【旅行記】三重・岐阜の盲腸路線を巡る旅 第二幕~中央本線と東鉄バスで"大正ロマンの街"明智へ~

前回の旅に引き続き岐阜県内の未乗路線に乗車し、中京エリア完乗を目指す

 前回と今回の旅は連続ものとして、岐阜県・三重県の未乗路線を巡る旅を企画した。前回の旅では、岐阜県のうち西部の大垣駅を発着する樽見鉄道と養老鉄道に乗車。その後三重県へと移動し、同県の未乗路線を乗り終えた。前回の旅を終えた時点で、愛知・三重・岐阜の中京3県の未乗路線は残すところ岐阜県内の3路線のみとなった。今回の旅では、残す3路線に乗車して中京エリアの全線完乗を目指す。
 岐阜県内で乗り残しているのは、明知鉄道明知線、JR太多線、長良川鉄道越美南線である。これらの路線は中央本線と高山本線という2つの幹線路線から枝分かれしている。中央本線や高山本線は既に乗車済みだが、岐阜県の東部は通過したことがあるだけで、降り立ったことのある駅は少ない。今回は3路線を巡るついでに、中央本線や高山本線の途中駅でも下車してみようと思う。
 今回の旅で巡る未乗路線は3路線と少ない。したがって、時間にもかなり余裕がある。そんなわけで、明知鉄道の終点明智と、長良川鉄道の途中にある郡上八幡では観光する時間も設けた。一方は大正ロマンの街、もう一方はかつて郡上藩の中心地として栄え、現在も歴史的な街並みが残る街として知られる。岐阜県東部の各路線、各都市を巡り、このあたりの地域を知ることも今回の旅の一つの目的となった。
 具体的な旅程は次の通りである。1日目は名古屋を起点に明知鉄道と太多線に乗車しに行く。明知鉄道は中央本線の途中駅である恵那から発着しているが、その前に中央本線の名古屋近郊エリアの一端である中津川駅に立ち寄る。路線バスと明知鉄道を使って、明智へ訪れた後は、多治見へ移動し、そこから太多線で美濃太田へ向かう。この時点で1日目の目標は果たされる。ここからは宿へ直行してもいいが、まだ時間があるので、久しぶりに名鉄広見線に乗車にに行くことにした。2日目はまず岐阜駅から高速バスに乗って郡上八幡へ向かう。郡上八幡を観光後、郡上八幡駅から長良川鉄道に乗車。とりあえず終点の北濃駅へ行き、そこから折り返して美濃太田までの全区間に乗車する。
 前回と同じく前日のうちに名古屋入りして、名古屋駅前のホテルに一泊。翌日、名古屋駅から1日目の旅程がスタートした。

前旅

 

中央西線の快速列車を乗り通し、中津川へ

 前回の旅では東海道本線の下りの新快速列車で大垣へ向かった名古屋駅。今回も目指すのは岐阜県だが、乗車するのは中央本線である。東京から名古屋まで塩尻経由で走る中央本線。そのうちJR東海エリアである塩尻〜名古屋間は、中央本線でも西側の区間となることから、中央西線とも呼ばれている。中央西線のうち名古屋~中津川間は、名古屋近郊の区間として、多くの通勤・通学客を運ぶ。区間の前半は名古屋市東区や、日本三大ニュータウンとしても知られる高蔵寺を含む春日井市を走る。その後は岐阜県へと入り、多治見や恵那を経由して中津川へと向かう。
 名古屋駅を発車する普通・快速列車は、最遠でも中津川発着となっていて、そこから先、南木曽、塩尻方面との運行系統は完全に分離されている。普通と快速の2本立てで運転される名古屋エリアの中央本線。快速は途中多治見まで快速運転を行い、多治見から中津川間で各駅停車となる。日中は名古屋-中津川間2本、名古屋-瑞浪間1本の計3本が運転される。日中には多治見-中津川間で普通の運転がないため、この時間は快速の運転本数がそのまま、多治見-中津川間の各駅の運転本数となる。一方普通は、早朝夜間には名古屋-中津川間で運転される列車が存在するが、多治見、高蔵寺発着の列車が多い。朝夕には車両基地がある神領や、愛知環状鉄道瀬戸市発着の普通列車も多く運転されており、名古屋に近づくほど運行本数が段々増えていく運行形態となっている。
 
