいの人が乗るのだろうかと思っていたが、自分の想像よりは乗客の姿があった。とはいえガラガラ状態であることには変わりはない。窓を覗いてみると、真っ暗な日本海が見える。普段あまり夜の外海というのを見ることがないので、白波を立てて荒々しい様子の日本海はちょっと怖かった。遠くには灯台の灯かりが見えた。沖合に浮かぶ粟島の灯台だろう。
日本海に沿って進むこの区間、JR東日本が今年発表した昨年の路線収支においては最も赤字額が大きい区間となっていた。これだけ海の近くを走る路線でありながら、貨物列車も多く走行するので、維持費がかかるのはある意味仕方がないところがある。そんな風に考えていると、途中駅で貨物列車とすれ違った。1時間半に渡って日本海に沿って進み、鼠ヶ関駅から山形県へ。一歩一歩酒田へ向けて普通列車は歩みを進めていった。

列車は鶴岡に到着。1時間半ぶりに大きな街の灯かりを見るとなんだかほっとした。駅に到着するとホームでは多くの人が列車を待っていて、ここでガラガラだった車内も少し混雑した。鶴岡~酒田間は山形県の庄内エリアの2つの大きな都市を結ぶので一定の需要はある。区間列車がたくさん走っていてもいいような区間だが、鶴岡-酒田間を走る区間列車はわずかで、列車の本数は鶴岡までも鶴岡からもさほど変わらない。やはり自家用車での移動がメインになるだろうから鉄道を使うのは学生を中心とした若者だろう。鶴岡から乗車した乗客も若者の姿が目立った。陸羽西線と合流する余目駅を発車すると、列車は最上川を渡る。今泉駅付近で分かれた最上川と再び出会った。明日はこの川に沿って新庄方面へと進んでいく。村上駅を出て2時間6分、坂町駅を出てなんと3時間17分。列車はようやく終点の酒田駅に到着した。
東京駅からスタートした1日目はここ酒田がゴール。この日は酒田駅前の月のホテルに一泊した。2日目はここから陸羽西線方面へと進んだ。
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