【旅行記】信濃・会津・越後のローカル線を巡る旅~絶景続く只見線で会津若松へ~
前話
信濃・会津・越後のローカル線を巡る旅の2日目。小出駅前のホテルに宿泊したこの日は、最初に只見線の普通列車を乗り通し、会津若松へ。その後は磐越西線の西側区間に乗車して新津へ向かう。新津からは羽越本線の未乗区間にも乗車。最後に新発田から白新線で新潟駅へ向かう流れだった。福島県の会津地方は、東北地方の中でも唯一未踏だった地域。今回が初めての訪問となる。乗り換え時間が数時間あるので、観光名所の一つ鶴ヶ城にも訪れる。
小出を早朝に発車する只見線普通列車に乗車
この日最初に乗車する只見線は、会津若松と小出を結ぶ全長135.2kmのローカル線である。区間のうち中間部分にあたる会津川口~只見間は2011年7月の新潟・福島豪雨で被災。只見川に架かる鉄橋が流出するなど大きな被害が発生し、その後しばらくの間運転を見合わせていた。2016年に運休区間を上下分離方式を採用して復旧させることが、福島県とJR東日本の間で決定され、2018年から工事を開始。被災から11年が経過した2022年10月1日に約11年ぶりに全線での運転が再開された。運転再開後は大変なにぎわいで、多くの鉄道ファンや行楽客が訪れている。しかし、運転再開から1年半が経過し、徐々に混雑も落ち着きつつあるということで、今回のタイミングで乗車することにした。小出と会津川口間の只見線全線を走破する列車は1日3往復のみ。夜は景色が見えず、昼の1往復は現在も混雑するという話だったので、朝の便に乗車することに。さらに念には念を入れて、宿泊施設が少なく乗車することが難しい、朝の小出発の便に乗車することにした。

宿泊していた駅前のホテルを5時過ぎにチェックアウトして、小出駅へやってきた。ここから今回の旅で一番楽しみにしていた只見線の旅がスタートする。JR東日本、そして日本のローカル線の中でも屈指の存在の只見線。どんな車窓が楽しめるのだろうか。只見線の旅を企画してからこの日までずっと楽しみにしていた。
小出駅は、当然だが只見線の利用客より上越線の利用客の方が多い。しかし、この駅の朝の一番列車は只見線の列車である。上越線の上り始発列車は45分後、下り始発列車にいたっては、さらに遅い1時間20分後の6時58分の発車である。小出駅の駅名板は、小出駅がある魚沼市出身の俳優渡辺謙氏が書いたものだった。
所要時間約5時間の只見線の旅がスタート

只見線のホームは上越線のホームからやや離れた場所にあり、1面2線の4番線と5番線が只見線専用ののりばである。上越線りホームには、しっかりとした屋根があり、待合室もあるが、只見線のホームは一部にしか屋根がなく、ホームの幅も狭くなっている。只見線と上越線は、普段は直通列車はないものの、線路はつながっていて、行き来ができるようになっている。行楽期を中心に運転される新潟方面からの臨時列車が上越線から只見線に直通することがある。
只見線の車両はここで2両編成の列車が2本停泊する。始発列車はまだ発車していないのに、1編成の姿は既にない。夜間に4番線で停泊した列車は、始発の普通列車よりも早くこの駅を出て、大白川駅へ回送されている。大白川から折り返し小出行の普通列車として運転され、小出方面への乗客輸送に使われる。5番線に停車しているのが、これから乗車する小出発会津若松行に使われる車両。キハE120系に乗車できるかなと思ったら、まさかのキハ110系2両編成だった。こちらは窓がスモークガラスではないので、景色をよりクリアに楽しめるという利点はある。しかし、JR東日本管内のローカル線はこの車両ばかりなので、そろそろ飽きてきた感はある。

只見線は全線走破するのに最速でも4時間15分ほどかかる。一方、乗車した朝の小出始発の列車は、途中の会津川口で約40分の停車時間が設けられている。小出を5時36分に発車して、終点の会津若松に到着するのは10時32分。運行時間はなんと4時間56分にもなる。飯田線の普通列車ほどではないものの、運行時間約5時間の普通列車というのは、今となっては貴重。新幹線「のぞみ」は東京-博多間を最速4時間45分で走る。今から乗車する列車は、新幹線が東海道・山陽新幹線1174.9kmを駆け抜けるのとほぼ同じ時間で、135.2kmの只見線をのんびりと走っていく。

