【旅行記】三重・岐阜の盲腸路線を巡る旅 第二幕~明知鉄道明知線に乗車~
前話
瑞浪駅から東鉄バス明智線に乗車して、明智駅前で下車。その後、大正ロマンの街、明智を1時間30分ほど観光して、駅へと戻ってきた。ここからはこの旅最初の未乗路線、明知鉄道明知線に乗車して恵那へと向かった。
明知鉄道明知線に初乗車
これから乗車するのは、明智と恵那を結ぶ明知鉄道明知線である。駅名には智の字を使うが、会社名と路線名は知の字を使う。この路線が開業したときの終点は明知町で、開業当初は明智駅も知の字を使っていた。しかし、明知町が合併して明智町へと変わったことで、駅名もそれに倣って明智駅となった。路線名は明知線のままで変わらず、1985年に国鉄から路線を引き継いだ第三セクター会社も、路線名に倣って明知鉄道となっている。なお、現在明智町は合併により恵那市の一部となっている。明知線は途中2駅のみが中津川市内に駅があり、恵那市→中津川市→恵那市と中津川を恵那でサンドする形で走っている。
今回は片道しか乗車しないのだが、前回の旅以降訪れる各社で一日乗車券を購入しているので、割高だが窓口で一日乗車券を購入した。

やがて恵那から1両の普通列車が到着し、これがそのまま恵那行きの普通列車となった。恵那からの乗客が降り立つと、窓口には行列ができた。恵那からやってきた乗客の大半は、折り返しの時間に鉄印を買い求める。鉄印は全国の一部第三セクターや私鉄路線でもらうことのできる鉄道版の御朱印。考案したのは熊本県を走るくま川鉄道の社長で、最近ではこれを目当てに出かける人も多い。鉄印を買える路線では、列車の到着から発車までの間、窓口が混雑する光景をよく見かける。すごくいいアイデアだなと思う。

乗車したのは、アケチ100形1両編成の普通恵那行き。アケチ100形は2017年から2018年にかけて2両が導入された新潟トランシスNDCシリーズの新型車両である。車内はロングシートとなっている。 明智駅から乗車したのは自分を含めて3人ほど。その他の乗客はみな折り返しの乗客だった。 恵方巻を食べる節分は既に終わっていたが、車両には恵方巻のヘッドマークが取り付けられていた。
乗車記録 No.4
明知鉄道明知線 普通 恵那行
明智→恵那 アケチ100形

明智駅を発車した列車は直後からディーゼル音を唸らせて、峠越えに挑む。旅行前にはのんびりした田園風景をひたすら走っていく感じをイメージしていた。しかし、実際はアップダウンの激しい路線だった。もちろん車窓のように田園風景が広がる場所もあるが、明智から恵那間で2つの峠を越える。このあたりは山が入り組んでいて、北東から南西に山筋が延びている。そのため路線は明智から岩村、岩村から恵那で2つの山筋を越える。急勾配となるところもあり、決して平坦ではない。

列車は一つ目の峠を越えて、岩村駅に到着した。ここ岩村は城下町として知られ、美濃国岩村藩の中心地として栄えた街である。明知鉄道では明智と並ぶ観光地として知られ、城下町らしい街並みを楽しめるらしい。ここは明知線で唯一の交換駅なので、対向列車と行き違った。対向列車は大正ロマンという急行列車で、1両目は一般車だが、2両目は食堂車として運転されていた。この食堂列車は明知鉄道の名物にもなっている。一般車はガラガラだったが、食堂車は満席だった。

岩村を出た列車は街を出て、北へと走っていく。次の極楽駅は縁起のいい駅名として知られ、この日も駅で列車を撮影している人の姿があった。極楽駅の次の飯羽間駅を出ると、列車は一旦恵那市から中津川市に入る。列車はまもなく阿木駅に到着。ここは高校もある比較的大きな地区である。阿木駅を出ると、路線は再び峠越えとなる。列車は再びディーゼルエンジンの音を響かせて、山の中を走っていった。やがて視界が開けると、車窓には恵那の市街地が広がった。中心部をかなり高いところから見渡しているので、かなり標高の高いところを走っていることが分かる。その後は下り坂で市街地へ向け徐々に標高を下げる。駅の手前で中央本線と合流すると、阿木駅の手前で渡った阿木川をもう一度渡り、終点の恵那に到着した。

明智から終点の恵那駅までの所要時間は約50分。のんびりとした旅路だった。名古屋からは少し距離があり、なかなか乗車する機会がなかった明知鉄道明知線をようやく全区間で乗車することができた。あまり事前情報を仕入れずに乗車したので、平坦な線路を走る路線なのかなと思っていたが、実際には2つの峠を越えて走る路線だったのは意外だった。農村の風景だけでなく、恵那山をはじめとする山々を眺めて走る区間や、市街地を俯瞰する区間もあり、また季節を変えて訪れると四季の風景を楽しめるのではないかと思う。

