【旅行記】三重・岐阜の盲腸路線を巡る旅 第一幕~三岐鉄道三岐線・北勢線に乗車~
前話
近鉄四日市駅前のホテルに宿泊して2日目を迎えた。この日も前日に引き続き、三重県内の未乗路線を巡る。午前中は近鉄富田駅から西藤原駅を結ぶ三岐線と、阿下喜駅から西桑名駅を結ぶ北勢線を運行する三岐鉄道に乗車した。乗り鉄の朝は早い。まだ真っ暗な午前6時過ぎの近鉄四日市駅から2日目の旅程がスタートした。
名古屋線の準急で近鉄富田へ移動

近鉄四日市駅から乗車したのは、当駅始発の準急近鉄名古屋行き。近鉄名古屋線の準急は、近鉄四日市~近鉄名古屋間で運転され、途中の近鉄蟹江まで各駅に停車する。急行運転を行うのは、近鉄蟹江~近鉄名古屋間のみ。この間の途中の停車駅はなく、急行と同じく6駅連続通過となる。平日の近鉄四日市始発の準急は、朝から夕方まで運転されていて、特に朝は1時間5本が運転される時間もある。近鉄四日市~近鉄名古屋間の朝ラッシュは、普通が富吉~近鉄名古屋間のみとなるので、四日市発着の最も遅い種別が準急になる時間帯がある。四日市~名古屋間の所要時間は、急行が40分に対して、準急は50分程度となっている。当駅始発で確実に座れるので、準急を選ぶ人も多いのではないかと思う。隣のホームからは急行が先発。朝6時すぎだが、既に朝ラッシュの混雑が始まっていた。続けて今度は松阪始発の伊勢志摩ライナーが到着。伊勢志摩ライナーも朝夕は通勤特急として運用されている。特急列車の発車後、準急列車は近鉄四日市を出発した。
乗車記録 No.10
近鉄名古屋線 準急 近鉄名古屋行
近鉄四日市→近鉄富田 2000系

各駅に停車して、近鉄四日市から8分で近鉄富田駅へと到着した。近鉄富田は桑名と近鉄四日市の間の唯一の急行停車駅。今回は急いでなかったので準急を使ったが、急行に乗ってもいい。駅は2面3線で、近鉄が2線2線を使い、三岐鉄道が近鉄名古屋線の上り線に面した1線を使う。近鉄名古屋線と三岐鉄道では軌間が異なるため、線路はつながっておらず、三岐鉄道の線路はホームの端で行き止まりとなっている。

近鉄四日市からICカードで乗車していたので、一旦改札を出た。駅は東口と西口があるが、東口を近鉄が、西口を三岐鉄道が管理している。写真は三岐鉄道側の西口。駅はクジラを模したデザインになっている。ここ富田はユネスコの無形文化遺産にも登録された「富田の鯨船行事」という伝統的な行事ごとが開催される場所で、それにちなんで駅舎もクジラの形をしている。西口には三岐鉄道の窓口が設置されている。ここで三岐鉄道の一日乗車券を購入した。改札には近鉄の改札機が並んでいる。駅の係員に一日乗車券を提示すると、係員の操作によって改札機が開き、改札を通ることができた。
定期旅客列車では全線走破できない三岐線
さて、これから乗車する三岐鉄道は現在、三岐線と北勢線の2路線を運行している。このうち北勢線は、もともと近鉄の路線だったものを三岐鉄道が引き継いで運行しており、旧来からの三岐鉄道の路線は、近鉄富田~西藤原間の三岐線系統のみである。三岐線はもともと、三重と岐阜を結ぶ路線として計画されたものである。路線は現在西藤原駅で途切れているが、そのまま北へ進むと、岐阜県関ケ原付近へ出る。三岐線の途中には大きなセメント工場があり、旅客列車とともに、この工場からのセメント列車が運行されている。
ところで、近鉄富田駅では"三岐線は乗り換え"と案内されるが、正式な鉄道路線としてはこの駅に三岐線は乗り入れていない。三岐鉄道三岐線は富田駅から西藤原駅を結ぶ路線だが、この富田駅とは近鉄ではなく、JRの富田駅に隣接する富田駅である。では、近鉄富田駅に乗り入れてくる三岐鉄道の路線は一体何線なのかと言えば、近鉄連絡線という路線である。
三岐鉄道の旅客列車は、当初JR富田駅に隣接する三岐鉄道富田駅へ運行されていた。かつては、国鉄への直通運転も行われており、国鉄四日市駅まで乗り入れていた。しかし、このあたりでは国鉄よりも近鉄の方がメインルートとなっていて、三岐線も国鉄ではなく近鉄の駅に乗り入れることが計画された。そして、三岐線が近鉄名古屋線とクロスする付近から近鉄富田駅への路線が新しく建設され、1970年に開業している。近鉄への連絡線が開業してしばらくは、近鉄と国鉄両方の富田駅への列車が運行されていたが、1985年に国鉄方面に行く旅客列車が廃止となった。その後、旅客列車は全て近鉄富田駅へ行くようになった。
したがって、案内上は全線が三岐線と案内される近鉄富田~西藤原間だが、実は近鉄富田~三岐朝明信号場までが近鉄連絡線、三岐朝明信号場~西藤原間が三岐線である。近鉄連絡線は、路線名に他社の名前が入る珍しい路線である。三岐朝明信号場~富田間は、旅客列車の運行は行われていない。したがって、三岐線を一般の旅客列車で走破することはできない。この区間は貨物線となっていて、東藤原駅から運行されている貨物列車のみが走行する。
夜明けの三岐線普通列車で終点西藤原へ

