【旅行記】信濃・会津・越後のローカル線を巡る旅~北陸新幹線あさまと善光寺観光~

 

2022年10月に全線再開した只見線に乗りに行く

 2022年10月1日、約11年に渡って不通となっていた鉄路に再び列車が戻ってきた。福島県の会津若松と新潟県の小出を結ぶ只見線は、2011年7月の新潟・福島豪雨で被災。只見-会津川口間では、鉄橋が流出するなど甚大な被害が発生した。2016年12月、福島県とJR東日本は只見線の被災区間について、上下分離方式を採用した上で復旧することを決定。2018年から本格的な復旧工事がスタートし、2022年10月に11年ぶりに全線での運転が再開された。個人的な話だが、乗りつぶしにチャレンジし始めたのは2014年ごろ。只見線の被災区間は乗りつぶしを始める前からずっと一部区間が不通となっていた路線だった。
 全国のローカル線でも有数の美しい車窓を誇る只見線。運転再開後はなるべく早く乗りに行こうと思っていた。しかし、再開後は混雑が激しいという情報をSNSや雑誌で聞いていたので、なかなか行けずにいた。運転再開から1年半が経過し、混雑も徐々に落ち着いてきているらしい。昨年の秋頃から行けるタイミングを探っていたが、今回の旅で乗車することにした。奇跡の復活を果たした只見線。今回はこの路線が最大の目的となった。
 只見線が走る新潟県と福島県は、九州から比較的アクセスに時間がかかることもあって、未乗路線を多く残している。また、福島県の会津地方はこれまで全く訪問したことがないエリアでもあった。今回の旅では、只見線に乗車すると同時に、飯山線、磐越西線、信越本線、北越急行ほくほく線など、長野県、新潟県、福島県を走るいくつかの鉄道路線にも乗車していく。
 行程は2泊3日。1日目は東京駅からスタートし、北陸新幹線で長野へ。その後飯山線に乗車して小出に宿泊する。2日目は朝から只見線を乗り通して会津若松へ行き、そこから磐越西線、羽越本線、白新線を経由で新潟へ向かう。新潟で宿泊した3日目は、信越本線を走る特急しらゆきに乗車。その後、直江津から北越急行ほくほく線経由の普通列車で越後湯沢へ行き、上越線、上越新幹線経由で新潟に戻る。最後に新潟空港から九州へ戻る旅程とした。
 前日のうちに、羽田空港に到着して、空港近くのホテルに宿泊。翌日、朝から東京駅へ移動して、1日目がスタートした。

前旅

北陸新幹線「あさま」で長野へ

 東京駅に到着して、東北・上越・北陸新幹線ホームへ。1日目は東京駅を起点に、まずは北陸新幹線で長野へと向かう。長野からは飯山線の普通列車を2本乗り継ぎ、十日町経由で越後川口へ。越後川口からは上越線の普通列車で宿泊地の小出へ向かう流れとなる。道中、長野では新幹線と飯山線との乗り継ぎに少々時間を設けた。この時間を活用して善光寺を観光しに行く。
 
 約一か月ぶりに訪れた東京駅だが、前回の訪問からこの間にも発着する列車には変化があった。新幹線ホームの発車標には「敦賀」の2文字。3月16日に北陸新幹線金沢~敦賀間が開業。東京から福井へ1本の新幹線で行ける時代が到来した。この旅の最初に乗車するのは、その敦賀までの新幹線が走る北陸新幹線。とはいえ今回は北陸には行かない。東京駅からは北陸新幹線が長野新幹線と呼ばれていた頃から走る老舗の新幹線「あさま」に乗車した。
 
 現在、北陸新幹線の東京-長野間では、「かがやき」、「はくたか」、「あさま」の3種類の列車が走っている。「かがやき」は東京-金沢・敦賀間を最速達で結ぶ新幹線。北陸方面への輸送を最大の目的とするため、大宮の次は長野、その次は富山と停車駅がかなり絞られている。一方、「はくたか」は長野から先の各駅に停車するタイプの新幹線。大宮-長野間では高崎に必ず停車し、北陸新幹線内の軽井沢・佐久平・上田は千鳥停車(全駅通過もある)となる。そして、今回乗車し、長野県と群馬県の県境に位置する浅間山を名前の由来とする「あさま」は、東京-長野間で運転される区間便。途中の全駅に停車する列車も多いが、すべての列車が各駅停車というわけではなく、熊谷、本庄早稲田、安中榛名の3駅は千鳥停車となっている。大宮-高崎間には上越新幹線越後湯沢・新潟方面の列車に加え、高崎-東京間の区間列車も走っており、それとの兼ね合いで停車パターンも複雑になっている。
 今回乗車したのは、東京駅を7時24分に発車するあさま603号長野行き。この列車は終点の長野まで各駅に停車していく完全各駅停車型の「あさま」である。東京駅発車の4分前には、敦賀行きのかがやき503号が先に出ていく。長野で降りるならば、かがやきに乗車した方が早い。しかし、長野が目的地の今回は、「あさま」を利用する貴重な機会。あえて30分以上長く走る「あさま」を選択した。
 
