【旅行記】三重・岐阜の盲腸路線を巡る旅 第二幕~郡上八幡を観光する~
前旅
2日目。前夜までの天気予報では降るか降らないかくらいの小雨の予報だったが、岐阜駅前も朝から本降りの雨が降っていた。この日は中京エリア最後の未乗路線、長良川鉄道に乗車しに行く。
長良川鉄道越美南線は、路線名からもわかるように、福井と岐阜を結ぶ路線として計画された路線である。しかし、岐阜と福井の県境に跨る区間が未成線となったため、福井側、岐阜側それぞれで盲腸路線となっている。両者の終点、九頭竜湖駅から北濃駅間は、途中徒歩を挟めば公共交通でも移動できないことはないらしい。しかし、さすがに山の中を2時間歩くのはリスキーなので今回はやらない。福井側の越美北線には2018年に乗車している。この時は福井駅から普通列車で九頭竜湖まで行って折り返し、越前大野からえちぜん鉄道が走る勝山へ抜けた。今回もただ越美南線を往復するのでは面白くないので、往路は高速バスに乗車し、郡上八幡へ向かう。郡上八幡ではお城なんかを少し観光して、その後で長良川鉄道の旅を楽しむことにした。
岐阜バスの高速岐阜八幡線に乗車

ホテルをチェックアウトして、名鉄岐阜バスターミナルへやってきた。名鉄岐阜バスターミナルは、名鉄グループで岐阜市とその近郊で路線バスを運行する岐阜バスのバスターミナルとなっていて、JR岐阜駅前と共に岐阜市内の所要なバス発着点の一つとなっている。バスターミナル構内へ入ってくるバスは、このバスターミナルを起終点とする一部路線に限られていて、その他のバスは名鉄岐阜駅前の車道上のバス停を使う。行先を見た感じ、名鉄岐阜市内線とその先の揖斐線や美濃町線方面に向かうバスの一部が名鉄岐阜BT発着になっているのだと思う。
路線バスと同じく高速バスも名鉄岐阜バスターミナル発着のバスがいくつかある。今回はその一つである岐阜バスの高速岐阜八幡線に乗車する。このバスののりばは、Dのりば。美濃市や関方面に向かう路線バスと同じのりばだった。路線バスの方面表示には、野一色や日野橋の文字。電車でGoを飽きるほどプレーしてた自分にとっては懐かしい地名でだった。
話を高速バスの話に戻す。高速岐阜八幡線は、岐阜と郡上八幡をおよそ1時間15分で結ぶ高速バスである。鉄道だと美濃太田で乗換えて、そこからさらに1時間30分ほどかかるので、郡上八幡ってそんなに近かったっけと思うが、実際は鉄道経由が美濃太田まで行って遠回りしているからそう感じるだけである。(写真は郡上八幡アクセスプラザで撮影したもの)
乗車記録 No.12
岐阜バス 高速岐阜八幡線 ホテル郡上八幡行
名鉄岐阜BT→郡上八幡城下町アクセスプラザ

名鉄岐阜バスターミナルを出たバスは、まずJR岐阜駅へと向かう。JR岐阜駅は名鉄岐阜バスターミナルから向かって右側にあるが、バスターミナルの前の道は右折できないので、一旦左折し、その先の交差点を右折して、JR岐阜駅のロータリーへと向かう。ロータリーは通勤通学でバスを待っている人でごった返していて、列の後ろの方は屋根のあるところからはみ出ていた。郡上八幡行のバスは、名鉄岐阜BTで5人ほどを乗せたが、ここでも同じくらいを乗せた。JR岐阜駅を出ると、再び交差点を右折し、始発点の名鉄岐阜バスターミナルの前を通って、岐阜市内を南へと向かっていった。

朝ラッシュの岐阜市内を走るバス。名鉄名古屋本線の加納駅近くを経由しその後は南下。下川手ICから国道21号線の岐大バイパスへと入る。この岐大バイパスは、その名のとおり、大垣から岐阜市内を結ぶ岐阜県内でも大きな道路の一つとなっている。反対車線の西行は渋滞しており、走っている東行も終盤で渋滞となった。岐大バイパスは三宅ICで終点となり、そこからは那加バイパスへと名前が変わる。この先の那加バイパスは各務原方面へと走っていくが、バスは岐阜各務原ICで那加バイパスから高速道路へと入っていった。