乗車したのは普通西藤原行き。元西武401系の101系電車2両編成での運転だった。三岐鉄道の旅客用の車両は、全て西部鉄道からの移籍車となっており、この101系のほか元西武701系や新101系が2~3両となって活躍している。車内に入ると青いロングシートが並んでいる。少し前に乗車した近江鉄道を思い出した。
乗車記録 No.11
三岐鉄道三岐線 普通 西藤原行
近鉄富田→西藤原 101系

近鉄名古屋線の複数の列車から乗り換え客を待って、近鉄富田を発車。まずは正式には近鉄連絡線と呼ばれる路線を走り、しばらく近鉄名古屋線と並走する。その後、近鉄が関西本線の線路を跨ぐ直前に、近鉄の線路と別れる。JRの線路の上を通ると、右側から線路が合流してくる。これがJRの富田駅方面からやってくる正式な三岐線。その先で近鉄連絡線は三岐線と合流する。この接続点が三岐朝明信号場である。信号場の先で再度関西本線の線路の上を通り、その後は北西方面へと向かっていく。朝の下り列車だが、車内は思った以上多くの人が乗車していた。しかし、学生は少なく、乗客のほとんどは会社員とみられる人たちだった。地図を確認してみると、三岐線の沿線には工業団地がいくつかある。下り列車はここへ出勤する人の通勤列車となっているようだ。一方、反対列車は学生の姿が多く、立ち客も多数出る混雑ぶりだった。朝明川に沿って進み、乗客も各駅で下車していき、車内はだんだんと空いてきた。デンソーの工場が近くにある大安駅に到着すると、残っていた乗客もそのほとんどが下りていき、車内はガラガラとなった。

最初は朝明川に沿って走っていた三岐線も途中からは員弁(いなべ)川に沿って進んでいく。車窓の左手には鈴鹿山地、右手には養老山地を望む。この2つの山地の間に広がるのが、員弁と呼ばれる地域。地図を見れば分かるとおり、かなり内陸まで平地が広がっていることが分かる。車窓には員弁の田園地帯が広がる。朝日に照らされていて、素朴な風景もちょっと美しく見えた。

列車は次第に標高を上げていく。平地が広がっているとはいうものの、実際にはなだらかな傾斜になっていて、奥に行くほど標高が高くなっている。列車は丹生川(にゅうがわ)駅に到着。ここには貨物鉄道博物館という施設がある。列車からも展示車両を見ることができた。その次の駅は伊勢治田(はった)駅。この駅は後ほど下車するが、とりあえずは終点を目指す。このあたりになると、車窓には特徴的な山が見えてくる。藤原岳と呼ばれる山で、手前側が鉱山となっており、石灰石の採掘場が山の斜面に広がっている。

列車は東藤原駅に到着。ここは駅の北側に太平洋セメントの藤原工場があり、駅からこの工場へ専用線が延びている。三岐鉄道を走る貨物列車は、ここを始発駅として運行されている。朝明信号場からここまでは、旅客列車と貨物列車の両方が走る区間だったが、ここから先は旅客列車のみが運行される区間となる。なお、ここを出発した貨物列車は、富田駅で三岐鉄道からJR貨物へと引き継がれ、関西本線を南下。四日市駅から貨物線を経由して、四日市港にある太平洋セメント藤原工場四日市出荷センターへと輸送される。生産されたセメントは、ここで貨車から船へと載せ替えられて発送されていく。貨物列車は山間にある工場から、臨海部にある出荷場を結ぶ役割がある。東藤原駅を出た列車は、工場の中を走っていく。少し前に乗車した岳南電車を思い出した。
のどかな雰囲気漂う西藤原駅