始発前の列車の起動・点検が終わり、発車の20分ほど前には乗車することができた。青春18きっぷシーズンなどには、この列車にも十数人程度の乗車があるらしいが、この日は企画券が使えるシーズンではなく、また大型連休直前の平日ということもあって、乗車したのは自分を含めてたったの4人。うち2人は鉄道ファンではなく、沿線に観光に訪れた観光客のようだった。なお、この列車に乗るためには、基本的に駅前に宿泊しないといけないが、夜行バスでアクセスすれば、宿泊なしでも乗れるらしい。バスタ新宿を深夜に発車する新潟行の夜行バスに乗り込み、小出ICで下車。小出には3時に到着するので、歩いて小出駅へ来ることができれば、宿泊なしでも乗れる。ネットを検索すると、チャレンジしている人もいるようだ。
乗車記録 No.5
只見線 普通 会津若松行
小出→会津若松 キハ110系

小出駅を発車。駅の隣には魚野川が流れているので、只見線は駅を発車してすぐにこの川の鉄橋をカーブしながら渡る。川を渡ったところに広がるのが小出の市街地。言い忘れていたが、魚沼市の中心地小出の市街地は、小出駅から少し離れた川の対岸に広がっている。この市街地を通りすぎると、まもなく車窓には田園風景が広がる。その後は朝焼けの魚沼の田園地帯を眺めながら、列車は薮神、越後広瀬、魚沼田中と停車しながら北東方向へと進んでいった。
前日の天気予報では、この日の天気は晴れか曇りか微妙なところだった。関東平野では雨も降っているようだったが、山を越えた先のこのあたりは青空が広がっていた。

次第に車窓の景色は広々とした田園風景から山間の景色に変わる。小出から魚野川の支流である破間川と並走しているが、川も峡谷の景色へと変わっていく。上条駅の先で列車はカーブを曲がって今度は南東を向く。その先にある入広瀬駅周辺は比較的人家も多かった。しかし、この時間に会津若松方面の列車に乗る人はいない。直後にやって来る小出行にはどれくらいの人が乗るのだろうか。このあたりのの只見線の利用状況も気になるところだ。
時刻は6時前後だったが、既に沿線ではカメラを構えて列車を撮影している人の姿があった。小出から大白川までの間は、区間列車の運転もあり、1日5往復の列車が行き来する。しかし、夜間に走る列車もあるので、撮影できるチャンスは一日数回しかない。

小出駅を出て45分。列車は大白川駅に到着した。周辺に家が数軒だけ立ち並んでいるこの駅は、小出駅を出て最初の交換可能駅になっている。それと同時に、只見線の小出側の輸送の一端であり、小出-大白川間には区間列車が1往復設定されている。隣のホームには、乗車中の始発列車よりも先に小出からこの駅に回送されていたキハE120系2両が停車中。入れ違いですぐに小出行きの普通列車として発車していった。

大白川では時間調整のため12分ほど停車。乗車していた自分を含めた4人の乗客は、みんなホームに出て、外の空気を吸いに行く。大白川駅は駅舎の反対側に破間川が流れている。ホームに降り立つとそのせせらぎが聞こえてくる。雪解け水だろうか。今は春だが、川の水量は多かった。
大白川から六十里越峠を越えて只見へ

大白川での小休憩の後、再び走り始めた列車は、ここから只見までの間、新潟県と福島県の県境を跨ぐ六十里越峠に挑む。越後山脈に聳える標高1585mの浅草岳の南側を通る六十里越峠には、只見線と国道252号線が走っている。豪雪地帯を走るため、道路は12月から4月にかけて通行止めとなる。この日もまだ通行止めが続いていた。周辺に県境を跨ぐ道路はない。したがって、冬の間は実質只見線でしか県境を越えることはできない。只見線のこの区間が鉄道として残っているは、こうした雪国ならではの事情がある。
以前は、途中に田子倉駅があったが廃止され、現在は只見駅が大白川駅の隣の駅になっている。その只見までの所要時間はなんと29分。石北本線の上川-白滝間には及ばないが、駅間距離20.8kmというのはかなり長い部類に入るのではないだろうか。国道通行止めの旅行日、車で大白川から只見へ行こうとすると、五泉市経由で3時間44分かかるらしいのでそれよりはマシということになる。

