【旅行記】JR東海未乗路線と箱根エリアの鉄道路線を巡る旅~特急ふじかわで身延線を走破する~

前話
 
 静岡駅からスタートした3日目。この日は静岡から特急ふじかわに乗車し、JR東海最後の未乗路線となった身延線を走破。その後、甲府から普通列車で松本へ移動し、松本空港から空路で福岡空港へ移動する予定となっていた。1日目・2日目は晴天だったが、この日は太平洋沿岸を移動する南岸低気圧の影響を受けて1日中雨の予報。この日の夕方には松本空港からの飛行機に搭乗予定。朝の時点での松本の天気は、弱い雨か雪の予報。帰りの飛行機が飛ぶかどうかが若干気がかりだが、とりあえずは計画通り松本へ向けて旅の駒を進めていく。

東海道本線、身延線を走る特急ふじかわに乗車

 朝ラッシュ真っ只中の静岡駅。各方面から到着した列車からは通勤通学客が吐き出され、街へ散らばっていく。それに逆行する形でホームへ向かった。浜松方面から来た普通列車は8両編成で到着。ここで後ろ2両を切り離し、6両編成となって熱海へ発車していった。乗車する列車は、この普通列車から解結された2両が発車していった後、浜松寄りの留置線から入線してきた。
 静岡から乗車したのは、特急ふじかわ1号甲府行き。東海道本線と身延線を経由して、静岡と甲府を結ぶ特急列車である。1日あたりの運行本数は7往復と比較的多く、静岡と甲府という隣県県庁所在地間の都市間輸送を担うほか、身延線沿線と静岡・甲府をつなぐ役割を持つ。全列車が373系3両編成での運転。3両のうち、静岡・甲府寄りの1両が指定席。富士寄りの2両は自由席である。この列車は途中の富士駅で進行方向が変わる。そのため、座席は静岡の時点で既に逆向きにセットされている。
 
 前回の旅では岐阜県で太多線に乗車した。これにより、この日時点でのJR東海の未乗路線は、身延線だけとなっていた。実は身延線のうち富士~富士宮間は、20年ほど前に富士宮あたりの製紙工場に勤めていた親戚を訪ねた際に乗車済み。当時はまだ幼稚園児だったのだが、往路は富士から123系の普通列車で富士宮へ行き、帰りは静岡まで特急ふじかわに乗車したのを覚えている。そんなこんなで、身延線の全く利用したことのない区間は富士宮~甲府間となり、特急ふじかわへの乗車も二十数年ぶり2回目のとなった。さすがに123系はいなくなってしまったが、373系の特急ふじかわは今も20年前も変わらない。今回は乗りつぶしという趣味を始める前に既に一部区間で乗車していた身延線を全線走破して、JR東海の全路線を乗り終える。
 
乗車記録 No.23
東海道本線・身延線 特急ふじかわ1号甲府行
静岡→甲府 373系
 
 静岡駅を発車した列車は富士まで東海道本線を走っていく。草薙駅までの間の進行方向左側にはJR東海の静岡車両区、右側には静岡貨物駅を眺める。静岡貨物駅を眺めていると、このあたりでは運用がないはずのEF510形レッドサンダーの姿があった。調べてみると乗務員訓練のため富山から派遣されてきているとのこと。レッドサンダーがいると不思議と日本海側のような気がしてしまうが、ここは駿河湾、太平洋に面する静岡県である。貨物駅の終端で頭上を昨年乗車した静岡鉄道の線路が越えていき、その先で合流してしばし並走する。その後、列車は清水駅に停車した。
 
 清水駅を発車した列車は、清水の街を出て、一部列車の起終点となっている興津を通過。その後ザ・日本の交通みたいな画でおなじみの東海道の絶景ポイント、薩埵峠の下を通って由比の海岸沿いを走っていく。ここは海岸沿いに東名道が走っているので、列車かに海はほとんど見えない。数年前に東海道昼特急で東名を走った際、ここから望む富士山の絶景に感動したのを覚えている。しかし、今はもう大阪-東京を結ぶ高速バスも新東名経由に変わってしまった。この列車の由来である富士川の長い鉄橋を渡ると、列車は富士駅に到着した。
 

富士で進行方向を変え、身延線へ

 富士駅で列車の進行方向が変わり、今度は指定席車両の1号車が先頭車になった。ここからは列車は身延線へと入っていく。数分停車の後発車すると、右へカーブ。走ってきた東海道本線の線路と別れ、その後は身延線を北へと進んでいく。身延線内での最初の停車駅は富士宮。身延線は富士宮・西富士宮で沿線の景色も旅客の需要も、列車の本数も大きく変わる。富士宮市街までは、通勤通学路線として普通列車も多く運転されている区間で、線路も複線になっている。123系に乗車した20年前は、富士と富士宮間のどこかの駅で公衆立ち入りかあって、しばらく運転を見合わせたのを覚えているが、残念ながらどの駅だったかは覚えていない。
 
