【旅行記】三重・岐阜の盲腸路線を巡る旅 第一幕~養老鉄道で揖斐・桑名へ~

前話
 
 樽見鉄道で樽見まで往復した後、再び大垣駅へと戻ってきた。大垣からはこの駅を発着するもう一つの私鉄線である養老鉄道養老線に乗車する。すぐ乗り換えれば、9分後に発車する列車に乗れるが、今回は急ぐ旅ではないので、次発の列車に乗車する。次の列車までは1時間ほどあるので、一旦鉄道から離れて、大垣駅の近くにある大垣城に立ち寄った。
 

乗り換え時間で大垣城を観光

 JRの改札を通って、大垣駅の南口へ出て来た。JR大垣駅の駅舎自体は橋上駅舎となっていて、駅の南北には自由通路が通っている。7年半前にここへ来た時には、北口にあるホテルに宿泊したので、南口には来なかった。こちらが正面玄関だが、南側へ来たのは今回が初めてだった。
 
 大垣城は南口から徒歩10分ほどの場所にある。駅前通りは商店街となっていて、様々な商店や飲食店が軒を連ねていた。駅の北側は大きな商業施設に直結していて、現代的な造りだが、南側は昔懐かしい雰囲気が漂っている。この道をしばらく歩くと、大垣城があるのだが、商店街から右へ曲がったところにお城があるので、入口の表示を見逃さないようにしないといけない。お城と言えばお濠があるイメージだが、大垣城は市街地の開発によってお濠が埋め立てられているので、今は市街地の中に飲み込まれてしまっている。
 
 商店街の通りから右に曲がると、突然城の入口が姿を現す。歴史については疎く、城マニアでもないのだが、旅するところに城があれば、立ち寄ることが多い。その地域の昔の様子や歴史を学ぶには、こうしたお城を見学するのが、一番手っ取り早い。
 
 大垣城は宮川安定という人物により1535年に創建された(諸説あり)と伝わる城である。1600年の関ヶ原の戦いでは、石田三成率いる西軍の拠点となっている。江戸時代に入ると徳川家康は、石川康通を城主とするが、後に戸田氏鉄が城主となり、その後明治まで戸田家の居城となった。江戸時代からの城は1945年の第二次世界大戦中の空襲により焼失。現在の天守は1959年に復元されたものである。当初は郡上城を参考に作られたため、焼失前の外観と異なっていたが、2011年に焼失前の外観に近づける改修工事が行われた。天守の中は、城と関ヶ原の戦いについての資料館となっており、入場料は200円で見学することができた。
 入場料を支払って、大垣城を観光。関ヶ原には15年ほど前に行ったことがあったのだが、久しぶりに関ヶ原の戦いに関わる場所を観光することができた。
 

養老鉄道養老線の大垣駅へ

 大垣城を観光して、再び大垣駅へと戻ってきた。列車の発車時刻も近づいてきたので、再び乗り鉄旅を再開する。やってきたのはJR大垣駅南口の西側にある養老鉄道養老線の大垣駅。改札横の窓口で一日乗車券を購入して、改札内へと入った。
 
 これから乗車する養老鉄道養老線は、近鉄名古屋線と接続する三重県桑名市の桑名駅から、岐阜県揖斐川町の揖斐駅までを結ぶ路線である。路線としては桑名〜揖斐間で一つだが、ここ大垣駅で運行系統は区切られている。というのも、路線は大垣駅で折り返す構造になっていて、桑名方面も揖斐方面も、大垣駅では同じ方向(JRでいう米原方面)に出ていく。大垣駅には2つのホームがあり、1番線を桑名方面、2番線を揖斐方面の列車が使うように割り当てられいる。隣にJRの留置線が何本もあるので、駅構内は広々としているように見えるが、養老鉄道が使う部分はとても手狭である。
 今回の旅でこれから乗車していく路線は、近鉄と結びつきが強い路線である。養老鉄道も桑名駅で近鉄名古屋線と接続しているが、2007年までは養老線自体が近鉄の路線だった。養老鉄道は近鉄から養老線の運行を引き継いだ鉄道会社である。この会社は、第二種鉄道事業者という鉄道の運行のみを行う。線路や車両などは第三種鉄道事業者の一般社団法人養老線管理機構が保有し、養老鉄道に貸与している。似た路線に三重県伊賀市を走る伊賀鉄道がある。三重県の私鉄路線はかつて近鉄(やその前身)に吸収されたものの、1990年代から2000年代に近鉄から分離された路線が多い。
 