末沢川と並走し、標高を上げると、列車は越後山脈を貫く六十里越トンネルに入る。長さ6359mのとても長いトンネルで、列車は10分ほどトンネルの中を走り続ける。このトンネルの途中で新潟県から福島県へと入る。トンネルを出ると只見川上流部の田子倉ダムのダム湖、田子倉湖が一瞬見える。夏になると水位が上昇して美しいらしいが、この日は水位が下がっていて、ほぼ川になっていた。対岸には国道252号線のスノーシェルターが見える。道路は奥が大白川方面。トンネルで一気に貫く鉄道とは異なり、道路はダム湖を迂回しながら只見へ向けて走っていく。
一瞬だけダム湖が見えた後は再び全長3715mの田子倉トンネルに入る。トンネルを抜けるとやがて景色が少しだけ開けて、列車は只見の街に到着した。

小出駅を出て1時間25分。列車は只見駅に到着した。大白川駅と只見駅の間に新潟県から福島県へ県境を跨いだが、同時にJR東日本における支社境も越えている。小出からこの駅(厳密には六十里越トンネル内の支社境まで)までは新潟支社の管轄、この駅から先は東北本部の管轄となる。乗務員もここで交代。ここでは交代を兼ねて10分ほど停車した。以前の只見線新潟支社区間は、車掌が乗務していた。しかし、最近になりワンマン化され、現在は全区間でワンマン運転が実施されている。
ここまで乗客は4人だったが、ここでは3人ほど地元住民の乗車があった。只見線の只見駅周辺は1日3往復しか列車がない。正直、普段使いには厳しい本数だが、それでも列車を使う人の姿があった。1日3往復であっても使う人がいないわけではない。ただ、鉄道が地域の交通に最適かと言われれば、それは考える必要がありそうである。ここから先、越後川口までの間は、福島県と沿線自治体が上下分離方式で設備を保有している区間に入る。沿線が経費をかけても鉄道を維持すると決めたのであれば、それは地元の意見として尊重しないといけないと思う。少なくとも、初めてこの地を訪れた旅行者がどうこう言える話ではない。あくまでお邪魔させてもらっている身に過ぎない。

只見駅は最近まで1面2線の駅だった。しかし、JR東日本はコスト削減の観点から、只見駅を棒線化している。写真は大白川方面を見ている。左側の信号機が横向きにされ、使用停止となっていることが分かる。棒線化しても停車場としての役割はそのまま。この駅で折り返し運転を行うことは可能になっている。只見駅が棒線化されたため、大白川の次に列車の行き違いができる駅は会津川口駅となった。このあたりは1日3往復しか列車がない。臨時列車を走らせても、行き違い設備は会津川口にあれば十分ということだろう。以前はこの駅で臨時列車同士を接続させることもあったらしい。しかし、棒線化された現在は、そうした運用は不可となった。会津若松-只見間と只見-小出間の臨時列車同士を接続させる際は、小出-只見の普通列車を一旦大白川方面へ回送させているようだ。
奥には今この列車がトンネルで貫いてきた越後山脈の山々が見える。山はまだ真っ白に雪を積もらせていて美しい。駅近くの神社の桜はこの日が見ごろ。会津若松の開花情報ではもう葉桜になっていたので、桜の季節は終わったかと思っていたが、会津若松より標高の高い只見線沿線は、どこも桜が見ごろだった。
只見から11年ぶりに復活した区間を通り会津川口へ

只見駅から先、会津川口までの区間が、2011年の大雨被害で長らく運転を見合わせていた区間。約1年半前から再び列車が動き始めた区間へと突入する。会津川口までの区間は上下分離区間となり、第三種鉄道事業者が福島県、第二種鉄道事業者がJR東日本となっている。ここから先は会津盆地へ出る地点まで、只見川とほぼ並走する。
只見の街を出た列車は、只見川に流れ込む叶津川にかかる橋を渡る。只見線の会津川口-只見間は1963年に開業。コンクリートの高架橋が路線が比較的新しいことを示す。なお、只見線は1971年に只見~大白川間の開業をもって全線開通となった。そのため、全線開通からはまだ40年ほどしか経っていない。
奥には尖った山が見える。次の会津蒲生駅の背後に聳える蒲生岳。形がアルプス山脈の名峰、マッターホルンと似ていることから、会津のマッターホルンと呼ばれている。