 これまでE7系・W7系には2度乗車している。2度とも普通車指定席を利用したので、今回はグリーン車を利用した。E7系・W7系は12両編成。敦賀・新潟寄りの先頭車(12号車)がグランクラス、そして11号車がグリーン車となっている。北陸新幹線を走る列車のうち、「かがやき」は全席指定での運転。残りの「はくたか」、「あさま」、「つるぎ(富山~敦賀間で運転)」には自由席の設定がある。「あさま」は1号車から5号車が自由席である。
 E7系のグリーン車は以前から気になっていた座席だった。2+2列の車内に並ぶ青いシートは、電動リクライニングとヘッドレストを備えている。座席間隔もゆとりがあって、のんびりとくつろぐことができた。今回はえきねっとで発売されている「トクだ値30」を利用した。東京-長野間で「トクだ値」の設定があるのは、「あさま」のみ。同時に北陸新幹線の列車のグリーン車で「トクだ値」の設定があるのも、「あさま」のみとなっている。トクだ値で予約すれば、指定席の通常料金とほとんど変わらない値段でグリーン車に乗車できる。
 
乗車記録 No.1
北陸新幹線 あさま603号 長野行
東京→長野 E7系
 
 早朝の東京駅を出発。ここ数年で東北新幹線の東京~大宮も頻繁に利用するようになり、東京駅を出て、秋葉原付近で地下へ潜り、地下の上野駅に停車して、再び地上へ顔を出すという東北新幹線ならではの光景もすっかり見慣れてしまった。大宮から上越新幹線方面に進むのは一昨年秋以来約1年半ぶりだが、北陸新幹線に乗車するのは約6年ぶり。高崎から先が久しぶりに見る車窓となる。
 
 大宮駅を出て、東北新幹線と別れた後は、高崎へ向けて関東平野を北西に進む。北陸新幹線の列車といえど、東京-大宮間は東北新幹線、大宮-高崎間は上越新幹線の線路を走っていく。この列車は各駅停車なので、大宮-高崎間の途中駅である熊谷・本庄早稲田の2駅にも停車した。一昨年秋に上越新幹線の「とき」に乗車した際には、この2駅は通過したと記憶しているので、この2駅に停車する新幹線に乗車するのはこれが初めて。熊谷は高崎線・秩父鉄道線の接続駅で、埼玉県北部のターミナルとして、上越新幹線の開業当時からある駅。一方の本庄早稲田は、2004年に開業した請願駅で、早稲田大学のキャンパスや付属の高校が近くに立地することから、駅名には早稲田が入る。本庄早稲田の次は高崎。高崎では数分停車し、その後は北陸新幹線へと進んでいった。
 
 高崎を発車後、上越新幹線の線路と別れると、上越新幹線がトンネルで貫く谷川連峰の山々を横目に西へと進路を変える。ここまで割と平坦だった道のりも、ここから軽井沢まではずっと上り坂となる。高崎と軽井沢の間には安中榛名駅がある。「あさま」であっても通過する列車があるこの駅だが、この列車はこの日2本目の長野方面行きとして停車する。東京駅へも1時間ほどで行けるこの駅周辺はニュータウンが開発され、住宅街が広がっている。しかし、当初の予定よりは開発が思うようには進まず、1日の利用客数は500人と、全国の新幹線駅の中でも利用客が少ない駅の一つとなってしまった。
 安中榛名を出て、碓氷峠を越えると、長野県に入り軽井沢駅に到着。別荘・リゾート地らしくこの駅ではゴルフのクラブセットを持った乗客が下車していった。軽井沢を出ると、車窓の右手には、この列車の由来でもある浅間山が見える。今も時々火山活動を活発化させる活火山は長野県の佐久地域のシンボルでもある。その後は、千曲川沿いを進み、佐久平、上田と停車。上田駅を出て、トンネルを抜けると善光寺平に到達し、終点の長野駅へと到着した。
 