 名古屋から乗車したのは、7時23分発の快速中津川行き。終点の中津川まで乗車した。かつては211系や313系も運行されていた名古屋-中津川間。現在は全列車が新型車両315系8両編成に統一された。315系には一昨年の名古屋エリア各線を巡った旅で勝川-大曽根間で乗車したが、あれはお試し乗車的な乗車時間の短さだったので、しっかり乗車するのは今回が初めてだった。
 
乗車記録 No.1
中央本線 快速 中津川行
名古屋→中津川 315系
 
 名古屋駅発車時点ではガラガラだったが、次の金山駅で多くの乗車があり、座席の8割程度が埋まった。乗客の中には、某夢の国の袋を手に持っている人が何人いた。おそらく夢の国から夜行バスで現実世界に帰ってきた人たちだろう。金山を出ると鶴舞、千種、大曽根と各駅に停車する。各駅とも地下鉄や私鉄路線と接続していて、通過するわけにはいかない。大曽根ではゆとりーとラインの高架橋が車窓に見える。久しぶりに見る光景に懐かしくなった。大曽根を出ると、次の停車駅は勝川。ここで初めて新守山を通過する。勝川の次は春日井、その次は高蔵寺で車両基地がある神領を通過する。一時期地元で同じ列車に乗って通学していた同級生が、JR東海に就職したあと神領に配属になったという話を聞いた。元気にしているかなと、物思いに耽っているとあっという間に高蔵寺に到着していた。
 
 高蔵寺を境に沿線の景色はガラッと変わる。ここから先は愛知県側では庄内川、岐阜県側では土岐川の渓流沿いを走っていくので、時折車窓には渓谷の景色が楽しめる。列車はこの渓谷区間にある定光寺、古虎渓を通過する。古虎渓を通過して、トンネルを何本か抜けると、車窓は再び市街地の景色となる。まもなく列車は多治見駅へと到着した。
 高蔵寺までの間にも多くの乗客が下車していったが、多治見でもまた車内の半分くらいの乗客が降りていき、車内は閑散とした。早朝の下り列車だからそうなって当然である。一方、上り列車は名古屋方面に向かう多くの乗客の姿があった。快速列車は多治見から先は各駅に停車していく。快速区間では主要駅のみ停車だったが、ここから先は小さな駅にも停車しながら中津川へと向かう。ここから先、主要駅としては土岐市、瑞浪、恵那がある。土岐市、瑞浪は名古屋方面への始発列車の設定があり、恵那は特急しなのの一部が停車する。山間の景色と街とが繰り返され、やがて車窓には恵那山が見え始める。しかし、この日は曇っていて、山頂は雲の中だった。
 
 列車は名古屋から1時間20分で終点中津川へと到着した。名古屋近郊の区間を走る快速列車と315系の走りを楽しむことができた。先述している通り、中津川は中央本線における重要な拠点の一つである。JR東海区間の中央本線は、ここ中津川を境に運行系統が区切られている。現在、この駅を跨いで運転される旅客列車は特急しなののみ。普通列車は必ずここが起終点となっている。ここまでは最低でも1時間あたり2本、朝夕には1時間あたり3~4本が運転されているが、ここから塩尻方面へは、朝夕で1時間に1本、日中は数時間ほど普通列車の運転間隔が空く時間がある。ここから先は木曽川の渓谷沿いを進んでいくので、風光明媚で見ごたえがあるが、数か月後には乗る予定でいるので、今回はここで折り返す。
 