明知鉄道の恵那駅は、JR恵那駅と隣接しているが、駅舎と改札は別になっている。ただし、乗り換え改札があり、そこを通ってJRの改札内との間を直接行き来できる。かつては国鉄の路線だったので、中央本線と線路が繋がっていたはずだが、現在はつながっていない。中央本線とはほんのわずかに並走するが、先に中央本線が駅から見て左にカーブしていき、明智鉄道がやや遅れて右にカーブしている。
五平餅にいい匂いが漂う恵那駅前

明智鉄道の改札を通って駅前へと出てきた。恵那駅はJRと明知鉄道の駅舎が隣り合って並んでいる。JRの恵那駅の方にはベルマートがあり、全線きっぷうりばもある。実は中津川駅でこの後使う乗車券を購入したのだが、途中下車するのをすっかり忘れて通しで買ってしまったので、この駅のきっぷうりばで乗車変更した。この駅には一部の特急しなのも停車するが、指定席券売機はない。

駅前には市街地が広がっていて、少し昭和の面影を残している。そして、どこからか醤油を焦がしたいい匂いが漂っている。このあたりは五平餅が名物で、駅前にある五平餅屋の発するものだった。おいしそうだったので、食べようかと思ったが、列車の乗り換え時間も短かったので、今回は見送った。でも帰ってきてから食べておけばよかったなと後悔している。

恵那駅の駅前には旧中山道が通っている。駅前通りから一本入ったところに写真のような説明書きがあった。このあたりの中山道は、駅から北東方向に進んだ大井というエリアに大井宿という宿場町があり、かつてはここよりもそちらの方が栄えていたらしい。しかし、中央本線が開通し、この場所に駅ができると、もともとは田園地帯だった現在の駅周辺が市街地化したとのこと。恵那駅前は細い路地に民家や商店が立ち並んでいて、昭和の雰囲気を残すとても味のある街並みだった。
恵那から中央本線で東濃の中心都市多治見へ

列車の発車時間が近づいてきたので、駅へと戻ってきた。明知鉄道に乗車したあとは次の未乗路線に乗車するため、多治見駅へと移動した。恵那駅のJR側の駅構内は2面3線になっている。よく見かける配置の駅構造だが、真ん中の線路が待避や折り返しに使われる普通のいわゆるJR(国鉄)型配線駅とは異なり、駅舎側の1番線が上り副本線、2番線が上り本線、3番線が下り本線となっている。周辺の土岐市や瑞浪、中津川とは異なり、この駅は折り返し列車がない。
乗車記録 No.5
中央本線 快速 名古屋行
恵那→多治見 315系

恵那から中央本線の快速列車に乗車して30分、多治見駅で下車した。乗車した快速はこの駅で特急しなのを待避するため7分ほど停車。快速とはいえ、必ず先に名古屋に着くわけではなく、特急列車に追い越される列車もある。多治見駅は3面5線の大きな駅。橋上駅舎になっていて、中央西線の途中駅でも規模の大きな駅の一つになっている。駅の雰囲気は都会の駅と言った印象だった。

多治見は中央本線のほか、ここと美濃太田を結ぶ太多線の2路線が発着している。ここからはその太多線に乗車していくが、太多線も30分に1本と比較的運転本数が多い。すぐに発車する列車もあったが見逃して、急がず焦らず多治見駅も駅前を見ていくことにした。

改札を出て、多治見駅前へとやってきた。多治見市は人口11万人の都市で、東濃エリアの中心都市となっている。そのため駅前はとても人口11万人の都市の駅には見えないくらい都会的だった。駅前は最近リニューアルされたのか真新しい。駅舎からは隣接する商業施設兼オフィスに連絡通路がのびている。バスロータリーはこの通路の反対側にあり、瑞浪~明智間で乗車したのと同じ東濃鉄道の路線バスが発着している。奥に見えるビルは東濃鉄道の本社である。

駅の正面には商業施設と企業のオフィスなどが入るPLATY TAJIMIがある。一階にはダイソーが入っていて、2階以上にはフィットネスジムやドコモショップ、企業のオフィスが入居している。しかし、商業施設部分は空きテナントが多かった。このエリアの中心駅とは言え、名古屋まで40分ほどと近く、名古屋へ行ってしまう人も多いだろうし、郊外にはもう少し大きなショッピングモールやアウトレットモールがあるので、おそらくそちらへ人が流れてしまうのだと思う。駅前に商業施設が設けられている中小都市はよく見かけるが、どこもここと同じように空きテナントが目立つ。駅の横には中部地方でよくみかけるビジネスホテルチェーンのくれたけインがあり、その後ろにはタワーマンションが建っている。ここだけ切り取ると、県庁所在地の駅に見えてしまう。
想像以上に立派な多治見駅に驚いたところで、再び乗り鉄の駒を進めていく。多治見からは太多線に乗車して美濃太田へと向かった。
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