セメント工場の中を走り抜けると、列車は森の中を走っていく。このあたりまで来ると、両側の山がかなり接近している。近鉄富田から1時間ほどで列車は終点の西藤原駅に到着した。三岐線は藤原岳の麓にあるこの駅が終点。残念ながら岐阜まで線路が繋がることはなかった。

西藤原ではそのまま折り返さずに一本後の列車に乗車する。乗車した列車を見送った。西藤原駅は簡易郵便局も併設される業務委託駅。駅舎の中に郵便局が同居している。駅舎はSLと客車を模したデザインになっている。この角度からだとよく分からないが、SLが2両横並びになっているようなデザインになっている。ちゃんと煙突や動輪も再現されていて、なかなか凝った造りの駅舎だった。

駅のホームの向かいには、機関車が3両留置されている。これらの車両はかつて三岐鉄道で活躍していた車両とのことである。その前の広場にはミニ鉄道の線路が敷かれていた。一方、駅の後ろに聳えるのが藤原岳である。左側にはかすかに採石場が見えるのだが、採石場のてっぺん付近にショベルカーが見えた。あそこまで一体どうやって登り、一体何分くらいかかるんだろうかと考えてしまう。藤原岳の標高が1140mということなので、おそらくここからの高低差は1000m近くあるのではないかと思う。

先ほどまでの三岐線の車窓とは異なり、西藤原駅周辺はどちらかと言えば山間の景色が広がる。山の斜面の途中に駅がある形である。ただ、地図を見れば山奥というわけではない。員弁川にたくさんの支流が合流していて、なんて表現すればいいかよく分からないが、逆の扇状地みたいな地形になっている。駅から一段下がったところには民家が立ち並んでいた。
空には無数の飛行機雲が浮かんでいる。ちょうど関ヶ原の上空くらいに浮かぶ飛行機雲である。このあたりは、日本の航空路の大動脈になっている。羽田や成田から中国・九州方面、また、中国の上海をはじめとする国際線も多く飛び交う。そのため、頭上には無数の飛行機雲が現れる。ちょうど、成田から福岡へ向かうジェットスターが飛んで行くのが見えた。
後続の列車で伊勢治田へ

1本後の列車がやってきた。日中は1時間に1本ほどになる列車本数も、朝は20分に1本程度に増える。この日は平日。三重県内の各線は通勤通学で混雑する路線が多いため、ラッシュ時間帯に西藤原に行くことで、混雑時間を避けるというのが朝早くから三岐線に乗りに来た理由だった。帰りの列車も行きと同じ101系2両編成だった。今回の旅では101系以外の車両は反対列車で見かけただけで撮影することはできなかった。
乗車記録 No.12
三岐鉄道三岐線 普通 近鉄富田行
西藤原→伊勢治田 101系

通勤・通学の時間も終わったので、西藤原から乗車したのは自分一人だった。列車は再び森の中を走って近鉄富田を目指して走っていく。貸切だったのは一駅のみ。西野尻からは沿線住民の乗車があった。再びセメント工場を通り抜け、東藤原駅に到着。ここでは10名前後の乗車があり、車内は少しだけにぎわった。

東藤原駅に到着すると、向かいのホームには貨物列車が停車中。どうやら乗車している列車の後に発車するらしい。伊勢治田駅で下車したあと、駅の近くの踏切から貨物列車の通過を見てみることにした。かつてセメントを輸送していた路線は、この路線の他に1日目に乗車した樽見鉄道樽見線と西部鉄道秩父線があった。しかし、いずれも現在はセメント列車は廃止されており、現在私鉄路線として残るのは、この路線のみになっている。

西藤原駅から15分ほどで、列車は伊勢治田駅に到着。ここで近鉄富田行きの列車を下車した。乗りつぶしを趣味とする人にとっては定番の下車駅かもしれない。三岐線の次は北勢線に乗車するのだが、北勢線が発着する阿下喜駅はこの駅から徒歩20分ほどの場所にあり、徒歩で連絡することができる。三岐鉄道を乗りつぶす人の多くが、ここで下車して徒歩で阿下喜駅へと向かう。自分もその定番ルートで三岐鉄道の乗りつぶしに挑む。

