【旅行記】東北鉄道大周遊2023~陸羽西線代行バスに乗車する~

前話
 
 酒田駅前のホテルをチェックアウトして2日目の行程がスタートした。この日は酒田から東北地方を横断し、岩手県は三陸エリアの釜石までひたすら列車とバスを乗り継ぐ行程だった。1日目は概ねいい天気だったが、この日は冬型の気圧配置が強まり、日本海側を中心に午後以降強風と大雪が予想されていた。羽越本線では計画運休も行われていたが、自分の行程には影響がなさそうだったので一安心。東北もいよいよ本格的な冬が始まろうとしていた。
 

道路工事で長期の計画運休している陸羽西線の代行バスに乗車

 前日は坂町駅から羽越本線の普通列車に乗車してやってきた酒田駅。この駅は羽越本線の主要駅であり、新潟支社と秋田支社の境界となっている。駅自体は新潟支社に属しており、当駅は新潟支社の最北端の駅である。白新線・羽越本線で運転される特急いなほは、新潟-秋田間で運転される列車が2往復(多客期には3往復)設定されているが、それ以外の列車はここ酒田を起終点とする。ちょうど酒田を7時前に発車する特急いなほ4号新潟行きの発車時間が迫っていたので、スーツケースを持った乗客が集まってきていた。新潟で新幹線に乗り換えるという会話も聞こえてくる。いなほ4号は、新潟で上越新幹線の上り最速達となるとき312号に接続しており、両列車を乗り継ぐと、酒田~東京間を約3時間45分で移動できる。新庄~東京間が3時間30分なので、新庄から東京へ出るのと大差ない。なお、庄内エリアには庄内空港があり、ANAが羽田便を1日あたり5往復運航している。ただ、飛行機は風や雪の影響を鉄道以上に受けやすい。東京まで1時間とはいえ、こうした影響を考慮して鉄道を選ぶ人も一定数いるだろう。特急いなほはこの時間ですでに2本目。1本目は早朝5時半に発車していた。
 
 さて、多くの乗客が特急いなほに吸い込まれていく中、自分は駅の改札の中には入らずに、駅前の道路へとやってきた。酒田は羽越本線の単独駅だが、少し南にある余目駅から分岐する陸羽西線の列車が乗り入れてくる。陸羽西線は余目駅から新庄駅までを結ぶローカル線。しかし、現在は沿線の道路のトンネル工事の影響で2年間計画的に運休しており、列車は運行されていない。羽越本線区間である酒田~余目間を含めた酒田~余目~新庄間でバスによる代行輸送が行われいる。酒田からはこの代行バスに新庄まで乗車した。
 当路線はあくまで計画的な長期運休であり、2024年度には運転が再開される予定になっている。乗りつぶしのマイルールでは、長期運休路線のうち、復旧見込みがない路線については暫定的に代行バスの乗車をもって、乗りつぶしたとみなす特例を設けている。しかし、計画的な運休の場合には、この例外措置の対象としては扱わない。したがって、今回の代行バスへの乗車は、鉄道路線への乗車記録としては記録しないことにした。運転を再開したら再び乗車しにこの地へ訪れる予定である。
 発車時間の5分前になると、代行バスが姿を現した。陸羽西線の代行バスは、JRバス東北と山形交通の2社で運行しているようで、今回乗車した便は山形交通の担当便、通学にも使えそうな時間だが、酒田から乗車したのは自分一人だけだった。
 
乗車記録 No.7
羽越本線・陸羽西線 代行バス  普通便 新庄行
酒田→新庄 運行:山形交通
 
 酒田駅を発車したバスは、酒田の市街地を走り、次の東酒田駅の代替バス停を目指した。酒田~余目間は、"羽越本線を走る陸羽西線直通普通列車の代行バス"という扱いである。羽越本線鶴岡・村上方面の普通列車は平常運転なので、酒田~余目駅間は列車と代行バスが同時に存在する区間になっている。両者では所要時間が大きく異なり、列車なら15分なのに対して、バスは30分以上かかる。代行バスの使いづらさというはどうしても感じてしまうところである。
 次の東酒田駅の代替バス停は、駅からかなり離れた国道上にあった。東酒田駅自体、酒田の市街地から出た田園地帯の中にあるので、乗降客数も両手で数えられる程度しかいない。羽越本線の普通列車だけでも本数的には十分である。バスは国道から県道へと入り、さらに狭い道へと入って次の砂越駅へとむかう。この時点で酒田を9分後に出た特急いなほ4号に追い抜かれている。砂越駅を出た列車は次の北余目駅との間で河口が迫った最上川を渡った。
 