 前回の旅は松本が旅のゴールだった。そのため、長野県自体に来るのは一か月ぶりだった。一方、長野駅へ来るのは、2017年夏以来実に約7年ぶり。7年前にここへ来た時は、新幹線は使わなかったので、長野駅で新幹線を乗り降りするのは今回が初めてということになる。
 北陸新幹線は最初に高崎駅から長野駅間が1997年に開業。北陸に行かないので、当初は長野新幹線という呼び名が一般的だった。その後2015年には長野~金沢間が開業。この日以降、この新幹線は一般的にも北陸新幹線と呼ばれるようになった。2015年の延伸開業前には、「長野」も入れて案内してほしいという要望があったのを思い出す。今では北陸新幹線という名前が定着しており、行先案内の際に長野経由と案内されるにとどまっている。北陸新幹線はこの先、上越妙高まではJR東日本区間が続く。しかし、上越妙高は通過する列車も多いので、乗務員交代は長野駅で行われている。新幹線におけるJR同士の境界駅を通過する列車が存在するのは、上越妙高が唯一である。
 
 早朝にホテルを出発したので、まだ9時過ぎなのにお腹が空いてきた。改札を出ると、既に営業中の駅そばがあったので、ここで天ぷらそばを食べた。確か7年前に長野駅に来た際にも駅そばを食べたはず。多分同じそば屋だと思う。
 今回の旅は、長野で約3時間半の時間を設けていた。乗りつぶしの旅だが、今回も各地の観光スポットを巡りながら、のんびり旅を進めて行く。本当は久しぶりに、「バラ色のあの尾根は遥かな未来~」という歌い出しで始まる”美わしの志賀高原”を聴きに、長野電鉄の終点湯田中まで行こうかと思ったが、それでは時間が少なすぎるようだったので、今回はパス。その代わりに前回の長野旅行の際に訪れていなかった長野の観光スポット、善光寺を訪れることにした。
 

乗り換え時間を活用して善光寺を観光

 長野駅から善光寺までは路線バスで10分ほどで行ける。善光寺からまっすぐ続く旧北国街道を走るバスに乗車するのが最速だが、今回はあえて、長野市が長電バスに委託して運行しているコミュニティバス「ぐるりん号」に乗車し、善光寺を経由して市街地をぐるっと一周することにした。長野市ではアルピコ交通と長電バスの2社によって路線バスが運行されている。このうち長電バスは乗務員確保の観点から日曜日の路線バスの運行を行っていない。乗車した「ぐるりん号」は、長電バスが運行するが、この路線は長野市から受託している路線なので、日曜日も運行を行っている。1回の乗車で運賃は190円。とっても便利なバスだが、毎回両替するのがちょっと面倒くさい。来年には、長電バスでもSuicaが使えるようになるらしい。そうなると、両替の手間も省けるだろうか。
 長野駅を発車したバスは、長野電鉄線が地下を走る大通りを進み、権堂駅付近で左折。善光寺表参道の入口にある善光寺大門バス停に到着した。この日、長野市内では長野マラソンが行われていた。善光寺周辺もコースの一部となっており、北国街道を走るバスは一部時間帯で運休となっていた。来てからマラソンが開催されていることを知ったが、この路線を選んで正解だった。
 
 さて、今回初めて訪れる善光寺は、1400年以上の歴史を持つ由緒ある寺院。無宗派の寺として知られ、江戸時代には遠くても一度は参拝するべきと言われていた。現在も多くの観光客、参拝客が訪れる長野市の観光の目玉となっている。前回長野に訪れた際は、乗りつぶしを優先して、訪れる時間がなかったので、善光寺には訪れていなかった。今回はしっかり立ち寄っていく。
 善光寺大門バス停からは表参道を歩いて本堂へ向かう。バス停から本堂までは歩いて10~15分ほどかかる。長い表参道にはいくつかの門がある。市街地側から見て最初にあるのは仁王門。門の左右に仁王像の阿形吽形が睨みをきかせている。1752年に最初に創建され、その後数度焼失。現在の門は大正時代に再建されたもので、仁王像は高村光雲らの作である。
 
 仁王門を潜ると、土産物屋が軒を連ねる仲見世通りがある。10時過ぎだったが既に多くの観光客でにぎわっていた。さっき駅でそばを食べたばかりだが、おやきがおいしそうだったので、2つ購入。長野県の名物料理として知られるおやきは、いろんな餡を楽しめて、しかもおいしい。今回は定番の野沢菜とねぎ味噌を選んだが、甘い系から辛い系までいろんな種類があって、どれにしようか迷った。
 
 仲見世通りを進むと、その先が善光寺の境内となる。にぎやかな雰囲気の表参道も、一気に荘厳な雰囲気に変わる。仲見世通りの奥に見えていた山門が次第に近くなってくる。山門は1750年に創建された門。国の重要文化財に指定されており、善光寺のシンボルにもなっている。参拝券を購入すれば、山門の中にも入ることができる。回廊からは仲見世通りや長野市内を一望することができるらしい。
 