 20年前に降りたことのある富士宮に到着。ここでは何人かの乗客が下車していった。調べると駅自体は20年前と大きくは変わらないようで、改札口の写真を見て、確かにこんな駅だったなぁと懐かしい気分になった。
 富士宮から先が個人的な身延線の未乗区間となる。次の西富士宮駅までは富士宮の市街地を走っていく。西富士宮は身延線における富士宮市街の端に位置する駅。そのため、この駅で富士駅側へ折り返す区間列車が多数設定されている。駅には普通列車用の留置線も確認できた。この駅を出ると、身延線はS字カーブを曲がって、標高を上げながら富士川へと近づいていく。今まで北へ向けて走ってきたのに、ここで列車は一旦南を向く。車窓には富士宮市街が見える。天気が良ければ富士山も車窓の手前側に見えるはず。この日も麓が雲の中でなんとなく見えていた。
 

富士宮の市街地を抜け、富士川に寄り添い走る

 沼久保駅付近から富士川に並走する身延線。ここから身延を経由して下部温泉あたりまでは、ずっと車窓の左側に富士川を見ながら走っていく。甲府盆地など山梨県の大部分から流れ出た水が、ここを通って太平洋へと注いでいる。富士川が富士川と呼ばれるのは甲府盆地の南側から河口まで。そこから上流は、釜無川と呼ばれる川が富士川へと続く一連の川の本流である。釜無川は南アルプスの北側を源流に小淵沢、韮崎、甲府盆地と流れてくるきて、富士川へと名を変える。
 
 富士川は日本三大急流の一つ。日本三大急流のほか2つは、山形県の最上川と熊本県の球磨川。最上川と並走する陸羽西線は沿線の道路工事で運休中、そして球磨川と並走する肥薩線大雨で被災して2020年から運休が続いている。したがって、現在、日本三大急流と並走して走る鉄道路線で列車が動いているのは、この身延線だけということになる。陸羽西線の運休期間は今年度までの予定。そして肥薩線も10年後頃を目途に復旧されることが決定した。身延線の車窓は、陸羽西線代行バスで眺めた最上川や肥薩線で眺めた球磨川を思い出させてくれる。陸羽西線は運休期間が終わったら、列車に乗車しにいく予定。そして肥薩線も復旧したらまた乗ってみたいと思っている。その時は、最上川、球磨川を車窓に身延線の富士川の車窓を思い出したい。
 富士川と並走してしばらく走り、稲子駅と十島駅の間で静岡県から山梨県へ入る。富士川といえば静岡県の川という印象が強い。しかし、実は大部分が山梨県を流れている。このあたりは内陸県である山梨県が太平洋に最も近づいている地点になる。その分静岡県が窪んでいて、山梨県から太平洋まで一番近いところで10kmを切る。
 
 富士宮を出てからの最初の停車駅、内船駅を発車して以降も身延線は富士川に沿って走っていく。それと当時に川の対岸には高速道路らしき高架橋が姿を現した。東名道の清水JCTから中央道の双葉JCT間を結ぶ中部縦貫道路である。高速道路は清水から山を貫いて一気に内船駅のある南部町へ抜ける。一方、特急ふじかわは富士・富士宮を経由し、やや遠回りでここまでやって来る。中部縦貫道にも静岡と甲府を結ぶ高速バスが運行されている。特急ふじかわの所要時間は2時間15分ほどだが、高速バスの所要時間は2時間を切る。ネットを調べると、特急ふじかわは遅いという記述が多いのはこのためである。でも実際、高速バスよりかなり遠回りをして、2時間15分というのは山間を走る特急としては結構な速足だと思う。
 列車は身延に到着。ここでは甲府発の特急ふじかわ4号とすれ違った。
 
 身延を出ると次の停車駅は下部温泉。身延線は下部温泉駅の一つ手前の駅、波高島駅まで富士川と並走する。富士川と並走する区間が長いが、案外富士川を眺められる時間は40分くらいである。波高島駅を通過すると、列車は富士川と別れて山の方へ向かう。温泉地として知られる下部温泉駅に停車し、峠を越えて甲斐岩間へ。ここで富士川に近づくが、その先で再度離れて峠を越える。その先はもう高い山はなく、甲府盆地に到達。列車は盆地の玄関口、鰍沢口に到着した。
 

甲府盆地に入り、景色は田畑から市街地へ

 甲府盆地の入口に位置する鰍沢口駅は、小さい駅ながら身延線においても甲府側の通勤通学輸送の一旦となる駅である。この駅から甲府駅間の区間列車が多数設定されており、ここから先は再び普通列車の運転本数も増える。山間の景色を1時間ほど進んできたが、ここから先は広い甲府盆地の中を走っていく。富士川も鰍沢口付近で釜無川と呼び名が変わる。このあたりは甲府盆地の各方面から流れてきた河川が一気に合流する地点になっている。列車は市川大門駅に停車し、その次の東花輪駅との間では石和温泉や山梨市などの中央本線沿いから流れる笛吹川を渡った。
 