代行バスが普通列車に追い抜かれる珍光景

 最上川を渡るときに線路の方に目をやると、羽越本線の村上行きの普通列車が羽越本線の鉄橋を渡っていて、代行バスを追い越していった。これはいわば普通列車同士の追い越しである。酒田を12分後に発車した普通列車が代行バスを追い越していく。酒田で多少寝坊しても、あの列車に乗れば余目で代行バスに追いつくことができたらしい。このバスに酒田駅からの乗車が自分以外なかったのも頷ける光景だった。なお、この羽越本線の最上川橋梁付近は、2005年12月に強風に列車が煽られて脱線、転覆する事故が起きた場所である。鉄橋の余目側がその事故現場であり、現在には慰霊所が設けられている。事故では5名の乗客が亡くなった。
 
 バスは北余目駅の代替バス停に停車。ここも駅から少し離れているが、そもそもの乗降客数が少ない。このあたりでは連続して酒田方面への代行バスとすれ違った。余目駅から酒田方面へ向かう列車は7時34分が始発であり、始発時間がかなり遅くなっている。それより早く酒田駅方面に向かうには代行バスしか選択肢がない。この時間の酒田方面への代行バスは、新庄からの快速便、狩川という途中駅からの区間便、新庄駅からの普通便の3便が立て続けに運行されている。すれ違いざまに見る限り、乗客はそれなりに乗っているように見えた。
 

陸羽西線区間へ入り、最上川に沿って新庄へと向かう

 バスは酒田駅から30分かけてようやく余目の街に到達。駅前の商店街の通りを走って、余目駅前のロータリーへ乗り入れた。余目駅は庄内町の中心駅で、特急いなほも停車する比較的大きな駅である。陸羽西線はここから分岐して新庄を目指し走っていく。ここまで貸し切りだったが、ここで団体さん複数名の乗車があった。なお、朝夕は酒田発着となっている陸羽西線の代行バスだが、日中は原則この駅が起終点となっている。列車運行時も酒田まで行く列車と余目で折り返す列車はおよそ半々である。
 
 余目駅を出て陸羽西線区間へ入ったバスは、羽越本線の線路の上を越えて、平野の先に聳える山の方へと走っていった。陸羽西線も余目から狩川の辺りまでは庄内平野の中を走っていく。次の南野駅の代替バス停は、駅から1km以上離れたコミュニティセンターに設置されていて、バスは国道から一旦逸れてここに立ち寄った。その後もしばらく国道を進んだのち、県道へと入り、狩川駅に停車。狩川駅を発車すると車窓の左手には最上川が合流した。次の清川駅は最上川にとって庄内平野の入口となる場所にある。しばらく山の中を流れてきた最上川は、広い庄内平野へと流れ出て、その後日本海に注いでいる。前日に訪れた米沢駅前では最上川の上流部を見た。米沢では狭かった川幅も、ここまで来るととても広くなっている。米沢から山形県内をひたすら流れて来た川は、数多くの支流と合流して大河となっていた。南野、狩川、清川での乗降はなく、バスは淡々と新庄へ向けて進んでいった。
 
 最上川は山梨県と静岡県を流れる富士川、熊本県を流れる球磨川と並び日本三大急流の一つに数えられる川である。最上川には陸羽西線が並走しているが、他の二つも身延線、肥薩線というJR路線が並行して走っている。身延線は未乗なのでどんな景色が広がっているのか知らないが、この山の谷間を大河が流れる光景は、今も大雨被害で運休が続く肥薩線から見た球磨川の景色を思い出した。松尾芭蕉の俳句"五月雨を集めて早し最上川"は、中流部の大石田というとこで詠まれた句である。松尾芭蕉は大石田でこの句を詠んだ後、新庄側から酒田方面に向かっている。代行バスは松尾芭蕉の旅した道を逆行していることになる。松尾芭蕉も眺めたであろう最上川の景色を見ながらバスは山の奥へと分け入っていった。
 