シナモロールとのコラボ列車に遭遇

 改札内へ入ると、多くの人が列車の写真を撮影していた。養老鉄道では2024年1月末まで、サンリオのキャラクター「シナモロール」とコラボした「シナモロールみんなとつなぐトレイン」を走らせている。運よくその車両が桑名行きとしてホームに停車していた。この車両は近鉄時代から活躍する600系電車。養老鉄道といえば、この赤色の車両のイメージが強い。しかし、最近では他社から移籍してきた車両が増えていて、次第に数を減らしている。
 
 シナモロール車両の運行期間は、2024年1月28日までとなっていて、この日は運行終了が迫っていた。ネットで調べるとシナモロールのファンからも人気のようで、この車両に会いに大垣まで行ったという投稿もいくつもあった。運行列車はホームページで公開されていて、この日は日曜日だったので、子ども連れで乗車しにきている人も多かった。また、コラボ企画中は一日乗車券もシナモロール仕様となっていた。
 

揖斐へ向かう養老鉄道養老線の北側区間に乗車

 さて、自分はシナモロール列車の隣のホームに到着した列車でとりあえず養老線の終点である揖斐を目指す。大垣から揖斐間を往復した後、シナモロール車両の後を追う形で、桑名へと向かっていく。多くの人がカメラを向けるその隣で、人気車両を羨ましそうに見ているのは、揖斐行きの7700系。この顔を見れば一目瞭然だが、東急7000系を改造した車両で、養老鉄道では新型車両として活躍している。7700系の普通揖斐行きに終点の揖斐まで乗車した。
 
乗車記録 No.5
養老鉄道養老線 普通 揖斐行
大垣→揖斐 7700系
 
 大垣駅を出た列車はしばらく西へと走り、最初の駅である室駅を出たあたりでS字カーブを曲がり、その後は北へと進んでいく。室駅の先では東海道本線の線路とクロスするが、車窓の右側には、JRの大垣車両区を見ることができる。各駅での降車も比較的多く、大垣の郊外の住宅地で乗客を降ろしていった。樽見鉄道に乗車した数時間前は、あんなにどんよりしていたのに、大垣城を見ている間に天気は急速に回復。濃尾平野には青空が広がり始めていた。
 
 大垣市の北側には小さな町がたくさんある。養老線は神戸町、池田町、揖斐川町と3つの町内を走っていく。沿線は写真のように田園風景が広がる区間も多いが、駅周辺には住宅が多く立ち並んでいる。この地域の大切な足として、養老線は使われているようだ。池野、北池野、美濃本郷と停車すると、最後に池田町から揖斐川町へと入り、終点の揖斐に到着した。
 

元近鉄最北端の駅、揖斐駅で折り返す

 終点の揖斐駅に到着。揖斐川町の玄関口であり、かつては近鉄最北端の駅だった。前回の記事では、この辺りにはかつて名鉄も路線を延ばしていたと書いた。岐阜市内線から続く名鉄揖斐線は、ここから北東方向に直線距離で1.5kmほど離れた本揖斐駅が終点だった。歩けば40分ほどなので、名鉄の駅があった頃に乗りつぶしをしていた人たちは、歩いて乗り継いだという人もいるのだろう。近鉄と名鉄の2つの大手私鉄網の一端だった揖斐川町。名鉄揖斐線は2005年に廃止。近鉄の揖斐駅も2007年に養老鉄道の駅となった。
 
 駅前にはバスの待合所があって、揖斐川町のコミュニティバスが発着している。樽見鉄道と養老鉄道とを乗り継ぐ場合、今回の旅のように一度大垣へ戻る方法がメジャーだが、実はもう一つ方法がある。それが谷汲を経由するバス乗り継ぎルートで、樽見鉄道谷汲口駅から発着する谷汲山行きのバスで谷汲山へ向かい、そこで揖斐行のバスに乗り継げば、谷汲口から揖斐までをショートカットできる。少しでも盲腸線の乗りつぶしを効率的に行いたい場合は、このルートを試してもるのもいいかもしれない。谷汲口に停車していたのと同じデザインのバスが揖斐駅前にも停車していた。大垣に戻ったので、とても離れているような気がするが樽見鉄道の線路までは10kmほどしか離れていない。本巣駅までは車で20分ほどである。
 