会津蒲生駅の先が列車から只見川を眺める一つ目のビューポイントとなる。只見川に架かる只見線の鉄橋は計8本。そのうち、小出側からの最初の鉄橋となる第8只見川橋梁は、只見川を渡らない鉄橋である。山の斜面とダム湖の間の狭い場所を走る只見線。一部区間はダム湖の上を走る。直射日光が眩しかったが、エメラルドグリーンのダム湖がとても美しかった。
この第8只見川橋梁以外の7つの鉄橋は、ちゃんと只見川の対岸に渡る。多くの鉄橋が只見線の撮影ポイントとなっている。少し先へ進んだ会津大島~会津横田間には第7只見川橋梁がある。ここで川は一旦車窓の左側に移動した。第7・6・5の3つの鉄橋は、豪雨で被害を受けた鉄橋。第7・6橋梁はほぼ完全に流出、第5橋梁は橋桁の一部が流出する被害が発生した。

只見から先の各駅では高校生数人の乗車があった。只見線沿線には只見、会津川口にそれぞれ高校がある。そのため少数だが通学需要がある。只見からの各駅は駅のホームが1両分しかない駅が多い。そのため、2両目はホームにかからない。ワンマン運転で最初からドアは開かないが、2両目が踏切の上で停車する駅もあった。
只見川沿いに点在する集落の駅に停車しながら走る列車。車窓には満開の桜を楽しむことができた。桜はやっぱり青空じゃないと映えない。

会津越川を出て、本名駅の手前では第6只見川橋梁を渡った。第6只見川橋梁も2011年の豪雨被害で橋が流される被害が発生。現在渡っている橋は只見線の全線復旧が決まった後に新しく架け替えられた橋である。本名ダムは東北電力が管理する水力発電用ダム。只見川はダムの連続で、電源開発と東北電力の2社が管理するダムが連続的にある。この本名ダムは、東北電力が管理する只見川のダムで最も上流に位置している。

只見川はダムの先には、次のダムのダム湖が待ち受けている。本名駅と会津川口駅の間では、第5只見川橋梁を渡るが、川は既に下流にある上田ダムというダムのダム湖になっていた。エメラルドグリーンの川面に鉄橋と乗っている列車の影が映る。とても美しい光景だった。
会津川口で約40分の長時間停車

小出駅から2時間30分、只見駅から1時間で、列車は会津川口駅に到着した。時刻は8時をまわったところ。小出駅を出た時はまだ日の出直後だったが、すっかり日が昇った。約5時間の只見線の旅もここで半分が終了。しかし、ここから会津若松駅まではまだ2時間近くかかる。乗車中の列車は、この駅で反対列車の待ち合わせと時間調整のため40分ほど停車する。只見駅以降の各駅から乗車した高校生や地元住民、さらに小出から乗車していた乗客のうち2人は、この駅で下車。車内は再び閑散とした。

小出駅では5時間かかるとわかっていながら、飲み物を持たずに乗車してしまった。駅の自販機で飲み物を購入。乗り通す人のことを考えてか、駅の窓口の前に自販機があった。そこで飲み物を買おうと思ったが、まさかの100円硬貨のお釣り切れ。結局、別の自販機で飲み物を購入した。自販機に立ち寄ったついでに駅舎を撮影。駅舎にはJA会津よつば金山支店と郵便局も入っている。駅舎に掲げられた幕の通り、この駅は簡易委託駅となっていて、JR東日本が金山町へ委託、さらに金山町が観光物産協会に再委託し、観光物産協会が窓口営業を行っている。もともとは直営駅だったが、CTC化に伴って、駅員の配置が無くなり、今年4月から簡易委託に移行した。新幹線の自由席特急券なども発売されているらしい。1日にどれくらいの人が使うかはわからないが、近くの高校があるので、定期券を購入したり更新したりする人は一定数いるはずである。

小出から乗車しているキハ110系2両の会津若松行き。只見線ではキハ110系とキハE120系が使用されている。乗車中の列車も日によってキハ110系2両だったり、キハE120系2両だったり、両方の混結だったりする。キハ110系はノーマル塗装の車両のほかに、只見線カラーや首都圏色を纏った車両も活躍している。ノーマル塗装の2両編成というのは、只見線では意外と珍しいかもしれない。キハ110系とキハE120系は、それぞれ郡山総合車両センターに所属。普段は会津若松に常駐している。