中央西線名古屋近郊区間の端、中津川駅をみる

 跨線橋を歩いていると、当駅止まりの列車が到着しますとのアナウンスが入り、塩尻方面からの列車が到着。なんとJR東日本の211系3000番台だった。中央西線の塩尻~中津川間は、一部列車がJR東日本の篠ノ井線へと乗り入れて、松本駅まで運転されている。JR東海の313系が松本まで行くと同時に、JR東日本からは211系が中津川までやってくる。岐阜県でも長野・山梨エリアで活躍するJR東日本の211系にお目にかかることができる。この色の211系を見ると、一気に信州感が増す。この車両はとても運用範囲が広い。東京都の立川へ行く運用もあれば、富士急行線へ乗り入れる運用もある。さらにはJR東海へも乗り入れて、飯田線の飯田まで、中央本線の中津川まで乗り入れてくる。当然、篠ノ井線・しなの鉄道で長野、さらに大糸線でも運用されている。中津川はそんな車両の運用の南限かつ西限である。この車両にはまた来月お目にかかる予定なので、その時は乗車も楽しみたいと思う。
 
 中津川は恵那山の麓に位置する人口約7万3千人の都市。市街地を南北に恵那山から木曽川へと注ぐ中津川が流れ、市街地の北側を東西に木曽川が流れている。かつて中津川は中山道の宿場町として栄えた。中津川の市街地から路線バスで25分ほど行ったところには馬籠と呼ばれる宿場町があり、その先にある長野県の妻籠宿と並んで、近年では外国人観光客も多く訪れる観光地となっている。当初の計画では、馬籠宿にも立ち寄るつもりでいたが、今回は日程の都合上断念した。路線バスで馬籠へ行くと、その先で南木曽駅へ向かうバスに乗り継ぐことができる。いつかこのルートにもチャレンジしてみたい。
 
 中津川駅は典型的な地方都市の駅と言った感じの駅である。みどりの窓口と指定席券売機が設置され、JR東海のコンビニベルマートが営業している。駅ロータリーの端には大きな百貨店風の建物がたっている。かつてダイエー中津川店として営業していた建物だが、現在は市が所有するにぎわいプラザという建物になっている。地方都市は自動車社会なので、どうしても駅前には人が集まりにくいのだろう。今回は快速列車を乗り通すことが目的だったので、中津川は降り立つだけでそのまま折り返した。
 

折り返して快速列車で瑞浪まで戻る

 中津川からは快速名古屋行に乗車して瑞浪駅へと向かった。8両固定編成の315系は一直線のホームで見ると、統一感があってかっこいい。この車両のデザインが発表された時は、313系の方がかっこいいと思っていたが、今は完全に印象が逆転している。現在は中央本線と関西本線のみで運用されている315系。今後は静岡地区などへの投入も予定されているらしい。211系や311系を見る機会もより一層、少なくなりそうである。
 
乗車記録 No.2
中央本線 快速 名古屋行
中津川→瑞浪 315系
 
 中津川から快速列車に揺られ30分。瑞浪駅で下車した。現在いるエリアは岐阜県の中でも東濃と呼ばれるエリアである。この東濃エリアは現在、エリア内に含まれるすべての自治体が市となっている。もともとは小さな自治体もあったが、合併が進み、町や村は存在してない。西から多治見市、土岐市、瑞浪市、恵那市、中津川市と並んでいて、瑞浪市は土岐市と恵那市に挟まれている。
 2面3線の瑞浪駅。日中の快速列車のうち毎時1本はこの駅で折り返す。また、平日朝夕に運転されているホームライナー瑞浪はこの駅が起終点となっている。かつては名古屋-中津川間のホームライナー中津川と、名古屋-瑞浪間のホームライナー瑞浪がそれぞれ運転されていた。数年前のダイヤ改正で、ホームライナー中津川が廃止され、ホームライナー瑞浪のみとなった。ホームライナー中津川は383系、ホームライナー瑞浪はセントラルライナーで知られる313系8500番台が使用されていたが、ホームライナー中津川の廃止と、313系8500番台の静岡転籍に伴って、ホームライナー瑞浪に383系が使用されるようになった。
 