伊勢治田駅は駅員も常駐する駅。駅構内はとても広々としていて、貨物列車用の線路が何本も敷かれている。現在もその一部は貨車の留置や列車交換で使用されているらしい。貨物列車が行き交う路線の風格が漂う駅構内だった。
貨物列車の通過を眺めて、阿下喜駅まで歩く

駅構内の踏切へとやってきた。しばらく踏切で待っていると、遠くからジョイント音が聞こえてきて、やがて踏切が鳴り始め、貨物列車が姿を現した。機関車2両に牽引されるセメントを積んだ貨車。旅客列車の何倍も長い貨物列車が、独特なリズムのジョイント音を奏でて踏切を通過しく。貨物列車も見れたらいいなと淡い期待をもって訪れたが、しっかりその姿を見ることができた。貨物列車を見送って、三岐線の旅はここで終了となった。

さて、貨物列車を見送ったあとは、北勢線に乗車すべく、阿下喜駅を目指して歩いていく、伊勢治田から阿下喜までの道のりは意外と単純で、伊勢治田駅前の道を道なりに直進するだけ。伊勢治田駅は丘の上にあり、最初はその丘の上に広がる住宅街の中をしばらく歩いていく。道が少し狭く、歩道はないので、車の通行には気を付けなければならない。

住宅街を抜けると、その後は下り坂となる。途中で国道365号線を横断し、なおも直進して、引き続き下り坂を歩いていく。国道には大型のトラックの姿が多い。やはりセメント工場に出入りする車両だろうか。国道の奥には太平洋セメントの工場と、藤原岳が見えた。国道を横断した直後のところでは道路工事を行っていた。東海環状自動車道という道路で、新名神の新四日市JCTから中京エリアをぐるっとまわって新東名の豊田東JCTまでつながる予定の道路である。名古屋版圏央道と言ったら分かりやすいかもしれない。三重県内は三岐鉄道に沿って進み、その後養老山地を貫いて岐阜県へと入る。現在大安ICから養老IC間と大野神戸ICから山県IC間の建設が進められている。そう言えば1日目に乗車した樽見鉄道でもモレラ岐阜あたりで工事している道路があった。この道とあの道がいずれつながるらしい。東海環状自動車道の建設現場の下を通り坂を下りると景色が開け、川を渡る。この川が員弁川であり、川を渡った先が阿下喜の街である。

伊勢治田から20分ほどで阿下喜駅まで歩いてきた。天気が良くて、散歩気分で楽しかった。知らない街を歩いて巡るのも楽しい。その土地に流れる時間や雰囲気というものをしっかりと味わえる気がする。今回は伊勢治田から阿下喜まで歩いたが、歩かなくても乗り継ぐことができる。それがいなべ市のコミュニティバスを使う方法である。伊勢治田駅発着のバスもあるが、西藤原駅近くの停留所から阿下喜駅へのバスもある。実は西藤原駅にいたとき、数十分後に阿下喜行きのバスが来ると書いてあって、ちょっと興味をそそられた。コミュニティバスは誰でも利用可能で、運賃も無料らしい。でも今回は伊勢治田駅も訪れてみたかったので、結局乗車はしなかった。
北勢線の終点駅である阿下喜駅。先に述べたが、北勢線は以前は近鉄の路線だった。したがってこ駅も、2003年までは近鉄の駅だった。駅前には三重交通のバス停もある。ここから桑名へは北勢線だけでなく、三重交通の路線バスでもアクセスできる。
乗り換え時間に余裕を持たせすぎたので、次の列車の発車まではまだ30分くらいあった。駅の隣にはコンビニがあったので、昼飯も兼ねての軽食を食べた。
初めてのナローゲージ鉄道と対面する

北勢線は各駅に自動改札機が設置されている。しかし、一日乗車券は自動改札機は通れないので、駅員に乗車券を見せて改札内へと入った。北勢線は全国でも4路線しかない現存ナローゲージ路線の貴重な1路線。これから乗車する列車が人生初のナローゲージ路線の列車となる。ホームには黄色い列車が停車中。目の前で見る初めてのナローゲージの車両。本当に細長い形をしていた。三岐鉄道北勢線では、3両編成と2両編成の車両が活躍しているが、乗車した列車は3両編成だった。この車両はこの路線が近鉄だった頃から使われているもの。三岐鉄道に移管された後に三岐鉄道カラーに塗りなおされている。