岐阜各務原ICからバスは東海北陸自動車道へ入る。この高速道路は名神一宮JCTから北陸道小矢部砺波JCTを結ぶ高速道路で、郡上八幡の少し北にある美濃白鳥までは長良川に沿って走り、そこから飛騨の山間部へ突入。合掌造りで知られる白川村を経由して、城端から砺波平野へ出る高速道路である。名古屋と北陸を結ぶ高速バスもこの道を通り、今年1月に発生した能登半島地震では、東海エリアから被災地支援に向かう緊急車両が行き来するなど、東海と北陸を結ぶ主要道となっている。途中、美濃白鳥では福井方面に、飛騨清美では高山方面に繋がる中部縦貫自動車道と接続し、この地域の背骨となっている道路でもある。JR岐阜駅を出たあとここまでバス停には一つも停車しなかったが、高速道路に入った後は、高速道路上のバス停に停車しながら走っていく。

高速各務原、高速関、高速美濃と停車しながら、土砂降りの雨の中を走り抜けるバス。高速バスは雨でも走り続けるが、心配なのは鉄路の方。この日は長良川沿いに発達した雨雲があり、下手すると列車が止まるのではないかとひやひやした。天気には逆らえないので、案じたところでどうしようもないのだが、やっぱり心配になる。高速美濃を過ぎると、車窓は一変し、ここからはトンネルと長良川を越える橋の繰り返しとなる。東海北陸自動車道を走破すると56個(上りは54個)のトンネルがあるらしい。もはや区間の多くがトンネルと言っても過言ではない。今回バスで通った郡上八幡までの間にも23個のトンネルがある。ひたすらにトンネルと橋が繰り返される。

バスは郡上美並ICに併設された高速郡上美並に停車。いよいよ郡上八幡が近づく。さらに高速道路を走ると、10分ほどで郡上八幡ICに到着。このICは本線と料金所はそれぞれ長良川の対岸にある特殊な造り。本線を下りると、長良川に架かる橋を渡って料金所へと向かった。車窓には初めて見る郡上八幡の街並みが広がった。バスは郡上八幡ICの料金所を通過し、その後は沿道のバス停にいくつか停車しながら街中へと入っていく。ただし、直接街中に行くのではなく、市街地の後ろ山を貫くトンネルを経由する。郡上八幡は建物が密集していて道が狭いので、高速バスの車両は市街地の周りを走るバイパスを走っていく。

岐大バイパスで少しだけ渋滞に巻き込まれたので、郡上八幡には10分程度の遅れで到着となった。高速バスで10分の遅れというのは個人的には定刻運行と言って差し支えないと個人的には思っている。バスは郡上八幡駅を経由して、ホテル郡上八幡まで運行されるが、今回は市街地のバスターミナルになっている郡上八幡城下町プラザバス停で下車した。
郡上八幡城下町アクセスプラザは、郡上八幡のバスターミナルであり、観光拠点となっている場所である。郡上八幡には、岐阜バスの高速岐阜八幡線のほか、この地域を走る路線バスが発着している。以前は岐阜バスも路線バスの運行を行っていたそうだが、現在は撤退。路線バスは白鳥交通、八幡観光、郡上八幡市によって運行されている。
郡上八幡城と八幡の街並みを観光する
雨の郡上八幡へと降り立った。郡上八幡は昔ながらの街並みと山城が楽しめる岐阜県でも有数の観光地である。最近はSNSなどで外国人にも評判の観光地になっているらしい。国内だと名古屋の隣のイメージが濃すぎる岐阜県。でもよく見ると、高山、白川郷を含めた観光地が多い県でもある。意外とその先入観のない外国人の方が岐阜県の魅力をたくさん知っているかもしれない。郡上八幡は郡上藩の中心地として栄えた場所で、山のてっぺんに郡上八幡城が聳え、周囲を山に囲まれた狭い場所に市街地が広がっている。ここでは、2時間ほど時間があるので、郡上八幡城と街の様子を散策していくことにした。