 瑞浪市の人口は約3万5千人。中津川に比べると、市街地や駅は小さい。市街地中心部を東西に土岐川が流れており、その両岸に市街地が広がっている。中山道はここと木曽川のちょうど中間地点を通っていく。瑞浪市内にも2つの宿場町があったそうだが、駅からは少し離れている。
 さて、明知鉄道の発着する恵那を通り越して、瑞浪へとやってきた。明知鉄道は盲腸路線なので、鉄道路線だけを使うとなると必然的に往復しなればならない。しかし、路線バスを使えば、この鉄道での往復、いわゆる単振動を回避することができる。せっかく訪れるなら、いろんな車窓を楽しみたいので、バスに乗るために瑞浪までやってきたのだった。本当ならば、中津川→恵那→明智→瑞浪と経由できればスムーズだったのだが、バスの本数が少なく、恵那~瑞浪間を経由するルートになった。平日だともう少し本数も多いので、計画も立てやすいかもしれない。
 

東鉄バス明智線で大正ロマンの街へ

 東濃エリアの路線バスは主に東鉄バスと北恵那交通の2社により運行されている。このうち、西側のエリアで路線バス事業を行うのが、岐阜県多治見市に本社を置く東鉄バスである。正式な会社名を東濃鉄道株式会社といい、かつては鉄道の運行も行っていた。現在は多治見、可児、美濃加茂、土岐、瑞浪、恵那の各地域で路線バスを運行するほか、可児、多治見から名古屋、東京への高速バスの運行も行っている。東鉄と聞くと勝手に東日本の会社かなと想像してしまうが、岐阜県のバス会社である。
 車両のデザインは名鉄バスにそっくりである。東鉄バスは現在名鉄グループに属しているので、車両も名鉄バスと似たデザインになっている。名鉄バスとの違いは緑のラインが入っていること。ただし、このデザインのバスのほかに、緑色の東濃鉄道カラーのバスも走っている。
 瑞浪駅では15分の乗り継ぎで、明智駅前行のバスに乗車し、終点の明智駅前へと向かった。
 
乗車記録 No.3
東鉄バス 明智線 明智駅前行
瑞浪駅前→明智駅前
 
 瑞浪駅を発車したバスは、瑞浪駅前に広がる市街地を走り、その後土岐川を渡る。土岐川は武並駅付近を源流として、名古屋湾に注ぐ河川で、中央本線は武並駅から先でおおよそ土岐川・庄内川に沿って走っていく。土岐川を渡った先には中京高校という高校がある。愛知県の高校野球の名門、中京大学中京高校と同じ名前の高校だが、中京大中京の創設者の次男がこの学校の創設者とのことで、一応関係があるらしい。この高校の近くを通りすぎると、車窓は市街地から山間の景色へと変わる。この先はいくつかの小さな街を経由しながら、明智へと向かっていっていった。
 
 岐阜県道33号線や国道363号線を経由して、明智へと向かうバス。瑞浪市と恵那市の境に近い場所で陶(すえ)と呼ばれる地域を通過した。一直線の道路の両側に街が広がっている。合併して瑞浪市になる以前は、恵那郡陶町という単独の自治体だった場所で、市の支所やスーパー、銀行の支店などもある比較的大きな街である。このバスはこの地区と瑞浪駅とを結ぶ役割を持っている。陶や須恵という地名は全国各地にいくつかある。その字が物語る通り、焼物や陶器の産地として発展してきた街が多く、ここも陶器の町として知られている。
 