 駅前も民家が立ち並んでいて、郵便局などもあるが、揖斐川町の中心部はここから北に少し行ったところにある。駅前を走るのは国道417号線。この国道は大垣と福井(南越前町)を結ぶ道路で、最近開通した冠山トンネルは、この中間の県境部分のトンネルである。揖斐川町はその大部分が山間部。濃尾平野部分の面積はごくわずかであり、揖斐駅周辺は揖斐川町の南端部に位置している。国道はこの先、揖斐川に沿って山の奥へ奥へと進んでいく。
 
 揖斐駅に停車中の7700系電車。養老鉄道では近年導入の期待の新型車両だが、製造自体は養老鉄道で以前から活躍している車両と大差ない。しかし、東急自体に改造を受けていることもあって、養老鉄道の主力車両として第二の人生を送っている。ネットの情報によれば、少なくとも20年後まで使用される予定とのことで、そうすれば製造から80年以上も活躍することになる。人の平均寿命も延びているが、サステナブルな社会が求められる現代においては、鉄道車両の平均寿命も延びそうである。揖斐駅からは折り返しの大垣行で大垣へと戻った。
 
乗車記録 No.6
養老鉄道養老線 普通 大垣行
揖斐→大垣 7700系
 

大垣駅で小休憩

 とりあえず養老線の北側区間に乗り終えて、ここからは南側区間に乗車し、岐阜県から三重県へと移動していく。大垣駅での揖斐方面と桑名方面の列車は互いに接続したダイヤで運転されていて、揖斐からの乗車列車が大垣駅に到着した数分後には、桑名行の列車が入線してきた。ただ、使用車両が揖斐往復で乗車したのと同じ7700系2両編成だったので、この列車は見送り、もう一本後の列車に乗車することにした。
 
 大垣駅では再び小休憩をとった。まだお昼を食べていなかったので、駅前のベンチでコンビニで買ったご飯を食べた。朝の土砂降りの雨は何処へやら、空には青空が広がっていた。7年半ぶりに訪れた大垣駅。次来るのはいつになるだろうか。今回は乗車しなかったが、美濃赤坂支線にはもう一度乗ってみたいと思っている。大垣市は市街地の南側を東海道新幹線が走っている。岐阜県内の新幹線の駅は岐阜羽島駅だけだが、どうせなら大垣に駅を作ればよかったのではないだろうかといつも考えてしまう。ここから岐阜羽島駅へは路線バスで行くことができる。この路線バスにも興味をそそられた。旅行に行けば行くほど、乗ってみたい路線は増える一方である。
 

養老山地の麓をゆく、養老鉄道養老線南側区間に乗車

 大垣駅での小休憩の後、今度は養老線の南側区間に乗車していく。大垣から桑名へ行く場合、JRを使うと名古屋で東海道本線と関西本線or近鉄名古屋線を乗り継ぐ形となる。しかし養老線を使えばダイレクトに移動できる。ただ、所要時間は養老線経由も名古屋経由もほとんど変わらない。養老線はのんびり走る一方、名古屋経由は快足を飛ばす形である。似たような区間が中京圏にもう一つある。愛知環状鉄道の高蔵寺~岡崎間である。あちらも、愛知環状鉄道に乗車しても名古屋を経由しても所要時間はあまり変わらない。地図を見ると、養老線は愛知環状鉄道を西に並行移動させたような形になってることが分かる。ある意味、岐阜・三重環状鉄道的な路線である。
 乗車したのは、7700系車両。さっきと同じかと思いきや、この列車は3両編成だった。3両の7700系は養老線では当たり車両である。なぜなら、2両目の一部区画が転換クロスシートとなっていて、快適に移動ができる。
 