乗車中の列車は、ここで会津若松を6時過ぎに発車した小出行の普通列車と行き違う。会津川口駅到着の数分後に小出行きも姿を現した。小出行きもこの駅で10分ほど停車する。到着すると多くの高校生が下車していった。車内は、鉄道ファンと観光客で座席のほとんど埋まっていた。一時期はこの列車も立ち客が出るほど混雑していたらしい。今はそれほどではないが、それでも会津若松発の方が、駅周辺に宿泊施設が多いので、乗客の数も多い。キハE120系には今回の旅では乗車できなかった。この車両はもともと新潟支社の新津運輸区に配置されており、以前は米坂線や磐越西線、羽越本線などの新潟エリアで運用されていた。新潟支社には新型車両のGV-E400系が投入されていたこともあり、只見線の全線復旧に先立ち郡山総合車両センターに転属して、只見線での運用を開始している。久留里線や水郡線で活躍するキハE130系とよく似た車両だが、こちらの車両は2ドア。混雑路線にはやや不向きである。
只見川の絶景を眺めながら会津盆地を目指す

会津川口を発車した直後が、絶景が続く只見線の中でも特に車窓が美しい区間である。上田ダムのダム湖が広がる会津川口駅周辺。対岸に渡る上井草橋を過ぎると、川は左にカーブする。奥には大志と呼ばれる集落が見える。風がなく穏やかな日には、集落と後ろの山がダム湖に反射する。線路も川に沿ってカーブを曲がる。線路の隣は川。車窓いっぱいにダム湖の絶景が広がった。

持ってきた一眼レフでも一枚。ダム湖の奥の方は少し波が立っていたが、手前は鏡のように奥の景色を反射させている。この景色を楽しみに只見線に乗りに来たと言っても過言ではなかったので、天気に恵まれて本当に良かったと思う。
このあたりは季節によっては霧が出ることがある。ダム湖の上に霧が立ち込めたとき、大志集落の家々が雲の上に浮かんで見える。それもそれで絶景らしい。川霧が発生する日に訪れるのは、おそらく晴れた日に訪れるより難しいのではないかと思う。季節や天気によって、沿線はいろんな表情を見せる。それを楽しめるのも只見線のいいところである。

列車は次の会津中川駅を発車。上田ダムの横を通りすぎると、その先で第4只見線橋梁を渡る。川は再び進行方向の右側に移動した。1両に3人くらいしか乗っていないので、自分も川を渡る度に反対側の座席に移動。約5時間も座ってないといけないので、停車時間やこうしたタイミングで体を動かした方がいい。

列車は早戸駅に到着。ここもまた只見線の絶景ポイントの一つとして知られ、先ほどの大志集落とは逆の車窓には、雄大な景色が広がる。ここは霧幻峡と呼ばれる渓谷。ここもまた、大志集落の車窓と同じく川霧が発生した際には幻想的な景色が楽しめる。かつては対岸の集落への移動手段だった渡し舟が、現在は観光用として運航されている。

早戸駅を出ると、第3只見川橋梁を通り、次の会津宮下駅が近づく。宮下の街のやや上流部には宮下ダムがある。車窓からもダムがちらっと見えた。会津宮下では、会津若松を7時41分に発車した普通列車会津川口行とすれ違う。会津宮下でも会津若松から1時間30分かかる。もう小出を出てから3時間半が経過。時間を気にする必要もなく、時計を見ていなかったので、時間の間隔が狂ってきた。
只見線の会津川口-会津若松間では、全線通しの3往復に区間列車の3往復加わり、1日あたり6往復の運転となる。もちろん、少ないことには変わりないが、それでも6往復あれば利用客も3往復区間よりも増える。会津宮下では高齢者を中心に10人くらいの乗車があった。只見線の只見川を眺めて走る区間もいよいよ佳境となり、会津盆地へ近づいていく。

会津宮下駅を出た列車は次の会津西方駅との間で、第二只見川橋梁を渡り、さらにその先で第一只見川橋梁を渡る。この2つの橋は、只見線の有名な撮影スポットとして知られる。特に第一橋梁は、アーチ型の橋の美しさと、周囲に建物がないということも相まって、全国の鉄道撮影スポットの中でも群を抜く有名さを誇る。秋には紅葉、冬は雪が積もる沿線の景色の中を1両や2両の列車が走り抜ける。鉄道雑誌でも数冊に一回は掲載されているこの第一只見川橋梁の景色。今回は列車の中からだったが、新緑芽吹く春の車窓がとても美しかった。いつかは列車を撮影しにここを訪れてみたい場所でもある。