 瑞浪駅前から40分ほどで終点の明智駅前に到着。現金で運賃を支払ってバスを下車した。明智駅は恵那駅からのびる明知鉄道明知線の終点。ここからはこの旅最初の未乗路線であるこの路線に乗車するが、その前に明智町を観光していく。明智町は、大正ロマンの街として知られ、街全体が日本大正村と呼ばれる一種のテーマパークになっている。
 

大正ロマンの街、明智を散策する

 駅から徒歩数分のところにあるのが、日本大正村のエントランス的な役割を果たす建物。お土産屋やレストランがあり、大正村観光の拠点となっている。建物の隣には、明智町の観光案内所もある。とりあえず、ここで明智町の観光マップを入手して、大正村観光へ出発した。
 
 最初に訪れたのは日本大正村資料館。大正時代の様々なものが展示されている。どうやらこの日初めての客だったようで、入場券を購入すると、施設の方が大正村と資料館について懇切丁寧に教えててくださった。資料館は大正時代に蔵として使われていた3階建ての建物で、左右に階段があり、右側から3階へと上り、左側から下る一方通行。各階左右の部屋に、大正時代の教科書や新聞、蓄音機やレコードなどが展示されていた。建物の左側へ行くと、大正の館という大正自体に建てられた住居がそのまま保存されていて、そこも見ることができた。
 
 日本大正村資料館の斜め向かいには、逓信資料館があり、ここでは郵便や電話などの通信に関わるものが展示されていた。一応、工学系出身なので、電話交換機なんかのアナログ機械が展示してあってとても面白かった。この建物はもともとこの地の郵便局として建てられた建物とのこと。その隣には現在の明智郵便局が建っているが、デザインが踏襲されて建てられているのが分かる。
 
 逓信資料館を見たあとは、少し歩いて、日本大正村役場という建物を見に行った。この建物は、明治39年に旧明智町の町役場として建てられた建物で、大正時代を経て、昭和32年まで役場として使われていた建物。現在は国の登録有形文化財に指定されている。この洋風の建物がいかにも大正ロマンを感じさせる。目の前の石畳の道と合わせて撮影すると、タイムスリップしたようなそんな気分になる。この建物を見た後は、近くにある司葉子記念館へ。正直、20代の自分は司葉子さんという女優さんを知らなかったのだが、昭和の名女優としてとても有名な方らしい。日本大正村の2代目村長を務められている。実は、この数日前には地元でいずみたくに関する公演を見たばかりだった。ここ最近は1930年生まれの著名人を知る機会が多いのは何の縁だろうか。
 
 街の中に大正時代の面影を残す建物が多く残る明智町。街の中心部は大正時代のとはいかないものの、昭和の昔懐かしい雰囲気が漂っている。平成生まれの自分からすれば、この街並みだけでも、昭和の雰囲気を味わうことができて、昭和ロマンを感じることができた。
 日本大正村は1984年に開村したそうなので、今年で開村40周年になるらしい。2月というオフシーズンに訪れたので、観光客の姿はまばらだったが、行楽期にはもう少し賑わうのだろうか。20代でここを観光する人も割と珍しいようだったが、大きなテーマパークやショッピングモールが休日の行先となる現在の行楽において、こうした生きた街を一つのテーマパークとして楽しむという行楽のスタイルの再興もあっていいのではないかと思う。
 
 1時間半ほど、大正村を巡って再び明智駅へと戻ってきた。初めてきた場所で、どれくらい楽しめるのか不透明なところがあったが、実際来てみると、とても楽しく観光できる街だった。今回は大正村だったが、同じ岐阜県内には、かつて日本昭和村を名乗っていたぎふ清流里山公園、愛知県には日本明治村がある。これらの場所にもいつか訪れてみたい。あと半世紀くらいしたら日本平成村もできるだろうか、と思って調べてみると、既に関市にあるようだ。もし大正村資料館のように、平成村資料館を作るとしたらどんなものが展示されるだろうか。そういうのを想像してみるのも楽しい。
 さて、明智駅からはこの旅1路線目の未乗路線、明知鉄道明知線に乗車した。
 
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