とりあえず、城下町アクセスプラザの裏手へまわり、郡上八幡城へ歩いて登ってみることにした。郡上八幡城は八幡の街を見下ろす山の上にあり、街からは九十九折の道を登って行く必要がある。徒歩の場合、九十九折の道を歩いていくのだが、ところどころショートカットできる小道があるので、急勾配でもよければそこを歩いていくと早い。車は一方通行になっていて、お城へは南側の九十九折の道を登り、お城からは北側の割と緩やかなカーブの道を下っていく。公共交通で郡上八幡へ来た場合、タクシー以外にお城へ向かう乗り物はない。
アクセスプラザの裏にある安養寺の脇に郡上八幡城登り口の表示があるので、そこからはひたすらお城へ向けて上り坂となる。途中には城山公園という公園があり、ここには山内一豊と妻の像があった。山内一豊は土佐藩の初代藩主として知られる。その妻千代は郡上八幡城の初代城主遠藤盛数の娘とする説があり、この像はそれにちなんで設置された像である。像の間に小さく郡上八幡城の天守が見えていた。

普段は基本スマホカメラに頼っているが、あまりにも土砂降りすぎて画にならないので、持ってきた一眼レフカメラの機能を使って、トイカメラ風に撮影してみた。暗くて画にならないときは、それを逆手にとって写真を撮るしかない。
市街地から九十九折の道を歩くこと15分、ようやく郡上八幡城へと辿り着いた。正直、土砂降りの中を歩くには少々過酷な道だった。おかげで靴に浸水被害が発生した。見上げると、立派な石垣と天守が見える。郡上八幡城は戦国時代末期の1559年にこの地で起こった赤谷山城の戦いで、遠藤盛数が赤谷山の向かいのこの地に拠点を置いたことが始まりとなった城である。その後江戸時代に入ると美濃国郡上藩の拠点となった。天守は戦前に大垣城を元に復元された復元木造天守だが、復元された時期が早く、各地の復元木造天守の中で最も古いものとして知られている。ちなみに、大垣城は戦時中の空襲により焼失しているが、戦後になって逆に郡上八幡城を参考に天守が復元されている。大垣城には前回の旅で立ち寄った。

入場券を購入して、お城の中へと入る。時刻はまだ9時過ぎで、激しい雨が降っていたので、まだ観光客の姿はなく、貸切状態だった。歩いてきたと伝えるとちょっとびっくりされてしまった。確かにこんな雨の中、わざわざ歩いて登ってくる人もあまりいないだろう。天守は下階が資料館になっていて、郡上八幡城の歴史や城下町の様子などが展示されている。上階は八幡の街を眺められるようになっていた。雨が降りしき郡上八幡。山の上にあるお城から街を見下ろすと、雨雲が通過していって、時折眼下の街が見えなくなる。ここは天空の城としても知られる。雨なのは残念だが、これはこれで天空の城感があって幻想的だった。

お城の床は鴬張りの床のように歩くとギーギーと音を立てる。貸切状態なので、自分の足音が天守全体に響き渡っている。立ち止まると急に静寂が広がり、雨音だけが響き渡る。窓が開いている天守には冷たい風が吹き抜ける。雨だからこその落ち着いた荘厳な雰囲気のお城を楽しむことができた。

郡上八幡城を観光後は、再び九十九折の道を下って街へと戻り、今度は郡上八幡の街並みを見に行った。下り道も滑らないように歩くのが大変だった。このあと飛行機に乗って九州へ戻らないといけないので、こんなところでコケてびしょ濡れにでもなった日には目も当てられない。
アクセスプラザのところまで戻ってきた。アクセスプラザ周辺は古い街並みが大切にされており、国の重要伝統的建築群保存地区に指定されている。家の造りは間口が狭くて奥が細長い昔ならではの造りをしている。本当にタイムスリップしたようなそんな街並みが広がっている。