 東花輪駅を出ると、次第に車窓は街の景色へと変わり始める。今何かと話題の中央リニア新幹線駅は、山梨県駅が東花輪駅から北東方向に数キロの地点に建設予定。身延線もいずれはリニア新幹線と交差することになる。最後の停車駅南甲府駅に停車すると、終点の甲府駅はすぐそこ。善光寺駅付近で中央本線と合流し、しばらく並走する。終点甲府を知らせるワイドビューチャイムが流れると、列車はまもなく終点の甲府に到着。太平洋側を行く東海道本線、そして富士川と並び、甲府盆地の中を走っていく身延線での約2時間15分の旅が終わった。
 

終点甲府でJR東海の全路線完乗を達成

 甲府駅への到着をもって、身延線を完乗。これによりJR東海の全路線を乗り終えたことになった。ダイヤ改正を控え、数日後にはJR西日本の北陸新幹線金沢~敦賀間の開業が迫っていたもの、暫定的に4社目の完乗となった。残すはJR東日本とJR北海道の2社。2社とも乗車率は80%を越えているが、まだ多くの未乗路線が残っている。効率ばかり追い求めても仕方がないので、いつか100%にできたらなくらいの気持ちで、今後もいろんな路線との出会いを楽しみに旅を続けていきたい。
 20年ぶりに乗車し、やっと全区間で乗車することにできた特急ふじかわ。甲府駅では折り返しの清掃作業の後、特急ふじかわ6号として静岡へ帰っていく。なんだかんだ3日間お世話になったJR東海の在来線とはここでお別れ。本当はこの旅でJR東海区間を走るのは、身延線が最後だったが、また後からアクシデントでお世話になることをまだこの時は知らない。
 
 中央本線と身延線の接続駅である甲府駅。それと同時にJR東日本とJR東海との境界駅にもなっている。駅自体はJR東日本が管理・営業する。身延線は通常、行き止まりの4・5番線を使用する。駅名標はJR東日本のものだが、オレンジの線が入っていた。JR東日本とJR東海の境界駅はたくさんあり、半分がオレンジということはあれど、全部オレンジなのは恐らくこの駅だけではないかと思う。
 さて、甲府駅で3日間で巡る予定にしていた未乗路線は全て乗り終えたことになった。甲府からは帰りの飛行機を予約していた松本空港のある松本へ移動する。時刻はまだ10時30分過ぎ。松本には夕方までに着ければよいので、しばし甲府を観光していくことにした。
 

雨の甲府市街地と舞鶴城公園を散策

 甲府駅の外に出て来た。甲府駅に降り立つのは2019年以来2度目。当時は東京に住んでいて、日帰りで飯田線の長時間普通列車に乗車した際、その帰り道にこの駅で普通列車と特急かいじを乗り継いでいる。駅前に出てきたのもその時以来だったが、5年前は夕暮れの時間だったので、明るい時間に訪れたのはこれが初めて。今回は2時間ほど時間があるので、市街地を少し散策して、その後駅に隣接する舞鶴城公園を訪れることにした。
 
 山梨県で観光と言えばやはり富士山麓周辺の河口湖や富士急ハイランドあたりの方がメジャーである。自分も初めて山梨県で降り立った駅は河口湖駅だった。2018年に訪れて、山梨名物のほうとうを食べて、音楽と森の美術館とロープウェイに乗車したのを思い出す。一方、甲府は観光するといっても正直見てまわる場所はあまりないのが実情である。県庁の近くを歩いているとジュエリーミュージアムというものがあって面白そうだったが、生憎休館日だった。市街地をぐるっとまわって、舞鶴城公園へ。甲府城跡となるこの公園は、駅から徒歩数分の場所にあって、乗り換え時間の間に立ち寄ることもできる。天守閣などはないが、甲府の市街地と盆地を見渡せる。
 
 生憎の雨。晴れていれば、中央本線が関東平野から進んでくる笹子あたりの山々や、南アルプス、それに富士山も望めるらしいが、雲が立ち込めていて何も見えなかった。しかし、視界自体は悪くはなく、甲府の市街地と甲府盆地を一望することができた。
 甲府盆地は武田氏が滅亡した後に作られた城である。豊臣秀吉の命によって築城され、当初は東の徳川に対抗するための拠点となった。その後、江戸時代に入ってからは、将軍家に近い親藩である甲府藩の城となり、西側の防衛の役割を持った。甲府駅自体もお城の中を貫く形で建設されていて、線路を跨いだ反対側にも甲府市歴史公園という形で、再建された城の門があった。
 前回の旅も前々回の旅も、大垣城、郡上八幡城と乗り鉄旅の隙間時間に城に立ち寄ったが、今回もまた一つ城に立ち寄った。実は次回の旅でも城に立ち寄る予定にしている。別に歴史好きでも、城マニアでもないのだが、近くに城があると寄ってみたくなる。天守閣はない城だったが、甲府の街を俯瞰できるいい場所だった。
舞鶴城公園に立ち寄った後は再び甲府駅へ。普通列車に乗車して松本を目指した。
 
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