北勢線は今は少なくなった軽便鉄道の面影を残す路線である。軽便鉄道とは維持費や建設費用を抑えるために軌間を狭めたり、設備の一部を簡易的なものにした鉄道路線のこと。現在の鉄・軌道路線は、鉄道路線が鉄道営業法、軌道路線が軌道法という法律を元に運行されているが、大昔には軽便鉄道法という軽便鉄道の敷設について定めた法律があり、国内ではこの法律を元に敷設された路線を軽便鉄道と呼ぶ。しかし、これまでの間にその多くが改軌されてナローゲージ路線ではなくなっているか、路線自体が消滅してしまっている。北勢線は現在の西桑名~楚原間が1914年に開業。今年は開業から110年を迎える年である。

車内に入るとより一層ナローゲージ路線の狭さが分かる。ちょっとダラっと座ると、前の人と足がぶつかりそうな狭さ。背筋を伸ばしてちゃんと座っていないと、通路を歩く人を妨害してしまいそうである。狭いという話は何度も聞いていたし、動画や写真でも見ていたが、やっぱり実際に乗ってみると、それが実感できて楽しい。頭上にはつり革が2列あるが、この空間に2人座って2人立ってるとそれだけでもおそらく窮屈だろう。狭いというのは褒め言葉。この旅のこの狭さを体感するために企画したようなものだった。
乗車記録 No.13
三岐鉄道北勢線 普通 西桑名行
阿下喜→西桑名 270系
ナローゲージ列車に揺られ、員弁から桑名へ

やがて発車時間がやってきて、列車は阿下喜駅をあとにした。列車は軽快なジョイント音を響かせながら、西桑名へと走っていく。地図を見ると分かるように、線路はクネクネと狭いカーブを曲がる形で敷かれている。列車は右に左にカーブして、乗客もその度に揺さぶられる。列車は員弁川の近くを川に沿って走る。車窓には員弁の田園風景が広がり、奥には鈴鹿山地が見える。川の対岸には往路で乗車した三岐線が走っている。三岐線は川の南側、北勢線は川の北側の地域の足になっている。この辺は撮影ポイントにもなっているようで、沿線で列車を撮影している人もいた。阿下喜から数駅先の楚原駅はいなべ市の中心地。甲子園に三重県代表として出場するいなべ総合学園高校の最寄り駅である。

楚原を出た後も列車は引き続き田園風景の中を走っていく。大泉駅を出ると、その先で北勢線の車両基地である北大社車両管理区が車窓に見える。もともとここには駅もあったそうだが、北勢線が近鉄から三岐鉄道に移管される際、隣の駅と統合されてなくなっている。この時統合されて新たにできたのが東員駅。ここでは反対列車とすれ違った。北勢線は阿下喜発着の列車とともに楚原発着の列車も多く運行されている。西桑名~楚原間は日中も1時間あたり2本の運行となっている。
東員駅を出た列車は、やがて桑名の市街地へと入っていく。車内の乗客も一駅一駅増えて行った。桑名の市街地では、住宅と住宅の間の狭い空間を走り抜ける。やがて、近鉄とJRの線路とクロスし、終点西桑名駅の手前で両線と合流。1日目に見に行った3つの軌間が揃う踏切を通って西桑名に到着した。

終点の西桑名駅に到着。近鉄、JR、養老鉄道の桑名駅は新駅舎となったが、三岐鉄道北勢線の西桑名駅は以前と変わらない駅舎で営業を続けている。バスのロータリーの前にあり、路線バスとを乗り継ぐにはこの路線が一番利便性が高い。初めてのナローゲージ路線への乗車。ちょっと足を延ばしたら、前の人とぶつかりそうな狭さを体感することができた。また、軽便鉄道らしく小さなカーブをクネクネと走っていく姿がとても印象的な路線だった。
乗車記録 No.14
近鉄名古屋線 急行 松阪行
桑名→伊勢若松
さて、桑名に到着して午前中の三岐鉄道の旅が終わった。残す三重県の未乗路線は3路線。近鉄鈴鹿線と四日市あすなろう鉄道の2路線である。これからはこの3路線に乗車するため再び南下する。桑名からはとりあえず、近鉄名古屋線の急行列車で伊勢若松へと向かった。
次話