 バスは高屋駅の代替バス停に停車した。ここ付近が陸羽西線の計画運休の原因となっているトンネル工事が行われている場所。代行バスの車窓にもトンネル工事が行われている様子を見ることができた。建設中の道路トンネルは、陸羽西線の数メートル下で掘り進められている。このあたりの地質は脆い地質ということで、鉄道側のトンネルへの影響と安全に配慮して、鉄道を運休させた上でトンネル建設が行われている。一方、最上川の対岸には立派な滝が見えた。白糸の滝と呼ばれる滝で、山からほぼ直接的に最上川に流れ落ちる滝を車窓に楽しめた。ここから古口駅のあたりまでは、川下りと川上りを楽しめる遊覧船も運航されている風光明媚な場所である。
 
 バスはしばらく最上川を眺めて走った後、古口駅に立ち寄った。駅前は家々が立ち並んでおり、戸沢村の役場も駅の近くにある。陸羽西線で唯一上下列車の交換が行える駅で、地元の会社が窓口の営業を行う簡易委託駅になっている。以前は立派な木造の駅舎が建っていたそうだが、10年ほど前に現在の駅舎に建て替えられてしまった。この駅からは地元の乗客の乗車があった。
 バスは再び国道へと戻った後、すぐに高規格道路へと入った。この道路は新庄と酒田を結ぶ新庄酒田道路のうち、新庄と古口を結ぶ新庄古口道路の一部分。新庄古口道路は新庄側と古口側でそれぞれ開通しており、中間部分のみが未開通になっている。中間部分も来年度中には開通が予定されている。開通後は東北中央自動車道新庄ICから高規格道路を通って直接古口へ行けるようになるらしい。陸羽西線の運休の要因である高屋トンネルもこの新庄酒田道路の一部となるトンネルである。その他の部分も順次事業化されているが、開通すれば陸羽西線の利用者も今以上に減ることが危惧される。
 バスは高規格道路から県道へと戻り、津谷駅から少々離れた代替バス停で数名の乗客を乗せた。津谷駅に差し掛かる頃には土砂降りの雨となった。駅であれば雨に濡れる心配もあまりいらないが、簡易なバス停だと激しい雨の中、バスを待つのも一苦労だろうと思う。
 
 津谷の次は羽前前波に停車する。この間にバスは最上川の支流である鮭川を渡り、戸沢村から新庄市へと入った。奥羽本線が山形から秋田に入る雄勝峠は、この鮭川に流れ込む真室川の上流部にある。羽前前波駅を出るとやがて視界が開け、新庄盆地へ到達した。升形駅の代替バス停を出ると、その先で陸羽西線の踏切を渡った。線路は割ときれいだったが、線路脇の草が線路に覆いかぶさっていて、しばらく列車が来ていないことを現わしていた。この先、バスの走る県道と陸羽西線の線路は少し離れた場所を走っていく。陸羽西線は奥羽本線秋田方面の線路と合流して、新庄駅に北側から進入する。そのため新庄の市街地の背後をぐるっと迂回する形になっている。一方、バスは市街地へと入り、新庄駅を目指した。新庄市街地はそこまで広くないので、駅前通りへ入る交差点で1度曲がればすぐに新庄駅だった。
 
 バスは駅前ロータリーの端に停車。自分と余目から乗車した団体客、加えて古口、津谷から乗車した地元客を降ろした。朝の便なので、途中で下車した乗客はおらず、全員が新庄駅までの利用だった。
 今回はお試し的な乗車として、陸羽西線の代行バスで酒田から新庄へと移動してきた。生憎の天気だったが、最上川の雄大な流れを見ることができた乗車だった。陸羽西線が運転を再開したら、次は晴れた日に列車の車窓から最上川を眺めてみたいと思う。陸羽西線の運休の要因である高島トンネルは地質の関係上、工事が難航しているらしい。トンネルの開通自体は2024年度開通からの延期が発表されている。そこで心配されるのが、陸羽西線の再開時期の延期だが、現時点では2024年度中には再開というところから変化はない。沿線の鉄道利用者のためにも早期の運転再開が望まれるが、果たして3年ほどの運休期間を経て、どれくらいの乗客が戻って来るのか心配である。
 
 1年ぶりに訪れた新庄駅。ここからは引き続き、陸羽東線に乗車する。昨年は秋田から奥羽本線の普通列車でこの駅までやってきて、ここから東京行きの山形新幹線つばさに乗車した。十字に鉄道路線が交わる新庄駅。昨年は南北に移動したが、今回は西から東へと移動していく。
 陸羽東線の列車までは1時間ほど時間があったので、駅の物産店を見てまわった。山形土産を買う機会というのもあまりないので、今回はここでお土産を購入することにした。まだ旅の半分も終わっていないときにお土産を買ったので、その後の2日間は荷物が重かった。
 
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