雨に濡れる八幡の街並み。雨霧に霞む背後の山は、まるで水墨画のようだった。ザーザー降りの雨なので、人の姿も車も少ない。道と住宅の間には水路が流れている。雨の音と水の音、天然のホワイトノイズだけが街を覆っている。雨は鬱陶しいが、これはこれで音として美しい。この水路は建物が密集する郡上八幡ではとても大切な設備。火災が起きた際、その被害を最小限にするために、江戸時代に整備されたものである。各住宅の軒先を見ると赤い消火バケツが釣り下げられている。郡上八幡では度々大火が発生している。そうした被害を起こさないための備えである。郡上は水の街として知られる。街中には湧水が湧き出るところが複数ある。中には日本名水百選の第一号となった湧水もあるらしい。

アクセスプラザから少し歩いて、吉田川に架かる宮ヶ瀬橋へとやってきた。郡上八幡の街は長良川の支流の吉田川と、吉田川の支流の小駄良川の周辺に広がっている。川の合流地点のわずかな平地に、城下町が開発され、現在も建物が密集して建っている。川に迫り出すように建設された建物。それがまた味わい深くていい。山の頂上にはさっきまでいた郡上八幡が見える。さっきはお城からこちらを眺めたが、今度はこっちからお城を眺めてみる。お城がいかに高い場所にあるかがよく分かる。晴れているときには水が澄んでいて、この橋からの眺めもとてもきれいらしい。まだこの街に来ることがあれば、ぜひ晴れた日に訪れてみたい。

橋を渡ると、新町通という商店街の通りがある。奥へ行くと郡上八幡駅があり、駅と中心部を結ぶ通りは昭和の雰囲気を色濃く残している。自分は平成生まれなので、昭和というものを実際には知らない。でもこういう風景が、上の世代の人たちが言う古き良き日本の風景というものなのだろうと思う。各地にいろんな街があり、それぞれの街が栄えていた時代。もちろん、新幹線や飛行機が今ほど発達していたわけではなく、旅行するのも今ほど気軽にとはいかなかったはず。便利になっていくことはいいことだが、一極集中が顕著になる一方の現代においては、その辺もう一度考えて行かないといけないような気もしている。

さて、雨の郡上八幡の街を歩いた後は新町バス停から郡上八幡駅へと向かった。利用したのは郡上八幡市が運行するコミュニティバス。路線バスもあるが、自分の乗りたい時間には便がなかったので、地域の人が使う乗り物にお邪魔させてもらった。郡上八幡市のコミュニティバスは先ほどまでいた城下町アクセスプラザを拠点として、八幡地域一体を巡回する形で運行されている。1回の乗車は100円と格安で、1時間に1本、毎時同じ時間に運転されているので、分かりやすくてとても便利である。新町から郡上八幡駅は10分ほどだった。
乗車記録 No.13
郡上市自主運行バス まめバス青ルート
新町→郡上八幡駅

コミュニティバスで新町バス停から10分、郡上八幡駅に到着した。市街地のはずれにある郡上八幡駅。郡上八幡の街が長良川の支流沿いに広がっているので仕方のないことだが、観光で訪れるとやはりここから市街地中心部へどうやって移動するのかが問題になる。さっき使ったコミュニティバスや路線バスも本数が多いとは言えないし、ある程度バスに乗り慣れているならまだしも、そうでないならちょっと難易度が高い。お城まで登ってくれる観光客用の路線があるといいなと思う。その点高速バスは、城下町アクセスプラザにダイレクトでアクセスできるので便利だった。郡上八幡駅の駅舎は国の登録有形文化財に指定されている。この地に鉄道が開通した1929年に建てられたものである。駅舎自体はリニューアルされていて、カフェも併設されている。入口には郡上おどりと書かれた提灯がかかげられている。郡上おどりは毎年7月から9月にかけての32夜に開催される催しで、日本三大盆踊りの一つに数えられる。この時期は特に観光客も多く訪れ、街全体が賑わう。
さて、郡上八幡駅からはここからはいよいよ中京エリア最後の未乗路線、長良川鉄道越美南線に乗車していく。まずは越美南線の終点北濃駅を目指した。
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