乗車記録 No.7
養老鉄道養老線 普通 桑名行
大垣→桑名 7700系
 
 大垣駅を出ると、しばらく揖斐方面の線路の隣を走る。その後、揖斐方面の列車が停車する室駅付近で左側へカーブして、揖斐方面の線路と別れる。桑名方面の最初の駅は西大垣駅。駅構内には車両基地が併設されており、養老鉄道の拠点となっている。大垣~西大垣間には車両の送り込みを兼ねた区間列車が多数設定されている。西大垣からは真南にまっすぐ走って大垣の市街地を出る。その後、大外羽駅を出ると、右へカーブして、一旦西へ向けて走る。車窓の右手には、大垣市街方面が見えると同時に岐阜県と滋賀県の県境に聳える伊吹山方面を望む。路線が一旦西へ走るのは、養老山地の麓の養老町の中心部へ立ち寄るためである。美濃高田駅付近で再度進路を南へ向けると、その後は養老山地の麓を桑名へと走っていく。
 
 養老駅を出ると車内はガラガラとなり、3両でも10人ほどしか乗車していなかった。転換クロスシートに座っていたが、西日が眩しくなってきたので、対面のロングシート部分に移動した。名古屋へ向かう路線にはあんなに多くの人が乗っているのに、それを短絡する路線と言うだけで、こんなにも閑散とするのだ。名古屋からもほど近く、桑名、大垣と近距離周遊にも最適な気がするので、カフェ列車とかランチ列車とか走らせたらいいのではないかと思う。
 
 養老駅から先は、車窓の左手には広大な濃尾平野を見ることができる。養老鉄道は養老山地の麓を走っていくので、平野よりも一段高い場所を走る。見通しがとてもいいという場所は少ないものの、平野の西の端から平野全体を見渡せるので眺めがいい。奥には木曽川の樹冠タワーや、名古屋駅周辺の高層ビルも見える。どちらも養老線からは25kmほど離れていて、2つの建物がいかに高いかがよく分かる。ここと名古屋市街の間には揖斐川、長良川、木曽川の木曽三川が流れている。その3つの川を中心に形成されたのが、この広い平野である。
 
 列車は美濃山崎駅に到着。ここで反対列車を待ち合わせるため数分間停車した。だいぶ南まで下ってきたが、駅名が物語るようにここはまだ岐阜県である。内陸県で海に面さない岐阜県。このあたりが、岐阜県の中でも最も海に近いエリアとなっている。槍ヶ岳や穂高岳の西側も岐阜県、豪雪地の白川村も岐阜県であり、三重県が目前で名古屋湾もすぐそこというここもまた岐阜県である。岐阜県と言えば、名古屋の隣というのが第一印象という人も多いかもしれないが、実際はとても広く多様性に富んだ県だということを実感する。引き続き、揖斐川に沿って南下する養老鉄道。この先の美濃松山から多度間で岐阜県から三重県へと県境を越える。県境を越えるあたりから、今度は桑名方面へ向かう乗客の乗車があり、車内は少しにぎやかとなった。
 
 終点大垣に到着。養老鉄道のホームはJR関西本線と近鉄名古屋線に挟まれる形になっている。ホームは1線だけだが、その隣にはもう1本線路があった。もとは近鉄の路線だが、名古屋線は標準軌である一方、養老線は狭軌の路線である。そのため、双方は直接的に線路は繋がっていない。ただし、養老鉄道の播磨駅方に桑名台車交換場という設備があり、ここで台車をはきかえることによって、車両のやり取りが可能となっている。検査の時に使われる設備で、この時は台車を載せてかつ車両を回送できる近鉄の特殊な車両が活躍する。この東急からの移籍車もしばしば近鉄の線路を走っている。
 
 養老鉄道で岐阜県から三重県へと移動してきた。ここから2日目にかけては、三重県内の未乗路線を巡っていく。桑名駅は近鉄名古屋線、JR関西本線の両方で通過したことがあったが、降り立つのは今回が初めてだった。以前は昔ながらの駅だったが、数年前に橋上駅舎となり、近鉄、養老鉄道、JRが横並びに改札を設ける綺麗な駅舎となった。この駅にはもう一路線、三岐鉄道北勢線が西桑名駅として乗り入れている。北勢線の駅は従来と変わらず3社の桑名駅の南にある。橋上駅舎化に伴って駅が南に少し移動したので、桑名駅も西桑名駅の乗り換えも少しだけ近くなったらしい。
 1日目もだいぶ日が傾いてきたが、ここからは近鉄名古屋線で四日市へと向かい、あともう一路線に乗車に乗車しようと思う。その前に初めて降りた桑名駅。ここでは鉄道ファンにとっては名物となっている踏切を見ていくことにした。
 
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