第一只見川橋梁を渡った後も、只見線はしばらく只見川に沿って走る。しかし、只見川はここから先、峡谷を経て次第に標高を下げて行くので、ここまで見て来たような川の車窓はほとんど見えなくなる。只見川は阿賀野川水系の川。したがって、この川は鉄路で言うところの磐越西線方面に流れていく。会津坂本駅までおおよそ並走した川と線路は、その先で分かれ、只見線は会津盆地を、只見川は磐越西線の野沢駅方面に流れる。只見線に乗った後は、磐越西線で新津を目指す。今日は一日、只見川、阿賀野川に寄り添うように旅を進めていく。
列車は会津柳津駅に到着。柳津は会津地方に伝わる赤べこ伝説発祥の地として知られる。駅舎は最近リニューアルされたようで、真新しい買った。駅にはカフェなども併設され、地域の憩いの場としても活用されているらしい。
会津盆地へ出て坂下から盆地をぐるっと回り若松へ

次第に高い山が遠のき、盆地が近いことを予感させる。遠くの山も見渡せるようになり、車窓には白く雪を積もらせた飯豊山をはじめとする飯豊山地が見えた。福島県と新潟県、山形県の間に聳えるこの山地。半年前には米坂線の旅で訪れた山形県長井市からこの山地を眺めたのを思い出す。この山地の北側で山を越すのが米坂線、南で山を越すのが磐越西線である。このあたりは、磐越西線と只見線が割と近い場所を走っている。只見線はここから会津盆地の中をぐるっとまわるので、両線が出会うのはまだかなり先である。

かれこれ4時間以上に渡って、新潟県と福島県の険しい山のなかを走ってきた。地図を眺める度に、本当に只見線はすごい場所に鉄路が敷かれているよなと思う。その山の中を彷徨う旅も塔寺駅で終了。下り坂を軽快に走る列車の車窓には、まもなく広大な会津盆地が姿を現す。思い返せば1日目の長野からほぼひたすらに狭い山の中を通り抜けてきた。ほぼ1日ぶりに見る広い平地になんだか妙に安心してしまった。
坂を下りると、文字通り坂下(ばんげ)の街。街に到着すると、沿線では多くの人が列車に手を振っていた。小出を出てこれまで、沿線では列車に手をする人の姿を頻繁に見かけた。只見線の沿線自治体では、只見線に手を振ろうという条例もあるらしい。列車に手を振るということがもはや沿線の文化となっている。鉄道を通した人と人とのふれあいが、鉄道と沿線に少しだけでも活気をもたらしている。いいか悪いかは別として、これこそが福島県が上下分離をしてでも只見線を残した理由なのだろうと思う。

会津宮下や会津柳津で乗車した乗客は、その多くが会津坂下で下車していった。ここから会津若松は直線距離で10kmほどしか離れていない。しかし、只見線は会津盆地の西側をぐるっとまわって南側から会津若松の市街地へ入っていく。会津若松-会津坂下間では、夕方に1往復の区間列車が設定されており、ここから先は7往復区間となる。7往復というのは、ローカル線と呼ばれる路線ではある意味標準的な本数。それでも少ないが、ここから会津若松方面へは、通学で使う乗客も多いのではないかと思う。平日日中の便だったが、学校が休みなのか会津若松市内へ遊びに行くと見られる小学生のグループが乗ってきて、車内はにぎやかになった。会津坂下-会津若松間は路線バスも運行されており、運行本数は路線バスの方が多い。所要時間は列車もバスもほぼ変わらず35分ほどである。只見線の路線図は、米沢盆地の米坂線を思い出させる。米坂線も米沢盆地の西側をまわって、米沢駅に入っていく。
広い盆地の中を走る列車の車窓からは磐梯山をはじめとする盆地東側の山々が見える。線路沿いには田園地帯が広がる。まもなく田植えの時期。水田には水が張られは初めていた。西側の山から只見線を俯瞰して、田園地帯を駆け抜ける様子を撮影する手法も只見線撮影では定番になっている。