 山門から奥へ進むと、本堂がある。本堂へ上がると、そこにはびんずる尊者がある。自分の身体の悪いところを撫でると、ご利益があると伝わる。その奥には本尊がある。秘仏のご本尊は見れないが、本尊の下を通るお戒檀巡りというものがあり、暗闇の中で本尊と結ばれた極楽の錠前を探り当てることで、本尊と直接の縁を結べると言われている。
 さて、善光寺観光後は、再び「ぐるりん号」で市街地をぐるっとまわって長野駅に戻った。
 

7年前と変化も見られた長野駅を発着する列車たち

 長野駅周辺の鉄路はしなの鉄道とJRが入り乱れていて少々ややこしい。長野駅から豊野方面はしなの鉄道北しなの線。ここには豊野が起点の飯山線の列車が乗り入れてくる。一方、篠ノ井方面はJR信越本線である。信越本線はかつては高崎から新潟までの路線だったが、新幹線開業による碓氷峠区間の廃止、並行在来線の転換によって、現在は3ヵ所に点在する形になっている。長野駅周辺では、篠ノ井で篠ノ井線と接続する篠ノ井~長野間だけがJR区間として残った。信越本線は、篠ノ井で松本方面からの普通列車が直通してくるほか、しなの鉄道からの列車も直通してくる。長野駅は南北でJRとしなの鉄道の立場が逆転しており、しなの鉄道線から北しなの線へ抜ける場合も、篠ノ井線・信越本線から飯山線へ向ける場合も、いずれも他社の路線を経由しないと抜けることができない。一方で、いろんな路線の列車が乗り入れる長野駅は、こじんまりした駅だが多彩な顔ぶれを楽しむことができる駅でもある。
 
 名古屋と長野を結ぶ特急しなの。前回の旅では、松本空港の雪によるアクシデントで急遽お世話になった。かつて、この駅には飯田線からの313系も乗り入れており、JR東海の車両も383系と313系の2車種を見ることができた。現在も飯田線からの列車の運行は引き続き行われているが、211系での運転となっているため、長野駅で見れるJR東海の車両は383系のみである。
 
 一方こちらは北陸新幹線の並行在来線となった信越本線の運行を引き継いだしなの鉄道の普通列車。7年来ない間に新型車両SR1系が投入され、すっかりしなの鉄道の顔になりつつある。写真の一般車両のほかに、デュアルシートを採用した青いライナー車両も走ってい。ライナー車両は上田-長野間の有料快速列車「しなのサンライズ」、「しなのサンセット」のほか、土休日の運転される「軽井沢リゾート」に使用されている。しなの鉄道も7年前に乗車して以降、乗車していない。軽井沢-妙高高原間を直通する「軽井沢リゾート」にはいつか乗ってみたいと思っている。
 
 もちろん古参の115系車両もまだまだ現役である。7年前にしなの鉄道に乗車した際には、この115系にお世話になった。新型車両が登場してもしなの鉄道といえばこの車両というイメージもまだまだ濃い。運用はSR1系の投入に伴って徐々に減少中。近いうちには姿を消すことになるだろうか。次にこの駅に来た時にはもしかすると、この車両の姿はないかもしれない。
 
 そして、前々回の旅行から3回連続でお目にかかるのは長野総合車両センター所属の211系。前々回の旅ではJR東海の中央西線乗り入れ列車に中津川で遭遇、前回の旅では甲府~塩尻間でお世話になった。写真を見返すと、写真のN321編成は、前回の旅の最後に松本駅で出会っていた。同じ編成と1ヵ月ぶりの再会となった。また次回の旅でもお目にかかる予定。長野県の近辺ばかりウロウロしているとこうなる。長野からの松本方面の列車は、中央東線・飯田線発着の列車もあり、遠くは大月-長野間で運転される列車ある。3月のダイヤ改正までは高尾からの列車もあったのだが、中央線の運行系統の見直しがあり、東京-大月間の直通列車が増加するとともに、高尾-甲府方面の普通列車が減少。大月発着の甲府方面行が増えた。長野発着で、岡谷から中央本線支線を経由して飯田線へ進む列車も1日1往復運転されている。そのうちの1本となる飯田発長野行は快速みすずとして運転されている。
 
 飯山線の列車の発車が近づいてきた。ここからは飯山線の普通列車に乗車。十日町、越後川口を経由して、1日目の宿泊地、小出を目指した。
 
次話