広い盆地を走る只見線は直線的に線路が敷かれている。直線区間の間のカーブで徐々に方角を変え、会津高田駅付近で東を向く。その先で会津鉄道沿線から流れてくる阿賀川を渡る。新潟県では阿賀野川だが、福島県内では阿賀川と呼ばれている。この阿賀川の東側に広がるのが会津若松の市街地。川を渡るとまもなく若松の市街地が広がり始める。やがて、右手から会津鉄道の線路が近づいてくると、先ほど走っていた向きとは180度変わって列車は先頭が北を向いた。会津鉄道の起点である西若松駅から先は、会津鉄道の列車も只見線に乗り入れてくる。夜間には会津鉄道の車両を使った会津若松-西若松間の区間列車もある。5時間走り続てようやく大きな街が現れた。これほど長い間大きな街が一つも現れない路線というのも珍しい。住宅の間を通り抜けると列車はゆっくりと終点の会津若松に到着。小出から約5時間の壮大な只見線の旅が幕を閉じた。

もし同じタイミングで東京駅から新幹線のぞみに乗り込んだとすれば、一足先に博多についているはず。そんな時間をかけて、小出から会津若松へ1本の普通列車で移動してきた。日の出の小出の街を出て、朝焼けの田園地帯を抜け、六十里越峠を越えて福島県へ。只見からは只見川のダム湖を眺めて、いくつもの鉄橋を渡った。会津坂下以降は、遠くに磐梯山を眺め、田園風景の中を走り抜け、最後に会津若松の大きな街にたどり着いた。5時間の道のりは絶景の連続。移り変わる景色は1本の普通列車ながら、一個の映画を見ているようなそんな気分にさせらた。車窓の美しさは国内随一と聞いていたが、その評判に間違いはなく、海は五能線なら、山は只見線と思えるくらい、絶景を楽しめる路線だった。

只見線を完乗して会津若松に到着。会津若松を訪れたのはこれが初めてだった。ここは4方向からの鉄道が交わる地。乗ってきた只見線、郡山と新津を結ぶ磐越西線、西若松から只見線に直通する、会津田島・野岩鉄道・東武鉄道方面への会津鉄道の列車がやって来る。この後は、郡山か、新津か、それとも鬼怒川か、どこへ抜けようか迷ったが、今回は新津へ向かうことにした。磐越西線の次の新津行きの列車は約4時間後。ちょっと時間がある。はじめて来た会津若松。せっかくなのでその間に会津若松を観光していくことにした。
磐越西線と只見線が乗り入れる会津若松駅

会津若松観光へ出かける前に会津若松駅を少し見ていく。会津若松駅には先述の通り磐越西線と只見線の2路線が乗り入れており、只見線の西若松から会津田島方面へ向かう会津鉄道の列車もこの駅にやってくる。この駅が起点となるのは只見線だけ。一方、磐越西線はこの駅で進行方向が変わり、郡山、新津両方向からの列車が北側から駅へ入って来る形になっている。
駅前はかつて貨物列車が使っていたホームが張り出しており、現在は駐車場として利用されている。その隣にはバスの案内所とバス停がある。駅前の道向かいにもバスターミナルがあり、駅前ロータリーのバス停は若松市内の路線バスが、バスターミナルは東京、仙台、新潟、福島、いわき方面への高速バスと、近隣市町村への路線バスが発着している。

改札前の1番線には磐越西線の郡山行の列車が停車していた。会津若松は福島県なので、もちろん東北地方に含まれる。しかし、鉄道路線的には、甲信越の新潟や、関東の鬼怒川温泉方面への列車も発着しているため、東北地方でありながら、関東甲信越地方に片足を突っ込んだような感じがあって、正直東北感が薄い。しかし、この車両を見ると、東北に来たんだなという実感が湧いてくる。ここから郡山方面の磐越西線は電化されていて、普通・快速列車はE721系で運転されている。電化区間は正式には喜多方まで。しかし、現在は喜多方~会津若松の電車列車は廃止されており、近々電化設備が撤去される予定となっている。したがって、ここ会津若松が実質の磐越西線における電化区間の終点ということになっている。

会津若松駅はとても特殊な配線になっている。1・3番ホームは行き止まりのホームとなっており、磐越西線の列車のみが使用する。この2つのホームは車止めの後ろを通る通路を通って水平移動が可能である。3番線の隣の4番線と5・6番線は只見線西若松方面にも線路が繋がっている。4番線は、只見線と磐越西線の両方の列車が、5番線は只見線の列車が、そして6番線は会津鉄道の列車が使うように割り振りされている。4番ホームは水平移動で辿りつけるが、5・6番線は孤立した島となっていて、跨線橋を渡らないとホームへ行くことができない。会津若松駅は島式ホームの駅と頭端式のホームを組み合わせたハイブリッドホームとでも呼べそうな特殊な配線になっている。
もともと1番線~3番線はさらに奥まで線路があり、機関車の機回しができるようになっていた。しかし、客車列車も貨物列車も廃止され、機回しの必要がなくなったため、改札前に車止めが設置され、その後ろに通路が設置された。現在機回し線があった場所にはスーパーが建っている。
まちなか周遊バスを使い鶴ヶ城を観光

さて、会津若松駅からは会津バスが運行するまちなか周遊バスに乗車して、会津若松藩のお城、鶴ヶ城へと向かった。会津若松市内には観光に便利な周遊バスが右回り、左回りで概ね30分に1本運転されている。右回りは「ハイカラさん」、左回りは「あかべぇ」と名付けられていて、便によっては写真のようなレトロ調のバスで運転されるバスもある。今回は右回りの「ハイカラさん」で鶴ヶ城を経由して、会津若松市内をぐるっと一周することにした。会津若松駅から鶴ヶ城までの所要時間はおよそ20分ほど。バスは観光地を経由して走るので、やや所要時間がかかる。

鶴ヶ城北口バス停でバスを下車して鶴ヶ城へ。そこから10分くらい歩くと、鶴ヶ城の天守の入口にたどり着いた。会津若松のシンボルである鶴ヶ城。会津若松城や若松城とも呼ばれるが、1593年に蒲生氏郷がこの城を築城したときから鶴ヶ城と呼ばれている。若松という地名も、以前は黒川と呼んでいたものを、築城と同時に若松に改めたらしい。ここは幕末の戊辰戦争において、籠城戦が繰り広げられた場所として知られる。この籠城戦は会津戦争と呼ばれ、一連の戊辰戦争の攻防の中でも、激しい戦いが繰り広げられた。天守は戦後に再建されたもの。中は博物館となっていて、会津藩や会津戦争の歴史についての展示がある。
最近の旅行は大垣城、郡上八幡城、舞鶴城(甲府)、鶴ヶ城と城ばかり訪問している。ここ鶴ヶ城も会津のシンボルとして、やはり欠かせないし訪れておきたいお城だと思う。

天守からは会津若松市内と会津盆地を一望することができた。写真は鶴ヶ城から若松の繁華街や駅の方向を眺める。奥は喜多方市など会津盆地の北側のエリアとなる。この日は少し霞んでいたが、さらに奥には飯豊山地が見えていた。会津若松は人口13万人ほどの都市だが、人口以上に大きな街という感じがした。周辺の自治体を含めると人口は23万人になる。九州で例えると街の規模は佐賀市とか、都城市なんかが街の規模的には似てるかなと思う。

鶴ヶ城は桜の名所としても知られている。訪問時の10日前までは桜が満開に咲き誇っていたらしい。訪れた時にはもう葉桜となっていたが、新緑が芽吹く季節。城の中に植えられた木々には若葉が生い茂っていた。
初めての会津若松。正直鶴ヶ城しか知らなかったので、鶴ヶ城に立ち寄ったのだが、他にもいろんな名所があることを周遊バスに乗って初めて知った。街では修学旅行か社会科見学かで会津若松を訪れていた中学生・高校生の姿も多く見かけた。また、海外からの観光客は少なめだった一方で、中高年の日本人観光客の姿が多かった。中高年の人たちが学生だった頃、会津若松を修学旅行先にする高校も多かったらしい。そうしたことから中高年になってから会津若松を再訪問して、観光するという人も多いらしい。関東からもちょっと遠いくらいの距離感で1泊2日の旅行にはちょうどいい距離感かもしれない。
九州からはあまり観光地のイメージがない会津若松だったが、今回の訪問でその印象がガラッと変わった気がする。今回は鶴ヶ城だけだったが、ここへは乗りつぶしでももう一度訪れなければならないので、その時にもまた今回訪れなかった観光地に立ち寄ってみたいと思う。
さて、鶴ヶ城見学後は、再びまちなか周遊バスで会津若松駅へ戻り、磐越西線で新津を目指した。
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